熱で汗ばんだ肌がセクシー……風邪を引いたカレの看病をしてたら欲情しちゃった!

【作品名】『Sの鍵Mの鍵穴 情熱(ねつ)にうかされて…★』 【作者】夏生恒

【作品紹介】風邪で熱を出したフィアンセ・五十瀬さんの看病にきた私。汗をふいてあげてると、広い背中やなめらかな肌に欲情しちゃって……。「ものほしそうな瞳になってるぞ」なんてバレバレ。熱のせいで少し潤んだセクシーな瞳で見つめられると、素直に白状しちゃう!

【サイゾーウーマンリコメンド】現代を生きる女には時間がない! そんな現実に応えるように、この作品は、おセックスのみをさくっと7ページで描いています。歯みがきをしながら、明日のスケジュールを確認しながら、カップ焼きそばの湯切りをしながら、皆さんもぜひ「ながらでエロ」をお楽しみくださ~い☆

「出るか、ウルトラC!」幸福の科学『神秘の法』が予言する領土問題の行く末

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映画『神秘の法』公式サイトより
 尖閣諸島や竹島問題など近隣諸国による領土問題で、がぜん盛り上がりを見せる日本の国防論だが、もし中国が本気を出して日本の領土に侵入してきた場合、そして日本がチベットなどと同じように占領されてしまった場合、わが国はどのようになってしまうのだろうか?  そんな非常にセンシティブな話題にズバリと切り込み、最悪な事態をいかに回避すべきかを大胆にシミュレートした問題作が、先週末に公開されたばかりの映画『神秘の法』である。  経済的・軍事的な超大国となった東アジア共和国でクーデターが発生。軍部出身のタターガタ・キラーを皇帝とする 「帝国ゴドム」が、日本を侵略した後、占領。言論・信教の自由がなくなった日本において、主人公・獅子丸翔が世界平和を目指して帝国に戦いを挑む、というあらすじの本作は、宗教団体・幸福の科学の同名の教典を題材としたアニメーション映画だ。  冒頭に述べた通り、序盤で日本が東アジアの大国(公用語が中国語と設定されているあたり、どう考えても中華人民共和国を想定しているとしか思えない)に日本海側から侵攻されるという衝撃的なシーンが描かれる。以前なら「何をバカな」と苦笑してしまいそうな展開だが、尖閣諸島における衝突などかの国の強硬な対日政策を見た後だと、ある程度の説得力があるようにも思えなくもない。  これまでも『コードギアス』や『ギルティクラウン』などのSFアニメでも日本が他国に占領されてしまう様子が描かれてはいたが、序盤のリアルな作風と絵柄も相まってなかなかの迫力と緊迫感がフィルムから感じられるのだ。  ここは『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』などのガイナックス作品に参加したほか、『カウボーイビバップ』などのセットデザインを手がけた今掛勇監督ならではの見せ場といえるだろう。  とはいえ、本作はあくまでエンタテインメント作品である。物語はそこでは終わらず、中盤から怒涛の超展開が待ち構えている。日本の将来を憂う獅子丸翔が出雲で結跏趺坐を組んで瞑想をしていると、木花開耶姫(このはな さくやびめ)が姿を現し「翔はブッダとエル・カンターレ(幸福の科学の本尊)の生まれ変わりだと告げる。すると次のシーンでは、金星人がUFOに乗って登場。帝国ゴドムの黒幕は宇宙人だと明かすのだ。なんじゃそりゃ。ここで宇宙人のオーバーテクノロジー兵器で世界を侵略する帝国ゴドムの秘密を知った獅子丸翔は、国際秘密結社「ヘルメス・ウィングス」を率いて抵抗するようになるのだが、最終的にはタターガタ・キラーの手先である中華風ゾンビ兵軍団と、獅子丸翔が召喚するインド仏教の戦闘神や古代日本の兵士たちが激突。さらにタターガタ・キラーの化身である黒龍と日本を守るヤマタノオロチが空中大決戦を展開する。日中の英霊が激突する、さながら「スーパー神仏大戦」とでもいうべき一大スペクタクルが繰り広げられるのだ。  そしてクライマックスでは、愚かな争いを続ける人類に絶望した地球が怒って火山を爆発させるという、どこかのアニメソングの歌詞のような事態が発生。戦争と自然災害に襲われ大ピンチの日本! この状況を打破するために、我々は何をすればいいのか……!? そんな観客と登場人物の思いに応えて、獅子丸翔が出した救いの手段は、ぜひ劇場で確認してほしい。  ウルトラC級な発想の大転回であると同時に、誰がこの映画の総指揮者なのかを考えたら「そりゃそうだよな」と納得せざるを得ない超力技なオチはお見事であり、爆笑モノである。いや、きっとここは笑うべきじゃないんだろうけど。 「信仰や宗教は、教義からはじまるのではなく、その偉大な物語をつくり、それを信じて生きた人への共感と尊敬と愛からはじまる」  かつて五木寛之は著書『人生の目的』においてこのように語っていたが、まさしくこの言葉は本作の全てを表現しているといえるだろう。思えば日本の古代神話や聖書などにも、「なんでやねん!」とツッコミたくなるような超展開は少なくはない。だから『神秘の法』の超展開も何もおかしくはないのである。その人が体感した大きな物語を追体験し、その人の信じる物語を共有することで、我々は生きる目的と意味を見だすである。本作に当てはめると、さまざまな困難を乗り越え、最終的にいかにして教義が人々の間に広まっていったか。それをどこまでドラマティックに演出できるかが重要なのだ。そういう意味では、ドラマティックすぎるクライマックス。そしてエンディング映像は本作最大の見どころともいえる。  つまり、『神秘の法』はエンドマークが出るまで席を立つことのできない、最初から最後まで見どころ満載な映画ってことでいかがでしょうか。先生!

