東京大学にて、飲酒による死亡事故が発生したという噂が出回った。
7月28日に行われた、テニスサークルの飲み会での出来事だという。事故の再発防止を目的に、教養学部長名義の文書が学生に一斉送信された模様。この度、メールの内容とされるファイルが流出した。
日別アーカイブ: 2012年8月5日
イッキマン -お酢-
塩分摂取量が多そうでニノマさんの体が心配です。
ここは体にいいお酢を一瓶飲んで健康になってください(笑)
HN:ゲロッパ
ありがとうありがとう。心配してくれてとても嬉しいです。
でも意外と体は平気です。
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HN:ゲロッパ
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財界と社内のマネジメントから見る楽天・三木谷浩史の真価
──2011年6月、楽天が経団連を脱退することを、同社代表の三木谷浩史氏がツイッター上で発表した。それから1年、同氏はこの6月に、ウェブ事業者を中心にした「新経済連盟」を始動。97年の創業以来、順調に事業・組織を拡大してきた楽天を率いる三木谷氏とは何者か、我々は本当には知らないのかもしれない。彼は日本の経済界を変える救世主なのか? 財界の大御所を手玉にとる「ジジ転がし」なのか、あるいは、配下の人間に過酷な労働を強いるただの独裁者か。その”マネジメント能力”の真価を計る。
月額525円で読み放題! (バックナンバー含む) 【「サイゾーpremium」では他にも楽天・三木谷関連記事が満載!】 ・恵まれた環境と如才ない処世術でのし上がった"財界のジジ転がし"三木谷浩史が反旗を翻すまで ・「新経連なんて経団連の2軍に過ぎない」経団連に阻まれた三木谷の理念なき野望――評論家・佐高信 ・"経団連"のペット三木谷が画策する維新の会とのタニマチ関係――経済ジャーナリスト・須田慎一郎
2011年、楽天の中核をなす「楽天市場」の取扱高が1兆円を突破した。いまや国内企業が経営する最大のインターネットモールであることは、誰の目にも明らかである。三木谷浩史氏は今年最初の社員集会で「20年までに流通総額を10兆円に伸ばす」と高らかに宣言。その勢いはまだ衰えていない。一代で富を築いた彼だが、その歴史をさかのぼると、重大なターニングポイントでは常に経済界の重鎮たちによるバックアップを受けてきたことが浮き彫りになる。 生まれは1965年。父は高名な経済学者で神戸大学教授(現名誉教授)、母も同大卒のキャリアウーマンという、見事なエリート一家である。父がイェール大学の客員研究員として赴任した際には家族で渡米し、6歳からの3年間をボストンで過ごした。中学からテニスを始め、一橋大学時代にはテニス部部長として100名近くの部員を率いている。 大学を卒業した三木谷氏が就職先に選んだのが、日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)。3年後の91年、社内制度を利用してハーバード大学に留学し、MBAを取得。帰国後は大型M&Aを手がけ、期待の若手に育っていく。しかし95年の阪神大震災で叔父叔母を亡くしたことが、人生の転機となった。「人生は儚い。やりたいことをやらないと悔いが残る」と痛感し、同年末に興銀を退社。コンサルティング会社設立を経て、97年2月には楽天の前身となる会社を作り、同年5月に「楽天市場」を開設した。 まだネット黎明期、ECサイトの成功例もなければノウハウもない時代だった。開設当時の社員は妻を含めて6人、出店店舗はわずか13。彼はこの逆境を、猛烈な営業努力によって乗り切っていく。この頃発揮された「体育会系のアツさ」は、現在に至るまで楽天の社風としても根付いている。その働きの甲斐あって、99年にはテナント2000店舗、年間流通総額1億円超を誇り、あっという間に日本最大のインターネットショッピングサイトとなった。 ■人の話を聞くためのガラス張りの社長室 急成長の裏には、目標達成のための厳格なルール作りがある。「常に改善、常に前進」「スピード!! スピード!! スピード!!」