清水良太郎逮捕で振り返る、クスリと芸能人の切っても切れぬ関係

1710_shimizu.jpg
『ダメ女-清水良太郎』(テイチクエンタテインメント)
 モノマネタレント・清水アキラ(63)の三男でタレントの清水良太郎(29)が覚醒剤使用容疑で逮捕された。池袋のラブホテルでデルヘリ嬢を呼び、覚醒剤を飲ませたことから、女性が警察に通報。あえなく御用となった。自業自得である。庶民の街、池袋はほとんど芸能人を見かけない。そんな場所のラブホで風俗遊び。およそタレントとは思えない行動は、今の清水の現状がわかる。  一時は、モノマネブームに乗り雨後の筍のようにモノマネタレントが出てきたが、飽和状態も過ぎ、衰退の一途を辿っている。テレビの仕事も減り、大量に出てきたタレントの大半は六本木や新宿のショーパブに舞台を移している。もっとも、「もともとショーパブでやっていたのが、ブームに乗りテレビに進出してきた。ブームが去りまた元に戻っただけ。唯一、幅広いモノマネで生き残っているのはコロッケぐらいです。コロッケは来年には役者として主演映画にも出演する。ブームが終わることを早くから見抜いていたのでしょう」(芸能関係者)  今やショーパブに活路を求めている人が大半のなか、清水は仲間と徒党を組むことは少なく、父親との地方興行が主力だった。その興行も最近は不況。さほど仕事はない。お金はなくても遊びは辞められないのがわがままに育った二世タレントの甘さ。安上がりに池袋でデルヘリ遊び。 「そんな場所に顔の割れた芸能人が来るはずがない」という盲点との見方もあるが、今の清水が街を歩いていても、そう気づく人はいないだろう。さらに覚醒剤の使用。  芸能関係者によれば、「モノマネは色物の扱い。営業も温泉などが多く、興行を仕切るのは必然的に暴力団関係者が多い。覚醒剤なども手に入りやすい人間関係が自然にできてしまう」という。  覚醒剤など麻薬は普通カップルで使うことが多い。酒井法子は夫と、飛鳥は愛人と使用していた。通称「キメセク」と呼ばれ、通常のセックスの何倍もの快感を得られ、何回でもできることからハマりやすい。 「一度、覚醒剤を使ったセックスの味を覚えたら、普通のセックスなんかつまらなくてできない。快楽に天井はない」(体験者)  こうして覚醒剤と性に溺れていき、常習者となる。  元ジャニーズのアイドルだった豊川譲も何度となく覚醒剤で捕まり、実刑を受けた。  出所して間もない頃、出所祝いを兼ねて2人で食事をしたことがある。「焼肉が食べたい」と言われ、芸能人御用達の「叙々苑」の個室を用意した。美味しそうに焼肉を食べるが、口を見ると歯は隙間だらけ。 「覚醒剤を常習的に使うとまず歯に出る。歯茎が弱くなり、隙間だらけになってしまう」という。課題はどうやってやめるか。豊川は奇妙なやめ方を語った。 「若い女がいない田舎で暮らすことが一番だと思います。絶対に都会はダメ。またやってしまうような気がする」  その理由をこう続ける。 「覚醒剤だけならやめられる自信がありますが、女とセットで覚えてしまっているから、女を見たらまた覚醒剤でやりたくなってしまうから」  覚醒剤が手に入っても女がいなければやる必要がない。逆に女がいれば、覚醒剤を入手する努力をしてしまう。だから、若い女のいない田舎暮らしが覚醒剤をやめる一番の方法となるそうだ。  確かに、再犯を繰り返す人を見ると、「もうやめます」と断言しながら、その後の生活場所は以前と変わらず都会。誘惑が多く、クスリも簡単に入手できてしまう。  覚醒剤の再犯率は高い。清水良太郎もこれに懲りてスッパリ止められればよいが……。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

清水良太郎逮捕で振り返る、クスリと芸能人の切っても切れぬ関係

1710_shimizu.jpg
『ダメ女-清水良太郎』(テイチクエンタテインメント)
 モノマネタレント・清水アキラ(63)の三男でタレントの清水良太郎(29)が覚醒剤使用容疑で逮捕された。池袋のラブホテルでデルヘリ嬢を呼び、覚醒剤を飲ませたことから、女性が警察に通報。あえなく御用となった。自業自得である。庶民の街、池袋はほとんど芸能人を見かけない。そんな場所のラブホで風俗遊び。およそタレントとは思えない行動は、今の清水の現状がわかる。  一時は、モノマネブームに乗り雨後の筍のようにモノマネタレントが出てきたが、飽和状態も過ぎ、衰退の一途を辿っている。テレビの仕事も減り、大量に出てきたタレントの大半は六本木や新宿のショーパブに舞台を移している。もっとも、「もともとショーパブでやっていたのが、ブームに乗りテレビに進出してきた。ブームが去りまた元に戻っただけ。唯一、幅広いモノマネで生き残っているのはコロッケぐらいです。コロッケは来年には役者として主演映画にも出演する。ブームが終わることを早くから見抜いていたのでしょう」(芸能関係者)  今やショーパブに活路を求めている人が大半のなか、清水は仲間と徒党を組むことは少なく、父親との地方興行が主力だった。その興行も最近は不況。さほど仕事はない。お金はなくても遊びは辞められないのがわがままに育った二世タレントの甘さ。安上がりに池袋でデルヘリ遊び。 「そんな場所に顔の割れた芸能人が来るはずがない」という盲点との見方もあるが、今の清水が街を歩いていても、そう気づく人はいないだろう。さらに覚醒剤の使用。  芸能関係者によれば、「モノマネは色物の扱い。営業も温泉などが多く、興行を仕切るのは必然的に暴力団関係者が多い。覚醒剤なども手に入りやすい人間関係が自然にできてしまう」という。  覚醒剤など麻薬は普通カップルで使うことが多い。酒井法子は夫と、飛鳥は愛人と使用していた。通称「キメセク」と呼ばれ、通常のセックスの何倍もの快感を得られ、何回でもできることからハマりやすい。 「一度、覚醒剤を使ったセックスの味を覚えたら、普通のセックスなんかつまらなくてできない。快楽に天井はない」(体験者)  こうして覚醒剤と性に溺れていき、常習者となる。  元ジャニーズのアイドルだった豊川譲も何度となく覚醒剤で捕まり、実刑を受けた。  出所して間もない頃、出所祝いを兼ねて2人で食事をしたことがある。「焼肉が食べたい」と言われ、芸能人御用達の「叙々苑」の個室を用意した。美味しそうに焼肉を食べるが、口を見ると歯は隙間だらけ。 「覚醒剤を常習的に使うとまず歯に出る。歯茎が弱くなり、隙間だらけになってしまう」という。課題はどうやってやめるか。豊川は奇妙なやめ方を語った。 「若い女がいない田舎で暮らすことが一番だと思います。絶対に都会はダメ。またやってしまうような気がする」  その理由をこう続ける。 「覚醒剤だけならやめられる自信がありますが、女とセットで覚えてしまっているから、女を見たらまた覚醒剤でやりたくなってしまうから」  覚醒剤が手に入っても女がいなければやる必要がない。逆に女がいれば、覚醒剤を入手する努力をしてしまう。だから、若い女のいない田舎暮らしが覚醒剤をやめる一番の方法となるそうだ。  確かに、再犯を繰り返す人を見ると、「もうやめます」と断言しながら、その後の生活場所は以前と変わらず都会。誘惑が多く、クスリも簡単に入手できてしまう。  覚醒剤の再犯率は高い。清水良太郎もこれに懲りてスッパリ止められればよいが……。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

