新潮社公式サイトより
2013年、『何者』(新潮社)で、直木賞を戦後最年少で受賞した朝井リョウ。また昨年にはデビュー作の『桐島、部活やめるってよ』(集英社)が神木隆之介主演で映画化され、日本アカデミー賞最優秀作品賞など国内の映画賞を総ナメにした。
作家デビューは大学在籍中だったが、卒業後には映画会社に就職し、現在も二足のわらじで執筆活動を続けているという朝井。
新潮社公式サイトより
2013年、『何者』(新潮社)で、直木賞を戦後最年少で受賞した朝井リョウ。また昨年にはデビュー作の『桐島、部活やめるってよ』(集英社)が神木隆之介主演で映画化され、日本アカデミー賞最優秀作品賞など国内の映画賞を総ナメにした。
作家デビューは大学在籍中だったが、卒業後には映画会社に就職し、現在も二足のわらじで執筆活動を続けているという朝井。
「篠田麻里子はAKS社長の愛人」などと報じた「週刊文春」(文藝春秋)を相手取り、AKB48の運営会社・AKSが損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は3日、「記事の一部は社長とメンバーが愛人関係にあるとの印象を与えるが、不適切な関係があったと推認することは難しい。問題になった部分のほとんどは真実ではなく、真実と信じる理由もない」として、文春側に165万円の支払いを命じた。 問題となったのは、2010年2月18日号の記事「AKB48は社長の『喜び組』」。記事によれば、プロデューサーの秋元康氏と、オフィス48の芝幸太郎社長が始めたAKB48だが、当初は資金調達に難航。そこに電子部品製造業を営む資産家の御曹司である窪田康志氏が、父親から借りた約20億円を提供し、受け皿会社として3人の頭文字を取ったAKSを設立。窪田氏が社長に就いた。 窪田社長は、気に入ったAKB48のメンバーを呼んでは、高価なバッグやアクセサリーをプレゼントしていたといい、中でも一番のお気に入りだった篠田は、同じマンションの別の部屋に住ませ、クレジットカードを自由に使わせていたと報じられた。 記事が出た当時、テレビや多くの出版社などは、AKBを起用したいがためにこの疑惑をスルー。芸能誌やファッション誌などを持っていない文春ならではのスクープと言われた。AKSは損害賠償約1億1,000万円と、謝罪広告の掲載を求める訴えを起こし、通称「AKB喜び組裁判」が幕を開けた。 今年4月23日、証言台に立った窪田社長は、「今までAKBを作ってきて、すべてを否定されたようなことに憤りを感じた」と、文春の記事を全面否定。篠田と同じマンションの別の部屋に住んでいたことは認めたが、篠田の部屋に行ったりすることは「ないです」と否定した。 また、「AKBのメンバーから食事などに誘われることはあっても、自分から誘ったことはない」「別の事業もやっているので、僕も暇じゃない」と、プライベートでのメンバーとの交流に消極的な姿勢を見せたが、「月に十数回はメンバーと食事をしていた。月に数回は篠田と食事をしていた」と一転する証言も飛び出した。 さらにメンバーを「娘みたいなもの」を話し、なぜか続けて「混浴に行けば、一緒に温泉に入れる仲」と爆弾発言も。法廷内は失笑に包まれたという。 「4月に、文春がスクープしたAKB卒業前の河西智美と窪田社長の“お泊まり愛”が、今回の裁判に影響するとの見方もありましたが、ひとまず結果はAKSの勝訴。ほかにも数々のAKB関連のスキャンダルを報じてきた文春としては、篠田の記事が事実と認められることで、ほかの記事の信用度も上がる。文春は『記事内容が一部認められなかったのは、承服できない』と控訴する構えを見せていますから、まだ結果は分かりません」(芸能記者) これまで窪田社長の野球賭博疑惑、芝社長の過去の違法ビジネス、指原莉乃の“ファン食い騒動”、増田有華とISSAとの“不倫愛”、峯岸みなみとGENERATIONS・白濱亜嵐との“お泊まり愛”、柏木由紀のJリーガーらとの“深夜合コン”、選抜総選挙前々日のメンバーらによる“男性ストリップ泥酔”現場……と、スクープを連発してきた文春。一流週刊誌としてのプライドを賭けた争いは、今後どうなっていくのだろうか?Mariko Shinoda.netより
