汚料理? オシャレすぎてグロくなってそまった小島聖のマクロビ写真

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(左:小島聖公式プロフィールより・/右:小島聖公式ブログより)
 ファッション雑誌編集部内における女性同士のマウンティングが話題を呼んだ沢尻エリカ主演のドラマ『ファーストクラス』(フジテレビ系)。初回は視聴率6.5%と一桁台からのスタートとなったが、回を追うごとに数字が伸び、6月21日の最終回では10.3%と二桁台を記録した。これでフジ上層部の期待が膨らんだのか、最終回からわずか4カ月後の10月から第二弾の放送が決定している。  第二弾では沢尻以外のキャストが一新され、倉科カナ、篠原ともえ、市川実和子、夏木マリ、余貴美子、木村佳乃……といった豪華な出演陣で新たなスタートを切ることになる。その中で、主人公が働くファッションブランドでプレスとして働く女性を演じるのが小島聖。1999年公開の映画『完全なる飼育』で大胆に脱ぎ、巨乳を見せつけて以降、エロい本格派女優といったイメージの強かった彼女だが、そんな小島のブログに公開されている料理写真がエロいというより“グロい”と、女性ヲチャーを中心に物議を醸している。 つづきを読む

Sexy Zone佐藤勝利が編集長として企画したページに漂う、“残念”感

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もとはこんなに素朴な子だったんだから、オシャレになるはずがないっ!

【ジャニーズ研究会より】

<アイドル誌チェック!!>

 「Myojo」2014年10月号(集英社)、まずはSexy Zoneのページから見ていきましょう。今号では、メンバーそれぞれが編集長となって、撮影内容からヘアメイクまで決定権を持った雑誌(誌面)づくりに挑戦しています。

 菊池風磨は「UNTITLED」という雑誌を作り、セルフポートレートでカッコいいポージングからかわいらしい表情まで、自身の魅力をあますところなく切り取っています。「表紙用に選んだ写真は生意気な顔が俺らしくて気に入ってる(笑)」とのことで、確固たる美意識を持っている菊池は、プロのカメラマンの撮影より、セルフシャッターでの撮影の方が満足度の高い写真が撮れるのかもしれません。しかし、今回の撮影に限っては、「どうやってシャッターを押せばいいのかわかんなかったから、スタッフさんにサポートしてもらいながらやったんだけど、それがめちゃくちゃ恥ずかしかった」とのこと。次回は完全なセルフポートレートを見てみたいですね。

妖怪メダルがあれば恐妻ともうまくいく? プロレスラー・天山広吉の『妖怪ウォッチ』愛がすごい!

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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『新日本プロレス』公式HPより。
 モンゴリアン・チョップ、ムーンサルトプレス、アナコンダバイスといった技の数々を引っさげ、20年以上もトップレスラーに君臨する天山広吉。“荒ぶる猛牛”というニックネームを持ち、プロレス界屈指の強面レスラーとしてしられる天山だが、その意外な一面が、9月4日放送の『アウト×デラックス』(フジテレビ)で明かされた。  天山は、両手に『妖怪ウォッチ』の「妖怪メダル」を抱えて登場。今、のめりこんでいるのがこの「妖怪メダル」だという。そもそもは、息子のために集め始めたのだが、今ではすっかりハマり、息子に妖怪メダルをねだられても断るほどの熱狂ぶり。 「おたぽる」で続きを読む

10人産めば1人殺してOK!恐怖の少子化対策「殺人出産制度」とは?

