
2006年に発覚した「チャン・ミジョン事件」を映画化した『マルティニークからの祈り』。海外収監者の悲惨な境遇が白日の下にさらされる!!
高級リゾートマンションで暮らすことができても、自由に外出することも連絡をとることも許されなければ、そこは監獄と同じだろう。逆にどんなにボロボロの四畳半一間でも、愛する人と一緒の生活ならば、それは天国の日々となる。チョン・ドヨン主演作『マルティニークからの祈り』は、人間が置かれた環境条件がどれだけその人の精神状態に影響を及ぼすかをまざまざと教えてくれる。さらに、この作品が興味深いのは、実際に起きた事件を描いているということだ。2004年にフランスの空港で起きた韓国人主婦麻薬運搬事件(チャン・ミジョン事件)が題材。自国語しか話せない平凡な主婦が麻薬密輸の疑いで海外で逮捕され、裁判が開かれないまま2年間にわたって拘束され続けたという恐ろしい事件の顛末が明かされる。
ヒロインを演じたのは、『シークレット・サンシャイン』(07)での熱演でカンヌ映画祭主演女優賞に輝いたチョン・ドヨン。韓国映画界が誇る実力派女優の主演作で、しかも韓国映画がもっとも得意とする実録社会派サスペンス。なおかつ、絶望と肉欲が渦巻く女囚もの。映画好きにとっては堪らない、切り札が3枚もそろった見応え充分な力作となっている。
ジョンヨン(チョン・ドヨン)は韓国で暮らす普通の主婦。決して楽な生活ではないが、お人好しの夫ジョンベ(コ・ス)とかわいい娘ヘリン(カン・ジウ)と幸せに暮らしていた。ところが、ジョンベが親友の借金の保証人になったことから暗雲が立ち込める。親友は借金を残したまま首を吊り、ジョンベは2億ウォンの返済を肩代わりするはめに。アパートの家賃も払えずに途方に暮れる夫妻に、奇妙なアルバイトの依頼が届く。「金の原石を運んでほしい。万が一、税関でバレても罰金を払うだけで大丈夫だ」という眉唾な仕事内容。しかも、女性にしかできないらしい。いぶかしむジョンヨンだったが、背に腹は換えられないとこの高額バイトを引き受ける。フランスのオルリー国際空港の税関をドキドキしながら潜るジョンヨン。案の定、税関の係員に呼び止められて鞄を開いてみると、中身は金の原石ではなく大量のコカインだった。フランス語が話せないジョンヨンはまったく弁解できないまま、収容生活を余儀なくされる。
本作を観た人は誰しも、フランス在住の韓国大使館員たちの無責任さに怒りを覚えるだろう。ジョンヨンは大使館に何度も事情説明の嘆願書を送るが、エリート然とした大使館員たちは「また、麻薬おばさんからだよ」と鼻で笑い、嘆願書を読もうともしない。犯罪者のために国の税金を無駄に使えないと、通訳を手配することもない。フランスの国選弁護士がジョンヨンを訪ねるが、言葉が通じないので意味がない。ジョンヨンは家族に連絡することもままならず、いつ裁判が開かれるのかも分からない状態のままパリの留置場で孤独な生活を強いられる。やがてジョンヨンは、カリブ海の孤島・マルティニークにある女子刑務所へと移送。宝石のように輝くカリブの美しい光景とは裏腹に、ジョンヨンは家族に会えないことに悲嘆し、髪の毛が抜け落ち、みるみるうちにやせ細っていく。ここらへんの極限演技は、『ハッピー・エンド』(99)や『ハウスメイド』(10)でも体当たりぶりを見せたチョン・ドヨンの独壇場だ。『あしたのジョー』(11)での伊勢谷友介か、本作のチョン・ドヨンかというくらい鬼気迫るものを感じさせる。

「ママはちょっとお出かけしてくるから、いい子にしててね」と軽い気持ちで娘と別れたジョンヨン(チョン・ドヨン)。まさか刑務所送りになるとは。
チャン・ミジョン事件を取材した新聞記事、さらにドキュメンタリー番組『追跡!60分』を見て、映画化に動いたのはパン・ウンジン監督。『受取人不明』(01)などキム・ギドク作品で印象的な演技を見せていた元女優だ。アラン・パーカー監督の実録獄中記『ミッドナイト・エクスプレス』(78)同様のリアリティーに、女囚もののお約束ともいえるレズビアン看守によるヒロインの貞操危機シーンなども盛り込み、緊張感と娯楽性に溢れた社会派作品に仕上げている。裁判に必要な書類を紛失するなど大使館員たちの杜撰な対応がヒロインを苦境に追い込むが、このエピソードは事実らしい。ウンジン監督に事件の内情について聞いてみた。