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女性が抱える体のお悩みの1つである「ぽっこりお腹」。運動に励んだり、低カロリーの食生活に改善してみたり……それでも効果が出ないという人は、単純に“便秘”が原因という可能性もあります。「確かに便秘気味だけど、この腹の出っ張りはありえない!」と思うかもしれませんが、実は、毎日お通じがある人でも、体内には4~6キロの“残り物”があると言われているんです。「じゃあ便秘気味の自分は……?」と思うと、そら恐ろしくなってしまいます。
過酷な運動や、厳しい食事制限ではなく、快適なお通じで痩せられるというのは、万年ダイエッターの女性にとっては魅力的すぎるダイエット法。しかし、下剤や浣腸といった、腸に刺激を与えて便を排出させるという「体に負担のかかる方法」は、できれば避けたいですよね。
浮き沈みの激しい芸能界で20年以上も活躍し、さらに成長を続けるには――。そんな秘訣をまとめた『デーブ・スペクターの作り方』(東京書籍)を7月に上梓した京子スペクターさん。人気タレントのデーブ・スペクターさんの妻であり、所属事務所「スペクター・コミュニケーションズ」の社長でもある。妻と経営者、2つの顔を使い分けながら実践してきたショービジネスや版権ビジネスの世界を勝ち抜く戦略と、人気タレントを作り上げた手腕について聞いた。 ――「スペクター・コミュニケーションズ」という社名からもわかるように、京子さんはデーブ・スペクターさんをメインのタレントとして扱っている芸能事務所を経営されているわけですが、今日のデーブさんの高い認知度や安定した人気をどう見ていますか? 京子スペクター(以下、京子) デーブに対しては多くの方が、普段何しているのか、本業はなんなのかなどの疑問を持っているかもしれません。だからといって「あの人は今」みたいな消えたタレントのような立ち位置ではなく、20年以上も芸能界で活動を続けられているのは、デーブ・スペクターという人間に「何か」があると思って興味を持ってくださるとうれしいですね。 ――いまだに未知数の部分がある。つまり、タレントとして飽きられていないということでしょうか? 京子 そうですね。視聴者の方々が“まだ何かあるのではないか”と。デーブは同じエピソードを使い回したりせず、常に新しいものをキャッチしています。その上で「近い将来にこういうことがあるのではないか」という提案的なコメントをしたりする。大げさに聞こえるかもしれませんが、時代と共に歩んで、一歩ぐらい先を見せるようにしているんです。 ――社長としては、そのあたりのことを意識的に指示していたりするんですか? また、タレントとしてのデーブ・スペクターを「作る」にあたり、どういったことを実践されていますか? 京子 まだまだ積極的に攻めるべきだと思っているので、意識的というよりは、自然にやっているという感じです。それと、受ける仕事に基準を設けて、こちらの想定外のイメージがつかないように気をつけていますね。例えば講演の仕事はどういう会社からのオファーなのかを徹底的に調べ、わからない会社のものは受けないようにしています。テレビは、はやっている番組の出演依頼は、なるべく受けます。より好みしているようでしていないし、していないようでしている。時代時代に合ったもので、今どれが一番必要かを見極めているんです。 ――競争の激しい芸能界で、デーブさんが生き残っている理由は、そこにあるんですね。 京子 そう思って頑張っています。あとは、常に最新の情報を収集しているということ。情報というのは必ずしも、新聞やニュースでわかることだけではないんです。芸能、スポーツ、文化など、あらゆる方面に情報網を張り巡らせて、敏感にキャッチしている。だからこそ、これからのブーム予想や、提案するべきアイデアが生まれてくるんです。 ――デーブさんのミステリアスな部分と情報収集力が合わさって、世の中では「デーブさんCIA説」がささやかれていますが、どう思ってらっしゃいますか? 京子 それは昔から言われていますが、「皆さんおっしゃっているな」くらいの認識ですね。でも、デーブの情報収集能力はCIA並みですよ(笑)。CIAの分析官でも、ここまでやらないと思います。本当に徹底的に調べますので。 ■経営者として心がけていること ――ここで、あらためてスペクター・コミュニケーションズについてお聞きしたいと思います。タレント事務所や版権ビジネスなど幅広く展開されていますが、メインの業務はなんですか? 京子 デーブやほかのタレントさんのテレビ出演が一番のメインですね。それにプラスして、いろいろな最新情報を持っていますので、使わないのはもったいないということで、情報をメディアに流すということも始めました。もともとはデーブがアメリカ人ということもあってアメリカの情報が多かったのですが、今ではアメリカだけでなく世界中の情報を紹介しています。 最近では、イギリス王室のロイヤルベビー出産に関する、まだ日本に上陸していなかったネタをテレビ番組でご紹介しました。日本のメディアがどこも放送していない情報を、最初にうちが紹介しなければ意味がない。同じようなことをやっている会社はほかにもありますので、ほかとは違う特化した何かがないと競争に勝てないんですね。同じようなニュースをどの局でもやっているということであれば、デーブじゃなくてもいいわけです。どこも持っていない情報を手に入れて、どこにも出ていないニュースを最初に発表するのが、スペクター・コミュニケーションズの特長だと考えています。 ――記憶に新しいところでいうと、マイケル・ジャクソンが亡くなったとき、デーブさんはテレビに出ずっぱりでしたよね。今回のロイヤルベビー誕生も、デーブさんはかなり準備していたんですか? 京子 寝ないでやっていましたね。いつ生まれるかわからないですし、どのテレビ局からお声がかかるかもわからないので、1週間寝ずに過ごすみたいな感じでした。普段も睡眠時間は3~4時間で決して長いわけではないのですが、それでもずっと起きているのはしんどいようです。そんなとき、デーブは必ずユンケルを飲みますね。以前は一日2~3本飲んでいたんですけど、漫画家のやくみつるさんに「飲みすぎはよくない」と言われて、ここ1年くらいは1本にしています。 ――スペクター・コミュニケーションズは、ご夫婦で経営されているそうですが、デーブさんが経営について口を出してくることはあるのでしょうか? 京子 それはないですね。そもそもデーブはお金に無頓着なので、会社の運営には向かないと思います。一方で私は経営者ですから、予算やビジネスの観点で、どうしたら会社がうまく回っていくかを考えています。その意味では、デーブが伸び伸びと活動できる環境を作ってあげるのが私の役目だと思っています。 ――スペクター・コミュニケーションズにはデーブさん以外にも、自民党の片山さつきさんや若貴兄弟の母である藤田紀子さんも所属していますが、かなりの少人数で運営されていますよね。少数精鋭の経営スタイルは、意識してそうされているんですか? 京子 そうですね。今のスタッフは知り合いからの紹介で採用したのですが、全員長く続いています。紹介してくださる人が続けられそうな優秀な人を、責任を持って紹介してくれるということもあるんでしょうね。ですから、今でも事あるごとに「誰か、いい方いませんか?」とアピールしています。 ――京子さんとスタッフの方たちの関係を見ていると、経営者でありながら、上司にもチームメイトにもお姉さんにもなっているように感じるのですが、自分の立ち位置を意識されていますか? 京子 小さな会社ですので、誰もが私(経営者)のことだけを見て動いているわけじゃありません。来社したお客様への対応や、汚れているところがあれば掃除をするなど、率先して動く意識をみんなが持っているのです。私が指揮官という感じで操作しているわけじゃないんです。それぞれの意思で動くことは小さい会社では必要なことだと思っていますし、小さいなりの利点もあります。 ――京子さんは、大学やどこかの会社で経営学を学んだというわけではないですよね。どうやって経営者としての勉強をしてきたのでしょうか? 京子 父が会社を経営していましたので、その背中を見て育ったというのが大きいですね。お父さん子ということもあって、常にそばでビジネスを学んでいました。小さいときから将来サラリーマンと結婚するというイメージはなく、自分で事業を起こして何かやりたいと思っていました。 ――京子さんがいろいろな仕事をされていたということは、実はあまり知られていないと思います。もともとはアメリカのホテルニューオータニのコンシェルジュだったんですよね。コンシェルジュは多種多様な要望に応えなければならない、すごく難しい仕事ですが、そういった経験は今に生かされていますか? 京子 アメリカでは不動産業と旅行会社とコンシェルジュを経験しましたが、コンシェルジュの経験はすごく役に立ちましたね。聞かれたことに、なんでも答えなければいけないので。 ――アメリカで社会人経験を積んだあとは、日本に帰国してデーブさんの仕事を手伝いながら、そのまま経営者になったんですよね。実際に経営をしていく中で学ぶことは多かったのでしょうか? 京子 それが一番多かったですね。実際に自分で起業・経営してみて思ったのですが、商売には向き不向きがあって、まず自分自身が商売をすることが好きでなければできないと思うんです。それがベースで、そこから何ができるかというときに、オファーを受けるか否かの判断が一番難しいと思いますが、まずやってみなければわからないので、チャンスを逃さないでほしいですね。まずやってみる。チャンスが来たときは、もったいないかそうじゃないかを考えるんです。自分にできることなのに、断ってしまうのはもったいない。 ――「スペクター・コミュニケーションズ」にとって、転機はなんでしたか? 京子 『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)への出演ですね。デーブはそれまで『笑っていいとも!』(フジテレビ系)などのバラエティ番組がメインだったのですが、自分の意見をしっかり発言できたのが『朝生』でした。あそこがコメンテーターの原点だと思いますね。 ――出演するときは「これはチャンスだ」と意識していたんですか? 京子 もちろんそうです。ああいうチャンスは、なかなかありませんので。『笑っていいとも!』やそれまで出ていたクイズ番組は、ほかの外人タレントさんと一緒でしたが、デーブ・スペクター個人として一人で出演したのは『朝生』が最初でした。しかも、こちらから売り込んだのではなく、番組からのオファーだったので、まさにチャンスでした。 ――最近のお仕事で、飛躍のきっかけになったものはありますか? 京子 今はやはり、海外の映像の独占での提供ですね。デーブが入れなくていいと言っていたので、今までは画面に「スペクター・コミュニケーションズ」のクレジットを入れていなかったんです。しかし弊社は広告もやっていないし、宣伝に一切お金をかけていませんので、名前を売るために今は提供した映像に必ず「スペクター・コミュニケーションズ」と明記するようにしています。『とくダネ!』(フジテレビ系)には何年も映像を提供していますが、クレジットを入れたのは今年に入ってからですね。デーブを何度も何度も説得して、やっと今年OKが出たんです。 ――夫婦円満というと、すべてにおいてイエスマンでいることが大事だと思われがちですけど、意見のぶつかり合いは普通にあることですよね。 京子 そうですね。特にビジネスに関しては。お互い意見をぶつけ合うからこそ、しこりが残らない。経営者としても夫婦としても大事なことです。意見の対立ですので、いいアイデアが出てきたりもしますし。 ■パートナーだからわかるデーブ・スペクター ――京子さんは、妻としてデーブさんをどう見ていますか? 公私共にパートナーでいらっしゃいますが、どのように折り合いをつけているのでしょうか? 