「秘密の地下室」心理テスト 他人から見たあなたの本当の姿がわかる

【ハピズムより】

どんな部屋へ続く、地下への階段?

 地下室」という言葉には、なにやらあやしげな響きがあります。もし家に地下室があったら、どんな風に使うでしょうか。普通の自室とは違って、秘密の趣味や隠れ家的な使い方をしたくなりますよね。実際、心理学的に地下室とは、本人も意識していない深層心理の象徴です。想像の中で階段を降り、地下室に入っていくことで、擬似的に自分自身の深層心理に降りていくということになるのです。催眠術で、地下室をイメージに使うこともありますし、夢判断では地下室は深い無意識の象徴です。

 この地下室効果を利用して、相手が「本当のあなた」をどんな人だと思っているのかを探ってみましょう。

 どう思われているのか知りたい相手に、以下のような質問をし、4つの中から近いものを選んでもらってください。

【質問】
「将来家を建てたら、地下室を作るつもり。誰も入れない、私だけの秘密の地下室。どんな地下室だと思う? ぴったり当てたら、その地下室に招待してあげる」

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NHK『紅白』K-POPゼロに韓国メディア猛反発 過激報道の裏に「反日感情を煽る」意図も?

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第63回 NHK紅白歌合戦
 大みそかの『第63回 NHK紅白歌合戦』の歌手発表が26日、東京・渋谷区の同局で行われ、今年はK-POP歌手の出場がゼロであることが発表された。これに対し、韓国メディアが猛反発している。  10月24日の定例会見で、NHKの放送総局長が「政治と文化は違う」と話したことから、一時は韓国メディアも楽観視し、昨年の東方神起、KARA、少女時代の3組を上回る出場を期待する声も上がっていた。しかし、フタを開ければ出場歌手はゼロ。NHKは「領土問題の影響はなかった」と説明したが、韓国3大紙は懐疑的な見方を示している。  中央日報は「本当に独島問題と関連しないだろうか」と疑問視し、韓国人歌手は領土問題の影響で「紅白から排除された」と断定。朝鮮日報も「韓国歌手ボイコット宣言なぜですか?」、東亜日報も「K-POP歌手の出演が排除された」と同様の論調で展開した。  韓国のネット上でも「政治問題を文化の世界に持ち込むな!」「鎖国的な国だ!」といった反発の声が上がっているという。  NHKは落選の理由について「本年度の活躍が(昨年に比べて)落ちている」と説明したが、韓国3大紙は「むしろ今年のほうが日本でブレークしている」と主張。その根拠として、東方神起は今年日本ツアーで55万人を動員し、来年には5大ドームツアーが控えていること。KARA、少女時代も10万枚以上アルバムを売り上げ、日本レコード協会からゴールドディスクを獲得していると指摘するなど、一歩も譲らない。  これに韓国在住の音楽ライターは「最初から領土問題が理由ということは分かりきっていること。それを騒ぎ立てることで、さらに独島問題への関心を引こうとしているのでしょう。韓国では大統領選も始まりましたしね。紅白を使って反日感情を煽り、国民を鼓舞する狙いがあるのでは?」と推測する。結局、紅白を政治利用しているだけのようで……。

KAT-TUN・田口淳之介、小嶺麗奈と同棲!? 引っ越し業者がTwitterで暴露

「もう、勘弁してくださいよ~」

 『リーガル・ハイ』『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~』(共にフジテレビ系)と話題の連ドラに出演し、2012年は俳優業を中心に活動しているKAT-TUN・田口淳之介だが、またもTwitter上で私生活を晒される憂き目に遭ってしまった。しかも今回はさらに悪質なもので、田口本人が依頼したとみられる引っ越し業者のツイートによって、交際がささやかれ続ける小嶺麗奈との“同棲疑惑”までもが浮上したのだった。

 田口は今年2月、都内の有名百貨店店員に「20万円代のまとめ買いだったらしく、予算に貢献して下さってた 笑 ありがとうございます」などとツイートされ、ネット上で大騒動に。スポーツ紙などでも報道される事態となり、同店は自社の公式ホームページに謝罪文を掲載することとなった。こうしてTwitter上でファンからプライバシーを暴露されてしまう芸能人は後を絶たないが、1年間にまったく別のケースで2度も被害に遭ってしまうというのも珍しい。

松嶋、米倉、剛力……イケてる女優のギャラはおいくら?