トランプのシワだらけのブリオーニには意味がある? デーブ・スペクターが語る権力掌握のためのスーツ論

 政治家たちはイメージ戦略のため上等なスーツに身を包み、自らの威厳と力強さをアピールするが、超大国アメリカには“パワードレッシング”という言葉があるぐらい、ファッションをある種の武器として捉えている。しかし、「政治家が威圧のためにスーツを着る時代は終わった」と語るのは、自身もスーツには並々ならぬこだわりを持つ、コメンテーターのデーブ・スペクター氏。それでは現代の権力者たちのパワードレッシングとは?
1711_Trump_MG_0051_hosei_520.jpg
「パワードレッシング(power dressing)」というファッション用語をご存じだろうか。「自身のキャリアや有能さをアピールする着こなし」「自分の魅力を引き立てる服装」「着ている服や靴で、自分が相手よりも勝っていると理解させる装い方」などと定義されており、主に政治家やビジネスパーソンのスーツスタイルと深いかかわりを持つという。言葉のニュアンスはわかるが、実際にそれはどういったものなのだろうか? ここでは、芸能界きってのファッション通であり、海外事情の専門家でもあるデーブ・スペクター氏を迎え、アメリカ大統領をはじめとする世界の権力者たちのパワードレッシングやスーツの着こなしから、デーブ自身のスーツに対するこだわりについて語り尽くしてもらおう。 デーブ・スペクター(以下、デーブ) 詳しいよー、このへんの話は! ――頼もしいです。ちなみに今日着られている紺色のスーツは、アメリカ大統領を意識したものでしょうか? デーブ そうです! 大統領のスーツについての取材ということで着てきました。紺のスーツに、真っ白な無地のシャツ、そして星条旗のラペルピン。今日の僕のネクタイはちょっと違うけどね。本来であれば、ネクタイの色はアメリカ国旗に含まれる赤か青が好ましいです。僕はアメリカ大使館のイベントなんかにもこの格好で行きますよ。 ――この「大統領スタイルのパワードレッシング」は、1960年の大統領選におけるテレビ討論会でジョン・F・ケネディが確立したといわれていますよね。リチャード・ニクソン相手に劣勢だったケネディがテレビ映えを意識して、紺のスーツに、真っ白なシャツ、赤いネクタイと、コントラストのはっきりしたファッションで出演し、彼の若々しく力強いイメージを視聴者に植えつけたと。 デーブ 当時のテレビはモノクロでしたから紺色はメリハリが出ますよね。あと、今でも紺のスーツをみんなが着用するのは、演説などでホワイトハウスを背景にすることが多いので、白スーツとか着たら保護色になっちゃうからなんですよ。 ――本日のデーブさんの服装を見て思い出したのですが、服飾記者・片瀬平太氏の『スーツの適齢期』(集英社)という本にデーブさんのエピソードが紹介されています。「お笑い芸人と見紛うようなイエローやピンクのスーツを着てくだらないギャグを連発していた彼が、9・11以降はいつもとは違うネイビーのストライプスーツに身を包み、白地のシャツ、真紅のネクタイを合わせることで、アメリカの正義とテロに屈しない強い意志を装いで表現した」と。やはり、意識はされたのでしょうか? デーブ そりゃ、もちろんトーンは落としましたよね。日本のアナウンサーだって、災害のときとか訃報に備えてみんな黒っぽいスーツを用意してありますから。 ――あぁ……そういうことだったんですか。ちなみに、デーブさんは普段どこでスーツを購入されているんですか?
1711_Trump_MG_0084_hosei_230.jpg
「本当はカラーシャツやポケットチーフ、カフスにもっと気を遣いたいけど、朝が早すぎて時間がないので極力シンプルに、すべてのシャツは白、そしてベーシックなスーツにネクタイで勝負しているんです」
デーブ セレクトショップだと六本木のエストネーションが好きですが、最近はあまり行ってないです。今はほとんどネットですね。だって、男性のサイズってそんなに変わらないでしょ。スーツの良さはフィット感で選ぶけど、もっとうるさく言うならステッチがあるかどうか。つまり手作りかどうかです。着てみるとすぐにわかりますが、手作りのスーツはフィット感もすごく良い。シャツはブルックス・ブラザーズ。もしくは、ラルフ・ローレンのパープルレーベルかブラックレーベル。あと、ネクタイに関しては100%イギリス製です。ブランドで言うならドゥシャンやテッド・ベーカー。デザインがすごく良い。バブル時代はヴェルサーチのケバいやつとか着けていたけどね。 ――バブル時代のスーツというと、かなり派手な印象がありますね。 デーブ バブル時代は光沢のあるスーツが好きでした。寿司もツウは光り物が好きでしょ。威圧感を与えるのがパワースーツですから。一番好きだったのは佐藤孝信というデザイナーがプロデュースしたアーストンボラージュというブランド。マイルス・デイヴィスとかが海外から買いに来るぐらい。お店もテーマパークのお城みたいで、すごかったですよ! 今でもたまに着るものがあります。グラスメンズとかKファクトリーもすごく好きでよく着ていたんですけど、一度だけテレビ番組で桂文珍さんとかぶって「オイオイ!」って(笑)。僕は自前の衣装なんだから、そっちが着替えてよと(笑)。でも、かぶるっていうのはやっぱり問題で、大統領選の時期に行われるテレビ討論会でも、服装がかぶらないように、候補者のコーディネーター同士が裏で打ち合わせをしています。また、候補者はテレビにネット、SNSで毎日姿を見られるわけですから、昨日と今日ではっきり区別がつかないと「同じものばかり着ている」と見られちゃう。それを気にしていても、なおかぶっちゃうんですけどね。 ――では、現大統領であるドナルド・トランプのファッションについてはどう思いますか? 真紅のパワータイを腰まで垂らして、思いっきりパワードレッシングなわかりやすい自己主張ですが、その一方でズボンはシワだらけです。 デーブ 「ニューヨークの一等地にトランプタワーを建てるような人なのに、どうしてもっとちゃんとした格好をしないのか?」という声は一部の支持者からもあります。トランプタワーから5分も歩けばブルックス・ブラザーズやラルフ・ローレン、ハート・シャフナー&マークスのようなブランド店がゴロゴロあるし、優秀な仕立屋だってすぐに見つかるはずなのに……たぶん、本人がファッションに興味ないんでしょう。いつも同じようなスーツを着ていてバリエーションがないよね。今でこそ腹の出た体形ですけど、昔はそんなことなかったから、やろうと思えばすごいオシャレできたはずなんです。もったいないね。もはや、彼に似合う服はバスローブしかないんじゃないかな(笑)。 ――トランプはたまに、ストライプのネクタイも着けますが、デーブさんと一緒に写っているハリボテのように、ストライプが左から右下へと流れる、いわゆる英国式を着けることが多いです。英国式のストライプのネクタイは大学や軍隊の連隊など、自分の帰属先をシグナルする重要な意味合いが含まれているので、ビジネス面で着用することはNGとさえも言われています。つまりトランプは、わざと間違ったネクタイを締めたということですが、これには元不動産王である彼なりの何か意図があるのでしょうか? デーブ いや、これは本当に何も考えてないと思う……考えごとをしない人ですから。彼はファッションには興味ない、ニューヨークの田舎者ですよ。だって、ブルックリンかブロンクスから来たんでしょう? 言っちゃいけないけど、マンハッタンじゃないから生粋のニューヨーカーとは呼べない。だから、趣味悪いの。 ――自分の見せ方には人一倍こだわりそうなのに意外ですね。トランプにはスタイリストとかいないのでしょうか? デーブ スタイリストは彼の髪の毛を整えるのに忙しいんじゃないですかね。あと、選挙で彼に投票した州って田舎が多いですよね。そして、アメリカの大部分は田舎。服にお金を使うオシャレな人ってニューヨークとかロサンゼルスみたいな都会にしかいないんですよ。田舎ではほんのひと握り。だから、むしろトランプみたいなダボダボなスーツはかえって支持されているんです。 ――オシャレでないことが、むしろパワードレッシングとなっているということでしょうか? デーブ ジョージ・W・ブッシュだって、白々しくオーバーオールを着て「テキサスの田舎者」みたいなキャラを出していましたが、実際は金持ちの坊ちゃんじゃないですか。しかも、スーツはOXXFORDっていうアメリカで一番高い部類に入るブランドを着ていますよ。結局のところ、いわゆるパワースーツと呼ばれるものは、政治家にかかわらず体を鍛えてればね、バラク・オバマみたいにかっこよく見えるものなんですよ。 ――ただ、オバマは「私服がダサい」と叩かれたこともありました。 デーブ 彼はもともと弁護士でいわゆる人権派。役員室に入っていくようなクライアントはいないから、オシャレじゃなかったんです。でも、政治家になってからは奥さんのミシェル・オバマの影響もあって気を遣うようになりましたね。 ――候補者のバックボーンを知れば、それぞれのファッションによるイメージ戦略がわかると。ほかに歴代大統領で特にパワードレッシングに長けている人はいましたか? デーブ ケネディはもともと金持ちの坊ちゃんだから、普段着もラルフ・ローレンでかっこいい。あと、ロナルド・レーガンは俳優出身なだけあって、スーツの着こなし方はプロでしたね。ほかの国の首脳だとフランスのエマニュエル・マクロン、カナダのジャスティン・トルドーとか、当然ですけど太ってないということは大事ですよね。習近平はあんなにお金があるくせに、なんだあのブカブカなスーツ! ウラジーミル・プーチンはマッチョだからスーツはちょっとパンパンでも良いんですよ、悪くない。 ――トルドー首相は『スター・ウォーズ』のチューバッカ柄の靴下を履いていたことも話題になりましたよね。では、日本の政界はどうでしょうか? デーブ 永田町で一番オシャレなのは、間違いなく松野頼久さん。彼もエストネーションにしょっちゅう行っているし、オシャレ。さすが坊ちゃん。安倍さんも悪くないけど、麻生さんには負ける。あの人はトーマス・ピンクとか、香港のブランドでオーダーメイドしていますし、帽子もオシャレですね。そしてやっぱり坊ちゃん。自民党の政治家は、神田・神保町あたりにある何代も続いているような仕立屋のオーダーメイドが多いです。アメリカでも歴代大統領たちは「大統領お抱えの仕立屋」と言われたマーティン・グリーンフィールドにオーダーしたりしていますよね。 ――昔からアメリカ大統領はブルックス・ブラザーズやラルフ・ローレンなど国産ブランドを愛用していましたが、最近のオバマもトランプもお気に入りのスーツはイタリア製。とりわけカナーリや、ブリオーニを好んで着ているともいわれています。
1711_Trump_mino_230.jpg
実はお2人の着ているスーツは同じブランド!?(写真左:Dan Hallman/Invision/AP/アフロ)
デーブ カナーリはかなーり良いですね。でも、個人的にはオーソドックスすぎるとも思います。ブリオーニはおっさんっぽいから、僕はあんまり。あっ、みのもんたさんはブリオーニしか着ないんですよ。マネージャーがブリオーニって書かれた袋をよく抱えていました。みのさんは荻窪のサウナにいそうなおじさん体形だけど、ブリオーニは生地が良くて光沢があるんで見事に着こなしていた。素晴らしいですね。多分、なにかのタイアップだと思いますけど。 ――トランプとみのもんたが同じスーツを着ているとは……。そのトランプと戦ったヒラリー・クリントンは、ファッションによるイメージ戦略ということでパンツスーツにこだわりましたよね。 デーブ 彼女は体形が悪いからね。パワードレッシングじゃ体形まではカバーしきれない。そういうのを見ていると、80年代はパワードレッシングに関する本が話題になったからやる人も多かったけど、今のアメリカでパワードレッシングしている人はニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴくらいにしかいないし、いっそ「ファッションを気にしない」という選択肢のある時代なのかもしれないですね。 ――政治家のパワードレッシングという概念が、戦略性よりもファッションの一種として再注目されているということですか? デーブ いや、今はどんなに、ファッションに興味があってもなくても政治家のスーツはほぼ自動的に、僕が着ている紺のスーツ、白いシャツ、無地のネクタイ、というようにアメリカ国旗を思わせるような決まった形しかないです。だから、むしろトランプのようなダサい格好のほうが、印象に残るので良いのかもしれません。なにより、パワードレッシングといっても大統領になった瞬間、パワーはもう十分すぎるほど持ちますからね。 (文/0次郎) (写真/増永彩子)
1711_03_dave01_150.jpg
「今日もデーブ・スベッター2018」(発売元:トライエックス)
デーブ・スペクター アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身。アメリカをはじめとする海外の情報や映像などを日本に紹介。ポイントをおさえた的確なコメント、鋭い批評は多方面から好評を博している。ツイッターのフォロワー数は146万人を突破し、外国人タレントNo.1。来年用のカレンダー「今日もデーブ・スベッター2018」(発売元:トライエックス/価格:1815円)も好評発売中!

