漢字で「海神」&ミススペル! セレブのヤバすぎるタトゥー

ミーガンの腕に、マリリンの亡霊のようなタトゥー

 アメリカも日本同様、保守的な人たちの間ではタトゥーはよくないとされているが、アーティストであるセレブたちは自己表現のためにタトゥーを入れることが多い。今回は、セレブたちが痛みをこらえて彫った個性的なタトゥーをご紹介したい。

アンソニー・キーディス(左右の上腕部にアメリカン・インディアンの伝説的人物)

 ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のボーカル、アンソニー・キーディスには、母方から受け継いだモヒカン族の血が流れている。アメリカン・インディアンの血を誇りに思うアンソニーは、右上腕部にハンクパパ族の戦士/呪術師のシッティング・ブル、左上腕部にアメリカインディアン史上最高の指導者として名高いジョセフ酋長の顔を彫っている。また、背中には羽を大きく広げたアステカ・イーグルのタトゥーを彫っており、スピリチュアルなタトゥーに守ってもらっていると説明。彼の場合は、良い意味で「ヤバいタトゥー」だと言われている。

“使い捨て”ファストファッション人気を支える、新・生産国の劣悪な労働環境

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 11月24日、バングラデシュの首都ダッカ郊外にある輸出向け衣類製造工場で火災が発生。工場内で働いていた貧困層の若い女性を中心に、120人以上が死亡する大惨事となった。  9階建ての工場内には、火災時の非常口が備えられていなかったという。火は地下から一気に広がり、犠牲者の多くは火の手から逃れようと、上層階から飛び降りて死亡したものとみられる。  この工場では、世界最大のスーパーマーケットチェーン「ウォルマート」やヨーロッパのアパレルチェーン「C&A」などに製品を納入していたことが明らかになっており、下請けに対して圧倒的な立場にある巨大クライアントの企業責任を問う声も上がっている。  人件費の安さから、中国に代わる世界の工場となりつつあるバングラディシュには、ファストファッションを中心に、世界のアパレル企業が生産や調達の拠点を構えている。日本企業としては、2010年にユニクロが進出している。  しかしその一方では、危険で劣悪な労働環境が問題視されている。バングラデシュ国内の輸出向け衣類製造工場では、06年以降、火災だけで700人以上もの労働者が死亡しているのだ。そんな危険な環境で働く彼らの最低賃金は、月収にして3500円ほどで、苦しい生活を強いられている。  今回の火災をきっかけに、国内では同じく衣類製造工場で働く工員らによる、労働環境と待遇の改善を求める抗議デモが散発している。労働者らによる反発を受け、繊維業者らによる業界団体は、火災犠牲者への補償を支払うことを決定。しかしその額は10万円ほどにすぎないという。  手ごろな価格で、使い捨て感覚で楽しまれることも多いファストファッション。消費者あっての雇用であることも確かだが、そうした低価格の裏には、劣悪な環境と待遇での労働を余儀なくされている貧しい人々がいることを知っておくべきだろう。 (文=牧野源)

妻の背後にも尾行の影――互いに浮気調査を繰り返していた夫婦

Photo by Sivaz from Flickr

 嫉妬、恨み、欲望、恐怖。探偵事務所を訪れる人間の多くがその感情に突き動かされているという。多くの女性の依頼を受けてきたべテラン探偵の鈴野氏が、現代の「女の暗部」を語る。

 探偵にとって必要な技術といえば尾行。尾行ができるかできないかで、探偵稼業が成り立つかが決まるといっても過言ではない。尾行のポイント、それは距離感の問題だ。住宅街ならば、対象者との間隔は30m程度離したい。もしも対象者が女性で、夜の尾行ならば、もう少し離さないと別の意味で怪しまれる。渋谷の交差点や新宿のアルタ前だったら、人が多すぎるので対象者の真後ろにぴったりつけている。混雑したところだとすぐに失尾してしまうからだ。素人が尾行する時にやりやすい失敗は、見つからないように気をつけすぎること。身を隠すんじゃなくて、周りに溶け込むのだ。その場その場の雰囲気に溶け込む。例えば、渋谷のセンター街でスーツを来ていたらすぐにばれる。丸の内でカジュアルだと逆に目立ってしまう。その点、車での尾行は意外にも目立たない。しかし道が狭かったり、混んでいたりすると、見失ってしまうこともある。

