DV逮捕の経済評論家・三橋貴明氏が“注意人物”認定 テレビ界から「オファー控える」動き

 妻を殴ってケガをさせたとして警視庁に傷害容疑で逮捕された経済評論家の三橋貴明氏に、一部のテレビ関係者が「注意人物」として今後の出演オファーを控える動きを見せている。

「あくまで非公式の話ですが、問題を起こしそうな出演候補者への出演依頼を避けるんです。たとえば暴力団との関わりや、金銭トラブルのウワサがあったり。実際に過去、顧客とよく揉めていた弁護士や、詐欺商法をしていた企業への関与が疑われた作家なども“注意人物”として出演オファーをやめました。何かトラブルを起こして番組にまで悪影響が出るとまずいですからね。三橋さんの場合、夫婦間トラブルの逮捕だけでも十分NG案件ですけど、記者に中指を立てたとかいう言動を見て、これはもう完全アウトな人だなって印象ですよ」(報道番組関係者)

 三橋氏は1月5日夜、自宅で口論になった10代の妻の顔を殴ったり転倒させて腕にかみついたりして約1週間のケガを負わせたとして、妻が被害届を出し、翌日に逮捕された。高輪署の関係者によると「これ以前にも、同じ妻から暴力被害の相談があった」という。

 裁判所が「逃亡の恐れがない」と検察の勾留請求を却下したことで、8日に釈放。現在は在宅で捜査が続いているようだ。

 ただ、三橋氏本人は釈放時、集まったマスコミに挑発的な態度を示し、そのことをブログで「中指を立てて追い払いました」「そんなに目くじら立てて追っかけるようなネタかよ!」「テレビカメラの前で『くそくらえ』と、できたのは、少し気持ちよかった」などと書いており、有罪・無罪の判断を待たずして、一部テレビ関係者らに「注意人物」と判断されてしまった形だ。

「はた目には『また、いつ問題を起こしてもおかしくない人』としか思えませんからね」(前出関係者)

 一方、DV問題の専門家からも、三橋氏の言動から「DVの常習性」を懸念する声が聞かれる。カウンセラーの野村高一氏は「多くのDV男に共通する、幼稚性、気の弱さ、我慢強くない、自己過大評価、プライドの高さなどが垣間見える」とする。

「会ったこともない三橋氏の人間性について、断定はできません。ただ、その言動を見ると、いかにもDV男っぽいのです。マスコミに中指を立てるなど、何も得るものはないのに、わざわざ自分でそんなヒンシュク行動をしてネット上で喧伝までするのは、まるでヤンキー少年レベルの幼稚な行為。それで勝ち誇った気になるのは、本質的には気の弱さの表れに見えます。第一声で謝罪にとどまらず長々と言い訳めいた話を書くのは、自分の言葉で一定の大衆を説得できると思い起こんでいる自己過大評価があり、自分で警察沙汰を起こしておきながら報道姿勢に責任転嫁するのも、誰か別の悪者を作らないと気が済まない性格で、無駄にプライドの高さが伺えます。こうした部分を見た限りでは、DV常習者であっても不自然ではないと感じます」(野村氏)

 また、自身も被害者でDV問題の相談室を運営する30代女性は、こんな感想を述べた。

「妻への暴力は深刻な社会問題であるのに、三橋さんのブログではDVを『夫婦喧嘩』と言い換え、『それほど凄い事件なのでしょうか』とまで書いていました。凄い事件だから逮捕されているのに、それ自体を軽く考えるのが典型的なDV加害者の思考。さらに『寛容なる妻がすぐに被害届を取り下げてくれた』と記述して、まるで妻が許せば罪がチャラになるかのような感覚の強調は、典型的なDV男と重なり、恐怖感を覚えます」

 そんな話に説得力を持たせそうなのが、過去2度の離婚歴が伝えられる三橋氏の前妻にあたる、作家のさかき漣さんのTwitterだ。彼女は今回の報道後、自身のDVに関する過去記事URLを提示。そこに三橋氏の名前はないものの、DV加害者を「二枚舌」の「サディスト」とし、公の場では非常に人当たりが良いが内心に不満を溜め、その鬱憤を家庭の弱者にぶつける、という分析をしており、生々しい表現とともに「天才的な二重人格者であり詭弁家」と定義。このあたり、三橋氏の名前は一切ないのだが、同氏を想像しないで読むことは難しい。さかきさんは9日、「実は、身の危険を感じております。今後もしも、わたしの身に何かあったら、誰かの報復かもしれません」とまで書いていて穏やかではない。

 三橋氏はブログで「今後は、世界に自慢できるような幸福な家庭を築くべく努力して参ります」と極端に大きな目標を掲げているが、現時点ではその期待感より不安感の方が大きいのは事実。少なくとも前出テレビ関係者は「注意人物」として距離を置いている。
(文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)

ボブ・サップのDV疑惑報道はAbemaTVにとって「棚ぼた」!? 『朝青龍を押し出したら~』はどうなる?

 アメリカ人格闘家のボブ・サップの“DV疑惑”報道を受け、AbemaTV関係者は「ウハウハ」なのだという。

 21日発売の「週刊文春」(文藝春秋)は、数年にわたりDV被害を受け続けたという日本人の元恋人の告発を掲載。サップのマネジャーも務めていた女性は、自身の顔や全身に付いたアザの写真を提供し、サップの裏の顔を明かしている。

 そんな渦中のサップだが、AbemaTVは19日、大みそかから放送される年越し番組『朝青龍を押し出したら1000万円』のVIPチャレンジャーとしてサップが出場することを発表したばかり。同番組は、元横綱・朝青龍と8名のチャレンジャーが、相撲の「押し出し」のみを勝ちとするオリジナルルールで対戦。サップは8戦中の“大トリ”を務めるものと見られている。

「告発内容のエグさが世間に衝撃を与えており、ネット上では『本当にサップは出演できるのか?』との声が相次いでいる。一方で、『張り手なし』『変化なし』という朝青龍に有利なルールながら、アメフト出身のサップのタックル力が上回る可能性もあるため、2人の対戦を楽しみにしている視聴者は多い」(芸能記者)

 サップは、同局で10月に配信された武井壮プロデュースのスポーツ番組『第1回Abema杯5種競技HAOOO5!』に出演。タックル衝撃度の測定では、NFL出身のサップが脅威のパワーを見せつけ、元大関・把瑠都に圧勝していた。

「AmebaTVは勝敗が予想できない“ガチ対決”を狙ってボブをブッキングしたようですが、かつて日本のCMやメディアに引っ張りだことなっていたサップも、このところ存在感がすっかり薄れている。そんな中、突如として注目を浴びることとなり、AbemaTVの一部関係者からは『棚ぼた』なんて声も。AbemaTVは民放のように厳しいコンプラもありませんから、逮捕でもされない限り放送するつもりでは?」(同)

 フジテレビ系『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX』や、TBS系『トリプル世界タイトルマッチ』にぶつけるように放送される『朝青龍を押し出したら1000万円』。サップの姿は、そこにあるだろうか?

ボブ・サップのDV疑惑報道はAbemaTVにとって「棚ぼた」!? 『朝青龍を押し出したら~』はどうなる?

