速報! 眞鍋かをり、移籍先はやっぱり「ノースプロダクション」

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ノースプロダクション公式サイトより
 芸能プロダクション「アヴィラ」と契約解除をめぐり、09年から"訴訟合戦"を繰り広げていたタレントの眞鍋かをりが、本日20日よりノースプロダクション所属になることが分かった。  眞鍋とアヴィラの泥沼訴訟は先月12日に和解に至ったばかり。  ノースプロダクションといえば、眞鍋がコメンテーターとしてレギュラー出演している『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)のメーンキャスターを務める小倉智昭の所属事務所。そもそも、眞鍋にアヴィラからの独立をうながし、陰でサポートしていたのは小倉といわれており、事実、他番組が眞鍋を"干す"中、『とくダネ!』だけが眞鍋を起用し続けた。 「予想通り、といった感じですね。ノースプロダクションには小倉のほか、福澤朗や元NHKアナウンサーの宮本隆治らが所属しており、キャスター色が強い事務所。先の訴訟では和解にあたり、眞鍋側が億単位の賠償金をアヴィラに支払ったとの報道もありますが、和解を急いだ理由はこれだったようですね。一連の裁判で大ダメージを受けた眞鍋ですが、横浜国立大卒でかなりのインテリ。難しい政治のニュースから芸能ゴシップまで、どんな話題でもうまくコメントを切り返すことができるので、もともと業界内での評判はよかった。今後、キャスターとして返り咲くことは十分可能です」(芸能記者)  最近自身のTwitterで"エロキャラ"や"変態キャラ"を大爆発させ、話題になっている眞鍋。すっかり"憑き物"が取れた彼女の今後の活躍に期待したい。
眞鍋かをり 写真集 「kawori」 よかったね。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・「億単位の賠償金を支払った?」眞鍋かをりとアヴィラの泥沼訴訟 和解の舞台裏眞鍋かをりと小倉優子の所属事務所に銃弾片! 犯人の素顔とその目的とは「眞鍋、小倉の離脱に続き......」折原みかの結婚・妊娠に見る"グラビア帝国"アヴィラの落日

上野樹里の姉のタレントデビューに「妹の七光りでも簡単ではない」

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上野まなブログより
【サイゾーウーマンより】  女優・上野樹里の実姉、シンガーソングライターの上野まなが芸能事務所・アヴィラと契約し、タレントデビューすることとなった。今春にはバラエティー番組にも出演予定というがネット上ではすでに"妹の七光り"と揶揄されている。  本人のブログをさかのぼると、まなは高校卒業後にイルカの調教師を目指すも挫折。6年ほど前からストリートミュージシャンとなり、昨年にはCDもリリースしている。そしてスポーツ紙にタレント業を開始すると報じられ、その翌日にはワンマンライブも開催。連日「上野まな」の名前が報じられることとなった。

上野樹里の姉のタレントデビューに「妹の七光りでも簡単ではない」

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上野まなブログより

 女優・上野樹里の実姉、シンガーソングライターの上野まなが芸能事務所・アヴィラと契約し、タレントデビューすることとなった。今春にはバラエティー番組にも出演予定というがネット上ではすでに"妹の七光り"と揶揄されている。

 本人のブログをさかのぼると、まなは高校卒業後にイルカの調教師を目指すも挫折。6年ほど前からストリートミュージシャンとなり、昨年にはCDもリリースしている。そしてスポーツ紙にタレント業を開始すると報じられ、その翌日にはワンマンライブも開催。連日「上野まな」の名前が報じられることとなった。

 NHK大河ドラマの主演を果たし、すでに国民的女優のポジションになりつつある樹里の名前も手伝って、タレント転向の滑り出しは上々といったところ。しかしアヴィラといえば、小倉優子や眞鍋かをりら所属タレントの契約解除を巡る泥沼訴訟が記憶に新しい。

バストアップには黄色、ベージュは老化促進!? 色別賢い下着の選び方

【ハピズムより】

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Photo By from loves_silk Flickr

 「セクシーに見えるから」という理由で、ブラックカラーのランジェリーを勝負下着にしていませんか? 黒い下着で勝負に出ても、途中でうまくいかなくなってしまったり、気付けば音沙汰なしになってしまったという話をよく耳にします。それもそのはず、黒い下着は出会い運を下げて、愛情関係をギクシャクさせてしまう効果があるのです。

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オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感

