予告!サイゾーテレビ【ニコニコキングオブコメディ】第73回は11日(木)22時です

公式メルマガ始めました! キングオブコメディのガチゆるハートウォーミングトークバラエティ『ニコニコキングオブコメディ』第73回放送は、明日11日(木)22時よりお送りします! 今回は高橋くんが、今野くんの「キス」につづくドラマでの暴挙に苦言を呈したり、“おしごと”にいそしんだりしています。前回のおまけでお送りした“風船”の結果も発表しますよー。 うでしのコーナーは、その“おしごと”で行った北海道のおみやげの駄菓子だそうです。 ●「ニコニコキングオブコメディ」アーカイブ集 http://www.cyzo.com/2010/08/post_5162.html ●サイゾーテレビ http://ch.nicovideo.jp/channel/ch3120 ●サイゾーテレビ on Twitter http://twitter.com/cyzoTV 上の動画は、前回分。
2011年10月4日に発売されたDVD『ニコニコキングオブコメディ 冗談にもほどがある!』の予告ムービーを先行ドロップ! サイゾーテレビでのぐだぐだ放送から、まさかのDVD化にいたった本作はなんと、(ほとんど)オール撮り下ろしです!
ニコニコキングオブコメディ 冗談にもほどがある! 売れてます! amazon_associate_logo.jpg
さらに、編集部では番組プロデューサーディレクターの佐藤ムー太郎さんに緊急インタビューを敢行! その様子を以下に大公開です。 ――いよいよ番組DVDの発売が明日に迫りました。いまのご気分は。  生きてるといろんなことがあるなぁ、と思っています。どきどきします。 ――番組開始当初、DVD化は想定していなかった?  してないですね。全部無料で見られるというコンセプトで始めた番組でしたし、現にアーカイブはすべて無料で公開していますので、発売元のハピネットさんからDVD化のお話をいただいたときは、正直「どうなのかね?」と思いました。 ――DVDの発売でアーカイブはどうなるのでしょうか。  そのまま残します。今回のDVDはほとんど全部撮り下ろしで、番組のトーク内容をキングの2人が検証してゆくという企画なので、アーカイブを見てからDVDを見た方が楽しめますし、DVDを見て気になった部分のトークをアーカイブで振り返ったりもできる。そういう楽しみ方ができるソフトになっています。DVDには『ニコキン』各回のダイジェスト的な説明を一覧にしたチラシを封入していますので、DVDとサイゾーテレビを行ったり来たりしてほしいですね。 ――メディアミックスですね。  そうですね、結果的にメディアミックスっぽい形になりましたね。メディアミックスってこういうことでいいんでしょうか。 ――いいと思います。では、DVDの中でオススメの検証VTRをひとつ挙げるとしたら?  やはり「高橋バカ部屋」です。あのVTRを見てたら、なぜかくしゃみが止まらなくなりました。 ――ありがとうございました。

『おしん』の監督に声を荒げ、転倒して入院した泉ピン子のちょっとイイ話

『みんな悩んでる ピン子のツンデレ
人生相談』/光文社

編集S 上戸彩が出演する映画『おしん』が(10月公開)が3月31日にクランクアップしたんだって。『おしん』っていったら、1983~84年まで放映されたNHK連続テレビ小説(朝ドラ)で、平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%を記録したドラマでしょ。だからって2013年に映画化しなくても……若い人は誰も見ないから、スクリーンがお線香の匂いで充満しちゃうよ!

しいちゃん こら、失礼なこと言わないの。私たちの間ではしらーっとしている映画版だけど、ドラマ版でおしんの母役を演じた泉ピン子が、映画版でおしんが奉公する米問屋・加賀屋の大奥様役を演じていることが話題になっているのよ。でも、そこで問題発生! 「女性自身」4月23日号(光文社)によると、現場ではピン子が大声でスタッフや共演者に檄を飛ばし、冨樫森監督に対しても、「それ全然違うんじゃないの!」「あんた全然、橋田先生の脚本を理解してないね!」と声を荒らげていたんだって。ちなみに、原作の橋田壽賀子は、ドラマ版では脚本も担当したものの、映画版は担当してないんだけどね。