 アメリカ人格闘家のボブ・サップの“DV疑惑”報道を受け、AbemaTV関係者は「ウハウハ」なのだという。

 21日発売の「週刊文春」(文藝春秋)は、数年にわたりDV被害を受け続けたという日本人の元恋人の告発を掲載。サップのマネジャーも務めていた女性は、自身の顔や全身に付いたアザの写真を提供し、サップの裏の顔を明かしている。

 そんな渦中のサップだが、AbemaTVは19日、大みそかから放送される年越し番組『朝青龍を押し出したら1000万円』のVIPチャレンジャーとしてサップが出場することを発表したばかり。同番組は、元横綱・朝青龍と8名のチャレンジャーが、相撲の「押し出し」のみを勝ちとするオリジナルルールで対戦。サップは8戦中の“大トリ”を務めるものと見られている。

「告発内容のエグさが世間に衝撃を与えており、ネット上では『本当にサップは出演できるのか?』との声が相次いでいる。一方で、『張り手なし』『変化なし』という朝青龍に有利なルールながら、アメフト出身のサップのタックル力が上回る可能性もあるため、2人の対戦を楽しみにしている視聴者は多い」(芸能記者)

 サップは、同局で10月に配信された武井壮プロデュースのスポーツ番組『第1回Abema杯5種競技HAOOO5!』に出演。タックル衝撃度の測定では、NFL出身のサップが脅威のパワーを見せつけ、元大関・把瑠都に圧勝していた。

「AmebaTVは勝敗が予想できない“ガチ対決”を狙ってボブをブッキングしたようですが、かつて日本のCMやメディアに引っ張りだことなっていたサップも、このところ存在感がすっかり薄れている。そんな中、突如として注目を浴びることとなり、AbemaTVの一部関係者からは『棚ぼた』なんて声も。AbemaTVは民放のように厳しいコンプラもありませんから、逮捕でもされない限り放送するつもりでは?」(同)

 フジテレビ系『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX』や、TBS系『トリプル世界タイトルマッチ』にぶつけるように放送される『朝青龍を押し出したら1000万円』。サップの姿は、そこにあるだろうか?

「だんなデスノート」に書き込む妻の共通点は? サイト管理人が明かす意外な“正体”

 「朝起きたら冷たくなって死んでますように」「死体で帰ってこい! 赤飯炊いてやるから」「旦那の歯ブラシで毎日トイレ掃除をしています」……。妻たちが夫の死を願う本音サイト「だんなデスノート」に投稿される衝撃的な内容の数々が、多くのメディアで取り上げられ、話題となった。それらの投稿をまとめた書籍『だんなデス・ノート 〜夫の「死」を願う妻たちの叫び〜』(宝島社)は、発売直後にAmazonの「家庭生活」カテゴリーで売上ランキング1位を記録するヒットとなり、賛否両論を巻き起こしている。まさに炎上中といえる「だんなデスノート」について、同サイトの管理人である牧田幸一朗氏に聞いた。

■男性の否定的な意見をシャットアウト

──まず初めに、牧田さんがサイトを開設しようと思った理由を教えてください。

牧田幸一朗氏(以下、牧田) 僕は幼少期のころ、両親が喧嘩ばかりしていたため、あまりいい思い出がありません。その経験が大人になった今でもトラウマになっているので、同じツラさを今の子どもたちに感じてほしくないというのがひとつ。それと、僕は歌舞伎町でホストをやっていた経験があり、お客さんとして来る既婚女性たちが、ただ悩みを聞いてほしいだけということをわかっていた。そんな彼女たちのために、ネット上で愚痴を吐き出す場を提供してあげたかったんです。あと、ゼロから新しいコンテンツを生み出すことに挑戦したかったというのも、理由のひとつです。

──既婚女性が集まる巨大匿名提示版などでも、夫の悪口を投稿する人はいました。この提示版との違いは、どこでしょうか?

牧田 まず、書き込むことで「旦那が死ぬ」というデスノート的な想いが込められるという点。もうひとつが、男性の否定的な意見をシャットアウトしたことです。匿名提示版では誰でもコメントできるので、旦那の悪口を投稿すると「離婚すればいいじゃん」とか「お前が死ね」などと、すぐ批判のコメントが投稿されるんですよ。正論かもしれませんが、否定的なコメントを返されると、すでに不平不満がたまっている状態の女性は、さらにストレスがたまりますよね。そういうことがないように、男性側の書き込みは、こちら側でなるべく排除しました。

──愚痴があるなら、身近にいるママ友などに聞いてもらえば事足りるような気がします。彼女たちがネットで不平不満を吐き出すのは、なぜでしょう?

牧田 友達だからといって、必ずしも共感してくれるわけではありません。円満夫婦のママ友に相談すると、余計なアドバイスをもらって傷つくことすらあります。彼女たちにとって重要なのは、共感してもらうこと。過去に「だんなデスノート」のオフ会を3回開催していますが、共通の悩みを持っている者同士なので、初対面で意気投合して、すぐ友達になるんですよ。

──彼女たちにとって、同じ悩みを共有することがストレス発散になるんですね。そのオフ会に参加された女性に、牧田さんから見て共通する特徴はありましたか?

牧田 年代は20代前半から50代まで幅広いですが、ほとんどが専業主婦。なおかつ“上品”“キレイ”“カワイイ”この3つのいずれかに、必ず該当します。オンナとしての魅力があり、さらに旦那の稼ぎが多い、裕福な女性が多かったですね。

──上流階級の既婚女性が「時間をかけて苦しんで死ね」などと書き込んでいるのは、意外ですね。彼女たちが旦那の死を願う原因としては、何が多いのでしょうか?

牧田 多いのは、モラハラやDVなどの暴力ですね。DV加害者は、医師、弁護士、大学教授などのエリートが多いので、(そうした男性を夫に持つと考えられる)裕福な家庭の専業主婦たちが旦那の死を願うのも当然なのかもしれません。また、妻を専業主婦にする男性は「女性は旦那を支えるべき」という昔ながらの男尊女卑思想から抜けきれず、まだまだ女性を見下しているというのも理由のひとつとしてありそうです。

──「そこまで嫌だったら離婚すればいい」という意見もありますが、彼女たちが離婚をしないのはなぜでしょう?

牧田 ほぼお金です。自分だけならまだしも、子どももいますから。シングルマザーになれば経済的に苦労しますし、そうやすやすと離婚はできません。旦那が死ねば保険金が手に入るというのも大きいでしょう。もうひとつは、見栄ですね。離婚をするのは世間体もよくないと考えがちですし、彼女たちのプライドも傷つくようです。だけど旦那が嫌いで一緒に生活するのは苦痛。この問題をすべて満たせる解決策が、離婚ではなく、「旦那の死」なのでしょう。

──未亡人となれば、世間体も悪くはないですし、保険金まで手に入る。まさに理想の展開ということなのですね。とはいえ、本書では「ゴキブリやネズミ以下のダンナ」「存在自体が悪」など、妻たちが旦那を人間扱いしていない内容が多く、Amazonの書評欄などでは彼女たちの投稿に対して「男性差別だ!」といった批判的な意見が多いです。

牧田 そういう意見はほとんどが男性だと思いますが、彼らに彼女たちの気持ちを理解するのは難しいとは思います。そういう男性たちに言いたいのは、「職場の嫌いな上司」に置き換えてみてください、ということ。最初は仲が良かったかもしれないけど、だんだん嫌なところが目についてきたりとかするわけじゃないですか。「そんなに上司が嫌なら、仕事を辞めればいい」って簡単に言うこともできますけど、そんな単純なものではないですよね? 家族を養わないといけないし、年齢的に転職は難しく、その職場にしがみつくしかなかったりするのが現実だと思います。少なくとも、当事者にしかわからないことがあるということだけは、男性にもわかってほしいですね。

──職場のことであれば、家族や同僚と飲みながら愚痴を吐き出したりもできますが、家庭内のことは、味方であるはずの家族が敵になっているし、友達にも相談できない。だから「だんなデスノート」でストレス発散するしかないんですね。

牧田 その通りです。ただ、悪口を書いて一時的なストレスを発散するだけの場になっているのは、問題でもあります。なので今後は、彼女たちが次の段階にステップアップするための支援をしていきたいと思っています。

──それは、つまり、離婚の後押しをするということですか?