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島田裕巳氏(左)と大田俊寛氏(右)。
 新年早々、オウム真理教の元幹部で、特別手配されていた平田信容疑者が出頭したというニュースは記憶に新しいところ。そもそもオウム真理教がかかわった一連の事件の裁判は昨年11月に終了し、世間の注目点は、麻原彰晃の死刑執行時期に移っていたが、平田の出頭で状況は大きく変わりそうだ。  世紀をまたいで、再び熱を帯びてきたオウム問題。そこで今回は、地下鉄サリン事件当時、メディアで活発な言論活動を行っていた宗教学者の島田裕巳氏と、島田氏と同じく東京大学宗教学研究室出身で、宗教学の後継世代として、昨年『オウム真理教の精神史』(春秋社)を上梓した宗教学者の大田俊寛氏の対談を実施。2人には、あらためてオウム真理教の一連の事件の総括、そして世代間の事件への認識の違いなどについて語ってもらった(対談は、平田出頭前の12月下旬に収録された)。オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者の交錯から見えてくるものとは? 第1回は、地下鉄サリン事件と80年代の空気感についての考察である。 ――昨年11月にオウム真理教による一連の刑事事件の裁判が終結しましたが、今の率直な感想は? 大田俊寛氏(以下、大田) これを機会に、オウム事件に対する総括が、さまざまなメディアで行われました。それらを聞いていて私が感じたのは、昨年3月に出版した『オウム真理教の精神史』で指摘したことと重複しますが、オウム真理教がナチズムと構造的にきわめて類似していることに対する視点が、日本社会にはまだ欠けているのではないかということです。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、ヒトラーの熱心な崇拝者であり、彼は若い頃からヒトラーの『わが闘争』を愛読していました。オウム真理教がなぜサリンを用いて大量の人々を殺戮しようとしたのかということが、オウム事件における最大の謎とされていますが、それを明らかにするためにも、オウムとナチズムの関係に着眼することは不可欠であると思います。 ――確かに大量殺戮の動機は、世間でも関心のある事柄だと思うのですが、大田さんはどういったものだったと推測していますか? 大田 私の考えでは、ナチズムとの親近性が最も重要なキーになります。簡単に説明すれば、ナチズムにおいては、ゲルマン民族が「神聖なる民族」であり、それ以外の民族は下等種族である、特にユダヤ人は「寄生種」のような忌むべき存在であり、何としてもこれを排除しなければならないという考えが展開されました。そしてヒトラーは、人間の運命は、神に進化するかあるいは動物に堕ちるか、その二つに一つしかないという二元論的思考を抱いていた。同じようにオウム真理教においても、麻原彰晃は自らの手で信者たちを「超人類」に進化させ、それによって「神仙民族」という新しい民族をつくり出し、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる神の王国を日本に創建するという野望を持っていました。そしてその前提として必要とされたのは「畜群粛清」、すなわち、動物に堕ちるしかない魂の持ち主はすべて抹殺するということだった。ではどうすれば、もっとも効率的に人々を粛清できるのか。その答えとして浮かび上がったのが、かつてナチスが開発したサリンという兵器であったわけです。ヒトラーには第1次世界大戦の際、イギリス軍の毒ガス攻撃により一時失明するという経験があり、この経験からヒトラーは、兵器としての毒ガスの重要性に気づいていました。そしてナチスは、ユダヤ人の大量虐殺にチクロンBという毒ガスを使用し、サリンの開発も手掛けていた。オウム真理教は、そういうナチズムに由来する思想や兵器、すなわち、神か動物かという二元論や、畜群粛清のための兵器技術を継承しているところがある。いわばオウム真理教には、ナチズムの日本的反復という側面があるのです。オウムはもちろん、日本社会に起因する現象でもありますが、それは同時に、「戦争の世紀」とも呼ばれる20世紀の世界全体が抱えていた問題にもつながっているのだ、ということを強調しておきたいと思います。 ――島田さんは裁判が終結して率直な感想は? 島田裕巳氏(以下、島田) 私はオウム事件というのは非常に複雑で、とらえるのがとても難しい事件だと思う。オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立されたのは1984年頃で、私が存在を知ったのは89年です。その頃、日本はちょうどバブルを経験していた。そうした時代背景の中でオウムが徐々にクローズアップされ、90年代に入り、いろんな事件を起こし、最終的にサリンをつくり地下鉄に撒いた。今から見ると、確かに出来事としてはそうです。しかし、サリンを撒くことが彼らのすべての目的だったかというと、なかなかそうもいえない。そこには社会とオウムの関係、空気感のようなものがあった。当時の空気感がどうであったかを今の段階で伝えるのは非常に難しい。若い人は知らないし、当時を経験した人たちも徐々に忘れてしまう。先日、TBSラジオ「Dig」という番組に出演した時も、評論家の切通理作さんが、ある時期はオウムのことを評価していた時代があったと語っていた。確かに当時、そういう空気もあった。だから、みなさんが理解しているような枠組み内で考えると、どうも上手く説明できない。裁判は長くかかりましたが、いまだ総括しきれないのは、途中で麻原が証言をしなくなったことが大きかった。もうひとつは、いろんな事件にかかわっていた元教団幹部の村井秀夫が殺されてしまったことにより、事件の相当な部分がわからなくなってしまった。それに、国家が事実解明にフタをしてしまったふしがある。象徴的なのは、第7サティアンがすぐに解体されたこと。地下鉄サリン事件を国家に対するテロととらえるなら、どうしてあんなものがあそこに出現したのか。また、宗教団体が大量にサリンをつくるためのプラントを建築するとはどういうことか。その背後関係はどうなのか――今から見ると、そういった背後関係が出てくることを日本政府は恐れて、第7サティアンを素早く解体したような気もする。全体として、変な集団が出てきて、変なことをしたということで全部終わらせようとしている。それは第2次世界大戦の時と一緒で、全体の構図を考察していない。日本人の意識構造みたいなものや、日本社会が抱えるさまざまな問題が入っていたと思うが、そういうことをまったく考えていない。 大田 島田さんは今、当時の空気感や文脈の中でこそ理解できるものの、今となっては忘れられていることが多い、とおっしゃいました。それに関して私があらためて考えていることは、80年代という時代の雰囲気がどういうものであったかということです。当時の日本は、バブルの好景気を迎えて享楽的な雰囲気の中にありましたが、世界の状況はどうだったか。