女性が肌や心を隠せば隠すほど欲情する――『ゲルマニウムの夜』が描く日本人のエロス

 例えば全裸の女性よりも1枚衣服をまとい、乳首がうっすらと透けている方がエロティシズムを感じるし、父親の書斎に公然と並べられているエロ本より、河原に捨てられていたエロ本をこっそりと読むことに、昭和の子どもたちはエロスを感じるのだ。

 巨乳でスケスケの服、挑発する眼差しのブロンド美人に対して、日本人はエロスを感じない。むしろ、女性が肌や心を隠せば隠すほど、その衣服や虚ろな瞳の裏側に隠された淫靡を想像し、欲情するのである。その最たる例が、官能小説のシチュエーションによく使われている「未亡人モノ」だ。夫に先立たれて悲しみに耽る喪服の女は、日本人であれば誰しも説明抜きに理解ができる、独特の色気を放っている。

 今回ご紹介する『ゲルマニウムの夜』(文藝春秋)も、喩えようのない色気を放つ作品である。芥川賞にも選ばれ、映画化もされているが、その内容は宗教とエロスが対峙する問題作である。

 主人公の「僕」は、幼い頃、孤児として引き取られ、とある修道院で暮らしていた。この修道院は社会的に常軸を逸した問題児だけを集め、社会から隔離された「檻」のような空間であり、大人になった主人公にとっても忌まわしい場でもある。

 「僕」は、かつて暮らしていた修道院に舞い戻る。愛というものを知らず、また信じることのできない「僕」は、愛に対して憎しみさえ抱いていた。

 夜になり、修道院を徘徊していると、「僕」はひとりの女と出会う。「アスピラント」と呼ばれる、修道女を志す女性だ。「僕」は、清廉潔白のように見える彼女を犯そうと思いつく。彼女をトラックに連れ込み、童貞ながらに強姦しようと試みるが、逆に彼女の方からセックスに持ち込んでくる。「僕」は戸惑いつつも、初めて女と交わる快感を知ることになる――。

 本作は、宗教と快楽について一石を投じている。しかし私はもっと単純に、“清廉潔白なアスピラントの女性が主人公を誘う”というエロティックな描写に「日本人らしさ」を感じてしまう。

 文学として読み解くには非常に難解な作品であるが、官能的な部分に着目してみると、決して西洋人では思いつかない「隠されたエロス」が描かれていると思うのだ。
(いしいのりえ)

若い男性との恋に潜む“罠”――『不倫純愛~一線越えの代償~』が描くアラフォー女性の転落

 歳を重ねると恋愛を始めることに対して慎重になるが、一度始めてしまうと思春期の頃のように燃えてしまうことが多い。その最たる例が「不倫」である。相手が独身で若ければ若いほど、相手と同じ年齢の頃に戻り、再び青春を謳歌してしまうのだ。そしてもちろん、セックスも楽しみ、溺れてしまう。

 しかし、そうしたアラフォー、アラフィフ女性の若い男性との不倫は、思わぬ危険を孕んでいる。

 今回ご紹介する『不倫純愛~一線越えの代償~』(幻冬舎)は、1人の女性が不倫によって奈落の底に落ちていく物語だ。

 40歳の売れっ子脚本家・香澄は、公務員の夫と結婚しているが、現在は別居生活を送っていた。別居の原因は夫の過干渉で、香澄は週に1度1LDKの部屋に夫を入れるという条件を飲み、一人暮らしをしている。そんな彼女が一回り年下のダンサーの来夢と出会い、その人生は大きく変化してゆく。

 ある日、香澄の元に配達員として荷物を届けに来た来夢。その逞しい胸板や爽やかな笑顔に、香澄は一目惚れをする。

 その後、街中で偶然、来夢と出会った香澄は、彼が出演するダンスショーの招待状をもらう。迷いながらもショーを見に行った彼女は、若い女性ダンサーやファンに嫉妬心を燃やし、歳が離れている既婚者であることも忘れて、彼に恋をしていることに気付いてしまう。同じく香澄のことを好きになってしまった来夢は、ショーを終えてから強引に彼女を食事に誘った。そして、ついに2人は結ばれてしまう――。

