キンコン・西野に続け! ドランクドラゴン・鈴木拓「二代目炎上王」を襲名か

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『ライブミランカ ドランクドラゴント
ークライブ 「鈴木拓のトークは俺にま
かせなさいっ! ついて来れるか塚っちゃ
ん!!」 』/ジェネオン エンタテインメント

 お笑いコンビ・ドランクドラゴンの鈴木拓が、10月7日に放送されたフジテレビの人気番組『逃走中』での行動が原因となり、ネット住民から非難を受けている。

 同番組は、「ある『エリア』で、限られた『時間』の中、『逃走者』が『ハンター』から逃げ切れたら『賞金』を獲得できるゲーム」(同番組公式HPより)。逃走時間によって賞金が加算される一方で、逃走者には「自首」という選択もあり、エリア内に設置された自首ボタンおよび自首用電話を使うことで、ゲームをリタイアでき、それまでの賞金を獲得できるのだ。

 ただ、バラエティ番組の特性上、これまで自首した芸能人はごくわずか。ところが、逃走者である鈴木は、賞金130万2,000円の時点で自首を選択。大金をゲットしたわけだが、これにネット住民が猛反発した。鈴木のTwitterには、「番組を盛り下げた」「クズ人間」「明日ゴミ箱に行ってください」など容赦ないコメントが殺到し、大炎上してしまったのだ。

 こういったネット住民からの攻撃に、鈴木はめげずに応戦。「興味ないのにコメントいただいてくれるんですね。ありがたいです」「なにかゴミ箱に落ちてますか?とりあえず行ってみますね」など、誹謗中傷をいなすツイートを連発した。11日には「あ~下痢と炎上が治らない」と体調不良を告白するも、続けて、「汚い話になりますが僕は痔が再発してしまいました。何ででしょう? お尻が非常に痛いです。皆さん、良いお薬無いですかね? お尻の炎症が治る薬は? あっ!あとついでに炎上の治る薬も」と自虐的にツイート。「反省の色がまったく見られない」と、さらにネット住民を挑発することとなったが、12日「諸事情によりTwitterをやめたいと思います」という言葉を最後に、突如Twitterのアカウントを削除してしまったのだ。

 このように、ネット住民からの挑発にすぐ熱くなってしまう鈴木だが、ネット上では「元祖炎上王」と呼ばれる・キングコング西野亮廣を継ぐ存在なのではと、ひそかに注目が集まっている。西野は、2007年12月、自身のブログで2ちゃんねらーを「投げっぱなしの意見をする奴を僕は認めない。(中略)とてもカッコ悪いし、わかりやすく言えばアホだと思う」などと批判し、大炎上。以後、西野が何を言ってもネット住民に“叩かれる”こととなり、09年7月5日に「あと363回の更新で終了」と宣言をしたのち、10年7月3日に、ブログの更新をストップさせた。

 今回の鈴木の一件には、西野のパターンと似たところがあり、「二代目炎上王」として期待を寄せるネット住民も多い。さらに、西野がブログの更新を辞めた1年後にTwitterを開始したことから、「鈴木もまたTwitterに戻ってきてほしい。ネット住民との攻防を見せてほしい」といった声も上がっている。

 某お笑い芸人いわく「あいつ(鈴木)はああ見えて、攻撃的なんですよ。気に入らないことがあると、先輩芸人やスタッフにも食ってかかる。ファンと口論になったこともありました」とのこと。今回の炎上騒動からは逃走してしまった鈴木だが、再びTwitterに舞い戻ることはあるのだろうか?

