闇社会

浮気調査でのことだった。

自宅を出た対象者を追尾すると、飲食店がひしめき合う有名な繁華街に向かい、迷うことなくとある雑居ビルに入っていく。
対象者と一緒にエレベーターに乗り込もうとした時、慌てた様子で若い男が後ろから駆け寄ってきた。
カテゴリー: 未分類 | タグ:

そうきたか…。ロシアの喧嘩に恐怖のヒーロー

ロシアといえば、さまざまな「おそロシア」エピソードに溢れた国。
この動画もまた、その一つとして加わるのか……!?(※グロはありません)

運転手同士が、路上で何やら言い合いをしているところ。
車の進路の取り方で喧嘩になったのか?
ここまでなら日本でもよくあること。

「でき婚じゃないわよ!」、2012年に結婚する海外セレブたち

JustinTimberlake02.gif
J・ティンバーレイクも一時にウワサになったミラ・クニス(右)とは切れたのね!

 幸せオーラあふれるセレブの結婚式は、見る者を幸せな気持ちにさせてくれるもの。2011年は英国のロイヤルウエディングを始め、F1界のドン、バーニー・エクレストンの娘ペトラの15億円挙式や、キム・カーダシアンの1,000万ドルウエディングなど、豪華な式が世間を沸かせた。

 そんな彼らに続くように、昨年末には大物スターたちが相次いで婚約を発表! 2012年もかなり豪華な結婚式を目にすることができそうだ。

 今回は、2012年にゴールインすると言われている、婚約中のセレブたちを紹介したい。

■ドリュー・バリモア&ウィル・コッペルマン

 昨年2月からどこへ行くにも一緒だったドリューとウィルが婚約したのは、クリスマス休暇中のこと。ウィルはシャネル元CEOの御曹司でアート・コンサルタント。かなりのお金持ちで、ドリューにはラディアンカットのダイヤの婚約指輪を渡している。ドリューは彼の子どもを産みたいと強く思っているとのことで、結婚する日は今年前半ではないかという説も。19歳でした最初の結婚は1カ月、26歳でした2度目の結婚は5カ月で終わっている彼女にとって、これが3度目の正直になるのか、温かく見守っていきたい。

占いアンチも口コミも2ちゃんねるにはもうない! Twitterでつながる占い師と相談者

【ハピズムより】

uranai02.jpg
Photo By pixelmama from Flickr

 占いという業界で、今も昔も一番重要視されるのは「口コミ」だ。

 鑑定してもらった人から直接口伝えで占い師の評判が伝わっていく。お客の立場からは、占い師の口コミ評価が気になるし、占い師の側としても口コミで広げてもらうために気を使う。とはいえ、時代によって「口コミの形」はいろいろと変わってきている。

続きを読む

「財産分与しない」の誓約書も? 浜崎あゆみの"離婚プロモーション"は大失敗


hamasaki0123.jpg
次はどんな手を使ってくるのか......
 昨年元旦にオーストリア出身の俳優マニュエル・シュワルツと結婚した"歌姫"浜崎あゆみが案の定、1年ほどで"スピード離婚"したのは既報の通り。離婚原因についてあゆは、当初2人でアメリカで暮らす予定が、昨年3月に東日本大震災が発生。凄惨な現場を目の当たりにし「日本を離れたくない」という気持ちが芽生え、ロスにいる夫とは疎遠になり、それが「気が付けば心の距離へと変わってしまった」と説明した。  とはいえ、そもそも2人は"エア夫婦"と呼ばれるほど結婚生活は実態のないものだった。 「ラスベガスでドライブスルー感覚で挙式し、婚姻関係は結んだものの、日本の役所には手続きが面倒で届出はせず。戸籍上は"バツイチ"にもなりません。将来的な離婚を見越していたのか、挙式前に『離婚しても財産分与はしない』『慰謝料も発生しない』という誓約書も作っていたそうです」(音楽関係者)  思えば、一昨年大みそかのNHK『紅白歌合戦』でも、翌日の結婚発表を前にあゆは純白のウエディングドレス姿で"結婚ソング"を熱唱。あまりの用意周到ぶりに業界関係者は「新曲のためのプロモーションでは?」と勘繰った。  今回の離婚に関しても、ここ数年ヒット曲がないだけに「話題作りの一環ではないかとウワサされています。彼女はセルフプロモーションの天才。過去には交際中のTOKIO長瀬智也と堂々"手つなぎ帰国"したこともある。あの時もマスコミにツーショット帰国を知らせたのはあゆ側の関係者でしたからね」(別の音楽関係者)という。  だが、仮に"離婚プロモーション"だとしたら、今回は大失敗に終わったといっていい。ネット上では離婚原因を「震災」にもとめたことに非難が殺到。さらに現在、あゆが仕事で中東に滞在中とあって「日本を離れたくないんじゃないのかよ!」「いきなり海外逃亡かよ!」とバッシングが巻き起こっている。さすがのあゆも"神通力"が通じなくなったか......。
A CLIP BOX 1998-2011 [DVD] あゆが痛みの中から導き出した離婚という結論を尊重したい(棒 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・「"震災離婚"コメントに批判も......」浜崎あゆみ、結局"元サヤ"エイベックスに収まる!?「驚かない」が87%......浜崎あゆみの電撃離婚にネットユーザーは冷静な反応「JYJの兄と......」浜崎あゆみ 原宿ショッピングで深まるエイベックスとの溝

