「元旦から聖地巡礼したことも」20年も巡礼し続ける「田切ネットワーク」の軌跡

20年目のまさに手作り感あふれる同窓会だ
 いまや全国各地で当たり前のように開催されている<聖地巡礼>。世の中には、すでに20年目に突入している熱いヤツらがいた。  その熱い姿を見ることができたのが、伊那市駅開業100周年記念『究極超人あ~る』OVAクライマックス再現イベント「田切駅→伊那市駅 1hour Bicycle Tour “轟天号を追いかけて”」に合わせて、現在も駅スタンプを管理してくれている田切駅前の「元・下村酒店」で行われた「田切ネットワーク」創立20周年記念展覧会「夏への扉~20年目の同窓会」だ。  そもそも、田切が作品に登場し聖地となったゆえんを、現代表の中尾一樹氏は語る。 「もともと、田切駅の先にあるオメガカーブは、飯田線の撮影名所として知られたところでした。とりわけ、1983年までは飯田線を走っていた旧型国電を撮影するために、全国から大勢の人が訪れていました。その中に、『究極超人あ~る』の登場人物たちが通う春風高校光画部のモデルになった人がいたんです」
予想を遙かに超えて自転車で、電車で次々と訪問者がやってくる

店の向かいの日陰が休憩ポイントになり。訪れた人々との談笑の場となっていた

参加者ならではのやり方で、交流を深める
 もとは絶好の撮影ポイントとして、鉄道愛好者たちに知られていた田切駅。それが、アニメになったことで新たな人々を呼び込み、新しい形で栄えたというわけだ。そんな古くからの田切駅の歴史を伝えるのが、今は「田切ネットワーク」が保管している「田切のたぬき」である。
こちらが、今では秘蔵の品となっている「田切のたぬきである」
「『究極超人あ~る』以前から、田切駅では国鉄職員の方が駅スタンプを自作して設置したりしていました。そうした中で、光画部のモデルになった人が置いていたのが“田切のたぬき”だったんです。長いこと駅に設置されて名物になっていたんですが1984年に田切駅が現在の場所に移転することになり、捨てられてしまっては困るので、回収されて、その後は設置せずに保管されてきました」(中尾氏)  『究極超人あ~る』に登場したことで、従来の鉄道愛好者だけでなく、多くのアニメファンも訪れるようになった田切駅。「田切ネットワーク」は、飯田線を使ってロールプレイングをする列車や、車内即売会、コスプレなど、さまざまなイベント列車の運行も行った。だが、そうした中でも目を見張るのは、現在も年3回行われている、田切駅の清掃活動だ。鉄道愛好者からアニメファンまでがホームをホウキで掃き、待合室の窓ガラスを雑巾で拭く光景は、地元の人々にとって驚きだった。
かつてのイベント列車の際につくられたTシャツ。一番右のは折しもオウム事件の頃で大変なことに……

メンバーらが制作した数々の同人誌も、並んだ

次々とやってくる見学者で店内は大混雑に
「大みそかに田切駅に大勢で泊まって、元旦の朝から、寒い中を冷たい水で雑巾を絞って、窓ガラスまで拭いていたこともありました。私らは、駅にホウキを持っていったこともないのに、驚きました」  と、今回の会場を提供してくれた「元・下村酒店」のご主人は語る。かつては、田切駅での駅寝も一つの楽しみ方だったそうで、ある時は線路に足を投げ出した格好で寝てしまい、あわや大惨事という人もいたのだとか。まさに、若さゆえの過ちといったところか。  そんな「田切ネットワーク」の無鉄砲さを象徴するのが、『究極超人あ~る』OVAに触発されて制作したスタンプツアーのポスターだ。作品中で、登場人物たちが参加する西園寺ツーリスト主催のスタンプツアー。作中では、この告知ポスターが一瞬だけ画面に映る。そこで「田切ネットワーク」の面々は、このポスターを再現しようと、ビデオを一時停止してテレビの画面にトレーシングペーパーをあててなぞり、手書きで再現したのだ。  まさに、熱いファンのなせるワザだが、版権的にはユルかった当時でも完全にアウト。バンダイから激怒されたが、「商売じゃないんです」と泣きを入れ、A4用紙3枚にびっしりの詫び状で許してもらえたのだとか。  版権的にはアウトだが、ファンの情熱がこもったポスター。いつの日か、陽の目を見る日が来ることを祈りたいものだ。  現在、年3回の清掃活動は、日程を決めて来られる人が来る形でユルく開催されている。それでも、参加者が絶えることはない。 「里帰りのようなものですね。やはり、(「元・下村酒店」のご夫妻のように)来て、話をできる人がいること。これは、ほかの無人駅にはない魅力ですから」(メンバーの熊谷さん)
とりあえず、これを展示しておかなければ始まらないという品もちゃんと準備されていた

