
青SHUN学園『今、ここに立って!!』(NoMaKe)
【リアルサウンドより】
空前のアイドルブームといわれる昨今、
AKB48や
ももいろクローバーZといった一般的に知られているアイドルグループ以外にも、数多くの“地下アイドル”と呼ばれるグループが活躍している。彼女たちはメディアにほとんど露出せず、ライブを活動の中心とし、ファンとの距離が近いのが特徴だ。
AKB48のファンであることを公言し、『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書)というセンセーショナルな書物で話題をさらった社会学者の濱野智史氏も、地下アイドルにどっぷりとハマったひとり。地下アイドルシーンの魅力とその特徴を語り尽くす集中連載第1回では、AKB48のファンだった濱野氏がなぜ地下アイドルの世界に引き込まれたかを追った。
――濱野さんが『新潮45』8月号に寄稿された『地下アイドル潜入記 デフレ社会のなれのはて』が電子書籍化され、話題になっています。最近ではAKB48より地下アイドルにハマっているそうですが、その経緯とは?
濱野:アイドルオタクの世界では、別のアイドルに鞍替えすることを「流出」とか「他界」といったりするんですが、別にAKBが嫌いになったわけじゃないんですね。むしろ“AKBにハマりすぎた結果、地下アイドルに流れ着いた”というのが正しいと思います。僕の周りにいるAKBの古参ヲタの皆さんもほとんどそうなっているので、それが自然の流れなんだなと。もちろん、ずっとAKB一筋という人もいますが、そちらの方が特殊な例だという感覚です。
アイドルヲタの世界では、いろんなアイドルを好きになる人、いわゆる“DD(誰でも大好き)”は否定的に見られることもあり、“KSDD”(カスDD、クソDD)などと呼ばれます。まあやっぱり、真剣に一つのアイドルグループに入れ込んでる人から見れば、なんでもかんでも好きというのはただの浮気性にしか見えないでしょうし(笑)。でも、DDにはDDの魅力があって、やっぱりいろんなアイドルを見ることでどんどんアイドルについての理解も深まるし、常に新しい発見もあってどんどん新鮮な気持ちでアイドルを楽しむことができるんですよね。
――なぜAKBファンが地下アイドルに流れるのでしょうか?
濱野:簡単に言ってしまうと、確かにAKBは素晴らしいが、ほかの地下アイドルとそんなにすごい差があるわけではない、ということです。“AKB劇場は狭いからいい”と言っても、地下アイドルの現場はどこだって狭い。秋元康さんの楽曲がいい、というのは当然認めるところですが、AKBだけで400曲以上もあるわけで、ひとくくりにどの曲が“素晴らしい”ということはできません。AKBからアイドルに入っていくと自然と多様性に慣れていくので、地下アイドルの多様性にもまったく抵抗なく入っていくことができるんです。
多様性というのはこういうことです。AKBはとにかくメンバーが多いんですよね。“AKB好き”と言っても、“ぱるる(島崎遥香)だけを好きでい続ける”という「単推し」を維持するのはほとんど不可能です。ほかのメンバーもドンドン気になって、勝手に“推し増し”(推しメンを変えるのではなく、増やしていくこと)していくことになっていきます。それに慣れていくと、地下アイドルも普通に推せちゃうんですよね。まあ実際、2ちゃんねるのAKB板は今でも「地下アイドル板」という名前で、これはAKBが当初からマスメディア主体ではなく劇場や握手会を活動の主にした「会いにいけるアイドル」であることの名残であって、いまもAKBは「地下アイドル」の延長にある。だから逆にヲタの側がAKBから地下アイドルに流れるのは自然の流れで、延長線上にあることなんだと思います。
――メンバーが多様であることや、劇場で会えるといったAKBの特性の延長上に、地下アイドルの世界があったと。
濱野:逆のケースを考えると、ももクロなんかはメンバーも5人に限定されているし、どんどん増えたり減ったりしないわけですよね。だからファンの人は“あの5人しかあり得ない”という箱推しになりやすいかもな、とは思います。これに対しAKBファンの場合は、もはや“AKBとAKBじゃないアイドルの境界ってなんだろう?”という感覚になってしまう。実際、地下アイドルには元AKBだったり、AKBのオーディションに落ちたという人がたくさんいますしね。
ちなみに、僕はAKBにハマりすぎて地下に流出したといいましたが、一番マックスでAKBの現場に行っていたのは、去年の11月~12月頃でした。このとき僕は認知されたぱるるに会うために、大阪に行くわ北海道に行くわ、毎週のように遠征してました(笑)。常にどこかで握手会をやっているから、追いかければ確かに、毎週“会える”んです。そして劇場に入ればレスももらえる。でも、そうこうしているうちに『とはいえ、会えるのは週一だもんな』というふうに感覚がおかしくなっていく(笑)。それにAKBの握手会には毎週行けても、抽選倍率の高い劇場はさすがにそうは行きませんからね。
