「私にとって恐ろしき存在」江戸川乱歩と横溝正史、知られざる“少年漫画”的な友情

 新年を迎えて、新たな世界を広げたい人へ、本がもっと楽しくなる「読書が捗る本」2冊を紹介したい。

『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社/著:中川 右介)
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 『怪人二十面相』シリーズなどで知られる江戸川乱歩と、『八つ墓村』など「金田一」シリーズで知られる横溝正史。どちらも、戦前・戦後にかけて大衆から熱い支持を受けた探偵小説家だ。両氏の作品を読んだことはなくても、探偵役の主人公が「江戸川」「金田一」と名付けられているような漫画を知らない人はほぼいないだろう。小説に限らず、映画や漫画、アニメなど、日本のミステリージャンルには乱歩と横溝両氏が生み出した作品群の影響が、まだまだ色濃く残っている。

 日本の探偵小説界をけん引したこの2人が、友人であり、かつ編集者としてお互いの創作活動を支え、時に苦言も呈するライバルであり続けたことは、あまり多くの人に知られていない。『江戸川乱歩と横溝正史』は、そんな2人の濃密な交友関係に焦点を当て、出会いから最期までどのように影響し合ったか、当時の資料や書簡を丹念に追った評伝だ。

「横溝正史君は私にとって恐ろしき存在である。(略)誰の批評よりも彼の批評が、私には一番ギクンとこたえるのだ」(乱歩)
「『負けるもんか。負けるもんか』とよく言ってましたよ。髭を剃りながらでも顔を洗いながらでも、ご不浄いきながらでもね。しょっちゅう乱歩さん、乱歩さんでしたね」(横溝の妻・孝子の回想)

 通説では、晩年には不仲説もある2人の関係。しかし、本書の丁寧な研究と解説により、乱歩も横溝も、自らが「探偵小説」というジャンルのトップランナーである自負を持ちつつ、お互いを稀有な伴走者として認めていたことがうかがえる。同好の士であるだけに、互いの新作を誰よりも楽しみにしてサポートしながらも、作品に粗があれば指摘せずにはいられなかったのだろう。単純に外野か仲良し/不仲と決めつけるのは難しいが、「二人は互いに相手に読ませようと思って探偵小説をかいていたのではないか――という仮説を唱えたくなるくらい、濃密な関係」であることが垣間見える。

 本書は、両作家のファンでなくても、まるで少年漫画のような2人の関係性自体をエンタメとして、神様の采配の妙を感じつつ楽しむことができるユニークな評伝だ。さらに、乱歩と横溝を中心に据えながら、講談社、早川書房、角川書店(現KADOKAWA)などなど、戦前戦後に立ち上げられた出版社の興亡史であり群像劇にもなっている。作家・編集者ともに濃いキャラクターの面々が織りなす人間ドラマを堪能してしまえば、改めて両氏の名作群に手を伸ばしたくなってしまうだろう。

『洋子さんの本棚』(集英社文庫/著: 小川洋子・平松洋子)
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 岡山県出身、ほぼ同世代で長女として生まれ、18歳で上京して、文筆業を選んだ「洋子さん」2人。『洋子さんの本棚』は、さまざまな共通点のある小説家・小川洋子とエッセイスト・平松洋子が、愛する本を語りながら、人生を振り返る対談集だ。

 「少女時代」「思春期」「家を出た時」「出会い」「老いと死」というテーマに沿って、それぞれが影響を受けた本を持ち寄り、語り合う。子どもの頃に読んだ本や、変化を乗り切ったときに読んだ本についての会話は、自然とその人の考えをあらわにし、相手との距離を密にする。対談を通して、最初は探るような会話をしていた“2人の洋子さん”が徐々に親密になっていく過程を楽しみつつ、時に読者も、自身が忘れていたような本との出会いの記憶を掘り起こされることになるだろう。

 2人が振り返る、文学少女だった子ども時代、思春期に感じた母への違和感、自意識過剰だった思春期。多くの人が経験する普遍的な悩みに、両氏がどのように向き合い、昇華してきたのかが、ユーモアにまぶされた会話から緩く見えてくる。どの世代の女性が読んでも、人生に立ち止まってしまったとき、決して重たくはなく、そっと寄り添ってくれる本を提示してくれる。
(保田夏子)

 

 

イグ・ノーベル賞、感動的コメディとなった「動物になってみる」男たちの偉業

 あまりにも寒くて外に出たくない日や、気持ちよさそうに飛ぶ鳥を見たとき、「人間以外の動物になってみたい」と思ったことがある人は多いだろう。普通なら、一瞬空想するだけだが、中には真剣に他の動物になろうと試みる人がいる。今回は、人間以外の動物になろうとして、2016年のイグ・ノーベル賞(生物学賞)を受賞した2冊のサイエンス・ドキュメントを紹介する。

『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(新潮文庫/著: トーマス・トウェイツ )yagininattemita1201

『人間をお休みしてヤギになってみた結果』は、就職活動がうまくいかないフリーランスのデザイナー33歳男性が、“ヤギになって人間の悩み事を忘れ、草を食べながら、のんびりアルプス山脈をわたる”ために、試行錯誤を重ねたサイエンス・ドキュメント。

 笑えるエッセイを読むような、完全現代口語訳も巧みなテキストで、四足歩行するための装具や芝生から栄養をとる装置を開発し、アルプス山脈でヤギの群れと共に草を食べた日々を綴り、イグ・ノーベル賞を受賞した。

 著者は、2009年、ゼロからトースターを作ったレポート『ゼロからトースターを作ってみた結果』(新潮文庫)で、世界的にヒットを飛ばしたトーマス・トウェイツ。それから4年たち、「自分は一発屋ではないか」と将来の不安に襲われた彼は、なぜか、「数週間、人間を“お休み”して悩みを忘れ、本能だけで生きたい」と、他の動物になるプロジェクトに取り組み始める。

 時間把握能力を「切る」ために、脳に磁気ショックを与えてみたり、義足を作るためにヤギを解剖したり、草から栄養を取るための人工内臓を作ろうとしたり。著者の「ヤギになりたいし、なんとなくできる気がする」という、狂気を感じさせるほどブレない情熱が、家畜史、文化人類学、動物生理学、解剖学、脳科学などなどたくさんの分野の扉を開き、読者に複数分野の最新の知見を横断的に見せてくれる。

 著者は、各分野の最前線の現場で働く専門家や学者にアプローチをかけ、快活に切り込んでいく。獣医解剖学の権威に「ギャロップをしたい」と宣言して止められ、動物生理学の専門家に、ヤギの内臓にいる微生物の体内摂取を提案して「いやいやいや」と押しとどめられ、義肢装具士に再び「ギャロップをしたい」と言って「体がぶっ壊れる」とやっぱり止められ――。いい大人たちが「ヤギになれる可能性/ヤギになれない理由」について意見を戦わせるやり取りは、どちらも真剣なだけにコメディのようだ。

 それでも「なんとなくできる気がする」という著者の情熱に、多くの研究者が好奇心を刺激され(もしくは心配から)、今までに作られたことのない四足歩行用装具が作られ、ヤギの解剖も手助けされる。最終的に、スイスのヤギ農家に訝しまれながらも、アルプスのヤギの群れに加わり、草原を渡り、草を食べながらヤギから“形の変わった仲間”としてわずかにだが受け入れられる様子は、かなり感動的ですらある。

 人間は、今のところはまだ、何にでもなれるわけではないけれども、普通の人が想像する以上のことができる。と、書くのは簡単だが、実践してみせるのは並大抵のことではない。笑いにまぶしながらも、貴重な偉業を収めている本書は、読んだ人をきっと元気にしてくれるだろう。

『動物になって生きてみた』(著: チャールズ・フォスター/河出書房新社)doubutuninattemita1201

 『動物になって生きてみた』は、獣医師であり弁護士でもある著者が、「野生動物から世界がどう見えるかを知りたい」という一念で、実際にアナグマ、カワウソ、キツネ、アカシカ、アマツバメと同じように生きようとするノンフィクション。とにかく軽い筆致の『ヤギ~』とくらべると文体は硬質だが、こちらも面白味では引けをとらない。