牧田 いや、離婚して幸せになる人もいれば、関係を再構築して幸せになる人もいます。それはどちらでも構いませんし、僕から離婚を後押しするようなことはしません。サイトに書き込んでいる専業主婦は、小さい子どもがいる方が多いので、そう簡単に仕事は見つからず、社会との接点がなくなって悩みを抱え込んでしまうことが多い。なので、僕はその両方を補える場所を提供したいと考えています。具体的にはオフ会活動を大きくしていって、人がたくさん集まるイベントを開催したい。そうするとスタッフが必要になるので、専業主婦の方を雇うこともできますし、同じ悩みを共有できる友達を見つけることもできます。

──「だんなデスノート」というサイトは、今度どうしていきたいと考えていますか?

牧田 サイト自体を特に大きく変えるつもりはなく、ほぼそのままにしていきます。理想としては、投稿数が少なくなること。金もうけが目的ではないので、悩める女性が減ることを切実に願うばかりです。
(ほこのき雄哉/清談社)

『奥様は、取り扱い注意』より厳しいDVの現実! 「支配しようとする夫」に苦しんだ主婦の告白

 綾瀬はるか主演の連続ドラマ『奥様は、取り扱い注意』(日本テレビ系)。綾瀬演じる主人公・伊佐山菜美は、特殊工作員という過去を持つ専業主婦。そんな菜美が、新婚生活のために引っ越してきたセレブ住宅街に暮らす、主婦友の大原優里(広末涼子)や佐藤京子(本田翼)とともに、主婦の間で起きるさまざまなトラブルを解決していくストーリーだ。第1話は、3人と料理教室で出会った水上知花(倉科カナ)が、夫からDVを受けていることを知って助ける、という展開だった。

 ドラマのように夫のDVに悩まされた主婦、裕子さん(仮名・34歳)が、自身の経験を話してくれた。現在は、2人の子どもと暮らすシングルマザーだ。

「社会人1年目の時、先輩に連れていってもらったバーで夫に声を掛けられました。初めの印象はハキハキしていて仕事ができそうなタイプ。その日は連絡先を交換して別れましたが、翌日から毎日連絡が来るようになったのです」

 第一印象は良かったが、毎日来る連絡にだんだん嫌気が差し、裕子さんは徐々に夫を遠ざけるようになった。しかし、その後、思いもよらないきっかけで交際に発展する。

「連絡を無視してしばらくした頃、夫から『母親がくも膜下出血で倒れた』というメールが来ました。『頼むから、今日だけはそばにいてほしい』とひどく落ちこむ様子に、同情してしまいました。そこから会う回数がズルズルと増えてゆき、交際することになりました」

 後に「この時の同情が失敗だった」と裕子さんは思ったという。それは夫の「人を支配したい」性格が原因だった。

「夫は誰に対しても『自分のほうが立場が上』でありたい性格でした。会社の中でもリーダー格で、社内で問題が起きたらすぐに間に入って解決したがる、とにかく口がうまい人でした。交際中、私は常に見下されていました。『お前はラクなOLでいいよな』『俺は会社を背負う人間だから、お前みたいなしょうもない仕事とは違う』など、嫌味を言われることはしょっちゅう。腹を立てて言い返しても、私が次に言うことを見透かして、必ず言い負かしてきます。口げんかで勝てたことは一度もありません」

 夫の性格にうんざりし、別れを告げようとした時、裕子さんの妊娠が発覚した。

「妊娠も、私を逃げられなくするための夫の計算だったと思います。夫は私を自分の支配下に置こうと、入籍後はさまざまな制約を課してきました。外出時は必ず連絡を入れる、友人との交流禁止、SNS禁止、美容院やマッサージでは女性の美容師やセラピストを指名すること、夫の前以外でのスカートの着用は禁止など……。反抗すると、今度は暴力を振るうようになりました。おなかには子どもがいるので、もし流産でもしたら、私に逃げられると思ったんでしょう。平手打ちや髪の毛を引っ張るなど、おなかは避けて体に痕が残らない方法でDVが始まりました」

 肉体的にも精神的にも、裕子さんは追い詰められていった。さらに裕子さんを家に置いておくために、夫の束縛はエスカレートしてゆく。

「1人目の子育てが落ち着くと、2人目、3人目……と、次々に子どもを作らされました。しまいには、くも膜下出血で倒れた義母の面倒まで命じられ、私の自由は一切奪われました。それでも離婚しなかったのは、夫が子煩悩だったからです。夫は、子どもの前では良い父親を演じていましたから。子どもたちも父親のことが大好きでしたので、他人から見れば裕福で幸せな家族にしか見えなかったと思います」

 しかし、ついに裕子さんに離婚を決意させる事件が起きた。

「夫の浮気が発覚したんです。夫は『遊びだ』と言い張りましたが、問い詰めると逆切れされて、暴言を吐かれました。『誰がお前を食わせてやってると思ってるんだ』『ロクに働いたこともないお前に、子どもの面倒が見られるのか』と……。私は社会人になってすぐ結婚したので、離婚したら子どもたちを育てていけません。夫は、それをわかって言ってきました。それでも夫の女遊びは止まらず、ついに限界が来た私は、別居を申し出たのです」

 夫は反対したが、それを押し切り、子どもを連れて実家に戻った。ところが、別居中も、夫からの嫌がらせは続いた。

DVinterview2

「1日に何十回も電話してきたり、近所の住民に私や子どもの悪口を、後輩を使って吹き込ませたり、自分の手を汚さず嫌がらせをしてきました。初めは耐えていましたが、ある日、車の窓ガラスが割られていたんです。私はさらなる報復が嫌だったので、公にしたくなかったのですが、友人の口添えで警察に通報することになりました。窓ガラスを割られたことで警察は事件として動いてくれましたが、私たちは夫との接触を避けるために、DV被害者を一時的に避難させる民間シェルターへの入居を勧められました。悪いことをしていないのに、なぜ私たちが逃げなければならないのだろう……と思いましたね」

 裕子さんと子どもたちは、6畳ほどのシェルターに1カ月ほど暮らした。警察沙汰になったことで嫌がらせはなくなり、その後、離婚が成立した。現在はパート勤めの傍ら、DV防止相談員になるための勉強をしているという。仕事と子育てに奮闘する日々だが、ひとつ気がかりなことがあるそうだ。

「次女だけが『パパと暮らしたい』と言いました。私も3人の子ども全員を引き取る金銭的余裕がなかったので、泣く泣く親権を譲りました。警察からは『子どもから情報が漏れて、また嫌がらせをされる恐れがあるので、引き取られた子どもと連絡を取らないでください』と言われました。今すぐにでなくても、もう少し大きくなってから会うことはできると、諭されました。DV問題が解決しても、今まで通りの生活はできず、泣き寝入りしなければならないこともあります。現実は、ドラマのように簡単にはいきませんね」
(カワノアユミ)

『奥様は、取り扱い注意』より厳しいDVの現実! 「支配しようとする夫」に苦しんだ主婦の告白

 綾瀬はるか主演の連続ドラマ『奥様は、取り扱い注意』(日本テレビ系)。綾瀬演じる主人公・伊佐山菜美は、特殊工作員という過去を持つ専業主婦。そんな菜美が、新婚生活のために引っ越してきたセレブ住宅街に暮らす、主婦友の大原優里(広末涼子)や佐藤京子(本田翼)とともに、主婦の間で起きるさまざまなトラブルを解決していくストーリーだ。第1話は、3人と料理教室で出会った水上知花(倉科カナ)が、夫からDVを受けていることを知って助ける、という展開だった。