などの「5つの社訓」は社内各所に掲示され、楽天成功の象徴として知られている。これは社員証にも印刷されており、社員は暗唱必須。ノルマも熾烈を極め、成績により細かい職級で格付けがされる。火曜朝8時から行われる定例会議では、遅刻すると入室を認めない徹底ぶり。だが、03年頃に在社した元社員は、当時の社内をこう振り返る。 「幹部クラスのほうが平社員よりも出社が早いから、文句は言えなかったですね。『豪腕』『独裁』とよく言われますが、毎月社員の合同誕生日会を開くなど、社員とも積極的にコミュニケーションを取っていくタイプ。社長室がガラス張りになっていることと、三木谷社長がよく飼い犬のチワワと出社してくることが印象的でした(笑)」 楽天を世間に最も印象づけたのは、04年のプロ野球界再編騒動だろう。先に参入に名乗りを上げていたのはライブドア社長(当時)・堀江貴文氏だったが、Tシャツ姿の彼とは真反対に、三木谷氏はスーツでメディアに登場。堅実さを印象づけた。そしてここで、彼の「ジジ転がし」の力が発揮される。加盟申請書に書かれた諮問委員には、トヨタ自動車会長・奥田碩氏、みずほコーポレート銀行頭取・齋藤宏氏ら、財界のそうそうたる顔ぶれが名を連ねていた。これでは球界の重鎮たちも首を縦に振らないわけにはいかない。結果、渡邉恒雄・読売巨人軍オーナーからのお墨付きも得て、50年ぶりの新規参入企業として選出された。『”教祖”降臨―楽天・三木谷浩史の真実』(05年/日経BP社)の著者で、当時を知るジャーナリスト・児玉博氏はこう語る。 「三木谷氏は興銀時代に孫正義氏や増田宗昭氏を顧客に抱え、ここから財界への足がかりをスタートした。03年には三井住友銀行頭取だった西川善文氏を社外取締役に迎えて地盤を固め、年配経営者たちとのパイプを強めるきっかけになる。奥田氏とはおそらく、当時頻繁に開催されていた政府関連の委員会などで知己を得たのでは。三木谷氏は起業からかなり早い段階で、いわゆる『ITベンチャー』というイメージとは決別したいと考えていました。そのためには先輩社長たちから学び、取り入ることが得策だと考えたのでしょう」 しかし興銀時代から続く人間関係があったとしても、百戦錬磨の財界人たちの懐に入るのは簡単なことではない。なぜ三木谷氏だけが彼らに可愛がられたのだろうか。 「三木谷氏は子どもの頃から、父の元を訪れる経済関係者たちの振る舞いを間近で見て育った。そこで、どんな人物ならお歴々に気に入ってもらえるか、自然と学んでいたのでしょう。テニスで鍛えたスポーツマンシップや体育会系のノリも、財界の大御所たちを惹き付ける魅力になった。トレードマークだったヒゲを剃ったことも、年配者への配慮のひとつで、クレバーな思考の象徴。そもそも球界参入のきっかけは、同じ神戸出身であり経済同友会の先輩でもあるオリックス会長・宮内義彦氏が近鉄買収を打診したことから。三木谷氏が準備を整えていたわけではなく、先輩に言われて慌てて手を挙げたのが本音。つまり子どもの頃から今まで、周りの環境に背中を押されるように育てられてきたんです」(児玉氏) 三木谷氏はこの後も「ジジ転がし」としての実力を遺憾なく発揮していく。特に財界のドン・奥田氏からは絶賛され、長年強力なバックアップを受けた。また、エイベックスの代表取締役社長・松浦勝人氏とは六本木や銀座の豪遊仲間とされるなど、コネクションは高齢実力者だけにとどまらない。さらに、政界にも人脈を持つ。興銀時代の同期には石原慎太郎都知事の三男で、前衆議院議員の石原宏高氏がいた。10年には民主党の細野豪志氏、馬淵澄夫氏など実力派中堅議員と秘密裏に会合を開き、党内の世代交代について助言したといわれている。ツイッターでも「心ある政治家はバックアップします」と宣言し、ネットを使った政治献金システム推進の旗を振る。 こうして強力な人脈を武器に財界をサバイブしてきた三木谷氏だが、やがて重鎮たちと袖を分かつ契機が訪れる。10年2月に立ち上げた「eビジネス推進連合会」。「ネット活用が進まなければ日本は開発途上国になる」と宣言し、副会長にヤフー副社長の井上雅博氏(当時)、幹事にはサイバーエージェント社長の藤田晋氏らを据えた。