京子 デーブがやりたいことを第一に考えるようにしています。私がこうしてほしいということではなくて、デーブが気持ちよく仕事ができる状況が、私にとっても気持ちがいい状況なんです。ですから、デーブが忙しすぎて私と一緒に過ごす時間が取れない、といった不満はないです。本当は一緒に旅行に行けたらいいのですが、それができないのは見ていてわかるので。彼がやりたい状況を作ってあげられることが私の喜びですから、不満じゃないんですよね。デーブの喜びが私の喜びなんです。 ――ご夫婦の中で「このときは一緒に過ごす」みたいな決まりごとはありますか? 京子 一切ないですね。自由です。ただ帰ってきたら必ず挨拶して、仕事がどうだったかを確認します。そういった報告も含めて、夫婦の会話は多いです。よく結婚してから会話がなくなるなんて聞きますけど、うちは全然そんなことないですね。 ――デーブさんも京子さんもサービス精神のある方なので、お互いに自然と会話をするのかなと思うのですが。 京子 そうですね。それはありますね。無理していたら、30年以上も続きませんから。 ――夫婦の会話といえば、デーブさんは、ご家庭でもダジャレを言うんですか? 京子 言います(笑)。裏表のない人ですから。あのままです。 ――今も会社が成長し続けているのは、お2人の絆と、たゆまぬ努力があるからなんですね。 京子 それが理想です。あとはデーブの人のよさ。計算高くテレビに出演していたら、たぶんここまで来ていなかったと思います。悪意はないし、計算もしないですから。例えば先日デーブが『サンデージャポン』(TBS系)でこの本を紹介したのですが、『デーブ・スペクターの作り方』の「作」の文字が手で隠れてしまったんですよ。私だったら気を利かして表紙が全部見えるように持ちますが、デーブは計算も何もなく、ただ持って見せてしまう。ジョークを言うのも自分が褒められたいということではなく、みんなに楽しんでもらいたいんです。そんな具合に本当に計算していないので、「あのときこうしておけばよかったじゃない」ということがいっぱいありますね。 ――最近では、ご夫婦でのテレビ出演も増えてきました。30数年の結婚生活を経ても芸能界の第一線にいるのはすごいことだと思いますが、そうなった今、夫婦で目指していることはありますか? 京子 特別に意識してはいませんが、やはり私とデーブは思いが同じで、今よりもっと向上したいという意識があります。現状に全然満足していないんですよ。夫として見たデーブは、もう100点満点以上です。でもタレント、デーブ・スペクターとして見たときは、まだまだ現状には満足していません。満足していない部分を毎日埋めているという感じです。これからも、努力は怠らずに成長していきたい。そう思っています。 (取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト
9月1日放送の『新堂本兄弟』(フジテレビ系)に風間俊介が出演しました。風間は出演中のドラマ『救命病棟24時』(フジテレビ系)の主題歌を担当するDREAMS COME TRUEの中村正人と共に登場。中村とはドラマで共演しているだけでなくプライベートでも付き合いがあり、一緒に食事へ行くことも。初対面から酒を飲みつつ腹を割って話したという2人。共に「いい人キャラ」ではあるものの、「ところがお互いそれなりに腹黒いんだよね」と中村が暴露していました。
「堂本1問1答」のコーナーでは、風間は「KinKi Kidsの2人に初めて会った時の印象は?」との問いに、当時光一がドラマ『銀狼怪奇ファイル』、剛は『金田一少年の事件簿』(共に日本テレビ系)に主演していたことから「うわっ! 銀狼だ!」「うわっ! 金田一だ!」と、とても単純な感動を抱いたそう。剛から「もうちょっと深い話はないの?」とツッコまれると、しばし考えた後、「テレビに乗せてウケるようないい話はないです」と断言。「それじゃあまるでオレたちが悪い人たちみたいじゃん」と光一に反論され、風間は「そんなことないですよ、すごい良くしてもらいました」と棒読みで返します。一方、剛は風間に対し「いつもニコニコしてる子」という印象を抱いていたそうで、「風間くんの芝居すごい好きですよ」と現在の活躍を讃える場面も。光一も「小さい頃からしっかりしていた」と褒めつつも、「昔から老け顔だった」といらないひと言も。