僕がAKBにハマったのはずいぶん遅い2011年からですから、昔の売れる前のAKBのことはよくわかりませんが、それこそ古参の人たちの話を聞くと、本当に毎日のように劇場で会いに行くことができた。でもいまのAKBでそれは無理です。じゃあ昔のAKBに近いものはどこにあるのかというと、地下アイドルになるんですよね。それにだいたいヲタというのは周りのヲタの流出タイミングを見計らっていて、“こいつはそろそろAKBから地下アイドルに行く潮時だな”と見ると、いいタイミングで声をかけて地下に連れて行ってくれる(笑)。みんなが通る道だから、必ずハマるという確信があるんらしいんですよね。
もっとも、地下アイドルは本当にピンキリですから、AKBやももクロが好きな大多数の人からすると、初めは“うわ、しょぼっ!”と思うこともあるでしょう。実際、僕もしょうもないステージを観ることも少なくないので、その感想が正しい部分もある。ただ、AKBを好きな人の8割には地下アイドルに流出する素地があるんじゃないかなとも思います。それでも地下アイドルの人気が爆発的に伸びないのは、やはり物理的な制限が大きくて、東京に毎日会いに来られる人が限られているからだと思いますね。

アイドルをアーキテクチャの視点から分析する濱野智史氏。
――例えば、青SHUN学園などは福岡を拠点にしています。
濱野:地下アイドルの世界でよく議論されているのが、まさに“東京以外で、地下アイドルは成立するのか”ということです。ローカルアイドルはいますが、結局は東京に来ないと売れないわけで、地元だけで持続可能なアイドルというのはほとんどいないようですね。地方都市で、土日以外の平日もアイドルが毎日ライブをやっているような地域はほとんどないと聞きます。ギリギリで名古屋でしょうかね。だから、青春女子学園を始めとして、たいていの地方アイドルは夏休みのあいだずっと東京に遠征に来ている。東京にいるのに、毎日のようにローカルアイドルを見ることができる状態にあります。
だから地下アイドルにハマるといっても、いまはある限られた人しか得られない経験なのかもしれない。しかし、それでも地下アイドルにハマる余地のある人は、まだまだ潜在的にはたくさんいると思います。僕は“近接性”、つまり近くまで行けることがいまのリアル系アイドルの魅力だと思うんですが、アイドルヲタ用語にも“接触厨”という言葉があって、要は僕の立場はそれなんですよね。アイドルという向こう側の存在なのに、すごく近くまで行くことができる。それは物理的な距離という意味でもそうだし、心理的な距離という意味でもそうです。アイドルのメンバーとコミュニケーションをして、関係性を築くことができる。そこに魅力を感じる人であれば、必ず地下アイドルにハマるでしょうね。だってAKBの握手会とかより圧倒的にコスパがいいですから。AKBなら10秒1000円のところが、地下アイドルなら1分1000円なんてザラです。「量が質に変わる」じゃないですが、それはやっぱり圧倒的なんですよね。
――かつてのアイドルはメディアを通して観るものでしたが、今は違うルートで楽しむことができるわけですね。
濱野:もちろん今でも、“メディア越しに可愛い女の子たちを観ていればいい”という、“在宅”の人はいます。かつては「アイドルはテレビの向こう側にいる存在だ」と思われていたわけで、今のアイドルのあり方はずいぶん変わってしまったともいえる。でも、僕はアイドルというのは常にメディアの変化に敏感な存在なんだと思うんですよ。メディアの構造が変われば、アイドルのあり方も自然と変わる。今はソーシャルメディアが中心の時代で、それこそ地下アイドルの子たちはデジタル・ネイティブ世代だし、テレビも昔ほど見ていない。“身の周りの人間関係がすべて”という時代に生まれたアイドルの子たちは、テレビのような強いメディアに露出すれば売れることは知っていても、それはごく限られた世界の話であって、むしろ身の回りのファンやメンバーとの関係性こそが大事なんだと考えているんじゃないかなと思いますね。
――アイドルの側からしても、やはり近接性は大きなテーマになっていると。