 ドラマのように夫のDVに悩まされた主婦、裕子さん(仮名・34歳)が、自身の経験を話してくれた。現在は、2人の子どもと暮らすシングルマザーだ。

「社会人1年目の時、先輩に連れていってもらったバーで夫に声を掛けられました。初めの印象はハキハキしていて仕事ができそうなタイプ。その日は連絡先を交換して別れましたが、翌日から毎日連絡が来るようになったのです」

 第一印象は良かったが、毎日来る連絡にだんだん嫌気が差し、裕子さんは徐々に夫を遠ざけるようになった。しかし、その後、思いもよらないきっかけで交際に発展する。

「連絡を無視してしばらくした頃、夫から『母親がくも膜下出血で倒れた』というメールが来ました。『頼むから、今日だけはそばにいてほしい』とひどく落ちこむ様子に、同情してしまいました。そこから会う回数がズルズルと増えてゆき、交際することになりました」

 後に「この時の同情が失敗だった」と裕子さんは思ったという。それは夫の「人を支配したい」性格が原因だった。

「夫は誰に対しても『自分のほうが立場が上』でありたい性格でした。会社の中でもリーダー格で、社内で問題が起きたらすぐに間に入って解決したがる、とにかく口がうまい人でした。交際中、私は常に見下されていました。『お前はラクなOLでいいよな』『俺は会社を背負う人間だから、お前みたいなしょうもない仕事とは違う』など、嫌味を言われることはしょっちゅう。腹を立てて言い返しても、私が次に言うことを見透かして、必ず言い負かしてきます。口げんかで勝てたことは一度もありません」

 夫の性格にうんざりし、別れを告げようとした時、裕子さんの妊娠が発覚した。

「妊娠も、私を逃げられなくするための夫の計算だったと思います。夫は私を自分の支配下に置こうと、入籍後はさまざまな制約を課してきました。外出時は必ず連絡を入れる、友人との交流禁止、SNS禁止、美容院やマッサージでは女性の美容師やセラピストを指名すること、夫の前以外でのスカートの着用は禁止など……。反抗すると、今度は暴力を振るうようになりました。おなかには子どもがいるので、もし流産でもしたら、私に逃げられると思ったんでしょう。平手打ちや髪の毛を引っ張るなど、おなかは避けて体に痕が残らない方法でDVが始まりました」

 肉体的にも精神的にも、裕子さんは追い詰められていった。さらに裕子さんを家に置いておくために、夫の束縛はエスカレートしてゆく。

「1人目の子育てが落ち着くと、2人目、3人目……と、次々に子どもを作らされました。しまいには、くも膜下出血で倒れた義母の面倒まで命じられ、私の自由は一切奪われました。それでも離婚しなかったのは、夫が子煩悩だったからです。夫は、子どもの前では良い父親を演じていましたから。子どもたちも父親のことが大好きでしたので、他人から見れば裕福で幸せな家族にしか見えなかったと思います」

 しかし、ついに裕子さんに離婚を決意させる事件が起きた。

「夫の浮気が発覚したんです。夫は『遊びだ』と言い張りましたが、問い詰めると逆切れされて、暴言を吐かれました。『誰がお前を食わせてやってると思ってるんだ』『ロクに働いたこともないお前に、子どもの面倒が見られるのか』と……。私は社会人になってすぐ結婚したので、離婚したら子どもたちを育てていけません。夫は、それをわかって言ってきました。それでも夫の女遊びは止まらず、ついに限界が来た私は、別居を申し出たのです」

 夫は反対したが、それを押し切り、子どもを連れて実家に戻った。ところが、別居中も、夫からの嫌がらせは続いた。

DVinterview2

「1日に何十回も電話してきたり、近所の住民に私や子どもの悪口を、後輩を使って吹き込ませたり、自分の手を汚さず嫌がらせをしてきました。初めは耐えていましたが、ある日、車の窓ガラスが割られていたんです。私はさらなる報復が嫌だったので、公にしたくなかったのですが、友人の口添えで警察に通報することになりました。窓ガラスを割られたことで警察は事件として動いてくれましたが、私たちは夫との接触を避けるために、DV被害者を一時的に避難させる民間シェルターへの入居を勧められました。悪いことをしていないのに、なぜ私たちが逃げなければならないのだろう……と思いましたね」

 裕子さんと子どもたちは、6畳ほどのシェルターに1カ月ほど暮らした。警察沙汰になったことで嫌がらせはなくなり、その後、離婚が成立した。現在はパート勤めの傍ら、DV防止相談員になるための勉強をしているという。仕事と子育てに奮闘する日々だが、ひとつ気がかりなことがあるそうだ。

「次女だけが『パパと暮らしたい』と言いました。私も3人の子ども全員を引き取る金銭的余裕がなかったので、泣く泣く親権を譲りました。警察からは『子どもから情報が漏れて、また嫌がらせをされる恐れがあるので、引き取られた子どもと連絡を取らないでください』と言われました。今すぐにでなくても、もう少し大きくなってから会うことはできると、諭されました。DV問題が解決しても、今まで通りの生活はできず、泣き寝入りしなければならないこともあります。現実は、ドラマのように簡単にはいきませんね」
(カワノアユミ)

宗教にハマッたイギリス人の夫が暴行、臨月間際で馬乗りに……【別れた夫にわが子を会わせる?】

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第8回 田中千恵美さん(仮名・30代)前編

 クリニックに勤務する田中千恵美さんは30代。7歳と4歳という2人の女の子を、両親のバックアップを得ながら育てている。外国人の夫とは一緒に暮らしていない。夫とはどこで出会い、なぜ結婚し、そして別れてしまったのか?

■宗教にハマっている英会話講師の誠実さに惹かれ

「別居している夫は、イギリス出身の白人です。年は私と同じぐらい。職業は英会話学校のバイト講師です。彼とは日本で、友達のツテで知り合いました。10年ほど前のことだから、20代後半の頃。私自身、留学したことがあって英語が話せるので、出会ったときから意思疎通にはまったく問題がなかったです。友人として彼と付き合うようになってわかったのは、ナチュラル系といいますか、“健全なヒッピー”という感じの人だということ。お酒は飲まないし、タバコも吸わない。カルトというほどではないですけど宗教にハマっていて、バイブルのようなモノを熱心に読んだり、瞑想にふけったりしているんです」

 彼女はなぜ、そんな変わった外国人とお付き合いすることになったのだろうか?

「彼には、相談できるような友人がいなかった。異国で1人きりって大変じゃないですか。だから、かわいそうだと思って、何かと気にかけてあげていたんです。すると彼に熱烈に好かれてしまい、交際を申し込まれました。私には、そのとき恋愛感情はありませんでしたから、『真剣にお付き合いしたいんだったら、その証拠を見せてほしい』って無理難題を彼に言ってみたんです」

 すると、彼は「見せたいものがある」と言って、数日後、田中さんの前に現れた。

「血液検査の結果を持ってきたんです。性病はもちろん、ほかの病気もシロ。ロマンティックさのかけらもないですよね。だけど、むしろそこがよかった。彼のまっすぐな行動に胸を打たれまして、信頼感といいますか、はっきり言うと、恋愛感情を持つようになったんです。それ以来、彼と真剣に交際するようになりました」

 田中さんは彼と同居を始める。資産家の両親に買ってもらい、彼女が一人住まいをしていたマンション。そこに彼が転がり込んできた。

「同居して思ったのは、彼がとても誠実で真面目な人だということ。家事は積極的にやってくれますし、きちょうめん。それでいてメンタルが弱い一面もありました。イライラしてパニックになったり、物に当たったり。ときには自分の腕をナイフで切ったりするんです」

――彼のメンタルの弱さは、どこからきていたのでしょうか?