 売れっ子で金もある香澄は、来夢と知り合い、恋に落ちてしまったことで、かつて体験したことのない闇へ転落してゆく。母親の借金を肩代わりしている来夢のために貯金を崩し、とある男と愛人契約を結び、性奴隷のように扱われる。読者である我々は、香澄の転落人生の首謀者が誰だかわかるのだが、当の本人である香澄は、疑いもせずに来夢を愛し続けているのである。

 年甲斐もなく若い男と恋愛するとこうなってしまう――呆れる反面、主人公と同世代の筆者としては胸がチクチクと痛むのだ。年甲斐もないということは百も承知。歳を重ねると女は商品価値が薄れてしまう。けれど、これまで一生懸命生きてきた自分を、若い男性が好いてくれたら、それほどの称賛はないだろう。

 せめて、小説の中では夢を見させていただきたい――そんな淡い希望を抱くアラフォーの女性に対して、張り手でもしているかのような、反面教師のような1冊である。
(いしいのりえ)

若い男性との恋に潜む“罠”――『不倫純愛~一線越えの代償~』が描くアラフォー女性の転落

 歳を重ねると恋愛を始めることに対して慎重になるが、一度始めてしまうと思春期の頃のように燃えてしまうことが多い。その最たる例が「不倫」である。相手が独身で若ければ若いほど、相手と同じ年齢の頃に戻り、再び青春を謳歌してしまうのだ。そしてもちろん、セックスも楽しみ、溺れてしまう。

 しかし、そうしたアラフォー、アラフィフ女性の若い男性との不倫は、思わぬ危険を孕んでいる。

 今回ご紹介する『不倫純愛~一線越えの代償~』(幻冬舎)は、1人の女性が不倫によって奈落の底に落ちていく物語だ。

 40歳の売れっ子脚本家・香澄は、公務員の夫と結婚しているが、現在は別居生活を送っていた。別居の原因は夫の過干渉で、香澄は週に1度1LDKの部屋に夫を入れるという条件を飲み、一人暮らしをしている。そんな彼女が一回り年下のダンサーの来夢と出会い、その人生は大きく変化してゆく。

 ある日、香澄の元に配達員として荷物を届けに来た来夢。その逞しい胸板や爽やかな笑顔に、香澄は一目惚れをする。

 その後、街中で偶然、来夢と出会った香澄は、彼が出演するダンスショーの招待状をもらう。迷いながらもショーを見に行った彼女は、若い女性ダンサーやファンに嫉妬心を燃やし、歳が離れている既婚者であることも忘れて、彼に恋をしていることに気付いてしまう。同じく香澄のことを好きになってしまった来夢は、ショーを終えてから強引に彼女を食事に誘った。そして、ついに2人は結ばれてしまう――。

 売れっ子で金もある香澄は、来夢と知り合い、恋に落ちてしまったことで、かつて体験したことのない闇へ転落してゆく。母親の借金を肩代わりしている来夢のために貯金を崩し、とある男と愛人契約を結び、性奴隷のように扱われる。読者である我々は、香澄の転落人生の首謀者が誰だかわかるのだが、当の本人である香澄は、疑いもせずに来夢を愛し続けているのである。

 年甲斐もなく若い男と恋愛するとこうなってしまう――呆れる反面、主人公と同世代の筆者としては胸がチクチクと痛むのだ。年甲斐もないということは百も承知。歳を重ねると女は商品価値が薄れてしまう。けれど、これまで一生懸命生きてきた自分を、若い男性が好いてくれたら、それほどの称賛はないだろう。

 せめて、小説の中では夢を見させていただきたい――そんな淡い希望を抱くアラフォーの女性に対して、張り手でもしているかのような、反面教師のような1冊である。
(いしいのりえ)

