
撮影=尾藤能暢
ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。
その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた!
■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子!
――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね?
「元・パーク・マンサーのサンガです!」
――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか?
「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」
――あ、そんなつながりが!
「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」
――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに?
「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」
■一夜にして普通に街を歩けなくなった
――本家のglobeは好きだったんですか?
「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」
――マーク・パンサーには憧れなかったんですか?
「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」
――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか!
「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」
――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか?
「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」
――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか?
「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」
――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。
「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」
――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。
「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」
■ライバルはパーク・マンサー
――その後は、主に役者として活動していたそうですが。
「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」
――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は?
「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」
――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか?
「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」
――えー、いきなり!
「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」
――それでも、これはチャンスだと。
「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」
――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか?
「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」
(取材・文=北村ヂン)
●サンガ
1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。
<
http://sejikenstudio.com/>