しかし当時三木谷氏は日本経団連の理事も務めていたため、「新団体を作るなら経団連を抜けるのが道理ではないか」と怒りを買い、11年6月、ついに脱退を決断した。 「経団連の意思決定はブラックボックスで、上層部の限られた人にしか真相がわからない。三木谷氏にとって、ジャッジの過程が見えないことはかなりストレスだったのでは。また、経団連に所属する最大のメリットは、そこで収集される国内外の情報を得られることですが、近年はその収集能力がとみに落ちている。楽天はアジアや南米に拠点を置くなど海外進出にも積極的ですが、そうなるとむしろ足を引っ張られると感じるようになったのでしょう。米倉弘昌氏が選出された会長人事でも、古い体制と求心力のなさに失望したはず」(同) そして今年6月、「eビジネス推進連合会」は「新経済連盟」と改名し、活動を強化すると発表。「我々は未来志向だ」と力強く宣言するなど、ITこそが日本の財界を導くという信念と野望が透けて見える。冒頭に述べたように、彼の目指す先はさらなる高みであり、最終目標は「世界一のインターネット企業」だ。新局面に突入する三木谷氏は、これからどこに向かい、何を成し遂げるのだろうか? 「これまでは新興企業として尖った姿を見せて知名度を得てきたが、今はもうその必要もない。いわば『普通の大企業』になった。目立った行動は少なくなるかもしれないが、各界への影響力はさらに強まるでしょう。ひたすら分析と実行を繰り返した楽天のビジネスモデルは誰にでも真似ができるもので、彼の強みは興銀出身という背景を存分に生かしながら、その看板に驕らない冷静さと意志の強さにあります。その長所を忘れない限り、大きく凋落することはないのでは。それは反面、彼のつまらなさの象徴でもあるのですが」(同) 停滞する日本経済を救うのか、それとも単によくできたワンマン社長として終わるのか。以降では、楽天と三木谷氏を内側・外側それぞれから見てきた人々による、そのジャッジメントを見ていこう。 (取材・文/田島太陽)三木谷浩史氏の著書『成功のコンセ
プト』。
■「サイゾーpremium」とは? 雑誌「サイゾー」のほぼ全記事が、
月額525円で読み放題! (バックナンバー含む) 【「サイゾーpremium」では他にも楽天・三木谷関連記事が満載!】 ・恵まれた環境と如才ない処世術でのし上がった"財界のジジ転がし"三木谷浩史が反旗を翻すまで ・「新経連なんて経団連の2軍に過ぎない」経団連に阻まれた三木谷の理念なき野望――評論家・佐高信 ・"経団連"のペット三木谷が画策する維新の会とのタニマチ関係――経済ジャーナリスト・須田慎一郎
財界と社内のマネジメントから見る楽天・三木谷浩史の真価
──2011年6月、楽天が経団連を脱退することを、同社代表の三木谷浩史氏がツイッター上で発表した。それから1年、同氏はこの6月に、ウェブ事業者を中心にした「新経済連盟」を始動。97年の創業以来、順調に事業・組織を拡大してきた楽天を率いる三木谷氏とは何者か、我々は本当には知らないのかもしれない。彼は日本の経済界を変える救世主なのか? 財界の大御所を手玉にとる「ジジ転がし」なのか、あるいは、配下の人間に過酷な労働を強いるただの独裁者か。その”マネジメント能力”の真価を計る。
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2011年、楽天の中核をなす「楽天市場」の取扱高が1兆円を突破した。いまや国内企業が経営する最大のインターネットモールであることは、誰の目にも明らかである。三木谷浩史氏は今年最初の社員集会で「20年までに流通総額を10兆円に伸ばす」と高らかに宣言。その勢いはまだ衰えていない。一代で富を築いた彼だが、その歴史をさかのぼると、重大なターニングポイントでは常に経済界の重鎮たちによるバックアップを受けてきたことが浮き彫りになる。 生まれは1965年。父は高名な経済学者で神戸大学教授(現名誉教授)、母も同大卒のキャリアウーマンという、見事なエリート一家である。父がイェール大学の客員研究員として赴任した際には家族で渡米し、6歳からの3年間をボストンで過ごした。