 サイゾー新ニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けしちゃいます! ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) すでに本屋ではない! Amazonで一番売れてるのはお米!? 東電への抗議として広まる「電気代不払いプロジェクト」 西友は赤字に…冬のボーナス減で小売り・外食が値下げ消耗戦 ■特にオススメ記事はこちら! 松嶋、米倉、剛力……イケてる女優のギャラはおいくら? - Business Journal(11月29日)
女優のギャラについて報じる
「週刊文春」(文藝春秋社/12月6日号)
 11月29日発売の「週刊新潮」(新潮社)、「週刊文春」(文藝春秋社)から、忙しいビジネスパーソンも要チェックの記事を早読み。今回は、上場企業社員もびっくり!の「人気女優のギャラ」を覗いてみよう。  12月16日に行われる衆院選に向け「卒原発」を掲げる嘉田由紀子滋賀県知事が結成した新党「日本未来の党」に「国民の生活が第一」「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」「みどりの風」が合流し、ますます目が離せない政局。ということで、今週発売の文春、新潮とも総選挙を大々的に特集している。  しかし、同じくらい芸能情報も充実しているのが今週の両御大。そんな中で今回は、みんな大好き“人様の懐事情”ということで、文春の「人気女優最新ギャラ番付2013年版」から早読みする。  視聴率の低迷が叫ばれるテレビ業界で、昨年最終回の視聴率が、2000年に放送されたドラマ『ビューティフルライフ』(TBS系列)以来の40パーセント超えを果たした『家政婦のミタ』(日本テレビ系列)。記事によると主役の三田灯を演じた松嶋菜々子が今もっともギャラの高い女優であるという。そのギャラは、連ドラ一話分でなんと「最低“350万円”を提示しないとまともに交渉できない」とのこと。サラリーマンの平均年収が約400万円の時代にあって、なんとも夢のある金額である。妻がこれだけ稼いでいれば、旦那がパッとしなくても反町家は安泰なのだろう。  さて、ギャラ番付2位は米倉涼子。気になるギャラは「250万円だが今後は300万円代になってもおかしくない」という。松嶋と米倉を追うのが、天海祐希、篠原涼子、綾瀬はるか、仲間由紀恵らのギャラ250万円クラスだという。 ●「オスカー3人娘」は安売り戦略の賜物 !?  また最近話題の武井咲、剛力彩芽、忽那汐里の「オスカー3人娘」は「ギャラを抑え目にしてどんどん仕事を取る方針で実績を積んでいる」と記事にはある。ギャラ番付2位の米倉も同じくオスカープロモーションだが、「オスカーの安売り戦略」は、以前から業界内で囁かれてきた、いわば“定説”。この点については、日刊サイゾーで今年2月にオスカーの鈴木誠司専務に直撃しているが、同氏は全面否定。「(オスカーがCMやドラマのギャラを下げることで起用しやすくし、その分、露出を増やしているという噂について)私も聞いたことがありますが、事実ではありません」とし、さらに「業界内ではオスカーはギャラが高いと有名なんです」とも。ちなみに、ある雑誌編集者によると「オスカーは最近事務所を移転したが、移転先は表参道周辺で家賃と保証金が一番高いビルとの噂。同じビルには高級ブランドのグッチも入っている。安売り戦略で、あそこまでの儲けは出せないだろう」とも。一方で、“薄利多売”で収益確保ということもありえるのだろうが、真相はいかに。  