 真剣に動物の生活を実践するという点では、『ヤギ~』と重なるところもある『動物になって生きてみた』だが、動物と同じスペックを装備しようとする『ヤギ~』に対して、素の人間でできる範囲で動物の生態をマネる、という手法を採っている。

 加えて『ヤギ~』は、専門家と著者の丁々発止のやりとりを、「ツッコミ」のように機能させることで、読者は「この人のやってること変だよね」と、ある意味安心して読むことができたが、『動物に~』の著者は、そういった点には全く頓着していない。一貫して冷静に、当たり前のように、街路樹の茂みを這って警察に職務質問されたり、四足歩行で走って近所の女性に心配されたりする。土の中でミミズを食べながら何週間も過ごし、シカとして猟犬に追われ、ツバメを知るために木に登って幼虫を口に入れ、12月に川の中を移動して凍えた自分に落ち込んだりしているのだ。

 著者は、変な行動をアピールしたいわけではなく、ただ純粋に研究しているので、そこに“ツッコミ”は必要ない。が、どうしてもおかしさがあふれてしまう。ついつい著者にツッコみながら読み進めることになる人も多いだろう。

 しかし、本書が最も強くインパクトを残しているのは、「野生動物が感じている(かもしれない)世界」の描写だ。キツネが知覚している「一瞬で100年を見渡す」世界、アマツバメが知覚する「水あめのような」世界。動物と行動を共にした経験と生理学の知識を併せ持った著者にしか書けない、想像を超えた不思議な景色が、豊かな筆力で、まるでファンタジー小説のように鮮やかに立ち上がってくる。

 彼がのぞいている豊潤な世界を垣間見れば、理解し難かった一見変な行動も、もうおかしくは見えなくなってしまう。そしてなにより、あらゆる動物を、読書前とは違う敬意と親近感をもって見てしまうことになる。読む前の感覚には戻れなくなるかもしれないが、それでもぜひ「動物が感じている世界」の一端を本書で堪能してほしい。
(保田夏子)

レシピ本やグルメ本には書かれない「食べること」3冊――食を支える“生活感”の魅力

 普段意識することはないが、人の体は自分で食べたものでできている。手足も血液も脳も、五感も思考も食べるもので左右される。食の世界を広げることは、生き方を広げることにつながるのかもしれない。そんな、食の世界を広げるきっかけになる本3冊を紹介する。

『おじさん酒場』(亜紀書房/著:山田 真由美、イラスト:なかむらるみ)ijisann1101

「いい酒場にはいいおじさんがいる」

 そんなフレーズを合言葉にした『おじさん酒場』は、酒場で見つけた“気になるおじさん”観察を通して、主に首都圏(たまに大阪)の大衆酒場25軒を紹介するエッセイだ。特に、客同士の距離も近く、人との交流も楽しみの一部になり得る大衆酒場の魅力を、“おじさん”の姿を肴に伝えている。

 おいしそうに酒を飲み、店員とも客とも上機嫌で話すおじさん、男同士2人の世界で抱擁し合うおじさん、消えゆく思い出の酒場をイラストで記録するおじさん、ハイボールの炭酸の強さについて製造会社まで把握して講義してくれるおじさん――。どのおじさんも、「カッコいい」「粋」という言葉では、はみ出してしまうチャーミングな人間臭さがある。コラム1編1編が、そんな個性豊かな男性の鮮やかなスケッチになっていて、なかむら氏のイラストも合わせて、名も知らないおじさんの佇まいが酒場の空気と共に立ち上ってくる。

 著者は最後に「毎回、いい出会いに恵まれたわけではない。むしろ、不発に終わることのほうが多かった」と言うように、本書に取り上げられたおじさんはやはりどこか特別で、見知らぬ人との距離感が絶妙だ。親しげに話しかけてきても、飲み方を押し付けたり無理やり距離を詰めたりはしない。そんなスマートなおじさんを常連に掴まえているような居酒屋は、確かに大人の酒呑みに愛される店になるのだろう。

 おじさん観察だけではなく、店自慢のメニューや店主の個性、お酒の品ぞろえもさりげなく紹介され、大衆酒場初心者にも優しいガイドになっている本書。何より、口コミサイトではなかなかわからない、その居酒屋を好む人々の雰囲気が伝えられている。入ってみたいけれども、つい店の前で躊躇してしまうような初心者にとっては、食の世界を広げてくれる1冊になるだろう。

『野食のススメ 東京自給自足生活』(星海社新書/著: 茸本 朗)yasyoku1101

 『野食のススメ 東京自給自足生活』も、読むだけで、これまで日常の景色の一部にすぎなかった街路樹の植え込みや川の風景に、違った視点を加え、新たな世界を見せてくれる1冊だ。

 「野食」とは「野外の食材をとって食べる」こと。首都圏でも利用できる採集・捕獲できる食材を紹介し、素材を生かす調理法、法律上の注意までも指南してくれる本。スーパーに売っている食材だけでなく、ドライモリーユ茸、トリュフ(に近い種類)、手長エビなど、少しいい店で買うような食材も、都心近くで収穫・捕獲できることに驚かされる(もちろん密漁に当たらない、法律の範囲内でのガイドになっている)。

 本書のコンセプトは「都心で無理なく続けられる自給自足指南」。その点で、単に「変わったもの・ゲテモノを食べて、紹介する」という本とは一線を画している。しかし、魚介類や植物のみならず、アオダイショウやウシガエル、コオロギなど、一歩引いてしまうような食材の採取から最適な調理法、味や食感の描写も豊富で、まず読み物として一級の面白さがある。人気コミック『ダンジョン飯』(KADOKAWA)や『ゴールデンカムイ』(集英社)が好きな人なら、それらの“現代東京版”としても楽しめるだろう。

 そして、発見と失敗を繰り返しつつ、野生の食材をベースに、ラーメン、カップケーキやぜんざいまで作ろうと挑戦を重ねるレポートは、遠くまで出掛けているわけではないのに、非日常で味わうような冒険心にあふれている。料理も、1種の“創造”であることを思い出させてくれる本だ。

『世界のおばあちゃん料理』(河出書房新社/著: ガブリエーレ・ガリンベルティ)obachan1101

 「どんな料理を作り、食べるか」は、確実にその人の一面を象徴する。『野食のススメ』と同じく、そんなことを感じさせてくれる『世界のおばあちゃん料理』は、世界50カ国・58の家庭料理が掲載されたレシピ集だが、目次にずらりと並んでいるのは、各国の女性の名前。この本で紹介されているのは、著者が世界中を旅している中で訪れた“普通の家庭のおばあちゃん”の得意料理だ。各レシピには、食材や料理と共に、58人のおばあちゃんが、普段使っている台所やリビングで、写真を撮られている。

 77歳、夫を亡くし1人で暮らすノルウェーのシノーヴェさんは、キョツパ(牛肉と野菜のスープ)を作りながら、趣味のピアノや絵画について語る。62歳、丘の上にある家に住んでいるモロッコのエイジャさんは、家族が畑で働く様子を見下ろしながら、庭におこした火で鶏肉のタジンを作る――。得意料理や今好きなことについて語る彼女たちのインタビューや写真を通して、単なるレシピ以上に各国の風土や家庭の日常がありありと描かれている。

 おばあちゃんたちは、それぞれふっくらした二の腕や、ムラのある日焼けした肌を思い思いの装いで飾り、自室で笑顔を見せる。その背後に見えるキッチンもさまざまで、変色したまな板、端の焦げたミトンや洗い物が雑然と重ねられたキッチンも多い。そんな、一般的なレシピ本ではそっと除かれがちな生活感が、かえって写真の趣を深めているのは、インタビュアーであり、カメラマンでもある著者の温かい視線が感じられるからだろう。

 掲載された料理は高級料理ばかりではないし、オシャレでもないかもしれないが、1レシピ4ページの中に詰められた、各国それぞれの生活感を堂々とまとった女性と食卓の写真は、カラフルで、活力に満ちている。

 世界には、好きな服を好きなように着て、得意料理を得意げに振る舞うおばあちゃんがたくさんいる。それは、日本だと「ばあさん」「ババア」なんていうふうに呼ばれたりもするが、いつか、願わくば自分もそういうババアになりたい……と、大げさながら生きる希望が湧いてくる本である。
(保田夏子)