「生い立ちに一因があるのかもしれません。彼はイギリスの田舎町出身なんです。住んでいるのは白人ばかり。外部の人が入ってきたら警戒するという、保守的で閉鎖的な土地柄なんです。父親は元軍人。冷戦の時代に、国内外の基地を転々としていたらしいです。一時期、アルコール依存症で、彼は父親からよく暴力を振るわれていたそうです。向こうの両親によると、小さい頃、ちょっと難しい子だったようですし、高校時代はいじめられていたそうです。実際、彼本人から『ずっと自殺願望があった』と聞いています。

 その後、彼は2000年ぐらいに来日します。生きづらさを克服するために、世界中のあらゆる宗教に興味を持つようになったそうで、そのひとつが仏教だったんです。そこから、東洋の文化、そして日本という国へと興味が広がっていったのだとか」

――同棲から結婚に至ったきっかけは何でしたか?

「夜の営みのとき、宗教上の理由なのか、避妊具の装着を毎回拒否されました。そうして回を重ねているうちに、自然と子どもがデキてしまったんです。妊娠がわかったとき、そのまま子どもを産むかどうか、頭を抱えました。仕事でキャリアを積んでいきたいって思っていたからです。それですぐ、妊娠したことを彼に伝えると、彼はたちまち血相を変えて言うんです。『千恵美とおなかの子どもを殺して、俺も死ぬ!』って。私、まだ別に堕ろすとは言っていないのにですよ。

 怖くなったり、嫌いになったりしなかったのかって? それはないです。むしろ、その真剣さに惚れ直しました。生まれてくる子どもに、それだけ愛情を注いでくれているんだって、わかりましたから。それで私、産む決心がついたんです」

 その後、2人の人生は急展開していく。

「出産より先に、結婚式を行いました。式場や日取りを決めたり、彼の両親をイギリスから呼んだり。身重なのに、大急ぎで準備して大変でした。

 その後、入籍して、晴れて夫婦となったんですが、前途は多難でした。彼がそれまで勤めていた英会話学校を辞めたり、別の学校に移籍したりと、仕事が不安定だったんです。しかも、そこにうちの両親が介入してきて、『もっと待遇のいいところに勤めなさい』って、やぶから棒にわざわざ言うんですよ。私を心配するがゆえの行動なんでしょうけど、正直、迷惑でした。

 おかげで、彼が精神的にきつい状態になってしまって、マンションの壁を殴ったり蹴ったり、ナイフで冷蔵庫に傷をつけたりと、物に当たり始めたんです。そして、ついに私に危害を及ぼすようになりました」

――実際、どんな被害に遭ったのですか?

「拳で私の頭をぽかぽか殴ったり、腕や足を蹴ってきたり。そうして散々暴力を振るった後に、ふっと我に返って『ごめんね、ごめんね。そんなつもりじゃなくて』って、誠意を込めて謝ってくるんです。だけど、顔は絶対に狙ってこなかった。周囲にバレるのを恐れていたようです。ずるいですよね。殴るきっかけは、だいたいは私の発言です。『もう別れたい』って私が言った後、決まって手を出されましたから。私のことが好きすぎるんですよ」

 田中さんの被害は、暴力に限らなかった。

「臨月に近い頃でしょうか。彼が馬乗りになって腕を殴ってきた後、服を全部脱がされて、変な話……犯されたのです。夫婦間でおかしな話ですが、その時は一方的で恐怖を感じました。そのとき警察には行ってないです。他人には言い出せないという気持ちと、そのような形でしか表現できない彼を救ってあげたいという気持ちで、いっぱいだったんです」

 田中さんは嫌がる彼を説得して、精神科のある病院に半ば無理やり、連れて行った。

「医師は心が落ち着く、軽い精神薬の処方箋を出してくれました。本当はもっと強い薬を出したかったようですが、西洋医学を信用しない彼が、断固拒否したんです。それでも、その薬もかなり効きまして、彼の精神状態は次第に安定していきました」

 ようやく平静を取り戻した田中さん夫婦。千恵美さんはその後、無事に出産、娘と親子3人で暮らし始めた。

「彼はとても献身的に、育児に励んでくれました。私の代わりに徹夜でミルクをあげて、私を寝かしてくれたりね。このまま穏やかに過ごしていけるのかと期待しましたが、長続きしませんでした。実は彼、処方されていた薬を勝手に中断しちゃってたんですね」

 1年後、我慢の限界が訪れる。

「子どもが1歳になった頃、彼がナイフを振り回したんです。子どもに危害が加わらないようにって思って、とっさに子どもに覆いかぶさりました。幸い、ナイフで刺されることはなかったんですけど、背中を拳やナイフの柄みたいなものでボコボコに殴られたんです。

 なんとかスキを見つけて、友人に電話をしました。すると友人からの通報を受けた警察が、うちまで駆けつけてくれたんです。その後、彼と私は別々のパトカーに乗せられて警察署まで行って、別々に事情聴取を受けました」

 警察で田中さんは、事件の概要を一通り話した。

「その後、警察官に言われました。『あなた、子どもと一緒に、シェルターに逃げたほうがいいよ。旦那は傷害罪でお縄にして、母国に返したほうがいい』って。でも、子どもにとっては血を分けた実の親ですからね。自分の父親が犯罪者だってわかったら、子どもがかわいそうじゃないですか。暴力っていっても頻繁にあるわけではなくて、3カ月に1回ほどのことですし。それに私、やっぱり彼のことが好きでしたし。だから、警察に『立件しないでほしい』ってお願いしたんです」

――では、すぐに同居を再開したのですか?

「いえいえ。それはさすがにないです。かといって、マンションは私の名義ですからね。明け渡すつもりはありませんでした。そこで、警察に協力してもらって、彼に退去を言い渡してもらったんです。すると彼はおとなしく従って、近くにある友人の家に、居候として引っ越していきました」

(後編へつづく)

宗教にハマッたイギリス人の夫が暴行、臨月間際で馬乗りに……【別れた夫にわが子を会わせる?】

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第8回 田中千恵美さん(仮名・30代)前編

 クリニックに勤務する田中千恵美さんは30代。7歳と4歳という2人の女の子を、両親のバックアップを得ながら育てている。外国人の夫とは一緒に暮らしていない。夫とはどこで出会い、なぜ結婚し、そして別れてしまったのか?

■宗教にハマっている英会話講師の誠実さに惹かれ

「別居している夫は、イギリス出身の白人です。年は私と同じぐらい。職業は英会話学校のバイト講師です。彼とは日本で、友達のツテで知り合いました。10年ほど前のことだから、20代後半の頃。私自身、留学したことがあって英語が話せるので、出会ったときから意思疎通にはまったく問題がなかったです。友人として彼と付き合うようになってわかったのは、ナチュラル系といいますか、“健全なヒッピー”という感じの人だということ。お酒は飲まないし、タバコも吸わない。カルトというほどではないですけど宗教にハマっていて、バイブルのようなモノを熱心に読んだり、瞑想にふけったりしているんです」

 彼女はなぜ、そんな変わった外国人とお付き合いすることになったのだろうか?