【シリーズ・震災遺体(中)】震災後約1年 今見つかるのは部分遺体ばかり

kotaishi2.jpg
はこちらから  東日本大震災における犠牲者は、死者・行方不明者合わせて約2万人の人々が犠牲になった。  だが、そのうち身元不明者数は3,000人以上にのぼる。つまり、犠牲者のうち5人に1人は未だに見つかっていないというのが実情なのだ。  そろそろ震災から1年が経とうとしている現在、メディアも人々も一時期ほど震災について語らなくなっている。こうした現状の裏で、膨大な数の身元不明者や、発見されても身元がわかっていない遺体は、今どういう状況におかれているのだろうか。  昨年10月に発売されて瞬く間に9版を重ねたベストセラー『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)。これは岩手県釜石市における震災直後の遺体安置所や遺体捜索の状況を克明に記録したノンフィクションだ。  舞台となった釜石市では、震災の翌朝から廃校になった中学校が遺体安置所となり、毎日何十体という遺体が運び込まれていた。そこで、市の職員による遺体搬送、地元の医師による死体検案、歯科医による歯型確認などが行われ、身元がわかった順に遺族に引き渡されたのである。  市内中心部にある遺体安置所は、約2カ月で閉鎖されることになった。遺体の発見数が減ったことで、後の作業は警察に任されることになったのである。  震災直後に遺体安置所で死体検案を行っていたのは、地元の医師小泉嘉明(当時65歳)だ。小泉は数週間死体検案の中心で働いていたが、4月以降は県外から来た大学病院のチームなどに作業を任せ、自分は町の復興や自身のクリニックの仕事にもどった。  だが、6月頃に大学病院のチームが去ると、再び警察から死体検案の仕事が小泉のもとに回ってきた。津波による遺体は、医師免許を持った者が死体検案を行って死因を解明した後でなければ火葬を行うことができない。それで再び小泉に任されたのだ。  そこで目にした遺体は、震災発生時とは大きく異なっていた。小泉氏は次のように語る。 「震災の直後には多くの遺体が運ばれてきました。ただ、大半が傷ついてはおらず、きれいでした。窒息で亡くなっていたため、体に傷があまりなかったのです。しかし、夏以降に見つかった遺体は違います。がれきや海の底から発見されてくるので、かなり傷んでいるのです。腐敗が相当進んでいるケースもありました」  海に流された遺体は魚に食われたり、ガスがたまったりして傷みが激しい。また、津波とともに流れてくる瓦礫に巻かれているうちにバラバラになってしまうこともある。夏を過ぎて発見されたのは、ほとんどがそういう遺体だったのだ。  しかし、年末から年始にかけて見つかる遺体はさらに悪くなっているという。 「最近の遺体は、全部が残っていることは少ないです。特に海底から発見されるものはそうですね。部分遺体、つまり、手だけとか足だけ、あるいは頭だけという遺体が大半なのです。医師としては部分遺体も一体として死体検案を行わなくてはなりません。しかし、腐敗したそれだけを見ても、死因や性別がわかるはずもありません。発見場所を除けば死体検案書の内容はほとんど『不詳』と書いて提出するのです。あとはDNA鑑定に回されて、身元が明らかになるのを祈ることになります」  かつて自分の患者だったかもしれない地元の人々が部分遺体となって発見される。その死体検案書に「不詳」と書きつづけなければならない作業はどれだけ虚しいことか。  それでも小泉は部分遺体が見つかる度に警察署へ赴き、所見を書かなければならないのである。  部分遺体の身元が明らかになることは決して多くはない。そうなると、部分遺体は「身元不明遺体」となって一カ所に預けられることになる。  遺骨を預かるのは、『遺体――震災、津波の果てに』でも描かれた仙寿院の住職である芝崎惠應(55歳)だ。芝崎は震災の直後、自らの寺が避難所になっているにもかかわらず、ボランティアで連日遺体安置所を訪れた。