レシピ本やグルメ本には書かれない「食べること」3冊――食を支える“生活感”の魅力

 普段意識することはないが、人の体は自分で食べたものでできている。手足も血液も脳も、五感も思考も食べるもので左右される。食の世界を広げることは、生き方を広げることにつながるのかもしれない。そんな、食の世界を広げるきっかけになる本3冊を紹介する。

『おじさん酒場』(亜紀書房/著:山田 真由美、イラスト:なかむらるみ)ijisann1101

「いい酒場にはいいおじさんがいる」

 そんなフレーズを合言葉にした『おじさん酒場』は、酒場で見つけた“気になるおじさん”観察を通して、主に首都圏(たまに大阪)の大衆酒場25軒を紹介するエッセイだ。特に、客同士の距離も近く、人との交流も楽しみの一部になり得る大衆酒場の魅力を、“おじさん”の姿を肴に伝えている。

 おいしそうに酒を飲み、店員とも客とも上機嫌で話すおじさん、男同士2人の世界で抱擁し合うおじさん、消えゆく思い出の酒場をイラストで記録するおじさん、ハイボールの炭酸の強さについて製造会社まで把握して講義してくれるおじさん――。どのおじさんも、「カッコいい」「粋」という言葉では、はみ出してしまうチャーミングな人間臭さがある。コラム1編1編が、そんな個性豊かな男性の鮮やかなスケッチになっていて、なかむら氏のイラストも合わせて、名も知らないおじさんの佇まいが酒場の空気と共に立ち上ってくる。

 著者は最後に「毎回、いい出会いに恵まれたわけではない。むしろ、不発に終わることのほうが多かった」と言うように、本書に取り上げられたおじさんはやはりどこか特別で、見知らぬ人との距離感が絶妙だ。親しげに話しかけてきても、飲み方を押し付けたり無理やり距離を詰めたりはしない。そんなスマートなおじさんを常連に掴まえているような居酒屋は、確かに大人の酒呑みに愛される店になるのだろう。

 おじさん観察だけではなく、店自慢のメニューや店主の個性、お酒の品ぞろえもさりげなく紹介され、大衆酒場初心者にも優しいガイドになっている本書。何より、口コミサイトではなかなかわからない、その居酒屋を好む人々の雰囲気が伝えられている。入ってみたいけれども、つい店の前で躊躇してしまうような初心者にとっては、食の世界を広げてくれる1冊になるだろう。

『野食のススメ 東京自給自足生活』(星海社新書/著: 茸本 朗)yasyoku1101

 『野食のススメ 東京自給自足生活』も、読むだけで、これまで日常の景色の一部にすぎなかった街路樹の植え込みや川の風景に、違った視点を加え、新たな世界を見せてくれる1冊だ。

 「野食」とは「野外の食材をとって食べる」こと。首都圏でも利用できる採集・捕獲できる食材を紹介し、素材を生かす調理法、法律上の注意までも指南してくれる本。スーパーに売っている食材だけでなく、ドライモリーユ茸、トリュフ(に近い種類)、手長エビなど、少しいい店で買うような食材も、都心近くで収穫・捕獲できることに驚かされる(もちろん密漁に当たらない、法律の範囲内でのガイドになっている)。

 本書のコンセプトは「都心で無理なく続けられる自給自足指南」。その点で、単に「変わったもの・ゲテモノを食べて、紹介する」という本とは一線を画している。しかし、魚介類や植物のみならず、アオダイショウやウシガエル、コオロギなど、一歩引いてしまうような食材の採取から最適な調理法、味や食感の描写も豊富で、まず読み物として一級の面白さがある。人気コミック『ダンジョン飯』(KADOKAWA)や『ゴールデンカムイ』(集英社)が好きな人なら、それらの“現代東京版”としても楽しめるだろう。

 そして、発見と失敗を繰り返しつつ、野生の食材をベースに、ラーメン、カップケーキやぜんざいまで作ろうと挑戦を重ねるレポートは、遠くまで出掛けているわけではないのに、非日常で味わうような冒険心にあふれている。料理も、1種の“創造”であることを思い出させてくれる本だ。

『世界のおばあちゃん料理』(河出書房新社/著: ガブリエーレ・ガリンベルティ)obachan1101

 「どんな料理を作り、食べるか」は、確実にその人の一面を象徴する。『野食のススメ』と同じく、そんなことを感じさせてくれる『世界のおばあちゃん料理』は、世界50カ国・58の家庭料理が掲載されたレシピ集だが、目次にずらりと並んでいるのは、各国の女性の名前。この本で紹介されているのは、著者が世界中を旅している中で訪れた“普通の家庭のおばあちゃん”の得意料理だ。各レシピには、食材や料理と共に、58人のおばあちゃんが、普段使っている台所やリビングで、写真を撮られている。

 77歳、夫を亡くし1人で暮らすノルウェーのシノーヴェさんは、キョツパ(牛肉と野菜のスープ)を作りながら、趣味のピアノや絵画について語る。62歳、丘の上にある家に住んでいるモロッコのエイジャさんは、家族が畑で働く様子を見下ろしながら、庭におこした火で鶏肉のタジンを作る――。得意料理や今好きなことについて語る彼女たちのインタビューや写真を通して、単なるレシピ以上に各国の風土や家庭の日常がありありと描かれている。

 おばあちゃんたちは、それぞれふっくらした二の腕や、ムラのある日焼けした肌を思い思いの装いで飾り、自室で笑顔を見せる。その背後に見えるキッチンもさまざまで、変色したまな板、端の焦げたミトンや洗い物が雑然と重ねられたキッチンも多い。そんな、一般的なレシピ本ではそっと除かれがちな生活感が、かえって写真の趣を深めているのは、インタビュアーであり、カメラマンでもある著者の温かい視線が感じられるからだろう。

 掲載された料理は高級料理ばかりではないし、オシャレでもないかもしれないが、1レシピ4ページの中に詰められた、各国それぞれの生活感を堂々とまとった女性と食卓の写真は、カラフルで、活力に満ちている。

 世界には、好きな服を好きなように着て、得意料理を得意げに振る舞うおばあちゃんがたくさんいる。それは、日本だと「ばあさん」「ババア」なんていうふうに呼ばれたりもするが、いつか、願わくば自分もそういうババアになりたい……と、大げさながら生きる希望が湧いてくる本である。
(保田夏子)

精神科病院の実態とは!? 2冊のコミックエッセイから読み解く、“偏見”と“理解”

 精神科病院と聞くと、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか。「怖い」「暗い」「鍵のかかる場所に閉じ込められる」などといった想像をする人が多いかもしれない。

 そんな、ネガティブな印象を持たれやすい精神科病院だが、その実際はどのようなものであろうか。精神科病院のリアルを描いた2冊のコミックエッセイ、『精神病棟ゆるふわ観察日記』(宝島社、杉山なお)と『精神科ナースになったわけ』(イースト・プレス、水谷緑)から、精神科病院や精神疾患について考えてみたいと思う。

 いずれの作品も精神科病院を題材にしたコミックエッセイである。看護師視点とアルバイトスタッフという立ち位置の違いなどはあるものの、実際の体験をベースにしているという点は同じだ。

 ただし、この2冊には決定的な違いがある。それは、読者が精神疾患を“自分ごと”として捉えられるかどうか、という点だ。

 「観察」という名の、ネタ探し……病棟内の出来事は全て他人事

 精神科病院でアルバイトする筆者が実際に見聞きしたことを、ちょっと「楽しく」描いたという『精神病棟ゆるふわ観察日記』。病棟内で起こったこと、入院している患者の様子や発言、看護師などのスタッフとのやり取りを赤裸々に描いたものだ。

 病歴などはフィクションとされているものの、患者やスタッフの言葉、作中のできごとなどは、おそらくそのまま掲載しているのではないかと感じられる描写が多かった。タイトル通り、「観察」したものをネタにしているからだろう。

 普段なかなか知ることのできない精神科病棟の実際を描いたという点では、貴重な作品かもしれない。しかし、著者は精神科患者を奇異な存在として見ているのではないかという疑念が拭えなかった。一線引いた立ち位置から患者を観察し、「こんな面白い患者がいるよ」と友人にでも話すようなノリで作ったのだろう、そんなふうに感じた。

