水道橋博士と太田光が18年ぶりに対峙! テレ東生放送「ビートたけし不在」の醍醐味

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 ついに、恐れていたことが起きてしまった。  あのビートたけしが朝の生放送をやるということだけで驚きだった『おはよう、たけしですみません。』(テレビ東京系)。それも5日間連続で放送するというのだから、大丈夫なのかと思っていた。  実際、たけしは初日から暴走気味。生放送でカットされないのをいいことに、得意のヅラネタをふんだんに連発し、政治ネタから自身が出演している番組のネタまでギリギリのラインで攻め続けていた。  その結果、2日目は謝罪からスタート。その後もCM明けのたびに謝罪を繰り返す、まさにたけしの真骨頂が繰り広げられていた。  そして3日目の10月4日。番組がスタートし、映し出されたのは、誰も座っていない椅子。そう、たけしが来ていないのだ。  もう生放送は始まっている。正直言って、たけしが“ズル休み”をするというのは予想できなくもなかった。事実、1日目、2日目の番組中も、本人の口から予告めいた発言はなされていた。だが、本当にやるとは……。たけしの不在に困惑しているのは、視聴者だけではない。誰も座っていない席の傍らにいる、浅草キッドの水道橋博士と、爆笑問題の太田光だ。 「いるはずの人がいないし、君とはやってられない」と博士が口を開けば、「オレだって不愉快極まりない」と太田も返す。  本番前から険悪なムードで、ひと言も口をきいていないという2人。そう、この2人は“犬猿の仲”で知られる関係なのだ。  それは30年近く前のことだ。やはり、ビートたけしの“ズル休み”が原因だった。1990年、自身がパーソナリティを務める『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)をたけしが休んだ際、その代役を務めたのが、当時若手有望株として「ポスト・ツービート」などといわれていた爆笑問題だった。  そのオープニングで、血気盛んな太田は言った。 「たけしさんがとうとうですね、死んじゃいました」  さらに、ライバルの浅草キッドを挑発。それに怒った水道橋博士が生放送中に“乱入”したのだ。ちなみに玉袋筋太郎は、ちょうど入院中だったため、現場に駆けつけることができなかった。  放送中はプロの芸人同士。芸人vs芸人の対決の範疇で収めたものの、放送後、博士が太田に長時間のマジ説教をしたとも伝えられている。  また、このことで爆笑問題はニッポン放送から数年間、出演禁止処分が下された。その後も、2組のライバル関係は続く。  ともにたけしイズムを継ぐ漫才師として時事ネタに毒を吐く漫才を作り続けているが、同じ時事ネタ漫才でも考え方の違いが浮き彫りになっている。  爆笑問題は矢継ぎ早に毒を吐き、どんどん話題を変えていくことで、テレビでギリギリ使える漫才に仕立てていくのに対し、浅草キッドはその毒を深化させることで、1秒もテレビでは使えないネタをライブ限定で披露しているのだ。  そうした2組が、テレビでがっつり共演したのは、99年の『新春爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)のみ。この時も、つかみ合いのケンカになった(といっても、これは打ち合わせ済みのものだったという)。  2人のテレビでの共演はそれ以来、18年ぶりだ。  たけしからのオファーだから断れない2人が対峙した初日。「ここは38度線だから」と、たけしを間に挟み座る博士と太田。若干ぎこちなさを感じさせつつも、時間がたつにつれ、3人はスイングする。 「橋下徹と東国原はインチキです」などという博士の言葉に、太田が手を叩いて笑う姿は感慨深いものがあった。  そして、たけし不在の3日目。  聞くと、たけしは「2日間の苦情に耐えきれなくて」休んだという。すかさず太田が「俺たちのほうが耐えられないよ! 今日どんだけ苦情来るか」と返し、「なんで呼ばれてない講談社には来るのに、呼ばれてるテレ東には来ないの?」などと、たけしを肴に息の合った掛け合いをする2人。  こんな光景がテレビで実現するとは思わなかった。冒頭で、「恐れていたことが……」と書いたが、違う。これを期待していたのだ。  たけしが4日目も最終日も、来るか来ないかわからない。このまま博士と太田の仲がうまくいくかもわからない。この「わからない」というドキドキ感こそが、生放送の醍醐味だ。それをテレビという不特定多数の人が見る場で、しかも朝っぱらからやるからこそ面白い。「明日はちゃんとたけし来てくれ」と願う自分がいる一方で、「来なくても面白いかも」と思う自分もいる。その引き裂かれる感じがたまらないのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

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水道橋博士の“ダウンタウン共演NG”過去告白と、人気芸人たちの「トガリ」の歴史

