
高倉健がレポーターを務めた『むかし男ありけり』。
健さんもエーブンさんも、檀一雄の愛人の前で固まってしまう。
(c)RKB毎日放送
"エーブンさん"と聞くと、映像関係の仕事に多少なりとも関わっていた人間は特別な感慨が湧く。特に地方出身者は憧れと親しみと同時に、「エーブンさんのようには自分はなれない」という畏怖の念も抱く。エーブンさんこと、木村栄文(きむら・ひでふみ)さんはRKB毎日放送という福岡にあるローカル局のいちディレクターだった。ローカル局の限られた予算と時間をやりくりして、独自の視点によるドキュメンタリーをコツコツとつくり続けた人だ。ローカル局制作のテレビ番組というと地味でしょぼいイメージがあるが、エーブンさんはローカル局に身を置くことを逆に強みとし、視聴率や流行に左右されずに、丹念に取材を進め、オリジナリティー溢れる番組をつくり続けた。エーブンさんが手掛けたドキュメンタリーの多くはローカルでしか放送されなかったが、文化庁芸術祭で大賞をはじめ6度の受賞を果たし"賞男"とも呼ばれた。でも、賞男らしい野心ギラギラさは感じさせず、いつもひょうひょうとしていた。同僚たちが局内で出世したり、東京に出て成功を収めることにも動じることなく、エーブンさんは生まれ故郷である福岡に腰を据え、ずっと現役ディレクターとして番組づくりにこだわった。
2011年3月22日に76歳で亡くなったエーブンさんの1周忌を控えて企画されたのが公開講座『木村栄文レトロスペクティブ』。2011年山形国際ドキュメンタリー映画際で上映されたエーブンさんの代表作12本を特集上映するものだ。無頼派作家・檀一雄がポルトガルや博多湾に浮かぶ能古島で過ごした晩年の足取りを追う『むかし男ありけり』(84)は俳優・高倉健がレポーターを務めている。石炭の産地として戦後の日本を支えた筑豊の歴史を辿る『まっくら』(73)では、『まんが日本昔ばなし』(TBS系)の名ナレーター・常田富士男と『百物語』の語り部として知られる白石加代子が廃墟と化した炭坑町の住人/もののけとして登場する。ところどころでエーブンさんはマイクを片手に画面に顔を出し、人懐っこい笑顔を浮かべたり、取材相手から逆に質問され困惑したりする。まるで手塚治虫の漫画に出てくるヒョウタンツギのようでもある。ローカル局でこんなにも個性豊かな番組づくりが行なわれていたことに驚かせられる。ふだんはテレビ番組に出演しない"健さん"こと高倉健だが、「エーブンさんの番組なら、ノーギャラで構いません」といって引き受けたそうだ。ローカル局だから、いやエーブンさんだからこそ出来たドキュメンタリーばかりだ。

筑豊炭坑の歴史を追った『まっくら』には
白石加代子、常田富士男らが登場。炭坑事故
で亡くなった人たちと遺族に想いを寄せる。
中央には負けんよ、ローカルを舐めなさんな、そんな気負いはエーブンさんのドキュメンタリーからは感じられないが、やはりローカルならではの題材や視点で構成されている。『桜吹雪のホームラン 証言・天才打者大下弘』(81)は西鉄ライオンズ黄金期の4番打者・大下弘の評伝。福岡の人間にとって大下は伝説のホームランバッターだ。きれいな弧を描くホームランをぽんぽん打つことから"ポンちゃん"と呼ばれた。打たれた相手チームのピッチャーも「ポンちゃんなら仕方ない」と思わせる清々しいホームランを打つ人だった。仲のよいピッチャーからはあまり打たない、全国各地の遊郭には大下の達筆なサイン色紙が飾ってあった、キャンプ地で朝帰りしてそのまま練習に参加した......。現在のプロアスリートの世界では考えられないことを平然とやる人だった。
大下の終生のライバルだった元巨人の川上哲治は「大下くんも現役時代はずいぶん稼いだでしょうに。野球も人生も同じで、将来のことを考えてやらないと」とインタビューに答える。後輩を連れて遊び回らなければ、もっと長い現役生活を送ることができたし記録も残せたし、引退後も悠々自適に暮らせただろうにということだ。だが、大下の稼いだお金の多くは、女手ひとつで育ててくれた母親がヒロポン中毒になったための治療費に注がれた。川上は大下の笑顔の裏の心情までは知らなかった。また、大下はシーズン中でも自宅に集まってくる野球少年たちにごちそうを振る舞い、少年たちの空腹と心を満たした。若手選手たちを引き連れて野球ファンの待つ歓楽街へ繰り出し、飲み代は全部ひとりで払った。稼いだお金は貯め込まずに社会に還元することが、大下の美徳だった。番組に登場する人たちは川上哲治を除いて、みんな愉快そうに"ポンちゃん"との思い出を語る。彼らがポンちゃんとポンちゃんの打ったホームランのことを思い出すとき、彼らの頭の中には桜吹雪が舞っている。記録より記憶に残る男とは大下弘のことを指すのだろう。

