豪華声優陣&スタッフが集結! 宮沢賢治の傑作童話を映画化『グスコーブドリの伝記』

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(C)2012『グスコーブドリの伝記』製作委員会/ますむら・ひろし
 今週は、困難な状況に決死の覚悟で立ち向かう主人公が魅力的な新作映画2本を紹介しよう(いずれも7月7日公開)。  『崖っぷちの男』は、『アバター』(2009)のサム・ワーシントンを主演に迎え、絶体絶命の状況から起死回生の大勝負に賭ける男を描く異色のアクションサスペンス。ニューヨークの名門ホテルにチェックインした男(ワーシントン)が、意を決して21階の部屋の窓を越え、外壁のわずか35センチ幅の縁に立つ。今にも飛び降りそうな男に気づいた路上の通行人たちが騒然とする中、通報を受けた警察の交渉人(エリザベス・バンクス)らが説得を始める。やがて男の身元が判明。30億円のダイヤモンドを盗んだ罪で収監され、父親の葬儀に列席した際に脱走した元警官のニックだった。無実の罪を晴らすため、ニックは命懸けの計画を実行に移す。  壁面の縁に立つシーンの大部分で、実在するルーズベルト・ホテルの地上60メートルの外壁で演技したというワーシントン。目もくらむロケーションと、真に迫る恐怖の表情に、観客の緊張感も一層高まる。ニックの回想、交渉人とのやり取り、濡れ衣を着せた一味の動向、そしてニックに協力する弟とその恋人の“ミッション”がテンポ良く切り替わり、怒濤のクライマックスへとなだれ込む。監督はドキュメンタリー出身で本作が劇場用長編映画デビューとなるアスガー・レス。ご都合主義的な展開も若干あるが、巧みな演出により最後までスリルたっぷりに楽しませてくれる快作だ。  もう1本の『グスコーブドリの伝記』は、岩手出身の国民的作家・宮沢賢治が晩年に発表した傑作童話を、『銀河鉄道の夜』(85)も手がけた杉井ギサブロー監督がアニメ映画化。イーハトーブの森で両親と妹と幸せに暮らしていたブドリは、冷害のため家族を失ってしまう。青年になり火山局に勤めることになるが、森は再び大きな冷害に直面。故郷と大切な人たちを守るため、ブドリはある大きな決断をする。  『銀河鉄道の夜』に続き、ますむら・ひろしがキャラクター原案を担当し、擬人化した猫で登場人物を表現。制作には手塚プロダクションが参加した。声の出演も小栗旬、忽那汐里、草刈民代、柄本明、佐々木蔵之介と豪華。震災復興の願いが込められた本作は、東北を思う多くの人々に勇気と感動を与えてくれることだろう。 (文=映画.com編集スタッフ・高森郁哉) 『崖っぷちの男』作品情報 <http://eiga.com/movie/57259/> 『グスコーブドリの伝記』作品情報 <http://eiga.com/movie/57598/>

女子アナの穴埋めにもなれない、菊川怜の現在地

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『菊川怜の数学生活のススメ』
(日本文芸社)

◎朝っぱらから解せない思い
 『とくダネ!』(フジテレビ系)のMCが、中野美奈子アナから菊川怜に。なぜ今、菊川怜。女子アナ全員「あそこに行くくらいなら辞めます」となり、日テレみたいに次々辞められちゃ大変と、苦肉の策で外部タレントを公認にしたんじゃないか。中野美奈子も、『とくダネ!』に行かされなければ、もうちょっとフジにとどまっていたかもしれないしな。

 それはわかるがなぜ菊川怜。

 今「朝の情報番組の女性キャスター」の候補を考えるとしたら、「菊川怜」はホワイトボード8枚目くらいまで行かないと出て来ない名前だと思う。ま、実際に放送を見てみると、仕事ほとんどなんにもやらせてもらってないわけだが。オスカーから遊びに来たお飾りさん扱い。