世界は依然として、冷戦構造下にありました。ソ連とアメリカという2大超大国が核軍備の果てしない拡大競争に走り、核の力があまりにも強力すぎるゆえに、西側も東側も互いに核を突きつけあったままフリーズしてしまうという、奇妙な状態が続いていた。そして、両陣営がどう動いたかというニュースが日本にも頻繁に入り、当時の日本人は、いずれ核戦争が起きるのではないかという脅威におびえていた。その頃、社会でどういうものが流行していたというと、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著・祥伝社)(1999年7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという内容)という書物でした。現在では、終末予言などさして深刻に受け止めない人々が大半ですが、冷戦構造下の人々にとっては、いずれ西側と東側の間に核戦争が勃発するだろうということ、そしてその際には、人類は滅亡してしまうだろうということは、きわめて現実的で常識的な実感だったのです。オウムについて考える際には、そのような「時代の空気」を思い出さなくてはならないでしょう。島田さんは、80年代の空気感についてどう思われますか? 島田 ひとつは、ノストラダムスの予言にしても、世代によって受ける影響が違うということ。ノストラダムスの本が出たのが1973年で、ちょうど私が20歳の時です。当時20歳の世代が受けた影響と10代の初めの頃の世代が受けた影響ではかなり違います。確かに、73年頃は、オイルショックもあり、日本全体が大変なことになるという雰囲気の中で、メディアでもノストラダムスの大予言について取り上げていたので、その影響は私たちより下の世代には色濃くあるのではないでしょうか。現実にも、オイルショックのほかに、冷戦や大気汚染の問題もあった。そして、80年代に入ると、ソ連によるアフガン侵攻が起こる。そういう世界情勢の中での危機意識とバブルというのが人々に与えた影響は大きい。オウムだって、ロシアへ進出したり、あれだけ大きなサティアンをつくれたりしたのは、信者から多額のお布施があったからで、そのお布施もバブルという大量のお金が世の中に出回る状況でないと難しかった。そして、89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本は年号が昭和から平成へ変わり、バブルの崩壊が始まった。そういうドラスティックに日本の社会が変化していく中で、オウムが出てくるわけです。総括は容易ではありませんが、そこにどういう意味があるのか考えることが必要です。 ■とんねるずとも共演した、麻原という男 ――そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか? 島田 思想史の中での位置づけとしては、今から見ればそうなのかなとは思うけど、80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた。 ――オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていたと。 島田 それを体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います。もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました。 ――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。 島田 当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い。 大田 私は本を出版してから、ある元オウム信者の方と長時間にわたって話をする機会がありました。その中で強く印象に残ったのは、その方から聞いた次のような言葉です。「確かに麻原という人間は、70トンという量のサリン製造に着手し、それによって少なくとも、首都圏に住む数百万の人間は一掃しうると考えていたわけです。そして、もしそれが本当に実行されていたら、彼はヒトラーやスターリンと肩を並べる歴史的な大量殺戮者になっていた。しかし問題なのは、そうしたことを考え、実行しようとする人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということです。大田さんは、絵空事ではなく、本当にそういうことを実行しようとしていた人間がどのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」この問いに対して、当時のオウム教団に触れたことがなく、麻原に会ったこともない私には、確かにそれはわからない、と答えざるを得ませんでした。その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました。オウムについては、95年以降明らかになったことも多いですが、その中核にはまだよくわからない要素が潜んでいるということを意識しておく必要があると思います。 ――では、オウム事件から学び取れることというのは? 島田 それはたくさんありますし、カルトの抱える反社会性にはそれまで以上に目が向くようになった。例えば、オウム事件の前から問題視されていた霊感商法だけでなく、オウム事件後に出てきた、法の華三法行やライフスペースなどの新宗教的なカルトにも厳しくなっている。でも、なぜそういうものが出現するのかという問題は遠ざけてしまっているように思う。そして、メディアにおいても、宗教は面倒くさいということで取材の対象ではなくなっている。 ――宗教に関してメディアは面倒くさいという一方で、スピリチュアルブームのようなものもあります。 大田 今議論してきた80年代、90年代の日本は、良くも悪くも元気があった。しかし、今の社会は逆に、良くも悪くも元気がない。今でもスピリチュアルブームや、2012年地球滅亡説など、オウムの反復のような現象が見られますが、そういった空気の中で再びオウム的なものが出現する危険性を感じるかといえば、私自身はあまり感じません。それは、いい意味では日本社会の成熟であるともいえますが、悪い意味では、日本社会の活力が全体として乏しくなっているということなのかもしれません。 (中編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
神も仏も大好きな日本人 はい、大好きです。 amazon_associate_logo.jpg
オウム真理教の精神史 なーるほど。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰ダミーサークルで信者を勧誘する教団と、それにハマる市民はなぜ生まれる?「イオンのやり方は間違っている!」 "イオンの葬式"騒動に見る日本人の仏教観

オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感

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島田裕巳氏(左)と大田俊寛氏(右)。
 新年早々、オウム真理教の元幹部で、特別手配されていた平田信容疑者が出頭したというニュースは記憶に新しいところ。そもそもオウム真理教がかかわった一連の事件の裁判は昨年11月に終了し、世間の注目点は、麻原彰晃の死刑執行時期に移っていたが、平田の出頭で状況は大きく変わりそうだ。  世紀をまたいで、再び熱を帯びてきたオウム問題。そこで今回は、地下鉄サリン事件当時、メディアで活発な言論活動を行っていた宗教学者の島田裕巳氏と、島田氏と同じく東京大学宗教学研究室出身で、宗教学の後継世代として、昨年『オウム真理教の精神史』(春秋社)を上梓した宗教学者の大田俊寛氏の対談を実施。2人には、あらためてオウム真理教の一連の事件の総括、そして世代間の事件への認識の違いなどについて語ってもらった(対談は、平田出頭前の12月下旬に収録された)。オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者の交錯から見えてくるものとは? 第1回は、地下鉄サリン事件と80年代の空気感についての考察である。 ――昨年11月にオウム真理教による一連の刑事事件の裁判が終結しましたが、今の率直な感想は? 大田俊寛氏(以下、大田) これを機会に、オウム事件に対する総括が、さまざまなメディアで行われました。それらを聞いていて私が感じたのは、昨年3月に出版した『オウム真理教の精神史』で指摘したことと重複しますが、オウム真理教がナチズムと構造的にきわめて類似していることに対する視点が、日本社会にはまだ欠けているのではないかということです。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、ヒトラーの熱心な崇拝者であり、彼は若い頃からヒトラーの『わが闘争』を愛読していました。オウム真理教がなぜサリンを用いて大量の人々を殺戮しようとしたのかということが、オウム事件における最大の謎とされていますが、それを明らかにするためにも、オウムとナチズムの関係に着眼することは不可欠であると思います。 ――確かに大量殺戮の動機は、世間でも関心のある事柄だと思うのですが、大田さんはどういったものだったと推測していますか? 大田 私の考えでは、ナチズムとの親近性が最も重要なキーになります。簡単に説明すれば、ナチズムにおいては、ゲルマン民族が「神聖なる民族」であり、それ以外の民族は下等種族である、特にユダヤ人は「寄生種」のような忌むべき存在であり、何としてもこれを排除しなければならないという考えが展開されました。そしてヒトラーは、人間の運命は、神に進化するかあるいは動物に堕ちるか、その二つに一つしかないという二元論的思考を抱いていた。同じようにオウム真理教においても、麻原彰晃は自らの手で信者たちを「超人類」に進化させ、それによって「神仙民族」という新しい民族をつくり出し、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる神の王国を日本に創建するという野望を持っていました。そしてその前提として必要とされたのは「畜群粛清」、すなわち、動物に堕ちるしかない魂の持ち主はすべて抹殺するということだった。ではどうすれば、もっとも効率的に人々を粛清できるのか。その答えとして浮かび上がったのが、かつてナチスが開発したサリンという兵器であったわけです。ヒトラーには第1次世界大戦の際、イギリス軍の毒ガス攻撃により一時失明するという経験があり、この経験からヒトラーは、兵器としての毒ガスの重要性に気づいていました。そしてナチスは、ユダヤ人の大量虐殺にチクロンBという毒ガスを使用し、サリンの開発も手掛けていた。オウム真理教は、そういうナチズムに由来する思想や兵器、すなわち、神か動物かという二元論や、畜群粛清のための兵器技術を継承しているところがある。いわばオウム真理教には、ナチズムの日本的反復という側面があるのです。オウムはもちろん、日本社会に起因する現象でもありますが、それは同時に、「戦争の世紀」とも呼ばれる20世紀の世界全体が抱えていた問題にもつながっているのだ、ということを強調しておきたいと思います。 ――島田さんは裁判が終結して率直な感想は? 島田裕巳氏(以下、島田) 私はオウム事件というのは非常に複雑で、とらえるのがとても難しい事件だと思う。オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立されたのは1984年頃で、私が存在を知ったのは89年です。その頃、日本はちょうどバブルを経験していた。そうした時代背景の中でオウムが徐々にクローズアップされ、90年代に入り、いろんな事件を起こし、最終的にサリンをつくり地下鉄に撒いた。今から見ると、確かに出来事としてはそうです。しかし、サリンを撒くことが彼らのすべての目的だったかというと、なかなかそうもいえない。そこには社会とオウムの関係、空気感のようなものがあった。当時の空気感がどうであったかを今の段階で伝えるのは非常に難しい。若い人は知らないし、当時を経験した人たちも徐々に忘れてしまう。先日、TBSラジオ「Dig」という番組に出演した時も、評論家の切通理作さんが、ある時期はオウムのことを評価していた時代があったと語っていた。確かに当時、そういう空気もあった。だから、みなさんが理解しているような枠組み内で考えると、どうも上手く説明できない。裁判は長くかかりましたが、いまだ総括しきれないのは、途中で麻原が証言をしなくなったことが大きかった。もうひとつは、いろんな事件にかかわっていた元教団幹部の村井秀夫が殺されてしまったことにより、事件の相当な部分がわからなくなってしまった。それに、国家が事実解明にフタをしてしまったふしがある。象徴的なのは、第7サティアンがすぐに解体されたこと。地下鉄サリン事件を国家に対するテロととらえるなら、どうしてあんなものがあそこに出現したのか。また、宗教団体が大量にサリンをつくるためのプラントを建築するとはどういうことか。その背後関係はどうなのか――今から見ると、そういった背後関係が出てくることを日本政府は恐れて、第7サティアンを素早く解体したような気もする。全体として、変な集団が出てきて、変なことをしたということで全部終わらせようとしている。それは第2次世界大戦の時と一緒で、全体の構図を考察していない。日本人の意識構造みたいなものや、日本社会が抱えるさまざまな問題が入っていたと思うが、そういうことをまったく考えていない。 大田 島田さんは今、当時の空気感や文脈の中でこそ理解できるものの、今となっては忘れられていることが多い、とおっしゃいました。それに関して私があらためて考えていることは、80年代という時代の雰囲気がどういうものであったかということです。