 今回の調査依頼は、浮気調査。夫が半年前から外で女と会っているのではないかという妻・明美さん(34歳)からの依頼だ。クルマのシートの隅からカチューシャが出てきたり、財布にレストランのレシートが入っていたという。物的証拠があれば浮気しているのは確実だ。

単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語

アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   ガンダム、キン肉マン、スーパーマリオといった人気キャラクターや、探偵、怪談、冒険など子ども心をくすぐるテーマで作られたボードゲームを、わずかB5サイズのボックスに凝縮した「パーティジョイ」シリーズを覚えている者は幸せである。心豊かであろうから……。  というわけで、今回振り返るのは、株式会社バンダイが80年代初頭から90年代初頭にかけて発売していたボードゲーム「パーティジョイ」シリーズだ。1000円というお手ごろな価格や、さまざまなテーマや題材をありとあらゆるアイデアでゲーム化した「パーティジョイ」シリーズは、およそ10年の歴史の中でなんと130タイトル以上も発売。ボードゲームのブランドとしては驚異的なロングランシリーズとして、僕たちを大いに楽しませてくれた。  今回はそんな「パーティジョイ」シリーズ初期から終焉まで、数多くのタイトルを制作していたひとりである野村紹夫氏に「パーティジョイ」の裏話を聞いてみた。 ■白熱のゲームを生み出した、「本気」の制作現場
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 野村氏がまず見せてくれた代表作は「キン肉マン」シリーズ。厚紙で実際にリングを組み立てて、その上でプレイヤーたちが火花を散らす……という「キン肉マン・ザ・ファイナル・ウォーズ」や、縦に伸びる立体的な盤面が特徴的な「キン肉マン・地獄のタイトルマッチ」など、単なるすごろくゲームと言い切ることのできない、原作のテイストを多分に盛り込みつつ、ビジュアル的に楽しく、何よりプレイヤー同士の熱い駆け引きを実現したタイトルばかりだ。  「パーティジョイ」シリーズの魅力といえばコレである。「パーティジョイ」シリーズには、原作のテイストを盤上に再現するべく、ただのすごろくに終わらない制作者の創意工夫と熱意がこれでもかとばかりに凝縮されていたのだ。そんな懐かしさと色あせないゲームの魅力に満ちた「パーティジョイ」シリーズに野村氏が関わるようになったのは、20番の頃からだそうだ。 「最初は参加していなかったので分からないのですが、シリーズ20番くらいから100番あたりまでは非常に盛り上がってましたね。売り上げも比較的良かったですし、バンダイの担当者の方も本気でしたから、中途半端なものを持っていったら『ふ~ん、こんなもんか』って鼻で笑われてしまうんです。その顔が見たくないからこっちも本気でやるという感じで、必死で作りましたね」
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 野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。 「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」  そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1~2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。 「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」  「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。 ■最大のライバル「ファミコン」の出現
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 野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。  当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。  その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。