こちらには「元・下村酒店」さんの制作した、、あ~るが並んでいる
 かつて駅スタンプを保管してくれていた「小松屋」さん(現在は建て替えで店舗も姿を消した)、閉店後も駅スタンプを保管して、時折訪れるファンに対応してくれる「元・下村酒店」さん。単に聖地を訪れて写真を撮影して満足するのではない、真の楽しみ方がここにはある。「田切ネットワーク」内では、20年の間に3組のカップルが結婚したというが、こんな濃い楽しみ方をしていれば当然だ。  なお、「田切ネットワーク」のメンバーの一人は自転車イベント終了後、田切駅に戻り駅寝をして、翌朝から田切駅の清掃に参加した。 ■南信のディープスポット・伊那市の祭りはまだまだ続く  地方都市をめぐっては、東京にないものを探す筆者だが、伊那市は何度も探訪する価値のある街である。人口6万4,000人あまりのこの街、その人口に比して街にある店舗のレベルは高い。同じ人口でも東京周縁圏の街だと駅前にコンビニとチェーン系の居酒屋と、テキトーな書店が並ぶだろう。だが、伊那の街は独特だ。チェーン店よりも老舗が多いし、歓楽街も山間の地方都市とは思えないほど、充実していて味がある。  そのような味のある店を、地元の人々はごく日常的に利用しているからうらやましい。伊那でもメジャーな老舗の一つである蕎麦屋・クロネコなんて、都内だったらちょっとひねったサブカル好きな若者が一眼レフカメラを手に、続々と訪れるんじゃないかと思う。 「田切駅→伊那市駅 1hour Bicycle Tour “轟天号を追いかけて”」のほかにも、各種のイベントが開催中だが、その中でも、8月4日の伊那まつりに向けて準備されている開業当時の電車の復元は、目を見張るものがある。作業場所の伊那市立図書館のロビーに入るサイズということで、幾分か縮小した復元電車は、台座にキャスターをつけて木で枠をつくり、段ボールの部材で囲むというもの。段ボールなのに、まったく安っぽさを感じさせない精巧さが魅力的だ。筆者が訪ねた際には、ほぼ車体は完成し、塗装作業に入るところ。 「残っていた当時の図面と写真をもとに制作しました。延べ10人、1週間ほどで、ここまで完成しました」  と、作業に参加した鄭あきとしさんは話す。ライトもついて、中にはひしゃくでできたベルもつけるなど細かいギミックが光る復元電車。伊那まつりの際には、子どもを乗せて走る予定だとかで、さながら人車鉄道を彷彿とさせる。  作業場所の伊那市立図書館では、現在伊那市の歴史の資料や写真展示も行われている。  同館では、こんな手作り感あふれるイベントの一方で、地域の歴史を集積するデジタルアーカイブの作業も進んでいる。同館も制作に参加した江戸・明治・大正・昭和のデジタル古地図上にGPSを使って現在地を表示し、当時の風景を見ることができるiPhoneアプリ「高遠ぶらり」も提供中だ。
なんだかわからんが、やたらと女子の参加率が高く驚く。20代も多かったし……

この日ばかりは、押し放題のスタンプも大盛況だ
「サービスを提供するのではなく、地域の住民と一緒になって作っていくというスタンスで作業を行っています。デジタルアーカイブも、地域の皆さんに呼びかけて、昔の写真を提供してもらっているんです」  と同館の館長平賀研也さんは話す。町おこしといえば、何かと予算を大量につぎ込んで大々的にやる(そして、大失敗する)ものが多いのだが、これらの試みは、とてつもなく地に足の着いた感じがする。やはり、その背景には文化レベルの高さが感じられる。 「伊那には幕末に(「北の松代、南の高遠」といわれた)高遠藩の藩校・進徳館が開設され、多くの人材が生まれました。その後も、大正時代には信州白樺派の中心地にもなりました。今でも『教育県』の中心として、総合学習のメッカにもなっています」(平賀さん)  なるほど、過去の文化の蓄積が人口も少ない地方都市とは思えない、独特の香りを醸し出していることは間違いない。  年度内を通して行われる伊那市駅開業100周年記念イベントだが、その締めくくりとして行われるのが、来年1月から伊那市創造館で行われる予定の企画展「飯田線マニアックス」だ。飯田線の魅力をディープに語る、このイベントでは、屋外に飯田線の人間双六が登場するという計画も。  伊那市をはじめ南信地方は、一度や二度の訪問では味わい尽くせない魅力が満載だ。まずは、この夏訪問してみてはいかがだろうか。 (取材・文=昼間たかし)