ちなみに、アメリカの経済誌「フォーブス」が発表した2012年度の「最もギャラの高いTVドラマ俳優リスト」によると、全米で人気のコメディ『Two and a Half Men』主演のアシュトン・カッチャーで、約1年で19億円を稼いでいるという。 ●山口智子に厳しい新潮  一方の新潮では、ギャラ番付1位に輝いた松嶋と、『ロングバージョン』(フジテレビ)以来16年ぶりの連ドラ出演を果たした山口智子の明暗を報じている。  今年10月からスタートした山口出演の『ゴーイング マイ ホーム』(フジテレビ)。「かつて『視聴率女王』『ドラマクィーン』と謳われた」山口が16年ぶりの連ドラ出演という話題性に加え、主演には阿部寛、共演に10年ぶりの連ドラ出演となる宮崎あおい、監督・脚本に映画『誰も知らない』などで知られる是枝裕和を配するなど、「まさに鳴り物入りで始まった」。しかし、初回の視聴率こそ13%だったものの、2話目以降の視聴率は一桁台と低迷。11月27日放送分では、5.9%まで落ち込んでいる(いずれの関東地区/ビデオリサーチ調べ)  その要因として「山口は、体系こそ丸くなりましたが。トレンディ女優がそのまま年を重ね、普通の役を演じているだけ」と厳しい声を紹介している。その一方、松島主演の『家政婦のミタ』がヒットしたのは「恋愛ドラマの中心で格好いい役を演じていた松嶋が『脱げ』と言われて脱いでしまう、無感情なキワモノを演じたギャップが受けたこともある」と指摘。新潮といえば、かつて当サイトでも報じた通り、『ゴーイング マイ ホーム』と山口には、いたって厳しいスタンスを取り続けている。きっとデスクあたりが“かつての山口に萌えた世代”で、歳を重ねた彼女を見たくないのかも。そんな山口のギャラも気になるところだ(旦那は松嶋よりは、稼いでいそうだが)。 ●カウンセリングを受けないのりピー  もうひとつ大きな芸能ネタとして、文春が注目の独占手記を掲載している。09年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受け、10月24日に女優復帰会見を行った酒井法子のものだ。  スポンサーの意向を重要視するテレビでは、犯罪者のイメージが付いた酒井はまだ使いにくい。そこで、まずは安いギャラも承知の上で舞台復帰となったのだろうが、酒井が事件によってスポンサーなど関係各所に与えた損害は5億円とも。しかも、それを肩代わりしている元所属事務所のサンミュージックには、一銭も返済できていないようだ。そんな酒井の苦悩ぶりが伝わってくる手記ではあるが、特に目新しい事実はない。  それよりも手記の中で引っかかったのが「保釈後、医師のカウンセリングやリハビリは受けていません」という個所だ。酒井は禁断症状もなく、目の前に薬物があっても手を出す気持ちは一切ないと断言するが、内閣府の薬物乱用対策推進会議の資料によると、覚せい剤事犯での再犯率は11年で59.2%と高い。過去にも覚せい剤取締法違反で2回以上逮捕された有名人に岡村靖幸、清水健太郎、田代まさしらがいる。カウンセリングやリハビリを受けることも、罪を償うことのひとつでもあるし、周囲の信頼を回復するために必要なことだと思うのだが……。  さて、文春で長年連載されている密かな人気コーナといえば「淑女の雑誌から」。今回は、◯トレにハマっているという淑女の告白が目を引いた。こちらも要チェックです。 (文=本多カツヒロ) ■おすすめ記事 すでに本屋ではない! Amazonで一番売れてるのはお米!? 東電への抗議として広まる「電気代不払いプロジェクト」 西友は赤字に…冬のボーナス減で小売り・外食が値下げ消耗戦 日立、東芝…最後の砦・白物家電を浸食する中韓勢との最終戦争 財界が後押しする“安倍総理” 経済ブレーンの面々