100時間に及ぶ独白から浮かび上がる、“連続ピストル射殺事件犯”の素顔『永山則夫 封印された鑑定記録』

41L5MvmBl+L._SS500_.jpg
『永山則夫 封印された裁判記録』
(岩波書店)
 永山則夫という人物は、日本犯罪史にとって、語弊を恐れずに言うならば「特別な」人間だ。横須賀の米軍宿舎から盗み出した拳銃を使用し、1968~69年にかけて東京、京都、函館、名古屋で合計4人を殺害した、「連続ピストル射殺事件」を引き起こす。その事件の凶悪性もさることながら、事件当時まだ19際の少年だったこと、網走や青森の地で貧困にまみれたその生い立ち、そして、逮捕後に発表した小説群の成功……。ある意味で社会に対して多大な影響を残し、97年に彼の死刑は執行された。  『永山則夫 封印された鑑定記録』(堀川惠子著、岩波書店)は、2012年に発見された永山の精神鑑定中の独白テープをもとに、生い立ち、家族関係、事件に至るまでの思考を詳細に追いながら、あまりにも複雑な要因が絡まった彼の内面を丁寧に解きほぐした一冊だ。同じ内容は昨年ETV特集でも放送され、高い反響を獲得した。  74年にこの精神鑑定を行ったのは、精神科医の石川義博。ロンドン大学に留学経験を持つ犯罪精神医学のスペシャリストである彼は、通常1カ月程度の精神鑑定をじっくりと8カ月にわたって行い、その半生をテープに記録した。49本、100時間にも及ぶこのテープには、事件までの19年間が、永山自身の言葉で丁寧に語られている。  北海道・網走の地で、賭博狂の父親と、家計を支えるために行商に精を出す母親との間に生まれた永山。8人きょうだいの7番目の子どもであり、その家庭は極貧を極めた。両親は生まれたばかりの永山を顧みず、永山の記憶にも、その頃の母親の記憶はない。その代わりに、まだ幼い彼の面倒を見たのは、19歳年上の長女セツ。おむつを換え、食事を食べさせ、一緒になって遊んでやる。永山の記憶にあった、最も古い思い出も、セツとともに見た網走の烏帽子岩だった。 石川「セツ姉さんっていうのは、どんな感じなの?」 永山「やさしいっていうか、セツ姉さんにおんぶしてもらったこと覚えてる。あとね、網走湖かな、湖があって、その近くでね(略)そこにセツ姉さん、いたよ」  母親代わりとなって、深い愛情を注いでいた長女はしかし、永山が4歳の頃に忽然と姿を消す。身ごもった子どもを堕胎したのがきっかけで精神を病み、精神病院に入院することとなってしまった。永山は、唯一の頼れる存在を失い、その歯車は狂いだす。母親が、8人きょうだいのうち次女と四女、そして長男が産ませた孫娘だけを連れて青森に逃げたのは、セツの入院から半年後のことだった。そして、置き去りにされたきょうだいたちは、自らの力で氷点下30度にもなる網走の冬を過ごさなければならなかった。この記憶は「抑圧された記憶」として、永山の記憶から抹消されている。  翌春、福祉事務所の手によって母の暮らす青森に移り住むことができたが、極貧生活は変わらず、いじめによる不登校や兄からのリンチなど、苦しい環境は続く。  永山の独白と向き合うことで、著者である堀川が行き当たったのは「家族」というテーマだった。明らかに永山の成育過程においては、愛情となるものが欠落している。事件を引き起こす因子の一つとなった彼の病的な被害妄想は、家族からの愛情や承認といった当たり前のものが欠如したことと無関係ではない。  集団就職で上京した永山は、西村フルーツパーラーの店員、牛乳配達、荷揚げ人夫などの職を転々としながら、自殺念慮に苛まれる。石川医師が確認しただけでも、自殺未遂は18回。また、外国船に不法乗船し、日本脱出を企図するも、あっけなく船員に見つかり、横浜に追い返されてしまう。  事件の一年前、死ぬために永山は青函連絡船に乗った。 永山「もう一度、最後に網走、見たかったんだ。あのね、姉さんと一緒に海辺に行ったでしょう。俺、網走港に行きたかったんだ。セツ姉さんと、海っていうか、貝殻あって、もうそこしか憩うところがなかったんだな……。どこでもよかったんだ、きっと。どこか静かなところ……」    しかし、金が底をつき、網走にもたどり着けなかった永山は、青森の実家に戻る。「死ぬなんて言ってて、また帰ってきたじゃないか!」。母は、甲高い声で永山を罵った。東京に戻った永山はふとしたきっかけで米軍基地に忍び込み、後に犯行に使用するピストルを入手した。社会からも、日本からも、そして命からも逃げきれなかった永山は、結果的に4人を殺害した。  その精神構造を見ながら思い出すのは、例えば秋葉原事件を起こした加藤智大だ。加藤は食うや食わずの貧困ではなかった。しかし、徹底的に社会からの孤立を恐れ、しかしその承認は断ち切られ、秋葉原に向かってトラックを走らせた。 「社会的な死、孤立の恐怖は耐えがたく、それよりも肉体的な死の方がまだ救いがあると思えた」 「刑務所で地獄を見た後に孤立している世の中に放り出されるくらいなら死刑のほうがマシ」 (『解』加藤智大著、批評社)  「同じ青森」というのは、こじつけがすぎる。だが、常に社会からの孤立を恐れた加藤と、常に社会からの逃避を夢見た永山には、どこか共通する感情があったのかもしれない。  凶悪殺人事件が発生すると、「理解不能なモンスターである」と断罪する声と、それに反対して「モンスターではなく、人間だ」という2つの声が聞こえてくる。  「彼ら」が起こした事件は、「我々」に、まったくといっていいほど理解できない。しかし、絡まった糸も始めはまっすぐだったように、「彼ら」は初めから「我々」と異なっていたわけではない。生きていく過程で、「彼ら」のレールはだんだんと社会からそれていき、いつの間にか取り返しのつかない犯罪が引き起こされる。事件から45年を経た今でも、それは変わることはないだろう。本書が丹念に追った永山の長い独白から導き出されるのは、ゆっくりと、しかし確実にレールがそれていく過程だった。  死刑を執行された永山の遺骨は、オホーツクの烏帽子岩付近に散骨された。そこは、永山が長姉セツから、人生のうちでほとんど唯一愛情を与えられた場所だった。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