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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『殺人出産』(講談社)
 日本人男性がタイで、体外受精と代理母により16人もの子どもを出産させるという騒動がメディアを賑わせた。また、祖父からの精子提供による体外受精での出産例が報告されたり、他方では出生前診断の結果による中絶数が増加……。生殖医療の発達にともない、妊娠出産にまつわる倫理、価値観が大きく揺らいでいる。  そんななか、“出産と引き換えに殺人の権利が手に入る”というショッキングな内容の小説が出版された。村田沙耶香の『殺人出産』(講談社)は、「10人産めば、1人殺してもいい」という殺人出産制度が認められた世界で生きる人々を描いた話題作だ。  物語の舞台は近未来の日本。この世界では子を10人産めば、誰でも1人殺してよいという「殺人出産制度」が施行されている。つまり10人の生と1人の死が等価値なのだ。どうしても殺したい相手がいる希望者は「産み人」となり、ノルマを達成するまで殺意を原動力にひたすら産み続ける。じゃあ男はどうするんだ、という心配は無用。人口子宮をつけて帝王切開をすれば、もちろん男だって「産み人」になれるのだ。

岡本夏生、フジPの“口淫”裏話暴露! 『サンジャポ』から消えた本当の理由とは?

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岡本夏生オフィシャルブログより

 岡本夏生が、レギュラー出演する『5時に夢中!』(TOKYO MX)の生放送中、フジテレビのプロデューサーは部下に「口淫をさせている」といった旨の発言をし、波紋を呼んでいる。2011年頃からバラエティでの露出が増加し、一時期は完全に、芸能界に復帰したとみられた岡本だったが、現在はというと、同番組以外のレギュラーはなく「週休6日」と発言したことも。再び表舞台から姿を消しつつあることに、一部では“干された”説も出ているが……。

 2日放送の同番組で、米国の有名女性キャスターによる“枕営業疑惑”のニュースが取り上げられた際、感想を求められた岡本は「この顔でフェラチオをされたら、男性の方も喜んでるんじゃないですか」と発言。さらにテレビ局内で、深夜の編集作業中、「タイムキーパーさんがプロデューサーをフェラチオしてる番組ってたくさんありますよ」と続け、司会のふかわりょうが「何情報ですか?」とフォローするも、「フジテレビ情報です」と、局名まで暴露してしまったのだ。

パチンコ営業で食いつなぐ酒井法子、本格復帰計画は難航中「ミニアルバムも1,000枚しか売れず……」

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『レーネンさんから学んだ「つらい過去」を手放す方法』(主婦の友社)より
 2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕・起訴され有罪判決を受けた酒井法子の復帰ロードが、なかなか定まらない。  酒井の所属事務所の公式サイトによると、女優業と歌手業の今後のスケジュールは白紙で、すでに撮影を終えた主演映画『空蝉の森』が告知されているのみ。 「今年1月に発売したミニアルバムは、1,000枚も売れなかった。また、『空蝉の森』は制作会社が倒産し、事件の影響もあって公開日がなかなか決まらない。テレビやラジオのオファーもない」(同)  そんな酒井の現在の主な収入源はといえば、これまで何度も報じられているパチンコ店でのホール営業で、「主に西日本のホールを中心に回っているが、1回のギャラが100万円で、そのうち6割の60万ほどが酒井の取り分。稼働するのは30分程度。ボロ儲けの仕事だから、一度度やったらなかなか辞められない」(パチンコ業界関係者)  しかし、酒井は現状に不満を募らせているようで、早ければ年末にも動きがありそうだという。 「酒井と現在の事務所の契約は今年いっぱいで切れる。酒井の1人息子は都内の中高一貫の中学に合格。この先を考えると、パチンコ営業で食いぶちを稼いでいくことに不安を感じ、このところ、芸能界に入ってからの“育ての親”である古巣・サンミュージックの社長に今後の身の振り方を相談しているようだ。同社も最近は、所属タレントの話題性が乏しいので、いずれは酒井を復帰させて大々的に売り出すことも視野に入れており、復帰の前にまず業務提携から始めて、バックアップ体制を取ることになりそうだ」(芸能プロ関係者)  酒井がパチンコ営業しなくても稼げるようになるのは、来年以降になりそうだ。