奴隷調教するS男のセックスとは? そこに垣間見える「愛」が気付かせてくれること

 アダルトビデオなどを除けば、他人がどういったセックスをしているのかを実際に見たことのある人は少ないだろう。ネットや雑誌、友達同士の会話などから、自分たちの行為は何となく「普通である」「ちょっと普通ではない」と自己判断ができるけれど、果たして自分以外の人が、どういったセックスをしているのかは永遠の謎である。しかし、女性は自分の恋人や恋愛を女友達に自慢したいと感じることがしばしばあり、「私はこんなに愛されている」と、手っ取り早く周りに伝えることができる手段はセックス体験談なのだ。

 今回ご紹介する『SでもMでもなくこれは恋とか愛』(角川書店)は、サタミシュウの人気SMシリーズ。主人公の美樹は前作『私の奴隷になりなさい』(同)などにも登場した男性である。高校時代に教師であった志保によってSMの世界を知ることになった彼も、家庭を持つ一児の父となり、現在は塾講師をしている。美樹には忘れられない女性が2人存在していた。1人は美樹の最初の女性である教師の志保、そしてもう1人は、高校教師時代に夢中になった生徒の澄美。2人に共通するのは、女としての愛嬌を持つ人物ということだ。

 家庭がありながらも代わる代わる奴隷を持ち、調教をしていた美樹にとって、運命の出会いがあった。勤務先の近くの本屋でアルバイトをしている節子である。ある日、職場へ向かう電車内で節子と知り合い、食事に誘うことに成功した美樹は、行きつけの店で食事をしながら、2人でセックスの話をする。

 お互いに家庭がありながらも、長い間夫婦間のセックスがないこと。美樹は「奴隷」を持ち、いわゆる「普通ではない」セックスを楽しむ相手がいるということ。美樹の告白に対して節子は「興味がある」と話した。それから数回のデートを経て、節子は美樹に抱かれることになる。念願の節子を抱くことになった美樹は2度のセックスをし、食事を済ませてホテルに戻り、また節子を抱く。

 2人は主従関係であったが、節子にとって美樹は大切な存在となり、美樹にとっては予測していた通り「3人目の大事な女性」となった。2人は時間を見つけて逢瀬を繰り返す。しかしある日、節子から思いがけない告白のメールを受け取ることになる——。

 「類は友を呼ぶ」という通り、Sである美樹は自然と節子の持つMの素質を見つけ、節子は美樹の行為を受け入れる。美樹が節子に施していたセックスは決してハードなものではなく、ごく普通のカップルが行う行為の延長上のようなものであった。美樹のシンプルなセックス描写を読み進めていると、彼の節子に対する「愛」が垣間見えるのだ。

 セックスは普通かそうではないか、女友達に自慢ができるかそうではないかでは計り知れない。どういったセックスをし、相手がどう満足し、自分がどれだけ満足させてもらえるかが重要なのだと、本書は気付かせてくれる。
(いしいのりえ)

「好きな人にドロドロした欲望を知られたくない」――『ねむりひめ』が描く10代のセックス

  若い頃は、好きな人にはきれいな自分を見てもらいたいという気持ちが強かった。ダイエットに励み、きちんとメイクをし、きれいな下着をつけて恋人とのセックスを迎える――ハタチ前の女性たちにとって、好きな人とのセックスは「女」としての勝負ではなかっただろうか? セックスは自分をさらけ出す行為ではあるが、そう感じられるのは、もう少し大人になり、場数を踏んでからだ。経験の浅いうちは、まだそこまで開き直ることはできず、大好きな男の前では少しでもきれいな自分を演出したいと感じるものである。