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水道橋博士のオフィシャルブログより
 浅草キッド・水道橋博士が、キングコング・西野亮廣がMCを務めるインターネット番組『エゴサーチTV』(AbemaTV)に出演し、ダウンタウンと共演しなかった過去を語った。これは「忠臣は二君に仕えず」の精神から、ビートたけしに仕える自分が、ダウンタウンの影響を受けないために共演しないルールを自らに課していたためで、さらに、かつての若手芸人は派閥同士でエレベーターで会わないようにするなど、緊迫したムードが漂っていたと回顧した。 「今のひな壇芸人は、みんなで和気あいあいがデフォルトですが、かつてはお互いが敵であり、ライバルだったのは確かですね。それは同じ事務所であっても同じこと。吉本興業が関東進出のために作った『銀座7丁目劇場』のボス的な存在だった、いわゆる“東京組”の極楽とんぼ・加藤浩次が、ペナルティやロンドンブーツ1号2号をはじめとする後輩芸人に『関西芸人としゃべるな』と厳命していたのはよく知られてた話です」(業界関係者)  東西の共演NGばかりではない。各芸人がそれぞれにトガっており、あの人気芸人も今とはまったく異なるキャラクターだった。 「持ち前の明るさで人気芸人となったアンタッチャブルのザキヤマこと山崎弘也は、まったくしゃべらず、前に出ないことがあえてクール、といった振る舞いを貫いていました。今とは180度違いますよね。ザキヤマの兄貴分だったくりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)の有田哲平も同様です。さらに、イジられキャラとしてブレークしたアンジャッシュの児嶋一哉もしゃべらず、『孤高の天才みたいな感じで行きたかった』と名古屋ローカルのバラエティ番組『太田上田』(中京テレビ)で暴露し、笑いを誘っていましたね」(同)  今となっては信じられない話だが、ほんの15~20年前にはピリピリ張り詰めたシビアな世界が存在したのだ。 (文=平田宏利)

ウーマンラッシュアワー村本と水道橋博士の“Twitterバトル”完全和解も、残る火種

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 Twitter上で激しいバトルを繰り広げていた浅草キッドの水道橋博士と、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が“完全和解”した。  事の発端は、11日深夜放送のインターネット番組『ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT』(AbemaTV)に出演予定だったジャーナリスト・上杉隆氏が、日米首脳会談の取材のため、急遽キャンセルを申し出たことに始まる。同番組に上杉氏と共に出演予定だった博士は7日、Twitterで「もはや呆れ返る! 訴訟沙汰だわ!」と激怒。さらに、まだ打ち合わせもしていないのに台本が送られてきたと困惑。博士は村本に確認を取ろうとしたが、フランス旅行中で連絡がつかず、行き違いが生じた。  11日深夜の放送で村本は「博士に渡ったものは、上杉氏に逃げられないようにするための仮台本であり、『実際に話す内容は自由でいい』とマネジャーに伝えた」と釈明。博士は「事実の確認を怠った」ことを認め、「台本のことごめんね」と“オネエ言葉”で優しく謝罪。村本は「ネットニュースお願いします。博士が謝ったって書いてください」と呼びかけた。  さらに番組では、かねてより「本を読まない」と明言する村本に対し博士が、本から得られる知識や情報の魅力を語る場面も見られた。  村本は「余計な情報を入れないゼロの状態で、相手に話を訊きたい」「ハズレの本ばかりを読んでいると、偏った人間になる」「本で読んだことを自分の言葉のように置き換えるのは、思考停止した人間が廃車を牽引されているようなものではないか」と持論を展開。  対して博士は「『お前はバカだから本を読んで少しはバカを直せ』とは言っていない。あなたは天才領域にある人。『THE MANZAI』のチャンピオンは、芸人でいえば横綱。『(本を読んで)もっと強くなりましょう』と言っている」と村本に促した。  だが、番組終了後、村本は「水道橋博士が『君はまだ一度も美しい評論を読んだことがないんだ』と言っていたので番組終わりにエゴサーチ。博士のファンの方のコメントをみたけど美しい評論はひとつもなかった。読む、けど、書けないのね」とツイートし、新たな物議を醸している。この徹底してひねくれた精神が村本の原動力なのは確かだろうが、今後も波乱を呼びそうだ。 (文=平田宏利)

ウーマンラッシュアワー村本と水道橋博士の“Twitterバトル”完全和解も、残る火種

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 Twitter上で激しいバトルを繰り広げていた浅草キッドの水道橋博士と、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が“完全和解”した。  事の発端は、11日深夜放送のインターネット番組『ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT』(AbemaTV)に出演予定だったジャーナリスト・上杉隆氏が、日米首脳会談の取材のため、急遽キャンセルを申し出たことに始まる。同番組に上杉氏と共に出演予定だった博士は7日、Twitterで「もはや呆れ返る! 訴訟沙汰だわ!」と激怒。さらに、まだ打ち合わせもしていないのに台本が送られてきたと困惑。博士は村本に確認を取ろうとしたが、フランス旅行中で連絡がつかず、行き違いが生じた。  11日深夜の放送で村本は「博士に渡ったものは、上杉氏に逃げられないようにするための仮台本であり、『実際に話す内容は自由でいい』とマネジャーに伝えた」と釈明。博士は「事実の確認を怠った」ことを認め、「台本のことごめんね」と“オネエ言葉”で優しく謝罪。村本は「ネットニュースお願いします。博士が謝ったって書いてください」と呼びかけた。  さらに番組では、かねてより「本を読まない」と明言する村本に対し博士が、本から得られる知識や情報の魅力を語る場面も見られた。  村本は「余計な情報を入れないゼロの状態で、相手に話を訊きたい」「ハズレの本ばかりを読んでいると、偏った人間になる」「本で読んだことを自分の言葉のように置き換えるのは、思考停止した人間が廃車を牽引されているようなものではないか」と持論を展開。  対して博士は「『お前はバカだから本を読んで少しはバカを直せ』とは言っていない。あなたは天才領域にある人。『THE MANZAI』のチャンピオンは、芸人でいえば横綱。『(本を読んで)もっと強くなりましょう』と言っている」と村本に促した。  だが、番組終了後、村本は「水道橋博士が『君はまだ一度も美しい評論を読んだことがないんだ』と言っていたので番組終わりにエゴサーチ。博士のファンの方のコメントをみたけど美しい評論はひとつもなかった。読む、けど、書けないのね」とツイートし、新たな物議を醸している。この徹底してひねくれた精神が村本の原動力なのは確かだろうが、今後も波乱を呼びそうだ。 (文=平田宏利)