佐々木主浩&榎本加奈子の娘が自殺未遂、小栗旬に“デリ風”報道、金子賢の体がデカイ……芸能界の危うい男たち

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榎本加奈子オフィシャルブログより

【日刊サイゾーより】

 ベテランデスクTと新米記者Hが、今週の芸能ニュースを振り返ります。

デスクT 元メジャーリーガーで、今年1月に野球殿堂入りを果たした佐々木主浩の一家が、ヤバいことになってるみたいだね。

記者H 佐々木は、2005年に女優の榎本加奈子と不倫の末、デキ婚。前妻との間に生まれた2人の子どもの親権は佐々木が持っているのですが、長女のA子さんが、継母である榎本のいじめを苦に、5月頭頃に自殺未遂をしたことを、発売中の「週刊文春」(文藝春秋)で告白しました。

デスクT 穏やかじゃないね。

記者H A子さんが中1の時に、榎本との同居がスタート。榎本は、豆腐一丁と醤油が入った弁当を学校に持っていかせたり、佐々木の不在時にA子さんの食事を用意しなかったりと……

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横山健と俺の11年半ーーPIZZA OF DEATH元名物社員がつづる「疾風勁草」番外編

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『横山 健 -疾風勁草編-』(PIZZA OF DEATH RECORDS)