 今回ご紹介する『しゃぼん』(集英社)は、高校生からアラサーまでの多感な女たちを描いた短編集だ。その中でも注目したいのが『ねむりひめ』である。

 主人公のゆかりは、ごく普通の高校3年生で、物静かな同い年の慎ちゃんと付き合っている。仲間内で彼の評判はあまりよくないが、ゆかりは慎ちゃんのことが大好きだ。

 けれど、ゆかりは慎ちゃんではなく、友人である真美の自慢の彼氏を誘ったり、援助交際などをして、ほかの男たちとも寝ている。慎ちゃんとのキスは気持ちよく、体がとろけるような感覚だったのに、セックスは回数を重ねるごとに何も感じなくなっていった。慎ちゃんに初めて抱かれて、自分の中に隠れていた官能に目覚めたゆかりは、慎ちゃんとの「恋」を守ろうとする。

 海に出かけた2人は小汚いラブホテルへ行き、そこでゆかりは奇妙な夢を見る。慎ちゃんのペニスを弄び、官能に耽る夢だ。自分の中に潜むドロドロとした欲望を彼に知られることは「恥ずかしい」と感じ、その汚れた思いを発散するように、ゆかりは、あらゆる男たちと寝るようになる。

 10代の頃のセックスは、まだ心と体がうまくつながらず、危うい行為に及ぶことも少なくない。年を重ねて自分を律することを覚えた今、彼女たちのキラキラとした官能が眩しく感じてしまう。
(いしいのりえ)

不倫関係の男とSM行為に溺れる女が、恋の酔いから醒めていく時を描く『たまゆら』

 恋には必ず賞味期限が存在する。燃え上がっている時には恋もセックスも底知れぬほどに気持ちが良いが、ふとした瞬間に恋心は薄れてゆくものである。女は、相手に対して愛情が薄れてくると、まるで重箱の隅をつつくように、相手の悪い部分に目をこらすようになる。

 今回ご紹介する『たまゆら』(幻冬舎)は、官能小説界で第一線を切る女流作家である藍川京の「純愛官能小説」である。

 主人公の霞は新進気鋭の官能小説家だ。彼女はとあるパーティで、一回り以上年上の画家・神城と出会う。既婚者の霞は、離婚をして独身である神城に惹かれ、また神城も霞に思いを寄せる。2人は電話やメールではなく、手紙で言葉を交わしながら、互いの気持ちを確認していった――数回2人きりで会った後、ついに体を交わす。

 幼い頃に叔父と叔母がSM行為をしている様子を盗み見てから、神城は、女性を戒めることでしか快感を得ることができなくなってしまった。対する霞も、肉体的なコンプレックスがあることから、そういった行為に憧れていた。夫とのセックスから縁遠くなりながらも、毎日のように官能小説を書き続けている霞は、貪るように神城とのセックスに溺れていく。

 執筆時間と家事の合間を縫って、夫の目を盗み、霞は神城と逢瀬を重ねた。2人が住む地の中間地点である横浜のラブホテルで会うことがほとんどであったが、時には京都や北海道の支笏湖へ旅行に行くこともあった。しかし霞にとって、神城の存在は徐々に負担になってゆく。着実に知名度が上がり、執筆依頼も増えて行く霞だったが、神城のほうは仕事よりも霞のことを優先していた。筆一本で稼いでいこうと覚悟を決めていた霞は、何よりも小説を書くことを最優先としていたのである。

 神城への愛情が徐々に薄れていくことを実感していた霞。そんなある日、神城に「去年行った支笏湖へ行こう。霞と紅葉を見たい」と誘われる。しかしその頃、夫と松山へ旅行に行くことが決まっていた霞は、神城との旅行を断った。その後、2人の運命は思わぬ方向に向かっていく――。

 霞と神城、2人の心を強く結びつけていたのは「SM」であった。霞は男に身も心も支配されることを望んでいたのだが、小説家として生きることを何よりも喜びと感じていたため、仕事よりも恋愛を優先する神城に対して魅力を感じられなくなり、「自分を支配する男」として見られなくなってしまったのだ。

