「少しふっくら」の矢口真里が反撃開始! 元夫・中村昌也のDV疑惑再燃で泥仕合へ

yaguchi0920.jpg

【日刊サイゾーより】

 不倫騒動で活動休止中の矢口真里と、矢口の母親が、20日発売の「フライデー」(講談社)のインタビューに、自宅籠城後、初めて答えた。

 記事では、「外出先で偶然キャッチした」という矢口に、記者がインタビューを決行。突然の取材班に目を見開き驚いたような表情を見せたり、外でインタビューを受ける矢口の写真も掲載されており、写真には「少しふっくらとしていたが、激太りは言い過ぎだろう」「休養中だが、彼女からは“芸能人オーラ”が漂っていた」と、先月下旬に「女性自身」(光文社)に掲載された“二重あご写真”を否定するような記者の感想が添えられている。

 記者の直撃に矢口は、「(家では)ゲームばかりじゃないです。テレビを観たり……」「今回特に劇太りしたってことはないですよ(笑)」と他誌の報道を否定。

 また、「ちょうど外出するために出てきた」という矢口の母親も、元夫・中村昌也の家庭内暴力疑惑や、2人の離婚理由について丁寧にコメント。「真里がケガをして実家に帰ってきたことはありますね。そのとき本人に『どうしたの?』と追及はしました。本人は『転んだ』と言っていましたが……ひどい傷でした。背中が×印みたいな形で盛り上がっていて、血がにじんでいたんです。挙式から2日目か3日目のことでしたから……

続きを読む>>>

カテゴリー: 未分類 | タグ:

「2004年頃、時代が変わった」石田ショーキチが語る、音楽ビジネスの苦境とその打開策

shokichi2-1.jpg

現在は黒沢秀樹らと共にライブ活動も数多く展開中

【リアルサウンドより】  1993年にSpiral Lifeのメンバーとして音楽界にデビューした石田ショーキチが、この20年で激動した音楽シーンを語る集中連載第2回。Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを語った第1回に続き、今回はSpiral Life以降に石田が歩んだ道のりと、その間の音楽ビジネスの変化、さらに現在の音楽シーンの問題点まで率直に語ってもらった。 第1回:デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る ――96年3月にSpiral Lifeが解散した後、9月にScudelia Electroがシングル「Truth」でデビューを果たし、プロデュースチームとして始めたプロジェクトがバンドとしての活動に移っていきました。 石田:レコードメーカーとしては、レコードを作らせないと商売になりませんからね(笑)。ただ、僕としては複雑な思いがあり、「これでは、結局普通のアーティスト扱いじゃないか」という矛盾を感じていました。僕としては自分の作品は2~3年に1枚作ればよくて、それよりも他人の作品を作りたいと思っていた。それなのに、「2年でアルバム3枚」のようなノルマがあり、ひどいときは1年に2枚も作らされました。しかも僕は、今で言うエレクトロニカのような音楽を率先してやっていきたかったのに、当時のディレクターはギターロックに持っていこうとする。なまじ根っこにブリティッシュビートがあったものだから、スタッフがSpiral Lifeから抜け出せず、そういうところに戻そうという節は感じました。「ギターを持つことが美しくてかっこいい」という暗示は強く、軋轢はすごかったです。 ――90年代後半まではギターロックが非常に人気があり、業界やシーン全体で「ギターバンドが基本」というムードもありましたね。 石田:そうなんです。下北沢を中心としたギターポップには本当にうんざりでした(笑)。「ギターを持って、ギターポップをやれ」と押し付けられるのは嫌でしたが、そうは言っても頑張るので、できちゃうのがまた皮肉なところで(笑)。Scudelia時代の3~4枚目が、そんな感じでした。自分自身もしんどくなっていたし、その担当ディレクターから離れた方がいい、と周りの誰もが僕に言うようになっていたので、お世話になったポリスターから離れることにしたんです。それからHip Landというプロダクションに行って、その後自分でレーベルを立ち上げたり、あるいは1作ごとに制作契約としてレコードメーカーと仕事をしていくようになります。それからは振り切ったように、やりたい放題やるようになりました。 ――“制作契約”とはどんなものでしょうか。 石田:レコードメーカーと専属で契約していれば、給料が出ます。給料自体は所属事務所から出るのですが、結局はレコードメーカーが事務所に払っている。それは「協力金」「アーティスト育成費」、あるいはそれらを含めて大きく「契約金」と呼ばれたりする。音楽事務所というのは、今でこそ原盤権を扱ったりするようになりましたが、当時は単純にアーティストの窓口として「いかにメーカーから金をとるか」という、経済のウワバミのようなところが多かった(笑)。僕の家は代々自営業だったので、売り上げに応じて自分の収入が変わるというのは当然だと思っていました。「売れようが売れまいが一律で給料などというものが支払われているから、日本では足下を見られて印税が安いんだ」と、音楽業界の経済的な仕組みの矛盾をずっと感じていました。  そこで、ポリスターを出てからは、1作ごとにレコードメーカーと「この原盤制作を○○円で請け負います」という風に契約して、それをコストを低く作って利益を上げる、というやり方をとったのです。それは、自分のアーティスト活動でもプロデュースワークでも同じです。そういうやり方で音楽の経済を作ってきた。そういう意味ではScudelia Electroの5枚目以降はすごく自由にやってきましたね。 ――Scudelia Electro が活躍した2000年代前半頃までは、CDがすごく売れていて業界全体も活況でした。これが変わってきたと実感したのはいつ頃からですか? 石田:自分にとっては2004年――MOTORWORKSを立ち上げた年が大きかったですね。そのときに販売実数を見て「CDも売れなくなってきているのか」と実感しました。鳴り物入りのメンバー(ホリノブヨシ、黒沢健一、田村明浩)ということもあり、いろいろな人たちがビジネス的なチャンスを求めて寄ってきたし、そこで大きなプロジェクトも進んでいたので、いつものように自分で予算管理をせず、人に任せてしまった。蓋を開けてみると、昔のようにCDは売れないし、大風呂敷を広げたプロジェクトになってしまっていたので、ビジネスとしてはうまく回りませんでした。  そこで僕は「時代が変わった」と考えました。その後は自分のソロアルバムやプロデュースワークをやるにあったって、ビジネス的に財布の紐を締めて「小さなパイでも良い作品を作る」という使命感を強く持つようになったんです。そういう意味で、自分一人でもレコードを作れることができるように、プロデューサーとエンジニアを兼任することの重大さを認識しています。人手が掛かればお金も掛かりますからね。そうこうしていると、2000年代の中程から、メジャーメーカーよりも、いわゆるインディーズメーカーからのプロデュース依頼が増えました。それは僕一人に頼めば最後までできちゃうし、安くていい音が録れるスタジオもたくさん知っていたので、コスト的に便利に使ってもらったんだと思います。時代の変遷をすごく感じましたね。  大きなメーカーがCDを作っても売れない時代になってきたのでリリース量も落ちたし、才能のある新人をつかまえて投資、ということをメーカーがしなくなりました。新人発掘量も本当に減りました。逆に、大きな回収が見越していない、低コストでどんどん作れるインディペンデントなメーカーがどんどん元気をつけていきました。
shokichi2-2.jpg