当時の日本は、バブルの好景気を迎えて享楽的な雰囲気の中にありましたが、世界の状況はどうだったか。世界は依然として、冷戦構造下にありました。ソ連とアメリカという2大超大国が核軍備の果てしない拡大競争に走り、核の力があまりにも強力すぎるゆえに、西側も東側も互いに核を突きつけあったままフリーズしてしまうという、奇妙な状態が続いていた。そして、両陣営がどう動いたかというニュースが日本にも頻繁に入り、当時の日本人は、いずれ核戦争が起きるのではないかという脅威におびえていた。その頃、社会でどういうものが流行していたというと、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著・祥伝社)(1999年7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという内容)という書物でした。現在では、終末予言などさして深刻に受け止めない人々が大半ですが、冷戦構造下の人々にとっては、いずれ西側と東側の間に核戦争が勃発するだろうということ、そしてその際には、人類は滅亡してしまうだろうということは、きわめて現実的で常識的な実感だったのです。オウムについて考える際には、そのような「時代の空気」を思い出さなくてはならないでしょう。島田さんは、80年代の空気感についてどう思われますか? 島田 ひとつは、ノストラダムスの予言にしても、世代によって受ける影響が違うということ。ノストラダムスの本が出たのが1973年で、ちょうど私が20歳の時です。当時20歳の世代が受けた影響と10代の初めの頃の世代が受けた影響ではかなり違います。確かに、73年頃は、オイルショックもあり、日本全体が大変なことになるという雰囲気の中で、メディアでもノストラダムスの大予言について取り上げていたので、その影響は私たちより下の世代には色濃くあるのではないでしょうか。現実にも、オイルショックのほかに、冷戦や大気汚染の問題もあった。そして、80年代に入ると、ソ連によるアフガン侵攻が起こる。そういう世界情勢の中での危機意識とバブルというのが人々に与えた影響は大きい。オウムだって、ロシアへ進出したり、あれだけ大きなサティアンをつくれたりしたのは、信者から多額のお布施があったからで、そのお布施もバブルという大量のお金が世の中に出回る状況でないと難しかった。そして、89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本は年号が昭和から平成へ変わり、バブルの崩壊が始まった。そういうドラスティックに日本の社会が変化していく中で、オウムが出てくるわけです。総括は容易ではありませんが、そこにどういう意味があるのか考えることが必要です。 ■とんねるずとも共演した、麻原という男 ――そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか? 島田 思想史の中での位置づけとしては、今から見ればそうなのかなとは思うけど、80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた。 ――オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていたと。 島田 それを体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います。もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました。 ――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。 島田 当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い。 大田 私は本を出版してから、ある元オウム信者の方と長時間にわたって話をする機会がありました。その中で強く印象に残ったのは、その方から聞いた次のような言葉です。「確かに麻原という人間は、70トンという量のサリン製造に着手し、それによって少なくとも、首都圏に住む数百万の人間は一掃しうると考えていたわけです。そして、もしそれが本当に実行されていたら、彼はヒトラーやスターリンと肩を並べる歴史的な大量殺戮者になっていた。しかし問題なのは、そうしたことを考え、実行しようとする人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということです。大田さんは、絵空事ではなく、本当にそういうことを実行しようとしていた人間がどのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」この問いに対して、当時のオウム教団に触れたことがなく、麻原に会ったこともない私には、確かにそれはわからない、と答えざるを得ませんでした。その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました。オウムについては、95年以降明らかになったことも多いですが、その中核にはまだよくわからない要素が潜んでいるということを意識しておく必要があると思います。 ――では、オウム事件から学び取れることというのは? 島田 それはたくさんありますし、カルトの抱える反社会性にはそれまで以上に目が向くようになった。例えば、オウム事件の前から問題視されていた霊感商法だけでなく、オウム事件後に出てきた、法の華三法行やライフスペースなどの新宗教的なカルトにも厳しくなっている。でも、なぜそういうものが出現するのかという問題は遠ざけてしまっているように思う。そして、メディアにおいても、宗教は面倒くさいということで取材の対象ではなくなっている。 ――宗教に関してメディアは面倒くさいという一方で、スピリチュアルブームのようなものもあります。 大田 今議論してきた80年代、90年代の日本は、良くも悪くも元気があった。しかし、今の社会は逆に、良くも悪くも元気がない。今でもスピリチュアルブームや、2012年地球滅亡説など、オウムの反復のような現象が見られますが、そういった空気の中で再びオウム的なものが出現する危険性を感じるかといえば、私自身はあまり感じません。それは、いい意味では日本社会の成熟であるともいえますが、悪い意味では、日本社会の活力が全体として乏しくなっているということなのかもしれません。 (中編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
神も仏も大好きな日本人 はい、大好きです。 amazon_associate_logo.jpg
オウム真理教の精神史 なーるほど。 amazon_associate_logo.jpg
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「さらば、愛しのアウトロー」カリスマ・瓜田純士引退試合 雄々しき華の散った夜(前編)