 恋に酔い、次第に酔いから醒めていく描写は、読んでいて心が苦しくなる。本作は、大人の恋愛小説としても満足できる作品となっている。官能小説に馴染みが薄い女性にも楽しんでいただける一冊である。
(いしいのりえ)

不倫関係の男とSM行為に溺れる女が、恋の酔いから醒めていく時を描く『たまゆら』

 恋には必ず賞味期限が存在する。燃え上がっている時には恋もセックスも底知れぬほどに気持ちが良いが、ふとした瞬間に恋心は薄れてゆくものである。女は、相手に対して愛情が薄れてくると、まるで重箱の隅をつつくように、相手の悪い部分に目をこらすようになる。

 今回ご紹介する『たまゆら』(幻冬舎)は、官能小説界で第一線を切る女流作家である藍川京の「純愛官能小説」である。

 主人公の霞は新進気鋭の官能小説家だ。彼女はとあるパーティで、一回り以上年上の画家・神城と出会う。既婚者の霞は、離婚をして独身である神城に惹かれ、また神城も霞に思いを寄せる。2人は電話やメールではなく、手紙で言葉を交わしながら、互いの気持ちを確認していった――数回2人きりで会った後、ついに体を交わす。

 幼い頃に叔父と叔母がSM行為をしている様子を盗み見てから、神城は、女性を戒めることでしか快感を得ることができなくなってしまった。対する霞も、肉体的なコンプレックスがあることから、そういった行為に憧れていた。夫とのセックスから縁遠くなりながらも、毎日のように官能小説を書き続けている霞は、貪るように神城とのセックスに溺れていく。

 執筆時間と家事の合間を縫って、夫の目を盗み、霞は神城と逢瀬を重ねた。2人が住む地の中間地点である横浜のラブホテルで会うことがほとんどであったが、時には京都や北海道の支笏湖へ旅行に行くこともあった。しかし霞にとって、神城の存在は徐々に負担になってゆく。着実に知名度が上がり、執筆依頼も増えて行く霞だったが、神城のほうは仕事よりも霞のことを優先していた。筆一本で稼いでいこうと覚悟を決めていた霞は、何よりも小説を書くことを最優先としていたのである。

 神城への愛情が徐々に薄れていくことを実感していた霞。そんなある日、神城に「去年行った支笏湖へ行こう。霞と紅葉を見たい」と誘われる。しかしその頃、夫と松山へ旅行に行くことが決まっていた霞は、神城との旅行を断った。その後、2人の運命は思わぬ方向に向かっていく――。

 霞と神城、2人の心を強く結びつけていたのは「SM」であった。霞は男に身も心も支配されることを望んでいたのだが、小説家として生きることを何よりも喜びと感じていたため、仕事よりも恋愛を優先する神城に対して魅力を感じられなくなり、「自分を支配する男」として見られなくなってしまったのだ。

 恋に酔い、次第に酔いから醒めていく描写は、読んでいて心が苦しくなる。本作は、大人の恋愛小説としても満足できる作品となっている。官能小説に馴染みが薄い女性にも楽しんでいただける一冊である。
(いしいのりえ)

上階から聞こえる女の喘ぎ声で、“人生変わった”有名大卒・対人恐怖症の男

 セックスは人を狂わせる。心を和ませたり癒やすことと同じくらい、猟奇的になったり暴力的になったりという、負の感情を湧き起こすことがある。それが原因で警察沙汰になることも少なくない。

 今回ご紹介する『ララピポ』(幻冬舎)は、映画化もされた、「人生の負け組」が主役の作品である。風俗専門のスカウトマン、純文学小説家になりたかった官能小説家、デブ専裏DVD女優などの話がオムニバス形式で構成されていて、各ストーリーの主人公たちが東京の街で微妙に重なりあう。中でもご紹介したいのが巻頭の作品「WHAT A FOOL BELIEVES」だ。