 精神科患者は、自分たちとは“別世界”にいる人たち。きっと著者はそのような考えでいるのだろう。

 精神疾患を「怖いもの」にする原因とは

 一方の、『精神科ナースになったわけ』は、精神科で実際に働いた看護師たちや病院などへの取材をしっかりと行って、作られているコミックエッセイである。精神科病院で働き始めたばかりの看護師の視点から、患者たちの様子が丁寧に描かれている。

 描かれている患者たちの行動は、一見すると理解できないものが多い。妄想からくる言動やリストカット……なぜそんな言動をするのか、本当に妄想はあるのかなど、疑問に思っている人もいるだろう。本書では、その「なぜ」についても、患者と看護師の対話の中で触れている。

 対話を重ねる中で一つひとつ理由を探ると、彼らなりに理由があって、そういった行動などに至るのだと知ることができる。すると、精神疾患は「わからないもの」ではなくなり、わかるようになれば「怖いもの」でもなくなるのだ。

 私自身も精神科で看護師として働いていた1人であるが、患者1人ひとりの背景や病状を見ながら関わるなかで、決して精神疾患は特別なものではないと感じていた。病気になるかどうかは、紙一重。いま健康な人だって、いつか発症するかもしれないし、身近な人が実は病気を抱えていたということもある。

 本書の中でも触れられているが、精神科病院の入院患者に最も多い疾患である統合失調症は、およそ100人に1人の割合で発症する。ある程度の規模の学校や企業なら、1人や2人いてもおかしくない数字なのだ。

 精神疾患を抱える患者は、別世界にいる人たちではない。病気であること以外は、私たちと何も変わらない。そして、思っているよりも身近で、人間らしい人たちであることを教えてくれる1冊である。

 “知る”きっかけが、偏見をなくすことも助長することもできる

 これまで、精神疾患を持つ患者たちは、隔離される傾向にあった。病院に入院したまま外へ出られなかったり、自宅の一部屋に押し込められていたりしていたという歴史がある。その流れが、現在も精神疾患に対する理解が進まない一因だろう。

 その理解の低さが垣間見えるのが、『精神病棟ゆるふわ観察日記』だ。患者をひとりの人として捉え、なぜそのような思考や行動になるのかを少しでも理解しようとしていたら、このような描写はしないだろう。場合によっては、これを読んでさらに精神科の患者たちへの偏見を助長してしまうのではないかと感じた。

 精神科医療は今、患者が地域で暮らせるように支援していく方向で進んでいる。病院のベッド数を減らし、できるだけ退院して自宅や施設などで過ごせるようにしていこうとしているのだ。そこで絶対に必要となるのが、社会の理解である。

 どんな病気を抱えているのか、どんなふうに接したらいいのかなどをほんの少しでも知ることで、精神科の患者たちが地域で暮らし始めることに対する抵抗も低くなり、サポートもしやすくなるのではないかと思う。

 その“知る”きっかけとなるのに、『精神科ナースになったわけ』はうってつけな内容であった。本書で描かれる患者の人間らしさや本音、看護師とコミュニケーションを重ねる様子は、理解だけでなく共感を生むだろう。

小松亜矢子(こまつ・あやこ)
1984年生まれ。自衛隊中央病院高等看護学院卒、元精神科看護師。22歳でうつ病を発症し、寛解と再発を繰り返して今に至る。そんな中、自分自身のうつ病がきっかけで夫もうつになり、最終的に離婚。夫婦でうつになるということ、うつ病という病気の現実についてもっと知ってほしいと思い、ブログやウェブメディアを中心に情報発信中。

猫島もJ2リーグもキーワードは“よそ者”――自分の知らない日本と出会う2冊

 家と会社、家と学校など、日々同じ場所への往復を繰り返していると忘れそうになるが、自分の住んでいるところだけが日本ではない。今回は、「猫」「サッカー」と、1つのテーマをもって日本各地を取材した人々の視点を通して、日本各地の現在と、地域おこしを成功させるヒントが発見できるノンフィクションを紹介する。

『にっぽん猫島紀行』(イースト新書/著: 瀬戸内みなみ)

 「徒歩で一周できるくらい小さくて、人より猫の方が多いといわれるような島」、いわゆる“猫島”。『にっぽん猫島紀行』は、北海道から沖縄まで猫島10島を巡り、島に住む人々のさまざまな思いを取材した紀行レポだ。

 CNNが「世界六大猫スポット」と紹介した相島(福岡)や田代島(宮城)、アートの島としても知られる男木島(香川)、17人の住民に対して約70匹の猫が暮らす志々島(香川)――。どの島についても、猫についてだけではなく、その島の史跡や美味しい食べ物を愛らしい猫の写真とともに伝えている。猫好きなら、単純に日本各地の「猫島」の雰囲気を知るガイド本にもなるだろう。

 その一方で著者は、全国各地の「猫島」が多かれ少なかれ抱えている猫島の「ジレンマ」にも丁寧に迫る。国内外から、猫を目当てに押し寄せる観光客は、マナーを守る者ばかりではない。そもそも猫が好きではない住民もいれば、観光地化を望まない住民、猫は好きでも、増えすぎてケアしきれない猫たちへの対処法で意見が分かれることもある。「島」という小さなコミュニティにおいて、激しい対立や感情的な摩擦はご法度と言ってもいい、できれば避けたい問題だろう。

 しかし、そんなデリケートな課題と向き合ってでも、高齢化、過疎化で消えゆく島の歴史や伝統をつないでいくために、若い世代を呼び込む手段の1つとして、「猫島」という個性を活用しようと試みる自治体や住民たちもいる。

 成功しつつある島の試みを例に挙げながら、結びとなる章で語られる「地域おこしには『よそ者、若者、バカ者』が必要」「外部からの刺激が重要なきっかけになる」という考察は、近い将来、より大きな規模で同じ課題に直面するであろう“大きな島国”日本にとって、他人事ではない知見でもある。

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『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版/著: 宇都宮徹壱)

 地域振興には“よそ者が必要”と語る『猫島紀行』と、意外にもリンクする(かもしれない)ルポタージュが、北海道から九州までのサッカークラブを取材した『J2&J3 フットボール漫遊記』だ。

 メディアで取り上げられる「サッカー」といえば、主には日本代表チームの試合や、海外で活躍するスター選手の活躍、Jリーグやその他の大規模な大会などを思い浮かべる人がほとんどだろう。しかし本書は、熱心なサッカーファン以外はなかなか触れる機会のない全国のJ2、J3クラブ(※2012~17年当時)の本拠地を巡って、経営陣や選手、サポーターに取材した1冊だ。

 長年全国各地のクラブの現状を取材している著者は、“クラブが急速に発展する局面で共通する要素”について語る。東京で公認会計士を務めていた男性が代表になり、瞬く間にJ2昇格を視野に入れるまで駆け上がった鹿児島ユナイテッドFCを例に挙げつつ、地域クラブの発展には“『黒船』となり得る余所者の存在”が不可欠であると見る。J2に降格した静岡の清水エスパルスが、それまで前例のなかった“外様(静岡とゆかりのない)”社長や監督の就任を受け入れて、1シーズンで復活を果たしたエピソードなども、この証左と言える。

 試合の観戦記というより、各地のサッカークラブの取材当時の現状に触れ、どんな経緯でJリーグを目指し、スタッフ陣は何を目指しているかという点に重点が置かれている本書。取材を受けた北海道から鹿児島までの18チームは、十分なスポンサードを受けられるわけではない。予算や人手が限られる中で、Jリーグという「上」を目指す各地の人々の挑戦や苦楽が凝縮して描かれているからこそ、あまりサッカーになじみがない読者にとっても、ドラマ性の高いドキュメンタリー群像劇として楽しむことができる。

 サッカーに詳しくなくても名前は知っているようなスター選手や有名監督も、地元に密着した身近な選手やスタッフも、同じフィールドに立って勝敗を競う面白さがそこにはある。著者が指摘するように、サッカー観戦は、ニュースなどで見るよりずっと身近な娯楽として日本に定着しつつあるのだろう。元からサッカーを好きな人はもちろん、まったく知らなかったとしても、つい、自分の地元のサッカーチームについて調べてみたくなる。
(保田夏子)

