
「週刊新潮」10月18日号 中吊り広告より
佳作
「法務大臣『田中慶秋』と暴力団の癒着」(「週刊新潮」10月18日号)
注目記事
「安倍晋三『黒い交際写真』の謀略」(「週刊ポスト」10月26日号)
注目記事
「緊急連載 ハシシタ 奴の本性 佐野眞一+本誌取材班」(「週刊朝日」10月26日号)
注目記事
「世界初の快挙! 性交中の男女MRI画像の衝撃」(「週刊ポスト」10月26日号)
今週は、ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥京大教授を、多くの週刊誌が取り上げている。スマートな容姿や話し方、それにスポーツマンという文武両道の魅力的な人物である。
新潮によれば、iPS細胞(人工多機能性幹細胞)というのは
「“万能細胞”とも言われますが、皮膚や神経、臓器などあらゆる細胞になりうる能力をもった若い細胞と思ってもらっていい。つまり、理論的には心臓や各種臓器、神経から皮膚まですべて作り出せる夢のような細胞で、移植など“再生医療”に道を開く画期的な発見なのです」(科学評論家・佐川峻)
大阪で生まれ、実家は東大阪でミシン部品工場を経営。少年時代はスポーツ少年で、柔道に打ち込んでいたという。勉強は親にいわれなくてもやるタイプだったと、母親の美奈子が週刊朝日で語っている。
長男だから跡継ぎの問題も出てきそうだが、
「うちの主人は東大阪の町工場の2代目でしたが、当時は人手不足で、人寄せだけでも気苦労の連続。伸弥には向いてません。継がせるなんて、思うたことありませんねん。そやけど今、200人の研究所の所長でやりくりできているのは、主人の商売の血が流れとるからでしょうかね」(美奈子)
神戸大学医学部時代はラグビーをやり骨折も経験し、卒業した後は整形外科医を目指したが、研修医時代、20分で出来る手術が2時間もかかり、ついた渾名が「ジャマナカ」だったという。
山中教授は臨床医からドロップアウトして基礎研究の道に進み、そこでも何度か挫折を味わいながらiPS細胞の研究を結実させる。
山中教授は『「大発見」の思考法』(文春新書)で「『人生万事塞翁が馬』だと思っています。挫折や回り道を経験したからこそ、iPS細胞に出会うことが出来た」(文春)と語っている。
今週は全体にタイトル倒れの記事が多かった。週刊現代でいえば、松浪健太、石関貴史、小熊慎司など「日本維新の会」に駆け込んだ議員を集めた緊急座談会「なぜ、われわれはガラクタと呼ばれるのか(涙)」は、タイトルに惹かれて読んだが目新しい話はなく、(涙)の部分がどこにもなかった。
文春の「小林幸子号泣インタビュー」も同じだ。
週刊新潮が4月12日号で報じた小林の個人事務所「幸子プロモーション」元社長・関根良江と元専務・沢田鈴子の解任に端を発し、33年にわたって幸子を支えてきた関根や沢田が、昨年結婚した小林の夫・林明男に経営に口を出された揚げ句、小林に切り捨てられたと批判し、泥沼の騒動になった。
「幸子プロの内情を知る小林の知人によれば、会社の経理は不明朗なものだった。『小林は世間知らずで実務のことはまったく分からず、今までは経理を仕切る沢田さんと関根さんの二人で自由に回してきました。そこに、夫の林さんが介入したことが、彼女たちにはおもしろくなかったのです』」
小林の知らないところで二人は甘い汁を吸っていた、と言いたいようだ。
関根はこの騒動が起きる前、音楽業界に絶大な権力をもつ“芸能界のドン”のもとに駆け込み、小林からの和解申し込みもドンの意向で断られたというのである。6月15日にやっと関根側と和解するが、このことが報じられると関根側から「全面和解ではない」と再び声が上がる。
追い詰められた中で、芸能界の孤児になった小林を救ったのが「兄貴」と慕うさだまさしだった。
さだが新曲の作詞・作曲を引き受けてくれたが、小林の名前ではスタジオさえも借りれず、新曲のレコーディングは別の歌手の名前を借りて極秘裏にやったという。新曲は「茨の道」。歌には「耐えて 耐えて 耐えて 生きて 生きて 生きて」という詩が入る。
タイトルといい歌詞といい、今回のスキャンダルに便乗しているように思えるが、したたかな彼女だから、それも計算済みなのだろう。文春の誌面を借りて小林側の言い分を語っただけ。そう受け取られても仕方ない記事づくりである。
辛口にならざるを得ない中で、いくつか注目記事を取り上げてみた。ポストの「男女のMRI画像」は“衝撃”かどうかはともかく、へぇーと思わせるものではある。
これは著名な科学者アレグザンダー・シアラスが、セックスとオーガズムの関係を視覚的に分析するために、性交中の男女の性器の断面図をMRIによって撮影したのだそうである。
その男女の写真が出ているが、なかなかの美男美女。薄いガウンを羽織っただけの二人は、濃厚なキスを交わした後、MRIカプセルの中で正常位セックスを12分間続けた。