ラジオの未来は“見えないラジオ”!? 川野将一が語る、ラジオと歩んだ半生と野望とは

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 昨年、長寿番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)が終了した一方で、エリアフリーとタイムフリー視聴という画期的なシステムがradikoに導入され、密かにブームが再熱しつつあるラジオ業界。  そんな業界の動きと呼応するように、“テレビの放送作家でラジオのヘビーリスナー”を自称するラジオ愛に溢れる男が、全848ページにも及ぶエッセー『ラジオブロス』(イースト・プレス)を書き上げた。取り扱う番組は、深夜帯の『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『JUNK』(TBSラジオ)などの人気番組はもちろん、『小島慶子 キラ☆キラ』(TBSラジオ)や10代向けの『能年玲奈のGIRLS LOCKS!』(TOKYO FM)と多岐にわたる。  「今、日本一の珠玉のラジオエッセー」と水道橋博士も太鼓判を押す本書の著者で、現在もテレビの放送作家として活躍する川野将一に、ラジオ愛を語ってもらった。
ラジオの未来は見えないラジオ!? 川野将一が語る、ラジオと歩んだ半生と野望とはの画像2
――ラジオとの出会いは? 川野将一(以下、川野) 僕は、45ですけど、生まれた時に居間にテレビはありました。でも、自分の部屋にはない時代だったから、部屋に閉じこもるときは、買ってもらった小さなラジカセでラジオを聞くんですよ。ある日、ラジオを流していたら『宇宙戦艦ヤマトのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が流れてきた。『宇宙戦艦ヤマト』をラジオドラマでやるんですけど、聞いていると、どうやら僕が知っているテレビのアニメのヤマトとは違うぞと。ラジオというものは、単純に“絵のないテレビ”だと思っていて、むしろ下だと思っていたけれど、ラジオには全然違う別の世界が広がっているんだと思って、そこからオールナイトニッポンだったら、ビートたけしさんだったり中島みゆきさんだったり。テレビとは違う面白さにハマっていきました。 ――それって、おいくつくらいの出来事なんですか? 川野 小学1年生ですね。 ――小学1年生!? 早いですね! 川野 だからそう……それだけは早熟だったの。 ――それからはもう、ラジオ一筋? 川野 ラジオ好きになっていろいろ聞いていくと、「あ、みんなハガキを出して参加しているんだ」と気づくじゃないですか。だけど、いろんなものを「聞く側でいいや」って思っちゃって。ハガキ職人にならなかった分、いろんな番組をいっぱい聞いていたんですよ。でもやっぱり、投稿することは好きだったから「宝島」(宝島社)とか雑誌の方にいきました。  そのころ「TVブロス」(東京ニュース通信社)が、ちょうどワーって出てきたころで、TVブロスで多く採用されていました。僕の内容に合わせてコーナー作ってくれたりとか。就職活動をする時期になって、テレビ雑誌の編集部だったら、書くことも好きだしテレビも好きだから、両方できるんじゃないかと。自分、いっぱい採用されているって武器を持って行ったんですけど……全然ですよ(笑)。スポーンって落とされて、ライバル雑誌「TeLePAL」(小学館)の編集プロダクションを受けました。それから、ご縁があってライバル誌の編集者でありながら「TVブロス」で、テレビについての連載を星野スミオのペンネームで始めました。でも、今度はテレビそのものを作る方に興味が湧いてくるんですよ。 ――制作側に。 川野 そうそう。それで、放送作家という仕事があることを知って。ツテはなかったから、どうやってなればいいかわからない。今でも好きですけど、その時いちばん好きだった『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)のエンディングのスタッフロールを見て、現場を仕切っている一番偉い人、総合演出の人宛に『タモリ倶楽部』の企画書をいろいろと、20くらい送ったら、放送作家事務所を紹介してもらいました。勤めていた編集プロダクションは辞めたんですけど、星野スミオとして書いているブロスの連載は続けていました。  けれど、テレビを作りながら、そういうのをやっていくと……苦しくなる。 ――わかります。どっちの気持ちもわかる、じゃないけど……。 川野 この状態はよろしくないなって、編集部さんに連載内容を変えたいって相談したんですよ。僕はずっと昔からラジオは聞き続けていたから、「高木ブーさんのこういうラジオあるの、知ってます?」とか、そういうラジオがあるってことを言っただけで、驚いてくれて。テレビ雑誌だけど、毎回ラジオについて書くっていうのはありかもということで、『ラヂオブロス』がはじまりました。TVブロスで連載するラジオについてのコラムだから『ラヂオブロス』。そこで、3年続けて。  ちょっと遡りまして、TVブロスで「テレビのミカタ」という連載をしていたころ、よく、ライターの近況を書くところってあるじゃないですか、本文のほかに。