西鉄ライオンズの4番打者・大下弘を
主人公にした『桜吹雪のホームラン』。
今や死語となった"男のロマン"を再現する。
『記者それぞれの夏 紙面に映す日米戦争』(90)もローカル局ならではのアプローチだ。太平洋戦争中、日本と米国のジャーナリストたちが戦局をどのように記事にしたかを検証したもの。太平洋戦争が勃発し、米国で暮らしていた日系人たちは強制収容所に集められた。米国に数多くある新聞の中で、ワシントン州にあるベインブリッジ島の発行部数わずか3,000部のローカル紙「ベインブリッジ・レビュー」だけが市民権を持つ日系人を収容所送りにした行為は違憲であることを訴え続けた。終戦後、多くの日系人たちが米国での居場所を失ってしまったのに対し、ベインブリッジ島でイチゴ栽培をしていた300人の日系人たちは無事に島に戻り、元の生活に戻ることができた。「ベインブリッジ・レビュー」の責任発行者であるウッドワード夫妻の存在が大きかったという。ローカル紙は独自の視点を持つメディアであり、全国メジャー紙の縮小版ではないことをこのドキュメンタリーは教えてくれる。

『あいラブ優ちゃん』はエーブンさん自身が
カメラを回し、ナレーションも手掛けた
エッセイ風ドキュメンタリーだ。
生まれ故郷に腰を据え、淡々と番組をつくり、ひょうひょうと生きたエーブンさん。どの作品にも作り手の息づかい、肌のぬくもりが感じられる。一介のサラリーマンでしかない男が、どうしてこうもタフさをキープできたのか。エーブンさん自身がカメラを回した『あいラブ優ちゃん』(76)を観ることで合点がいった。『あいラブ優ちゃん』はエーブンさんの当時小学生だった長女・優ちゃんを中心にエーブンさん一家の生活をそのまま映し出したセルフドキュメンタリー。優ちゃんは先天性の障害を持つが、とっても天真爛漫。運動会はいつもドンケツ、でもニコニコ笑いながら最後まで走り切る。エーブンさんも奥さんも優ちゃんの世話でヘトヘトになるが、同時に保護者としての強さと生きるもの全てへの慈愛のまなざしを身に付けるようになっていく。優ちゃんが今後生きていくことになる社会が少しでも住みやすいよう、そう願いながらローカル局で地道に番組づくりに励んだ。エーブンさんが残したドキュメンタリーの数々は、娘の将来を想う父親の祈りの記録でもあったのだ。
エーブンさんは自分の番組づくりを進める一方、アートネイチャー社をスポンサーに、若手スタッフを主体にしたドキュメンタリー番組『電撃黒潮隊』のプロデューサーも務めた。九州・沖縄・山口でローカルネットされた『電撃黒潮隊』は1992年~2002年にわたって毎週オンエアされた。エーブンさんは九州の他局に籍を置く若いディレクターたちを「自分の手に負えないものに挑もうよ」という言葉で励ましたそうだ。地方で暮らしながら、自分の手に負えないものをカメラで追い掛けて、エーブンさんは"伝説のディレクター"となった。自分の手に余るものに挑むことが"伝説の男"への第一歩らしい。
(文=長野辰次)
「木村栄文レトロスペクティブ」
2月11日(土)~3月2日(金)オーディトリウム渋谷ほか全国順次開催 主催/RKB毎日放送、映画美学校、東風 <http://kimura-eibun.com>
『苦楽浄土』(70)第25回芸術賞大賞
『飛べやオガチ』(70)第14回ギャラクシー賞期間選奨
『いまは冬』(72)
『まっくら』(73)
『鉛の霧』(74)1974年日本民間放送連盟賞テレビ社会番組最優秀賞ほか
『あいラブ優ちゃん』(76)第14回ギャラクシー賞大賞
『記者ありき 六鼓・菊竹純』(77)第5回放送文化基金賞ドキュメンタリー番組 番組賞ほか
『鳳仙花 近く遥かな歌声』(80)第35回芸術祭大賞
『絵描きと戦争』(81)第36回芸術祭優秀賞
『むかし男ありけり』(84)第39回芸術祭優秀賞ほか
『桜吹雪のホームラン 証言・天才打者大下弘』(89)1989年日本民間放送連盟賞テレビ娯楽番組最優秀賞
『記者それぞれの夏 紙面に映す日米戦争』(90)第6回芸術作品賞