 だからって、『とくダネ!』のオフィシャルサイトのどこにも、名前も写真もなにも出てないってのは、すごいと思う。お飾りにすらなってない。番組による堂々の「おみそ扱い宣言」ってことなのか。

天然ボケすぎるカレにイラついてたけど、夏祭りで告白されて……

【作品名】『乱れる浴衣・乱れる夜』 【作者】うえすぎうる子

【作品紹介】 バカでダメダメな天然ボケな彼。誕生日やイベントの予定の勘違いやドタキャンも日常茶飯事! 楽しみにしてた夏祭りも、結局ひとりで行くことになっちゃうし。でも、夏祭りの人ごみのなかで彼が追いかけてきてド直球に告白してきた! 仲直りのHは花火の下で……。

【サイゾーウーマンリコメンド】ちょっとちょっと~、折角の祭りなのにな~にイチャコラしてんのよ~。祭りっていったら、盆踊りとカラオケ大会でしょうが! 男に会えなくて溜まった性欲をパッションに変えて踊り狂うくらいの情熱が杏菜ちゃんには足りないわね。それに、拓巳みたいなナヨい男じゃ神輿は担げなくってよ~!

天然ボケすぎるカレにイラついてたけど、夏祭りで告白されて……

【作品名】『乱れる浴衣・乱れる夜』 【作者】うえすぎうる子

【作品紹介】 バカでダメダメな天然ボケな彼。誕生日やイベントの予定の勘違いやドタキャンも日常茶飯事! 楽しみにしてた夏祭りも、結局ひとりで行くことになっちゃうし。でも、夏祭りの人ごみのなかで彼が追いかけてきてド直球に告白してきた! 仲直りのHは花火の下で……。

【サイゾーウーマンリコメンド】ちょっとちょっと~、折角の祭りなのにな~にイチャコラしてんのよ~。祭りっていったら、盆踊りとカラオケ大会でしょうが! 男に会えなくて溜まった性欲をパッションに変えて踊り狂うくらいの情熱が杏菜ちゃんには足りないわね。それに、拓巳みたいなナヨい男じゃ神輿は担げなくってよ~!

サービスはそんなにヒドいのか!? ‟苦情は受け付けない”スカイマークに乗ってみた

skymark001.jpg  今年5月、「機内での苦情は一切受け付けません」などとするサービスコンセプトを示し、ネット上で話題を呼んだ航空会社・スカイマークエアラインズ。不満がある場合の連絡先として、同社の「お客様相談センター」と共に「消費者庁消費生活センター」の名を記したことで、東京都消費生活総合センターが同社に抗議。消費者庁も文章の回収を要請する意向を示したことから、同社の西久保慎一社長が同庁に謝罪する騒ぎに発展した。  容赦ない批判を浴びたスカイマークだが、確かにその安さは魅力的だ。羽田~福岡の片道料金を正規料金で比べると、全日空が3万6,870円に対して、スカイマークは1万9,800円だ。加えて、6月には毎週日曜日は全路線が片道1万円になるサービスを展開。好評だったようで、7月1日にも継続実施された。
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応対は問題ないけど、電車を降りてから
カウンターまで遠い……。
 消費者に、まるで「安かろう悪かろうなんだから、文句を言うな!」といっているかのようなスカイマークだが、そこまでヒドいサービスなのだろうか? 実際に搭乗してみることにした。  やってきたのは、早朝の羽田空港。どんな「安かろう悪かろう」なサービスが待っているのかと期待しながら、カウンターの行列へ。  案内係の女性は「こちらでお待ち下さい」と丁寧に説明してくれるし、カウンターの女性も「お待たせしました」と、きちんと挨拶してくれた。なんら問題なく、搭乗手続きは完了した。  なお、復路の福岡空港では、案内係の女性が「自動発券カウンターのほうが、ご自身で席を選べて便利ですよ」と、発券機の使い方を教えてくれた。なんだ、親切じゃないか。まったく拍子抜けである。  そのまま、なんのトラブルもないまま機内へ入り、着席。飛行機の入口に立っているCAも、深々とお辞儀をして乗客を迎入れている。出発前に行われる緊急時の説明も、マニュアル通りにこなしている様子だ。  ……結局、特筆すべき事態は何も起こらないまま、飛行機は目的地に到着した。空路ならではのドリンクサービスなどは一切ないのだが、そうしたサービスがないのは新幹線など鉄道路線でも同様。むしろ、ドリンクが出ないだけで運賃が安くなるのならば、そのほうがありがたい。それに、国内線ならば搭乗時間は2時間程度、座席の座り心地もあまり気にならない。
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初めてターミナルへバスで移動。
 多くの人が「2時間程度ならば、快適さよりも安さ」と感じているのだろうか、座席は往復共に満席であった。  ちなみに、復路の羽田空港では飛行機から降りた後に、バスでターミナルまで移動というレアな出来事に出会ったのだが、係員たちは乗客全員がターミナルに入るまでお辞儀をやめなかった。  実際、トラブルが起きた時に、どのような対処をしてくれるのかは気になるところだが、通常の搭乗であればまず問題ない。格安ではあるものの、腐っても航空会社。プロが整備をし、操縦しているワケだから、自家用車よりはよっぽど安全に違いない。  まあ、クレームするとしたら乗ってる飛行機が墜落する時くらいだね。 (取材・文=昼間 たかし)