そこで一回、ビートたけしのオールナイトニッポンの後に始まった、たけしさんと浅草キッドのTOKYO FMのラジオのことを書いたんですよ。「昔、たけしのオールナイトニッポンを聞いていた人は、絶対聞いたほうがいいですよ」って。それが1997年のとき。そしたら、水道橋博士が「星野スミオっていうのが『TVブロス』で小さく俺のやっているラジオ番組のことを書いてくれた」ってブログに書いたんです。そのころ僕は自分で積極的にネット見るっていう文化がなかったから、全然書かれたことを知らなかったんです。  ある時TVブロスの編集部に行ったら、僕宛てに荷物が届いてたんです。それを見たら、手紙とビデオテープで送り主が小野正芳。「あれ!? これ水道橋博士じゃん!」って、僕はすぐにわかったんですよ。編集部の人はそれが博士からのものだと気づかなくて、半年ぐらい置いたままで。その時は、テレビの放送作家の仕事を始めていたから、いつか現場で会ってお礼を言わないとって思っていたけど、そういうことに限って、ほかの芸人さんとはお会いしても……なかなか、会わないんですよ。18年間も会わなかった。
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――18年! 忘れちゃうくらい、時間が流れていますね。 川野 博士と会わないまま、博士がメールマガジンを始めたっていう情報が入ってきて。それで、ここが自分の参加する現場なんじゃないかって思ったんです。そのころにちょうど、博士が『藝人春秋』(文藝春秋)を出して、月島でトークイベントがあったんで行きました。18年経て、やっと会いに行ったんです。ご挨拶してサインもらいながら「あのときの“星野スミオ”です」って伝えて、その後に「メールマガジン、いつも読んでいますけど、僕もラジオで参加させていただけませんか?」って言ったら、ぜひということで声をかけていただきました。そこで新しく『ラジオブロス』が始まったんです。ここに来るまでに、こういう変遷があったという話なんですけど……聞いていることとズレちゃいましたかね? ――いえいえ! こんな深い歴史があるとは。ラジオ関係の仕事をしたいという気持ちは、あんまりないんですか? 川野 ……その流れで言えば、ラジオ局をつくりたい。 ――ラジオ局! 自分で、この時間はこの人に任せて、この時間はこの人に……ということですか? 川野 妄想でコンセプトがあって、今って誰が話しているかって顔がわかるじゃないですか。調べれば、ネットとかで。でも、昔は「どういう顔なんだろう」って話している人の顔がわからなかった。一つ便利になったことで、一つ失っている楽しみがそれだなって思うんですよね。よく“見えるラジオ”なんて言葉がありますけど、“見えないラジオ”をやってみたい。 ――“見えないラジオ”! “聞けば見えてくる”の逆をいくわけですね。 川野 誰が話しているかわからない。何がいいかっていうと、例えば『ONE PIECE』(集英社)の作者の尾田栄一郎さん。あの方、すごいお話が大好きで面白くて、ラジオ番組にゲストで出たりするんですよ。『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』(TOKYO FM)にゲストとして尾田さんが出ていらっしゃる。そこで、昔の日本映画について話したりとか。最近でいうとGReeeenとか。彼らも単発でラジオとかやっていますけど、顔は出さなくてもおしゃべりが好きなおもしろい人を出すラジオ局を作りたいっていう勝手な妄想(笑)。ラジオ局を作るっていうのは、莫大なコネクションと莫大なバジェットが必要なことはわかっていますから、それはあくまで妄想で。  けれど、ラジオに関わりたくないんですか? って聞かれれば、むしろラジオ局を作りたいって答える。 ――関わるというよりも、もっとディープにということですね(笑)。今回の連載が始まった時に、最初に書きたいという人はいたんですか? 川野 “テレビの放送作家でラジオのヘビーリスナー”と名乗っているんですけど、1番最初に自分の自己紹介的なことも含めて書けるなと思ったのが、久米宏さん。久米さんって、もともとTBSラジオでずっと話していた人なんですよね。それが『ニュースステーション』(テレビ朝日系)とか『ザ・ベストテン』(TBS系)とか、テレビの世界に生きて、またラジオに戻った。僕は“ブーメランパーソナリティ”って勝手に呼んでいるんですけど(笑)。その人生の歩み方がまずおもしろい。久米さんを最初に取り上げようっていうのは、連載を始めるかなり前から思っていましたね。
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 連載は、その時々にあわせて「あ、今はこのタイミングだからこの人書こう」みたいなことでやっています。毎月、日常で聞く番組と課題として聞く番組がある。だからね、本当のラジオファンからすると、あまり健康的な聞き方じゃないかもしれない(笑)。 (取材=菅谷直弘[カカロニ])
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ラジオブロス 読むべし。 ラジオの未来は見えないラジオ!? 川野将一が語る、ラジオと歩んだ半生と野望とはの画像6