「芸能人大量投入の番宣番組が素人に負けた」『感謝祭』惨敗のTBS 秋の新番組も全滅の危機に!?

TBS公式HP
 TBSの低視聴率が末期的症状を呈している。9月29日に放送された『オールスター感謝祭 ’12秋』の視聴率が12.5%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、最低記録を更新してしまったのだ。同番組は1991年から毎年、番組改編期の春と秋の年2回生放送されてきたTBSの看板番組でもある。 「ピーク時には視聴率30%以上を記録したこともある、人気番組だったんですけどね。00年代に入ってから視聴率の低落傾向が続いているのですが、それでも15%を割ることはなかった。それが今年の春の放送で13.9%と初めて15%を割ったと思ったら、この秋でさらに記録更新ですからね。今のTBSを象徴していますよ」(テレビ情報誌編集者)  TBSにとって何よりも痛恨だったのが、裏番組の『痛快!ビッグダディ17・2週連続スペシャル前編』(テレビ朝日系)の視聴率を下回ったことだ。同ドラマの第1部(18時30分~19時放送)は9.1%と、『感謝祭』を下回ったが、第2部(19時~20時54分放送)では14.3%と、『感謝祭』に勝利したのだ。 「『感謝祭』には200名を超える芸能人が出演していますが、一方の『ビッグダディ』は素人が出演する“大家族モノ”と呼ばれるジャンルです。いってみれば、芸能人が大挙して出演した番組が素人ばかりの番組に負けてしまった格好です(笑)。これは、芸能人が素人に負けたというよりも、TBSの企画力や制作能力がテレ朝に劣っているということを図らずも露呈してしまったわけですから、TBSにとっては相当の屈辱ですよ」(同)  実際、『感謝祭』の内容も冴えず、出演者の爆笑問題・太田光が次長課長・河本準一に対して、「世間は許しても、片山さつきは許していないぞ!」と、生活保護不正受給疑惑について笑いを取ろうとしたものの、会場は静まり返った場面が一部ネット上で話題になった程度だった。  『感謝祭』は番組改変期に放送されるだけあって、新クールの番組宣伝も兼ねている。200人の出演者の中には、10月からのTBSの新番組に出演する芸能人も数多く含まれている。この夏、TBSのドラマの視聴率は低迷しており、上位10位内に同局のドラマは1つもなかった。今回の『感謝祭』の惨敗を見る限り、秋の新番組の視聴率も好転が見込めないようだ。

「Domani」の新語「ハブ女」、それはとても悲しい生き物……

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「Domani」2012年11月号(小学館)

 今月号の「Domani」、はじめに真面目な話を。今号には「味噌汁は“飲む”点滴です!」という美容・健康情報企画があります。味噌汁の効能とレシピが紹介されているのですが、問題は皮膚科医・内科医でテレビのコメンテーターの友利新医師による効能説明の箇所。「がん予防」「老化防止」「美白効果」「脳の新陳代謝UP」の後に書かれているのは「放射線障害の軽減」。詳細を見てみると、「原爆の後遺症調査の中に『味噌を食べていたので原爆後遺症が少なくて済んだという話が。味噌に含まれるジピコリン酸という物質に、放射性物質を排出する作用があるのだとか。チェルノブイリ原発事故の直後には、味噌の輸出量が2トンから14トンに急増したそう!」とオール伝聞口調で、かなり明るく書かれています。

 あの「3月11日」以降、被災した人と、それ以外の人の時間が流れる速度が異なることも仕方がないことだ思います。それにしても、「美白効果」「老化防止」と並列で「放射線障害の軽減」を語るべきなんでしょうか。友利医師は福島に行って、「味噌汁は美白と老化防止と放射線障害の軽減に効果があるようですよ!」と言えるんでしょうか。徒に過敏になることは不要ですが、社会的な問題であるはずの放射線問題を、実証もせずに医師の伝聞だけでお手軽に話題にした「Domani」の罪も軽くはないはずです。

<トピック>
◎味噌汁は“飲む”点滴です
◎連載「産む? 産まない? する? しない?」
◎大人の女には“つながり”がある! 『職場で、流行ってること』連絡網(つながり)BOOK

ゴシックな雰囲気に浸りたい! 黒髪の王と旅する超大作『賢者の石』

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 今回紹介する作品は、中世期を舞台にロマンスとミステリーが咲き乱れる超大作『賢者の石』(ぶんか社)。作者・秋乃茉莉の代表作は、ドラマ化もされたミステリー作品『霊感商法株式会社』(宙出版)や、全14巻のSFサスペンス作品『幻獣の星座』(秋田書店)、別名義では白泉社「LaLa」でも作品を発表していました。秋乃の魅力といえば、複雑に絡まり合う伏線や、ロマンティックなストーリー、絵柄の繊細さと色使いですよね。それらすべてが詰まった『賢者の石』は、現在13巻まで出ている話題作です。