「元旦から聖地巡礼したことも」20年も巡礼し続ける「田切ネットワーク」の軌跡

20年目のまさに手作り感あふれる同窓会だ
 いまや全国各地で当たり前のように開催されている<聖地巡礼>。世の中には、すでに20年目に突入している熱いヤツらがいた。  その熱い姿を見ることができたのが、伊那市駅開業100周年記念『究極超人あ~る』OVAクライマックス再現イベント「田切駅→伊那市駅 1hour Bicycle Tour “轟天号を追いかけて”」に合わせて、現在も駅スタンプを管理してくれている田切駅前の「元・下村酒店」で行われた「田切ネットワーク」創立20周年記念展覧会「夏への扉~20年目の同窓会」だ。  そもそも、田切が作品に登場し聖地となったゆえんを、現代表の中尾一樹氏は語る。 「もともと、田切駅の先にあるオメガカーブは、飯田線の撮影名所として知られたところでした。とりわけ、1983年までは飯田線を走っていた旧型国電を撮影するために、全国から大勢の人が訪れていました。その中に、『究極超人あ~る』の登場人物たちが通う春風高校光画部のモデルになった人がいたんです」
予想を遙かに超えて自転車で、電車で次々と訪問者がやってくる

店の向かいの日陰が休憩ポイントになり。訪れた人々との談笑の場となっていた

参加者ならではのやり方で、交流を深める
 もとは絶好の撮影ポイントとして、鉄道愛好者たちに知られていた田切駅。それが、アニメになったことで新たな人々を呼び込み、新しい形で栄えたというわけだ。そんな古くからの田切駅の歴史を伝えるのが、今は「田切ネットワーク」が保管している「田切のたぬき」である。
こちらが、今では秘蔵の品となっている「田切のたぬきである」
「『究極超人あ~る』以前から、田切駅では国鉄職員の方が駅スタンプを自作して設置したりしていました。そうした中で、光画部のモデルになった人が置いていたのが“田切のたぬき”だったんです。長いこと駅に設置されて名物になっていたんですが1984年に田切駅が現在の場所に移転することになり、捨てられてしまっては困るので、回収されて、その後は設置せずに保管されてきました」(中尾氏)  『究極超人あ~る』に登場したことで、従来の鉄道愛好者だけでなく、多くのアニメファンも訪れるようになった田切駅。「田切ネットワーク」は、飯田線を使ってロールプレイングをする列車や、車内即売会、コスプレなど、さまざまなイベント列車の運行も行った。だが、そうした中でも目を見張るのは、現在も年3回行われている、田切駅の清掃活動だ。鉄道愛好者からアニメファンまでがホームをホウキで掃き、待合室の窓ガラスを雑巾で拭く光景は、地元の人々にとって驚きだった。
かつてのイベント列車の際につくられたTシャツ。一番右のは折しもオウム事件の頃で大変なことに……

メンバーらが制作した数々の同人誌も、並んだ

次々とやってくる見学者で店内は大混雑に
「大みそかに田切駅に大勢で泊まって、元旦の朝から、寒い中を冷たい水で雑巾を絞って、窓ガラスまで拭いていたこともありました。私らは、駅にホウキを持っていったこともないのに、驚きました」  と、今回の会場を提供してくれた「元・下村酒店」のご主人は語る。かつては、田切駅での駅寝も一つの楽しみ方だったそうで、ある時は線路に足を投げ出した格好で寝てしまい、あわや大惨事という人もいたのだとか。まさに、若さゆえの過ちといったところか。  そんな「田切ネットワーク」の無鉄砲さを象徴するのが、『究極超人あ~る』OVAに触発されて制作したスタンプツアーのポスターだ。作品中で、登場人物たちが参加する西園寺ツーリスト主催のスタンプツアー。作中では、この告知ポスターが一瞬だけ画面に映る。そこで「田切ネットワーク」の面々は、このポスターを再現しようと、ビデオを一時停止してテレビの画面にトレーシングペーパーをあててなぞり、手書きで再現したのだ。  まさに、熱いファンのなせるワザだが、版権的にはユルかった当時でも完全にアウト。バンダイから激怒されたが、「商売じゃないんです」と泣きを入れ、A4用紙3枚にびっしりの詫び状で許してもらえたのだとか。  版権的にはアウトだが、ファンの情熱がこもったポスター。いつの日か、陽の目を見る日が来ることを祈りたいものだ。  現在、年3回の清掃活動は、日程を決めて来られる人が来る形でユルく開催されている。それでも、参加者が絶えることはない。 「里帰りのようなものですね。やはり、(「元・下村酒店」のご夫妻のように)来て、話をできる人がいること。これは、ほかの無人駅にはない魅力ですから」(メンバーの熊谷さん)
とりあえず、これを展示しておかなければ始まらないという品もちゃんと準備されていた