綾瀬、新垣を否定!? 吉岡里帆の“不一致言動”に批判噴出か?

1710_yoshioka.jpg
『吉岡里帆コンセプトフォトブック「13 notes#」 (TOKYO NEWS MOOK)』(東京ニュース通信社)
 今年最もブレイクした女優の一人である吉岡里帆が女性向けサイト『She is』内で行った、シンガーソングライター・吉澤嘉代子との対談での発言が物議を醸している。 「吉岡は自身のグラビア時代を振り返っているのですが、水着姿を雑誌で披露することについて、『ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて』と悩んでいたことや、『人は、脱いだ人を“脱いでる人が芝居している”って見るんですよ』と女優としてもマイナスに働くと力説しながら、グラビアの仕事がいかに嫌だったかをまくし立てています」(芸能ライター)  しかし、グラビアでの涙目顔が男心をくすぐりファンを急増させた吉岡だけに、発言を知ったネット民からは大ブーイング。「グラドルを下に見ていて不愉快」「グラビアは自分をアピールできる武器とは考えられないのか」「グラビアで人気を得たことが今の仕事に繋がっているのに」といった批判コメントが殺到する事態となっている。アイドル誌編集者も呆れ顔で言う。 「現在第一線で活躍している綾瀬はるか、深田恭子、新垣結衣ら人気女優も過去には水着グラビアを、菅野美穂、吉高由里子、栗山千明らはヌードも披露していますが、彼女たちを“脱いでる人が芝居している”という視点で見ている視聴者はいないはず。また、吉岡の所属するエーチームおよび系列グループには、酒井若菜、ほしのあきといったグラビアから地位を築いたタレントや、村上友梨といった現役グラドルも所属しています。そんなにグラビアが嫌だったらなぜそこに入ったのかという疑問もありますし、グラビアで頑張っている後輩にも失礼ですよ」  ほかにも吉岡の行動には矛盾があると指摘する声もある。前出の芸能ライターが続ける。 「吉岡は対談でカラダをさらすことに抵抗があった理由について、両親から『本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ』という教育を受けてきたことを挙げています。真面目な性格をアピールしようとしたのでしょうが、過去にはバラエティ番組で『15歳から恋人がいる』と明かしたり、芸能界きってのモテ男である佐藤健のマンションへ通う様子をスッパ抜かれていますから、イマイチ説得力がない。しかも10月10日に更新した自身のインスタグラムではみずから肩をはだけさせるセクシーショットをアップして男性ファンを歓喜させています。お色気アピールしている点ではグラビアと大差ありませんから、どうも言動が一致していないように感じてしまいますね」  最近は様々なメディアで「下積み時代」を“ネタ”にしている吉岡だが、過去を否定することでファン離れが起きなければいいが・・・。