震災後増殖した、“正義”を騙る浅はかな知識人や市民を疑え

 サイゾー新ニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けしちゃいます! ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) 朝日新聞凋落の戦犯をジャーナリズム大賞選考委員にした早稲田の見識 スパイ活動、特許…日本企業の技術情報が韓国企業にダダ漏れ!? ソニー、オリンパス争奪戦勝利で進出する医療事業の勝算は? ■特にオススメ記事はこちら! 震災後増殖した、“正義”を騙る浅はかな知識人や市民を疑え - Business Journal(10月7日)
『「フクシマ」論』刊行以降、注目の人物に。「週刊朝日」では
シリーズ企画「21世紀の神々」のひとりとして
紹介された。
 東日本大震災から1年半がたつ。そうした中、ただ一人で震災前から福島に作られた原発を通した戦後社会論を記述し続け、昨年6月出版した『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)により一躍脚光を浴びることになった開沼博氏。 『「フクシマ」論』については過去のインタビューを参考にしていただきたいが、開沼氏はその後も地道に福島に通い続け、現地の人々の声を聞き、さまざまな媒体で評論、エッセー、ルポを発表し、対談を行ってきた。それら震災後の活動をまとめたのが、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)だ。この本に託した思い、3.11以降の「日本の変わらなさ」などについて聞いた。 ――『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』、早速話題になっているようですね。朝日新聞(9月27日朝刊)でも論壇ページで取り上げられていました。丸善に行っても、いい場所に平積みになっていましたよ。 開沼博氏(以下、開沼) はい、ありがとうございます。おかげさまで、既に多くの人に手に取っていただいているようです。 ――今回の『フクシマの正義』は『「フクシマ」論』以来の単著ですね。この間の活動は、どのようなものでしたか? 開沼 昨年度は、共著・共編著など、複数の書籍を作るのに関わっていました。原発事故によって避難した方がどのような状況にあったのか、若手の社会学者の論文をまとめた『「原発避難」論』(明石書店)やワーキンググループのメンバーとして関わった、いわゆる民間事故調の報告書『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。あと、『地方の論理』(青土社)。これは前の福島県知事である佐藤栄佐久さんとの対話形式で、原発事故以前の福島が抱えた課題や、掲げられていた理念・政策をオーラルヒストリー的に聞き、まとめたものです。 ――『地方の論理』は、「今後の日本のあり方」を福島の歴史から掘り起こそうとするというのがテーマでしたね。 開沼 その通りです。佐藤栄佐久さんは今から10年ほど前、福島県知事在任中に原子力政策に疑問を呈する施策を打っていた。2000年代前半からすでに、日本社会と原発の抱える課題と真正面から向き合っていました。ただ、『地方の論理』では、あえて原発の話をしませんでした。それは、「原発」の話そのものよりも、「原発についての政治」の、今から見れば、妥当な判断の前提条件の話のほうが重要だからです。  地方の首長が「原発に疑問を呈すること」は、10年前には「突飛なこと」でした。しかし、震災後、その前提は大きく変わり、今となっては彼の判断は「予言的なこと」となりました。では、なぜ震災前にそのような思い切った判断をできたのか。その政治の背景には、いかなる社会的背景や個人的な思想があったのか、解き明かしたかったんです。 ――「古きをたずねて新しきを知る」的な……。 開沼 「福島のことを知ろう」とか言う人は腐るほどいるんですが、そこで目が向けられるのは「原発・放射線」に関することばかり。いやいや、「福島=原発・放射線」っていう認識で「福島のことを知ろう」とか言われても、それってここ1年のことにすぎないですから、と。っていうか他の地域にだって「原発・放射線」の問題はある。本当に解決すべき課題やその解決策の芽は、いくら「福島=原発・放射線」を掘っても、ごく一部しか出てこないんです。 ――『地方の論理』の中では「中央で流通する言葉」と「実際に福島で起こっていること」との間にギャップがあると書かれていますが、震災の前も後も、その状況には変化がないということですね。 開沼 そうです。じゃあ、そのギャップを埋めて、「実際に福島で起こっていること」に、いかに向き合っていくべきか考えようと。そこで、仮に「福島=震災間際までの状況」として、そこにあった「3.11なき福島の姿」を掘り出してみようというのが、ひとつのコンセプトです。  例えばそれは、開発主義から自然を生かした地域づくりへの転換、人口減少時代を見越した地域医療・福祉の再編、公的イベントを通したボランティアはじめ市民セクターの活用の追求など、ポスト「経済成長期」にある日本社会が抱える課題への極めて実践的な対応を生み出す、彼のある種の「保守思想」であり、明治以来の地域開発を支えてきた「中央の論理」による弊害を打ち消す「地方の論理」と呼べるものでした。  そして、その福島が震災前に行ってきた、さまざまな施策の背景にあった思想に迫ることで、ひとつの「理念型(モデル)」を洗い出すことを目指しました。その中にこそ、歴史的な災害の渦中に置かれた「福島」はもちろんですが、それ以上に、「日本全体」の今後の姿を構想する上で必要な指針が見えるからです。 ――福島のことを本当の意味で考えることが、日本の未来にもつながると。 開沼 『地方の論理』の中でも触れていますが、徹底的に過去の事実の記述にこだわりながら、状況を整理し、あるべき社会の姿を提示していくのが、いま学問にできることと思っています。