こちらには「元・下村酒店」さんの制作した、、あ~るが並んでいる
 かつて駅スタンプを保管してくれていた「小松屋」さん(現在は建て替えで店舗も姿を消した)、閉店後も駅スタンプを保管して、時折訪れるファンに対応してくれる「元・下村酒店」さん。単に聖地を訪れて写真を撮影して満足するのではない、真の楽しみ方がここにはある。「田切ネットワーク」内では、20年の間に3組のカップルが結婚したというが、こんな濃い楽しみ方をしていれば当然だ。  なお、「田切ネットワーク」のメンバーの一人は自転車イベント終了後、田切駅に戻り駅寝をして、翌朝から田切駅の清掃に参加した。 ■南信のディープスポット・伊那市の祭りはまだまだ続く  地方都市をめぐっては、東京にないものを探す筆者だが、伊那市は何度も探訪する価値のある街である。人口6万4,000人あまりのこの街、その人口に比して街にある店舗のレベルは高い。同じ人口でも東京周縁圏の街だと駅前にコンビニとチェーン系の居酒屋と、テキトーな書店が並ぶだろう。だが、伊那の街は独特だ。チェーン店よりも老舗が多いし、歓楽街も山間の地方都市とは思えないほど、充実していて味がある。  そのような味のある店を、地元の人々はごく日常的に利用しているからうらやましい。伊那でもメジャーな老舗の一つである蕎麦屋・クロネコなんて、都内だったらちょっとひねったサブカル好きな若者が一眼レフカメラを手に、続々と訪れるんじゃないかと思う。 「田切駅→伊那市駅 1hour Bicycle Tour “轟天号を追いかけて”」のほかにも、各種のイベントが開催中だが、その中でも、8月4日の伊那まつりに向けて準備されている開業当時の電車の復元は、目を見張るものがある。作業場所の伊那市立図書館のロビーに入るサイズということで、幾分か縮小した復元電車は、台座にキャスターをつけて木で枠をつくり、段ボールの部材で囲むというもの。段ボールなのに、まったく安っぽさを感じさせない精巧さが魅力的だ。筆者が訪ねた際には、ほぼ車体は完成し、塗装作業に入るところ。 「残っていた当時の図面と写真をもとに制作しました。延べ10人、1週間ほどで、ここまで完成しました」  と、作業に参加した鄭あきとしさんは話す。ライトもついて、中にはひしゃくでできたベルもつけるなど細かいギミックが光る復元電車。伊那まつりの際には、子どもを乗せて走る予定だとかで、さながら人車鉄道を彷彿とさせる。  作業場所の伊那市立図書館では、現在伊那市の歴史の資料や写真展示も行われている。  同館では、こんな手作り感あふれるイベントの一方で、地域の歴史を集積するデジタルアーカイブの作業も進んでいる。同館も制作に参加した江戸・明治・大正・昭和のデジタル古地図上にGPSを使って現在地を表示し、当時の風景を見ることができるiPhoneアプリ「高遠ぶらり」も提供中だ。
なんだかわからんが、やたらと女子の参加率が高く驚く。20代も多かったし……

この日ばかりは、押し放題のスタンプも大盛況だ
「サービスを提供するのではなく、地域の住民と一緒になって作っていくというスタンスで作業を行っています。デジタルアーカイブも、地域の皆さんに呼びかけて、昔の写真を提供してもらっているんです」  と同館の館長平賀研也さんは話す。町おこしといえば、何かと予算を大量につぎ込んで大々的にやる(そして、大失敗する)ものが多いのだが、これらの試みは、とてつもなく地に足の着いた感じがする。やはり、その背景には文化レベルの高さが感じられる。 「伊那には幕末に(「北の松代、南の高遠」といわれた)高遠藩の藩校・進徳館が開設され、多くの人材が生まれました。その後も、大正時代には信州白樺派の中心地にもなりました。今でも『教育県』の中心として、総合学習のメッカにもなっています」(平賀さん)  なるほど、過去の文化の蓄積が人口も少ない地方都市とは思えない、独特の香りを醸し出していることは間違いない。  年度内を通して行われる伊那市駅開業100周年記念イベントだが、その締めくくりとして行われるのが、来年1月から伊那市創造館で行われる予定の企画展「飯田線マニアックス」だ。飯田線の魅力をディープに語る、このイベントでは、屋外に飯田線の人間双六が登場するという計画も。  伊那市をはじめ南信地方は、一度や二度の訪問では味わい尽くせない魅力が満載だ。まずは、この夏訪問してみてはいかがだろうか。 (取材・文=昼間たかし)