ブリトニー・スピアーズ、大先輩の訃報に笑顔で「素晴らしいことだわ」

britmz.jpg
「TMZ」に掲載された動画

 一般男性との交際が順調で、幸せの真っただ中にいるブリトニー・スピアーズ。そんな彼女が、8日に死去した歌手で女優のアネット・ファニセロについてのコメントを求められ、はじけるような笑顔で「素晴らしいことだと思うわ」と発言。ネットを騒然とさせた。

 2004年にケヴィン・フェダーラインと結婚するまでは、歌唱力、ルックス共に抜群の「世界最強のアイドル」とたたえられていたブリトニー。彼女がアイドルへの第一歩を踏み出したのは、ディズニー・チャンネルのスター登竜門番組『ミッキーマウス・クラブ』で、12~16歳の間、クリスティーナ・アギレラ、ジャスティン・ティンバーレイク、ライアン・ゴスリングらと共にレギュラーを務め、歌唱力に磨きをかけた。

 『ミッキーマウス・クラブ』は、1955~96年に断続的に放送された、子ども向けのバラエティー番組。放送開始直後は、米3大ネットワークのABCでオンエアされ、長年、絶大な人気を誇ってきた。スター登竜門番組だと呼ばれるようになったのは、オーディションでよりすぐられた才能ある子どものみが採用されるから。全米から応募者が殺到するため倍率は非常に高く、ジェシカ・シンプソンのように不合格になった者からスターが生まれるほどなのである。