「新しい地図」に勝機はあるのか?ジャニーズvsI女史率いる元SMAPの3人の戦いが始まった

ジャニーズvsI女史率いる元SMAPの3人の戦いが始まったの画像1
『新しい地図』公式サイトより
「やられたら、やり返す」  かつてのヒットドラマ『半沢直樹』を彷彿とさせるような戦いが芸能界に起きようとしている。9月8日に「ジャニーズ事務所」を退所した元SMAPの草彅剛(43)・稲垣吾郎(43)・香取慎吾(40)の3人。 「これからどんな活動を展開していくのか」と心配する声もあったなか、即座に行動を開始した。  新公式サイト「新しい地図」を22日に立ち上げたことは、大きな話題となり、ファンクラブの入会者はすでに10万人を超えた。入会金と年会費を合わせて単純計算で5億5千万円以上が入ったことになるが、某芸能プロ幹部は、「あくまでも非公式な数字。本当かどうかは定かではない。一説には盛った数字で、アドバルーンを上げたという説もある。世間にいまだに劣らぬ人気をアピールすると同時に、ジャニーズ事務所に対する脅威を与える効果もある」という。  さらにSNSなどネットを駆使した戦略も展開。すべては元ジャニーズの幹部としてSMAPを育てた辣腕マネージャーの策という。 「芸能界の古いしきたりとして、事務所を辞めたタレントはしばらくの間表だった活動を暗黙の圧力で制限される。特にテレビなど元事務所とバッティングする仕事は難しくなる。それが顕著なのがジャニーズ事務所」(前出・芸能プロ幹部)  そこで考えたのが、ジャニーズではご法度だったネットによる活動。退社当時は「芸能界の仕事はしない」と言っていたI女史だが、それは表向きの話。密かに戦略は練られていた。  I女史が退社するきっかけになったのは、メリー喜多川副社長が週刊文春のインタビューに登場し、I女史やSMAPをぼろくそに批判したことに他ならない。会社の幹部が、功績を上げていた部長とその部下をみんなの前で批判したと同じ。これほどの屈辱はない。「今に見てろ」と思っても不思議はない。芸能界での屈辱は芸能界で返す。  元SMAPのメンバーと行動を起こすのは必然。彼らにしても、一番頼れるのがI女史だ。これほど心強い味方はない。早々にI女史との行動を共にすることを決めていたという。その背景にあるのがジャニーズの歴史。「ジャニーズを辞めたタレントに成功者がいない」という暗黒の歴史である。事実、成功者と言えるのは、司会業に転身した薬丸裕英。役者になった本木雅弘ぐらいしかいない。「当時、2人はジャニーズとバッティングしないジャンルに進出したことで、邪魔されることがなかった。今はどちらのジャンルも現役のジャニーズタレントが多くいるので難しい」(テレビ関係者)  結局、行き場を失う元ジャニーズのタレントは少なくない。かつて著者はジャニーズを辞めたジュニアらを追跡したことがある。大半の子は「もう一度、芸能界で」とチャンスを狙っていたが、やがて挫折している。テレビ関係者の話では、「ジャニーズ時代はグループとしての人気。個人としてはとてもタレントとしてやっていける器ではなかった。さらに彼らをサポートするマネージャーがいないことが致命傷でした」  味方になるマネージャーがいなかったら、アイドルが1人ではなにもできない。 「次世代の木村拓哉」と呼ばれ期待されていたT君。イケメンでスタイルもよくアイドルとして申し分なかったが、「素行不良」で解雇された。一時、原宿でファン相手に「ツーショット写真を千円で撮らせて、小遣い稼ぎをしていたと、彼に話を聞いたことがある。 「誰も面倒を見てくれる人がいないんです」と再就職先の事務所を探していたが、どこも不合格。その後、芸能界を諦め千葉の実家に帰って行った。顏を知られている東京を離れ、京都のホストクラブで働いていた子もいれば、銀座で黒服になった男もいた。「ジャニーズを途中で放り出された人は新たな仕事がなく、手っ取り早いのがその整ったビジュアルを利用した水商売」と言われるのも納得したものだった。人気、実績も十分だった草彅ら3人も、他の事務所は「興味なし」というのが大半の声だった。プロ野球のFA宣言ではより良い条件の移籍を果たす選手もいるが、芸能界にはない。 「ジャニーズを辞めた子の面倒を見れば、ジャニーズと衝突することになる。そんなリスクを背負ってまでマネージメントする事務所はない」(テレビ関係者)  草彅らがラッキーだったのは、一番信頼できるマネージャーが先に退社し、きちんと受け皿を作って待っていたこと。 「蟻一匹入れない。チリ1つ外に出さない」と言われる要塞のようなジャニーズ事務所。その内部を知り尽くしたI女史と3人。巻き返しだけでなく、「やられたら倍返し」と動き出した。ジャニーズとI女史率いる3人。今後の展開に注目が集まる。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

わたしは「できそこない」? 虐待された女の子が自信をつかむまで

――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。
1710_honamiill_3.jpg
 大阪で編集者をしているメグさん(仮名・49歳)は、幼いころに両親から虐待を受けていたという。彼女とわたしとの出会いは5年前、池袋のカラオケボックスで開いたサバイバーのオフ会がきっかけだ。華奢な腕で重そうなスーツケースを引きずり、「夜行バスで来ましたわ」と笑うメグさんは、バイタリティの塊そのものだった。  18歳のとき、メグさんは家族から逃げるために家を出た。その後、彼女は平和な日常を手に入れることができたのだろうか。親との関係は現在どうなのだろう。今回はそんなメグさんに、親の暴力をどう受け止め、「できてしまった傷」とどう折り合いをつけてきたのかについて聞いてみた。

お母さんが、こんなヒドイことをするはずがない

――メグさんは誰からどんな虐待を受けていたんですか?  母親からは身体的な暴力、父親からは「お前はダメだ」と言われ続けるような精神的なものが中心でした。特に母親がひどくて。たぶん人格的に問題があったんじゃないかな。 ――お母さんは、どんな人だったんですか?  脈絡なくキレる人、何が原因で怒り出すのかわからない人でしたね。たとえば、小学校の自由研究で弥生時代の女性の服装について調べたのですが、模造紙に描いた服装のイラストを母が見たとたん「小さい!」って叫び出してビリビリに破いちゃったり。殴る蹴るなどは、物心ついた4歳ごろから日常的に受けていました。 ――親の「怒りのツボ」がわからないと、子どもとしては回避策がとれないから常に緊張状態ですよね。暴力についてはウチの場合、わたしの成長とともに手段や武器(道具)がバージョンアップしていきました。メグさんはどうでしたか?  あー、ありましたねぇ。素手からモノを使う暴力になりました。覚えているのは小学5、6年生のとき。理由は些細なことだったと思いますが、母がわたしの頭をセルロイドの分厚い下敷きで思い切り殴って、それが一撃でバラバラに砕けたんです。  自分の大事なものが壊されたショックと、「お母さんがこんなヒドイことするはずない」というショックで、しばらく起きたことが信じられませんでした。それまでは、殴るといってもグーとかパーだったので。そこからますます母のことがわからなくなって、警戒するようになっていったんです。 ――その気持ち、よくわかります……。ちなみに、暴力を振るわれていたのはメグさんだけですか? 誰か味方は?  ウチは団地住まいで、他の家族が家にいるときも殴られていました。決して広い家ではないので父も知っているはずですが、止めてはくれませんでしたね。父は高校教師で後に大学教授、母も看護学校で英会話を教えているような人だったので、娘にも優秀であることを求める……というか、わたしにとても厳しかったんです。母が、わたしとの会話の中でしょっちゅう「恩に着せるわけじゃないけど」と前置きしていたのもあって、「あぁ、自分は仕方なく養われているのかな」と解釈していました。  逆に5歳下の弟は、すごく溺愛されていましたね。わたしより成績が悪かったのに、叱られているのも見たことがありません。弟は、こちらが殴られているのを黙って見ていたり、母と一緒になってバカにするような態度をとったりしていました。