手のひらが正方形で指が長い人はモテる!? 手と指の長さで読み解く性格診断

【ハピズムより】

teso0801.jpg
あたいの手と指をじっくり見るといいさ!

 手相の起源は詳しく解明されていませんが、4,000年前のインドで誕生したという説が有力です。その後、中東を経てヨーロッパに伝わり、中世の終わり頃にイギリスで占星術と交わり、現在の形ができあがったと考えられています。日本でも、明治以降に西洋手相術が流入。多くの解説本が出るなどして一般化し、今に至っています。

 本場の西洋手相術では、まず「ハンドタイプ」を読むことから始まります。これは、手と指の長さからハンドタイプを導き出し、占星術の4エレメント(火・地・風・水)の分類に対応させるというもの。

 鑑定はいたって簡単です。まずは手のひらの形が長方形と正方形のどちらに当てはまるか比べます。次に手のひらの長さに対する指の長さを比較すればOK!

・長方形の手のひらで指が短い……「火」
・正方形の手のひらで指が短い人は……「地」
・正方形の手のひらで指が長い人は……「風」
・長方形の手のひらで指が長い人は……「水」

 では、それぞれの性格を詳しく見ていきましょう。

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手のひらが正方形で指が長い人はモテる!? 手と指の長さで読み解く性格診断

【ハピズムより】

teso0801.jpg
あたいの手と指をじっくり見るといいさ!

 手相の起源は詳しく解明されていませんが、4,000年前のインドで誕生したという説が有力です。その後、中東を経てヨーロッパに伝わり、中世の終わり頃にイギリスで占星術と交わり、現在の形ができあがったと考えられています。日本でも、明治以降に西洋手相術が流入。多くの解説本が出るなどして一般化し、今に至っています。

 本場の西洋手相術では、まず「ハンドタイプ」を読むことから始まります。これは、手と指の長さからハンドタイプを導き出し、占星術の4エレメント(火・地・風・水)の分類に対応させるというもの。

 鑑定はいたって簡単です。まずは手のひらの形が長方形と正方形のどちらに当てはまるか比べます。次に手のひらの長さに対する指の長さを比較すればOK!

・長方形の手のひらで指が短い……「火」
・正方形の手のひらで指が短い人は……「地」
・正方形の手のひらで指が長い人は……「風」
・長方形の手のひらで指が長い人は……「水」

 では、それぞれの性格を詳しく見ていきましょう。

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「原因は夫の浮気!?」離婚の真木蔵人夫妻 1年前にはすっかり夫婦関係が破綻していた……