現実に追い抜かれそうな危惧もある――『機龍警察』月村了衛の世界観を生み出したもの

tsukimura.jpg
月村了衛氏
 小説家・月村了衛氏。『機龍警察 自爆条項』(早川書房)で第33回日本SF大賞、『機龍警察 暗黒市場』(同)で第34回吉川英治文学新人賞を受賞、「このミステリーがすごい!」国内編第3位、「SFが読みたい!」国内編5位にもランクインと、今まさに「注目の作家」と呼ぶにふさわしい人物だ。だが、1963年生まれの彼の小説家デビューは、2010年に刊行されたシリーズ第1作『機龍警察』。小説家としては「遅咲き」と呼ばれるであろう彼は、テレビアニメ『ノワール』『円盤皇女ワるきゅーレ』などの作品で知られる脚本家であった。脚本家から小説家への転身ではない。当初からの夢を胸に秘めて与えられた仕事を全力でこなしてきた結果が、『機龍警察』シリーズ誕生へとつながったのだ。今回、月村氏の人物像に焦点を当てて、希望が結実するまでの道程、そしてこれからを聞いた。 ――月村さんは、早稲田大学第一文学部文芸学科を卒業されていますよね。キャリアのスタートがアニメの脚本からなのは、なぜですか?。 月村了衛(以下、月村) 文芸に入ったということは「作家になるぞ!」というつもりがあったワケなんですが、文芸学科というのは、いろんな学科の授業を選択できるんですね。それで、演劇であるとか、脚本であるとか、映画であるとか、そういう授業をもっぱら選択していました。それを知っている方が、「脚本を書いてみないか」と声をかけてくださって。「ただし、使えなかったらそこまで」とも同時に言われました。こちらとしては、脚本でやっていくつもりはなかったのですが、勉強はしていたので、考えた末、「ダメだったらすみません」くらいのつもりでやらせていただくことにしたのです。そしたら、まあまあ使えたらしくて。気が付くと、20年ばかりがたってしまいました。 ――作家になる決意は、いつからあったのでしょうか? 月村 ホントに長い話ですが、もともと絵本や紙芝居やそういった〈物語〉が好きで、よく読んでいたんです。それに加えて、小学校2年生の頃から小児ぜんそくがありまして、発作が起きると、家から動けないので、本を読むしかないんですよ。それで、貪欲に本を欲するようになったんです。 ――その頃読んでいた作品は、どんなものなんですか? 月村 強烈に覚えているのは、山中峯太郎先生が翻案された、子ども向けの『シャーロック・ホームズ全集』です(註:ポプラ社が1956年から刊行したもの。現在は絶版)。これを読んで、それまで自分が読んでいたようなものとはもう一線を画すと、小学校2年生ながら強烈に自覚したんです。 ――小学校2年生で『シャーロック・ホームズ全集』というのは少し早いと思うのですが、それはご両親が買ってくれたんですか? 月村 いえ、図書館です。ウチには、そういう本がほとんどなかったですね。 ――中高生の頃には、明確に作家志望になっていたのでは? 月村 そうではないです。作家になろうと思っていても、普通はなかなか口にはできないじゃないですか? 作家志望をハッキリと意識したのは、高校卒業の頃です。高校の入学時に、志望調査の書類を提出させられたんですが、そこに「志望学部」を記入する欄があったんです。志望が決まっていてもいなくても、とにかく記入しないといけなかったので、とりあえず法学部と書いたのを覚えています。漠然と、弁護士とかなら名探偵のイメージに近いなあとか。まだ、作家になるという明確な意志はなかったんですね。それに、法学部と書けば、親もだいたい安心するじゃないですか。ハッキリと「文学部」と書いたのは、高校3年生になる頃ですね。 ――それで早稲田大学に入学されたわけですが、学生時代には周囲にも作家志望なり脚本家志望なりが、友人には多いという環境だったんでしょうか? 月村 そういう付き合いはなかったですね。というのは、キャンパスで「ワセダミステリクラブ」を捜したんですが、部室を発見できなかったという……。そうしたら「幻想文学会(註:幻想文学専門誌「幻想文学」の、当初の出版元)」が、サークル勧誘のテーブルを出していたんです。それで新人ノートに名前と住所のほかに「好きな作家 山田風太郎」と書いたら、1カ月くらいして、東雅夫さん(註:「幻想文学」編集長。現在は、怪談専門雑誌「幽」の編集長としても知られる)から「ちょっと話したいんで、来てくれないか」というおハガキをいただき、早稲田にありました「幻想文学」編集部に伺いました。「幻想文学」創刊からそんなに間もない頃でしたが、初めてお会いした東さんが「山田風太郎インタビューに同行してくれないか」と。まだ入学して1カ月の頃なんで、とてもそんな、自分よりももっと詳しい人は絶対いるはずだと申し上げたんですが。重ねて依頼があったので、東さんと聖蹟桜ヶ丘の山田風太郎先生のお宅にお邪魔したんです。本当に一期一会の得がたい経験でした。 ――そこまで熱くオファーされた理由はなんだったんですか? 月村 石堂藍(註:文芸評論家。東氏と共に「幻想文学」編集・発行人)さんと東さんがおっしゃるには「早稲田中を捜しても、山田風太郎にここまで詳しい人間はいない!」ということで。「ホントかよ」と思ったんですが。 ――いきなり文芸系学生サークルより一段高いところから、始まった感じですね。 月村 その後も幻想文学出版局とは、そういう形でお付き合いはあったんですが、当時は映画の勉強に専念していたので、学生サークルとしての幻想文学会とは、ほとんど付き合いがなかったんですよ。東さんとは、それ以来2~3回、お話しさせていただいただけですが、自分の中で「東さんに取り上げていただけるような作品を書いて、作家として再会したい」という目標が生まれました。そしたら、その前に「幻想文学」が終刊になってしまって。  さらにこの話には続きがありましてね。『日本幻想作家事典』(東・石堂編著、国書刊行会)が、ずっと刊行延期を繰り返していたのですが「自分がデビューするまで延期してくれ」と、気が気じゃなかったんですよ。それで「よし、今年も延期、今年も……」と思っていたら、デビューよりちょっと先に刊行されちゃって。2つの大望が、もろくも崩れ去ってしまいました。でも先日、国書刊行会の方が仲介してくださって、東さんと30年ぶりにお会いいたしまして、大変感激しました。 ――学生時代には映画の勉強に専念されていたということですが、一口に映画の勉強といっても、制作から脚本までさまざまなものがありますが。 月村 脚本はもちろんですが、最初から見るほうというか、評論系でしたね。