その時点の政局や、お祭り騒ぎの世相に振り回されたり、あるいは上滑りした未来を語ってのぼせあがって、誰かを振り回そうとしたりすることではなく。 ――なるほど。震災後、学問や「知識人」への信頼が一気に失われた中、『地方の論理』に書かれたことでいうと、「学問に向かって『お前はただの過去でしかない』と叫べ」と語っているところですね。『「フクシマ」論』はあくまで震災前に書き終わっていたものであり、3.11以降の「フクシマ」の考え方のベースとなるものでした。一方、『地方の論理』は、一見地味な「福島の現代史・オーラルヒストリー」ですが、『「フクシマ」論』で固めたベースの先に、震災後の日本社会へのひとつの提言をしています。 開沼 前者は「学術論文」、後者は「対話本」と、形式としては全く違ったものですが、内容的にはこの2冊は、震災後「フクシマ」という世界的に勝手気ままに漂流し、さまざまな思惑を持って利用される表象をいかに捉えるべきか、それを捉えた時に現実の福島や日本社会の今後のあり方はいかにありうるのか考えていく素材としての、「基礎編」「応用編」ともいえるものだと考えています。 ●致命的な「専門家/非専門家の分断状況」 ――そして、いよいよ、『フクシマの正義』の刊行に至ったと。この本は、さらに実践的な問題意識のもとで書かれているように思います。「福島を守れ」とか「福島を見ろ」とかいう「『フクシマ』を騙る正義」の暴走や上滑りを捉えながら、福島や原発の問題にとどまらない、広く現代社会の抱える問題に迫っていく。今でも福島や原発に興味がある人にはもちろんですが、興味がない人、なくなった人にとっても重要な内容ですね。 開沼 そうですね。3.11以後に少なからぬ人が感じている不快感・違和感がいかなるところから生まれているか。震災後、原発について、経済成長について、メディアのあり方について等々、人によって立場の違いが浮き彫りになりましたが、どんな立場を取ろうとも、何らかの不満はある。では、その根底にあるメカニズムがなんなのか考えるヒントになればと思います。 ――『フクシマの正義』は、ご自身で書かれている通り「学術論文ではない」わけですね。かといって単純な「評論集」でもない。ジャーナリストが書くような本格的なルポが何本も入っていたり、ある種、社会学者の著作としては、アクロバティックな構成になっていると思います。簡単に、この書籍の形式について説明いただけますか? 開沼 3つのパートに分かれています。1つ目が「評論・エッセー」、2つ目が「ルポ」、3つ目が「対談集」です。いずれも、震災直後からこれまで、私がさまざまな場所で書いたり話したりしてきた文章で、それを再構成したものです。まず、このような体裁を取った一番大きな理由は、「わかりやすくしたかった」からです。もう少し細かくいうと、現在、社会に存在する、「事態がいかにあるのか」「いかにそれを認識すべきか」という、ある種の存在論・認識論的なレベルでの溝を埋めていく、「ブリッジ」していく議論が必要だと思ったからです。 『「フクシマ」論』について頂いた感想には「学術論文を読み慣れないから、わかりにくい」というものが最も多かったんですが、その一方でアマゾンレビューと「フクシマ論 感想」とか「フクシマ論 批判」とかで検索して上位に出てきたブログしか読んでいないことがバレバレの感想や、そもそもそれすら読んでいないであろう思い込みなど、大体同じようなパターンの話を至るところで聞かされました。肯定的であるにせよ、否定的であるにせよ、です。 ――修士論文がベースにあり、400ページ超の大作。読むのに根気がいる本であるのは確かですよね。 開沼 ところが、研究者、人文書系などの編集者、ジャーナリズムに携わる方など、『「フクシマ」論』といろんな面で接点を持つジャンルの文章を読み慣れている方からの感想は、むしろ逆が多かったんです。「こんな一般書みたいに、シンプルでスラスラ読める論文はなかなかない」、(実際はほとんどしていないが)「読みやすいように、だいぶ加筆修正したんですか?」という反応が多かったりもしました。それは、単に私がうまくも下手でもない、オーソドックスな書き方をしているからなわけですが。 ――その感想もわかります。 開沼 で、ここに現れるような、広い意味での専門家/非専門家の分断状況、それが生み出す非専門家の「私は・俺はわかった幻想」と専門家の「こんなことわかって当然だろ前提」こそが、まさに現在の混乱の背景にあるように私は思っています。非専門家は「わからない」のだけれども、専門家らしき人が「安全だ」と言っているのを信じて、安心する。あるいは逆に、「危険だ」と言っている人を信じて、バラバラになりそうな不安な気持ちをひとつの方向に向けて気分を落ち着ける。普段高度な専門家の間でされている話が、非専門家にはわからないのは当然のことです。にもかかわらず、非専門家が「わからない」と言わずに、「私は・俺はわかった」かのように語り合う状況がある。  本来「わからないけれども、私はこのようなところまでは考えている」と言明すべきところを、無理に「わからないけれども」を飛ばしてしまうことで、「私はこう考えている。それにそぐわぬ議論はすべて受け付けない」と強弁するような状況ができている。  その背景に無意識的にある言葉を補えば、「(わからないけど、あの人がこう考えているから)私はこう考えている(ことにしておく)。それにそぐわぬ議論はすべて受け付けない」というような危うい認識であるのにもかかわらず。現代が情報技術の発展によって、例えばアマゾンレビューを見て、ググって、あるいはツイッターでリツイートして、「知ったかぶり」をすることが容易な社会になっていることも一つ背景にあるでしょう。 ――確かにそうした傾向は、さまざまな議論に見られるようになったと思います。 開沼 誤解を避けたいのは、「わからない」非専門家は何も語ってはいけない、考えてはいけない、という話では全くありません。言いたいのはむしろ逆。