谷崎潤一郎「女の王国」、岡本かの子「3人の男奴隷」文豪の私生活スキャンダルを読む3冊

 文豪と呼ばれる人も、教科書に出てくるような人も、時に傍から好奇の目で見られたり、スキャンダルで世間を騒がせたりした。世間一般の「清く正しい」枠にはまらない側面を見つけてしまうことは、邪道で下世話ではあるが、そういう人間くさい側面から作者や作品に興味が湧いたりすることもある。今回紹介する作品は、そんな業の深い人にお薦めしたい新旧3作品だ。

『デンジャラス』(中央公論新社刊/著: 桐野 夏生)

denjarous0702 妻・松子、妻の妹・重子、妻の連れ子である義理の娘・恵美子、たくさんの若い女中。人気作家として地位を確立した谷崎潤一郎の家には、彼の気に入った女たちばかりが一緒に住んでいる。谷崎のつくった、小さな理想の王国で、満足して暮らす女たち。そこにある日、「義理の息子の嫁」として、美しく才能のある女・千萬子が加わり、“王国”のバランスが崩れていく――。

 桐野夏生氏の新刊小説『デンジャラス』は、幾度となく世間から好奇の目で見られた谷崎の中年から晩年の家庭事情を、大まかな流れは事実を基に、小説として昇華した作品だ。谷崎の代表作『細雪』の雪子のモデルとされる、妻の妹・重子の視点から語られている。

 大阪の旧家で育った美人4人姉妹を描いた小説『細雪』は、ノーベル文学賞の最終候補に二度上がったこともある名作長編。主役の1人である三女・雪子は、美しく、一見おとなしいが一癖あるチャーミングな女性として、読者を強く惹きつけた。『細雪』は、雪子の縁談がまとまり、居候していた次女夫婦(モデルは谷崎夫婦)の元を離れるところで幕を閉じるが、明らかに雪子のモデルであった重子は、結婚後もしばしば谷崎家に身を寄せ、疎開を理由に夫と別居した。一時夫の元に戻るものの、夫に先立たれて再び谷崎夫婦と共に暮らすようになる。

 そんな重子を挑発するように、深い愛情をかける谷崎。“私は姉の付録”と言い聞かせながらも、重子は姉・松子とともに谷崎の芸術の養分として「実人生が小説に吸いとられていく」喜びを味わっていた。

 そんな中、谷崎の意向で別居していた義理の息子が、結婚を機に谷崎家の離れに住むことになる。息子の嫁・千萬子は美しく、気が強く、新しい文化を好む女性だった。千萬子を面白がった谷崎は、やがて特別に寵愛するようになる。息子夫婦が別居した後も、毎日速達を往復させるほど親密になっていく谷崎と千萬子。谷崎は、松子・重子姉妹が嫉妬するさまも、創作の刺激にしている節すらある。そうして出版された『瘋癲老人日記』は、「息子の嫁」に執着する老人の性やフェティシズムが描かれ、晩年の代表作として高く評価されることになる。

 妻たちを傷つけてでも、若い千萬子から芸術の刺激を受けようとする晩年の谷崎の執念、「自分たちこそが谷崎のミューズである」というプライドを傷つけられつつも、表面上は取り乱さず、静かに水面下で千萬子を遠ざける策略をめぐらせる松子・重子の老姉妹、谷崎の寵愛を頼りに高価な品々から生活費、住処までも手に入れつつ、決して一線は踏み越えない千萬子。それぞれの業の深さとえぐみが、ドロドロ劇の一歩手前までは表れるが、重子の上品な語り口で決して口当たりは悪くない。そして終盤には、重子が押し殺していた“姉の付録ではない私”が奔流し、谷崎作品の背徳的な雰囲気をも湛える展開を迎える。

 事実には沿っていても、内面の真実は当事者たちにしかわからない。あくまでフィクションとして、当時世間から好奇の目で見られた「谷崎一家」の隆盛と静かな終焉が堪能できる。

『かの子撩乱』(講談社文庫/著: 瀬戸内晴美 ※瀬戸内寂聴)

kanoko0802 そして、谷崎に翻弄された重子たちの姿とリンクしたのは、新刊ではないが、谷崎と同時代に活躍した作家・岡本かの子の生涯を追う評伝小説『かの子撩乱』だ。同作の取材で、かの子の妹・きんは生前のかの子を回想してこう語る。

「ああいう強い個性の芸術家が一人誕生するためには、まわりの者はみんな肥料に吸いとられてしまうのでございましょうか。姉の芸術のかげにはそれはそれはたくさんの犠牲が捧げられております」

 谷崎と同時代に活躍した小説家・岡本かの子。今なら、「岡本太郎の母」と言った方が身近に感じられる人が多いかもしれない。急逝したため執筆期間は短いものの、川端康成は「最近もつとも立派な仕事をしつつある作家の一人だ」(原文ママ)と評している。文学に生涯をささげたかの子もまた、小説のために自らが女王として君臨する「王国」をつくり上げ、夫、愛人、書生らと同居していた。きんも、その王国を補助する一員として、時に身の回りの世話をしていた1人といえる。

 瀬戸内寂聴氏の『かのこ撩乱』は、ノンフィクションの体を取りつつ、かの子、夫・一平の内面まで深く踏み込んだ、評伝の枠には収まらない作品だ。当事者含む関係者への取材、未発表(当時)だった資料、そしてかの子が憑依したかのような心理描写が精緻に編みこまれ、かの子の生涯を中心に、かの子の夫で、新聞漫画家の第一人者として時代の寵児だった一平、恋人として同居した仁田(仮名)、長男である岡本太郎らで構成された“岡本一家”の流転が描かれる。

 晩年の作品自体は高く評価されるものの、私生活や本人の振る舞いについては毀誉褒貶どちらも激しかった岡本かの子。熱狂的に愛されるか、嫌われ敬遠されるか、好悪が極端に分かれる彼女の生涯を簡単に語ることはできないが、最も好奇の目を集めたうわさの1つは「夫と恋人、さらにもう1人の男性との同居」という伝説だろう。

 当時、世間からはひそかに男妾と笑われることもあった仁田、垣松(仮名)の2人の男性は、決して経済的に独立できない「ヒモ」だったわけではない。垣松は、岡本家に住み、かの子夫婦の身の回りの世話をしながら、大学で講師を務めていた。戦後には島根県知事を2期務めている人物でもあるが、彼にとっては「自分の一番輝かしい生活だったのは、かの子さんと暮らしていたころ」と語るほど、生涯唯一の時期となった。

 仁田も、慶應大学病院の優秀な医師だった。名家の生まれで、「人妻に溺れて男妾になった」と世間から笑われる息子を心配した仁田の母が、岡本家に出向いたものの、むしろかの子を気に入り「この人の元なら」と息子を置いて戻ったエピソードも残っている。かの子の死後、夫の一平としばらく共に暮らしお互いを支えた仁田もまた、かの子と同居した日々が最も華やいでいた時期であると、寂聴氏に語る。そんな2人の目には、「男妾」とあざ笑う世間には見えない景色が広がっているようだ。

 かの子は、才能を持った男性たちを思うがままに従えた。それは、谷崎と同じく「芸術」のために必要不可欠だと信じていたからだと分析されている。寂聴氏は、信じるままに生きる暴力的なかの子の純粋さを、「一人の女が、怖しい芸術の魔神に魅入られ、三人の男を奴隷のように足元にふみすえ、その生血をしぼりとり、それを肥料に次第に自分の才能を肥えふとらせていく」(原文ママ)と表現する。

 本作は雑誌連載の初出から半世紀がたつが、寂聴氏自身もかの子の魔力に絡め取られているかのような筆致は、いまだ熱くみずみずしい。序盤には、学生時代の谷崎とかの子の交流も描かれる。『デンジャラス』を楽しんだ人に、薦めたい作品だ。

『諧調は偽りなり(上・下)』(岩波現代文庫/著: 瀬戸内寂聴)

kaityou0802jyou 最後に紹介するのは、『かの子』と同じ作者になってしまうが、瀬戸内寂聴氏による評伝小説『諧調は偽りなり(上・下)』。谷崎と1歳違いで、思想家として活動し、アナキストを貫いて惨殺された大杉栄と、その最後の妻となり、大杉と共に殺された伊藤野枝の後半生を描いた作品だ。