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「ファミコンはファミコンだから面白いんです。ただマップを進んで敵がいたから倒しました、というボードゲームにしても面白くならない。だから、絶対に目を離せない恐怖に駆られるゲームを作りたかったんです。一晩中ファミコンをプレーして、鬼太郎の“怖い”ってなんだろうというのを考え抜いて、ゲームで出せる怖さを追求しました。そんなふうにボードゲームならではの面白さを出すために、題材とするファミコンゲームとは異なるテイストに変えさせてもらうこともありましたね」  ボードゲームを作る上でのこだわりとプライドが感じられる一方で、こんな言葉も飛び出した。 「ボードゲーム屋としては、そもそもファミコンに負けるっていうのは分かっていました。80年代半ば頃には、すでにボードゲームは時代遅れだったんです。そんな中でコンスタントにシリーズとして発売していたのはバンダイくらいで、ほかのメーカーはそんなに力を入れているわけではない。やっぱり紙ものってそんなに高級感もないし、いざとなったら自分でも作れるだろう、みたいな意識があったのか、バンダイ社内でもそんなに評価はされてなかったですね。むしろ、ファミコンにいつまで対抗できるかという勝負なところはありました。ただ、バンダイの歴代担当者にどれだけ情熱があったかはわかりませんが、我々は1本1本に誇りを持って作っていました」  そんな敗色濃厚な戦いに挑んだ野村氏をはじめとする「パーティジョイ」スタッフだが、シリーズはファミコン全盛期の80年代を生き抜き、スーパーファミコンの時代となった90年代初頭まで存続。結果的に次世代ゲームの時代まで孤軍奮闘し、ひっそりと終焉を迎えた。 「たぶん対抗できていたのは85~86年くらいまでではないですかね。ただ、ファミコンはひとり1台買えば楽しめましたけど、『パーティジョイ』は1個あれば最大4人遊べますから。そういう意味では、売れた個数「×4」でカウントすれば、いい勝負をしていたと思います(笑)」  そう野村氏は、激戦を戦い抜いた戦士のような穏やかな口調で語った。 ■「パーティジョイ」の終焉と、その後  ドンジャラやルーレットゲームなど、その他大勢のパーティゲームとは一線を画すブランドとして存続していた「パーティジョイ」だが、次第にこだわりを持つ関係者が減っていったことや市場の縮小、バンダイ側も含めた体制の変化もあり、シリーズは「すーっと終わっていった」そうだ。
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「ファミコンなんかのデジタルなゲームに押されるボードゲームの火を絶やさない、なんて意識もありましたけど、独りよがりですよね。実際、世の中にボードゲーム待望の空気はありませんでした。作っている僕らはボードゲームが好きだし、子どもたちからも『パーティジョイクラブを作りました』というお便りをもらったこともあるくらい手ごたえはあったのですが、だんだんそういう子たちも卒業していって、ファミコンで育った子達と世代交代して『パーティジョイ』なんか知らない子たちが増えて、やがて消えていくんだろうなと、そういう意識の中であがいてました」  そんなボードゲーム愛と確実に存在するユーザーへの思いを糧に、「パーティジョイ」を作り続けた野村氏だが、現在もボードゲームを追いかけているゲームファンから「当時遊んでいた」という声をもらうことがあるそうだ。
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野村紹夫氏
「当時僕たちがつけちゃった火が、まだくすぶっている人たちが多くいるんですよね。当時、他社は簡単なすごろくばっかりだったんです。でも、マスに止まったらそれっぽいことが書いてあるだけっていうのが、すごく嫌だったんです。『キン肉マン』のゲームならキン肉マンになりたいんであって、お話をマスでなぞりたいんじゃない。だから安易なすごろくは作らないと心に決めていました。ただ、周囲の一部から、子どもには難しいんじゃないかとか、もっと単純にしないと面白くないんじゃないかとは言われていましたね。そういう言葉に必死に抵抗していたのですが、今になって『やっぱりこだわってよかった』って思います。あれがただのすごろくだったら、今まで引っ張ってもらえなかったと思います。大人げないですけど(笑)」  野村氏を含むゲームデザイナーたちが、さまざまな相手と戦い生み出した数々の「パーティジョイ」の魂は、今も多くのゲームファンの心に焼き付いているのだ。  現在、大手玩具メーカー以外にもインディーズ系のメーカーや同人サークルからさまざまなタイトルが発表され、密かに盛り上がりつつある日本国内のボードゲームシーンだが、その源流はもしかしたら「パーティジョイ」にあるのかもしれない。  取材の終盤、今はボードゲーム制作からは遠ざかっている野村氏に、今後再びボードゲーム制作に挑戦する予定はないのかと尋ねてみた。 「自分も、またゲームを作ろうかなと思っています。去年から考えてはいるんですけど、仕事が忙しくて……。ただ頭の中ではアイデアを温めています」  この盛り上がりを知る野村氏も、ボードゲーム熱が再燃しつつあるようだ。その日を待ちながら、久しぶりに友達と顔を突き合わせて「パーティジョイ」でガチンコ勝負するのも一興かもしれない。 (文=有田シュン) 「バック・トゥ・ザ・80'S」過去記事はこちらから