URT0119_2933.jpg  "アウトローのカリスマ"こと瓜田純士(32歳)が、アウトローの世界に別れを告げた。  1月15日、ディファ有明で行われた地下格闘技イベント『BERSERKER(バーサーカー)旗揚げ戦』に参戦した瓜田は、この日を境にリングを離れ、アウトローの看板を下ろすことをブログ上で事前告知。瓜田の最後の勇姿を見届けようと、会場には多くのファンが詰めかけた。キックボクシング経験のある猛者を相手に、あえてまったく練習せぬまま、ノーグローブの金網デスマッチを行った瓜田。結果、コテンパンにやっつけられたが、おかげで過去の自分とは綺麗さっぱり決別できたようだ。痛々しくも清々しい、引退試合ドキュメント!  試合前の瓜田陣営はピリピリしたムードだった。瓜田専用の控え室となった会場応接間の入口には、黒人のSPふたりが門番のように立ち塞がり、部外者の侵入を断固として拒む。そして瓜田が動くたびに、SPがゾロゾロついて回る。  年末から年始にかけて、瓜田が各所とモメていたため、万が一の事態に備えて、主催者側が厳戒態勢を敷いたようだ。
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黒人のSPを従えて会場を歩く瓜田。
 そんな中、試合前の瓜田にインタビューを行った。 ──アウトローの代名詞である瓜田さんが、ブログ上でなぜ突然、「1.15の試合を機にアウトローを辞める」と言い出したのでしょう? 「どこかとモメてるのが原因と思われがちですけど、実はちょっと違って。辞めようと思った理由は2つ。1つは昨年末、ものすごく偉大なミュージシャンの方と再会する機会がありまして。その方にインスパイアされて、自分の方向性をもうここで絞ろうかな、と思ったんですよ。トレーニングせずにアウトローの看板背負ってリングに上がるっていうのも、僕の表現活動の1つだったんですけど、もうそれは今日でラストにしようという考えに至りました。今日が引退試合になります」 ──今後は音楽に専念するということですか? 「アーティスト活動の一環として、音楽にも力を入れていくことになります」 ──アウトローを辞める2つ目の理由は? 「実は俺、2日前にやっと、府中(刑務所)を出て5年目を迎えたんですよ。これで初めて、世間でいうカタギになれた。出所後もトラブルは絶えなかったし、最近もあれやこれやと水面下で動かなくちゃならない毎日だったから、正直、疲れた。ガチで死ぬか生きるかをヤクザもんと背中合わせでやってきたけど、その苦労は誰にも分かってもらえない。いつも胃が痛い思いをするのは俺だけ。だから、もうバカバカしいな、アウトローの看板下ろして新しい人生を歩もうかな、と。だったら出所して5年という1つの節目は、いい機会だと。昨年末、ある事情で小指をツメたんですけど、そのあと、先述したミュージシャンの方に言われたんですよ。『ギター弾けなくなるぞ』って。いろいろやりたいことがあるのに、アウトローという言葉に縛られるあまり、その活動範囲が狭まるのはもったいない、と自分でも思うようになりました。だから、今日でアウトローを卒業します」 ──ちなみに、卒業前夜の昨晩は何をしてました? 「昨晩というか、おとといからずっと、あり得ない飲み方をしてまして。まず、知れてる空手のチャンピオンかなんかが働いてるバーで、そいつが調子に乗ってるから頭に来てシメて、おまえ正座しろだのなんだのやっちゃって。そのあと謎の小金持ちが『俺のシュワシュワを飲め!』みたいなことを言ってきて。シュワシュワってのはドンペリのことなんですけど、それが何本も開けられて、酩酊状態になるまで飲んで。ちなみにその前に、焼酎1本空けてて、そのあともジョッキで1本分ぐらいは空けてるから、都合、焼酎2本プラス、シャンパンの連打でかなりやられて。昨日はゆっくりご飯でも食おうつって、パートナーとメシ屋に出かけて、そこで軽くハイボール2本飲んで。そのあとコンビニで氷結買って飲んで、それからカラオケ行って、ウイスキーのロックを2杯飲んで。ヤバい、カネがなくなってきた、というか、明日試合じゃねえか! つって帰って。で、今日はジャックダニエル!(と言ってテーブルの上の瓶を指差す)」 ──出たっ! ジャックダニエル! 前回(記事参照)と一緒ですね。 「ちなみに前回は黒シャツだったから、今回は白シャツ。前髪はBERSERKERに合わせて青く染めてきました」
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喫煙・飲酒しながらインタビューに応じる瓜田。
──さすがオシャレですね。しかし、試合に勝つ気はあるんですか? 「勝ち負けはハナからどうでもいい。"いかに一発入れるか"しか考えてない。『目立ちてえな、おまえら俺を見ろ!』ぐらいのノリですよ。さっきの開会式でも分かったと思うけど、地下格闘技界のスター選手と呼ばれる面々と比べても、俺が出てったときの拍手はケタ違いなわけじゃないですか。そこでもう、格の違いが分かるわけですから」 ──トレーニングして本格的に強くなった瓜田さんを見たい、という声もありますが。 「20キロのダンベルを持ち上げるような事態って日常生活にあります? 昼間街を歩いてて、ピーター・アーツみたいなでけえ奴とケンカする機会ってあります? ないでしょう? だったら今以上の力って必要なくないですか? さすがにウイスキーの蓋を開けられなくなったらトレーニングも考えますけど(笑)」 ──今日は瓜田さんの試合だけ、特別ルールで「ノーグローブ」。素手で殴り合うのは怖くないですか? 「1時間やれって言われたらイヤですよ。あるいは目の前に大木(たいぼく)が立ってて、それを倒すまで素手で殴り続けろと言われたら、大丈夫かなぁと不安にもなるけど、たかだかあんな子どもが遊ぶジャングルジムみたいなところで、人間と1分間、素手で殴り合うだけだから。そんなのはね、クラブで酔っぱらって不良とモメて、ビン持って殴り合うようなケンカをゴマンとやってきた俺の感覚でいったら、屁でもない。ノーグローブが怖いも何も、逆にグローブがあると邪魔でやりづらいんですけど、って感じですね」 ──今後はストリートファイトも卒業ですか? 「もちろん卒業です。『なんだおめえ、ニワトリみたいな頭しやがって』と絡まれても、『ニワトリみたいですいません』って平気で頭下げますよ。ただし、大事なパートナーや友人や家族に何かあって、どうしても男として行かなくちゃいけないときは行きますよ。これは強調しておきますけど、アウトロー辞めても、男は辞めてないんで。でも、今後もし俺が行くとなったら、ぶった蹴ったのケンカじゃ済まない。最後まで行くことになるでしょうね」 ──瓜田さんが抜けることで、今後の地下格闘技界にどんな影響があると思いますか? 「これだけは自信を持って言えるけど、今日パっと見渡した限り、俺の後釜になれそうな奴はいないし、俺以上の影響力のある奴もいない。今後、俺の代わりに、アウトローを名乗る奴が出てくるとも思えませんね。『瓜田さんがいなくなったあとにアウトローを名乗るのって、ちょっと俺ら、痛くない?』みたいな空気になっていくんじゃないかな」 ──アウトローという言葉自体がこの業界では死語になる、と。 「そう。表現者でいる限り、俺がいつも心がけてるのは、『先駆者は辞めるのも先だ』ってこと。文化や流行を作った先駆者が自分であるなら、それを真っ先に辞めるのも自分であるべきだと思う。何事も勇退したほうが格好いいじゃないですか」 ──自分の身に起きた物騒なトラブルをエンタメ化するところが、瓜田ブログの魅力だと思うのですが、今後はブログの内容も変わる? 「トラブルのことは書きませんよ。書いたら、あいつアウトロー辞めてねえじゃん、ってことになっちゃうから。とはいえ、『今日は公園でサンドウィッチを食べた。通りがかったおばちゃんが僕の煙草のポイ捨てを注意してくれた。ありがとう。今日はいい1日だった』みたいなブログが明日から毎日続いたら、ぶっちゃけつまんなくなっちゃうから(笑)、まあいろいろ考えますよ。基本的には『人が気になって気になってしょうがない』という動きをするつもり。あいつ、次はどこに出てくるんだろう、次にどこに行くんだろう、と常に追われる存在でありたいですね。今後何の結果も残せなかったら、所詮はそれまでの男ってことです」
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開会式の様子。
──ファンにメッセージをお願いします。 「これ言うと反感買いそうで怖いんですけど、本音を言うと、『俺はおまえらのためにやってるんじゃねえ。俺は俺のためにやってるんだ。だからおまえらもおまえらの人生を生きろ』ってことですね。まあもちろん、応援していただけるのは非常にありがたいんですけどね。あと、ファンの方々に伝えたいのは、『越えられない壁はない』ってこと。俺自身、これまで胃が痛くなるようなピンチがたくさんあったけど、結局、どれもくぐり抜けてきた。すべての物事は、どんだけ怖くてもどんだけ不安でも、ひとりで責任を取る、ひとりで話をつけに行く、という姿勢で取り組めば、たいていなんとかなる。これは実体験を通じて言えることですね」  試合前にここまで熱く語ってくれる選手も珍しい。瓜田のサービス精神は、やはり別格である。 (後編につづく/取材・文=岡林敬太/撮影=オカザキタカオ)
泥だらけのありがとう アウトローのカリスマ44のメッセージ おつかれさまでした! amazon_associate_logo.jpg
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「さらば、愛しのアウトロー」カリスマ・瓜田純士引退試合 雄々しき華の散った夜(前編)