「彼には、相談できるような友人がいなかった。異国で1人きりって大変じゃないですか。だから、かわいそうだと思って、何かと気にかけてあげていたんです。すると彼に熱烈に好かれてしまい、交際を申し込まれました。私には、そのとき恋愛感情はありませんでしたから、『真剣にお付き合いしたいんだったら、その証拠を見せてほしい』って無理難題を彼に言ってみたんです」

 すると、彼は「見せたいものがある」と言って、数日後、田中さんの前に現れた。

「血液検査の結果を持ってきたんです。性病はもちろん、ほかの病気もシロ。ロマンティックさのかけらもないですよね。だけど、むしろそこがよかった。彼のまっすぐな行動に胸を打たれまして、信頼感といいますか、はっきり言うと、恋愛感情を持つようになったんです。それ以来、彼と真剣に交際するようになりました」

 田中さんは彼と同居を始める。資産家の両親に買ってもらい、彼女が一人住まいをしていたマンション。そこに彼が転がり込んできた。

「同居して思ったのは、彼がとても誠実で真面目な人だということ。家事は積極的にやってくれますし、きちょうめん。それでいてメンタルが弱い一面もありました。イライラしてパニックになったり、物に当たったり。ときには自分の腕をナイフで切ったりするんです」

――彼のメンタルの弱さは、どこからきていたのでしょうか?

「生い立ちに一因があるのかもしれません。彼はイギリスの田舎町出身なんです。住んでいるのは白人ばかり。外部の人が入ってきたら警戒するという、保守的で閉鎖的な土地柄なんです。父親は元軍人。冷戦の時代に、国内外の基地を転々としていたらしいです。一時期、アルコール依存症で、彼は父親からよく暴力を振るわれていたそうです。向こうの両親によると、小さい頃、ちょっと難しい子だったようですし、高校時代はいじめられていたそうです。実際、彼本人から『ずっと自殺願望があった』と聞いています。

 その後、彼は2000年ぐらいに来日します。生きづらさを克服するために、世界中のあらゆる宗教に興味を持つようになったそうで、そのひとつが仏教だったんです。そこから、東洋の文化、そして日本という国へと興味が広がっていったのだとか」

――同棲から結婚に至ったきっかけは何でしたか?

「夜の営みのとき、宗教上の理由なのか、避妊具の装着を毎回拒否されました。そうして回を重ねているうちに、自然と子どもがデキてしまったんです。妊娠がわかったとき、そのまま子どもを産むかどうか、頭を抱えました。仕事でキャリアを積んでいきたいって思っていたからです。それですぐ、妊娠したことを彼に伝えると、彼はたちまち血相を変えて言うんです。『千恵美とおなかの子どもを殺して、俺も死ぬ!』って。私、まだ別に堕ろすとは言っていないのにですよ。

 怖くなったり、嫌いになったりしなかったのかって? それはないです。むしろ、その真剣さに惚れ直しました。生まれてくる子どもに、それだけ愛情を注いでくれているんだって、わかりましたから。それで私、産む決心がついたんです」

 その後、2人の人生は急展開していく。

「出産より先に、結婚式を行いました。式場や日取りを決めたり、彼の両親をイギリスから呼んだり。身重なのに、大急ぎで準備して大変でした。

 その後、入籍して、晴れて夫婦となったんですが、前途は多難でした。彼がそれまで勤めていた英会話学校を辞めたり、別の学校に移籍したりと、仕事が不安定だったんです。しかも、そこにうちの両親が介入してきて、『もっと待遇のいいところに勤めなさい』って、やぶから棒にわざわざ言うんですよ。私を心配するがゆえの行動なんでしょうけど、正直、迷惑でした。

 おかげで、彼が精神的にきつい状態になってしまって、マンションの壁を殴ったり蹴ったり、ナイフで冷蔵庫に傷をつけたりと、物に当たり始めたんです。そして、ついに私に危害を及ぼすようになりました」

――実際、どんな被害に遭ったのですか?

「拳で私の頭をぽかぽか殴ったり、腕や足を蹴ってきたり。そうして散々暴力を振るった後に、ふっと我に返って『ごめんね、ごめんね。そんなつもりじゃなくて』って、誠意を込めて謝ってくるんです。だけど、顔は絶対に狙ってこなかった。周囲にバレるのを恐れていたようです。ずるいですよね。殴るきっかけは、だいたいは私の発言です。『もう別れたい』って私が言った後、決まって手を出されましたから。私のことが好きすぎるんですよ」

 田中さんの被害は、暴力に限らなかった。

「臨月に近い頃でしょうか。彼が馬乗りになって腕を殴ってきた後、服を全部脱がされて、変な話……犯されたのです。夫婦間でおかしな話ですが、その時は一方的で恐怖を感じました。そのとき警察には行ってないです。他人には言い出せないという気持ちと、そのような形でしか表現できない彼を救ってあげたいという気持ちで、いっぱいだったんです」

 田中さんは嫌がる彼を説得して、精神科のある病院に半ば無理やり、連れて行った。

「医師は心が落ち着く、軽い精神薬の処方箋を出してくれました。本当はもっと強い薬を出したかったようですが、西洋医学を信用しない彼が、断固拒否したんです。それでも、その薬もかなり効きまして、彼の精神状態は次第に安定していきました」

 ようやく平静を取り戻した田中さん夫婦。千恵美さんはその後、無事に出産、娘と親子3人で暮らし始めた。

「彼はとても献身的に、育児に励んでくれました。私の代わりに徹夜でミルクをあげて、私を寝かしてくれたりね。このまま穏やかに過ごしていけるのかと期待しましたが、長続きしませんでした。実は彼、処方されていた薬を勝手に中断しちゃってたんですね」

 1年後、我慢の限界が訪れる。

「子どもが1歳になった頃、彼がナイフを振り回したんです。子どもに危害が加わらないようにって思って、とっさに子どもに覆いかぶさりました。幸い、ナイフで刺されることはなかったんですけど、背中を拳やナイフの柄みたいなものでボコボコに殴られたんです。

 なんとかスキを見つけて、友人に電話をしました。すると友人からの通報を受けた警察が、うちまで駆けつけてくれたんです。その後、彼と私は別々のパトカーに乗せられて警察署まで行って、別々に事情聴取を受けました」

 警察で田中さんは、事件の概要を一通り話した。

「その後、警察官に言われました。『あなた、子どもと一緒に、シェルターに逃げたほうがいいよ。旦那は傷害罪でお縄にして、母国に返したほうがいい』って。でも、子どもにとっては血を分けた実の親ですからね。自分の父親が犯罪者だってわかったら、子どもがかわいそうじゃないですか。暴力っていっても頻繁にあるわけではなくて、3カ月に1回ほどのことですし。それに私、やっぱり彼のことが好きでしたし。だから、警察に『立件しないでほしい』ってお願いしたんです」

――では、すぐに同居を再開したのですか?

「いえいえ。それはさすがにないです。かといって、マンションは私の名義ですからね。明け渡すつもりはありませんでした。そこで、警察に協力してもらって、彼に退去を言い渡してもらったんです。すると彼はおとなしく従って、近くにある友人の家に、居候として引っ越していきました」

(後編へつづく)

DV夫とは関わりたくない。でも、子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できる「別れた夫にわが子を会わせる?」

OLYMPUS DIGITAL CAMERAわが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)後編

 倉橋まりさんは、学生時代に知り合った男性と就職後に結婚。仕事は続け、出産後も職場に復帰して、子育てしながら働き続けていた。結婚生活の初期から、DVの兆候があったものの、最初は我慢していたという倉橋さんだったが、たびたび殴られるようになり、夫の浮気発覚を機に離婚を決意。夫の留守中に家を飛び出し、シェルターへ逃げた。

(前編はこちら)

■シェルターでの生活

 倉橋さんが逃げ込んだシェルターとは、いったいどんなところだったのか?