 伊藤野枝は、女性の手で作られた雑誌「青鞜」の編集部員(後に編集長となる)として活動する中で、大杉と出会う。大杉に惹かれた野枝は、衝動のままに夫と幼い息子を捨て彼の元に身を寄せる。その一連の流れだけでも当時のメディアを軽く騒がせたが、大杉と野枝が広く世間に知られたきっかけは、主に「日蔭茶屋事件」と呼ばれる不倫刃傷沙汰だろう。

 大杉は、恋愛流儀として「フリーラブ(特定の恋人をつくらず、それぞれが経済的に独立し、複数と平等に付き合うことを許容し合う関係)」を提唱し、実践した結果、野枝も含めた四角関係に陥り、野枝に嫉妬した愛人・神近市子に刺されている。そもそも「フリーラブ」を提唱している大杉が既婚者であるうえに、大杉も野枝も、大杉を刺した神近の稼ぎに頼って生きていた。おそらく、一般に広く「バカみたい」と思われただろうことは想像に難くない。

 この事件に翻弄されつつ、結局、大杉と野枝は事実婚関係を結び、5人の子どもが生まれ、大杉は勉強のために渡欧したものの活動前に投獄され、帰国後は政府に目を付けられながら活動し、野枝と共に殺される――という激動の4年間を濃く描いた本作。2人の前半生を書いた前作『美は乱調にあり』(同)の続編ではあるが、前作を経ていなくても、問題なく読むことができる。

 2人の生き方も思想もここでは省くが、個人的には全肯定できるものではない。しかし、思想の是非と人の好悪が一致するとは限らない。政府から危険人物とみなされた2人だが、どちらにも人懐こいところがあり、監視役としてついてくる憲兵に荷物を持ってもらったり、ちょっとした買い物を頼んだりできるような関係を築くようになる。本作には、彼らの愚かなところも容赦なく収められているが、憲兵もついほだされるほどの不思議な魅力も、全編にちりばめられている。思想には否定の立場を取っていても、実際の彼らを目の前にしたら、好意を持ってしまうかもしれない。自然とそう思わせる、彼らの引力が伝わってくる。

 大杉栄享年38歳、伊藤野枝享年28歳。2人は関東大震災の混乱に乗じて惨殺された。大杉の葬儀には、思想上は対立する立場の人々も多く参列し、彼の死を悼んだ。野枝の前夫は、「野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛している」と追悼文を送った。「畳の上では死ねないだろう」という覚悟の上で生きた2人に、「子どもがいるのに無責任」という言葉も響かなかっただろう。それでも子どもたちはそれぞれ、親の生涯から、自分勝手に生きる代償も、信じた道に殉じる気韻も受け継いで生きたように見える。

 伊藤野枝と大杉栄も、谷崎潤一郎も、岡本かの子も、現代で同じ生活を送ったとすれば、当時と同じように、もしくはそれ以上に批判や揶揄を受けることになるだろう。時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、その当時にあって冷蔵庫やソファベッドも使うような谷崎の義妹・重子は一見私たちと地続きで、ひどく遠いとは思えない。

 清くない、正しくない、筋が通らないところを踏まえても、たぶん犯罪を犯さない限りは「どれだけ人に迷惑をかけたか」「どれだけ間違ったか」より、「どれだけ人に愛されたか」「何を創造したか」の方が世に残って、時に後世の人を助けることすらある。芸術家でなくても、そんな法則を知っておくことは、おそらく他人への視線を寛容にし、引いては自分自身の生き方を楽にするはずだ。
(保田夏子)

美少年、バッタ、童話作家――「偏愛」に生きる“賢くない”者たちによる魅力的な3冊

好きなことをとことんやっていい、と言われて、どこまで突き詰められるだろうか。好奇心と熱情だけを信じて進むなんて、多くの者には恐ろしいことだ。しかしそこを越え、新しい世界を見つけた“偏愛家”3名の著書を紹介する。

■『セツ先生とミチカの勝手にごひいきスター』(長沢 節、石川 三千花/河出書房新社)

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 2017年は故・長沢節の生誕100周年に当たる。「長沢節」という人物を知らない人の中にも、彼の私塾「セツ・モードセミナー」出身者の名を知る人は多いだろう。女優・樹木希林、漫画家の安野モヨコや桜沢エリカ、「コム デ ギャルソン」の川久保玲、「ピンクハウス」の金子功――幅広いジャンルに、独自の存在感を示すクリエイターを多数輩出した「セツ・モードセミナー」。その創始者である長沢氏が生前に書いた映画評をまとめ、同校出身のイラストレーターであり、映画評論家でもある石川三千花が解説を加筆した本が、『セツ先生とミチカの勝手にごひいきスター』だ。

「美少年というのは、来年、再来年はたぶん美少年ではなくなっているのだ。そんな空しい美しさとして、なんとかけがえのない現在だろう」

――と、序文から熱量の高い本書は、映画評でありつつ、長沢氏がお気に入りの美青年&美少年スターの肉体を語る“偏愛レビュー”でもある。ダニエル・デイ=ルイス、デヴィッド・ボウイからレオナルド・ディカプリオまで、俳優ごとに章が分けられ、出演作品ごとに肩や指先、脚、骨格まで、肉体の細部に宿った美(もしくは醜さ)が、どのように堪能できるかが綴られる。

 「手首の薄さ」「指先のとんがり」「足指の上品さ」「土踏まずの深さ」と、俳優の体について綴る長沢氏の視点はフェティッシュだが、「これは素晴らしい」「これは醜い」とばっさり斬る文章はカラッとして小気味よい。さらに、「足があまりにも美しいので、かわいそうな場面のはずが、楽しい場面に見えてしまうのをどうすることもできなかった」といった記述からは、長沢氏のチャーミングさが漏れ出ているようで、時に「太い短い下品な脚と腕!」などとけなしていても、不思議と嫌な後味を残さない。映画にはいろいろな楽しみ方があるが、長沢氏は、“俳優たちの、ひと時の美を閉じ込めた記録映像”として作品を味わい尽くし、その魅力を読者に伝えている。

 加えて、章ごとに加筆された石川氏の解説も、まるで長沢氏が目の前にいるような語り口で同意したり反論したり、遠慮なくツッコミを入れつつ、さりげなく生前のエピソードを交えて、彼の独自の美意識を読者に教えてくれる。

 本書は、単に面白い映画を知りたい人より、美しい青年&少年を堪能できる映画を見つけたい人向けの一冊といえるだろう。さらに、レビューを通して長沢氏独自の哲学・美学を自然と知ることができる「長沢節入門本」にもなっている。映画より俳優より、長沢節という人間を好きになってしまうかもしれない。

『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎 (著) /光文社文庫)

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「なんということでしょう。生活のことをうっかり忘れていた。軽く取り返しのつかないところまで、私は人生を進めていた」

 好きなことだけやって生きたいけど、大抵の大人は、食べるために社会でお金を稼がなければならない。「やりたいこと」と「稼ぐこと」を天秤にかけ、どうバランスをとっていくか迷う人は多いだろう。『バッタを倒しにアフリカへ』は、そんな迷いと正面から向き合った昆虫学者による、ノンフィクションエッセイだ。

 バッタを愛し、「緑色の服を着て、全身でバッタと愛を語り合いたい」という情熱で昆虫学の博士号を取得したものの、バッタ研究では就職口が得られずに、いわゆる“ポスドク”状態になった前野氏。研究対象を需要のある昆虫に替えるという道もあったが、「それでもバッタを研究したい」という思いでアフリカ・モーリタリアに旅立ち、現地の研究者と共にバッタと向き合う日々が本書につづられている。

 金もコネもない、現地の言葉も十分にしゃべれない、あるのは熱意だけ、という状態からフィールドワークで成果を上げるのは、想像よりも一筋縄ではいかない。初っ端から入国拒否に遭い、その後も「60年に1度の干ばつでバッタが発生しない」「30万かけて作った飼育ケージがすぐ壊れる」「その後再び別の飼育ケージが壊れてバッタが熱死する」など次々とトラブルが起き、貯金も底を尽きかける。同世代の研究者が成果を上げていく中で、将来に何の保障もなく、不安と困難の多い道のりを歩むことになるが、前野氏はその荒れ道を非常に楽しそうに進んでいくため、深刻さがまったく見えてこないところが、本書の突出した魅力だろう。