中学からテニスを始め、一橋大学時代にはテニス部部長として100名近くの部員を率いている。 大学を卒業した三木谷氏が就職先に選んだのが、日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)。3年後の91年、社内制度を利用してハーバード大学に留学し、MBAを取得。帰国後は大型M&Aを手がけ、期待の若手に育っていく。しかし95年の阪神大震災で叔父叔母を亡くしたことが、人生の転機となった。「人生は儚い。やりたいことをやらないと悔いが残る」と痛感し、同年末に興銀を退社。コンサルティング会社設立を経て、97年2月には楽天の前身となる会社を作り、同年5月に「楽天市場」を開設した。 まだネット黎明期、ECサイトの成功例もなければノウハウもない時代だった。開設当時の社員は妻を含めて6人、出店店舗はわずか13。彼はこの逆境を、猛烈な営業努力によって乗り切っていく。この頃発揮された「体育会系のアツさ」は、現在に至るまで楽天の社風としても根付いている。その働きの甲斐あって、99年にはテナント2000店舗、年間流通総額1億円超を誇り、あっという間に日本最大のインターネットショッピングサイトとなった。 ■人の話を聞くためのガラス張りの社長室 急成長の裏には、目標達成のための厳格なルール作りがある。「常に改善、常に前進」「スピード!! スピード!! スピード!!」などの「5つの社訓」は社内各所に掲示され、楽天成功の象徴として知られている。これは社員証にも印刷されており、社員は暗唱必須。ノルマも熾烈を極め、成績により細かい職級で格付けがされる。火曜朝8時から行われる定例会議では、遅刻すると入室を認めない徹底ぶり。だが、03年頃に在社した元社員は、当時の社内をこう振り返る。 「幹部クラスのほうが平社員よりも出社が早いから、文句は言えなかったですね。『豪腕』『独裁』とよく言われますが、毎月社員の合同誕生日会を開くなど、社員とも積極的にコミュニケーションを取っていくタイプ。社長室がガラス張りになっていることと、三木谷社長がよく飼い犬のチワワと出社してくることが印象的でした(笑)」 楽天を世間に最も印象づけたのは、04年のプロ野球界再編騒動だろう。先に参入に名乗りを上げていたのはライブドア社長(当時)・堀江貴文氏だったが、Tシャツ姿の彼とは真反対に、三木谷氏はスーツでメディアに登場。堅実さを印象づけた。そしてここで、彼の「ジジ転がし」の力が発揮される。加盟申請書に書かれた諮問委員には、トヨタ自動車会長・奥田碩氏、みずほコーポレート銀行頭取・齋藤宏氏ら、財界のそうそうたる顔ぶれが名を連ねていた。これでは球界の重鎮たちも首を縦に振らないわけにはいかない。結果、渡邉恒雄・読売巨人軍オーナーからのお墨付きも得て、50年ぶりの新規参入企業として選出された。『”教祖”降臨―楽天・三木谷浩史の真実』(05年/日経BP社)の著者で、当時を知るジャーナリスト・児玉博氏はこう語る。 「三木谷氏は興銀時代に孫正義氏や増田宗昭氏を顧客に抱え、ここから財界への足がかりをスタートした。03年には三井住友銀行頭取だった西川善文氏を社外取締役に迎えて地盤を固め、年配経営者たちとのパイプを強めるきっかけになる。奥田氏とはおそらく、当時頻繁に開催されていた政府関連の委員会などで知己を得たのでは。三木谷氏は起業からかなり早い段階で、いわゆる『ITベンチャー』というイメージとは決別したいと考えていました。そのためには先輩社長たちから学び、取り入ることが得策だと考えたのでしょう」 しかし興銀時代から続く人間関係があったとしても、百戦錬磨の財界人たちの懐に入るのは簡単なことではない。なぜ三木谷氏だけが彼らに可愛がられたのだろうか。 「三木谷氏は子どもの頃から、父の元を訪れる経済関係者たちの振る舞いを間近で見て育った。そこで、どんな人物ならお歴々に気に入ってもらえるか、自然と学んでいたのでしょう。テニスで鍛えたスポーツマンシップや体育会系のノリも、財界の大御所たちを惹き付ける魅力になった。トレードマークだったヒゲを剃ったことも、年配者への配慮のひとつで、クレバーな思考の象徴。