「行政が一時保護を委託している民間シェルターで、外観は、鉄筋コンクリートのきれいな建物でした。三食つき、室内に風呂やトイレ、テレビが備わっていました。殴られたり、追いかけられたりする心配は当分ありません。かといって、シェルターでの生活が楽かというと、むしろその逆でした。なんといっても、人間的な生活ができないことがつらいんです。

 あてがわれた部屋は、壁紙にしろ、寝具のシーツにしろ、ボロボロでした。まともな机すらありませんし、スマホは使えません。居場所漏洩防止のため、警察を出発するときに電源を切られ、シェルターに着いたときに没収されたからです。おまけにパソコンやWIFIルーターも没収されていました。そんな状態ですから、文書を作成したり、調べ物をしたりすることができず、テレビを見るか、寝るぐらいしか、することがありませんでした。

 無料なので文句は言えないですけれど、食事もよくなかった。あまりおいしくなかったし、食器が粗末なんです。精神を病んでいる人や小さな子もいるので仕方ないのかもしれませんが、おままごとのような粗末なプラスチックのものを使わされました。

 そんな生活でも、大人である私は我慢できますが、かわいそうなのは私についてきた子どもたちです。友達に挨拶すらできないまま、突然、お別れすることになったわけです。シェルターには勉強を教えてくれる先生代わりのお兄さんがやってきましたが、それまで通っていた学校には、もはや通えないのです。それに、食べ物も、私が作った体に良いご飯を食べさせたくて仕方ありませんでしたが、それもできませんでした」

 シェルターの生活に耐えかねた倉橋さんは、ほかに落ち着き先を探すことを決意する。

「私はシェルターのスタッフに『引っ越し先を探したいから、パソコンとWIFIルーターを返してください』とお願いしました。その結果、1週間ほどでシェルターを出させてもらえることになったのです。そして、そのまま引っ越し先に考えていた土地へ移動し、安いホテルに子どもたちと滞在し、そこで家が見つかるまで過ごしました。

 私たちのように1週間で退所するというのは、特例の措置のようでした。通常、裁判所から保護命令(DV加害者が被害者へ近づくことを禁止する命令)が出るまでシェルターで過ごすので、2週間くらいは出られないそうですから。私はシェルターでの生活がこたえたのか、ホテルに着いてすぐ、熱を出して寝込みました。気合で1日で治しましたが、体重は激減していました。

 現地では、すぐに市役所に連絡し、経緯を説明して、いろいろと相談に乗っていただきました。こんなときに頼りになるのは、やっぱり役所ですよね。

 仕事の面接なども並行してやっていたんですが、ノマドワーカーは大変ですね。履歴書ひとつ送るのも大仕事です。スーツもメイク道具もなかったですし。そんなこんなで、やっとこさ、アパートを契約しました。預金が300万円ある証明書を銀行からとれれば、無職でも契約できるというD社(建設会社を兼ねる賃貸大手)で決めたのです。前に住んでいたアパートは両親に鍵を開けてもらい、引っ越しの見積もりと立ち会いも両親に頼みました。予想外に高い引っ越し料金でしたが、仕方がありませんでした」

■長びく係争

 一方、別離を突きつけられた夫はその後、どういった行動に出たのだろうか?

「私と子どもが家を出るとすぐ、夫は財産隠しを始めました。カードの盗難届を出して、私が持っているカード類を使えないようにしたんです。そうやって私や子どもたちを兵糧攻めにする一方、自分は贅沢をして遊んでいたそうです。とにかく家に戻ってきてほしかったということなんでしょう。

 そんな夫に対し、私は離婚調停と婚姻費用調停(別居中の生活費を分担するための調停)を起こしたのです。復縁する気は、まったくありませんでしたから。早く関係を清算したかった。すると夫は夫で、面会交流調停を起こしてきました。夫はずっと『子どもに会わせろ』の一点張り。それしか自分に主張できることがなかったせいもあると思います。

 調停は1カ月に1回くらいでしょうか。居所がバレては困るので、会わせるのは無理だと思っていましたし、子どもも夫と会うことを嫌がっていました。しかし裁判所は長い期間会わせていないという、調停の記録しか参考にしないですからね。子どもが嫌がっているというこちらの意見は完全にスルーで、意味がありませんでした。調停にしろ、後の審判にしろ、会わせなければいけない雰囲気でした。

 調停を重ねるうちに、私のほうも少しは折れることも必要かなと思うようになりました。調停を始めて3回目くらいのときでしたか。『調査官立ち会いの下でなら会わせます』と言ったんです。家に帰ってそのことを子どもに伝えたら、大ブーイングでしたけどね。それでも、『もう決まってしまったから』と子どもたちを無理やり次の調停に連れていき、別れてから初めて、子どもを夫に会わせました。

 調査官は面会の様子を見て和やかだと思ったようですが、子どもたちの心は別のところにありました。内心、夫に気を使っていて、『触られるのも嫌だったけど断れず、つらかった』と後から言われました。調査官は、そんな子どもたちの本心を見抜けていませんでした。これが、後の審判に影響することになり、大きな失敗でした。

 夫のほうは一貫して『毎月、面会交流をさせろ』と主張していました。それに対し私は『年3回(春休み、夏休み、冬休み)なら、なんとかできると思う』と答えました。しかしこれも失敗でした。実際には、夏休みと冬休みは子どもが忙しくて難しい。遠いので宿泊も必要なんですが、その時期は宿も取りにくい。でも、このときの調停の記録が審判にも影響してしまい、後に年3回の面会ということで審判が出てしまいました」

 面会交流が決定したことがきっかけで、夫から、何らかの支払いが行われるようになったのだろうか?

「夫からの婚姻費用は、一向に支払われる様子がありませんでした。しかしそれでも、私は2度目の面会交流に応じました。この面会交流では、弁護士が見つけてくれたDVに詳しい交流支援業者に立ち会ってもらい、子どもたちを守っていただきました。

 私が面会に応じたのは、『北風と太陽』(イソップ寓話)の太陽と同じです。夫を喜ばせることで、夫も譲歩してくるんじゃないかと思ったんです。事実、会わせることで、態度は軟化しましたね。『子どもに会えてうれしいので、婚姻費用を振り込みます』と言って、結局は振り込んでくれましたから。

 問題は子どもの気持ちです。子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できるので、母親が夫を嫌っているというだけの理由で夫に子どもを会わせないというのは、私もひどいと思います。だから私も、子どもたちを説得しようとしているんですが、子どもたちが父親を嫌がっているんですよね……。そんなわけで、3度目の面会は実現していないんです。

 調停の申し立てをしてから2年近く。今月、ようやく離婚が成立しました。安月給ですが、お金には困っていません。婚姻費用と慰謝料も入りましたし、貯えもありますから。それにしても、夫がいない生活は、自由でとても楽しいものですね!

 今後、夫とは金輪際、関わりたくないです。見つかったら、何をされるかわかりませんからね。連絡は弁護士を通じてのみです。そんなわけですので、面会交流は、やらないで済むならしたくないです。そのほうが、私も子どもたちも平穏な日々を送れますから」

西牟田 靖(にしむた やすし
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

DV夫とは関わりたくない。でも、子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できる「別れた夫にわが子を会わせる?」

OLYMPUS DIGITAL CAMERAわが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)後編

 倉橋まりさんは、学生時代に知り合った男性と就職後に結婚。仕事は続け、出産後も職場に復帰して、子育てしながら働き続けていた。結婚生活の初期から、DVの兆候があったものの、最初は我慢していたという倉橋さんだったが、たびたび殴られるようになり、夫の浮気発覚を機に離婚を決意。夫の留守中に家を飛び出し、シェルターへ逃げた。

(前編はこちら)

■シェルターでの生活

 倉橋さんが逃げ込んだシェルターとは、いったいどんなところだったのか?