単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語

アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   ガンダム、キン肉マン、スーパーマリオといった人気キャラクターや、探偵、怪談、冒険など子ども心をくすぐるテーマで作られたボードゲームを、わずかB5サイズのボックスに凝縮した「パーティジョイ」シリーズを覚えている者は幸せである。心豊かであろうから……。  というわけで、今回振り返るのは、株式会社バンダイが80年代初頭から90年代初頭にかけて発売していたボードゲーム「パーティジョイ」シリーズだ。1000円というお手ごろな価格や、さまざまなテーマや題材をありとあらゆるアイデアでゲーム化した「パーティジョイ」シリーズは、およそ10年の歴史の中でなんと130タイトル以上も発売。ボードゲームのブランドとしては驚異的なロングランシリーズとして、僕たちを大いに楽しませてくれた。  今回はそんな「パーティジョイ」シリーズ初期から終焉まで、数多くのタイトルを制作していたひとりである野村紹夫氏に「パーティジョイ」の裏話を聞いてみた。 ■白熱のゲームを生み出した、「本気」の制作現場
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 野村氏がまず見せてくれた代表作は「キン肉マン」シリーズ。厚紙で実際にリングを組み立てて、その上でプレイヤーたちが火花を散らす……という「キン肉マン・ザ・ファイナル・ウォーズ」や、縦に伸びる立体的な盤面が特徴的な「キン肉マン・地獄のタイトルマッチ」など、単なるすごろくゲームと言い切ることのできない、原作のテイストを多分に盛り込みつつ、ビジュアル的に楽しく、何よりプレイヤー同士の熱い駆け引きを実現したタイトルばかりだ。  「パーティジョイ」シリーズの魅力といえばコレである。「パーティジョイ」シリーズには、原作のテイストを盤上に再現するべく、ただのすごろくに終わらない制作者の創意工夫と熱意がこれでもかとばかりに凝縮されていたのだ。そんな懐かしさと色あせないゲームの魅力に満ちた「パーティジョイ」シリーズに野村氏が関わるようになったのは、20番の頃からだそうだ。 「最初は参加していなかったので分からないのですが、シリーズ20番くらいから100番あたりまでは非常に盛り上がってましたね。売り上げも比較的良かったですし、バンダイの担当者の方も本気でしたから、中途半端なものを持っていったら『ふ~ん、こんなもんか』って鼻で笑われてしまうんです。その顔が見たくないからこっちも本気でやるという感じで、必死で作りましたね」
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 野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。 「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」  そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1~2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。 「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」  「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。 ■最大のライバル「ファミコン」の出現
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 野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。  当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。  その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。
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「ファミコンはファミコンだから面白いんです。ただマップを進んで敵がいたから倒しました、というボードゲームにしても面白くならない。だから、絶対に目を離せない恐怖に駆られるゲームを作りたかったんです。一晩中ファミコンをプレーして、鬼太郎の“怖い”ってなんだろうというのを考え抜いて、ゲームで出せる怖さを追求しました。そんなふうにボードゲームならではの面白さを出すために、題材とするファミコンゲームとは異なるテイストに変えさせてもらうこともありましたね」  ボードゲームを作る上でのこだわりとプライドが感じられる一方で、こんな言葉も飛び出した。 「ボードゲーム屋としては、そもそもファミコンに負けるっていうのは分かっていました。80年代半ば頃には、すでにボードゲームは時代遅れだったんです。そんな中でコンスタントにシリーズとして発売していたのはバンダイくらいで、ほかのメーカーはそんなに力を入れているわけではない。やっぱり紙ものってそんなに高級感もないし、いざとなったら自分でも作れるだろう、みたいな意識があったのか、バンダイ社内でもそんなに評価はされてなかったですね。むしろ、ファミコンにいつまで対抗できるかという勝負なところはありました。ただ、バンダイの歴代担当者にどれだけ情熱があったかはわかりませんが、我々は1本1本に誇りを持って作っていました」  そんな敗色濃厚な戦いに挑んだ野村氏をはじめとする「パーティジョイ」スタッフだが、シリーズはファミコン全盛期の80年代を生き抜き、スーパーファミコンの時代となった90年代初頭まで存続。結果的に次世代ゲームの時代まで孤軍奮闘し、ひっそりと終焉を迎えた。 「たぶん対抗できていたのは85~86年くらいまでではないですかね。ただ、ファミコンはひとり1台買えば楽しめましたけど、『パーティジョイ』は1個あれば最大4人遊べますから。そういう意味では、売れた個数「×4」でカウントすれば、いい勝負をしていたと思います(笑)」  そう野村氏は、激戦を戦い抜いた戦士のような穏やかな口調で語った。 ■「パーティジョイ」の終焉と、その後  ドンジャラやルーレットゲームなど、その他大勢のパーティゲームとは一線を画すブランドとして存続していた「パーティジョイ」だが、次第にこだわりを持つ関係者が減っていったことや市場の縮小、バンダイ側も含めた体制の変化もあり、シリーズは「すーっと終わっていった」そうだ。
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「ファミコンなんかのデジタルなゲームに押されるボードゲームの火を絶やさない、なんて意識もありましたけど、独りよがりですよね。実際、世の中にボードゲーム待望の空気はありませんでした。作っている僕らはボードゲームが好きだし、子どもたちからも『パーティジョイクラブを作りました』というお便りをもらったこともあるくらい手ごたえはあったのですが、だんだんそういう子たちも卒業していって、ファミコンで育った子達と世代交代して『パーティジョイ』なんか知らない子たちが増えて、やがて消えていくんだろうなと、そういう意識の中であがいてました」  そんなボードゲーム愛と確実に存在するユーザーへの思いを糧に、「パーティジョイ」を作り続けた野村氏だが、現在もボードゲームを追いかけているゲームファンから「当時遊んでいた」という声をもらうことがあるそうだ。
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野村紹夫氏
「当時僕たちがつけちゃった火が、まだくすぶっている人たちが多くいるんですよね。当時、他社は簡単なすごろくばっかりだったんです。でも、マスに止まったらそれっぽいことが書いてあるだけっていうのが、すごく嫌だったんです。『キン肉マン』のゲームならキン肉マンになりたいんであって、お話をマスでなぞりたいんじゃない。だから安易なすごろくは作らないと心に決めていました。ただ、周囲の一部から、子どもには難しいんじゃないかとか、もっと単純にしないと面白くないんじゃないかとは言われていましたね。そういう言葉に必死に抵抗していたのですが、今になって『やっぱりこだわってよかった』って思います。あれがただのすごろくだったら、今まで引っ張ってもらえなかったと思います。大人げないですけど(笑)」  野村氏を含むゲームデザイナーたちが、さまざまな相手と戦い生み出した数々の「パーティジョイ」の魂は、今も多くのゲームファンの心に焼き付いているのだ。  現在、大手玩具メーカー以外にもインディーズ系のメーカーや同人サークルからさまざまなタイトルが発表され、密かに盛り上がりつつある日本国内のボードゲームシーンだが、その源流はもしかしたら「パーティジョイ」にあるのかもしれない。  取材の終盤、今はボードゲーム制作からは遠ざかっている野村氏に、今後再びボードゲーム制作に挑戦する予定はないのかと尋ねてみた。 「自分も、またゲームを作ろうかなと思っています。去年から考えてはいるんですけど、仕事が忙しくて……。ただ頭の中ではアイデアを温めています」  この盛り上がりを知る野村氏も、ボードゲーム熱が再燃しつつあるようだ。その日を待ちながら、久しぶりに友達と顔を突き合わせて「パーティジョイ」でガチンコ勝負するのも一興かもしれない。 (文=有田シュン) 「バック・トゥ・ザ・80'S」過去記事はこちらから