ラジオの未来は“見えないラジオ”!? 川野将一が語る、ラジオと歩んだ半生と野望とは

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 昨年、長寿番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)が終了した一方で、エリアフリーとタイムフリー視聴という画期的なシステムがradikoに導入され、密かにブームが再熱しつつあるラジオ業界。  そんな業界の動きと呼応するように、“テレビの放送作家でラジオのヘビーリスナー”を自称するラジオ愛に溢れる男が、全848ページにも及ぶエッセー『ラジオブロス』(イースト・プレス)を書き上げた。取り扱う番組は、深夜帯の『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『JUNK』(TBSラジオ)などの人気番組はもちろん、『小島慶子 キラ☆キラ』(TBSラジオ)や10代向けの『能年玲奈のGIRLS LOCKS!』(TOKYO FM)と多岐にわたる。 「今、日本一の珠玉のラジオエッセー」と水道橋博士も太鼓判を押す本書の著者で、現在もテレビの放送作家として活躍する川野将一に、ラジオ愛を語ってもらった。
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――ラジオとの出会いは? 川野将一(以下、川野) 僕は、45ですけど、生まれた時に居間にテレビはありました。でも、自分の部屋にはない時代だったから、部屋に閉じこもるときは、買ってもらった小さなラジカセでラジオを聞くんですよ。ある日、ラジオを流していたら『宇宙戦艦ヤマトのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が流れてきた。『宇宙戦艦ヤマト』をラジオドラマでやるんですけど、聞いていると、どうやら僕が知っているテレビのアニメのヤマトとは違うぞと。ラジオというものは、単純に“絵のないテレビ”だと思っていて、むしろ下だと思っていたけれど、ラジオには全然違う別の世界が広がっているんだと思って、そこからオールナイトニッポンだったら、ビートたけしさんだったり中島みゆきさんだったり。テレビとは違う面白さにハマっていきました。 ――それって、おいくつくらいの出来事なんですか? 川野 小学1年生ですね。 ――小学1年生!? 早いですね! 川野 だからそう……それだけは早熟だったの。 ――それからはもう、ラジオ一筋? 川野 ラジオ好きになっていろいろ聞いていくと、「あ、みんなハガキを出して参加しているんだ」と気づくじゃないですか。だけど、いろんなものを「聞く側でいいや」って思っちゃって。ハガキ職人にならなかった分、いろんな番組をいっぱい聞いていたんですよ。でもやっぱり、投稿することは好きだったから「宝島」(宝島社)とか雑誌の方にいきました。  そのころ「TVブロス」(東京ニュース通信社)が、ちょうどワーって出てきたころで、TVブロスで多く採用されていました。僕の内容に合わせてコーナー作ってくれたりとか。就職活動をする時期になって、テレビ雑誌の編集部だったら、書くことも好きだしテレビも好きだから、両方できるんじゃないかと。自分、いっぱい採用されているって武器を持って行ったんですけど……全然ですよ(笑)。スポーンって落とされて、ライバル雑誌「TeLePAL」(小学館)の編集プロダクションを受けました。それから、ご縁があってライバル誌の編集者でありながら「TVブロス」で、テレビについての連載を星野スミオのペンネームで始めました。でも、今度はテレビそのものを作る方に興味が湧いてくるんですよ。 ――制作側に。 川野 そうそう。それで、放送作家という仕事があることを知って。ツテはなかったから、どうやってなればいいかわからない。今でも好きですけど、その時いちばん好きだった『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)のエンディングのスタッフロールを見て、現場を仕切っている一番偉い人、総合演出の人宛に『タモリ倶楽部』の企画書をいろいろと、20くらい送ったら、放送作家事務所を紹介してもらいました。勤めていた編集プロダクションは辞めたんですけど、星野スミオとして書いているブロスの連載は続けていました。けれど、テレビを作りながら、そういうのをやっていくと……苦しくなる。 ――わかります。どっちの気持ちもわかる、じゃないけど……。 川野 この状態はよろしくないなって、編集部さんに連載内容を変えたいって相談したんですよ。僕はずっと昔からラジオは聞き続けていたから、「高木ブーさんのこういうラジオあるの、知ってます?」とか、そういうラジオがあるってことを言っただけで、驚いてくれて。テレビ雑誌だけど、毎回ラジオについて書くっていうのはありかもということで、『ラヂオブロス』がはじまりました。TVブロスで連載するラジオについてのコラムだから『ラヂオブロス』。そこで、3年続けて。  ちょっと遡りまして、TVブロスで「テレビのミカタ」という連載をしていたころ、よく、ライターの近況を書くところってあるじゃないですか、本文のほかに。