濱野:これは僕がアイドルにハマってますます思うようになったんですが、そもそも人間って、少しでも関係性を持ったことがある人を、依怙贔屓して見てしまう特性を持っているじゃないですか。これは僕が実際最近経験したことですが、僕は以前、Fleur*(フルール)という地下アイドルをライブで観たのですが、そのときは疲れていたこともあって、黙って座って観る“地蔵”スタイルで、そんなにいいとは思ってなかったんですよ、正直。それが、こないだもふくちゃんとさやわかさんとゲンロンカフェでイベントをやったとき、ちょうどFluer*のメンバーがお客さんとして来ていて、終わったあとに挨拶してくれたんです。そこで、“あ、僕もFluer観たことありますよ、今度また見に行きますよ”なんて調子のいい話を僕もしてしまって。
するとおかしなもので、その後に実際にFleur*をライブで観ると、とてもよく見える(笑)。最初はそんなによく見えなかったくせに、いざ知り合いが出ていると思うととても贔屓目に見てしまうわけです。これは別にアイドルに限らなくて、知り合いがやっている演劇でも、音楽でも、あるいは小説でも、全部同じことですよね。知っている人がやっているということに、これほど人間の審美眼というか、価値観は左右されるのかと。これって表現を純粋に取り組んでる人からすると、“知り合いになったちょっと可愛い子が歌っているからよく見えるとか、お前バカいってんじゃねーよ”という話だと思う。しかし現実問題として、ちょっとでも可愛いと思った子や、ちょっとでも交流がある子、握手したり挨拶したことのある子が目の前で歌っていると、どうしても関心を持ってみてしまうし、よく聴こえてしまうし、応援してしまう。確かにこれって純粋に音楽性とかパフォーマンスを評価しているわけじゃないから、単なるバカなのかもしれない。でも、人間ってこういう「知り合いへのえこひいき」みたいな感情を持っているからこそ、仲間をつくり社会を作ることができたわけじゃないですか。社会心理学っぽくいえば。
――アイドル論者の中にも、「在宅か、現場か」という立場の違いがあるようです。
濱野:そうなんですよ。そもそも評論家は、基本的に“在宅”の側に立つと思うんですよね。たとえば『AKB48白熱論争』の4人の中だと、中森明夫さんや宇野常寛さんなんかはあんまり現場に行っていない。単純に忙しくて行く隙がないだけかもしれないですが(笑)、たぶんそれは距離をとって対象を見ようとするからだと思うんです。在宅だからこそ、純粋に対象の良し悪しをなるべく客観的に論じることができる。だってそうじゃないと、いま僕が言った“接触したら好きになってしまう”なんて話をしてたら何も論じられなくなっちゃうから(笑)。以前、田中秀臣さんが”最近のアイドルライターの現場至上主義はどうかと思う““地下アイドルの現場に行ってみたが、自説を変えるようなことは何もなかった”という意味合いのことをツイッターでおっしゃっていました。でも僕はそれを見て、「あ、田中さんは現場でレスをもらったり、高まったりしなかったのかな」と思ったんですよね。いや、もらってるかもしれませんけど(笑)。普通、評論家的な人がアイドル現場いったら、「後ろのほうで腕組んで地蔵スタイルで見る」という感じになりがちですからね。もしそうだとしたら、そりゃ現場の面白さなんて分かるわけないですよ。
ただ、評論家が「現場」を重視しすぎてはだめ、というのはよくわかるんです。客観性が失われてしまうから。でも、僕が考える少なくとも地下アイドルの姿というのは、客観性なんてものはないんです。その人がいいと思ってハマっていれば、それがすべて。“たまたま握手したことがある”とか、“最前で観たらたまたたまレスをもらってしまった”とか、現場で何をいいと思うかは、本当に偶然の産物だと思います。そしてそれでいいんですよ。僕に言わせれば、そういう主観的な経験を大量生産するのが地下アイドルという装置なんだと、と。
僕はもともと映画や音楽や小説の作品批評をする評論家でもないから、別に個別のアイドルの素晴らしさをどうこう論じるつもりはないんですよね。僕は「アーキテクチャ」といって環境がどう設計されているかにしか興味がないから、あくまで自分自身をいわば実験台にして、いろんな地下アイドルの現場に潜ってはなぜそれが人を夢中にさせるのか、その環境の設計ばかり気になってしまう。こういう見方をする人もかなり特殊だから、別に自分の言っていることが地下アイドルのすべてだとも思いません。ただ、地下アイドルの世界が非常に面白い環境であることは、AKBから地下に潜ってますます分かるようになりましたね。
(取材=神谷弘一)
■濱野智史(はまのさとし)
社会学者、批評家、株式会社日本技芸リサーチャー。千葉商科大学で非常勤講師も務める。専門は情報社会論で、著作に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた――〈宗教〉としてのAKB48』(筑摩書房)、『AKB48白熱論争』(共著/幻冬舎)などがある。