毎年11月に年賀はがきが発売されると、すぐに郵便局員(日本郵便の社員・スタッフ)が買い取り、その日のうちに金券ショップに持って行くという。日本郵便を最近退職した女性が、その実態を次のように暴露する。 「年賀はがきの発売日にいち早く自分で買い取り、すぐに金券ショップで売る。買い取り金額はだんだん安くなっていくので、発売当日に金券ショップに持って行きます」 8月11日に、東京都内で行われた「ブラック企業大賞2013」の授賞式での一幕だ。この営業手法は「自爆営業」と呼ばれる。 この女性によれば、郵便局員には、年賀はがきや暑中見舞いの「かもめ~る」、小包カタログなどの厳しいノルマがあるのだという。 「例えば、ある支店の非正規社員では、小包カタログが年間40個、かもめ~るが300枚、復興支援切手が1シート、レターパックが何枚か。それから年賀はがきが昨年は2500枚で、今年は20%増。会社は『目標値』と言っていますが、事実上のノルマです」(同) つづきを読む
【サイゾーウーマンより】 9月4日から始まる東京・日生劇場での舞台『ANOTHER』に出演予定だった関西ジャニーズJr.「7 WEST」の藤井流星が同舞台に出演しないことが3日、発表された。公演前日の出演者変更に、ファンからは「流星に会いたかった」などと悲痛な声が上がっている。 「流星くんは8月に行われた大阪・松竹座の同舞台に出演していたんですが、東京公演のリハーサルに来ていないことや、出演者の移動する新幹線で目撃がなかったことから、一部ファンの間では『流星くんは東京公演に出ないのでは?』と、ウワサになっていました」(熱心なジャニーズファン) そんな中、東京公演がスタートする前日の3日に、堀北真希主演の新ドラマ『ミス・パイロット』(フジテレビ系)に、藤井が出演することが明らかとなった。思わぬ朗報にファンは歓喜したが、「舞台はどうなるのか」と、不安になる人が続出。そして、同日配信されたメール伝言板(※ファンクラブ会員へのメルマガ)と、主催である松竹のサイトに「日生劇場9月公演『ANOTHER』に出演予定の藤井流星は、テレビ出演の都合により出演いたしません」とのお知らせが記載された。松竹株式会社HPより
「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」──世間に衝撃を与えた藤圭子の死に、8月26日、娘の宇多田ヒカルがついにコメントを発表したのはご存じの通り。母娘の確執にまつわるさまざまなウワサ話が報じられていたところに、「精神の病」という衝撃的な告白は、マスコミや世の中の空気を大きく動かした。しかし、藤の自殺をすべて「病気」の一言で片付けてしまうのは、少し早計ではないだろうか。 少なくともヒカルのデビュー当初、藤はそこまで精神を蝕まれているようには見えなかったし、普通の母親がそうであるように、ヒカルの成功を心の底から喜んでいた。 そのことを雄弁に語っているのが、14年前のエピソードだ。ヒカルが「Automatic」で鮮烈なデビューを飾り、あっという間にミリオンセラーを記録、続くセカンドシングル「Movin’on without you」も大ヒットしていたそんな時期、藤はある地方の街で歌謡ショーに出演している。 当時、藤はヒカルと入れ替わるように表舞台から姿を消し、地方公演などの芸能活動も一切休止していた。それが、突如としてステージに姿を現しただけでも驚きだったが、もっとびっくりしたのは、彼女のパフォーマンスだった。 最初は演歌歌手の地方営業のパターンで持ち歌を歌っていたのだが、途中、MCでヒカルのことをうれしそうに語りだし、そのままカラオケに乗せて「Automatic」を歌い始めたのだ。しかも、娘とそっくりの振り付け、ダンスつきで、丸々1曲を歌い上げたという。 