AKB48『リクエストアワー』への挑戦状 “知られざる神曲たち”ベスト20

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 “AKB48楽曲の総選挙”として、536曲ものAKB48関連楽曲(派生ユニット除く)からファンの投票によって人気楽曲上位100曲を4日間で披露するコンサート『リクエストアワーセットリストベスト100』。2008年から毎年1月後半に開催され、次回は13年1月24~27日に東京ドームシティで行われる。楽曲への投票は、シングル「UZA」封入の楽曲投票シリアルナンバーカードや、AKB48グループのモバイルサイトなどから可能で、11月30日午後3時まで受け付けている。  ファンの声が反映される年に一度のAKB48楽曲の祭典だが、上位に来る楽曲は主要メンバーの代表曲が毎年のようにランクインするのが定番となっている。その一方、AKB48のカップリング曲などには、わずか数回しかコンサートで披露されたことがない曲もあるのが実情だ。そんな状況に新風を吹き込むべく、評論家・本城零次がAKB48関連楽曲からシングルしか知らないような一般のファンには知名度が低い“知られざる神曲”ベスト20を独自にセレクト。独自の解説も交えつつ、紹介する。
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※AKB48“知られざる神曲”独自セレクトベスト20 1位 僕にできること/AKB48チームK アルバム『ここにいたこと』収録。「日本赤十字社・2011年赤十字運動月間CMソング」。  これぞ神曲。世界一ポップで優しいプロテストソング。「世界をひとつの家族にしようぜ!」というサビの歌詞が秀逸。外交政策、企業経営、対人関係、すべてのステークスホルダーとの正しい交渉術は「家族になること」。互いを家族だと思えば、傷つけ合うことなく補い合える。「争った国と微笑みの握手しようぜ!」「水も空気も借りてるだけ」という歌詞もいい。  とんねるずに「一番偉い人へ」を書いた秋元康氏だけに、AKB48にはプロテストソングが多くて、「愚かな戦争をニュースで見るより声が届くように私は歌おう」の歌詞が印象的な「誰かのために~What can I do for someone?」や、K6th公演の「夢の鐘」も反戦歌。「風は吹いている」を聞いた時に、曲調は違うけど、メッセージには、ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」を感じ、K3rd公演の「友よ」には岡林信康の「友よ」にも通じる世界観を見た。現在、劇場公演で「僕にできること」は歌われていないが、7月に全国ツアーの沖縄公演で歌っているのを見た時は、現地ならではの感動を覚えた。ぜひ海外公演でも歌ってほしい曲。 2位 ライダー/AKB48チームA AKB48チームA3rd「誰かのために」公演  AKB48活動初期、劇場の座席が並び順だった時代に常に1番に並んでいたファンがいた。その彼が劇場で倒れ、その数日後、亡くなってしまった。バイクが好きで「ライダー」と呼ばれていた彼へのレクイエムとして書かれたのがこの曲。その詳細は、『AKB48現象』と拙筆記事「AKB48黎明期を支えたファンの"夭逝" NMB48が歌い継ぐ「ライダー」誕生秘話」に詳しい。このユニット曲に参加していたメンバーは全員卒業してしまったが、NMB48が劇場公演で歌い継いでおり、今もA3rdリバイバル公演で披露。16ビートを全身で表現するような熱いパフォーマンスを見せている。「リクエストアワー」のランクインは08年と09年のみ。この曲の存在とその背景にあるエピソード、そして、応援する側、される側を超越した人間同士の絆と誠意について、より多くの人に知ってほしい……という純粋な気持ちです。 3位 なんでやねん、アイドル/NMB48   NMB48「オーマイガー!」劇場盤収録  NMB48のカップリング曲は趣向を凝らした曲が多いが、これはもう“問題作”。「ネエちゃん アイドルしてまっか?」で始まり、「アイドルも屁をこく」という歌詞まで出てくるぶっ飛んだ曲。