ホイットニー・ヒューストンが力をくれた

――「長女は虐待されるけど弟は無傷」というパターンは、女性サバイバーからよく聞く「虐待あるある」です。家では四面楚歌だったメグさんの心の支えになってくれたのは、やはり友だちですか?  それは違ったかなぁ。「自分はできそこない」という意識があったし、小学3年から中学3年ごろまでいじめにあっていたので、人が怖くて常に「防衛モード」に入っていました。だから、思春期にも腹をわって話せる友だちはいませんでしたよ。休み時間も机に座って本ばかり読んでいる子だったし。  高校生のころは、よく無気力状態になっていたんです。でも、洋楽を聴くと元気が出ました。ホイットニー・ヒューストンの『Greatest Love Of All』は大好きでしたねぇ。歌詞の中で <一番大切なのは自分を愛すること> っていうくだりが出てくるんですが、あれを聴くと「自分の中にこんなエネルギーがあったのか」とびっくりするぐらい力が湧いてきました。 ――高校生といえば、わたしの場合は「自分がされていたことは虐待だ」と気づいたころです。親を憎む気持ちと、そんな自分を醜いと思う自己嫌悪の間で、ずっと葛藤していました。メグさんは両親に対してどんな感情を持っていましたか?  わたしの場合は、両親を憎んだり見下したりしていて、そこに罪悪感や自己嫌悪はありませんでした。心理学の本をたくさん読んでいたので、「虐待」からの流れとして、子どもたちが当然そういった感情を持つようになることを知っていたんですよね。

アラフォーで男性経験なしというプレッシャー

――「家から脱出したい」という気持ちは起きませんでしたか?  もちろん、ありました。わたしが15歳を過ぎたあたりから、母親が更年期のウツ状態になって……。暴力は止んだけど、代わりに干渉がすごかったんです。趣味で読んでいる小説のページ数をいちいち確認されたり、子ども部屋のふすまを閉めることも許されなかったりで、常に行動を監視されていました。  ストレスがたまりにたまった高校3年のころ、「自宅から遠い大学に行けば、一人暮らしができる」とひらめいたんです。親が満足する偏差値の学校を探して受験しました。でも、実家から離れても、やっぱり親の干渉は止まらなかったんですよね。「こんなんなら意味ないや」と気力を失って中退してしまいました。そこからは実家には戻らず、派遣事務とか食品工場とかいろいろ働いて食いつなぎました。 ――挫折の理由ひとつとっても、虐待が絡んでいると知り合いにはなかなか説明しづらいですよね。ほかに、生きづらさを感じていたことはありますか?  20代前半は、他人から批判されるのが怖くて、友人の前でも手が震えていました。飲み会では「アル中」疑惑を持たれたこともありましたよ(苦笑)。あと、男性ともちゃんと付き合ったことがなくて。正直、あっちの経験(肉体関係)もなかったんです。好きになるのは、なぜか父にそっくりな「人にダメ出しをするような性格のキツい人」で、その人の前では自分が被害者みたいな振る舞いをしてしまうんです。 ――他人との関係性として、「加害者⇔被害者の構図」は自分にとって慣れ親しんだものだから、自然とそうなっちゃう。  多分そういうことだと思います。でもそんな卑屈な態度じゃ、好きな人には振り向いてもらえないんです。このまま40歳になっても「未経験」のままなら、女としても“できそこない”になってしまうのではないかって。そう思うこと自体が、ものすごい恐怖でした。

助けてくれたのは、ネットの仲間と編集者という仕事

――サバイバーは、恋愛や結婚を含めた対人関係で苦労します。だから匿名のブログやネット上のコミュニティでうっぷんを晴らしたり、虐待の思い出を綴ったりする人も多いわけですが……。その過程で当人なりの気づきを得て、自信を取り戻したり、親との関係を再構築したりするケースも多いですよね。  うんうん、それはあると思いますよ。今はもう閉鎖されちゃってますが、わたしも30代半ばごろから「家族という名の強制収容所」というサイトにとてもお世話になっていました。そこのBBS(掲示板)でサバイバー仲間ができて、徐々にリアル(対面)でも会うようになりました。ただ、合わせたら10人ぐらいいましたけど、交友関係が続く人は少なかったですね。 ――それでもサバイバー仲間との交流を通して、自分の抱えている生きづらさが、「すべて自分のせい」ではなく過去の環境によるものだと気づいたんですね?  はい、そんな感じです。インナーチャイルドセラピー(記憶の中で、子ども時代の傷ついた自分と対話する精神治療)とか、自己啓発のセミナーなんかも行くようになって、ある程度は虐待を受けた過去と親のことを客観的に見られるようになりました。  セミナーで近づいてきた男性と「体験」もすませたんです。30代の終わりに、ギリギリ滑り込みで。アハハ。まぁー、悪くはなかったですよね。妻子のいる人ですぐ別れてしまいましたが、向こうはセックスレスだと言っていましたし、こっちは結婚願望も子育て願望もない。お互い「利害の一致」ってことで、それでいいかと。 ――その辺の解釈は当人たちにしかわからないことだと思いますが……、わたしも不倫経験者なので思い当たる節はあります。ともかく、メグさんは「自分はできそこないかも」という不安要素を1つずつクリアしていった感じなんですね。  結果的にそうなりましたね。 ――もうすぐ50歳。今の生活は楽しいですか?  はい。編集者の仕事に就けたことも大きいかもしれません。最近では脳科学や整体の書籍を手がけているのですが、毎回新しい世界にふれられるのが刺激的なんです。子どものころから本が友だちだったし、言葉にこだわるのも向いているみたいです。  20〜30代はずっと作曲家とか音楽のプロを目指していましたが、よく考えたら「心からやりたくて」というより「親への反抗」だったんですよね。それまではずっと逃げてきたけど、はじめて素直な喜びから選んだ仕事で、しかも小さな成功体験を積み重ねることができた。今は「自分の気持ちに素直になれる」状態に自信が持てるようになって、「わたしは100点!」って言えるようになりました。 ――いいなぁ~(思わず)。大げさかもしれませんが、「自信」を持つということは、自己認識の根っこに「虐げられる」イメージが張り付いてしまったサバイバーの悲願かもしれません。40年以上の歳月は長かったと思いますが、本当におめでとうございます。  あ、ありがとうございます。どうしよう、話していたらウルっときてしまった……。 ――いい話が聞けて、わたしもうれしいです。で、親との関係は、今どうですか?  許す――というのとは違いますが、なんせ向こうが老いて弱っちゃいましたからねぇ。憎いという気持ちは薄れました。父は一昨年前、誤嚥性肺炎が元で亡くなりました。80歳でした。最後の3カ月は病院にお見舞いに行ってたんですが、父はもうすっかり素直になっちゃって。わたしとしては、小さい子どもに「もう仕方ないなぁ」と思うような気持ちで、“生温かく”見守っていました。  母の方は……「きっとこの人は人格障害だから仕方ない」と思いつつも、まだ引っかかりを感じるときはあるかな。そういう日は、ネットの掲示板とかで怒りをぶつけてちゃんと発散してますよ(笑)。 **************  今年の7月、同じ虐待の経験をもつ知人と「自尊心に問題を抱えた女性たちのための」自助グループを立ち上げたというメグさん。しばらくは会員制のチャットなどを通じて、苦しんでいる人たちと何ができるかを探っていくそうだ。  一度ついた傷は、おそらく消えない。かさぶたの痕跡は一生残るだろう。だが、「血が止まらない」と苦しむ後輩へ手を差しのべ、未来を考えることで、互いの傷を薄めていくことはできるのかもしれない。メグさんは、やっと自由な人生をつかみ取ったばかりだ。 (文/帆南ふうこ) 帆南ふうこ(ほなみ・ふうこ) 1980年生まれ、ライター。4歳ごろから高校生まで実母から身体的・精神的な暴力を受けて育つ。13年間にも及ぶ反抗期を経た後、結婚を機に母親と和解。ここ数年は元・被虐待児である「サバイバー」たちのオフ会を開いたり、取材を通じてサバイバー仲間との親交を深めている。趣味はお酒と田舎暮らし。