漢字で「海神」&ミススペル! セレブのヤバすぎるタトゥー

ミーガンの腕に、マリリンの亡霊のようなタトゥー

 アメリカも日本同様、保守的な人たちの間ではタトゥーはよくないとされているが、アーティストであるセレブたちは自己表現のためにタトゥーを入れることが多い。今回は、セレブたちが痛みをこらえて彫った個性的なタトゥーをご紹介したい。

アンソニー・キーディス(左右の上腕部にアメリカン・インディアンの伝説的人物)

 ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のボーカル、アンソニー・キーディスには、母方から受け継いだモヒカン族の血が流れている。アメリカン・インディアンの血を誇りに思うアンソニーは、右上腕部にハンクパパ族の戦士/呪術師のシッティング・ブル、左上腕部にアメリカインディアン史上最高の指導者として名高いジョセフ酋長の顔を彫っている。また、背中には羽を大きく広げたアステカ・イーグルのタトゥーを彫っており、スピリチュアルなタトゥーに守ってもらっていると説明。彼の場合は、良い意味で「ヤバいタトゥー」だと言われている。

“使い捨て”ファストファッション人気を支える、新・生産国の劣悪な労働環境

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 11月24日、バングラデシュの首都ダッカ郊外にある輸出向け衣類製造工場で火災が発生。工場内で働いていた貧困層の若い女性を中心に、120人以上が死亡する大惨事となった。  9階建ての工場内には、火災時の非常口が備えられていなかったという。火は地下から一気に広がり、犠牲者の多くは火の手から逃れようと、上層階から飛び降りて死亡したものとみられる。  この工場では、世界最大のスーパーマーケットチェーン「ウォルマート」やヨーロッパのアパレルチェーン「C&A」などに製品を納入していたことが明らかになっており、下請けに対して圧倒的な立場にある巨大クライアントの企業責任を問う声も上がっている。  人件費の安さから、中国に代わる世界の工場となりつつあるバングラディシュには、ファストファッションを中心に、世界のアパレル企業が生産や調達の拠点を構えている。日本企業としては、2010年にユニクロが進出している。  しかしその一方では、危険で劣悪な労働環境が問題視されている。バングラデシュ国内の輸出向け衣類製造工場では、06年以降、火災だけで700人以上もの労働者が死亡しているのだ。そんな危険な環境で働く彼らの最低賃金は、月収にして3500円ほどで、苦しい生活を強いられている。  今回の火災をきっかけに、国内では同じく衣類製造工場で働く工員らによる、労働環境と待遇の改善を求める抗議デモが散発している。労働者らによる反発を受け、繊維業者らによる業界団体は、火災犠牲者への補償を支払うことを決定。しかしその額は10万円ほどにすぎないという。  手ごろな価格で、使い捨て感覚で楽しまれることも多いファストファッション。消費者あっての雇用であることも確かだが、そうした低価格の裏には、劣悪な環境と待遇での労働を余儀なくされている貧しい人々がいることを知っておくべきだろう。 (文=牧野源)

妻の背後にも尾行の影――互いに浮気調査を繰り返していた夫婦

Photo by Sivaz from Flickr

 嫉妬、恨み、欲望、恐怖。探偵事務所を訪れる人間の多くがその感情に突き動かされているという。多くの女性の依頼を受けてきたべテラン探偵の鈴野氏が、現代の「女の暗部」を語る。

 探偵にとって必要な技術といえば尾行。尾行ができるかできないかで、探偵稼業が成り立つかが決まるといっても過言ではない。尾行のポイント、それは距離感の問題だ。住宅街ならば、対象者との間隔は30m程度離したい。もしも対象者が女性で、夜の尾行ならば、もう少し離さないと別の意味で怪しまれる。渋谷の交差点や新宿のアルタ前だったら、人が多すぎるので対象者の真後ろにぴったりつけている。混雑したところだとすぐに失尾してしまうからだ。素人が尾行する時にやりやすい失敗は、見つからないように気をつけすぎること。身を隠すんじゃなくて、周りに溶け込むのだ。その場その場の雰囲気に溶け込む。例えば、渋谷のセンター街でスーツを来ていたらすぐにばれる。丸の内でカジュアルだと逆に目立ってしまう。その点、車での尾行は意外にも目立たない。しかし道が狭かったり、混んでいたりすると、見失ってしまうこともある。