専門家と非専門家が語る「ブリッジ」が必要な状況を意識し、専門家も非専門家も双方で「ブリッジ」を構築する努力、そのためのコミュニケーションを常に志向し続ける必要があるということです。  現状は、そのような志向とは逆の方向に向かっている。そのような「わからないけども」を飛ばしてしまう中で「自分は正しい」という主張が飛び交う構造は、非専門家が自らの思考停止に開き直る方便を生み続けるし、専門家が「もうこんなの相手にしてらんないわ」とうんざりして、その議論にコミットすることをあきらめる結果を作り続ける。 ――そのような膠着状態を崩すために「わかりやすくしたかった」ということですね。確かに『フクシマの正義』はわかりやすいと思います。 開沼 「わかりやすくしたかった」という意味は2つあって、ひとつは単純に普段「学術」的な文章や「論壇」的な文章を読み慣れていない方にも読んでいただけるような言葉や(エッセイ・ルポ・対談という)形式で書いた原稿を集めたということ、もうひとつは、こちらが本書の意図そのものですが、複雑でどのように扱っていいかわからないさまざまな問題を「なるほど、こう考えればいいのか」「こう見れば、混乱の理由がわかる」と理解するツールを提供したかったということです。 ――確かに、最初の「評論・エッセー」のパートだけでなく、それを読んだ上で「ルポ」「対談集」を読むと、『「フクシマ」論』の背景やそれをどう理解するか、あるいは3・11後の社会を考える上で、その思考の枠組みをいかに使っていくか、より立体的に見えてきます。では、これもあとがきに書かれていましたが、なぜ『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』というタイトルになったのか、簡単に教えてもらえますか? 開沼 メインタイトルの「フクシマの正義」の部分については、先ほどおっしゃっていただいた通り、「フクシマ」を語ったり、騙ったりしながら声高に唱えられる「正義」とされるものの不確かさや暴走っぷりを問うということが、本書をつらぬくひとつの筋になるのではないかということ。これは、原稿を並べ替えて整えて、すべてを通して読んだ上で考えた後付けです。  あと、「「日本の変わらなさ」との闘い」の部分について。これは、あとがきにも書いていない話をしましょう。これ、本が刷り上がってきてから気づいたことなんですがね。  例えば、ここ1カ月ほどの間に出た本のタイトルを挙げてみましょう。湯浅誠さんの本が、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)というタイトルなんですね。與那覇潤さんと池田信夫さんの本は、『「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人』(PHP研究所)。小熊英二さんの本は『社会を変えるには』(講談社)という。他にも細かくはあるんですが、とりあえずこれだけにしましょう。  これらのタイトルには、「日本社会」と、それが「変わる/変わらない」という2つの要素が共通して入っている。「変わらぬ日本社会」ブームみたいなものが、そこにはあるらしい。つまり、震災を経てすら変わらない日本への疑問、不満感、やりきれなさみたいなものが……大衆的なレベルでもそうだし、知識人のレベルでも、大きな無意識としてたまっているように見えるわけです。  で、当然「「日本の変わらなさ」との闘い」っていうタイトルも、同じものとして考えられるっぽい。これを決めるとき、編集者の方と侃々諤々、議論したんですが、偶然にも、最終的に「日本の変わらなさ」がタイトルに入った。 『「フクシマ」論』の表紙にも書いているんですが、私は「3.11を経ても、社会の根底にあるものは何も変わっていない」という旨を、震災直後から1年通して言い続けてきました。最初は「もうこんな大変なことがあったんだから、変わるに決まっているじゃないか、なに言ってんだこいつは」というリアクションばかりでした。1年たってみたら「どうやら、あんだけのことあったけど、全然変わっていないよね」という感覚が無意識的にであるにせよ醸成されているらしい。じゃあ、「それはなんで? どうすればいいの?」という問いにどう向き合うか。そのやり方はいろいろあるけれども、私は、「フクシマ」を語る・騙る「正義」とされているらしいものの在りどころを考えながら、そこに向き合いたい。それがタイトルに込められた意味です。 ――「変わらぬ日本社会」ブームは確かにそうですね。タイトルを決める時というのは「言葉にできていないけど、みんな思っていることを言い当ててやろう」というところがありますしね。そして、『フクシマの正義』の中では、地方と中央の関係や支配のまなざしといった『「フクシマ」論』で描いたような、ある意味で地方を犠牲にして戦後日本が成長してきたというテーマを考察するコンセプトを呼び出しながら、新たな視点からの議論が深められていきます。 開沼 そうですね。今でこそ、「原発については前から関心があり、問題意識を高く持っていた」かのような顔をする人が多いかもしれませんが、事実として3.11以前に福島に原発があり、そこから東京へ電力が送られていることすら知らなかった人が大多数でした。そうした人々が少しでも、例えばいま出していただいたようなある種の存在論・認識論的なレベルでの理解のフレームワークに触れて、「社会の変わらなさ」を考え、議論するきっかけにしていただければと思います。 ●脱原発は本当に加速しているのか? ――現状の東京の人々の様子を見ていると、3.11以降出てきた、脱原発運動に励む人や、子どもに放射能の影響が及ばないようにと熱心に情報収集をする親御さんたちがいる一方、ニュースや大方の人の普段の会話の中に、原発事故や震災についての話題が出てくることはほとんどなくなっていて、すでに3.11が忘れられてきているという印象があります。開沼さんは『「フクシマ」論』の中で、「時が経てば原発の問題は忘れられてしまう」と書かれていましたが、現時点でのこのような状況は予想されていたことでしょうか? 