 主人公の博は32歳の売れないフリーライターである。30歳を過ぎた頃から対人恐怖症になり、人と会わずに仕事が進められる、月に2回発行の雑誌の仕事だけで細々と食いつないでいる。有名大学を卒業した博だが、新卒で入社した会社は性に合わずに1年で退職してしまった。その後、元同級生のツテを経てフリーライターとなって、現在に至る。

 その日の博も、いつものように原稿を執筆していたが、ふと「とある音」が気になった。博が住むアパートは音漏れが激しく、上の住人の足音がドスドスと響くほどだ。その夜も上の部屋から、さまざまな音が聞こえて来る——規則的にコツコツと鳴り響く音の中で、かすかに女の喘ぎ声が聞こえてきたのである。数年間セックスから遠ざかっていた博は、上の階の男が毎晩繰り広げるセックスの音に聞き耳を立て、自慰をすることが習慣となった。

 ホスト風の上の階の住人は「栗野」といい、ほぼ毎日違う女とセックスをしていた。彼が引っ越してきてから、退屈な博の人生に光が差したように生き生きとしてゆく。対人恐怖症で、限られた人としか会話をしなかった博は、秋葉原へ行き、コンクリート・マイク(壁に直接マイクを当てて隣室の会話を聞くマイク)を購入して、栗野のセックスを聞くようになったし、性感ヘルスへも行った。博は心の中で栗野に感謝をしていた。

 ある日、いつものように図書館で新聞の求人欄を見ていると、ひとりの女と目が合う。たびたび見かけるデブで冴えない女だが、たっぷりと豊満な胸が博を欲情させる。彼女の名前は「小百合」といった。博は小百合に声をかけられ、彼女のアパートへ行き、数年ぶりのセックスをするのだが……。

 セックスへの執着によって、静かに坂道を転げ落ちていた博。物語のラストでは自分の生き様を振り返り、小百合を抱きながら涙を流す。セックスは、体も心も裸にする唯一無二の行為である。だからこそ人はセックスに惹かれ、翻弄されるのではないだろうか。
(いしいのりえ)

「女優」になる夢を抱く女が、“AV女優”という人生を受け入れる過程を描く『少女A』

 最近では、芸能人が引退後にアダルトビデオに出演することも珍しくなくなってきた。アイドル的な活動をするAV女優も増えてきて、普通のアイドルとの境界線が曖昧になりつつあるが、AV女優とアイドルとの決定的な違いは「脱ぐ」ことである。

 不特定多数の人々に裸を晒し、セックスを見せる「AV女優」という仕事は、1本出演しただけでも、その人の一生を大きく左右する。若い頃であれば家族や恋人、結婚して出産したら、夫や子どもは「元AV女優の妻」「元AV女優の母」を持つことになるのだ。

 今回ご紹介する『少女A』(祥伝社文庫)は、女優になる夢を抱いて上京した、ひとりのAV女優の物語である。

 大手芸能プロダクションのオーディションを受けるために上京した主人公の小雪は、幼い頃から児童劇団に入り、子役としてタレント活動をしていた経験を持っている。憧れの女優になるためにオーディションを受けるも、審査員に酷評され、「絶対にトップ女優になってみせる」と啖呵を切り、オーディション会場を飛び出してしまう。

 小雪はその日、街頭でスカウトしてきた井出に連絡をし、芸能プロダクション「リップグロス」と契約をする。しかし、リップグロスはアダルトビデオの女優が所属する事務所であった。

 何も知らずに現場へ行った小雪は、アダルトビデオの撮影だと知り、一度は出演を拒否する。しかし、自分が憧れている女優も、以前はアダルトビデオに出演していたことを知り、出演を決意する。

 恋人を作ったことがない処女の小雪は、一糸まとわぬ姿でカメラの前に立ち、挿入をしない疑似のセックスを演じたのである。

 それから1年、AV女優として、アダルトビデオの出演はもちろん、バラエティ番組などにも出演するほどの人気者となった。井出とは恋人関係になり、自らの夢である「女優」という道へ到達できるように、アダルトビデオに出演し続けていた。

