
鉄格子で覆われた精神病棟。カメラに向かって笑顔を見せる患者もいるが、ほとんどの患者はカメラがあることを意識せずに立ち振るまう。
あなたの知らない世界を疑似体験させてくれるもの。映画という媒体をそう定義するならば、ワン・ビン監督のドキュメンタリー映画『収容病棟』ほど映画らしい映画はない。中国南部の雲南省のとある精神病院の鉄格子に覆われた収容病棟の中にカメラは入り、モザイクなしで患者たちの“ありのままの姿”を映し出す。しかも3時間57分にわたって。気力と体力に自信のない人は気をつけたほうがいい。スクリーンから発せられる負のオーラに引き込まれかねない。しかし、そのリスクに挑む価値は充分にある。テレビカメラに向かって反日、抗日を訴える中国人とは異なる、カメラをまったく意識していない“裸の中国人”像を知ることができるからだ。いや、政治や社会から隔離された人間本来の姿と言うべきかもしれない。
ワン・ビン監督が2013年1月~4月、ほぼ毎日にわたって密着取材した『収容病棟』。モザイク処理はおろか、ナレーションもBGMも流れない。収容されている患者の名前と収容された年月がクレジットされるだけ。収容者数は200人以上で、収容された理由は実に様々。精神異常犯罪者、薬物やアルコール依存者、家庭内暴力を振るうために収容された者、政府のひとりっ子政策に違反したために収容された者もいれば、認知症や鬱病などコミュニケーション障害がある者も一緒。家族や地域社会の手に負えなくなった人々が、ひとまとめに収容されている空間なのだ。経済成長が目覚ましい中国だが、中国当局は2010年に「精神病患者1億人」と発表している。社会の変化についていけなかった人たちである。彼らだけで、別の国がつくれてしまうではないか。そう、『収容病棟』は今まで知ることのなかった、もうひとつの中国を描き出している。
消灯後、病室で眠りに就こうとしていた男性患者は便所に行くのが面倒くさいのか、床に向かって放尿する。一応、床には洗面器が置いてあるものの、薄汚れた病室に湿った臭気が立ち込める。他の患者たちはもう慣れっこで、平気な顔で眠っている。収容されて間もない若者は元気を持て余している。上半身裸になって廊下をぐるぐると走り回る。それでも興奮が収まらず、他の患者のベッドを蹴り壊してしまう。医者から注射を打たれて、ようやくおとなしくなった。食事シーンも強烈だ。みんなで中庭に出て、雑炊みたいなものを一斉にかき込む。食べ物に執着する患者は、残飯を捨てたバケツにまで箸を伸ばし、「ゴミまで食べるな」と注意される。患者たちは、みんな口をそろえて願う。「早く家に帰りたい」と。裸で走り回っていた青年は「収容されてから、おかしくなった」と訴えている。ここはこの世の生き地獄なのか? いつしか自分も、彼らと一緒に収容病棟で暮らしているかのような恐怖心を抱いてしまう。

200名以上の患者が収容された病棟の中で、氏名不詳のまま6年間暮らしているヤーパ。ひとりで眠るのを嫌い、他の男性患者のベッドに潜り込む。
だが、数時間にわたって彼らと一緒に過ごすことで、徐々にだが自分の意識が変容し始めていることに気づく。ヤーパ(唖者)と呼ばれる男性患者は、発達障害か幼少期のネグレクトが原因で言葉をしゃべらなくなったらしい。夜、ヤーパは他の男性患者のベッドに潜り込む。最初はホモっけがあるのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ひとりで眠るのが淋しいのだ。人肌が恋しくて、他の患者のベッドへと入っていくヤーパ。温もりを求めているのはヤーパだけではない。誰もが淋しくて淋しくて堪らない。ひとり寝に耐えられず、他の患者と添い寝し合うことで人肌の温かさを確認する。また、プーと呼ばれるオッサンは、下の階にいる女性患者と鉄格子越しに愛を毎晩のように語り合う。収容病棟で育まれるプラトニックラブ。プーのいる男性患者専用フロアに女性患者が上がってきて、鉄格子の隙間から飴玉を渡すシーンがある。この飴玉はどんな口づけよりも甘く、どんな媚薬よりも刺激的だ。一見、うらぶれた精神病院にしか見えないが、よく目を凝らして見ると、ここには愛が溢れていることに気づく。家に帰っても居場所のない彼らにとって、収容病棟は最後の楽園なのかもしれない。