開沼 予想する仕事をしているわけではないですが、予想通りです。予想通りという意味では、先ほども少し触れたように、震災直後は「今回の震災を機に、人々の価値観などが変わる」と興奮しながら盛んに主張する、中央の「知識人」が沸き上がっていましたが、結局はテンションが上がっちゃったがゆえの一時的なノリだったことが露呈してしまったのも予想通りです。『フクシマの正義』に書いたエピソードで言えば、とある中央の知識人が、震災直後、「原発は重厚長大型のプラント産業だから、完全に衰退期にあり、この事故を機に世界的に脱原発の動きが広まるだろう」と「世界の未来を大胆予想」していたのを見ました。  しかし、中国、インドはじめ多くの新興国は、3.11を経ても原発新設姿勢を崩さないどころか、むしろ加速しているように見えるところすらある。先進国を見ても、「独・伊は脱原発じゃないか」とやたら持ち上げる傾向もありますが、ほかではそんな動きはほとんどない。米国ではスリーマイル島事故によって凍結されていた原発新設許可が34年ぶりに出てすらいる。そういった知識人のもつ「こうあるべき」という理想・理念と、「こうである」という現実を区別できない幼稚さ、浅はかさ自体は震災前からあったものなんでしょうが、震災後もそれは是正されず、その一方で3.11の忘却が進んでいる。まず、たいして勉強もせず、調査もしていないのに「こうあるべき」と言う前に、「こうである」という事実を見る必要がある。 ――その姿勢は『フクシマの正義』の中でも一貫していますね。そして、「こうあるべき」という理想・理念を語りたいロマンチストからは、「現状を肯定するのか」とか因縁を付けられると。 開沼 そうですね。別に、今の状況を肯定したいわけではありませんが、「こうあるべき」がないと不安で仕方ない、必死すぎる人が「知識人」にもそうでない人にも多い。「橋下徹現象」的なカリスマ待望論と「脱原発のうねり」や「在日外国人の特権を許さない」的な巨悪でっち上げ論は、同じ「こうあるべき切望」の表裏にある。いずれも圧倒的な「こうあるべき」を打ち立てる上での媒介的表象を求めているわけです。  冒頭の話に戻りますが、よくわかりもしない状態で「こうあるべき」も何も言えない。よくわかりもしないのに「CO2削減に役立つエコなエネルギーとして原子力があるべき」と言われて「へー、なんか良い感じだね」と受け入れた結果が現状なのにもかかわらず、です。「こうあるべき」を無理に出そうとするから、議論に無理が生じる。例えば、事実として「こうである」ということと、理念として「こうであるべき」と思うことを混同し始める。そのことにより、見失うものや不可能になるコミュニケーションの大きさを自覚すべきです。 ――いまも週の半分以上は福島やさまざまな現場に通い、一方で文章を発表したり講演をしたりしながらさまざまな人々の声を聞いている開沼さん自身が、『フクシマの正義』の出版に当たり率直に感じていることを最後にお聞かせください。 開沼 講演したりしながら印象に残るのは、不安に満ちた「じゃあ、どうすればいいんですか、教えてください!」という声の多さ。「てめぇで考えろ」としか思わない。いや、「どうすればいいのか考えよう」というのはまっとうな話ですが、何のためらいもなくそう聞いてくるような人ほど、その答えを自分の中からひねり出そうと努力していない。ろくに調べてないし、本も読んできていない。そんなことばかりしているから、頭いい人にうまいこと言いくるめられておいしくない思いすることになる。それでまた「自分は被害者だー」とか騒ぎながら、また言いくるめられて、おいしくない思いをして……というループに陥る。現状において、「フクシマ」や「日本の未来」について「こうであるべき」と一概に言い切ることは誰にもできない。言い切っている人がいたらペテン師です。  本書のタイトルに引き付けながら、より具体的に言えば、「正義」を騙る者がいたら疑う必要がある。社会は誰かが脳内ででっち上げた、一面的な「正義」で変わるほど単純なものではない。むしろ、その「正義」こそが「社会の変わらなさ」の原因をより強固にしていっているのかもしれない。  絶対的な「正義」や「社会の変え方」などない。社会の現実の重層性・多様性を常に認識し、そのあり方を捉える努力をしなければ、必ず何かを見落としてしまいます。その問題について学ぶ気がないのならば、中途半端にその問題に関わるのはやめたらいい。「自分は世界を見渡し、すべてを相対化している」と勘違いし、例えば、したり顔で5分に1回はツイッターで「天下国家」を憂いながら呟いちゃうような評論家ワナビー生活は、不安から目をそらせるから楽しくて気持ちが良いかもしれません。  しかし、そんなことする前に、そして「社会を変えたい」という前に、やれることは腐るほどある。自分の中にある不安をこそ見つめ直さないと、仮に「原発が世界から消え」ても、「在日外国人を叩きだし」ても、「民主党政権が、野田内閣がつぶれ」ても、「維新の会が政権奪取し」ても、「日本が再度経済成長を始め」ても、自分自身は幸せにはならない。どころか、むしろ、自分の不安から目をそらすための「道具」がなくなったがゆえに、新たな「道具」を見つけるまで、より不幸になるんです。  私は今後も、ある面で人類が経験したことのない特異な社会現象が生じている3.11以後の状況を前に、淡々と学び、言葉にしていく仕事を続けていきたいと思っています。それは日本の戦後社会や近代化そのものを考えることにもつながります。原発問題に限らず、現代社会が抱える困難な問題を考えていきたいです。 (構成=本多カツヒロ) ■おすすめ記事 朝日新聞凋落の戦犯をジャーナリズム大賞選考委員にした早稲田の見識 スパイ活動、特許…日本企業の技術情報が韓国企業にダダ漏れ!? 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「1か月の短期決戦」田口淳之介が語る、大人の恋愛の極意