そこで一回、ビートたけしのオールナイトニッポンの後に始まった、たけしさんと浅草キッドのTOKYO FMのラジオのことを書いたんですよ。「昔、たけしのオールナイトニッポンを聞いていた人は、絶対聞いたほうがいいですよ」って。それが1997年のとき。そしたら、水道橋博士が「星野スミオっていうのが『TVブロス』で小さく俺のやっているラジオ番組のことを書いてくれた」ってブログに書いたんです。そのころ僕は自分で積極的にネット見るっていう文化がなかったから、全然書かれたことを知らなかったんです。  ある時TVブロスの編集部に行ったら、僕宛てに荷物が届いてたんです。それを見たら、手紙とビデオテープで送り主が小野正芳。「あれ!? これ水道橋博士じゃん!」って、僕はすぐにわかったんですよ。編集部の人はそれが博士からのものだと気づかなくて、半年ぐらい置いたままで。その時は、テレビの放送作家の仕事を始めていたから、いつか現場で会ってお礼を言わないとって思っていたけど、そういうことに限って、ほかの芸人さんとはお会いしても……なかなか、会わないんですよ。18年間も会わなかった。
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――18年! 忘れちゃうくらい、時間が流れていますね。 川野 博士と会わないまま、博士がメールマガジンを始めたっていう情報が入ってきて。それで、ここが自分の参加する現場なんじゃないかって思ったんです。そのころにちょうど、博士が『藝人春秋』(文藝春秋)を出して、月島でトークイベントがあったんで行きました。18年経て、やっと会いに行ったんです。ご挨拶してサインもらいながら「あのときの“星野スミオ”です」って伝えて、その後に「メールマガジン、いつも読んでいますけど、僕もラジオで参加させていただけませんか?」って言ったら、ぜひということで声をかけていただきました。そこで新しく『ラジオブロス』が始まったんです。ここに来るまでに、こういう変遷があったという話なんですけど……聞いていることとズレちゃいましたかね? ――いえいえ! こんな深い歴史があるとは。ラジオ関係の仕事をしたいという気持ちは、あんまりないんですか? 川野 ……その流れで言えば、ラジオ局をつくりたい。 ――ラジオ局! 自分で、この時間はこの人に任せて、この時間はこの人に……ということですか? 川野 妄想でコンセプトがあって、今って誰が話しているかって顔がわかるじゃないですか。調べれば、ネットとかで。でも、昔は「どういう顔なんだろう」って話している人の顔がわからなかった。一つ便利になったことで、一つ失っている楽しみがそれだなって思うんですよね。よく“見えるラジオ”なんて言葉がありますけど、“見えないラジオ”をやってみたい。 ――“見えないラジオ”! “聞けば見えてくる”の逆をいくわけですね。 川野 誰が話しているかわからない。何がいいかっていうと、例えば『ONE PIECE』(集英社)の作者の尾田栄一郎さん。あの方、すごいお話が大好きで面白くて、ラジオ番組にゲストで出たりするんですよ。『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』(TOKYO FM)にゲストとして尾田さんが出ていらっしゃる。そこで、昔の日本映画について話したりとか。最近でいうとGReeeenとか。彼らも単発でラジオとかやっていますけど、顔は出さなくてもおしゃべりが好きなおもしろい人を出すラジオ局を作りたいっていう勝手な妄想(笑)。ラジオ局を作るっていうのは、莫大なコネクションと莫大なバジェットが必要なことはわかっていますから、それはあくまで妄想で。  けれど、ラジオに関わりたくないんですか? って聞かれれば、むしろラジオ局を作りたいって答える。 ――関わるというよりも、もっとディープにということですね(笑)。今回の連載が始まった時に、最初に書きたいという人はいたんですか? 川野 “テレビの放送作家でラジオのヘビーリスナー”と名乗っているんですけど、1番最初に自分の自己紹介的なことも含めて書けるなと思ったのが、久米宏さん。久米さんって、もともとTBSラジオでずっと話していた人なんですよね。それが『ニュースステーション』(テレビ朝日系)とか『ザ・ベストテン』(TBS系)とか、テレビの世界に生きて、またラジオに戻った。僕は“ブーメランパーソナリティ”って勝手に呼んでいるんですけど(笑)。その人生の歩み方がまずおもしろい。久米さんを最初に取り上げようっていうのは、連載を始めるかなり前から思っていましたね。
ラジオの未来は見えないラジオ!? 川野将一が語る、ラジオと歩んだ半生と野望とはの画像4
 連載は、その時々にあわせて「あ、今はこのタイミングだからこの人書こう」みたいなことでやっています。毎月、日常で聞く番組と課題として聞く番組がある。だからね、本当のラジオファンからすると、あまり健康的な聞き方じゃないかもしれない(笑)。 (取材=菅谷直弘[カカロニ])
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「年を重ねて丸くなった……」YOSHKIと水道橋博士の“深イイ話”に漂う虚無感