風化を待って“なかったこと”に? 寺岡呼人&吉田恵不倫報道のその後

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『独立猿人』/トイズファクトリー

 今年5月17日発売の「週刊文春」(文藝春秋)で不倫を報じられたフリーアナウンサー・吉田恵と音楽プロデューサー・寺岡呼人。同誌は5月15日深夜、妻子ある寺岡と吉田が都内の高級ホテルで密会していた様子を掲載し、不倫を証拠付ける数々の目撃談を報じた。当人たちは不倫関係を全否定したが、その後音沙汰もないことから「やはり本当のことだった」とみられているという。

 1999年に『めざましテレビ』(フジテレビ系)のお天気キャスターとして人気を博した吉田。私生活では2002年12月に大手スポーツメーカー「ミズノ」社長の長男と結婚。その後は夫の海外赴任に同行するため日本を離れたが、09年には夫の本社勤務に伴い帰国し、現在は『新報道2001』(同)で司会を務めている。今年4月30日には、同月中旬に夫と離婚していたことが明らかになっていた。

風化を待って“なかったこと”に? 寺岡呼人&吉田恵不倫報道のその後

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『独立猿人』/トイズファクトリー

 今年5月17日発売の「週刊文春」(文藝春秋)で不倫を報じられたフリーアナウンサー・吉田恵と音楽プロデューサー・寺岡呼人。同誌は5月15日深夜、妻子ある寺岡と吉田が都内の高級ホテルで密会していた様子を掲載し、不倫を証拠付ける数々の目撃談を報じた。当人たちは不倫関係を全否定したが、その後音沙汰もないことから「やはり本当のことだった」とみられているという。

 1999年に『めざましテレビ』(フジテレビ系)のお天気キャスターとして人気を博した吉田。私生活では2002年12月に大手スポーツメーカー「ミズノ」社長の長男と結婚。その後は夫の海外赴任に同行するため日本を離れたが、09年には夫の本社勤務に伴い帰国し、現在は『新報道2001』(同)で司会を務めている。今年4月30日には、同月中旬に夫と離婚していたことが明らかになっていた。