そして、まだ火葬が終わっていない遺体や、身元のわかっていない遺体に対して読経をしつづけた。  こうした経緯もあり、芝崎は身元不明の遺骨や、引き取り手のない遺体を自身の寺で預かることにしたのだ。  今、仙寿院の本堂の裏には、身元がわかっていて引き取ることができずにいる遺骨が70体ほど、完全に身元がわかっていない遺骨が30体ほど置かれている。芝崎は毎日、これらの遺骨に向かって経を唱えているという。身元不明遺体について、こう語る。 「遺体の損傷が激しくなると、DNA鑑定が有効ではなくなるようです。鑑定結果の数値が80%を超えると身元が確実になるらしいのですが、今見つかる部分遺体は60%前後が多いのです。つまり、なんとなくはわかっていても、確定できないのです。こうした遺体は部分遺体のまま火葬され、部分遺骨となって運ばれてきます。それをうちの方で番号だけふって安置するのです。身元不明遺体なので、名前をつけることができないのです」  しかし、部分遺体でも、稀に後で身元がわかることがあるという。昨年の夏頃のことだ。芝崎は部分遺体として運ばれてきた遺骨をまとめて並べていた。  ある日、男性がやってきてそのうちの一つがDNA鑑定によって妻の遺体だとわかったと言った。だが、遺体は頭部と胴体が切り離されてしまっていて、残りの部分はまだ見つからないのだという。  数日すると、また同じ男性がやってきた。そして、DNA鑑定によって残りの部分遺体も見つかったと言った。調べてみると、頭部の遺骨と、胴体の遺骨は隣同士に安置されていた。偶然隣り合わせになっていたのだ。  男性は安堵した顔をして、頭部の遺骨と胴体の遺骨を両脇に抱えて帰っていこうとした。玄関で靴を履いていた時、男性は突然骨壺を抱えたまま崩れ落ち、妻の名前を叫んで号泣した。部分遺体が見つかったことに対する安堵と、妻を失った悔しさがこみ上げてきたのだろう。  芝崎は言う。 「マスコミは部分遺体についてほとんど報じません。しかし、こうした悲しい出来事は今もずっとつづいているのです。そして、部分遺体は少しずつ増えているのです。おそらく最終的には百体を超す遺体が身元不明のまま残されるのではないでしょうか。お寺はそれを10年間預かる必要があるのですが、その後はどうなるかまったく決まっていません。その頃には人々の記憶から震災や犠牲者のことも忘れ去られているでしょう。また、遺骨が見つからず、骨壺に遺影だけを入れている人もいらっしゃいます。そうしたことが、少しずつ風化していくことがやりきれません」  たしかにあれだけの大惨事があったにもかかわらず、震災の記憶は薄れつつある。  だが、仙寿院では少しだけ明るい出来事もあるらしい。町の人々が身元不明の遺骨を憐れに思い、自らの判断でやってきて花を供え、手を合わせているのだという。年末には50人ほどが手を合わせにきたそうだ。  芝崎は語る。 「先日は、『遺体』を読んだ方が香川県からきましたよ。70代の男性が一人でやってきたのです。あの本で人々がどのように亡くなり、葬られ、今どうなっているのかを知って、『お焼香をあげさせてほしい』と言ってきたのです。もちろん、こちらからもお願いしました」  たしかに震災の風化は避けられないのかもしれない。  しかし、香川県から『遺体』という震災の本を読んで釜石市にきた人のように、心ある人々たちの思いによって、身元不明遺体や部分遺体の尊厳は守られている。  そのような輪を少しずつ広げることこそが、震災を記憶するということなのだろう。
遺体―震災、津波の果てに 黙祷。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・【シリーズ・震災遺体(上)】釜石市、市長たちが語る遺体安置所の光景遺体安置所で遺体と向き合う人々を追った壮絶ルポ『遺体 震災、津波の果てに』最下層で生きる子どもたちの生の声が鋭く心に突き刺さる『レンタルチャイルド』