最近では、若手ミュージシャンから直接プロデュース依頼を受けることも増えたという

――そういったインディーズシーンは当時の勢いを維持できていますか。 石田:今はもう一歩進んでいますね。面白いのが、若者が札束を持って「僕らの楽曲を録ってくれ」と訪ねて来るようになったこと。インディーズレーベルは今もたくさんありますが、それすらも超えて「自分たちで手売りするんだ」という気概を持った若者が増えている。流通が大メーカーからインディーズに移り、今やインディーズから個人に移る……というように、細分化が加速しているように見えます。 ――若手アーティストからプロデュースの依頼があったとき、それを引き受ける基準はどこにありますか? 石田:金額のことは、正直どっちでもいいところはあります。それよりも、今のサウンドを鳴らしている若者とリアルタイムで触れ合うということが、プロデューサーとして何よりの刺激になるんです。ただ、最近はちょっと「それだけではしんどいな」と思っています。 ――「しんどい」と言いますと? 石田:つまり、音楽作品を作るということは、やる気や根性だけではできない。演奏なり歌唱なりに関して、ある程度は理論に基づいた方法論があります。それを「こうやるんだ」と教えても、できない子がいる。当然、できるまでやらなければいけないのですが、そうすると時間がかかってしまいます。「この金額で、これだけの曲数を録ってください」と、一生懸命に集めてきたお金について、「時間がかかったから増額な」とは言えない。そうして、そもそも安い金額で請けている仕事の量だけがどんどん増えて、ほかの仕事が犠牲になる……ということが続いて。結局、試されるのは男気だけという状況です(笑)。 ――若者の基礎的なスキルについては、どんな変化が見られますか? 石田:二極化している気がします。例えばボーカロイドのように、必ずしもそれで「一発当てよう」と思わない多くの人たちがいろいろなものをシェアしながら、どんどん文化を広げているという状況がある。そこには、宅録でやっている人たちの技術的なスタンダードがどんどん上がっているという背景があると思います。デジタルオーディオレコーディングのツールもどんどん安くなっているし、使い方も上手くなっている。一人がいいものを作ると真似し合って、その連鎖が水準を上げていく――特にダンスミュージックやエレクトロニカの分野では、若者の力はすごく伸びていると思います。  一方で、いわゆるギターバンドの歩留まり感は「半端ねえな」と思います(笑)。歩留まり感、というより退化感、劣化感と言った方がいいかもしない。特にヴォーカル/ギターがいるバンドはひどいと思う。「リズム隊」という言い方がよくなくて、リズムやグルーヴは本来、ヴォーカルによるところが大きいんです。一番リズムに気をつけなければいけないのに、「リズム隊」という言葉で、リズムをドラムとベースに押し付け、ヴォーカルは知らん顔。また、ギターという楽器は本来、メロディは弾けるし、リズムは作れるし……と何でもできるはずですが、そこを飛ばして、日本のロックにはコードとギターソロの2つの演奏しか存在していません。それが何十年経っても日本のロックが世界に出て行くことができない大きな理由だと思います。  なんだかんだ言っても、レコードメーカーが潤沢にお金を出していた時代には、売れていても売れていなくても、現場できちんと教育されていたと思います。メーカーもプロデューサーも不在で、バンドだけで音を作ることが増えたことが、質の低下を招いたひとつの原因でしょう。 第3回に続く (撮影=金子山 取材・文=神谷弘一)

老けた松井珠理奈、顔が変わった川島海荷……アイドルの“激変リスク”をどう管理するか

IMG_8707.jpg
撮影=岡崎隆生
 「AKB48・34thシングル選抜 じゃんけん大会」で勝ち抜き、初の単独センターを務めることになったSKE48の松井珠理奈(16)。ネット上では、ファンが「おめでとう!」と祝福する一方で、「26歳に見える」と、その“老け顔”が話題になっている。SKEに加入した11歳の頃から実年齢より年上に見られていた松井だが、高校に進学し、昨年末に“激ヤセした”と騒がれて以降は、より大人びて見えるようになった。  年を重ねて見た目が変化していくのは当然のことだが、女性アイドルの場合は男性より脂肪が付きやすく、またメイクで印象が変わるなどの理由から、子どもから大人になる過程で“激変”してしまうことも少なくない。例えば、Berryz工房の菅谷梨沙子(19)だ。デビュー当時(8歳)は目をみはるほどかわいらしい顔立ちをしていた菅谷だが、10代の中頃から肉付きがよくなり始め、派手な髪形やメイクも相まって「どうしてこうなった……」とファンを嘆かせる容姿に。しかし、ここ最近では全身がすっきりとし、「完全復活!」「やっぱり素材はよかったんだ」と注目を集めている。成長期を終えて痩せる女性は多いが、菅谷も来年で20歳になる。そう考えると、激太りしたと騒がれて久しいももいろクローバーZの佐々木彩夏(17)やモーニング娘。の鈴木香音(15)も、あと数年もすれば本来のかわいさを取り戻すかもしれない。  変化には、アカ抜ける、キレイになるなど、うれしいケースもある。9nineの川島海荷は昨年ごろから「急にかわいくなった」と騒がれ始めた。その変貌っぷりに整形疑惑まで浮上したが、以前と比べて顔の肉が落ち、また化粧と髪形を変えているため、“大人になってキレイになった”だけとも考えられる。このほか、小学3年生から活動する℃-uteの中島早貴(19)も成長して美人になったと言われており、「ハロプロの先見の明はスゴイ」と評判だ。  20歳を超えたアイドルだと、顔立ちの変化より、肌荒れなどが指摘されがちだ。よく名前が挙がるのは、AKBの小嶋陽菜(25)や柏木由紀(22)。体形は食事で調整できても、肌のコンディションには睡眠時間など生活リズムも関わってくる。ハードスケジュールをこなし、日常的に濃いメイクをする彼女たちにとって、美肌を保つのは難しいことなのだろう。  アイドルの人気には、歌唱力やダンスのスキル、本人のキャラクターなども重要だが、やはりかわいさは外せない要素のひとつ。本人の努力はもちろん、マネジャーなど周囲のスタッフがどう管理するかも大切だ。わがまま盛りの10代の女の子をコントロールするためには、抑えつけたり叱ったりするだけではなく、うまくノセるスキルも必要になってくるだろう。そんなスタッフに恵まれるかどうかでも、容姿には差がついてくるものなのかもしれない。 (文=木野雪)