「なんでもあり」な80年代を象徴するツッパリキャッツ! なめ猫今昔物語

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(c)SATORU TSUDA
アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   「ツッパリ」と呼ばれる不良少年少女の増加が社会問題化していた1980年。イケイケドンドンなバブル景気の予感が漂う社会の片隅で、ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけていた彼らが世間にガンを飛ばしていた当時、ツッパリスタイルの学ランとセーラー服に身を包んだ子猫が突如メディアに登場した。  「なめんなよ」のフレーズも勇ましい彼らの名は「なめ猫」。人間と同じ衣装を着た子猫たちを撮影したそのキャラクターグッズは空前の大ブームを巻き起こした。文房具やアパレル、ポスターから音楽CDまで、実に500種類以上も発売されたグッズはいずれも大ヒット。中でも、「なめられたら無効」と書かれた免許証カードは累計1,200万枚も販売されたというから驚きだ。  今回は、そんな80年代最初の大ヒットキャラクター「なめ猫」の生みの親であるグループS株式会社代表取締役の津田覚氏に、「なめ猫」誕生秘話と今の姿を聞いてみた。 ■なめ猫誕生秘話 「うちは動物園といわれるくらい、動物を飼っていました」
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(c)SATORU TSUDA
 動物好きが高じて、うさぎ、鳥、亀などありとあらゆる動物を自宅で飼育していた津田氏は、ある日、クリーニング屋のおじさんが捨てようとしていた生まれたばかりの4匹の子猫を引き取った。生まれたばかりで、片時も目が離せない子猫を育てることになった津田氏は、大きなバスケットに4匹の子猫を入れ、仕事場にも連れていくほど大切に面倒をみていたそうだ。その結果、 「最初に目を開けた時からずっと一緒にいたせいか、僕を親だと思っていたみたいです。布団に入ると、いっせいに4匹が潜り込んでくるんです」  というほど、子猫たちは津田氏に懐くようになったという。  まるで本当の子どものように育ててきた子猫たちも、生後1カ月後くらいになると自由に動き回るようになる。そんな時、当時付き合っていた女性が家に忘れていったフランス人形の衣装で子猫たちが遊んでいる姿を見かけた津田氏は、子猫たちに人形の衣装を着せて成長記録を撮るということを始めたそうだ。  この写真を友人が大絶賛。当初はその写真を商品にするつもりはまったくなかったそうだが、実際にグッズ化したところ大ヒットを記録。たちまち4匹の子猫は日本一のアイドル猫となったのだ。中でもとくに人気があったのは、くりくりした瞳と澄まし顔が印象的な三毛猫・又吉。彼女(実はメスだったのだ!)を中心に1980年から82年の間「なめ猫」グッズが展開した。
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「なめ猫」生みの親・津田覚氏。
 しかし、なぜ「ツッパリ」スタイルだったのだろうか。この疑問に対して、津田氏はこう答える。 「単純にあの当時、学ランとセーラー服が一番多くの日本人が通過するファッションだったからです。仮に大人の衣装を着たとしても、服の系統が細分化されているので『なめ猫』ほどのヒットになはらなかったでしょうね。ただ猫に服を着せたからヒットした、わけではないと思います」  偶然から生まれた「服を着た猫」というアイデアと、理にかなったリサーチから「なめ猫」は生まれたのだ。 ■手間暇かけて、愛情込めて行われた「なめ猫」撮影  なめ猫を語る上で忘れられないのは、「子猫たちをどうやって立たせているのか」論争である。当時、子猫たちが人間と同じ服を着て立っている姿に、テレビや雑誌ではとある識者が「動物虐待だ」とたびたび批判。中には「背中に定規を差し込んで立たせている」と、さも撮影を見てきたかのように語る人物や、「剥製だ」と主張する人物まで出てきたそうだ。
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社長室は「なめ猫」グッズでぎっしり。
 実は、子猫たちは立っていたわけではなく、座っているところに全身をすっぽり覆う形で衣装を着ていただけなのだが、「そのままにしておいたほうが知名度が上がるから無視していました」と津田氏は世間のバッシングを放置。  その後、知名度が上がり切ったところで、テレビ番組で撮影シーンの一部始終を公開したのである。これにより人気を維持したまま、世間のなめ猫バッシングは息を潜めることになったそうだ。津田氏、なかなかのやり手である。  そんななめ猫の撮影は、又吉たちが成長する前の、およそ1カ月間でほとんど終えてしまったそうだ。この間、8人の猫好きグループを結成。一匹ごとに一人ずつ担当スタッフをつけた上に、専属の洋裁スタッフや獣医などがつくという盤石の体制で撮影は行われた。 「撮影は大変でしたね。子猫の集中力が続かないので短時間しか撮影ができませんでした。だからまずダミーのぬいぐるみを置いて、配置やライティングを決めてから撮りました。おまけに子猫は服をすぐにぼろぼろにしちゃうんです。1着15万円もしたんですが、一回撮ったらそれでおしまいでした」  このように、手間暇をかけて撮影されたなめ猫グッズは、冒頭で述べたように大ヒット。カードは1200万枚、ポスターは600万枚の売り上げを記録した。この記録はいまだに破られておらず、キャラクターグッズ史上もっとも売れたキャラクターとしてなめ猫の名は、今も燦然と輝いている。 ■意外な「なめ猫」の副産物  動物に服を着せる、というかつてない発想で誕生したなめ猫だが、このアイデアは後に意外な副産物を生み出している。