【シリーズ・震災遺体(中)】震災後約1年 今見つかるのは部分遺体ばかり

kotaishi2.jpg
はこちらから  東日本大震災における犠牲者は、死者・行方不明者合わせて約2万人の人々が犠牲になった。  だが、そのうち身元不明者数は3,000人以上にのぼる。つまり、犠牲者のうち5人に1人は未だに見つかっていないというのが実情なのだ。  そろそろ震災から1年が経とうとしている現在、メディアも人々も一時期ほど震災について語らなくなっている。こうした現状の裏で、膨大な数の身元不明者や、発見されても身元がわかっていない遺体は、今どういう状況におかれているのだろうか。  昨年10月に発売されて瞬く間に9版を重ねたベストセラー『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)。これは岩手県釜石市における震災直後の遺体安置所や遺体捜索の状況を克明に記録したノンフィクションだ。  舞台となった釜石市では、震災の翌朝から廃校になった中学校が遺体安置所となり、毎日何十体という遺体が運び込まれていた。そこで、市の職員による遺体搬送、地元の医師による死体検案、歯科医による歯型確認などが行われ、身元がわかった順に遺族に引き渡されたのである。  市内中心部にある遺体安置所は、約2カ月で閉鎖されることになった。遺体の発見数が減ったことで、後の作業は警察に任されることになったのである。  震災直後に遺体安置所で死体検案を行っていたのは、地元の医師小泉嘉明(当時65歳)だ。小泉は数週間死体検案の中心で働いていたが、4月以降は県外から来た大学病院のチームなどに作業を任せ、自分は町の復興や自身のクリニックの仕事にもどった。  だが、6月頃に大学病院のチームが去ると、再び警察から死体検案の仕事が小泉のもとに回ってきた。津波による遺体は、医師免許を持った者が死体検案を行って死因を解明した後でなければ火葬を行うことができない。それで再び小泉に任されたのだ。  そこで目にした遺体は、震災発生時とは大きく異なっていた。小泉氏は次のように語る。 「震災の直後には多くの遺体が運ばれてきました。ただ、大半が傷ついてはおらず、きれいでした。窒息で亡くなっていたため、体に傷があまりなかったのです。しかし、夏以降に見つかった遺体は違います。がれきや海の底から発見されてくるので、かなり傷んでいるのです。腐敗が相当進んでいるケースもありました」  海に流された遺体は魚に食われたり、ガスがたまったりして傷みが激しい。また、津波とともに流れてくる瓦礫に巻かれているうちにバラバラになってしまうこともある。夏を過ぎて発見されたのは、ほとんどがそういう遺体だったのだ。  しかし、年末から年始にかけて見つかる遺体はさらに悪くなっているという。 「最近の遺体は、全部が残っていることは少ないです。特に海底から発見されるものはそうですね。部分遺体、つまり、手だけとか足だけ、あるいは頭だけという遺体が大半なのです。医師としては部分遺体も一体として死体検案を行わなくてはなりません。しかし、腐敗したそれだけを見ても、死因や性別がわかるはずもありません。発見場所を除けば死体検案書の内容はほとんど『不詳』と書いて提出するのです。あとはDNA鑑定に回されて、身元が明らかになるのを祈ることになります」  かつて自分の患者だったかもしれない地元の人々が部分遺体となって発見される。その死体検案書に「不詳」と書きつづけなければならない作業はどれだけ虚しいことか。  それでも小泉は部分遺体が見つかる度に警察署へ赴き、所見を書かなければならないのである。  部分遺体の身元が明らかになることは決して多くはない。そうなると、部分遺体は「身元不明遺体」となって一カ所に預けられることになる。  遺骨を預かるのは、『遺体――震災、津波の果てに』でも描かれた仙寿院の住職である芝崎惠應(55歳)だ。芝崎は震災の直後、自らの寺が避難所になっているにもかかわらず、ボランティアで連日遺体安置所を訪れた。そして、まだ火葬が終わっていない遺体や、身元のわかっていない遺体に対して読経をしつづけた。  こうした経緯もあり、芝崎は身元不明の遺骨や、引き取り手のない遺体を自身の寺で預かることにしたのだ。  今、仙寿院の本堂の裏には、身元がわかっていて引き取ることができずにいる遺骨が70体ほど、完全に身元がわかっていない遺骨が30体ほど置かれている。芝崎は毎日、これらの遺骨に向かって経を唱えているという。