「映画なのでキャラクターは多少戯化してはいますが、事件に関するエピソードは事実に基づいたものです。大使館員はチャン・ミジョンさんに『フランスでは麻薬に関わる事件は重罪。10~20年、中には100年の罪になることもある』と無責任な言葉を残して帰っています。『マルティニーク島には朝鮮語を話せる人間は誰もいない』という発言も実際に大使館員がしたものです。インターネットでこの事件のことを知った韓国人が『それはおかしい。私の親戚がいます』と名乗り出たことで、ミジョンさんはようやく通訳を得て、窮地を脱することができたんです。この事件のことを知らなかった人は韓国でも意外と多く、映画化をきっかけで事件の内容が広まりました。韓国の外交部(外務省)はこの映画のことを面白く思っていないようですね(苦笑)。フランスやドミニカ共和国でもロケ撮影してますが、外交部の無言の圧力を感じることがありました。多分、私は目をつけられていると思います(笑)。もし外交部が映画の公開に干渉してきた場合は、ノイズマーケティングで対抗してやるくらいの覚悟でした。こちらには実話なんだという強みがありましたから。でも、これは韓国だけに限った事件ではないと思うんです。日本をはじめどの国でも、海外で罪に問われて収監されたままの人たちは少なくないはず。なのに彼らが存在することは、母国の人たちにはほとんど知らされていない。こんな事件がもう起きてほしくないという願いから、この映画は完成させたんです」
ホテトル嬢連続拉致殺害事件を題材にした『チェイサー』(08)、障害児童の性的虐待を扱った『トガニ 幼き瞳の告発』(11)、幼女暴行事件と裁判の行方を描いた『ソウォン/願い』(現在公開中)など韓国映画は実録サスペンス、実録犯罪もののレベルが非常に高い。東野圭吾のベストセラー小説の映画化『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(12)を撮るなど、日本文化に理解のあるウンジン監督は韓国映画界についてこう語った。

刑務所から送られてくる手紙を心待ちにしていた夫ジョンベ(コ・ス)。だが、娘は「ママの顔、忘れてきちゃったよ」と残酷な言葉を……。
「日本では人気コミックや小説の映画化が盛んですね。話題になったテレビドラマも映画化されますし、逆に映画がノベライズやコミカライズされることも多い。メディア間の連係がとてもスムーズ。韓国でももちろん原作付きの映画はありますが、日本ほどではないように思います。最近の韓国映画の傾向として、実際に起きた事件を映画化するジャンルが人気なんです。声を出したくても声を出すことが叶わない、社会の影に隠れている人たちの心情を汲み取ったものです。一概には言えませんが、日本と韓国の文化の違いもあるかもしれません。日本の映画は個人的な問題をテーマにしたものが多いように感じますが、韓国では個人対組織、または対立する組織に属する者同士の対決といった図式のドラマを、作る側も観る側もどちらも求める傾向にあるようですね」
チョン・ドヨンの熱演に目が奪われる本作だが、妻の帰りを待ち続ける家族もまた辛い。妻のいない日々、夫は妻の残したパンティーを手にするが、どのパンティーもよれよれで擦り切れていることに気づき、夫は自分の不甲斐なさに号泣する。『高地戦』(11)や『超能力者』(10)の二枚目俳優コ・スが情けなく泣き崩れる印象的なシーンとなっている。「どの国でも、男性はみなさんこのシーンにとても共感するようですね」とウンジン監督はおかしそうに笑った。
(文=長野辰次)
『マルティニークからの祈り』
監督/パン・ウンジン 脚本/ユン・ジノ 出演/チョン・ドヨン、コ・ス、カン・ジウ、ペ・ソンウ、コリンヌ・マシエロ 配給/CJ Entertainment Japan 8月29日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー
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