そもそも球界参入のきっかけは、同じ神戸出身であり経済同友会の先輩でもあるオリックス会長・宮内義彦氏が近鉄買収を打診したことから。三木谷氏が準備を整えていたわけではなく、先輩に言われて慌てて手を挙げたのが本音。つまり子どもの頃から今まで、周りの環境に背中を押されるように育てられてきたんです」(児玉氏) 三木谷氏はこの後も「ジジ転がし」としての実力を遺憾なく発揮していく。特に財界のドン・奥田氏からは絶賛され、長年強力なバックアップを受けた。また、エイベックスの代表取締役社長・松浦勝人氏とは六本木や銀座の豪遊仲間とされるなど、コネクションは高齢実力者だけにとどまらない。さらに、政界にも人脈を持つ。興銀時代の同期には石原慎太郎都知事の三男で、前衆議院議員の石原宏高氏がいた。10年には民主党の細野豪志氏、馬淵澄夫氏など実力派中堅議員と秘密裏に会合を開き、党内の世代交代について助言したといわれている。ツイッターでも「心ある政治家はバックアップします」と宣言し、ネットを使った政治献金システム推進の旗を振る。 こうして強力な人脈を武器に財界をサバイブしてきた三木谷氏だが、やがて重鎮たちと袖を分かつ契機が訪れる。10年2月に立ち上げた「eビジネス推進連合会」。「ネット活用が進まなければ日本は開発途上国になる」と宣言し、副会長にヤフー副社長の井上雅博氏(当時)、幹事にはサイバーエージェント社長の藤田晋氏らを据えた。しかし当時三木谷氏は日本経団連の理事も務めていたため、「新団体を作るなら経団連を抜けるのが道理ではないか」と怒りを買い、11年6月、ついに脱退を決断した。 「経団連の意思決定はブラックボックスで、上層部の限られた人にしか真相がわからない。三木谷氏にとって、ジャッジの過程が見えないことはかなりストレスだったのでは。また、経団連に所属する最大のメリットは、そこで収集される国内外の情報を得られることですが、近年はその収集能力がとみに落ちている。楽天はアジアや南米に拠点を置くなど海外進出にも積極的ですが、そうなるとむしろ足を引っ張られると感じるようになったのでしょう。米倉弘昌氏が選出された会長人事でも、古い体制と求心力のなさに失望したはず」(同) そして今年6月、「eビジネス推進連合会」は「新経済連盟」と改名し、活動を強化すると発表。「我々は未来志向だ」と力強く宣言するなど、ITこそが日本の財界を導くという信念と野望が透けて見える。冒頭に述べたように、彼の目指す先はさらなる高みであり、最終目標は「世界一のインターネット企業」だ。新局面に突入する三木谷氏は、これからどこに向かい、何を成し遂げるのだろうか? 「これまでは新興企業として尖った姿を見せて知名度を得てきたが、今はもうその必要もない。いわば『普通の大企業』になった。目立った行動は少なくなるかもしれないが、各界への影響力はさらに強まるでしょう。ひたすら分析と実行を繰り返した楽天のビジネスモデルは誰にでも真似ができるもので、彼の強みは興銀出身という背景を存分に生かしながら、その看板に驕らない冷静さと意志の強さにあります。その長所を忘れない限り、大きく凋落することはないのでは。それは反面、彼のつまらなさの象徴でもあるのですが」(同) 停滞する日本経済を救うのか、それとも単によくできたワンマン社長として終わるのか。以降では、楽天と三木谷氏を内側・外側それぞれから見てきた人々による、そのジャッジメントを見ていこう。 (取材・文/田島太陽)三木谷浩史氏の著書『成功のコンセ
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O型は真面目に見えてむっつりスケベ!? 昼と夜の顔が違う血液型選手権
O型は真面目に見えてむっつりスケベ!? 昼と夜の顔が違う血液型選手権
【Negicco】マイペースで前進する“ロコドルの星”3人の現在地とは?

アイドル業界ではすっかりおなじみになったNegiccoの3人。
左からKaede、Nao☆、Megu
左からKaede、Nao☆、Megu
──アイドル業が忙しくなってくると、生活にも差し障りが出てきませんか?