わたしは「できそこない」? 虐待された女の子が自信をつかむまで

――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。
1710_honamiill_3.jpg
 大阪で編集者をしているメグさん(仮名・49歳)は、幼いころに両親から虐待を受けていたという。彼女とわたしとの出会いは5年前、池袋のカラオケボックスで開いたサバイバーのオフ会がきっかけだ。華奢な腕で重そうなスーツケースを引きずり、「夜行バスで来ましたわ」と笑うメグさんは、バイタリティの塊そのものだった。  18歳のとき、メグさんは家族から逃げるために家を出た。その後、彼女は平和な日常を手に入れることができたのだろうか。親との関係は現在どうなのだろう。今回はそんなメグさんに、親の暴力をどう受け止め、「できてしまった傷」とどう折り合いをつけてきたのかについて聞いてみた。

お母さんが、こんなヒドイことをするはずがない

――メグさんは誰からどんな虐待を受けていたんですか?  母親からは身体的な暴力、父親からは「お前はダメだ」と言われ続けるような精神的なものが中心でした。特に母親がひどくて。たぶん人格的に問題があったんじゃないかな。 ――お母さんは、どんな人だったんですか?  脈絡なくキレる人、何が原因で怒り出すのかわからない人でしたね。たとえば、小学校の自由研究で弥生時代の女性の服装について調べたのですが、模造紙に描いた服装のイラストを母が見たとたん「小さい!」って叫び出してビリビリに破いちゃったり。殴る蹴るなどは、物心ついた4歳ごろから日常的に受けていました。 ――親の「怒りのツボ」がわからないと、子どもとしては回避策がとれないから常に緊張状態ですよね。暴力についてはウチの場合、わたしの成長とともに手段や武器(道具)がバージョンアップしていきました。メグさんはどうでしたか?  あー、ありましたねぇ。素手からモノを使う暴力になりました。覚えているのは小学5、6年生のとき。理由は些細なことだったと思いますが、母がわたしの頭をセルロイドの分厚い下敷きで思い切り殴って、それが一撃でバラバラに砕けたんです。  自分の大事なものが壊されたショックと、「お母さんがこんなヒドイことするはずない」というショックで、しばらく起きたことが信じられませんでした。それまでは、殴るといってもグーとかパーだったので。そこからますます母のことがわからなくなって、警戒するようになっていったんです。 ――その気持ち、よくわかります……。ちなみに、暴力を振るわれていたのはメグさんだけですか? 誰か味方は?  ウチは団地住まいで、他の家族が家にいるときも殴られていました。決して広い家ではないので父も知っているはずですが、止めてはくれませんでしたね。父は高校教師で後に大学教授、母も看護学校で英会話を教えているような人だったので、娘にも優秀であることを求める……というか、わたしにとても厳しかったんです。母が、わたしとの会話の中でしょっちゅう「恩に着せるわけじゃないけど」と前置きしていたのもあって、「あぁ、自分は仕方なく養われているのかな」と解釈していました。  逆に5歳下の弟は、すごく溺愛されていましたね。わたしより成績が悪かったのに、叱られているのも見たことがありません。弟は、こちらが殴られているのを黙って見ていたり、母と一緒になってバカにするような態度をとったりしていました。

ホイットニー・ヒューストンが力をくれた

――「長女は虐待されるけど弟は無傷」というパターンは、女性サバイバーからよく聞く「虐待あるある」です。家では四面楚歌だったメグさんの心の支えになってくれたのは、やはり友だちですか?  それは違ったかなぁ。「自分はできそこない」という意識があったし、小学3年から中学3年ごろまでいじめにあっていたので、人が怖くて常に「防衛モード」に入っていました。だから、思春期にも腹をわって話せる友だちはいませんでしたよ。休み時間も机に座って本ばかり読んでいる子だったし。  高校生のころは、よく無気力状態になっていたんです。でも、洋楽を聴くと元気が出ました。ホイットニー・ヒューストンの『Greatest Love Of All』は大好きでしたねぇ。歌詞の中で <一番大切なのは自分を愛すること> っていうくだりが出てくるんですが、あれを聴くと「自分の中にこんなエネルギーがあったのか」とびっくりするぐらい力が湧いてきました。 ――高校生といえば、わたしの場合は「自分がされていたことは虐待だ」と気づいたころです。親を憎む気持ちと、そんな自分を醜いと思う自己嫌悪の間で、ずっと葛藤していました。メグさんは両親に対してどんな感情を持っていましたか?  わたしの場合は、両親を憎んだり見下したりしていて、そこに罪悪感や自己嫌悪はありませんでした。心理学の本をたくさん読んでいたので、「虐待」からの流れとして、子どもたちが当然そういった感情を持つようになることを知っていたんですよね。

アラフォーで男性経験なしというプレッシャー

――「家から脱出したい」という気持ちは起きませんでしたか?  もちろん、ありました。わたしが15歳を過ぎたあたりから、母親が更年期のウツ状態になって……。暴力は止んだけど、代わりに干渉がすごかったんです。趣味で読んでいる小説のページ数をいちいち確認されたり、子ども部屋のふすまを閉めることも許されなかったりで、常に行動を監視されていました。  ストレスがたまりにたまった高校3年のころ、「自宅から遠い大学に行けば、一人暮らしができる」とひらめいたんです。親が満足する偏差値の学校を探して受験しました。でも、実家から離れても、やっぱり親の干渉は止まらなかったんですよね。「こんなんなら意味ないや」と気力を失って中退してしまいました。そこからは実家には戻らず、派遣事務とか食品工場とかいろいろ働いて食いつなぎました。 ――挫折の理由ひとつとっても、虐待が絡んでいると知り合いにはなかなか説明しづらいですよね。ほかに、生きづらさを感じていたことはありますか?  20代前半は、他人から批判されるのが怖くて、友人の前でも手が震えていました。飲み会では「アル中」疑惑を持たれたこともありましたよ(苦笑)。あと、男性ともちゃんと付き合ったことがなくて。正直、あっちの経験(肉体関係)もなかったんです。好きになるのは、なぜか父にそっくりな「人にダメ出しをするような性格のキツい人」で、その人の前では自分が被害者みたいな振る舞いをしてしまうんです。 ――他人との関係性として、「加害者⇔被害者の構図」は自分にとって慣れ親しんだものだから、自然とそうなっちゃう。  多分そういうことだと思います。でもそんな卑屈な態度じゃ、好きな人には振り向いてもらえないんです。このまま40歳になっても「未経験」のままなら、女としても“できそこない”になってしまうのではないかって。そう思うこと自体が、ものすごい恐怖でした。