 そんな中、姉である幸美が現れ、小雪がAV女優になったことにショックを受けて、母が鬱病になったことを知らされる――。自分の母を「AV女優の母」にさせてしまった小雪は、家族を捨ててAV女優として生きて行く決意をしたが、井出がほかのタレントと交際をしていたことが原因で、引退してしまう。それから5年、小雪は一児の母となったが――。

 女優になる夢だけを信じて右往左往していた小雪が、引退後に母となり、初めて自分が「AV女優」であった事実と向き合う覚悟をする。ずっと霧のかかったような薄暗い人生を歩んでいた彼女が、否定的だった「AV女優」という過去を受け入れてからの人生は非常に爽快である。

 不特定多数の人々の前で裸になる女性は、強い。本書は私たちに裸で演じる女性の逞しさと誇りを教えてくれる。
(いしいのりえ)

略奪愛で「医師の妻」の座を得ても満たされない――『女の子は、明日も。』が描く女の本性

 女に嫌われる女は、男に好かれるものである。彼女たちには独特のオーラがある。外見に限らず男を引き付ける魅力と「すぐにやれそう」な、ふわふわとした雰囲気を持っている。

 今回ご紹介する『女の子は、明日も。』(幻冬舎)は、4人の元同級生のアラフォー女性4人が登場する物語だ。

 中でも、専業主婦である満里子が主人公の話は非常に興味深かった。満里子は一回り年上の眼科医と結婚している。短大を卒業して、契約社員として職を転々としていた彼女が受付として派遣されたのが、夫の職場である診療所であった。

 当時、夫は既婚者で、満里子と面談したのは、夫と同じ医師である妻だ。髪を結い上げ、きちんとした印象の妻は、てきぱきと面談をし、満里子が採用された後も、てきぱきと職場に指示を与える人物だった。

 ある日満里子は、後に夫となる医師から食事に誘われる。数回夕食を共にしてからベッドへ誘われ、男女の関係となった。短大の奨学金を返済するためにホステスのアルバイトをしていることを打ち明けると、彼は金の代わりに高価なバッグなどを頻繁にプレゼントしてくれるようになる。不倫関係を続けていたある日、満里子は彼の妻に呼び出され、彼の離婚と仕事のクビを言い渡された。その後、満里子は彼と結婚をし、妻の座を奪うことになる。

 夫が働く職場の同僚数人を呼び集めたホームパーティで、満里子は田村という青年と出会う。彼は医療事務の資格を持っていないために、診療所での事務の仕事をその週でクビになってしまったという。しかし、田村は別の顔を持っていた。夜はアコースティックギター1本で弾き語りをしているのだ。

 友人と共に田村のライブを見に行った満里子は感動して、つい酒が進んでしまう。友人と別れてひとり歩く満里子は、偶然田村と出会い、彼と寝てしまう。不倫の末の略奪婚、そして再び年下の田村と不倫をする満里子に待ち受ける運命とは――。

 「医者の妻」という座を得たことにより、ダブルワークをして奨学金を払うという金銭的に苦しい生活から解放され、裕福になった。それなのに満里子は「淋しい、不安だ」とのたまう。

 女友達の間で、このようなことを言っては総スカンを食らいそうな贅沢な不満を持つ満里子は、決して自分の意思を強く言葉にしない。ただ流されるままに男に誘われ、必要とされればすぐに股を開く。男を引き付ける匂いをぷんぷんと放ち、男が寄ってくるのを待っているのだ。

 この物語に出てくる4人の女たちは、誰もがそれぞれの悩みを持ち、表面上では女友達同士で楽しく食事と会話をしながらも、腹の中にくすぶる黒い気持ちを持ち合わせている。だから女は面白く、いやらしい。この物語は、私たちに女だからこそ共感できるいやらしさを表現している。