Nao☆ いちばんたいへんなのは大学生(Kaede)なんです。
Kaede そうなんですよ、もうすぐテストで全然寝れてないんですけど(苦笑)。でもアイドルさんはみんなお仕事だけでも忙しくがんばっているので、がんばらなきゃ、と。やれるだけやりたいです。後悔しないように。
──衣裳も立派になって。
Nao☆、Megu ああ~、それはもう。
Kaede 完全にT-paletteさんの支えがあって。いままでは自分たちで買った衣裳を着ていたので。
──既製品を。聞いた話だと、イオンで購入していたそうで。
Nao☆、Megu、Kaede そうなんです!
──でも、芸能活動が本格的になりつつも、いままで築いてきたファンとの距離感というのも大事にしたいですよね?
Nao☆ 握手できるイベントだったり、客席に降りられるイベントだったら、けっこう抱きつかれたりするんですよ。たいへんなんですけど、それでもファンの方たちの近くに行って、触れ合いたいので。ちょっと安全性が犠牲になっているかもしれないですけど、なるべく近くにいたいです。
──みなさん、かなりしっかり話せますね。人見知りすると聞いていたんですが。
Nao☆ 取材は別なので大丈夫なんですけど、初対面のアイドルさんが相手だと、まったくしゃべれなくなっちゃうんですよ。感じ悪いって思われるかもしれない。
Megu いつも3人で固まって、隅っこのほうにいたりするんです。ほんとうに人見知りで緊張していたりするので、不快な思いをさせていないかなと心配です(苦笑)。
Kaede このあいだも対談のお仕事でTomato n’Pineさんといっしょだったんですけど、トマパイさんも緊張されていたのかあまり話さなくて、このままだと取材が終わらないみたいになってしまって。
Nao☆ 取材の方が一方的にお話して、それに答えている状態だったので、対談になっていなかったんです、全然。
──そうか、インタビュアーさんがそれぞれに訊いて、NegiccoとTomato n’Pineの対談になっていなかったという。
Nao☆、Megu そうなんですよ。
Kaede 対談してくださいって言われて。
Nao☆ でもそれで友情が深まったというか。
Megu トマパイさんも似たもの同士と思ってくれたみたいで、親近感を覚えると言ってくれていて。
Nao☆ いっしょにいやすいです(笑)。トマパイさんとは。
──なんというか、みなさん、こう、芸能界慣れした人々とは雰囲気がちがいますよね。
Nao☆ 出ていこう、出ていこうという気持ちは、Negiccoにもあるはあるんですけど。あまりそういうのが好きじゃなくて。
Megu がっつく感じがね。
Nao☆ そう。あんまり「イエー!」みたいなこともしないので。
Megu 奥ゆかしい感じなんですよ。
Kaede 芸能界に向いてない(笑)。
Nao☆ 向いてない向いてない(笑)。
──今はおしゃれでかっこよくもかわいくもなっているし、年々、自分たちらしさを残しつつ自然に変化してきた部分はあると思うんですけど、「ネギ」を残すかどうかは、意識して、考えて選ばないといけなかったことだと思うんですよね。で、「ネギ」を大事にし続けた、そのこころは? ということをおうかがいしたいんですが。
Nao☆ そうですね、いっぱいアイドルさんが出てきて、ご当地アイドルなんて数えるくらいしかいなかったのに、それこそ今では数えられないくらいになっていて。でも、そういうところに入っても埋もれないのは、Negiccoという名前だからだったりもしますし。一回「変える」という話も出たんですけど、そのときに地元で知名度が上がってきたんですね。だからなおさら変えようかという話になったんですけど、でも、いざとなったらみんなで考えたなかにいい名前がなくて。やっぱりNegiccoって、あっという間に頭に残る名前だし、インパクトがあるし。ほかの色と被らないというところで、この名前でずっと行こうって。
その頃は自分たちでNegiccoという名前に違和感がなくて、嫌だなと思うこともなかったんですけど、(活動を始めた)当初はすごくあって。きっと初めてNegiccoの名前を聞いた人は「なんだそれ?」って思うんだろうなって、気にしていました。