「行政が一時保護を委託している民間シェルターで、外観は、鉄筋コンクリートのきれいな建物でした。三食つき、室内に風呂やトイレ、テレビが備わっていました。殴られたり、追いかけられたりする心配は当分ありません。かといって、シェルターでの生活が楽かというと、むしろその逆でした。なんといっても、人間的な生活ができないことがつらいんです。

 あてがわれた部屋は、壁紙にしろ、寝具のシーツにしろ、ボロボロでした。まともな机すらありませんし、スマホは使えません。居場所漏洩防止のため、警察を出発するときに電源を切られ、シェルターに着いたときに没収されたからです。おまけにパソコンやWIFIルーターも没収されていました。そんな状態ですから、文書を作成したり、調べ物をしたりすることができず、テレビを見るか、寝るぐらいしか、することがありませんでした。

 無料なので文句は言えないですけれど、食事もよくなかった。あまりおいしくなかったし、食器が粗末なんです。精神を病んでいる人や小さな子もいるので仕方ないのかもしれませんが、おままごとのような粗末なプラスチックのものを使わされました。

 そんな生活でも、大人である私は我慢できますが、かわいそうなのは私についてきた子どもたちです。友達に挨拶すらできないまま、突然、お別れすることになったわけです。シェルターには勉強を教えてくれる先生代わりのお兄さんがやってきましたが、それまで通っていた学校には、もはや通えないのです。それに、食べ物も、私が作った体に良いご飯を食べさせたくて仕方ありませんでしたが、それもできませんでした」

 シェルターの生活に耐えかねた倉橋さんは、ほかに落ち着き先を探すことを決意する。

「私はシェルターのスタッフに『引っ越し先を探したいから、パソコンとWIFIルーターを返してください』とお願いしました。その結果、1週間ほどでシェルターを出させてもらえることになったのです。そして、そのまま引っ越し先に考えていた土地へ移動し、安いホテルに子どもたちと滞在し、そこで家が見つかるまで過ごしました。

 私たちのように1週間で退所するというのは、特例の措置のようでした。通常、裁判所から保護命令(DV加害者が被害者へ近づくことを禁止する命令)が出るまでシェルターで過ごすので、2週間くらいは出られないそうですから。私はシェルターでの生活がこたえたのか、ホテルに着いてすぐ、熱を出して寝込みました。気合で1日で治しましたが、体重は激減していました。

 現地では、すぐに市役所に連絡し、経緯を説明して、いろいろと相談に乗っていただきました。こんなときに頼りになるのは、やっぱり役所ですよね。

 仕事の面接なども並行してやっていたんですが、ノマドワーカーは大変ですね。履歴書ひとつ送るのも大仕事です。スーツもメイク道具もなかったですし。そんなこんなで、やっとこさ、アパートを契約しました。預金が300万円ある証明書を銀行からとれれば、無職でも契約できるというD社(建設会社を兼ねる賃貸大手)で決めたのです。前に住んでいたアパートは両親に鍵を開けてもらい、引っ越しの見積もりと立ち会いも両親に頼みました。予想外に高い引っ越し料金でしたが、仕方がありませんでした」

■長びく係争

 一方、別離を突きつけられた夫はその後、どういった行動に出たのだろうか?

「私と子どもが家を出るとすぐ、夫は財産隠しを始めました。カードの盗難届を出して、私が持っているカード類を使えないようにしたんです。そうやって私や子どもたちを兵糧攻めにする一方、自分は贅沢をして遊んでいたそうです。とにかく家に戻ってきてほしかったということなんでしょう。

 そんな夫に対し、私は離婚調停と婚姻費用調停(別居中の生活費を分担するための調停)を起こしたのです。復縁する気は、まったくありませんでしたから。早く関係を清算したかった。すると夫は夫で、面会交流調停を起こしてきました。夫はずっと『子どもに会わせろ』の一点張り。それしか自分に主張できることがなかったせいもあると思います。

 調停は1カ月に1回くらいでしょうか。居所がバレては困るので、会わせるのは無理だと思っていましたし、子どもも夫と会うことを嫌がっていました。しかし裁判所は長い期間会わせていないという、調停の記録しか参考にしないですからね。子どもが嫌がっているというこちらの意見は完全にスルーで、意味がありませんでした。調停にしろ、後の審判にしろ、会わせなければいけない雰囲気でした。

 調停を重ねるうちに、私のほうも少しは折れることも必要かなと思うようになりました。調停を始めて3回目くらいのときでしたか。『調査官立ち会いの下でなら会わせます』と言ったんです。家に帰ってそのことを子どもに伝えたら、大ブーイングでしたけどね。それでも、『もう決まってしまったから』と子どもたちを無理やり次の調停に連れていき、別れてから初めて、子どもを夫に会わせました。

 調査官は面会の様子を見て和やかだと思ったようですが、子どもたちの心は別のところにありました。内心、夫に気を使っていて、『触られるのも嫌だったけど断れず、つらかった』と後から言われました。調査官は、そんな子どもたちの本心を見抜けていませんでした。これが、後の審判に影響することになり、大きな失敗でした。

 夫のほうは一貫して『毎月、面会交流をさせろ』と主張していました。それに対し私は『年3回(春休み、夏休み、冬休み)なら、なんとかできると思う』と答えました。しかしこれも失敗でした。実際には、夏休みと冬休みは子どもが忙しくて難しい。遠いので宿泊も必要なんですが、その時期は宿も取りにくい。でも、このときの調停の記録が審判にも影響してしまい、後に年3回の面会ということで審判が出てしまいました」

 面会交流が決定したことがきっかけで、夫から、何らかの支払いが行われるようになったのだろうか?

「夫からの婚姻費用は、一向に支払われる様子がありませんでした。しかしそれでも、私は2度目の面会交流に応じました。この面会交流では、弁護士が見つけてくれたDVに詳しい交流支援業者に立ち会ってもらい、子どもたちを守っていただきました。

 私が面会に応じたのは、『北風と太陽』(イソップ寓話)の太陽と同じです。夫を喜ばせることで、夫も譲歩してくるんじゃないかと思ったんです。事実、会わせることで、態度は軟化しましたね。『子どもに会えてうれしいので、婚姻費用を振り込みます』と言って、結局は振り込んでくれましたから。

 問題は子どもの気持ちです。子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できるので、母親が夫を嫌っているというだけの理由で夫に子どもを会わせないというのは、私もひどいと思います。だから私も、子どもたちを説得しようとしているんですが、子どもたちが父親を嫌がっているんですよね……。そんなわけで、3度目の面会は実現していないんです。

 調停の申し立てをしてから2年近く。今月、ようやく離婚が成立しました。安月給ですが、お金には困っていません。婚姻費用と慰謝料も入りましたし、貯えもありますから。それにしても、夫がいない生活は、自由でとても楽しいものですね!

 今後、夫とは金輪際、関わりたくないです。見つかったら、何をされるかわかりませんからね。連絡は弁護士を通じてのみです。そんなわけですので、面会交流は、やらないで済むならしたくないです。そのほうが、私も子どもたちも平穏な日々を送れますから」

西牟田 靖(にしむた やすし
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。