URT0119_2933.jpg  "アウトローのカリスマ"こと瓜田純士(32歳)が、アウトローの世界に別れを告げた。  1月15日、ディファ有明で行われた地下格闘技イベント『BERSERKER(バーサーカー)旗揚げ戦』に参戦した瓜田は、この日を境にリングを離れ、アウトローの看板を下ろすことをブログ上で事前告知。瓜田の最後の勇姿を見届けようと、会場には多くのファンが詰めかけた。キックボクシング経験のある猛者を相手に、あえてまったく練習せぬまま、ノーグローブの金網デスマッチを行った瓜田。結果、コテンパンにやっつけられたが、おかげで過去の自分とは綺麗さっぱり決別できたようだ。痛々しくも清々しい、引退試合ドキュメント!  試合前の瓜田陣営はピリピリしたムードだった。瓜田専用の控え室となった会場応接間の入口には、黒人のSPふたりが門番のように立ち塞がり、部外者の侵入を断固として拒む。そして瓜田が動くたびに、SPがゾロゾロついて回る。  年末から年始にかけて、瓜田が各所とモメていたため、万が一の事態に備えて、主催者側が厳戒態勢を敷いたようだ。
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黒人のSPを従えて会場を歩く瓜田。
 そんな中、試合前の瓜田にインタビューを行った。 ──アウトローの代名詞である瓜田さんが、ブログ上でなぜ突然、「1.15の試合を機にアウトローを辞める」と言い出したのでしょう? 「どこかとモメてるのが原因と思われがちですけど、実はちょっと違って。辞めようと思った理由は2つ。1つは昨年末、ものすごく偉大なミュージシャンの方と再会する機会がありまして。その方にインスパイアされて、自分の方向性をもうここで絞ろうかな、と思ったんですよ。トレーニングせずにアウトローの看板背負ってリングに上がるっていうのも、僕の表現活動の1つだったんですけど、もうそれは今日でラストにしようという考えに至りました。今日が引退試合になります」 ──今後は音楽に専念するということですか? 「アーティスト活動の一環として、音楽にも力を入れていくことになります」 ──アウトローを辞める2つ目の理由は? 「実は俺、2日前にやっと、府中(刑務所)を出て5年目を迎えたんですよ。これで初めて、世間でいうカタギになれた。出所後もトラブルは絶えなかったし、最近もあれやこれやと水面下で動かなくちゃならない毎日だったから、正直、疲れた。ガチで死ぬか生きるかをヤクザもんと背中合わせでやってきたけど、その苦労は誰にも分かってもらえない。いつも胃が痛い思いをするのは俺だけ。だから、もうバカバカしいな、アウトローの看板下ろして新しい人生を歩もうかな、と。だったら出所して5年という1つの節目は、いい機会だと。昨年末、ある事情で小指をツメたんですけど、そのあと、先述したミュージシャンの方に言われたんですよ。『ギター弾けなくなるぞ』って。いろいろやりたいことがあるのに、アウトローという言葉に縛られるあまり、その活動範囲が狭まるのはもったいない、と自分でも思うようになりました。だから、今日でアウトローを卒業します」 ──ちなみに、卒業前夜の昨晩は何をしてました? 「昨晩というか、おとといからずっと、あり得ない飲み方をしてまして。まず、知れてる空手のチャンピオンかなんかが働いてるバーで、そいつが調子に乗ってるから頭に来てシメて、おまえ正座しろだのなんだのやっちゃって。そのあと謎の小金持ちが『俺のシュワシュワを飲め!』みたいなことを言ってきて。シュワシュワってのはドンペリのことなんですけど、それが何本も開けられて、酩酊状態になるまで飲んで。ちなみにその前に、焼酎1本空けてて、そのあともジョッキで1本分ぐらいは空けてるから、都合、焼酎2本プラス、シャンパンの連打でかなりやられて。昨日はゆっくりご飯でも食おうつって、パートナーとメシ屋に出かけて、そこで軽くハイボール2本飲んで。そのあとコンビニで氷結買って飲んで、それからカラオケ行って、ウイスキーのロックを2杯飲んで。ヤバい、カネがなくなってきた、というか、明日試合じゃねえか! つって帰って。で、今日はジャックダニエル!(と言ってテーブルの上の瓶を指差す)」 ──出たっ! ジャックダニエル! 前回(記事参照)と一緒ですね。 「ちなみに前回は黒シャツだったから、今回は白シャツ。前髪はBERSERKERに合わせて青く染めてきました」
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喫煙・飲酒しながらインタビューに応じる瓜田。
──さすがオシャレですね。しかし、試合に勝つ気はあるんですか? 「勝ち負けはハナからどうでもいい。"いかに一発入れるか"しか考えてない。『目立ちてえな、おまえら俺を見ろ!』ぐらいのノリですよ。さっきの開会式でも分かったと思うけど、地下格闘技界のスター選手と呼ばれる面々と比べても、俺が出てったときの拍手はケタ違いなわけじゃないですか。そこでもう、格の違いが分かるわけですから」 ──トレーニングして本格的に強くなった瓜田さんを見たい、という声もありますが。 「20キロのダンベルを持ち上げるような事態って日常生活にあります? 昼間街を歩いてて、ピーター・アーツみたいなでけえ奴とケンカする機会ってあります? ないでしょう? だったら今以上の力って必要なくないですか? さすがにウイスキーの蓋を開けられなくなったらトレーニングも考えますけど(笑)」 ──今日は瓜田さんの試合だけ、特別ルールで「ノーグローブ」。