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【ジャニーズ研究会より】

 「Wink up」11月号、まずはSexy Zoneの対談から見ていきましょう。結成発表から早くも1年が過ぎ、メンバーの間に不文律が共有されてきたようです。そんな彼らがSexy Zoneあるあるを紹介しているのですが、出だしからマリウス葉が「はい、質問! 『あるある』って何?」とかわいさアピールで始まっています。それに対する佐藤勝利の答えが「“ありがちなこと”“よくある出来事”っていう意味だよ。わかりやすく言うと、マリウスがちょっとしたことですぐスネちゃうってこと(笑)」とかわいさアピールに乗っかった、かわいい答え! 佐藤はこの1年でインタビュースキルを確実に上げましたね。

 Sexy Zoneあるあるは「マリウスと(松島)聡が言い合いになる」という話から、グループ内でのケンカの話に。そこで中島が、

「やっとR指定に出られた」“悪人”西田敏行が語る、北野映画と正義の秤

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 2010年公開の北野武監督作品『アウトレイジ』は、容赦のない暴力描写と端役に至るまでの細かな人間描写、そしてそれを演じる俳優陣の豪華さもさることながら、ヤクザ同士の権力争いを乾いたトーンで描き、ヒット作となった。あれから2年。生き残った人物たちのその後を描く形での続編『アウトレイジ ビヨンド』が、まもなく公開される。ストーリー展開も暴力描写も、すべてがパワーアップし、出演する俳優たちもそれぞれが映画の主役を張れるほどの実力者ばかり。一瞬も見逃すことができない傑作エンタテインメントだ。  前作では、関東を牛耳る巨大組織・山王会内部の熾烈なトップ抗争劇が描かれて終わったが、今作では、関東のみならず日本の政治にも口を出すようになった山王会を潰すため、警察が動きだす。山王会に対抗できる組織として登場するのが、関西を代表する暴力団の花菱会。その若頭になんと、国民的俳優の西田敏行がキャスティングされた。笑顔が何より似合うあの人から、泣く子も黙るほどの脅し文句が放たれる日が来るとは、誰が想像しただろう。撮影前も後も興奮しっぱなしだったというご本人にインタビューを敢行した。インタビューでの語り口からはいつもの優しさがあふれていたので、ご安心を。 ――西田さんがこの作品に出ると聞いた時点で驚きましたし、見終わった後もまだ信じられない気分でした。しかし、西田さんは北野作品への出演を熱望されていたそうですね。 西田敏行(以下、西田) 前作の『アウトレイジ』を見て、俺もあそこにいなくちゃおかしいんじゃないかなって思ったんですよ(笑)。なので、北野監督に会ったときに、パート2を作る予定はあるかどうか尋ねたんです。「もし作るのであれば、ぜひ私も参加したいんです」って意思表示をして。 ――もちろんヤクザ役で、と? 西田 ええ(笑)。「いいんですか? やるんですか?」って何度か念を押されましたけど。「大丈夫です」って。 ――ここ数年、西田さんが悪役を演じているイメージがありません。 _MG_0112_1.jpg 西田 そうですね。映画においては以前、『寒椿』(降旗康男監督)という作品で女衒の役をやりましたけど、ずいぶんたってますし。それからはずっと、文科省大好きみたいな映画が多かった中で、やっとR指定に出られた。文科省的映画での僕の演技が好きな方にとってはちょっと、軽い裏切り行為になるかもしれないですけどねぇ(笑)。 ――関西ヤクザの役作りは、どのように? 西田 役者としてシンプルにやりました。男優だったら誰もが一度はやってみたいのが、こういう無法者。演技だから何をやっても大丈夫ですし。インモラルな世界に身を置いてみたとき、自分はどんなふうに生きるのか、どんな顔になるのか、どういう野郎になっていくんだろうみたいな客観的な好奇心は、きっとありますから。弱肉強食、法も何もない。守ってくれるのは拳銃と、自分の根性と言葉でしかない。そんなスレスレのところで生きている人たちの心に触れてみたいと思っていました。 ――北野監督からは、どのような演出があったんですか? 西田 ほとんど「ご自由にやってください」でした。アドリブも自由です、とまで言われたんだけど、そう言われると固まっちゃうものなんですよ。人間は不思議なもので、逆に「台本通りに」って言われると、かえってレギュレーションから外れたくなる。人間って、みんなそうなんじゃないかな。そういう心理を、うまいこと監督は引き立ててくれたというかね。逆に監督の思うつぼだったのかもしれないと、今になって思いますね。 ――西田さんと、同じく花菱会の塩見三省さんによる恫喝シーンが本当に恐ろしくて(笑)。 西田 塩見とは兄弟分の役ですからね。おっそろしい顔してますよねぇ、ホントにね(笑)。あれと兄弟だと思うとね……(泣く)。 ――確かにドスをきかせた塩見さんの顔は、正直かなり震え上がりました。 西田 すごかったですよねぇ。撮影終わってから、彼とふたりでしみじみと「いや楽しかったなぁ!」「ふたりとも結構ワルやなぁ」って悦に入ってましたから(笑)。 ――緊迫したシーンだったので、撮影後はどんな気分だったのだろうと気になりました。 西田 もうね、全部の毒を吐いちゃったみたいな感じ。スッキリするんですよ。ずっと続いていた高熱が下がったときの、新しい人生が来たような気分……ま、そんな大げさなものじゃないか(笑)。とにかく爽快感がありましたよね。塩見くんとは離れがたい友情が芽生えましたよ(笑)。 _MG_0114_1.jpg ――しかも西田さんが演じた花菱会若頭の西野は、最初はそこそこ穏やかそうに見えて、キレたときが本当に怖いという。 西田 ジョー・ペシみたいな芝居をしたいなと、いつも思ってるんですよね。急に怖くなる彼のあの感じを出したくて、どこかでそれを意識してましたね。 ――ほかに印象深いセリフやシーンはありますか? 西田 僕が、(北野)監督演じる大友に対して、「コラァ、腐れ外道!」