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『WHITE BOOK』(ポニーキャニオン)
 俳優の真木蔵人とモデルの真木明子が離婚したことが1日、分かった。明子が同日付の自身のブログで「この度、シングルマザーとして(長女の)いづみどんと二人で生活していくことになりました」と報告した。  ファッションブランド「リッチーウィッチー」のデザイナーも務める明子は今後、「HARUKO」名義で活動していくことも併せて報告。「家族ぐるみで応援して下さった方もたくさんいらっしゃるので こういう形になってしまったことは、とても残念なことですし、申し訳ない気持ちもいっぱいです」と現在の心境を告白。破局に至った理由については明かさなかったが、どうやら、離婚の原因は真木の浮気だったようだ。 「昨年の7月中旬に発売された『女性セブン』(小学館)によると、サーフィン好きな2人は千葉・九十九里に住み、夫婦仲良くサーフィンを楽しんでいたが、昨年3月の震災後、めっきり姿を見せなくなったという。同誌に対して、周辺住民は『あの2人は離婚した』と声をそろえたというが、同誌の発売前から夫婦関係が破綻していた兆候はあった。明子は自身のTwitterに5月中旬の時点で『怒って旦那を着信拒否にしてたら、携帯変えたら、もとに戻す方法がわからなくなった』と書き込み、7月初めには『私が一番嫌いな感情。愛してるひとに裏切られた時。そんなん素敵な言葉じゃだめだ。単に、浮気された時。こんな辛い気持ちはないよね。何回経験しても消えたくなる。消したくなる。そんなことしないけど』と書いている。ほかにも『浮気しない男は、本当にいないのか』などと夫に対する当てつけとも思える書き込みをしていた。それでも真木は妻と向き合うことがなく、結局、離婚に至ったようだ」(スポーツ紙デスク)  歌手のマイク真木と女優の前田美波里の長男として生まれ、芸能界的には“サラブレッド”の真木は、明子とは3年の交際を経て2003年2月に結婚。 「結婚前、真木の母・前田が明子に『蔵人と結婚したら本当に大変よ』と思いとどまるように諭したが、明子は『私が支えるから大丈夫です』と結婚に踏み切ったのだが……」(同)  同年に長女が誕生したが、その時点で真木には“問題児”のレッテルが貼られていたというのだという。 「真木は89年から交際を始めたハーフのモデル・クリスティーナさんと同棲していたが、93年1月に『子どもを堕ろせ』と、彼女に殴る蹴るの暴行を加える騒動を起こした。彼女は同年10月に男児を出産。真木に対し、子どもの認知・慰謝料・養育費の支払いを求めたが、真木は『オレの子か分からない』と主張し、話し合いは決裂。しかし、双方の弁護士が話し合いを続け、94年1月、真木が子どもを認知し、毎月3万円の養育費を支払うことで解決した。真木はその後、約5年間、芸能界から干された。北野武監督の映画『BROTHER』(00年公開)などで好演したが、03年には都内のクラブでカメラ付き携帯電話での撮影をめぐってファン男性2人と互いに『暴行された』と被害届を出すトラブルも起こしている」(芸能プロ関係者)  これまで型破りな生き方をしてきた真木だが、今回の離婚を機に、襟を正すことになるのだろうか?

黒幕は母・仁科亜季子!? 息子夫婦の不仲説を触れ回った、その魂胆とは

nishinamasaki.jpg
仁科克基公式ブログより

 仁科克基と多岐川華子の2世夫婦が離婚間近であることが、7月24日付のサンケイスポーツで報じられた。昨年1月に結婚した2人は、同年末から些細なことでケンカするといったすれ違いが続き、華子が家を飛び出す形で別居してしまったという。それぞれの母親で、女優の仁科亜季子、多岐川裕美を含めた両家で話し合いの場を持ったが、夫婦関係の修復はできず、現在は弁護士を通じて離婚協議に入っているとのこと。

 2人の出会いは10年前にさかのぼる。克基と裕美は舞台で共演しており、観劇に訪れた当時14歳の華子と3人で食事したのが最初だった。2008年に知人の紹介で再会すると、克基の猛アプローチで交際がスタート。10年1月には「フライデー」(講談社)に熱愛が報じられ、その後、双方が真剣交際であることを報告していた。