木下春奈、門脇佳奈子の掛け合いはもうベテラン芸人の域ですよ。作曲・編曲は「野菜シスターズ」「チームB推し」の吉野貴雄氏と知って、納得がいった。 4位 パパは嫌い/SKE48紅組 SKE48「パレオはエメラルド」通常盤TYPE-B収録  10代少女の愛への枯渇、見守ってほしい気持ちと独りになりたい気持ちのアンバランスさを歌う。映画の予告編のようにドラマテイックなMVの「誰かのせいにはしない」、ゴシックな世界観の「なんで銀河は明るいのだろう」などのSKE48紅組と、「バズーカ砲発射!」などポップな曲が多い白組、それぞれ良曲揃い。 5位 ファンレター/AKB48チームK AKB48チームK5th公演
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 AKB48グループとはなんなのか? その根源がこの曲に集約されている。「あなたがいてくれたら」と並ぶ、メンバーとファンの人間的な交流の深さを描いたバラード。SKE48・須田亜香里はファンレターをまとめたノートを持ち歩き、大矢真那は「手紙は師匠」と語る。作曲も、クラシック出身のBOUNCEBACKだけに、ストリングスがせめぎあう珠玉のバラードだ。 6位 愛の数/SKE48チームKII SKE48「バンザイVenus」収録  SKE48チームKII初のオリジナル曲であり、偶然にも発売2日後に起きた東日本大震災へのエールとしても響いた人間愛に満ちた楽曲。当時、誰もが抱えていた孤独、寂寞、やりきれない気持ちをこの曲に救われたファンも多いはずだ。「アーティストは曲を選べない。曲がアーティストを選ぶ」という僕の持論があるが、結局のところ、人の心に届く曲は、作ろうと思って作れるものではない。曲は生き物で、いい曲ほど自分をより大切にしてくれる親のところを選んで生まれてくる。人間でも「親が子どもを育てるのではなく、子どもに親にしてもらう」と言われるように、曲がアーティストを育てる。そんなことを改めて、思わせてくれた曲。 7位 アンチ/AKB48チーム研究生 「Everyday、カチューシャ」劇場盤収録  AKB48のセンターに立つということは、自分以外のすべてのメンバーのファンをも納得させる存在でなければならない。「アンチが生まれてスターは育つ」と、期待しているがゆえのアンチの存在の大切さを歌う。人間関係でも愛の反対は無関心なので、ダメ出ししてくれる人は恩人だと考えたほうがいいのだろう。 8位 孤独のバレリーナ/SKE48チームKII SKE48チームKII3rdラムネの飲み方」公演  劇場公演のひとつの集大成。初めて生で見た時は、フォーメーションの美しさに感動した。プリマドンナの秦佐和子を軸に、16人がそれぞれ動き回りながらここまで見せるのは、相当な練習量とお互いの信頼関係がないとここまでの表現はできない。「ラムネの飲み方」公演は仕掛けが満載なので、見たことない人は絶対1度は生で見てほしい。 9位 愛の毛布/AKB48ひまわり組 AKB48ひまわり組2nd公演  「私たちにできることは手を繋ぐこと」と歌う、王道のカノンコードの心温まるバラード。公演ではメンバーがウェディングドレスで歌うという趣向も。Gロッソ公演以来、主要メンバーは歌っていないので、選抜メンバーで披露を。 10位 Pioneer/AKB48チームA チームA6th「目撃者」公演
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 「成功の前例」を伝えるために、観客が7人のころからのAKB48の歴史を描いたヘビーメタルナンバー。間奏では、エドワード・ヴァン・ヘイレンばりのライトハンド奏法も飛び出す。作曲・編曲は、野中“まさ”雄一氏。AKB48関連楽曲の編曲を120曲以上手掛け、作曲家としても「残念少女」「制服の芽」「思い出以上」「愛しさのアクセル」を手掛ける、AKB48サウンドに欠かせない人物だ。 11位 これからWonderland/AKB48 「Everyday、カチューシャ」収録  Earth Wind and Fireを彷彿させる、AKB48版ソウル・ディスコ。