当時新宿にありました、佐藤重臣さんがやっていた黙壺子(もっこす)フィルム・アーカイブや、早稲田のACTミニ・シアターなどによく行きました。時期的に考えても、隣に町山智浩さんとか、柳下毅一郎さんが座っていただろうと思うのですが……そういう日々を送っていました。 ――映画を見て、何かを書いていたんですか? 月村 梅本洋一先生(註:「カイエ・ドゥ・シネマ・ジャポン」創刊編集長)が、フランスの留学からお帰りになって早稲田で映画の授業を初めて持った年の、いわば生徒第1号なんです。映画を見てレポートを出すという授業で、まあそれなりに書きました。梅本先生からは、映画の見方の基礎とでもいうべきものを教わりました。……私自身は「映画宝島」創刊準備号から買ってる、「映画秘宝」の読者なんですが。  梅本先生は、町山さんや柳下さんには「リュミエール派」とか批判されていますが、当時、梅本先生に「どういう映画を授業で見たいか」と聞かれるんですね。それは早稲田のライブラリーの中から選ばなきゃいけないんですが、リストを見ると、そんなに数があるわけではない。当然、字幕はありません。その中でまず見たいのはやはり限られていて、「じゃあ『フランケンシュタインの花嫁』お願いします」とか言うと、必ず「君はいつもつまらないものばかり見たがるね」と苦言を頂戴するわけです。一方で、そんな不肖の生徒が語るテレビドラマの話、それも「映画的観点における必殺シリーズ」みたいな話に耳を傾けてくださり、論文の執筆を勧めてくださいました。 ――そこで『フランケンシュタインの花嫁』を出してくるとは、「分かってるな」と思ってしまいますが。 月村 当時、名画座や上映会でしか見る機会がなかったので。高校時代から普通に上映会でバスター・キートンの『セブン・チャンス』や『探偵学入門』などを立て続けに見ていたんです。これがなかなか映画的カタルシスに満ちていて、やみつきになったという感じですね。それ以前にもリバイバルで『天国と地獄』を見ていて、これが一番大きかったかなと思います。 ――早稲田はホント変わった方が多い大学だとは思いますが、そういった映画を見ていて話の合う友人・知人というのは、学内には……。 月村 いませんでした。 ――もっぱら学外の人間と交流する感じで? 月村 学外の付き合いもなかったですね。もう1で観て、ただそれだけという。1人で観て、映画の本を読んで、また観るという。当時柳下さんとかあちこちで鉢合わせしてるはずなんで、もし友達になれてれば、何十年という年月を孤独に過ごさずに済んだのになぁ、と思います。  映画を作るサークルとかに行っていれば、また違っていたのでしょうけれども、なぜかそういうところに行かなかったんですよ。  今思い出したんですけれども、私、就職活動は一切してないんですが、それらしいことを1つだけやりました。当時、松竹が十何年振りかで助監督を採るというのがキネ旬に載りまして、それを受けに行きました。試験会場は明大でした。もうそういうTPOに応じた服装なんて知らないものですから、学生服で行きましてね。学生服好きなもんですから。行くと、まあいろんな格好したのがいて、スーツで来てるのもいればすごくラフな格好で来てるのもいて。試験の内容は一般常識、普通の試験だったんですよ。で、おっこっちゃいまして。でも、そういう経験ができて良かった。唯一受けた就職試験ですので。予備校講師の職は面接と模擬授業だけでしたから。まあそれも試験と言えば試験ですが。 ――映画を見るだけではなく、やっぱり作家になる修業も続けていたのですか? 月村 そうですね。当時「小説現代」の新人賞に応募したりしていて、名前が載るところまではいったのですが、それ以上には至りませんでした。また文芸学科ですから、当然合間合間に課題でシナリオや短編小説を書いたり、卒業論文の代わりに長編小説を書いたりしました。授業の課題で書いた短編が「早稲田文学」の編集をやっていた文芸学科の平岡篤頼先生の目に留まって、呼ばれたんですよ。で、まあいろいろお言葉をいただきまして。大変光栄に思いました。その時に言われたのが「早熟である」と。また同時に「大衆文学的な気がする」とも言われまして。結局「早稲田文学」には載りませんでしたが。 ――その時書かれたのは、どういう小説だったんですか? 月村 伊東一刀斎が夜の峠道で自分のドッペルゲンガーと出くわすという。何しろ敵は自分自身ですから、身動きもとれなくなって。自分自身を突きつめながら一晩を過ごして、夜が明けた時に、一刀流の極意である無想剣を会得しているという。今とまるで変わってませんね。 ――ご自身の方向性は、どのように定めていたんでしょうか? 月村 学生時分は「超ロマン主義」などと、自分で標榜していたんですよ。あんまり恥ずかしいので、誰にも言わないまま、私の脳内で消滅しましたけど。で、若い頃は、もっぱら〈幻想文学〉って言っていたんですよ。というのは、純文学であるとか、SFであるとか、ミステリであるとか、そういった素晴らしいものを統括する上位概念として、そういう言葉がいいんじゃないかと思っていたんですが、近年、幻想文学という言葉が、さすがにやや限定的なニュアンスを帯びるようになってきましたんで、今現在は〈エンタテインメント〉と言ってます。もう自分にとっては「エンタテインメントでいいじゃないか!」と。「自分はこれでやっていこう」と。今はそういう気持ちでおります。 ――卒業後は『ミスター味っ子』の脚本家としてデビューされました。冒頭で、脚本家になる気はなかったとおっしゃっていましたが、仕事が舞い込むようになってきた時は、どんなお気持ちだったんですか? 月村 それはもう「やる以上は全力でやる」と考えていました。引き受けた仕事には常に全力で取り組んできたと自信を持って言えますし、手がけてきた作品には今でも誇りを持っています。 ――脚本のお仕事では『神秘の世界エルハザード』『少女革命ウテナ』『ノワール』と、さまざまなジャンルの作品に携わっていらっしゃいますよね。「このジャンルだから書けない」というのは、ご自身の中であまりないのですか? 月村 ないです。 ――文学をずっと読んでいた、映画を見ていた積み重ねが大きいのでしょうか? 月村 かもしれませんね。取り組む時は、基本は同じなので、人間を描いていくという。そういう意味では、コメディでもアクションでも変わらないので、面白いのは、当時の私を「ハードボイルドの月村」と認識している人と、「温泉の月村」と認識している人とに完全に分かれるという。 ――脚本の参加作品は、2006年発売の『円盤皇女ワるきゅーレ』OVA版が最後ですね。その後、2010年に小説家デビューとなったわけですが、出版社にはどのようにアプローチを? 月村 発表のアテもないのに書き始めまして、ツテのツテのツテを頼りまして、持ち込みをしていたんですよ。ですがまあ、なかなか厳しい時代ですので、決まらないままに作品がたまっていきまして。実は『機龍警察』は第2作なんです。第3作が『機忍兵零牙』で、第1作は『一刀流無想剣 斬』のほうなんですよ。何しろ一刀流には学生の頃から執念を燃やしていたので、それで長編第1作に選んだのです。それぞれ同時に持ち込みをしている状態だったので、刊行の順番が前後したということなんですね。 ――脚本家としてはキャリアがあっても、小説家としては新人ですよね。それに、持ち込みを続ける間に、心が折れるようなことはなかったですか? 月村 そうなんですよ。自分には何もコネがないし、自分の周辺にそういうツテを持っている人がいないのも分かっていましたので、ツテのツテのツテを探してみてくれないかといろんな人にお願いして。幸いにも力になってくださった方が何人かいらっしゃって、その方々には大変感謝してます。おかげさまで、最初に『機龍警察』が早川書房で決まりまして、これでデビューということになりました。持ち込みをしている時に心が折れることはありませんでしたが、生活をどうしようかとは考えましたね。 ――『機龍警察』シリーズの構想は、いつから考えていたのでしょうか? 月村 90年頃から構想はありましたが、書くために必要なもの、例えば警察に対する取材力などが自分には欠けているとはっきり自覚していたので、なかなか書き出せなかったんです。しかし長い年月のうちに、さまざまな出会いがあって、作品に取り組む端緒を得ました。 ――アイデアは、どういうきっかけで生まれたのでしょうか? 何か降りてきたのか、もしくは、考え抜いてる中で構築されたのか。 月村 まあ両方ですよね。自分のテーマは、犯罪であるとか、社会、現実、暴力といったキーワードで構成されています。特に社会の中での、組織と現場との二極的な構造が面白いと思うんですね。現場の人間が、己の血を流して戦うんだが、それは何か大きな流れの末端でしかない。だが個々の人間の想いは確かにある。歴史観、社会観というか、そんな感覚をとらえていきたい、その断面を切り取ってみたい。熱い物語として表現したい。そういう想いがあったんですよ。 ――そのテーマは『機龍警察』以前から持っていたのですか? 月村 そうですね。アクション映画が好きなのですが、ただアクションだけがよくても、心に残らないじゃないですか。「じゃあ心に残るアクションっていうのは、なんだろう」と。アクションであっても、時代劇でも、チャンバラも同様ですが、社会のリアリティであるとか、人間の情念が核心にあります。そういう理想を形にしていきたいと、ずっと思っていました。 ――巻末に参考文献も記載されていて「こんなにちゃんと調べていらっしゃるんだ!」と驚きました。例えば『機龍警察 暗黒市場』ではロシアや東北の被災地が登場しますが、現地取材は行っているのですか? 月村 いいえ。地図は死ぬほど見ましたけど。 ――『機龍警察 暗黒市場』では、震災復興の規制緩和の結果、アンタッチャブルな暗黒街と化した東北の海辺の都市が描かれます。とても、あり得る未来だと感じたのですが、やはり震災を機に生まれたアイデアなのでしょうか? 月村 「震災を機に」ということはまったくありません。でも書いていくうちにそういうアイデアが生まれてきて、同時に、やはり自分もそうした状況とは無関係ではいられないんだなと自覚しました。『機龍警察 自爆条項』でも、シリアについて書いた途端に民衆革命が起こったりしましたし、アルジェリアについて書こうと思っていたら、テロが起こっちゃった。現実と紙一重で「もうすぐそこまで来ている。下手したら追い抜かれそう」という、追いつ追われつみたいな、そういうヒリヒリした感覚を常に感じます。 ――結果として読者はリアリティを感じているわけですが、作家としては「してやったり」では? 月村 「してやったり」とまでは思わないんですが、そもそもが時代としては現代のつもりで書いていて、しかし現代という時代には「機甲兵装」は存在しない。近未来というと、また限定的なイメージが生まれてしまうので、限りなく現在に近い未来ということで、〈至近未来〉というフレーズを自分で考えたんですが、これが定着しているような、してないような。もっと言うと、最初は現在から何年後の話であるとか、そんな時代設定を曖昧にしておこうと思っていたのが、シリーズを書き進めるに従って、次第に絞られてきた感があります。特定する手掛かりは作中にあります。それでも、現実の国際情勢においてはさまざまな予測不能の事象がリアルタイムで進行しているので、整合性の取れない部分が生じることは不可避であるわけですが。自分の感覚としては、ホントに現代なんですよ。現実の国際情勢と、警察小説を結びつけるガジェットとして「機甲兵装」という設定を導入したんですが、どうもこれまた、いいとこ突いていたんじゃないかと後になって思いました。  『機龍警察 暗黒市場』まで書く中で学んだことですが、現代の戦争は限りなく戦場が曖昧な局地戦になっています。そうした時に、「機甲兵装」というのは、あながちあり得ないガジェットではなさそうだと。実際、いろんな国の軍隊が、そういうものを研究開発しているようですし。我々が思っている以上の早さで、今後急激に発達するのではないかと。 ――完結までのシリーズ構成は、もうまとまっていますか? 月村 おおまかな展開や着地点は考えてあるんですが、全何巻かは未定です。自分としては、できるだけ丁寧にやっていきたいんですね。単行本が売れなければ、続きが出ないことも十分あり得るので、打ち切りにならないように頑張って……。執筆ペースがまだつかめていないこともあるのですが、今はともかく読者の方に楽しんでもらえる作品を書くことに専念したいと思っています。 ――そうするとやはり、コンスタントに執筆できるスピードをつかむのも課題ですね。 月村 資料が多いので、なかなか外では書けないため自宅で仕事をしていますが、1日中やっていて「やっと集中力が高まった!」と思ったら、「もう外が明るいぞ」みたいなことばっかりですね。調べる量が多いので、なかなか進まない……。そんな感じです。だから朝型に切り替えたほうがいいかなとか、考えているところです。 (取材・文=昼間たかし)