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「当時、なめ猫の服を作りたいと言ってくる業者はたくさんいたのですが、それとおなじくらい犬の服を作りたいという業者もたくさんいました。うちしか動物に服を着せるようなことをしていなかったからみんな許諾を取りにきたんですが、『好きにしていいよ』と言っていました」  この津田氏の対応のおかげで、世の中に「犬に服を着せる」という文化が定着。今ではすっかり一般化した感のある「犬服」のルーツはなんと「なめ猫」だったのだ。 ■密かに大ブーム真っ最中! 「なめ猫」の今  数々の伝説を残した「なめ猫」だが、誕生から30年を経た今も密かなブームとなっている。きっかけとなったのが、2005年のグッズ再発売だ。その後、2006年に子ども向け漫画雑誌「月刊コロコロコミック」「別冊コロコロコミック」(いずれも小学館)で又吉を主人公にした漫画『~なめねこ又吉最強伝説~なめんなよ!』の連載をスタート。同時に少女漫画雑誌「ちゃお」(小学館)では写真を使った相談コーナーも始まり、低年齢層に大きな支持を獲得。2009年頃まで小学館発行の子ども向け雑誌で「なめ猫」が多く取り上げられた。
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 そのため、若年層の「なめ猫」人気はかなりのもので、再発売された免許証カードの売り上げはなんと累計1,700万枚。第1次ブーム以上の売り上げを記録しているのだ。 「コロコロコミックをはじめ、小学館さんがいろいろとやってくれたおかげで若年層に売れたのはありがたいですね。現在250アイテム出ていますが、とくに騒がれてないのにこんなに売れるなんて不思議です」  さらに近年は、警視庁の暴走族追放キャンペーンや肖像パブリシティ権侵害行為防止キャンペーンなど、モラル向上を促すポスターのキャラクターにも採用されることも増えている。世間の皆さんに迷惑をかける半端者たちに、硬派ななめ猫たちは今日も「なめんなよ!」とにらみをきかせているというわけだ。  かつてのように一大センセーションを起こしているわけではないが、定番キャラクターとして21世紀の「なめ猫」は社会に定着しつつあるのだ。 ■その後のなめ猫  ところで、復活した「なめ猫」グッズでは新世代の猫たちによる新たな写真は使われているのだろうか。そんな疑問に津田氏はこう答える。 「新たに撮影はしていません。今も当時の写真を使っています。というのも、寝食をともにした猫でないと自然な表情が撮れないんです。それに又吉って、やっぱりイケメンなんですよ。こんなに整った顔の猫はなかなかいないんです。又吉はとくにいい表情の撮れる猫でした」
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(c)SATORU TSUDA
 「なめ猫」は子猫たちと津田氏の一期一会の出会いが生み出した、奇跡のキャラクターだったのかもしれない。  大ブームが去った後、アイドルから「普通の猫」に戻った「なめ猫」たちは、のんびりと人生(猫生?)を謳歌し天寿を全うしたそうだ。とくに、又吉の彼女役だった「みけ子」は24年、人間の年齢に直すと130歳まで生きたという。  そんな多くの人間に愛された猫たちは、いまや日本だけでなく世界で愛される存在となりつつある。スイスの腕時計ブランド、フランク・ミュラーとコラボレーションして「なめ猫30周年モニュメントウォッチ」を生産したのを筆頭に、アジアでは台湾、香港。西欧圏ではアメリカでグッズを展開。昨今の「クールジャパン」ムーブメントもあり、日本のポップ・カルチャーの一つとして海外で紹介されることも少なくないそうだ。  なんでもありの時代と言われた80年代初頭に誕生し、まさに「なんでもあり」な空気を体現した「なめ猫」は、今も当時と変わらず世間に対して「なめんなよ」とつっぱっているのだ。 (取材・文=有田シュン) ●なめ猫公式サイト <http://www.nameneko.com/> ●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol9】貼って貼られて貼り返されて!? 「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」今昔物語 【Vol8】 "懐かしのおもちゃ"から"スポーツ"へ 「ルービックキューブ」今昔物語 【Vol7】練り続けて25年! 家族の絆を繋ぐ遊べるお菓子「ねるねるねるね」秘話! 【Vol.6】合体のロマンに全国の男子がハマりまくった! 「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」今昔物語 【Vol.5】男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

