
ライブ中心の音楽シーンについては、実演の重みが増すと肯定的に見る
【リアルサウンドより】
1993年にSpiral Lifeのメンバーとしてデビューした石田ショーキチが、自身のキャリアと20年間の音楽シーンの変化を語る集中連載第3回。Spiral Life以降に石田が歩んだ道のりと、その間の音楽ビジネスの変化と問題点を語った第2回に続いて、今回はポピュラー音楽を下支えする音楽教育のあり方についての話から、「20代のバンドがどうやって食べていくか」という具体的な問題の解決法にまで話が及んだ。
第1回:
デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る
第2回:
「2004年頃、時代が変わった」石田ショーキチが語る、音楽ビジネスの苦境とその打開策
――第2回でお話に出てきた「新人の育成機能」について、さらにうかがいます。かつては良くも悪くも、再販制度に守られたレコードメーカーの高い収益力とその再配分機能によって、育成機能は支えられた面があります。しかしCDの販売不振で、そうしたシステムが徐々に崩れてミュージシャンが自由になった分、若手がレコーディング技術などを学ぶ機会が減ってしまった、と。
石田:日本の音楽の考え方で嫌なのが、例えばピアノやヴァイオリンが高等で上品な“習い事教育”として捉えられていることです。しかも、上手くないと人前で演奏してはいけない、という空気がある。レコーディングで海外に行くと、スタッフから「うちの親父が酔っ払って、下手くそなヴァイオリンをギーコギーコやるんだよ」という話が、普通に出てきます。しかし日本では、学校は音楽教育にまったく重きを置いていないし、楽器が身近で気軽なものじゃなく、ハードルが高いものになっている。つまり、何の教育も受けず、幼いころから楽器と親しんでもいない子たちが、高校生になって突然バンドを始めるのですから、それはひどいものです。そういう子に理論的な指摘をすると、「いや、僕のフィーリングはこうなんです!」なんて、変なつっぱり方をされてしまう(笑)。これは算数や理科のように、学問として音楽を学ばずに成長してしまったことの弊害です。
――なるほど、音楽教育のあり方を見直す必要もある、ということですね。また、業界全体を考えると、音楽で食べていくことは非常に難しくなってきたと言われます。今はライブで売り上げを立てる方向にシフトしていますが、その状況をどう見ますか?
石田:ある意味では、正しい方向に向かっていると思います。少しさかのぼると、90年代ごろからライブをめぐる状況は混乱していました。たとえば、80年代以前の歌番組では、ビッグバンドがさまざまな歌手の演奏を一手に引き受けていました。しかし、今はそういうことはやらない。理由のひとつとして、レコーディングでできあがった決まったトラックでしか、アーティストが表現できなくなっている、ということがあるでしょう。まったく同じ演奏、同じ歌じゃないと困ってしまう、レコーディングでできたフォーマットから離れられない、ということです。また、生演奏では口パクができない、ということもあるかもしれない。このように、人前で生演奏を行うことのハードルが上がったのか下がったのか分からない……というおかしな状況は、90年代ごろからありました。
これには番組の制作サイドの事情もあり、生演奏をさせると本番当日、音声さんの仕事量が増えてしまうし、カラオケをやらせておいたほうが効率がいい、ということになってしまった。また、アーティストが歌詞を間違えたときに、「字幕と違う」という苦情がくる……なんて理由で口パクをさせる。歌わせないし、演奏もさせないとなると、何のためにその番組を見て、音楽を聴いているのかという話になる。つまり、そこにある音楽は全部嘘です。そんな状況ですから、ライブ中心で実演することの重さが増していくのは、いいことだと思います。

各ミュージシャンが独自の収入源を確立する必要性を強調した
――一方で、レコーディング芸術としての音楽がこのまま廃れていってしまうのではないか、という懸念もあります。