なんとも微笑ましいエピソードだが、このステージについては、奇妙な後日談がある。 「実はその地方営業には、ある芸能記者が居合わせていて、ステージの模様を克明にレポートする記事を『女性セブン』(小学館)に持ち込んだんです。ところが、その記事が掲載された『女性セブン』は発売直前、編集部に圧力がかかり、なんと輪転機が止められ、刷り直しになってしまった。内容的には差し障りのない記事だったのに、藤のくだりはすべて削除されたそうです」(週刊誌記者) この事件について、当時「FOCUS」(新潮社)や「噂の眞相」(噂の真相)などの雑誌が取り上げたが、輪転機を止めるほどの圧力をかけたのは、藤の公演を仕切っていた興行会社。当時の「女性セブン」副編集長は事務所に呼び出され、“半監禁状態”にまでされたという。 しかし興行会社はなぜ、そこまでして記事を潰そうとしたのか。背景には宇多田サイド、特に夫の照實氏の意向が働いていたとみられる。当時、照實氏とヒカルの所属レコード会社は、とにかくヒカルと藤の親子関係に触れられることを極度に嫌がっていた。藤が地方公演などの芸能活動を休止したのも、ヒカルのイメージダウンにつながるからと照實氏が藤を説得した結果といわれていた。 「ところがその照實氏らも、くだんの公演だけはやらせざるを得なかった。なんでも以前、藤が世話になった暴力団組長が絡んでいたために、断りきれなかったと聞いているが、とにかくそこに『女性セブン』の取材が入ってしまった。それで、報告を受けた照實氏が藤を通じてそのスジに頼み込んだんじゃないかといわれています」(スポーツ紙記者) 結果、「女性セブン」から藤のステージに関する記述はすべて削除された。だが、こうした親子関係の封印は、はたして藤の本意だったのだろうか。喜々として娘の曲を歌っていたステージの様子を聞くと、藤自身はヒカルのことを語りたがっていたし、自分も表に出たいと考えていたような気がしてならないのだ。 「実際、藤は一時、ヒカルのブレイクを契機に歌手として再起したがっていたようです。それを全力で周りが阻止していた状態だったと聞いています」(同) ヒカルがブレークするまで、一家の大黒柱は藤だった。彼女の地方営業で家族は食いつないできたのだ。それが、娘が一躍スターになると、お役御免とばかりに存在を表に出すことを制限され、自分が歌を歌う場さえ奪われてしまった。──心の病もあり、そうして藤は孤独感を増幅させていったのではないだろうか。 生前、藤はドサ回り時代に家族で移動していた愛車のミニを思い出し、「またあのときのように、3人寄り添うように乗りたい」と話していたといわれている。彼女が夢想したのは、貧しくても歌を歌うことができた時間……一人の歌手として、アーティストとしてステージに立つことができた時間でもあったのではないか。 ヒカルの人気が絶頂に達していた2000年、全国ツアーの札幌公演で、藤が飛び入り参加して「圭子の夢は夜ひらく」を歌ったことがある。つらい幼少期を送ったにもかかわらず、最後まで母を歌手としてリスペクトし続けたヒカルは、あの夜のことをどのように振り返っているだろう。そして、遠く離れた場所から、藤はどんなふうに思い返していたのだろうか。 (文=アベマサオ)『GOLDEN☆BEST 藤圭子ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌』(ソニー・ミュージックダイレクト)
今までスキャンダルらしいスキャンダルなんてなかったのに!
■仕事での“お付き合い”事情
A 日南のケースは特殊だとしても、仕事上で築いた信頼関係が愛情に変わるっていうのはよく聞く話です。安達祐実との交際が発覚したカメラマンも、モロそうですよね。撮影を続けているうちに惹かれ合っていったという。
B このカメラマン、AKB48のグラビアで、ものすごい活躍してた人だよね。奥さんと別れてまで安達祐実っていうのが、なんとも……。
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