 そして昨年1月に入籍を果たした2人だが、同年末頃から一部マスコミの間では「あの大物2世カップルが早くも破局」と囁かれていたのだ。

電通社員「新人は毎日朝まで伝統“血みどろ”研修in飲み屋」

 サイゾー新ニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けしちゃいます! ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) 【特集】実はブラック?人気企業社員が語る我が社のタブー 大阪市職員「公明党より低レベルな維新の会と、クレイジーな市民」 野村社員「部下は監禁・罵倒し、顧客に損さてもノルマは死守」 ■特にオススメ記事はこちら! 電通社員「新人は毎日朝まで伝統“血みどろ”研修in飲み屋」 - Business Journal(8月2日)
「電通HP」より
「広告界のガリバー」の異名を持つ、広告代理店国内トップの電通。連結売上高1兆7000億円(2011年度)は、2位の博報堂の約2倍と、圧倒的なシェアを持つ。名だたる一流上場企業をはじめ、政治、メディアにも広く深く根を張っているといわれる電通の実態とは?今回は、現役社員・A氏に、素顔の電通について語ってもらった。 ――電通はコネ入社が多いと聞きますが、実際はどうなのでしょうか? A氏(以下、A) 詳しくはわかりませんが、全体の2〜3割くらいでしょうか。「コネだから仕事ができない」ということはなく、かなり優秀な人もいますよ。やはり、それなりに血筋がいいということなんでしょうかね。中には、人質のような人もいたりします。すぐにコネとわかる人もいれば、自分から言う人もいますね。あまりいない名字の人だと、「父親が〇〇テレビの役員」とか、すぐにわかっちゃったりしますが……。もちろん、コネかどうかわからない人もたくさんいます。 ――どういう関係のコネ入社が多いのでしょうか? A メディア関係がほとんどで、大口クライアント(顧客)関係もいますね。それこそテレビ局なんてコネ入社だらけですが、お互いに子どもや親戚を入れ合ったりしてるんでしょうね。ただ、広告代理店として、メディアや大口クライアントとの関係を維持していく中で、コネがある人材を年間1000万円の給料払って留めておけば、年間何百億円もの利益が上がるのであれば、ある意味合理的なシステムかなと思いますね。 新人研修のために車を売る? ――入社後の新人研修では、何か独特なことはやるのでしょうか? A 新人全員が一斉に受ける研修が1カ月間あり、一般的なマナー研修や広告の勉強などをします。ウチには「リーダー・サブリーダー制」という伝統があり、新人10人弱くらいでひとつの班をつくるのですが、そこに先輩社員であるリーダー、サブリーダーが研修期間中ずっとついてくれます。そこで、社会人の基礎とか、電通マンのマインドを徹底的に叩き込まれるわけです。通常の研修は17時半に終わるのですが、その後に班単位で毎日飲みに行くわけです。それこそ、移動はすべてタクシーで、毎日朝4時まで飲むんですよ(笑)。単に飲むだけではなく、リーダーが社内外のゲストや知り合いの芸能人を呼んだりするわけです。彼らのネットワークが試されることにもなります。 ――それはすごいですね。費用は会社から出るのですか? A 少しは補助が出ますが、ほとんどはリーダー、サブリーダーのポケットマネーですね。お金を調達するために、車を売った人もいたようです。お店の選び方とか、酒の飲み方とか、実践の場を通じて電通イズムを継承するわけです。本当の研修はこっちのほうだと思いますね。でもそうして、それまで学生だった新人が、今まで行ったこともないようなお店をたくさん知って、普通だったら会えないような人たちに会い、人脈をつくり、お酒の飲み方を含めた社交術を1カ月で学ぶのです。そうやって、研修後に実際のビジネスの場に投げ込まれたときに、夜の席含めて、取引先などとの会合に出しても大丈夫なレベルにまでもって行く。ある意味、ものすごくよくできたシステムだと思います。 ――でも、毎日朝までだと、大変ですよね。 A 例えば前夜のゲストが社内の人だと、次の朝は必ずその人のところにお礼に行かなければいけないんです。不在なら手紙を置いとけと。それを知らなくてやらないと、ものすごく怒られたりしました。だから、4月の電通社内は、毎朝集団で右往左往する新人たちでにぎわいます。今はコンプライアンスの問題とかありますので、だいぶ変わってきているようですが。 血みどろで出社する新人 ――入社して、電通に対しどんな印象を持ちましたか? A 超体育会の会社だなと。上下関係は厳しいです。例えば、職場に配属された初日に開いてくれた歓迎会では、記憶がなくなるくらい飲まされましたね。その店にある酒をすべて飲みきったので、コンビニで酒を買ってきてまで飲んでましたね。すごかったのは、ある新入社員が酔っ払って吐いて寝てたら、先輩から「お前!何してるんだ!」と言われて思い切り殴られていました。あれはやりすぎかなと思いました(笑)。そのほかにも、飲んだ翌朝にワイシャツが血だらけで出社した人がいたんです。飲みすぎて血を吐いたらしいのですが、「なんで着替えてこなかった?」と聞いたら、鍵も財布もすべてなくして、どうしようもなくてそのまま来たと。帰りのタクシーで一緒に乗っていた人に聞いても、誰も何も覚えてなかったそうです(笑)。 ――普段も、そんな感じなんですか? A 入社して数年間は、夜中12時前に帰った記憶はないですね。