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YOSHIKI公式サイトより
 深イイ話と思いきや、どこか儚さを感じずにはいられない。  人気ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIと、お笑い芸人・水道橋博士のやりとりが話題となっている。発端は5日放送のフジテレビ系『バイキング』。昨年末の『第67回NHK紅白歌合戦』の話題になり、ゲスト出演した紅白初出場の演歌歌手・市川由紀乃が「当日びっくりしたこと」について、YOSHIKIに関するエピソードを披露した。  YOSHIKIは12月30日に紅白のリハ予定だったが、ソロ世界ツアー中の香港で急遽代替公演が決まったため帰国できず、欠席。紅白当日の31日午後に帰国した。そのギリギリのスケジュールに共演者やスタッフもヒヤヒヤだったという。  これを聞いた水道橋博士は「いや、YOSHIKIさんの場合はほんとに(仕事現場から)帰ることがあり得るんですよ。『行かねーよ、俺』って言ったら、もうそのままですから。本当に機嫌次第ですからね」と暴露。  すると、放送後にYOSHIKIのファンからクレームが殺到。水道橋はTwitterで「YOSHIKI様の言動についてボクが『バイキング』でしたお話への抗議が多く届きました」と明かした上で「YOSHIKI様の昔の破天荒でヤンチャな言動のイメージで悪気も一切なく今回の紅白での模様の妄想を語っていましたが、ファンの方々にはご不快な気分にさせたようで誠に申し訳ありませんでした」と謝罪した。  この騒動は当人も知るところとなり、YOSHIKIは水道橋博士に「全然大丈夫ですよ!僕もその自分のキャラを時には楽しんでます。今回はファンの方がフォローしてくれている記事も送ってくれました!今度TVなどでお会いする事があるときは、よろしくお願いします!」とツイート。水道橋博士も「わざわざコメントすいません。巻き込んだようで申し訳ないです。再見!」と和解した。ネット上ではYOSHIKIの器の大きさや、クリーンな幕引きをした両者を称賛する声が続出しているが……。 「なんというか、『YOSHIKIも丸くなったなぁ』という印象。博士も博士で狂気じみたところがあるから、ファンのクレームに『事実です』と反論してもよかったのに……。両者の対応を見ていると、かつて狂犬だった2人もすっかりオジサンになったようにしか見えない」とは業界歴30年の音楽関係者。  実際、水道橋が言及したようなYOSHIKIの振る舞いは「事実も事実。気分屋でわがままで、臆病で、ストイックなのがYOSHIKI。こういうタイプじゃないと、あれほどのスターにはなれないよ」(同)という。  稀代のロックスターと孤高のお笑い芸人に、誰も“深イイ話”は求めていないようだ。

「年を重ねて丸くなった……」YOSHKIと水道橋博士の“深イイ話”に漂う虚無感

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YOSHIKI公式サイトより
 深イイ話と思いきや、どこか儚さを感じずにはいられない。  人気ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIと、お笑い芸人・水道橋博士のやりとりが話題となっている。発端は5日放送のフジテレビ系『バイキング』。昨年末の『第67回NHK紅白歌合戦』の話題になり、ゲスト出演した紅白初出場の演歌歌手・市川由紀乃が「当日びっくりしたこと」について、YOSHIKIに関するエピソードを披露した。  YOSHIKIは12月30日に紅白のリハ予定だったが、ソロ世界ツアー中の香港で急遽代替公演が決まったため帰国できず、欠席。紅白当日の31日午後に帰国した。そのギリギリのスケジュールに共演者やスタッフもヒヤヒヤだったという。  これを聞いた水道橋博士は「いや、YOSHIKIさんの場合はほんとに(仕事現場から)帰ることがあり得るんですよ。『行かねーよ、俺』って言ったら、もうそのままですから。本当に機嫌次第ですからね」と暴露。  すると、放送後にYOSHIKIのファンからクレームが殺到。水道橋はTwitterで「YOSHIKI様の言動についてボクが『バイキング』でしたお話への抗議が多く届きました」と明かした上で「YOSHIKI様の昔の破天荒でヤンチャな言動のイメージで悪気も一切なく今回の紅白での模様の妄想を語っていましたが、ファンの方々にはご不快な気分にさせたようで誠に申し訳ありませんでした」と謝罪した。  この騒動は当人も知るところとなり、YOSHIKIは水道橋博士に「全然大丈夫ですよ!僕もその自分のキャラを時には楽しんでます。今回はファンの方がフォローしてくれている記事も送ってくれました!今度TVなどでお会いする事があるときは、よろしくお願いします!」とツイート。水道橋博士も「わざわざコメントすいません。巻き込んだようで申し訳ないです。再見!」と和解した。ネット上ではYOSHIKIの器の大きさや、クリーンな幕引きをした両者を称賛する声が続出しているが……。 「なんというか、『YOSHIKIも丸くなったなぁ』という印象。博士も博士で狂気じみたところがあるから、ファンのクレームに『事実です』と反論してもよかったのに……。両者の対応を見ていると、かつて狂犬だった2人もすっかりオジサンになったようにしか見えない」とは業界歴30年の音楽関係者。  実際、水道橋が言及したようなYOSHIKIの振る舞いは「事実も事実。気分屋でわがままで、臆病で、ストイックなのがYOSHIKI。こういうタイプじゃないと、あれほどのスターにはなれないよ」(同)という。  稀代のロックスターと孤高のお笑い芸人に、誰も“深イイ話”は求めていないようだ。