コンサートでも、西武ドームで1回しか披露されていないはず。作曲・編曲は井上ヨシマサ氏。「Everyday、カチューシャ」「RIVER」「大声ダイヤモンド」のヒットシングルから、「泣きながら微笑んで」「涙売りの少女」「花と散れ!」「命の使い道」「マンモス」「ドレミファ音痴」と、多彩な音楽性。秋元氏が最も自由に規制なく表現活動を行う場がAKB48で、その点に井上氏らが賛同し、縦横無尽のAKB48の音楽性が広がっている。 12位 1994年の雷鳴/AKB48チームサプライズ  チームサプライズの中でも、小嶋陽菜、篠田麻里子、高橋みなみ、板野友美、大島優子参加の豪華ユニット。校舎の中で雷鳴を聞きながら、高鳴り合う男女の「イタセクスアリス」を歌う。「イタセクスアリス」は森鴎外の著書「ヰタ・セクスアリス」(ラテン語で「性生活」の意)であり、1994年は渡辺麻友、島崎遥香ら次世代メンバーの生まれた年。その当時に起きた男女の「イタセクスアリス」によって、彼女たちの今があると解釈することもできそうだ。 13位 恋を語る詩人になれなくて…/SKE48チームS SKE48チームS3rd「制服の芽」公演  2009年10月からコートを着て踊り続けて、早3年。1曲目からクライマックスに達するダンスバトルは、今でもAKB48グループの貴重な財産。今年の「リクエストアワー」では、初日最後の76位にランクインし、AKB48ファンを騒然とさせるまでの白熱のパフォーマンスを見せた。念願の新劇場でのSKE48のパフォーマンスに期待。 14位 僕は待ってる/NMB48 NMB48「オーマイガー!」収録  さまざまなハプニングに揺れたNMB48を癒やしたバラード。どんな出来事も歌詞としてメンバーへのメッセージに昇華させるのが、プロデューサー手腕。「理不尽ボール」では兼任、再組閣についてエールを送った。 15位 ゼロサム太陽/AKB48チームK 「上からマリコ」Type-K収録  どキャッチーでありながら、哀愁を感じさせる俊龍氏作曲のナンバー。第4回総選挙でチームKのBGMとして流れたことでも有名。勝者の数だけ敗者もいる点は、ゼロサムのテーマと共通する。 16位 青春の稲妻/AKB48ひまわり組 ひまわり組2nd公演  制服で踊るヒップホップダンスというのがAKB48らしい。ソロダンスも必見。 17位 ゴンドラリフト/AKB48(アンダーガールズゆり組) 「風は吹いている」Type-B収録  窓拭きのアルバイトがゴンドラから見えた家族の温かさを歌ったバラード。「風は吹いている」以降のシングル収録曲にはライブで一度も披露されていない曲多し。 18位 最後の制服/AKB48 「桜の花びらたち2008」収録  「桜の花びらたち2008」収録の卒業ソング。当時は、前田敦子と小嶋陽菜がツートップだったことを示すように、二人がセンターで歌っている。 19位 やりたがり屋さん/SDN48 アンダーガールズ チームG SDN48「口説きながら麻布十番 duet with みの もんた」Type B収録  「アイヤイヤイ」の歌詞が艶かしい、SDN48の超クール&セクシーダンスナンバー。 20位 Innocence/SKE48チームS SKE48チームS2nd「手をつなぎながら」公演  「初めての夜」を歌った、16歳未満歌唱禁止の甘美な曲。イントロのサックスがその切なさを過剰なまでに煽る。HKT48では特別に15歳以上で解禁。歌うメンバーは変わっても、そこに息づく、精神は継承される。
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 アイドルソングから、人間の心情を深く掘り下げた楽曲まで、多種多様な楽曲を披露するAKB48グループ。ロック、R&B、ユーロビート、ラテン、ファンク、トランスなどさまざまな音楽に挑戦し、メンバーの表現力も磨いていっているのだ。次回の「リクエストアワー」を通じて、順位のみならず、各クリエイターが心血を注いで作り上げ、メンバーがパフォーマンスで表現するAKB48関連楽曲自体を改めて評価する機会となれば幸いだ。 (文=本城零次<http://ameblo.jp/iiwake-lazy/>)