12時前に仕事が終わると、「早く終わったー」「じゃ飲みに行こう!」ってなっちゃうんです。それは、研修で朝まで飲んでいた頃の感覚が染み付いて、常識的な感覚がなくなっているんですね。なので、仕事があろうとなかろうと、結局帰宅は3〜4時になってしまいます。 ――それでも、皆さん朝早くちゃんと出社するんですよね? A これも研修の時に教わるんですが、「新入社員とか若手は、どんなに前夜酔っ払っても気持ち悪くても、礼儀として朝はちゃんと来る」ということが、叩き込まれています。「一瞬でも、朝職場に顔を見せれば、あとはずっとトイレにこもっていてもいいから」と言われますね(笑)。 「全裸で銀座を疾走」伝説 ――よく、「接待でクライアントを喜ばせるために、電通社員が全裸で銀座を疾走する」などという伝説も聞きますが、本当でしょうか? A 電通は、「2001年の上場前=バブル世代」「上場〜リーマンショック前」「リーマンショック後」の3つの時代で、まったく雰囲気が違います。「銀座で全裸」は、まさにバブル世代。その時代を謳歌した人たちは、いま部長クラスになっていますが、彼らは今でも部下とカラオケに行くと、全裸になってそのままお会計に行こうとしたりします。しかし上場後は、やはり社会の目もあり、「コンプラが大事」などと社内でも言われ、そうしたイケイケさは減りました。そしてリーマンショック後、さすがにウチも業績が下がり、まず使い放題だったタクシー券がなくなった。それまでは、飲んでいても仕事していても「終電を気にする」という感覚がなかったのが、「そろそろ終電だから……」とか言いだすようになった。そうすると、一気に社内が静かになり、最近ではますます「普通の会社」になりつつあります。先ほどお話しした「新人研修で毎日朝まで」という伝統も、なくなってしまったようです。「1年目はイッキ飲み禁止」とかいう訳のわからない社内規則もできましたし。“イケイケさ”というのは、まさにビジネスにおける電通の強さの源でしたが、こうした「普通化」が、企業としても電通の弱さにつながらないか、とても心配です。 ――電通ならではの、仕事のやり方はありますか? A 義理人情の“ヤクザ”な世界が結構ありますね。簡単に言うと、平気で人を追い込むことが多々あります。例えば、新聞の広告枠を取る際、どの面にしたいというクライアントの希望があるわけです。その中で、対博報堂との戦いも当然ありますし、社内的にも部署同士で良い枠の取り合いで争うこともあります。そういう時に、どんな手を使ってでも自分のクライアントの希望を優先させるために、相手を潰しにかかるわけです。それが博報堂相手ならまだいいんですけど、同じ電通内で潰し合うのは、会社全体ではどうなのかなとは思いますね。緻密ながらも時には大胆に、傲慢に、相手にプレッシャーを与えたりするわけで、まさに命をかけている感じです。その執念、マインドは凄まじいものがあります。 コンペで博報堂に負けたら… ――博報堂に対しては、どのように思っているんですか? A この業界では、明確に1位(電通)と2位(博報堂)の関係なわけで、入社前は「余裕があるのでは」と思っていました。しかし、博報堂と競合する時などは、それこそ敵意丸出しで「絶対に負けるな!」「負けたら死ぬんだ」という強い意気込みがあるんですね。「絶対に負けてはいけない戦い」なわけです。そうした“凄み”は、あまり博報堂からは感じられません。博報堂は、もっとクールですね。 ――そうした違いは、ほかのシーンでも感じることはありますか? A たまに、クライアントさんとの飲み会で、博報堂など他社と一緒になることがあるのですが、博報堂はそんなにこっちを意識していなくても、うちは火花を散らして「お前ら、今日はわかっているな! 絶対に負けるな!」となるわけです。「やつらに1分も活躍の時間を与えるな」と(笑)。もはや、何を競っているのかわかんないくらいです。まあ、ウチがそんなことしても、クライアントさんがどう評価しているか不明ですが……。 ――すごいですね…。 A あるクライアントさんの担当者が異動することになり、送別会をするとなれば、もう毎晩夜中12時から部内で企画会議です。「どうすれば、その人を感動させられるか?」あらゆる出し物を考えるのです。メモリアル映像まで制作して、そのクライアントさんのCMに出演したタレントに出てもらうところまでします。でも、同僚の結婚式の2次会でも、電通マンは同じようにやっちゃうんですよね。こうした根っからの“企画屋”精神を持った社員の集まりだということが、間違いなく電通の強さだと思います。 ――電通は、「日本のCIA」ともいわれ、裏社会含めてあらゆる世界とつながって、オリンピックをはじめとした巨大利権を握っているという話もありますが、実際はどうなのですか? A そうあってほしいですが、残念ながら、少なくとも現場レベルでは、今はそんなパワーはないですね。もはや、普通の会社になってしまったのではないでしょうか。 (構成=編集部) ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) 【特集】実はブラック?人気企業社員が語る我が社のタブー 大阪市職員「公明党より低レベルな維新の会と、クレイジーな市民」 野村社員「部下は監禁・罵倒し、顧客に損さてもノルマは死守」 大手広告代理店Dの“伝説の”合コンをついに実況中継! グループリーグ突破の五輪代表に吹く追い風を分析 短寿命・低価格で凋落したパナソニックとソニーは復活なるか? 商社の双日に尖閣諸島周辺ビジネスでチャンス到来