セクシー女優の春原未来が水道橋博士にAV男優のススメ?『ムラっとびんびん』トークイベント開催

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 水道橋博士と人気AV男優“しみけん”が旬のAV女優をゲストにトークを行うJ:COMオンデマンド配信のアダルトバラエティー番組「水道橋博士のムラっとびんびんテレビシーズン2」のスペシャルトークイベントが都内で行われ、水道橋博士、しみけん、AV監督のカンパニー松尾、AV女優の春原未来が出席した。 『水道橋博士のムラっとびんびんテレビ』は昨年12月に「シーズン1」がスタート。ゲストのAV女優をトークの中で“丸裸”にする赤裸裸トークが好評で、この夏から「シーズン2」の配信が開始。水道橋博士にとって地上波含め、現在唯一の冠番組であるといい、博士は登壇すると「50歳過ぎてこんな番組を持つとは思いませんでした」と照れ笑い。「自分の性癖を隠さない。絶対に本当のことしかしゃべらない」をモットーに本番組に力を入れているといい、「これをライフワークにしたい」とコメント。
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 トークでは、その水道橋博士とカンパニー松尾がプライベートでも交流があることが話題となり、博士は松尾が以前、付き合っていたAV女優と、自身も付き合っていた時期があることをカミングアウト。 「兄貴でもあります。僕らは兄弟です」と松尾監督を親しみを込めて紹介する反面、“ハメ撮り”の天才松尾監督に男としての対抗心も見せ、「一度監督と試合がしてみたい」とニヤニヤ。 「俺と監督とでは(アレの)しなりが違う。俺の場合はすごく細くてカリ首があまり太くない。ドリルチ●ポなんです」と自身のコンプレックスを明かしつつ、「でも我が家で日々、剣は磨いています。他流試合をやったら相当強いんじゃないかなと思っています」と話して会場を沸かせた。
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 また、春原からは「ぜひAVに出ましょうよ」とAV男優デビューをすすめられる一幕も。博士は「俺自身はまんざらでもないんです。(出れば)タコの糸が切れて、どこまでも飛んでいく感じにはなると思いますよ」と出演に前向きだったが、「でも、事務所がダメなんですよ。あと、家族にも迷惑がかかるので……」と、これをやんわり否定。  終盤には自身のちょっと“特殊なオナニー”の仕方も紹介し、家族にバレたくないのと、ティッシュで汚れたくないことが理由で「(出す時に)お尻の穴のところをギュッと押して止めて、精液を出さずにイッているんです」と自身のオナニー方法まで紹介。本音のトークで、しみけん、松尾監督、春原を大爆笑させていた。 (取材・文=名鹿祥史) トークイベントの一部を公式サイトで無料配信! 「水道橋博士のムラっとびんびんテレビ」は、J:COMオンデマンドで好評配信中! 春原未来がゲストの#11は8/26より配信中。 公式HPは http://www2.myjcom.jp/special/tv/adult/murabin/

『情報7days』欠席はホントに映画撮影? 内田裕也も激怒したビートたけし“欠席伝説”とは

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 お笑い芸人のビートたけしが、レギュラーを務める『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)を欠席した。同番組は生放送だが、番組冒頭、安住紳一郎アナウンサーが「たけしさんがいないだけで、スタッフが半減する」と、スタジオの様子を報告した。  今回の欠席の理由は「映画撮影」とされたが、たけしは過去には、驚くべき理由で番組を休むことで知られた。 「人気深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)での一幕ですね。ラジオは生放送でしたが、直前になっても来ないことがたびたびあったようです。理由も『お化けが出たから』といった信じられないものでした。内田裕也をゲストに招いた回に来ず、なおかつ仕切り直しの回にも現れず、裕也さんがスタジオで大暴れした伝説もあります」(放送作家) 『ビートたけしのオールナイトニッポン』は、1981年から90年の10年間にわたって放送された。当初は、たけしの早口マシンガントークが2時間にわたって繰り広げられていたが、のちに、放送作家の高田文夫や、たけし軍団の面々が番組に参加するようになる。大物芸人にとって毎週2時間の生放送をこなすのは体力的、精神的にもきついものがあったのだろう。さらに、急きょ別の人間がキャスティングされることもあった。 「有名どころとしては、爆笑問題が知られていますね。番組冒頭に太田光が、笑いのつもりで『たけしさんが死んじゃいました』と放言し、たけし軍団のほか、コアなリスナーの怒りを買ったエピソードもあります。この回では、番組の最後に浅草キッドの水道橋博士が乱入し、放送終了後、爆笑問題の2人に大説教をかましました」(同) 『情報7days』をめぐり、ビートたけしは過去に上層部から「ニュース番組のため、笑いを抑えてくれ」と要請され、怒りを覚えたと別の番組で漏らしている。こうしたエピソードをふまえると、たけしと番組の間でなんらかのトラブルがあったことも予想される。今回の欠席理由は、本当に「映画撮影」であればいいのだが……。 (文=平田宏利)