ADいじめで仕事減の松居直美、一方で「NO」と言えない芸能人も問題に

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「秘そやかに華やかに」/テイチクエンタテイ
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 小林麻耶のブログ告白から、局内の「いじめ」が取り沙汰されているが、実際にテレビ局の各現場では、スタッフやタレントによるいじめが日常茶飯事と化しているという。こういったいじめが横行していること自体大問題だが、芸能界では、タレントがテレビ局スタッフをいじめるという行為は、「いじめた側にいつか大きな悪影響が出る」として、タブー視されている。

 タレントによるスタッフいじめといえば、国生さゆりのADいじめが有名だ。おニャン子クラブ時代の国生は、気に入らないことがあるとADに対して蹴りを入れたり、コップを投げつけたりと、やりたい放題だったという。しかし、ADたちが出世する時期になって、「国生とは仕事をしたくない」という声が各局から上がってしまい、国生は20代後半の時期は仕事が激減したと、自らの口で語っていた。

4位じゃダメなんだ! サイゾーウーマン for iPhoneに迫る緊張感

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 みなさ〜ん、サイゾーウーマンのアプリはもうゲットしましたか? おかげさまで一昨日に登場してから、現在ではニュースカテゴリで4位まで急☆上☆Showしています。しかし、アプリ界での大型デビューを狙っているサイゾーウーマン的には、4位じゃ物足りない! 昨夜も今朝も「YOUたちなんで1位じゃないの?」ってお偉いさんが言ってきて、デビュー曲で1位を獲れなかったSMAP兄さんの悔しさが初めてわかりました。

【選挙に行こう】街頭演説が示す民主&自民の明暗

11月16日の衆議院解散により、12月4日に公示され、12月16日に衆議院議員総選挙が実施される。

政権与党の民主党と最大野党の自民党、どっちが勝つのか、どうなるのかイマイチよくわからない人のために、それぞれの演説現場をリポート。

本物はここにいる

今月19日の深夜、関ジャニ∞村上信五とマツコ・デラックスの番組『月曜から夜ふかし』を見ていました。

「マツコが怒っている事を先回りして調査する件 PART7」というコーナーが始まり、「神奈川県で見つけたマツコが怒りそうなもの」というところで神奈川県の某探偵社が出てきました。

この探偵社は、県内外のあちこちに女性が何人も写った看板やポスターを出していますので、皆さんも一度は目にした事があるかもしれません。
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