素手で殴り合うのは怖くないですか? 「1時間やれって言われたらイヤですよ。あるいは目の前に大木(たいぼく)が立ってて、それを倒すまで素手で殴り続けろと言われたら、大丈夫かなぁと不安にもなるけど、たかだかあんな子どもが遊ぶジャングルジムみたいなところで、人間と1分間、素手で殴り合うだけだから。そんなのはね、クラブで酔っぱらって不良とモメて、ビン持って殴り合うようなケンカをゴマンとやってきた俺の感覚でいったら、屁でもない。ノーグローブが怖いも何も、逆にグローブがあると邪魔でやりづらいんですけど、って感じですね」 ──今後はストリートファイトも卒業ですか? 「もちろん卒業です。『なんだおめえ、ニワトリみたいな頭しやがって』と絡まれても、『ニワトリみたいですいません』って平気で頭下げますよ。ただし、大事なパートナーや友人や家族に何かあって、どうしても男として行かなくちゃいけないときは行きますよ。これは強調しておきますけど、アウトロー辞めても、男は辞めてないんで。でも、今後もし俺が行くとなったら、ぶった蹴ったのケンカじゃ済まない。最後まで行くことになるでしょうね」 ──瓜田さんが抜けることで、今後の地下格闘技界にどんな影響があると思いますか? 「これだけは自信を持って言えるけど、今日パっと見渡した限り、俺の後釜になれそうな奴はいないし、俺以上の影響力のある奴もいない。今後、俺の代わりに、アウトローを名乗る奴が出てくるとも思えませんね。『瓜田さんがいなくなったあとにアウトローを名乗るのって、ちょっと俺ら、痛くない?』みたいな空気になっていくんじゃないかな」 ──アウトローという言葉自体がこの業界では死語になる、と。 「そう。表現者でいる限り、俺がいつも心がけてるのは、『先駆者は辞めるのも先だ』ってこと。文化や流行を作った先駆者が自分であるなら、それを真っ先に辞めるのも自分であるべきだと思う。何事も勇退したほうが格好いいじゃないですか」 ──自分の身に起きた物騒なトラブルをエンタメ化するところが、瓜田ブログの魅力だと思うのですが、今後はブログの内容も変わる? 「トラブルのことは書きませんよ。書いたら、あいつアウトロー辞めてねえじゃん、ってことになっちゃうから。とはいえ、『今日は公園でサンドウィッチを食べた。通りがかったおばちゃんが僕の煙草のポイ捨てを注意してくれた。ありがとう。今日はいい1日だった』みたいなブログが明日から毎日続いたら、ぶっちゃけつまんなくなっちゃうから(笑)、まあいろいろ考えますよ。基本的には『人が気になって気になってしょうがない』という動きをするつもり。あいつ、次はどこに出てくるんだろう、次にどこに行くんだろう、と常に追われる存在でありたいですね。今後何の結果も残せなかったら、所詮はそれまでの男ってことです」
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開会式の様子。
──ファンにメッセージをお願いします。 「これ言うと反感買いそうで怖いんですけど、本音を言うと、『俺はおまえらのためにやってるんじゃねえ。俺は俺のためにやってるんだ。だからおまえらもおまえらの人生を生きろ』ってことですね。まあもちろん、応援していただけるのは非常にありがたいんですけどね。あと、ファンの方々に伝えたいのは、『越えられない壁はない』ってこと。俺自身、これまで胃が痛くなるようなピンチがたくさんあったけど、結局、どれもくぐり抜けてきた。すべての物事は、どんだけ怖くてもどんだけ不安でも、ひとりで責任を取る、ひとりで話をつけに行く、という姿勢で取り組めば、たいていなんとかなる。これは実体験を通じて言えることですね」  試合前にここまで熱く語ってくれる選手も珍しい。瓜田のサービス精神は、やはり別格である。 (後編につづく/取材・文=岡林敬太/撮影=オカザキタカオ)
泥だらけのありがとう アウトローのカリスマ44のメッセージ おつかれさまでした! amazon_associate_logo.jpg
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松下奈緒、KAT-TUN・中丸雄一は「ちょっとイヤ」発言は過去のアレから?

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たとえバーターでも頑張ってチャンス
に変えて!

 松下奈緒主演、井ノ原快彦らが出演する連続ドラマ『早海さんと呼ばれる日』(フジテレビ系・日曜21時~)が15日よりスタートし、初回視聴率が9.8%(ビデオリサーチ調べ/関東地区)だったことが分かった。

 同ドラマは、お嬢様育ちの優梨子(松下)が同僚の早海恭一(井ノ原)と結婚。夫の実家、男性だらけの「早海家」で同居を始めることになり、家事のできない"ダメ嫁"から"最強の嫁"へと成長する姿を描くホームドラマ。恭一の兄弟役で要潤、中丸雄一、森永悠希、父親役で船越英一郎が出演している。

  13日、都内の映画館で行われた完成披露試写会には、出演者がズラリと勢揃いする中、中丸だけが海外での仕事のため「欠席」。事前に収録したというVTRで登場し、「会場の空気がまったくわからないので、不安です」と会場を笑わせたあと、「(ドラマは)男性が多い家庭なんですが、実際うちは妹が2人で女性の多い家庭なので、撮影は新鮮で楽しく参加できています」などとコメントを寄せた。