石田:そこには、先程も挙げた教育の不足という大きな問題があります。教育はどうしてもコストをかけなければできないところがある。僕らのようないい年のおっさんは自分のやり方次第でどうにでもなりますが、これから若者が新しいものを作っていく上で、かつてはメーカーが投入する資金で行われていた教育が欠落していることの影響は、これからさらに大きく出てくるでしょう。その反面、教育とは無関係な自由な表現、ベッドサイドミュージックは現に大きな広がりを見せているし、これからもっと広がっていくと思う。この二極化は、大きくなる一方です。
――可能性があるのはベッドサイドミュージック、ということでしょうか。
石田:ベッドサイドミュージックの中に、必ずしも音楽理論的に正しくなくても、内容的に音楽性が高いものがあれば一番だと思いますが、そこには残念ながら過度には期待できない。そういう意味では、これからの若者はちょっとかわいそうですね。
――レコードメーカーに守られながら技術を磨き、食べられるようになる……という道筋がなくなってきている中で、「20代のバンドがどうやって食べていくか」というのも今後の音楽シーンの大きなテーマになると思います。
石田:こういう状況になることはいわば時代の宿命。1982年にコンパクトディスクができた時点で運命づけられていたことで、僕もいずれはこうなると覚悟していました。ここで「CDが売れない」と嘆いていても仕方がない。レコード会社を頂点とした“音楽経済ヒエラルキー”のピラミッドがあり、その外にテレビを中心とした大きなメディアがあって……という構造が崩れた以上、今までのやり方で音楽で飯を食っていくことなんかできるわけがありません。
けれど、音楽の需要自体がなくなったわけではなく、経済的な方法論が通用しなくなったということなので、新しいやり方を考えればいいだけです。僕もギター1本を持って全国飛び回り、年間50本くらいアコースティックライブをやりますが、行けば必ず喜んでくれるお客さんがいて、自分にとっても収入になります。今まではコンサートというものもレコードを売るためにレコードメーカーがお金を出して……ということで、結局はピラミッド構造の中で制作されていました。それが崩れた以上、後は自分個人が、いかにリスナーと真摯に対峙するか、ということでしかない。パイは細分化しましたが、その分、個人対個人の時代になりましたから、それを自覚して「経済を自分で作っていく」という覚悟があるかないか、というだけの問題だと思います。
――今の時代を正確に捉え、それぞれの新しい「音楽経済」を作るべきだと。
石田:そうです。ライブ活動には、アリーナのように大きなものから、ライブハウスの小さなものまでありますが、それぞれが大事で、それぞれに成り立つ方法論がある。お金の規模だけの話ではなく、どんな規模であれ成立させていくことが大事な時代だと思います。そういうものを丁寧につなげていくことで、新しい音楽経済ができあがるのではないでしょうか。例えば八百屋さんは、仕入れ値と売値と売り上げ個数を計算し、それを実現させないと生活できない。音楽で生活するにも、同じことをしなければならないんです。昔はそうしなくても、なんとなく漠然と大きなお金が流れていて、その中で漠然と飯が食えていましたが、ひとつひとつを事業として見た場合、それぞれがちゃんと黒字を出していたかというと、全然そんなことはなかった。つまり、売れているアーティストの利益を平べったく伸ばして、業界全体に再分配していただけです。それぞれのアーティストが個人レベルで利益を考えていくという状況は、八百屋の例を出すまでもなく、ごく自然なことだと思います。
――最後に、活動20周年ということで今後の活動についてはいかがでしょうか。2007年の
『love your life』以来となるソロアルバムの完成も期待しています。
石田:よく言われます(笑)。ただ、自分の音楽ってあまりモチベーションが上がらないんですよね。その反面、演劇やテレビアニメの曲の依頼はちょこちょこ受けていて、物語に対して音を作る、というのはすごく燃えるんです。でも、そのストーリーの中心が自分になる、というのは気持ちが悪い。とりあえずSpiral Lifeのリミックスをやれただけで僕もう満足しちゃっているところがあるので、これから考えることにします。
(撮影=金子山 取材・文=神谷弘一)