「IT開発者はラリってた!?」PC開発とドラッグの深い関係

 サイゾー新ニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けしちゃいます! ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) “本物の”ブラック企業が口コミサイトで悪口を書かれないワケ 松本大「話題のあの女優の尖閣“愛国”発言に学ぶ(?)交渉術」 正しく飲めてる? 医師もすすめる“葛根湯”本当の処方箋 ■特にオススメ記事はこちら! 「IT開発者はラリってた!?」PC開発とドラッグの深い関係 - Business Journal(10月12日)
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ぐるぐるぐるぐる……。「Wikipedia」より
 第1回で取り上げたダグラス・エンゲルバートというエンジニアは、幻覚剤のLSDを試したこともあった。それは、60年代のカウンター・カルチャーを象徴するドラッグがコンピュータ開発の場にも紛れ込んだことを示しているが、その過程をひも解く前にカウンター・カルチャーについてざっと整理しよう。  ヒッピー、コミューン、ドラッグ、ロック、ビートニク、公民権運動、ベトナム反戦、ゲイ解放……。カウンター・カルチャーとは60年代に米国の若者たちによって隆盛したそれらの総称で、既存の文化や体制に反抗した点で、各運動は共通する。サンフランシスコ・ベイエリアを中心地とするそんなカウンター・カルチャーは、それぞれが連動して67年に“サマー・オブ・ラヴ”というハイライトを迎えた。この時代のアメリカにおけるドラッグやコンピュータについて、『パソコン創世「第3の神話」』(NTT出版)の訳者・服部桂氏はこう話す。 「アメリカは原爆を日本に落とし、第二次世界大戦を終結させました。ただ、原爆は何発か落としたら世界が滅び得る究極のテクノロジーだったので、戦後の冷戦が第三次世界大戦に発展することに、人びとは本気で怯えました。その緊張が緩和されずに新たにベトナム戦争が始まり、アメリカでは大学生くらいの若者が徴兵されるようになった。彼らはテレビを通じて、同世代の自国の人間がベトナムで殺されるのを見てショックを受け、自分も同じ戦場で死ぬかもしれないことに不安を覚えたのです。そうしたストレスや不安からの逃げ場としてドラッグが使われました。また、理系の学生ならコンピュータ開発も逃げ道で、軍が兵器開発を依頼していた大学で、ベトナム戦争でのシミュレーション・プログラムなどを研究すれば、戦地に行かずに済んだのです」  では、ドラッグとコンピュータ文化はどう交差したのか。スイス人科学者アルバート・ホフマンが43年に幻覚効果を発見したLSDの伝道師としては、ハーバード大学で幻覚剤の研究をしていた心理学者ティモシー・リアリーや、コミューンを率いてLSD体験イベント「アシッド・テスト」を全米で行った作家ケン・キージーなどが一般的に挙げられるが、現在明らかになっている事実を追いたい。  そこでキーパーソンとなるのが、シリコンバレーにあったアンペックス社でテープレコ―ダーのビジネスを手がけた技術者マイロン・ストラロフだ。50年代、「人間は手つかずの潜在能力を持つ」と主張するスタンフォード大学の商法学者ハリー・ラスバンの瞑想集会「セコイア・セミナー」にストラロフは加わり、そこで出会った作家ジェラルド・ハードよりLSDという新薬とそれをカナダから調合しにやって来るアル・ハバートという人物の話を耳にした。米国が原爆開発時にウランの闇取引をした疑いもある男だが、興味を持ったストラロフは彼と会い、LSDを体験すると、それが人類の進歩を促す道具になると確信。やがてLSDの研究会を立ち上げ、アンペックス、ヒューレット・パッカード社、SRI(スタンフォード研究所)などに属す少数のエンジニアたちを、サイケデリック薬の世界へ誘った。  さらに、アンペックスの役員会でLSDを用いた研究プロジェクトを提案するが却下されたため、61年に同社から退いて国際高度研究財団を設立。それは、500ドルでLSDと人間の創造性に関する各研究課題へ参加できる組織で、シリコンバレーの優れた科学者、研究者、技術者など350人以上に実験が行われた。そこにダグラス・エンゲルバートもいたのは、コンピュータによる人間の知性の拡大という自身の研究と通じる部分があったからだ(第1回参照)。66年に米食品医薬品局の要請で財団の公式実験は終了するが、すでにベイエリアではLSDを治療に導入する精神科医や心理学者がおり、ビート作家もLSDを用いて創作。60年代後半にはLSDと各種運動が連動してカウンター・カルチャーの大きなうねりは全米に浸透し、軍の出資を受けるSRIやスタンフォード大のキャンパスにも波及、後にパーソナル・コンピュータを生み出す若者をインスパイアしたのだ。 「サイケデリック・ドラッグであるLSDを摂取した当時の人びとは、視覚が歪んだりグルグル回ったり、未知の体験をしました。そして精神が解放され、抑圧された人間の潜在能力が拓かれるように感じ、国の世話にならなくても個人でクリエイティヴなことができると思う人もいた。まあ、気が大きくなっただけかもしれませんが、そんな幻覚剤はほかのカウンター・カルチャーと結びついたり、不安な時代だったために流行っていた自己啓発セミナーのような集会で瞑想と併せて用いられたりするなか、ストラロフはLSDが人間の創造性を強化する道具だと考え、コンピュータ開発にその幻覚剤が導入されるようになったのです。  このような時代に、人びとの望む社会が中央集権的なものから個々人の集合体へとパラダイム転換が起きたといえます。そんな新しいヴィジョンをベイエリアの若者はLSDによって仮想的に見た。当時のコンピュータ開発はそれに追いつきませんでしたが、その流れをシステム的に支えたことで後に西海岸で最初のパーソナル・コンピュータが誕生し、インターネットのような形で個人が分散化した環境が実現したわけです」(服部氏)  とすると、IT文化の発展にはLSDが不可欠だったのか? 服部氏は続ける。 「ドラッグ・カルチャーとコンピュータ文化が交わったことに必然性はなかったと思います。実際、60年代の西海岸で多くの若者はラリっていただけですからね(笑)。ただ、仮にLSDがなかったらパソコンが生まれたのか? 各家庭にはいまだに昔のIBMの冷蔵庫みたいなコンピュータがあり、中央制御的なシステムで管理されていたのかもしれない」  言うまでもなくLSDは現在、米国でも日本でも違法薬物であるため、推奨するわけではないが、あの時代のサイケデリック・カルチャーはITの歴史を語る上で避けては通れない事柄なのだ。そんな幻覚剤とストラロフの財団の実験で出遭い、68年に雑誌「ホール・アース・カタログ」を創刊したスチュアート・ブランドという人物の話を次回はしよう。 (文責=砂波針人) ■おすすめ記事 “本物の”ブラック企業が口コミサイトで悪口を書かれないワケ 松本大「話題のあの女優の尖閣“愛国”発言に学ぶ(?)交渉術」 正しく飲めてる? 医師もすすめる“葛根湯”本当の処方箋 イオン「店舗を襲撃されてもニコニコ」中国経済に貢献した企業の今 山本一郎「目の付け所より株価や業績の下落がシャープな現状」