開始早々1%台の『アゲるテレビ』に、「日テレの大英断に比べて甘い」の声

agerutv.jpg
『アゲるテレビ』(フジテレビ系)
公式サイトより

 視聴率不振で打ち切りとなった『知りたがり!』(フジテレビ系)の後続番組としてスタートした『アゲるテレビ』。元日本テレビで現在はフリーの西尾由佳理アナ、フジの中村光宏アナという新タッグに注目されていたが、初回から2.1%、第二回こそ3.6%と上向きになったかと思われたが、その後は早くも1%台の低視聴率を記録してしまった。

 フジは同枠スタート時に「打倒『ミヤネ屋』(日本テレビ系)」という目標を掲げていたが、同時間帯は相変わらず、『ミヤネ屋』とテレビ朝日の『相棒』再放送の独壇場で、『アゲるテレビ』は『午後のロードショー』を放送するテレビ東京とどっこいどっこいの低視聴率争いを繰り広げている。

元NHKアナの堀潤が次期参院選に“みんなの党”から出馬へ「NHKに恨み節をぶつける!?」

horijun.jpg
「堀潤のテレビでは言えない話 」ニコニコ動画
 NHKの元アナウンサー・堀潤氏が今夏の参院選に、みんなの党から神奈川選挙区で出馬することが濃厚となった。  同氏はNHKアナ時代に東日本大震災による原発事故の報道姿勢をめぐり、上層部と対立。干される形で昨春に米国に留学し、帰国後の今月1日付で退局した。  堀氏の出馬は神奈川新聞が7日付で報じたもの。これを受けて同氏も8日に有料のメルマガでNHKに退職願を提出後、複数の政党からの接触を初めて認めた上で「新たなリベラル勢力の結集が必要」と述べ、「みんなの党から出馬要請がきたら『永田町の情報をだだ漏れにして、永田町の論理などというものを日本からなくす』。これが実行できるであれば少し考えみます」と出馬について語った。  政治記者によれば「選挙区の神奈川は江田憲司幹事長と浅尾慶一郎政調会長の地盤。仮に堀氏が出馬すれば、知名度もあり、まず当選する」という。  こうなると戦々恐々なのが、古巣のNHK。半ば“ケンカ別れ”に近いため、堀氏が選挙演説などで「NHK批判を行うのでは?」との憶測が流れているのだ。 「NHK批判は他局にとって格好のネタ。連日張り付く政治記者も出てくるだろう。何より、NHKは公共放送であるため、どんなに“憎い相手”でも公平に取材しなければならない。堀氏の選挙運動をどう扱うか、頭の痛い悩みでしょう」(テレビ関係者)  昨年12月の衆院選に続き、自民党の圧勝が予想される次期参院選。政治記者の間では“やっつけムード”も漂う中、堀氏が台風の目になりそうだ。

育休を悪印象にする、「権利だけを主張する」労働者たち

karasunonyobo.jpg
「カラスの女房」(中澤裕子/ZETIMA)

――玉石混交のネットの海で、下衆なエピソードだけを収集・観察する奇跡のヲチャーHagex。彼がセレクトした、某橋田壽賀子ドラマよろしく、読むとゲッソリする……いや人生のトラブルシューティングとしてためになるエピソードを紹介。