精神科診療所を舞台にした想田和弘監督のドキュメンタリー映画『精神』(08)もモザイク処理なしで、患者ひとりひとりに撮影許可をもらった上で取材を進めた労作だったが、『精神』が外来の診療所だったのに対し、『収容病棟』は患者たちの生活をそのまま全部見せるという“ありのまま感”に圧倒される。ワン・ビン作品を『鉄西区』(03)以降、『無言歌』(10)『三姉妹 雲南の子』(12)と日本で配給し、本作の共同プロデューサーも務めた武井みゆきさんにワン・ビン作品の製作内情を聞いてみた。

収容されて9年になるプー。毎晩大声で求愛し続けた甲斐あって、下の階にいる女性患者が逢いに来た。しかも差し入れ持参だ。
武井「中国というと厳格な中央集権国家の印象がありますが、あれだけ広い国なので、地方にまでは行政の目が行き届かないんです。ワン・ビン監督は最初は北京の精神病院に取材を申し込んだのですが、断られています。そのうち『三姉妹』の撮影取材で雲南省へ通ううちに病院関係者と知り合い、撮影OKな病院を見つけたようです。細かいことは気にしない病院だったようですが、ワン・ビン監督はドキュメンタリー映画として公開すること、でも中国では上映しないこと等、きちんと病院側に企画内容を説明した上で撮影しているんです。完成した作品も病院側に観てもらっています。ワン・ビン監督はとても倫理観が強く、相手を騙して撮影したり、盗撮などはできない人。また中国で資本を受けると中国側の検閲が入ることから、外国からの資本のみで作品を撮り続けている希有な映像作家なんです。怖いもの見たさでもかまいません。映画を観る動機は人それぞれですから。でも、劇場に足を運んでもらえば、自分が想像していた以上のものを何かしら発見できると思うんです」
『収容病棟』だけでも相当ハードだが、もう一本超ヘビーなアジア発のドキュメンタリー映画が公開される。カンボジア出身のリティ・パニュ監督の『消えた画 クメール・ルージュの真実』だ。1970年代、ポルポト政権下のカンボジアでは一般市民が数百万人規模で大虐殺された。少年期を地獄のような環境で育ったリティ監督は故郷に戻り、かつて大量の死体が埋められた水田の土と水をこねて泥人形をこさえ、往年の故郷を模したジオラマに泥人形を並べ、家族や友達が強制労働の中で次々と死んでいった悪夢の日々を再現する。泥人形の素朴なかわいらしさと大量殺戮というシリアスな事実とのギャップに、観ている自分の心も張り裂かれる。非業の死を遂げた泥人形が軽やかに空を飛ぶ場面があるが、これほど胸を掻きむしられるファンタジーシーンはかつて観たことがない。
映画は自分の知らなかった世界を疑似体験させてくれる。そして、数時間後には劇場は明るくなり、元の世界に戻ることができる。自分がいる世界がスクリーンの中とは別世界であることに、ほっとひと安心する。だが、本当にそうだろうか。劇場の扉を開けると、そこにはさっきまで観ていた収容病棟とそっくりな空間が待っていて、ひとつ先の角を曲がると泥人形たちが暮らすジオラマが広がっているのではないか。映画を観た後のあなたの目には、今までとはまるで違った世界が映っているはずだ。
(文=長野辰次)
『収容病棟』
監督/ワン・ビン 撮影/ワン・ビン、リュウ・シャンフイ 編集/アダム・カービー、ワン・ビン 製作/Y.プロダクション、ムヴィオラ 字幕翻訳/武井みゆき 監修/樋口裕子 配給/ムヴィオラ 6月28日より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
(c)Wang Bing and Y. Production
http://moviola.jp/shuuyou
『消えた画 クメール・ルージュの真実』
脚本・監督/リティ・パニュ ナレーション/ランダル・ドゥー 人形制作/サリス・マン 配給/太秦 7月5日(土)より渋谷ユーロ・スペースほか全国順次ロードショー
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