「なんでもあり」な80年代を象徴するツッパリキャッツ! なめ猫今昔物語

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(c)SATORU TSUDA
アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   「ツッパリ」と呼ばれる不良少年少女の増加が社会問題化していた1980年。イケイケドンドンなバブル景気の予感が漂う社会の片隅で、ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけていた彼らが世間にガンを飛ばしていた当時、ツッパリスタイルの学ランとセーラー服に身を包んだ子猫が突如メディアに登場した。  「なめんなよ」のフレーズも勇ましい彼らの名は「なめ猫」。人間と同じ衣装を着た子猫たちを撮影したそのキャラクターグッズは空前の大ブームを巻き起こした。文房具やアパレル、ポスターから音楽CDまで、実に500種類以上も発売されたグッズはいずれも大ヒット。中でも、「なめられたら無効」と書かれた免許証カードは累計1,200万枚も販売されたというから驚きだ。  今回は、そんな80年代最初の大ヒットキャラクター「なめ猫」の生みの親であるグループS株式会社代表取締役の津田覚氏に、「なめ猫」誕生秘話と今の姿を聞いてみた。 ■なめ猫誕生秘話 「うちは動物園といわれるくらい、動物を飼っていました」
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(c)SATORU TSUDA
 動物好きが高じて、うさぎ、鳥、亀などありとあらゆる動物を自宅で飼育していた津田氏は、ある日、クリーニング屋のおじさんが捨てようとしていた生まれたばかりの4匹の子猫を引き取った。生まれたばかりで、片時も目が離せない子猫を育てることになった津田氏は、大きなバスケットに4匹の子猫を入れ、仕事場にも連れていくほど大切に面倒をみていたそうだ。その結果、 「最初に目を開けた時からずっと一緒にいたせいか、僕を親だと思っていたみたいです。布団に入ると、いっせいに4匹が潜り込んでくるんです」  というほど、子猫たちは津田氏に懐くようになったという。  まるで本当の子どものように育ててきた子猫たちも、生後1カ月後くらいになると自由に動き回るようになる。そんな時、当時付き合っていた女性が家に忘れていったフランス人形の衣装で子猫たちが遊んでいる姿を見かけた津田氏は、子猫たちに人形の衣装を着せて成長記録を撮るということを始めたそうだ。  この写真を友人が大絶賛。当初はその写真を商品にするつもりはまったくなかったそうだが、実際にグッズ化したところ大ヒットを記録。たちまち4匹の子猫は日本一のアイドル猫となったのだ。中でもとくに人気があったのは、くりくりした瞳と澄まし顔が印象的な三毛猫・又吉。彼女(実はメスだったのだ!)を中心に1980年から82年の間「なめ猫」グッズが展開した。
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「なめ猫」生みの親・津田覚氏。
 しかし、なぜ「ツッパリ」スタイルだったのだろうか。この疑問に対して、津田氏はこう答える。 「単純にあの当時、学ランとセーラー服が一番多くの日本人が通過するファッションだったからです。仮に大人の衣装を着たとしても、服の系統が細分化されているので『なめ猫』ほどのヒットになはらなかったでしょうね。ただ猫に服を着せたからヒットした、わけではないと思います」  偶然から生まれた「服を着た猫」というアイデアと、理にかなったリサーチから「なめ猫」は生まれたのだ。 ■手間暇かけて、愛情込めて行われた「なめ猫」撮影  なめ猫を語る上で忘れられないのは、「子猫たちをどうやって立たせているのか」論争である。当時、子猫たちが人間と同じ服を着て立っている姿に、テレビや雑誌ではとある識者が「動物虐待だ」とたびたび批判。中には「背中に定規を差し込んで立たせている」と、さも撮影を見てきたかのように語る人物や、「剥製だ」と主張する人物まで出てきたそうだ。