助けてくれたのは、ネットの仲間と編集者という仕事

――サバイバーは、恋愛や結婚を含めた対人関係で苦労します。だから匿名のブログやネット上のコミュニティでうっぷんを晴らしたり、虐待の思い出を綴ったりする人も多いわけですが……。その過程で当人なりの気づきを得て、自信を取り戻したり、親との関係を再構築したりするケースも多いですよね。  うんうん、それはあると思いますよ。今はもう閉鎖されちゃってますが、わたしも30代半ばごろから「家族という名の強制収容所」というサイトにとてもお世話になっていました。そこのBBS(掲示板)でサバイバー仲間ができて、徐々にリアル(対面)でも会うようになりました。ただ、合わせたら10人ぐらいいましたけど、交友関係が続く人は少なかったですね。 ――それでもサバイバー仲間との交流を通して、自分の抱えている生きづらさが、「すべて自分のせい」ではなく過去の環境によるものだと気づいたんですね?  はい、そんな感じです。インナーチャイルドセラピー(記憶の中で、子ども時代の傷ついた自分と対話する精神治療)とか、自己啓発のセミナーなんかも行くようになって、ある程度は虐待を受けた過去と親のことを客観的に見られるようになりました。  セミナーで近づいてきた男性と「体験」もすませたんです。30代の終わりに、ギリギリ滑り込みで。アハハ。まぁー、悪くはなかったですよね。妻子のいる人ですぐ別れてしまいましたが、向こうはセックスレスだと言っていましたし、こっちは結婚願望も子育て願望もない。お互い「利害の一致」ってことで、それでいいかと。 ――その辺の解釈は当人たちにしかわからないことだと思いますが……、わたしも不倫経験者なので思い当たる節はあります。ともかく、メグさんは「自分はできそこないかも」という不安要素を1つずつクリアしていった感じなんですね。  結果的にそうなりましたね。 ――もうすぐ50歳。今の生活は楽しいですか?  はい。編集者の仕事に就けたことも大きいかもしれません。最近では脳科学や整体の書籍を手がけているのですが、毎回新しい世界にふれられるのが刺激的なんです。子どものころから本が友だちだったし、言葉にこだわるのも向いているみたいです。  20〜30代はずっと作曲家とか音楽のプロを目指していましたが、よく考えたら「心からやりたくて」というより「親への反抗」だったんですよね。それまではずっと逃げてきたけど、はじめて素直な喜びから選んだ仕事で、しかも小さな成功体験を積み重ねることができた。今は「自分の気持ちに素直になれる」状態に自信が持てるようになって、「わたしは100点!」って言えるようになりました。 ――いいなぁ~(思わず)。大げさかもしれませんが、「自信」を持つということは、自己認識の根っこに「虐げられる」イメージが張り付いてしまったサバイバーの悲願かもしれません。40年以上の歳月は長かったと思いますが、本当におめでとうございます。  あ、ありがとうございます。どうしよう、話していたらウルっときてしまった……。 ――いい話が聞けて、わたしもうれしいです。で、親との関係は、今どうですか?  許す――というのとは違いますが、なんせ向こうが老いて弱っちゃいましたからねぇ。憎いという気持ちは薄れました。父は一昨年前、誤嚥性肺炎が元で亡くなりました。80歳でした。最後の3カ月は病院にお見舞いに行ってたんですが、父はもうすっかり素直になっちゃって。わたしとしては、小さい子どもに「もう仕方ないなぁ」と思うような気持ちで、“生温かく”見守っていました。  母の方は……「きっとこの人は人格障害だから仕方ない」と思いつつも、まだ引っかかりを感じるときはあるかな。そういう日は、ネットの掲示板とかで怒りをぶつけてちゃんと発散してますよ(笑)。 **************  今年の7月、同じ虐待の経験をもつ知人と「自尊心に問題を抱えた女性たちのための」自助グループを立ち上げたというメグさん。しばらくは会員制のチャットなどを通じて、苦しんでいる人たちと何ができるかを探っていくそうだ。  一度ついた傷は、おそらく消えない。かさぶたの痕跡は一生残るだろう。だが、「血が止まらない」と苦しむ後輩へ手を差しのべ、未来を考えることで、互いの傷を薄めていくことはできるのかもしれない。メグさんは、やっと自由な人生をつかみ取ったばかりだ。 (文/帆南ふうこ) 帆南ふうこ(ほなみ・ふうこ) 1980年生まれ、ライター。4歳ごろから高校生まで実母から身体的・精神的な暴力を受けて育つ。13年間にも及ぶ反抗期を経た後、結婚を機に母親と和解。ここ数年は元・被虐待児である「サバイバー」たちのオフ会を開いたり、取材を通じてサバイバー仲間との親交を深めている。趣味はお酒と田舎暮らし。

超絶入手困難の乃木坂46ライブは見切れ席、音席までだめなら音漏れ席があるぞ

齢(よわい)67歳の週刊誌記者が突然アイドルにハマってしまった……余生を乃木坂46に捧げる!そんな覚悟で送る、オジサンのヲタ活ノススメ。
1710_nogizaka46.jpg
『いつかできるから今日できる(通常盤)』
 去年くらいから毎回チケット落選祭りが起きる乃木坂46のライブ。今年になってからは3期生人気に火が点いて競争率激化「普通に落選」が当たり前のとほほな状況になっている。人気者だった橋本奈々未の2月の卒業コンサートはチケット転売サイトで20万円の高値がつくほどの人気だった。私も仲間が当ててくれたのでやっと行けたわけで、まさに「参加することに意義がある」感はんぱない。今や乃木坂46のチケットは「蜘蛛の糸」状態だ。  例えばファンを公言する武井壮も個人で申し込んで全落ちしたり、まいやんと映画で共演した山田孝之も落ちたとかつぶやいて乃木坂46ファンがその潔さに共感したりするほどだ。  私は7月の全国ツアー初日の神宮球場に参加したが、ヒム子こと乃木坂46の公式お兄ちゃん(バナナマン)が飛び入りした2日目は残念ながらチケットは取れなかった。やっぱりくやしい。そしてふと思ったのは通称「音漏れ席」のこと。会場の外にいてライブ中に漏れてくる音を聴くものだが、乃木坂46のクリスマスライブでも12月の寒い中武道館に行って会場から漏れてくる音を聴く人がいるというのを聞いたことがある。  ならば神宮球場のように屋根がない会場なら音漏れにしても高音質のレベルで聴けるのではないかと。しかもライブ初日は行列がすごくてTシャツなどのグッズが買えなかったので「音漏れ席」を体験してから空いている売り場でグッズを買うことにした。  2日目のライブ開演には遅れたがとりあえず音漏れ席を確認するため神宮球場に足を運んだ。球場の近くまで行くとライブの音が聞こえ近づくほど大音響になり音の形が整ってきてメンバーの歌声も耳に入ってくる。球場についたそのとたん、前日はミュージカルの舞台出演で欠席だったいくちゃんこと生田絵梨花のセンター曲「ダンケシェーン」が耳に飛び込んできた。「音漏れ」どころではない音の洪水! 一種の感動すら覚える。  そしてそこで見た光景にびっくり。円形の壁にそってざっと数百人の人が静かにライブの音を聴いているのだ。推しメンのタオルを肩に掛けてはいるが、通る人の邪魔にならないように端に並び静かに聴いている。なんかある種の感動に包まれた私はひとりの若者に声をかけた。すると「チケット全落ちでそれでもライブの会場で生の音を聴きたくてひとりで来たんです」とのことであった。彼のスマホには前日のセットアップリスト(セトリと呼ばれる実演曲目のリスト)が表示されていた。昨日の曲目と比較して楽しんでいるのだろう。なんかいいな。夜になると一部サイリウム振る人がいるがやはりほとんどは静かに佇んで音を聴いている。  ここに集まっている人たちのほとんどが乃木坂46のモバイル会員のための一次、二次そして一般発売などで指定席、見切れ席、そして音席まで申し込んでも残念ながら当たらなかったのだろう。やむにやまれず来た人たちは、今回はだめでもあきらめることなく次のライブではチケットを当ててライブに参戦しようとまた努力するのだろう。何しろ一般発売ともなればアクセスすること自体が困難な状況で心がそうとうタフでないとめげてしまう。彼らはそれを乃木坂46への愛で乗り切っているのだろう。  私も来年の神宮が全落ちだったら「音漏れ席」を楽しみに行こうと思っている。一部疑問の声もあるが近所に迷惑を書けるわけでもなく静かに聴いているのだからいいではないか。ライブの大音響が流れる中で球場と接したゴルフ練習場で客が穏やかにスイングしているのもなかなかのどかでナイスな情景だ。