 今回の調査依頼は、浮気調査。夫が半年前から外で女と会っているのではないかという妻・明美さん(34歳)からの依頼だ。クルマのシートの隅からカチューシャが出てきたり、財布にレストランのレシートが入っていたという。物的証拠があれば浮気しているのは確実だ。

単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語

アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   ガンダム、キン肉マン、スーパーマリオといった人気キャラクターや、探偵、怪談、冒険など子ども心をくすぐるテーマで作られたボードゲームを、わずかB5サイズのボックスに凝縮した「パーティジョイ」シリーズを覚えている者は幸せである。心豊かであろうから……。  というわけで、今回振り返るのは、株式会社バンダイが80年代初頭から90年代初頭にかけて発売していたボードゲーム「パーティジョイ」シリーズだ。1000円というお手ごろな価格や、さまざまなテーマや題材をありとあらゆるアイデアでゲーム化した「パーティジョイ」シリーズは、およそ10年の歴史の中でなんと130タイトル以上も発売。ボードゲームのブランドとしては驚異的なロングランシリーズとして、僕たちを大いに楽しませてくれた。  今回はそんな「パーティジョイ」シリーズ初期から終焉まで、数多くのタイトルを制作していたひとりである野村紹夫氏に「パーティジョイ」の裏話を聞いてみた。 ■白熱のゲームを生み出した、「本気」の制作現場
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 野村氏がまず見せてくれた代表作は「キン肉マン」シリーズ。厚紙で実際にリングを組み立てて、その上でプレイヤーたちが火花を散らす……という「キン肉マン・ザ・ファイナル・ウォーズ」や、縦に伸びる立体的な盤面が特徴的な「キン肉マン・地獄のタイトルマッチ」など、単なるすごろくゲームと言い切ることのできない、原作のテイストを多分に盛り込みつつ、ビジュアル的に楽しく、何よりプレイヤー同士の熱い駆け引きを実現したタイトルばかりだ。  「パーティジョイ」シリーズの魅力といえばコレである。「パーティジョイ」シリーズには、原作のテイストを盤上に再現するべく、ただのすごろくに終わらない制作者の創意工夫と熱意がこれでもかとばかりに凝縮されていたのだ。そんな懐かしさと色あせないゲームの魅力に満ちた「パーティジョイ」シリーズに野村氏が関わるようになったのは、20番の頃からだそうだ。 「最初は参加していなかったので分からないのですが、シリーズ20番くらいから100番あたりまでは非常に盛り上がってましたね。売り上げも比較的良かったですし、バンダイの担当者の方も本気でしたから、中途半端なものを持っていったら『ふ~ん、こんなもんか』って鼻で笑われてしまうんです。その顔が見たくないからこっちも本気でやるという感じで、必死で作りましたね」
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 野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。 「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」  そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1~2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。 「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」  「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。 ■最大のライバル「ファミコン」の出現
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 野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。  当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。  その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。