その時の断面写真が掲載されている。これまでイラストなどではあったが、こうしたものは珍しいかもしれない。膣内のヒダもリアルに再現されている。
毎週似たり寄ったりのセックス記事が多い中、少し新鮮みのある企画ではある。
お次は、やや人気に陰りが見える橋下徹大阪市長だが、週刊朝日がノンフィクション・ライターの佐野眞一を起用して連載を始めた。
この連載の意図は、タイトルにある「ハシシタ」や「奴の本性」でわかろうというものだ。
冒頭は9月12日に開かれた「日本維新の会」の旗揚げパーティーのシーンから始まる。橋下の挨拶を占い師・細木数子と重ね合わせ、
「田舎芝居じみた登場の仕方といい、聴衆の関心を引きつける香具師まがいの身振りといい、橋下と細木の雰囲気はよく似ている」
また、
「橋下徹はテレビがひり出した汚物である、と辺見庸が講演で痛烈に批判したとき、我が意を得た思いだった」
と書いているように、相当きつい橋下批判の連載になりそうな予感。
パーティーで出会ったけったいな老人の話から続けて、佐野ノンフィクションの常道である橋下の血脈、父親・橋下之峯と被差別部落へと向かい、中上健次との世界と重ね合わせるところで1回目は終了する。
『あんぽん』(小学館)で孫正義の在日三世としての出自を徹底的に取材した佐野が、この連載で向かうのはどこになるのか。彼がじっくり腰を据えて橋下に取り組む覚悟なら、橋下本人にとってはもちろんのこと、読者にとっても興味深いものになるかもしれない。次回以降を注目したい。
ポストの安倍晋三の「黒い交際写真」は、羊頭狗肉気味の記事ではあるが、このタイミングで出てきたのは何かあるのかと思わせるものはある。
この写真は08年、安倍が健康上の理由で総理を辞任してから1年も経っていない頃、安倍事務所内で撮られた。真ん中に安倍、左に米共和党の大物政治家マイク・ハッカビー元アーカンソー州知事、右に現在刑事被告人として公判中の韓国籍の男性・永本壹柱だそうである。
永本が問われているのは貸金業法違反。永本は山口組暴力団関係者で「山口組の金庫番」と捜査当局は見ていると書いている。また彼は、北朝鮮とも深い関係があり「北に30億円を送った」などと公言していたという。
こうした人間と親密だったとしたら、北朝鮮への強硬な姿勢を見せている安倍総裁にとって大きな痛手になりそうだが、安倍側は「ハッカビー氏が訪れた際、複数名いた中の一人で、面識も付き合いもない」と回答し、永本のほうも「その時に会っただけで、親しく付き合っているわけではない」と答えている。
今のところこれ以上発展しようがないようだが、総理になれば再び火を噴きそうな予感のする写真ではある。
今週のグランプリは残念ながら該当記事なし。佳作として週刊新潮の「『田中慶秋法務大臣』と暴力団の癒着」を挙げたい。
失礼だが、田中慶秋という代議士はそれほどポピュラーな人物ではないし、就任当初、自ら代表を務める民主党神奈川県第5区総支部が、台湾籍の男性が経営する企業から計42万円の献金を受けていた政治資金規正法違反が浮上した際も、一般的な関心はさほど引かなかった。
だが、新聞マスコミは新潮が出る前から騒ぎ出し、10月11日のasahi.comではこう報じた。
「藤村修官房長官は同日午前の記者会見で『政治家の交際や地元活動は、いささかも違法、不適切のそしりを受けないようにするのが当然』と述べた。『必要なら政治家本人が説明責任を果たすことに尽きる』とも語り、田中氏自身が事実関係を明らかにすべきだとの考えを示した」
この御仁のクビは風前の灯火。臨時国会が開かれれば真っ先に責任を問われることになる。
新潮によれば、今から30年ほど前、横浜・新富町の高級クラブで開かれた稲川会系の組長の新年会や忘年会に、田中が出席していたという。
それだけではない。彼と親しかった稲川会の幹部の名を挙げれば切りがないと暴力団関係者が語っているほど、関係は密なようだ。中でも志村久之(仮名)というヤクザで右翼団体の会長だった人物とは「極めて親密だった」といわれる。彼は昨年50歳で死んでいるが、志村の結婚の仲人をしたのが田中議員だった。
新潮のインタビューで田中法務大臣は「縷々、弁明を続けた田中大臣だったが、最も重要な点である暴力団との交遊については、意外なほどアッサリと事実関係を認めたのである」
新潮発売の翌日、田中法相は閣議後の記者会見で暴力団関係者との交際を大筋で認め、「そういう関係をしたこと自体、大変申し訳ない」と陳謝したが、辞任するとは言わなかった。
昔から法務大臣には大物を据えない「慣習」があるといわれるが、ワースト3には入る“大物”人物のようではある。
(文=元木昌彦)

1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。 【著書】 編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
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