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社長室は「なめ猫」グッズでぎっしり。
 実は、子猫たちは立っていたわけではなく、座っているところに全身をすっぽり覆う形で衣装を着ていただけなのだが、「そのままにしておいたほうが知名度が上がるから無視していました」と津田氏は世間のバッシングを放置。  その後、知名度が上がり切ったところで、テレビ番組で撮影シーンの一部始終を公開したのである。これにより人気を維持したまま、世間のなめ猫バッシングは息を潜めることになったそうだ。津田氏、なかなかのやり手である。  そんななめ猫の撮影は、又吉たちが成長する前の、およそ1カ月間でほとんど終えてしまったそうだ。この間、8人の猫好きグループを結成。一匹ごとに一人ずつ担当スタッフをつけた上に、専属の洋裁スタッフや獣医などがつくという盤石の体制で撮影は行われた。 「撮影は大変でしたね。子猫の集中力が続かないので短時間しか撮影ができませんでした。だからまずダミーのぬいぐるみを置いて、配置やライティングを決めてから撮りました。おまけに子猫は服をすぐにぼろぼろにしちゃうんです。1着15万円もしたんですが、一回撮ったらそれでおしまいでした」  このように、手間暇をかけて撮影されたなめ猫グッズは、冒頭で述べたように大ヒット。カードは1200万枚、ポスターは600万枚の売り上げを記録した。この記録はいまだに破られておらず、キャラクターグッズ史上もっとも売れたキャラクターとしてなめ猫の名は、今も燦然と輝いている。 ■意外な「なめ猫」の副産物  動物に服を着せる、というかつてない発想で誕生したなめ猫だが、このアイデアは後に意外な副産物を生み出している。
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「当時、なめ猫の服を作りたいと言ってくる業者はたくさんいたのですが、それとおなじくらい犬の服を作りたいという業者もたくさんいました。うちしか動物に服を着せるようなことをしていなかったからみんな許諾を取りにきたんですが、『好きにしていいよ』と言っていました」  この津田氏の対応のおかげで、世の中に「犬に服を着せる」という文化が定着。今ではすっかり一般化した感のある「犬服」のルーツはなんと「なめ猫」だったのだ。 ■密かに大ブーム真っ最中! 「なめ猫」の今  数々の伝説を残した「なめ猫」だが、誕生から30年を経た今も密かなブームとなっている。きっかけとなったのが、2005年のグッズ再発売だ。その後、2006年に子ども向け漫画雑誌「月刊コロコロコミック」「別冊コロコロコミック」(いずれも小学館)で又吉を主人公にした漫画『~なめねこ又吉最強伝説~なめんなよ!』の連載をスタート。同時に少女漫画雑誌「ちゃお」(小学館)では写真を使った相談コーナーも始まり、低年齢層に大きな支持を獲得。2009年頃まで小学館発行の子ども向け雑誌で「なめ猫」が多く取り上げられた。