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「ファミコンはファミコンだから面白いんです。ただマップを進んで敵がいたから倒しました、というボードゲームにしても面白くならない。だから、絶対に目を離せない恐怖に駆られるゲームを作りたかったんです。一晩中ファミコンをプレーして、鬼太郎の“怖い”ってなんだろうというのを考え抜いて、ゲームで出せる怖さを追求しました。そんなふうにボードゲームならではの面白さを出すために、題材とするファミコンゲームとは異なるテイストに変えさせてもらうこともありましたね」  ボードゲームを作る上でのこだわりとプライドが感じられる一方で、こんな言葉も飛び出した。 「ボードゲーム屋としては、そもそもファミコンに負けるっていうのは分かっていました。80年代半ば頃には、すでにボードゲームは時代遅れだったんです。そんな中でコンスタントにシリーズとして発売していたのはバンダイくらいで、ほかのメーカーはそんなに力を入れているわけではない。やっぱり紙ものってそんなに高級感もないし、いざとなったら自分でも作れるだろう、みたいな意識があったのか、バンダイ社内でもそんなに評価はされてなかったですね。むしろ、ファミコンにいつまで対抗できるかという勝負なところはありました。ただ、バンダイの歴代担当者にどれだけ情熱があったかはわかりませんが、我々は1本1本に誇りを持って作っていました」  そんな敗色濃厚な戦いに挑んだ野村氏をはじめとする「パーティジョイ」スタッフだが、シリーズはファミコン全盛期の80年代を生き抜き、スーパーファミコンの時代となった90年代初頭まで存続。結果的に次世代ゲームの時代まで孤軍奮闘し、ひっそりと終焉を迎えた。 「たぶん対抗できていたのは85~86年くらいまでではないですかね。ただ、ファミコンはひとり1台買えば楽しめましたけど、『パーティジョイ』は1個あれば最大4人遊べますから。そういう意味では、売れた個数「×4」でカウントすれば、いい勝負をしていたと思います(笑)」  そう野村氏は、激戦を戦い抜いた戦士のような穏やかな口調で語った。 ■「パーティジョイ」の終焉と、その後  ドンジャラやルーレットゲームなど、その他大勢のパーティゲームとは一線を画すブランドとして存続していた「パーティジョイ」だが、次第にこだわりを持つ関係者が減っていったことや市場の縮小、バンダイ側も含めた体制の変化もあり、シリーズは「すーっと終わっていった」そうだ。
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「ファミコンなんかのデジタルなゲームに押されるボードゲームの火を絶やさない、なんて意識もありましたけど、独りよがりですよね。実際、世の中にボードゲーム待望の空気はありませんでした。作っている僕らはボードゲームが好きだし、子どもたちからも『パーティジョイクラブを作りました』というお便りをもらったこともあるくらい手ごたえはあったのですが、だんだんそういう子たちも卒業していって、ファミコンで育った子達と世代交代して『パーティジョイ』なんか知らない子たちが増えて、やがて消えていくんだろうなと、そういう意識の中であがいてました」  そんなボードゲーム愛と確実に存在するユーザーへの思いを糧に、「パーティジョイ」を作り続けた野村氏だが、現在もボードゲームを追いかけているゲームファンから「当時遊んでいた」という声をもらうことがあるそうだ。
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野村紹夫氏
「当時僕たちがつけちゃった火が、まだくすぶっている人たちが多くいるんですよね。当時、他社は簡単なすごろくばっかりだったんです。でも、マスに止まったらそれっぽいことが書いてあるだけっていうのが、すごく嫌だったんです。『キン肉マン』のゲームならキン肉マンになりたいんであって、お話をマスでなぞりたいんじゃない。だから安易なすごろくは作らないと心に決めていました。ただ、周囲の一部から、子どもには難しいんじゃないかとか、もっと単純にしないと面白くないんじゃないかとは言われていましたね。そういう言葉に必死に抵抗していたのですが、今になって『やっぱりこだわってよかった』って思います。あれがただのすごろくだったら、今まで引っ張ってもらえなかったと思います。大人げないですけど(笑)」  野村氏を含むゲームデザイナーたちが、さまざまな相手と戦い生み出した数々の「パーティジョイ」の魂は、今も多くのゲームファンの心に焼き付いているのだ。  現在、大手玩具メーカー以外にもインディーズ系のメーカーや同人サークルからさまざまなタイトルが発表され、密かに盛り上がりつつある日本国内のボードゲームシーンだが、その源流はもしかしたら「パーティジョイ」にあるのかもしれない。  取材の終盤、今はボードゲーム制作からは遠ざかっている野村氏に、今後再びボードゲーム制作に挑戦する予定はないのかと尋ねてみた。 「自分も、またゲームを作ろうかなと思っています。去年から考えてはいるんですけど、仕事が忙しくて……。ただ頭の中ではアイデアを温めています」  この盛り上がりを知る野村氏も、ボードゲーム熱が再燃しつつあるようだ。その日を待ちながら、久しぶりに友達と顔を突き合わせて「パーティジョイ」でガチンコ勝負するのも一興かもしれない。 (文=有田シュン) 「バック・トゥ・ザ・80'S」過去記事はこちらから