身元不明遺体について、こう語る。 「遺体の損傷が激しくなると、DNA鑑定が有効ではなくなるようです。鑑定結果の数値が80%を超えると身元が確実になるらしいのですが、今見つかる部分遺体は60%前後が多いのです。つまり、なんとなくはわかっていても、確定できないのです。こうした遺体は部分遺体のまま火葬され、部分遺骨となって運ばれてきます。それをうちの方で番号だけふって安置するのです。身元不明遺体なので、名前をつけることができないのです」  しかし、部分遺体でも、稀に後で身元がわかることがあるという。昨年の夏頃のことだ。芝崎は部分遺体として運ばれてきた遺骨をまとめて並べていた。  ある日、男性がやってきてそのうちの一つがDNA鑑定によって妻の遺体だとわかったと言った。だが、遺体は頭部と胴体が切り離されてしまっていて、残りの部分はまだ見つからないのだという。  数日すると、また同じ男性がやってきた。そして、DNA鑑定によって残りの部分遺体も見つかったと言った。調べてみると、頭部の遺骨と、胴体の遺骨は隣同士に安置されていた。偶然隣り合わせになっていたのだ。  男性は安堵した顔をして、頭部の遺骨と胴体の遺骨を両脇に抱えて帰っていこうとした。玄関で靴を履いていた時、男性は突然骨壺を抱えたまま崩れ落ち、妻の名前を叫んで号泣した。部分遺体が見つかったことに対する安堵と、妻を失った悔しさがこみ上げてきたのだろう。  芝崎は言う。 「マスコミは部分遺体についてほとんど報じません。しかし、こうした悲しい出来事は今もずっとつづいているのです。そして、部分遺体は少しずつ増えているのです。おそらく最終的には百体を超す遺体が身元不明のまま残されるのではないでしょうか。お寺はそれを10年間預かる必要があるのですが、その後はどうなるかまったく決まっていません。その頃には人々の記憶から震災や犠牲者のことも忘れ去られているでしょう。また、遺骨が見つからず、骨壺に遺影だけを入れている人もいらっしゃいます。そうしたことが、少しずつ風化していくことがやりきれません」  たしかにあれだけの大惨事があったにもかかわらず、震災の記憶は薄れつつある。  だが、仙寿院では少しだけ明るい出来事もあるらしい。町の人々が身元不明の遺骨を憐れに思い、自らの判断でやってきて花を供え、手を合わせているのだという。年末には50人ほどが手を合わせにきたそうだ。  芝崎は語る。 「先日は、『遺体』を読んだ方が香川県からきましたよ。70代の男性が一人でやってきたのです。あの本で人々がどのように亡くなり、葬られ、今どうなっているのかを知って、『お焼香をあげさせてほしい』と言ってきたのです。もちろん、こちらからもお願いしました」  たしかに震災の風化は避けられないのかもしれない。  しかし、香川県から『遺体』という震災の本を読んで釜石市にきた人のように、心ある人々たちの思いによって、身元不明遺体や部分遺体の尊厳は守られている。  そのような輪を少しずつ広げることこそが、震災を記憶するということなのだろう。
遺体―震災、津波の果てに 黙祷。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・【シリーズ・震災遺体(上)】釜石市、市長たちが語る遺体安置所の光景遺体安置所で遺体と向き合う人々を追った壮絶ルポ『遺体 震災、津波の果てに』最下層で生きる子どもたちの生の声が鋭く心に突き刺さる『レンタルチャイルド』

「俺のことなんや思ってんの」関西Jr.の遠慮なさに横山裕が愚痴?

yoko1.jpg
この目つきで見られていたJr.は要注意!

 5大ドームツアーが無事終了し、2012年は8周年の記念イヤーとなる関ジャニ∞。26日に村上信五が30歳を迎えると、メンバー中3人が30代となり、年齢的にもデビュー組としても中堅グループといったところだ。後輩グループも増え先輩としての意識も芽生えていそうだが、年に一度、ジャニーズが一堂に会する『カウントダウンコンサート』は中継での参加のため、後輩と接触する機会はなかなか少ないよう。しかし、関西ジャニーズとしての自覚からか、関西方面の後輩の面倒はしっかりとみているようだ。

 メンバーの先輩ぶりが垣間見えたのは、30代コンビの村上と横山裕がパーソナリティーを務める『レコメン!』(文化放送)でのこと。もはやお正月恒例、ジャニーズの先輩後輩関係で行われる「お年玉」はふたりにとっても避けられない行事だったようで、