イロモノ扱いもされていますし。音楽番組でもネギを紹介するためだけに出たりとか。でも、いい曲をいっぱい歌っているから、「Negiccoというアーティスト」に見てもらえるNegiccoになっていきたいと思います。
Megu Negiccoという名前だけでイロモノ扱いされる方も、ほんとうに多くて。テレビでも、ネギがメインで、こういうアイドルがいるんです、って紹介してもらうことがあるんですけど、わたしたちはライヴだったり、音楽性をもっと見てもらいたいんですよ。
でもNegiccoという名前で得したこともあって。最初に観た人がライヴですごいインパクトを受けるんですね。本格的なライヴをやっているし、いい曲も歌っていますから、名前だけでライヴを観に来た人が、いざその場で見ると「何これ、すごいじゃんNegicco!」と言ってくれる。振り幅がすごいんです。それがおいしいのかな、って思い始めて。ちょっとバカにしていたけど、ライヴを見たらすごいじゃん、と。だから一度ライヴを観てもらいたいし、ほんとうに、音楽を聴いてもらいたいです。
Kaede やっぱり、小中学生だった頃は、周りもちっちゃな子どもですし、「なんだよ、Negiccoって」みたいに、いろいろ言われたんですよ。ですけれども、Negiccoだからできることがあるとわかることもあって。
いまわたしたち、ペンライト(サイリウム)を使っているんです。「ネギライト」って言うんですけど。ペンライトはまっすぐなかたちをしているじゃないですか。ねぎもまっすぐだから、上を緑にして、下を白くしたペンライト(ネギライト)をつくっていただいたんです。そういうのってNegicco特有のものだと思うので。それだけで、ねぎを大事にしていけたらいいな、という気持ちになります。
──よくPerfumeが引き合いに出されますけれども、彼女たちにしても、音楽だけじゃなくてスポーツとかいろいろな分野で、自分たちらしさを大事にして世界に出て行っている日本人が多いと思うんですよね。そう考えると、NegiccoはNegiccoとして、自分たちらしさを持ったまま大きくなるといいな、と個人的には考えていたんですが、みなさんはどう考えていらっしゃいます?
Nao☆ いまのアイドルシーンでは、聴いていると、どんどん盛り・上が・れー! みたいな曲が多いんですけど、Negiccoはそうじゃなくて。アイドルブームに合わせるのではなく、作曲家のconnieさんもNegiccoの色を大事にしてくださっているんです。connieさんに「Negiccoはへたしたら30歳になってもできるグループだよね」と言っていただけて、すごく嬉しかった記憶があります。自分たちでも信じてがんばってはきましたけど、地元から出てきて、まさかここまで来られるとは思ってもみませんでした。Negiccoという積み重ねでここまで来れている、それってすごい大きいことだと思いますし、今となっては期限が来たら年齢的に続けられなくなるグループでもない。そういう意味では、Negiccoでよかったなと思います。
──既存の曲がだんだん鍛えられたり、それを反映した曲づくりになってきている感触はありますか?
Nao☆ connieさんも最近のNegiccoのレベルに合わせて、メジャー感のある曲をつくるようにされているみたいで。でもNegiccoの知名度が全国的に上がってきたら、新潟の方に……なんて言われたんだっけ。
Kaede 「新潟捨てたんかよ」
Nao☆ って言われたんですよ、なんですけど、わたしたちは気持ちも心も新潟を大事にしているんです。だからこそ歌詞のなかに、connieさんが遊びごころで「ヨーン・マルニ」、国道402号線(『あなたとPop With You!』)を盛りこんでるわけですし。
Kaede トキとかもそうだしね。ちょっとずつ新潟のエッセンスが入っているんです。新潟にも住んでいますし。そういうのをconnieさんも大事にしていると思います。
──ここでアイドル好きのMeguさんにお訊きしたいんですが、ローカルアイドルが、いま再び盛り上がってきていて。地元での活動を強化しながら関東などにも積極的に出ていく、広域化という新しい周期に入ってきたのかなと思うんですが、いかがですか?