元光GENJI・山本淳一、ジャニーズから結婚詐欺の転落の道のり

jyunichi.jpg
「少年」/マイソング

 元光GENJIメンバー・山本淳一が、女性に「結婚」の言葉をほのめかして金銭を騙し取る、いわゆる“結婚詐欺”を働いていたと、9月18日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が報じている。山本は、借金問題が原因で今年3月のバースデーライブを最後に所属事務所から契約を切られ、同時に芸能活動を休止。同誌によると、現在山本は愛媛県松山市にあるバーで、温泉街のバーテンダーになっているという。

「『文春』では、山本と4年にわたって交際し、3年間も一緒に暮らしていたという侑子さん(仮名)が、山本の悪行を証言しています。2人が親しくなったのは、2009年の芸能人主催のパーティーがきっかけ。彼女は離婚経験があり、小学生の子どももいますが、山本はすぐに“結婚”の言葉を口にし、『どうしても家族になりたい』などと、泣きながら訴え続けてきたそうです。山本は半ば強引に侑子さんの部屋に住み着くも、いざ入籍の話になると『芸能界の知人に1,300万円の借金があって、それを返すまでは結婚できない』と、煮え切らない。山本の当時の職業だったバナー広告の仕事は歩合制のため給料はゼロで、『今日パチンコで14万勝ったから、10万渡せる』と言うなど、安定した収入はなかったようです」(芸能ライター)

元光GENJI・山本淳一、ジャニーズから結婚詐欺の転落の道のり

jyunichi.jpg
「少年」/マイソング

 元光GENJIメンバー・山本淳一が、女性に「結婚」の言葉をほのめかして金銭を騙し取る、いわゆる“結婚詐欺”を働いていたと、9月18日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が報じている。山本は、借金問題が原因で今年3月のバースデーライブを最後に所属事務所から契約を切られ、同時に芸能活動を休止。同誌によると、現在山本は愛媛県松山市にあるバーで、温泉街のバーテンダーになっているという。

「『文春』では、山本と4年にわたって交際し、3年間も一緒に暮らしていたという侑子さん(仮名)が、山本の悪行を証言しています。2人が親しくなったのは、2009年の芸能人主催のパーティーがきっかけ。彼女は離婚経験があり、小学生の子どももいますが、山本はすぐに“結婚”の言葉を口にし、『どうしても家族になりたい』などと、泣きながら訴え続けてきたそうです。山本は半ば強引に侑子さんの部屋に住み着くも、いざ入籍の話になると『芸能界の知人に1,300万円の借金があって、それを返すまでは結婚できない』と、煮え切らない。山本の当時の職業だったバナー広告の仕事は歩合制のため給料はゼロで、『今日パチンコで14万勝ったから、10万渡せる』と言うなど、安定した収入はなかったようです」(芸能ライター)

恐怖の道化師! 無言で佇むピエロの出没に住民がパニック=イギリス

【ハピズムより】  9月半ばごろから、英国ロンドンから100km北のノーサンプトンで、町に謎のピエロが出没しているとして騒動となっている。  初めて目撃されたのは、今月13日の金曜日。目撃者が撮影した写真には、顔は白塗り、赤いウィッグをつけ、バルーンを持って撮影者を威嚇するような表情をした不気味なピエロがはっきりと映っている。  この「ノーサンプトン・ピエロ」の騒動はtwitterを中心に広まり、現在は警察から注意勧告も発令されている。  目撃者が撮影し、twitterに投稿した写真→
Twitter---jogo78-.jpg
画像は、Twitterより
続きを読む、ほかの画像も