単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語

アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   ガンダム、キン肉マン、スーパーマリオといった人気キャラクターや、探偵、怪談、冒険など子ども心をくすぐるテーマで作られたボードゲームを、わずかB5サイズのボックスに凝縮した「パーティジョイ」シリーズを覚えている者は幸せである。心豊かであろうから……。  というわけで、今回振り返るのは、株式会社バンダイが80年代初頭から90年代初頭にかけて発売していたボードゲーム「パーティジョイ」シリーズだ。1000円というお手ごろな価格や、さまざまなテーマや題材をありとあらゆるアイデアでゲーム化した「パーティジョイ」シリーズは、およそ10年の歴史の中でなんと130タイトル以上も発売。ボードゲームのブランドとしては驚異的なロングランシリーズとして、僕たちを大いに楽しませてくれた。  今回はそんな「パーティジョイ」シリーズ初期から終焉まで、数多くのタイトルを制作していたひとりである野村紹夫氏に「パーティジョイ」の裏話を聞いてみた。 ■白熱のゲームを生み出した、「本気」の制作現場
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 野村氏がまず見せてくれた代表作は「キン肉マン」シリーズ。厚紙で実際にリングを組み立てて、その上でプレイヤーたちが火花を散らす……という「キン肉マン・ザ・ファイナル・ウォーズ」や、縦に伸びる立体的な盤面が特徴的な「キン肉マン・地獄のタイトルマッチ」など、単なるすごろくゲームと言い切ることのできない、原作のテイストを多分に盛り込みつつ、ビジュアル的に楽しく、何よりプレイヤー同士の熱い駆け引きを実現したタイトルばかりだ。  「パーティジョイ」シリーズの魅力といえばコレである。「パーティジョイ」シリーズには、原作のテイストを盤上に再現するべく、ただのすごろくに終わらない制作者の創意工夫と熱意がこれでもかとばかりに凝縮されていたのだ。そんな懐かしさと色あせないゲームの魅力に満ちた「パーティジョイ」シリーズに野村氏が関わるようになったのは、20番の頃からだそうだ。 「最初は参加していなかったので分からないのですが、シリーズ20番くらいから100番あたりまでは非常に盛り上がってましたね。売り上げも比較的良かったですし、バンダイの担当者の方も本気でしたから、中途半端なものを持っていったら『ふ~ん、こんなもんか』って鼻で笑われてしまうんです。その顔が見たくないからこっちも本気でやるという感じで、必死で作りましたね」
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 野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。 「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」  そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1~2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。 「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」  「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。 ■最大のライバル「ファミコン」の出現
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 野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。  当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。  その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。