Megu そうですね、やっぱりそれは感じますね。その、アイドルブームがあるからこそ地方アイドルさんも注目されていますし、地方アイドルさんも東京に呼ばれやすく、来やすくなっていると思うので。いろんな人にチャンスがありますよね。そう感じます。
──Negiccoも新潟を背負って東京に出てきているわけですもんね。そう言えばこのたび、『道の駅』DVDの宣伝PR隊長に就任されたそうで(『完全収録 THE 道の駅 映像全集』ポニーキャニオン)。せっかくなので道の駅のいいところを教えていただけると。
Nao☆ わたしのおすすめは「新潟ふるさと村」です。デビュー当時から道の駅新潟ふるさと村で、わたしたちもイベントをやらせていただいていて、おいしい名産物や……新潟はチューリップが有名なんですけれども、その採花が見られたり、日本海のおいしい魚を食べられたり、B級グルメと呼ばれている新潟のご当地ものも食べられる。NegiccoもB級だなと思っている方もいるかもしれませんけど、NegiccoもB級グルメもA級なところまで来ているんだぞ、ということで、新潟ふるさと村に一度寄っていただいて、よかったらNegiccoのライヴもそこで観ていただけたらいいなと思います。
──Meguさんのおすすめは?
Megu 新潟の豊栄というところの道の駅なんですけど、その豊栄で獲れた名産品を置いてあるところで。ダチョウって生で観たことありますか?
──ないない、ないです!
Megu ダチョウがいるんですよ! 豊栄の道の駅には。実際にダチョウと触れ合えて、餌をあげられたり……ダチョウの卵とかも置いてあるんです。すごく貴重な体験だと思うので、道の駅豊栄、ぜひ行ってみてほしいなと思います。
──Kaedeさんのお心当たりは?
Kaede マリンドリーム能生というところがあるんですよ。海沿いの道の駅なんですけれど、その地域の特産品も売っていますし、海沿いなので、夕方になると夕陽がすごいきれいなんです。日本海と夕陽と、美しい景観を楽しめますから、ぜひ寄っていただきたいなと思います。
──では最後に、新潟そのものの推しはどんなところでしょう?
Nao☆ ほんとうに……。
Megu 空気がおいしい。
Nao☆ おいしいね。
Kaede ごはんもおいしい。
Nao☆ 景色もきれいで。家からも山が見えるんですけど、ほんとうに心を休めることができる、ふるさとを感じられるところが多いですし、道の駅にもいいところがいっぱいありますので、ぜひ一度遊びに来てください。DVD-BOXをお買い上げの方にはスタンプラリーができるスタンプブックも入っています。けっこうイベントなどでお会いするファンのなかに、Negiccoが新潟だから新潟に住みたい、と言ってくださる方が多いんですけれども、そういう方にも、スタンプを集める楽しみがあるんだぞ、ということを発見していただきたいなと思います。
──新潟住み! ファンとしては最高ですよね。
Megu 雪は多いし、いろいろとたいへんなところはあるんですけど、いいところもすごくたくさんありますし。ごはんがおいしいというのがやっぱり、いちばんですよ! ね。白鳥とかね、飛んでるし。
──白鳥?
Nao☆ 白鳥飛んでるね。
Kaede キジとかもいます。いま大学には猿が降りてきています(笑)。
Megu いたちも。
Kaede なんでもいるよね。
Megu 山が近いからね。
──新潟もこの10年でサッカーとか野球とかプロレスとかいろいろ出てきましたが、Negiccoで町興しができたらいいですよね。今日はありがとうございました。
Nao☆、Megu、Kaede ありがとうございました!
(取材・構成=後藤勝/写真=尾藤能暢)
●Negicco(ねぎっこ)
2003年7月、やわ肌ネギキャンペーンのユニットとして「Negicco」を結成。キャンペーンソング「恋するねぎっ娘」でCDデビュー。05年、古町音楽祭で古町をイメージした「Falling Stars」がグランプリを受賞。06年~10年「Team ECO」(地球環境を整える)のCMに出演。09年新潟国体のイメージソング「がむしゃらな風になれ」の歌とダンスの啓蒙で国体を盛り上げる。インターネットTV、GyaOの「勝ち抜き! アイドル天国!! ヌキ天」に出演、計6週のチャレンジで見事グランプリを獲得。10年7月「プラスちっく☆スター」を全国リリース。11月埼玉県深谷市で行われた「全国ねぎサミット」に出演、全国のネギ産地にNegiccoの名を知らしめる。12月都内で行われた地方アイドルNo.1決定戦でグランプリ受賞、見事地方アイドルの頂点に君臨。11年6月にタワーレコードが立ち上げたアイドルに特化した専門レーベル「T-Palette Records」の所属アーティストとなり、シングル、ベストアルバムが好評を博している。
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【発売・販売元】ポニーキャニオン ©2012「THE 道の駅」製作委員会