【リアルサウンドより】  自分は1999年6月から2011年1月まで約11年半の間、横山健率いるPIZZA OF DEATH RECORDSの社員だった。PIZZAが法人化したのは1999年1月なので、ほぼオープニングスタッフである。    横山と初めて出会った場所は、アメリカ・オハイオ州コロンバスの学生街にあるライヴハウス。1998年4月21日のことだった。当時、テネシー州の大学に留学中で、タイミングよくHi-STANDARDがツアーでやってきたのだ。将来、音楽業界で働きたいと思っていた自分は、ライヴ終了後にメンバーを捕まえて己の夢をアピール。すると、ちょうど独立を考えていた彼らの思惑とハマったようで、ボーカルの難波からその場で社員として誘われ、入社が内定。ちなみに、1999年6月8日の出勤初日まで窓口になってくれていたのは難波で、横山がどういう人間なのかは全く分からないままだった。スタッフになった後もしばらくの間、彼は怖い存在だった。後日、本人から聞いたところ、どこの馬の骨かも分からない自分のような人間と一緒に仕事をするのは内心、かなり嫌だったらしい。そういう思いがあからさまに態度に現れていたところに当時の彼の一面が垣間見える。  入社当時の横山との仕事で印象に残っているのは、イギリスのパンクバンドSNUFFのアルバムの日本盤をPIZZAからリリースさせて欲しいとお願いしに行ったときのこと。1999年8月の話だ。来日中だったSNUFFのメンバーが宿泊するホテルを訪ねる道中、横山は興奮を抑えきれずにいた。「うちからSNUFFのアルバム出せたらヤバくない!?」完全にキッズだった。SNUFFとの話し合いは大して込み入った内容でもなく、バンドの前向きな気持ちを確認して終了。それでも、帰りの車内は何か大きなことを成し遂げたような高揚感に包まれていた。今思えば、あの時の興奮が自分と横山の距離を縮めてくれたような気がする。  元々、海外渉外担当として採用されたのだが、翌年4月のSNUFF「NUMB NUTS」とHi-STANDARD「Love is a Battlefield」同時リリースに関する全ての業務、宣伝、販促、制作、ジャケット進行等を彼は自分に担当させてくれた。それだけではない。こんな完全なる素人を音楽業界の様々な先輩のところへ連れて行き、アドバイスをくれるよう頭を下げてくれた。自分の会社のためとはいえ、かなり面倒をみてくれた。このことがきっかけで、その後のPIZZAにおける自分の担当は“リリースに関わる業務すべて”となり、自分一人がいれば何でもリリースできるというところまで鍛えてもらった。  こんな風に社長として様々な業務を持ち前の責任感でこなしつつ、人気絶頂だったHi-STANDARDの活動も続けていたのだから、2000年初頭に彼が抑うつ状態に陥ってしまったのは無理もなかったのかもしれない。ちなみに、SNUFFのメンバーに会いに行ったのは、Hi-STANDARDの大ヒットアルバム「MAKING THE ROAD」のレコ発ツアー真っただ中のことだった。  2000年夏、千葉マリンスタジアムで開催された「AIR JAM 2000」を何とか乗り越えた後、横山は病気療養のため会社に来なくなった。当然のことながら、船頭のいない船は不安定にならざるを得ない。社内は徐々に混乱した。あの頃のことはあまり覚えていない。人間の脳というのは、辛いことほど忘れやすくなる仕組みになっている。だけど、皆、「Hi-STANDARDのためになんとかここを守らなきゃいけない」という一心だったはずだ。そのうち、ポツポツと会社に顔を見せるようになった横山だが、そんな自分たちの想いは全く届いていなかった。彼はふざけていた。会社に来てもすぐにいなくなることもしばしば。そんな振る舞いをした彼の気持ちは今なら理解できる。だけど、当時は勘弁ならなかった。  真面目な話をのらりくらりとかわし続ける社長と、遂に話し合いの場を持つことになった。自分を含むPIZZAの主要スタッフ3人対横山1人。いつ頃のことだったか、どんな話をしたかはあまり覚えていない。ただ、スタッフと横山で見ている方向が異なり、全く話が噛み合わなかったことはたしかだ。しかし、それでは終わらなかった。解決策が見つからないまま話し合いが膠着状態に陥った時にスタッフ側が発した「俺たちはみんな幸せになりたいんです!」という言葉が響いたのか、その日以降、少しずつ事態が好転していったような気がする。改めて文章にするとクサいドラマのようだけど、こっちだってそれだけ必死だったのだ。  最近のファンからすると意外かもしれないが、10年前の彼はまだ一国一城の主としては頼りなかった。そもそも、PIZZA OF DEATH自体がまともなレーベルとして認知されていなかったし、アンダーグラウンドの人間からは陰口も叩かれていた。インディーの規模でありながら、メジャー的な展開をするレーベルというのは今でこそ珍しくないが、当時は皆無だったのだから仕方がない。しかし、2003年8月にリリースしたHAWAIIAN6「SOULS」のヒットを機に、社内の空気はすこぶる良くなった。  横山健という男は基本的に頭が良いし、感覚も鋭く、人間的にも熱い。件の話し合い以降も問題がなかったわけではないが、彼はメキメキと社長らしい包容力や決断力を身につけていった。スタッフのことを気にかけるようになった。