ってアドリブで言ったんです。それをとても監督が気に入ってくれて。「そうなんです、外道なんですよ。道から外れてるんですよ」って。道から外れるってどういうことなのか、みんなも考えてみてほしいなって思います。中国での反日デモで、強奪したり破壊したりすることにひとつのカタルシスを覚えている人たちも、一部見受けられましたよね。日本でも60~70年代に若者たちがヘルメットをつけて社会を破壊し続けましたけど、その破壊はどういうことだったのかを考えてほしい。その頃の僕らはちょうど、深作欣二監督の『仁義なき戦い』や高倉健さんの任侠映画を見ていたんです。学生闘争の時代にあれを見て、なんともしれない気持ちになって、思わず拍手をしたんですよね。健さんが悪い親分を斬りつけると、客席みんながワーッと拍手する。今は、あの感じと似た時代なのかなって思います。 ――なるほど。そしてこの作品は、現代版『仁義なき戦い』でもあると。 西田 現代の『仁義なき戦い』と呼ばれることを監督はよしとしないかもしれないけど、時代は巡ってるなと。今若い人たちが欲している映画のひとつじゃないかなって思います。僕らも当時、そういう映画に飢えてましたから。見終わってスカッとする映画ですからね。 ――この映画は前作に続き、「全員悪人」というキャッチコピーが印象的です。西田さんは、悪人とはどういう人を指すと思いますか? 西田 日本人らしい心理なんでしょうか、死んでしまうと善人に思えてしまう(笑)。この中で本当に悪いのは、生き残った奴らなのかもしれないですね。世間の良識の中で生きていても、「あいつ悪いな」って思う奴っていますもんね。ものすごく社会的地位もある人で、「でもあいつワルだよなぁ」みたいなのとか。 ――いかにも悪いことをしていそうというか。 西田 映画での彼らは、ワルをワルとして演じているというか。自分の感情を、生き物としての本能を、素直にさらけ出して生きている人たちですから。それに対して、人間の知恵やモラルとかでルールや法律を作った形が、実際の町だったり県であったり国であったりするわけでしょ。国同士のやりとりも、こういう組織同士のやりとりとあまり変わらない。国単位でいうところの国益は、「それはうちの組の得になるのか」と同じ。そのへんを深く、しかも面白く皮肉っているところも、僕はこの映画の深さだと思ってるんですけどね。 ――男はここまで体と命を張れるのか、という素直な驚きもありました。 西田 でも、子どもですよね(笑)。結局は「えーい!」って殴り合いしないと収まらないというところがある。この作品での殺しは、そのまま相手の命をとってしまうということだけど、ほかにもいろんな殺し方があると思うんです。今のいじめの問題もそうかもしれない。暴力を振るってなくても、ひとりの人間を社会的に殺してしまうこともできるわけです。組織や、人間が集まる場所には、そういうことが起きる。 ――人が集まると悪が生まれやすい。悪いことをしているつもりはなくとも、無意識に悪に加担しているかもしれないですしね。 西田 そういうことを是認する社会もまた悪だと、僕は思いますけどね。そういう複雑な人間の心理というか業みたいなものを完全抽出して、駄目なところだけを画にしてるのが、この映画のすごいところだと思うんですよ。 ――最後に西田さんから日刊サイゾー読者へ、映画の見どころをお願いします。 西田 これは格好いいヒーロー映画でもないけども、この人間たちのうごめきを見ることによって、世の中に固まっている業みたいなものが見えてくると思うんです。それに憧れるでもなく、嫌うでもなく、冷静に見られる自分がいればいい。それこそ、自分の正義の秤だと思います。自分の中での正義の秤みたいなものは、自分で推し量ってみてもわからない部分があるのでね。今は混沌としてるし、地球全体がちょっとカオスの状態にある。そういった意味でも、また新しい価値観や見方が生まれる。この作品を見て、それをじっと待ってみると面白いんじゃないかなと思いますね。 (取材・文=大曲智子/撮影=後藤秀二) ●にしだ・としゆき 1947年11月4日生まれ、福島県出身。70年、劇団青年座に入団。同年、「情痴」で初舞台を踏む。71年、同劇団公演「写楽考」で初主演。以降、数多くのTVドラマや映画に出演。08年、紫綬褒章を受章。主な出演映画に、86年『植村直己物語』、88年~『釣りバカ日記』シリーズ、93年~『学校』シリーズ、11年『星守る犬』、『ステキな金縛り』など多数。公開待機作に『黄金を抱いて翔べ』(11月3日より全国公開)、『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』(12月22日公開)がある。 or2nishida.jpg ●『アウトレイジ ビヨンド』 監督・脚本・編集:北野 武/出演:ビートたけし 西田敏行 三浦友和 加瀬 亮 中野英雄 松重 豊 小日向文世ほか/配給:ワーナー・ブラザース オフィス北野 新宿バルト9&新宿ピカデリーほか全国上映中 (c) 2012 「アウトレイジ ビヨンド」製作委員会 公式サイト <http://www.outrage-movie.jp>

「あの人、なんでああなの?」嵐・二宮和也が相葉雅紀の自宅にモノ申す!

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部屋の説明すらままならない相葉さん
でした

 嵐のメンバーの中でも、Jr.時代から仲がよく2人とも総武線沿線に暮らしていたことから「総武線コンビ」とも呼ばれていた二宮和也と相葉雅紀。家族以上に共に過ごした時間は長く、デビューして13年がたった現在でも、2人で食事に行くことが多いという。先日も、二宮が相葉の自宅で生姜焼きを食べさせてもらったエピソードをバラエティ番組で明かし、仲睦まじい関係がファンを喜ばせていた。

 しかし、そんな2人でもすべてが“ツーカー”とはいかないようで、二宮のラジオ『bay storm』(bay fm)で語られた相葉に関するエピソードは、不満混じりのこんな内容だった。