救済手段としての「見切れ席」と「音席」

 そしてこの夏の全国ツアー初日の7月1日の神宮球場ライブにも参加できたが、その席が「見切れ席」だった。「見切れ席」というのはステージサイドつまりメインステージの左右延長線から後に設定された席だ。メインステージでパフォーマンスするメンバーを真横あるいは斜め後ろから見ることになる。当然ながら席がステージから後ろに深く入るほどメンバーの姿が見えにくくなるわけだ。ただ、神宮のようにセンターステージ(メインステージから伸びた花道の先のステージ)がある会場なら、メンバーが花道を走る姿とかステージで正面を向いたメンバーの顔が見れたりするのが嬉しい。近くにメンバーを乗せたトロッコが来ればそれも見れる。武道館は大きなメインステージだけの構成なのでほとんど斜め後ろからしか見れないが、時々メンバーが後ろまで来てくれてこっちに向かって手を振ってくれたりするのが嬉しい。  それと比べると「音席」はこれがなかなか厳しい。メインステージの真後ろでスコアボードの裏側ということになる。目の前は黒い幕で、ステージはおろかメンバーの姿はまったく見えず、複数あるモニターでライブを見るだけ。ただ嬉しいのはときどきメンバーが来ることがあるということ。埼玉アリーナの橋本奈々未の卒業コンサートでは途中でいきなり音席でワーッという声がしたが、後で聞いたら橋本本人が音席をサプライズ訪問したという。さすがななみんは最後の握手会で夜中までファンと握手を続けたというだけある。やっぱり卒業しないでほしかったなあ。  音席はメンバーと一緒の空気が吸えてリアルタイムで歌が聴けるというものだ。それでもみんなサイリウムを振ってコールするという、涙ぐましいほどの乃木坂46愛を発揮する。  時には「音席」で嬉しいこともある。夏の神宮ライブの音席は見切れ席に近いほうの「音席」はスコアボードの端の外側だったのでステージの向こうまで見渡せて花道やセンターステージのメンバーがよく見えたという。要するに同じ「音席」でも運によることになる。  ところで各席のチケット代だが当然条件が悪くなるほど安くなる。今年の夏の「神宮球場」ではチケット代はアリーナを始めとする指定席が8,800円、見切れ席が6,600円、音席が4,600円だった。もちろん「音漏れ席」はタダだ。  チケットの発売はアリーナ他の指定席の売れ行きの様子を見てからのように「見切れ席」や「音席」が発売になる。さすがに「音席」は売れ残っている期間が長い。「見切れ席」も「音席」もチケット入手困難な乃木坂46ライブだけに運営サイドが編み出した救済方法といえそうだ。 土肥 真也 1948年生まれ。長年週刊誌記者として実用やエンタメなどの記事を取材・執筆。今も現役でウェブニュースなどの仕事をしている。ハードロック好きでツェッペリンやディープパープルの初来日ライブに行ったことが記憶の中の宝物。しかし、たまたま聴いた1曲で乃木坂46が降臨してしまう。以来座学で数年間乃木坂46を学ぶも、我慢できなくなり昨年初めてライブに参加して初めてサイリウムを振りまくった。その感動を週刊誌に寄稿、以来年下のファン仲間ができて楽しく一緒にライブに通っている。夢は家族席、女性席に次ぐシルバー席を用意してもらい死ぬまで乃木坂46のライブに通い続けること。

30キロのダイエットに成功しても松村邦洋がいまだに“ライザップボディー”を披露できない理由

1709_matsumura.jpg
『デブの真実』(角川書店)
 お笑いタレントの松村邦洋が今月13日、都内で行われたパーソナルトレーニングジム「ライザップ」の新CM発表会に出席した。  松村は約8カ月で110キロから80キロまで30キロのダイエットに成功。スーツ姿で登場したものの裸は披露せず、「スーツを着たのは成人式以来。やっぱり健康が一番」とやせた喜びを語った。 「放送中のCMではダイエット前のたるんだボディーをさらけ出している。これまでダイエットの成功者たちは会見やCMでダイエットの“成果”である上半身の裸を披露。しかし、松村は上半身を披露することがなかった。その会見の模様を伝えたワイドショーでは裸を披露しないことについてコメンテーターがつっこんでも良さそうなもの。しかし、宣伝費にかなりの金をつぎ込んでいる『ライザップ』は今や民放キー局にとって優良スポンサー。そのため、コメンテーターたちも“暗黙の了解”を理解しているようで、松村の裸がない件にはつっこまなかった」(会見を取材した記者)  17日には準レギュラーを務める『アッコにおまかせ!』(TBS系)に生出演。お腹周りもスッキリとしたジーンズ姿の松村は、「体調はいいです。階段も登れるようになりました」などと健康体をアピール。  しかし、コメントがスベるたびにMCの和田アキ子から「全然!お前、太ってた時と芸は一緒やんけっ」、「中身は変わっていない」などとつっこまれる始末。  とはいえ松村が絶対服従のはずの和田からも上半身裸を強要されることはなかったが、それには深い理由がありそうだ。 「あくまでも一般的な体作りの観点からですが、肉体改造前の時点で松村さんはかなり皮が余っていましたので、もともと筋肉量は少ないと思われます。あの状態から約8カ月で30キロという、常識外れの減量。それでどうなるかというと、さらに皮が余ってしまう状態になるでしょう。今後、現在の体重をキープして筋肉量を増やし体を引き締めていかないと、とても人前に出せるような体にはならないはず。ライザップ側としても“失敗例”と思われたくないのでまだ上半身の裸を許可していないのでしょう」(大手スポーツクラブのベテラントレーナー)  リバウンドの可能性もあり本人の努力次第だが、松村の“脱ぎ”はまだまだ先になりそうだ。

30キロのダイエットに成功しても松村邦洋がいまだに“ライザップボディー”を披露できない理由

1709_matsumura.jpg
『デブの真実』(角川書店)
 お笑いタレントの松村邦洋が今月13日、都内で行われたパーソナルトレーニングジム「ライザップ」の新CM発表会に出席した。  松村は約8カ月で110キロから80キロまで30キロのダイエットに成功。スーツ姿で登場したものの裸は披露せず、「スーツを着たのは成人式以来。やっぱり健康が一番」とやせた喜びを語った。 「放送中のCMではダイエット前のたるんだボディーをさらけ出している。これまでダイエットの成功者たちは会見やCMでダイエットの“成果”である上半身の裸を披露。しかし、松村は上半身を披露することがなかった。その会見の模様を伝えたワイドショーでは裸を披露しないことについてコメンテーターがつっこんでも良さそうなもの。しかし、宣伝費にかなりの金をつぎ込んでいる『ライザップ』は今や民放キー局にとって優良スポンサー。そのため、コメンテーターたちも“暗黙の了解”を理解しているようで、松村の裸がない件にはつっこまなかった」(会見を取材した記者)  17日には準レギュラーを務める『アッコにおまかせ!』(TBS系)に生出演。お腹周りもスッキリとしたジーンズ姿の松村は、「体調はいいです。階段も登れるようになりました」などと健康体をアピール。  しかし、コメントがスベるたびにMCの和田アキ子から「全然!お前、太ってた時と芸は一緒やんけっ」、「中身は変わっていない」などとつっこまれる始末。  とはいえ松村が絶対服従のはずの和田からも上半身裸を強要されることはなかったが、それには深い理由がありそうだ。 「あくまでも一般的な体作りの観点からですが、肉体改造前の時点で松村さんはかなり皮が余っていましたので、もともと筋肉量は少ないと思われます。あの状態から約8カ月で30キロという、常識外れの減量。それでどうなるかというと、さらに皮が余ってしまう状態になるでしょう。今後、現在の体重をキープして筋肉量を増やし体を引き締めていかないと、とても人前に出せるような体にはならないはず。ライザップ側としても“失敗例”と思われたくないのでまだ上半身の裸を許可していないのでしょう」(大手スポーツクラブのベテラントレーナー)  リバウンドの可能性もあり本人の努力次第だが、松村の“脱ぎ”はまだまだ先になりそうだ。