恐らく、とことん深いところまで自分自身と向き合い、スタッフと頻繁に会話を交わし、トライ&エラーを重ねながら彼なりの社長哲学を構築していったのだと思う。もちろん、創作活動も並行しながら、だ。  2006年9月、レーベル初となるコンピレーションアルバム「The Very Best of PIZZA OF DEATH」を発表。この頃には、言い方は変だけど、どこに出しても恥ずかしくないレーベルオーナーに横山は成長していた。そして、このタイミングで彼は、オリコンが発行する業界紙をはじめとする様々なメディアで、アーティストとしてではなくレコード会社の代表取締役として初取材を受けることになる。もちろん、ブッキングしたのは自分だ。Ken Yokoyamaとして前年に発表した2ndアルバム「Nothin’ But Sausage」もヒットを記録。社長業とアーティスト業のバランスが取れてきたのはこの頃からかもしれない。その後も作品を重ね、2008年1月には日本武道館公演、2010年10月には幕張メッセ&神戸国際展示場公演を成功させた。当時は考える余裕もなかったが、こうして振り返ってみると、改めてすごい男だなと思う。  社長として、彼が最も素晴らしいのはスタッフをとことん信じるところ。これを「信じて任せるの精神」と呼んでいるのだけど、彼は一度任せた仕事に対してほぼ口を挟まない。スタッフのやりたいようにやらせてくれる。その分、スタッフ一人ひとりにのしかかる責任は甚大になるのだけど、それ以上にモチベーションにつながる。これは並みの精神では出来ないことだと思う。常識的に考えたら、新卒のペーペーに100万枚を売るアーティストのリリースに関わる一切合切は任せられないでしょう。「横山健は常識的な人間ではない」と言われてしまえばそれまでだけど。  ここ数年で、横山健という男はパンクの枠を越えて、多くの音楽ファンから支持を受ける存在になった。彼が起こす行動に対して投げかけられる「さすが健さん!」なんて言葉もよく見かけるし、「これは横山健だからできるんだ」という空気すら感じることもある。でも、それは違う。なぜなら、ここまで語ってきた通り、彼は最初からデキる社長だったわけではないからだ。もちろん、音楽家としての才能は元々あったのだろう。しかし、それ以上に彼は努力を重ねてきた。挫折を味わいながら、曲がりくねった道を走り抜けてきた。自分は今、PIZZA OF DEATHを離れ、別の場所で活動しているけれど、俺はそんな彼のことが今でも大好きだし、尊敬している。  今月24日にリリースされるDVD「横山健―疾風勁草編―」は、昨年秋に劇場公開された横山健初のドキュメンタリーフィルムだ。全国60の劇場で上映され、期間限定にも関わらず、3万人の動員を記録したという。しかも、配給会社を一切通さずに、だ。今年6月に開催されたPIZZA OF DEATH主宰の大型パンク/ラウドロックフェス「SATANIC CARNIVAL」も、なんとイベンターの力を借りずに成功へと導いた。この事実はあまり周知されていないが、イベント制作部門を持たないレコード会社が主宰する万人規模のイベントとしてはかなりの偉業である。「自分たちで出来ることはやれる範囲で全部やる」というインディペンデント精神は昔から全く変わらない。  世間がどう思っているかは分からないが、自分は横山健という人間にまだまだ可能性を感じている。やって欲しいことがたくさんある。オンステージ以上に強烈なセンスを発揮するトークスキルは地上波のバラエティ番組に送り出したいぐらいだし、他のアーティストへの楽曲提供も積極的にやって欲しい。だけど以前、インタビュー中にそう訴えたらこう返された。「でも、一人の人間が生きてるうちに発せることってこんなもんだと思うよ?」そんなクールな物言いをしながらも、きっとまんざらでもないはず。「着地点を決めない、目標設定をしない」と常々語っている彼のことだ。何かやってくれると信じている。 ■阿刀 "DA" 大志 75年生まれ。PIZZA OF DEATHにて宣伝制作を10年以上務めた後、12年からフリーランスに。現在は執筆業を中心に、プロモーター、音楽専門学校講師など、音楽に関わるあらゆる分野で雑食的に活動中。 ■リリース情報 『横山 健 -疾風勁草編-』 発売日:9月24日 価格:3,800円(税抜) 収録分数:本編 117分 + 特典映像 37分 発売元:PIZZA OF DEATH RECORDS 特典:DVDでは劇場本編には収録されていない特典映像も収録のほか、 Ken Yokoyamaの新曲を収録したシングルCD付き。

女子アナ・宮崎宣子、離婚の背景に「メンタル不調」!? 結婚式でも露呈していたイジメ問題

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宮崎宣子オフィシャルブログより

 元日本テレビアナウンサー・宮崎宣子が、5日付「スポーツ報知」で離婚を明かした。生放送遅刻騒動、休養と復職を繰り返すなど、“お騒がせアナ”の代名詞だった宮崎だが、寿退社からわずか2年半で結婚生活にも終止符を打つこととなった。

 宮崎アナは、同紙のインタビューに応じる形で、離婚原因を「尽くしすぎて自爆した感じ」と語っている。夫が仕事に打ち込む中、日々のすれ違いが生まれ、それがストレスへとつながってしまったのだという。