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「ファミコンはファミコンだから面白いんです。ただマップを進んで敵がいたから倒しました、というボードゲームにしても面白くならない。だから、絶対に目を離せない恐怖に駆られるゲームを作りたかったんです。一晩中ファミコンをプレーして、鬼太郎の“怖い”ってなんだろうというのを考え抜いて、ゲームで出せる怖さを追求しました。そんなふうにボードゲームならではの面白さを出すために、題材とするファミコンゲームとは異なるテイストに変えさせてもらうこともありましたね」  ボードゲームを作る上でのこだわりとプライドが感じられる一方で、こんな言葉も飛び出した。 「ボードゲーム屋としては、そもそもファミコンに負けるっていうのは分かっていました。80年代半ば頃には、すでにボードゲームは時代遅れだったんです。そんな中でコンスタントにシリーズとして発売していたのはバンダイくらいで、ほかのメーカーはそんなに力を入れているわけではない。やっぱり紙ものってそんなに高級感もないし、いざとなったら自分でも作れるだろう、みたいな意識があったのか、バンダイ社内でもそんなに評価はされてなかったですね。むしろ、ファミコンにいつまで対抗できるかという勝負なところはありました。ただ、バンダイの歴代担当者にどれだけ情熱があったかはわかりませんが、我々は1本1本に誇りを持って作っていました」  そんな敗色濃厚な戦いに挑んだ野村氏をはじめとする「パーティジョイ」スタッフだが、シリーズはファミコン全盛期の80年代を生き抜き、スーパーファミコンの時代となった90年代初頭まで存続。結果的に次世代ゲームの時代まで孤軍奮闘し、ひっそりと終焉を迎えた。 「たぶん対抗できていたのは85~86年くらいまでではないですかね。ただ、ファミコンはひとり1台買えば楽しめましたけど、『パーティジョイ』は1個あれば最大4人遊べますから。そういう意味では、売れた個数「×4」でカウントすれば、いい勝負をしていたと思います(笑)」  そう野村氏は、激戦を戦い抜いた戦士のような穏やかな口調で語った。 ■「パーティジョイ」の終焉と、その後  ドンジャラやルーレットゲームなど、その他大勢のパーティゲームとは一線を画すブランドとして存続していた「パーティジョイ」だが、次第にこだわりを持つ関係者が減っていったことや市場の縮小、バンダイ側も含めた体制の変化もあり、シリーズは「すーっと終わっていった」そうだ。
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「ファミコンなんかのデジタルなゲームに押されるボードゲームの火を絶やさない、なんて意識もありましたけど、独りよがりですよね。実際、世の中にボードゲーム待望の空気はありませんでした。作っている僕らはボードゲームが好きだし、子どもたちからも『パーティジョイクラブを作りました』というお便りをもらったこともあるくらい手ごたえはあったのですが、だんだんそういう子たちも卒業していって、ファミコンで育った子達と世代交代して『パーティジョイ』なんか知らない子たちが増えて、やがて消えていくんだろうなと、そういう意識の中であがいてました」  そんなボードゲーム愛と確実に存在するユーザーへの思いを糧に、「パーティジョイ」を作り続けた野村氏だが、現在もボードゲームを追いかけているゲームファンから「当時遊んでいた」という声をもらうことがあるそうだ。
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野村紹夫氏
「当時僕たちがつけちゃった火が、まだくすぶっている人たちが多くいるんですよね。当時、他社は簡単なすごろくばっかりだったんです。でも、マスに止まったらそれっぽいことが書いてあるだけっていうのが、すごく嫌だったんです。『キン肉マン』のゲームならキン肉マンになりたいんであって、お話をマスでなぞりたいんじゃない。だから安易なすごろくは作らないと心に決めていました。ただ、周囲の一部から、子どもには難しいんじゃないかとか、もっと単純にしないと面白くないんじゃないかとは言われていましたね。そういう言葉に必死に抵抗していたのですが、今になって『やっぱりこだわってよかった』って思います。あれがただのすごろくだったら、今まで引っ張ってもらえなかったと思います。大人げないですけど(笑)」  野村氏を含むゲームデザイナーたちが、さまざまな相手と戦い生み出した数々の「パーティジョイ」の魂は、今も多くのゲームファンの心に焼き付いているのだ。  現在、大手玩具メーカー以外にもインディーズ系のメーカーや同人サークルからさまざまなタイトルが発表され、密かに盛り上がりつつある日本国内のボードゲームシーンだが、その源流はもしかしたら「パーティジョイ」にあるのかもしれない。  取材の終盤、今はボードゲーム制作からは遠ざかっている野村氏に、今後再びボードゲーム制作に挑戦する予定はないのかと尋ねてみた。 「自分も、またゲームを作ろうかなと思っています。去年から考えてはいるんですけど、仕事が忙しくて……。ただ頭の中ではアイデアを温めています」  この盛り上がりを知る野村氏も、ボードゲーム熱が再燃しつつあるようだ。その日を待ちながら、久しぶりに友達と顔を突き合わせて「パーティジョイ」でガチンコ勝負するのも一興かもしれない。 (文=有田シュン) 「バック・トゥ・ザ・80'S」過去記事はこちらから