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 そのため、若年層の「なめ猫」人気はかなりのもので、再発売された免許証カードの売り上げはなんと累計1,700万枚。第1次ブーム以上の売り上げを記録しているのだ。 「コロコロコミックをはじめ、小学館さんがいろいろとやってくれたおかげで若年層に売れたのはありがたいですね。現在250アイテム出ていますが、とくに騒がれてないのにこんなに売れるなんて不思議です」  さらに近年は、警視庁の暴走族追放キャンペーンや肖像パブリシティ権侵害行為防止キャンペーンなど、モラル向上を促すポスターのキャラクターにも採用されることも増えている。世間の皆さんに迷惑をかける半端者たちに、硬派ななめ猫たちは今日も「なめんなよ!」とにらみをきかせているというわけだ。  かつてのように一大センセーションを起こしているわけではないが、定番キャラクターとして21世紀の「なめ猫」は社会に定着しつつあるのだ。 ■その後のなめ猫  ところで、復活した「なめ猫」グッズでは新世代の猫たちによる新たな写真は使われているのだろうか。そんな疑問に津田氏はこう答える。 「新たに撮影はしていません。今も当時の写真を使っています。というのも、寝食をともにした猫でないと自然な表情が撮れないんです。それに又吉って、やっぱりイケメンなんですよ。こんなに整った顔の猫はなかなかいないんです。又吉はとくにいい表情の撮れる猫でした」
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(c)SATORU TSUDA
 「なめ猫」は子猫たちと津田氏の一期一会の出会いが生み出した、奇跡のキャラクターだったのかもしれない。  大ブームが去った後、アイドルから「普通の猫」に戻った「なめ猫」たちは、のんびりと人生(猫生?)を謳歌し天寿を全うしたそうだ。とくに、又吉の彼女役だった「みけ子」は24年、人間の年齢に直すと130歳まで生きたという。  そんな多くの人間に愛された猫たちは、いまや日本だけでなく世界で愛される存在となりつつある。スイスの腕時計ブランド、フランク・ミュラーとコラボレーションして「なめ猫30周年モニュメントウォッチ」を生産したのを筆頭に、アジアでは台湾、香港。西欧圏ではアメリカでグッズを展開。昨今の「クールジャパン」ムーブメントもあり、日本のポップ・カルチャーの一つとして海外で紹介されることも少なくないそうだ。  なんでもありの時代と言われた80年代初頭に誕生し、まさに「なんでもあり」な空気を体現した「なめ猫」は、今も当時と変わらず世間に対して「なめんなよ」とつっぱっているのだ。 (取材・文=有田シュン) ●なめ猫公式サイト <http://www.nameneko.com/> ●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol9】貼って貼られて貼り返されて!? 「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」今昔物語 【Vol8】 "懐かしのおもちゃ"から"スポーツ"へ 「ルービックキューブ」今昔物語 【Vol7】練り続けて25年! 家族の絆を繋ぐ遊べるお菓子「ねるねるねるね」秘話! 【Vol.6】合体のロマンに全国の男子がハマりまくった! 「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」今昔物語 【Vol.5】男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

日本で一番面白い男

お久しぶりです! 黒田勇樹です! サボってたわけじゃないんです! なんかちょっと忙しくなっちゃって(探偵ファイルは後回しにしてただけなんです!) 先日も今ネットで一番面白い人間を決めるイベントに参加してきました。最近某スタディギフトで話題になった連続企業家、家入一真さん。大人気サラリーマンブロガー、ヨシナガさん。探偵ファイルでもおなじみ、桜井えりすさん。で、自称ハイパーメディアフリーターの俺。ノミネート偏りすぎ!