 徐々に現地にも慣れ、臨機応変に研究地を替えながら研究の手応えを得ていく前野氏。研究資金のためにブログや著作活動を始め、自分の知名度を上げることで研究の重要性をプレゼンしていく。最終的には、研究実績を元に京都大学への就職が決めるという、まるでフィクションのような成功を見せるのだ。

 「好きなことに人生を賭け、夢を追って成功する」と言葉にすると、一見、子どもたちのお手本になるような、美しく正しいことのように捉えられるが、現実に実行した前野氏の行動は、大多数の人にとってはリスクが高く、狂気にすら見えるものだ。成功しているからといって、気軽に薦められる選択肢ではないだろう。しかし、成功・失敗にかかわらず、「好きだから」という狂気を貫き通せた人々だけに見える世界がある。安全で、賢い道を選択することだけが正しいと考えがちな私たちの視界を開き、気づかせてくれる一冊だ。

■『ありのままのアンデルセン:ヨーロッパ独り旅を追う』(晶文社刊/著: マイケル・ブース,訳: 寺西のぶ子)

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 日本食の魅力をユーモアたっぷりに描き話題を呼んだ『英国一家、日本を食べる』(亜紀書房)の著者マイケル・ブース氏による『ありのままのアンデルセン:ヨーロッパ独り旅を追う』は、童話作家として世界的に知られるアンデルセンの知られざる魅力に憑かれた著者が、172年前のアンデルセンの一人旅を再現し、その素顔に迫ろうとする異色の旅行記だ。

 結婚を機にデンマークで暮らすことになった著者は、語学学校を通して、アンデルセン作品『人魚姫』の魅力に触れる。原語であるデンマーク語で読んだ『人魚姫』は、英語で読んだ『人魚姫』とも、広く知られるディズニー作品とも違う、人間の弱さ、暗さ、エロティシズムを表現した作品だった。アンデルセンに惹かれた著者は、“人間アンデルセン”の実態をさらに深く知るために、残された自伝や旅行記を元に、できる限り同じルートをたどる旅を始める――。

 ドイツ、イタリア、ギリシャ、オーストリアなど欧州各国を渡り歩き、その土地の風土や国民性の違いを記した旅行記でありながら、資料や現地取材に基づいて、アンデルセンの素顔を明らかにしていく評伝でもある本書。日記や書簡、多くの先行研究をもとに、貧しい家に生まれ育ち、自らの容姿にコンプレックスを持ち、有名人や貴族から称賛されることに人一倍飢えていたことを明らかにする。

 さらに著者は、諸説あるアンデルセンの性的嗜好に関しても踏み込んでいく。プロポーズした女性への執着や、ラブレターにしか見えない男性への手紙から想像されるアンデルセンの心情を、まるで当時の彼を見ていたかのように細かに描写し、バイセクシュアル傾向であったと分析する著者。ほとんどの関係者が亡くなっている今、真実がわかることはないだろうが、執着とも呼べる著者の丁寧な読み込みに、舌を巻く読者も多いだろう。

 本書では、資料からわかるアンデルセンの見栄っぱりな一面や、俗物的な一面も、淡々と明らかにされていく。欠点ばかりのようでも、著者をはじめとした多くの研究者を惹きつけて離さないのは、世界的に知られた童話群に、彼が悩み向き合った自身のそうした欠点や悩みが昇華されていることに気づかされるからだろう。ぜひ本書を通して、アンデルセンの素顔の一部に触れてみてほしい。
(保田夏子)

ジョブズとウォズニアック、ユングとフロイト……“相棒”との出会いで才能が花開いたペアの6段階

 人間関係の最小単位“2人組”。仕事、友情、恋愛……関係は違えど、深くて濃い1対1の関係を扱った本2冊を紹介する。

■『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク著、矢羽野薫訳、英治出版)
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 『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』は、歴史に残るような天才を、1人の才能によるものではなく、補完し合う「2人」の功績として捉え、分析を試みるレポート。

 画家ゴッホと弟のテオ、キュリー夫妻、ライト兄弟、「ビートルズ」のジョン・レノンとポール・マッカートニー、アップル社の共同設立者スティーヴ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、タイガー・ウッズとキャディのスティーブ・ウイリアムス、ダライラマ14世と個人秘書官――。芸術、科学、ビジネスなどさまざまな分野で偉業を残した人々には、直接/間接的に支えてくれた「相棒」がいる。本書では90組以上のペアについての資料やインタビューから、ペアの生まれ方、共通する傾向を探り、最終的には「普通の人々がクリエイティブ・ペアと出会う方法」について考察をしている。

 本書では、成功した2人組を“クリエイティブ・ペア”と呼び、2人が出会い、関係を発展させ、別れるまでの過程を「邂逅」「融合」「弁証」「距離」「絶頂」「中断」の6つの段階に分類している。それぞれの段階で章立てし、時代もジャンルも異なる複数のペアのエピソードを幾つも重ねていくことで、各段階に見られる特徴を浮き彫りにしていく。

 たとえば「邂逅」の章では、多くの偉大なペアは初対面時に「互いにあまり印象が良くない」か、「果てしのない会話が続く」かの2つのパターンが多いと分析。Googleの共同創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは「出会ってから数時間で激しい口論」となり、後にキュビスムを担う中心となるパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックは「不安をかき立てられた」。一方で、アップル社の共同設立者ジョブズとウォズニアックは、初対面のときから「家の前の歩道に座り込み、何時間もしゃべって」いたし、精神医学に大きな影響を与えたユングとフロイトも「初めて会ったときに『13時間、休みなくしゃべりつづけた』」という。

 偉人や著名人の評伝は数多くあるが、本作は、1対1で結ばれる“恋愛以外”での濃密な人間関係にまつわるエピソードが、時代もジャンルも超えて「関係性の段階」でソートされて膨大に詰まっている。天才たちのドラマのような関係性を堪能したい人は、必ず楽しめる一冊だ。

 さらに著者は、クリエイティブ・ペアの定型を明らかにすることで、孤高の天才ではなくても、普通の人が“相棒”と出会って天才になる道を探っている。自分のクリエイティブ・ペアに出会うには、どのような場所に足を運び、相手にどう振る舞うべきなのか?その考察が成功しているかはさておき、2人組のエピソードを大量に分析してきた著者だからこそ、表現を変えて繰り返される「本当の創造性は自分の頭の中ではなく、自分と他人の間に起きる化学反応から生まれる」という知見は聞く価値があるものだ。新たな仕事や、趣味に挑戦したい人にとっても、ヒントをくれる本になるだろう。

■『誓います 結婚できない僕と彼氏が学んだ結婚の意味』(ダン・サヴェージ著、大沢章子訳、みすず書房)

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 『POWERS OF TWO~』では、主には恋愛・夫婦関係ではない2人組のエピソードが取り扱われていたが、一般的に、社会で最もメジャーな2人組は夫婦だ。本書『誓います 結婚できない僕と彼氏が学んだ結婚の意味』は、米国の男性カップルが、結婚に足踏みする日々をユーモアたっぷりにつづることで、「結婚とはなにか」をパートナーと考えることの楽しさを教えてくれるノンフィクションだ。

 米国で人気新聞記者・コラムニストとして活躍する著者ダンと、10年間交際を続けている男性パートナー、テリーは、結婚という形をとらずに、6歳になる息子を育ててきた。しかし、周囲とは違う自分の家族に疑問を抱くようになった息子に、さまざまなタイプの家族を見せるため、ダンは自身の親族を集めたキャンプを企画する。

 結婚・同棲はしないと決めている長兄とその恋人、子連れ同士で再婚した次兄夫婦、子どもはいるが結婚はしない妹夫婦。2度目の結婚生活を送っている母。家族の形態はさまざまだが、それぞれの違いにこだわらずに共同生活を送ることで、結婚/未婚/再婚、同性カップル/異性カップルの違いを問わず、いい家族とは助け合う共同体であり、“普通”と違ったとしてもコンプレックスを持つ必要はないということが、息子だけでなく読者にも説得力をもって伝わってくる。しかし、病を患っている母が、本気で自分たちの結婚を望んでいることを知ったダンは、テリーや息子と、結婚について少しずつ検討を始めようとする――。