 元モーニング娘。の中澤裕子(39歳)が2012年4月に結婚を発表し、11月に女の子を出産。仕事を休んでいた中澤姐さんが4月3日からラジオの仕事に復帰するニュースが流れました。仕事先では、花束をもらい祝福されたようで、「お仕事を再開出来る環境を作ってくださったスタッフの皆さんや事務所のスタッフ 家族の理解 娘の成長 そして待ってくれていたファンの皆さんに感謝します」と、ブログで綴っています。

 産休明けに花束をもらうなんて、素晴らしい!  多くの職場ではそんなお祝いはないのが現実です。日本の企業は、まだまだ「出産・育児休暇」をネガティブにとらえているところが少なくありません。その原因の1つに「権利だけを主張する」労働者の問題があるのではないでしょうか? この手の問題は、同僚が一番の被害を受け、上司に相談する前に、まずはネットで意見を聞くパターンがよくあります。

『めちゃイケ』の壮大な悪ノリを冷ややかに見ていた、矢部浩之&青木裕子の親族

yabehirouen.jpg
「女性自身」4月23日号(光文社)
【サイゾーウーマンより】 下世話、醜聞、スキャンダル――。長く女性の“欲望”に応えてきた女性週刊誌を、伝説のスキャンダル雑誌「噂の真相」の元デスク神林広恵が、ぶった斬る! 第171回(4/5~4/9発売号より)  福島原発の汚染水ダダ漏れが続いている。現在、海水へ流失の可能性は低いというが、地下には染み込んでいるはずだ。放射線を大量に含む汚染水は今後も増え続けるし、除染といっても疑問符だらけである。東電の体質が相変わらずだということも露呈した。今回も事故ではなく“事象”で、汚染水ではなく“滞留水”だって。こんな企業を放置し、原発再稼動なんていっている安倍晋三はどうかしている。 1位「矢部浩之&青木裕子『めちゃイケ』披露宴のマル秘舞台裏 矢部家おかんは『パート、休めるわけないやん!』弟は宿直、親父は……」(「女性自身」4月23日号) 2位「オセロ中島 それでも別れられない! 精神科医も懸念する『悪夢』」(「週刊女性」4月23日号) 3位「西島秀俊 ジムの帰りも“筋トレ”――マル秘私生活も『筋肉美』命!」(「女性自身」4月23日号)  壮大な悪ノリ、バラエティのくだらなさ、電波の私物化――現在のテレビの問題点を羅列したようだったのが『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)のナインティナイン・矢部浩之×元TBSアナウンサー・青木裕子の結婚披露宴生中継だった。相方の岡村隆史がハシャギ回り、司会進行には徳光和夫を引っ張り出した。多くの芸人やタレントが出席し、ドッキリあり、余興あり、歌あり――ってこんなことを生中継でやっていいのか。しかも2時間半にわたって。それも芸人とアナウンサーの披露宴に、だ。  しかし驚いたことに視聴率は20%を超えた時間帯もあったらしい。かつて大宅壮一センセイがテレビの低俗さを嘆き、「一億総白痴化」と言ったのは1957年だった。それから50年以上がたったが、白痴化はさらにドンドン加速していますよ、大宅センセイ!  きっと草葉の陰からお嘆きになっているだろう。  そんな生中継披露宴であったが、このような“エセ披露宴”を“普通の披露宴”として大真面目に捉えて、その裏に存在した「大いなる疑問」にチャレンジしたのが「自身」だった。大いなる疑問とは、新郎新婦の親族がほとんど出席していないというもの。普通の披露宴なら絶対に出席しているはずの存在であるが、テレビ披露宴では矢部の兄が出席したのみで、青木家に至ってはゼロだった。しかし、考えればまともな家族、親族だったら見世物のような披露宴に出席しないのも当然だろう。テレビ中継されているし。真っ当な家族である。  しかし「自身」はそんな家族たちに大真面目に直撃した。すると――。

続きを読む>>

カテゴリー: 未分類 | タグ:

黄ばんだ歯は怠けた生活の証し! 白い歯でフレッシュに心機一転したい!

Photo by El Mostrito from Flickr

 新年度が始まり心機一転、フレッシュな気持ちで過ごしているみなさん、その口元をよく見てください。笑顔からのぞいているその歯、黄ばんでいませんか? 茶ばんでいませんか? その歯はフレッシュからは程遠い、疲れた生活の証しです。毎日のハードワークのお供であるカフェインやニコチン、疲れを癒やしてくれる赤ワインといった品々が、みなさんの歯に黄ばみとなって蓄積されていたんです。

 歯医者に行けば白い歯になる。そんな簡単なことがわかっていても、行く時間や費用を捻出するのはなかなか大変。わかっていてもできないから、まだ黄ばんでいるんです。だったら、自宅で手軽にホワイトニングができるアイテムで、根こそぎ白くなってみませんか?