 「同性婚が法的に認められていない州に住んでいる」「息子は結婚に反対している」「誓いとか、披露宴などで見世物になりたくない」「そもそも10年間結婚せずに順調なのに、必要ないのでは」……と“結婚しなくていい理由”ばかりが次々と挙がり、「お互いの名前を入れたタトゥーの方がまだマシでは」とまで考えるダンとテリー。当初は結婚に積極的とはいえなかった2人は、それでも家族や友人、さらには人生相談のコラムニストにまで「セカンドオピニオン」を求め、結婚するべきかどうか検討を重ねる。結婚のメリットとデメリットを、毒を交えつつも真剣に語り合い、時にぶつかり合う2人を通して、読者は自分にとって結婚とはなにか、改めて考え直すことになるだろう。

 2人の迷いは、異性カップルに通じるものもあれば、同性カップルだからこその迷いもある。けれども同性婚への理不尽な偏見や差別など、いくらでも深刻に語れる話題も、笑いを交えながら理性的に表現されることで、決して外国の特別なカップルの話ではなく、身近な1組のカップルの迷いとして受け止めることができる。

 日本でも、結婚情報誌の最大手「ゼクシィ」(リクルート)が、「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」をキャッチコピーに選び共感を呼ぶ時代、「結婚=絶対的な正解」でないことは誰もが知っている。いつ結婚するか、そもそも結婚するのかしないのか、複数の選択肢が並べられているからこそ、正解がわからず迷ってしまうカップルは日本においても多いだろう。

 ダンとテリーは、結婚について話し合ううちに、知らず知らず結婚することに気持ちが傾きつつも、失敗したときのリスクを天秤にかけて足踏みする。そんな2人を後押ししたのは、「人生はそもそも大きな賭けであり、みんないつかは死んでしまうのよ」というダンの母のすがすがしい言葉だった。結婚してもしなくてもリスクは負うし、選んだ道で幸せになれるかどうかは誰にもわからない。ただきっと、2人で悩み、深く話し合った分だけ、決断した道を正解にしていくスタミナが蓄えられていくのかもしれない。
(保田夏子)

「ちゃんとした料理を作らなきゃ」「ていねいに暮らさなきゃ」、“料理”に自分で呪いをかけてない?

 春は、一人暮らしを始める人が多い季節。それまで日常的に家事をしていなかった人ほど、料理や掃除を伴う初めての「生活」に戸惑い、早々に疲れてしまうだろう。今回紹介する「台所」に焦点を当てた日米の2冊は、そんな新生活にストレスを感じている人、そして、自分は「料理が苦手」だと思っている人に読んでほしいノンフィクションやエッセイだ。

■『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(キャスリーン・フリン著、村井理子訳、きこ書房)

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 『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』は、タイトルだけ見ると、“料理ができない女=ダメ女”と、本に叱られそうで敬遠してしまう人もいるかもしれない。本書は、むしろ、そんな女性に寄り添い、パワフルに力づけてくれるノンフィクションだ。

 世界的に有名な料理学校「ル・コルドン・ブルー」を37歳で卒業した著者が、料理に苦手意識がある「普通の女性」10人に料理の基礎を教えることで、彼女らのキッチンや食生活がどう変わったかをリポートした本書。彼女らを「ダメ女」と呼ぶのは、著者ではなく、「料理ができない」ことがコンプレックスになっている生徒たち自身だ。生徒は、20代から60代までの女性。一人暮らしで自炊は難しいと思っている女性、子どもを持つワーキングマザー、経済的に困窮して自炊の必要性を感じ始めた弁護士など、立場や事情はそれぞれ違うが、料理に苦手意識を抱えている。

 包丁の使い方、基本的な肉・魚・卵料理、パスタソースの作り方や簡単なパンの焼き方、残り物でさっと料理をするコツ。そんなシンプルな技術を学ぶことで、彼女らは、自らが「料理をする」というハードルを、無駄に高くしていたことに気づく。出来合いで済ませているパスタソースやドレッシングを手作りすることは、「すっごく難しいこと」なのか。生徒たちは、学べば学ぶほど「知っていたら絶対自分で作る」「こんなに簡単なの?」と口にする。

 さらに著者は、レッスンを通して、料理を作れない人が増えている背景や、インスタント食品やファストフードの普及がもたらした現代人の健康被害、米国の「食」をめぐる社会問題に触れる。本書では、外食やレトルト食品のデメリットも語るが、「絶対に使うな」という立場ではない。「何から何まで手作りしなければダメだなんて、うそっぱちだよ。(略)インスタントのツナキャセロールと、“トップ・シェフ”の間に、あなたにとって心地よい場所を見つければいい」と、選択肢を広げることの重要性を説く。多忙な育児や仕事の合間に、数時間かかるような料理を作ることは難しい。けれども、買い物に出るよりも短い時間で、外食より安く簡単な食事が作れるのに、「方法を知らない」というだけでインスタント食品に手を伸ばす人が多いことに警鐘を鳴らすのだ。

 終盤では、10人の生徒の“その後の台所の様子”を追う。全員が日常的に台所に立つようになり、食への意識を大きく変えていた。生徒の1人、母親の影響で「料理なんて自分にできるはずがない」と思っていた61歳の精神科医は、自宅を訪ねてきた著者に語る。

「まさか私があんなに美しいものを作れるなんて。自分だって信じられなかった。私の年齢でも、変わることができるなんてすばらしいことだわ。この年になっても、自分を驚かせることができるのよ」

 “料理ができない女=ダメ女”ではない。けれども、料理の技術は、人生の質を確実に上げてくれる手段のひとつだ。そして、料理に限らず「できないと決めつけていたこと」が簡単にできるようになる体験は、何歳になっても、その人に新たな自信を与えてくれる。料理が苦手だと思っている人にとって、本書は料理の基礎を教えてくれる実用書であり、かつその苦手意識を自信に変えてくれる本になるだろう。

■『男と女の台所』(大平一枝、平凡社)

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 『男と女の台所』は、『ダメ女~』の段階を越えて、食と自分との“心地よい場所”を見つけ出している人々の半生と、19の台所を静かに写し出した1冊だ。

 有名無名問わず、料理や食、生き方に哲学を持つ人々のインタビューと共にその「台所」を写真に収めた本書。撮影された台所は、完璧に整えられたモデルルームにあるキッチンとは違う、それぞれの魅力であふれている。54年間連れ添う団地暮らしの夫婦の台所、人気ブロガー女性の台所、40代女性と20代男性のカップルの台所、3人の子どもを育てるシングルマザーの台所、路上生活する夫婦の台所、同性カップルの台所――取材された人も、台所の広さも新しさもまちまちだが、それぞれ自分にしか送れない確かな生活の佇まいをバリエーション豊かにのぞかせる。

 持ち主の顔が映った写真はなく、台所に立つ後ろ姿がほとんど。しかし、料理経験や台所をきっかけに語られる、恋愛や夫婦関係についてのインタビューが、その人の飾らない人となりを描き出す。

 離婚後、何を食べてもおいしいと思えず、料理も作らなくなった女性が回復するまでを語ったり、義母の手を借り、働きながら育児をこなしたシングルマザーが「上手に迷惑をかけて、助け合う方がお互い楽になれる」と語ったり――。料理や台所の話をしているはずなのに、不思議とそこには、倦んでしまいがちな中年期・老年期をしなやかに生きるヒントが詰まっている。

 特に印象深く描かれているエピソードは、共働き家庭で2児を育てる40代の女性を取材した一篇「ていねいになんて暮らせない」。仕事に家事に育児に多忙の中、「ていねいにできない自分をせめずにはいられな」かった女性が、夫の作る簡単な朝食やおにぎりをきっかけに「人それぞれ持って生まれた性質があって、自分に合った方法でいい」と気づき、「ていねいに暮らさない自分」に罪悪感を持たないと割り切る決心を描く。バブル崩壊後、特定の世代に根強くかけられている、“ていねいな暮らし”という呪いから解いてくれる短編小説のような読後感を残す。

 台所から生まれるものは、おいしい料理や笑顔だけではない。思うようにいかない苦しい日々も、泣きながら作ったおいしくない料理もすべて呑み込んで、地道に生活を続けるための場所だ。新生活に戸惑い悩む人たちにとっても、台所が苦手な場所でなく、ゆっくりと大切な居場所になることを祈りたい。

(保田夏子)