『ミヤネ屋』が暴露! 今年、結婚確実な大物芸能人は“あの2組”だ!!

 今年中に結婚する確率は100%!? 1月9日に放送された情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、スポーツ紙記者が2018年に結婚する芸能人をイニシャルで発表し、ネット上では“予想祭り”となっている。

 まずは人気俳優MとモデルAの名前が挙がると、MCの宮根誠司も「これは、もうみなさんおわかりですよね?」と得意気に割って入り、Aの文字を指さして「初場所、始まるやん! お父さんすごい人やん!」と口を滑らせた。

「相撲という大ヒントが出たことで、モデルAは故・九重親方(元横綱・千代の富士)の娘である秋元梢、そして人気俳優Mは、交際がウワサされている松田翔太で決まりでしょう。2人は、すでに家族公認の仲で、九重親方の一周忌が過ぎた7月以降に結婚するのでは? と目されています」(芸能記者)

 さらに番組では「人気女優Mと若手人気俳優K、年内結婚も」と紹介された。記者によると、「人気俳優のほうが、だいぶ盛り上がっているそうなので」ということだが、女優Mが関西出身とのヒントから、昨年12月に「フライデー」(講談社)で熱愛報道が出た窪田正孝と水川あさみの可能性が高そうだ。

「2人は昨年7月期に放送されたドラマ『僕たちがやりました』(フジテレビ系)で共演し、秋頃から交際。すでに同棲しており、愛車も1台をシェアするという進展の速さです。また『フライデー』に掲載された写真は、まるで映画の1シーンのようなスタイリッシュなショット。車の正面から、それも、ある程度高い位置から撮られており、窪田がカメラマンをはっきりと意識しているのは明らかです。そのため、本当はかなりヤバイ写真を抑えられていて、事務所サイドが撮り直しを求めたのではないかと言われています。逆に言えば、撮影されるような場所で公然とイチャつくほど燃え上がっている証拠でもあり、結婚の確率はかなり高そうですね」(週刊誌記者)

 ネット上では互いのファンから「まだ結婚しないで!」と悲鳴にも似たコメントが連打されているが、予想が的中するのか見物だ。

生まれてきた娘には障害があった――家事もする大学助手の夫との生活は順調に見えたが……

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第12回 東智恵子さん(仮名・51歳)の話(前編)

「ある日突然、家の鍵を替えられて、中に入れなくなりました。それは別居して1年半後のことです。『なぜ入れてくれないの?』と元夫へメールしたら、『おまえは娘を虐待する。家に入れたら、どんな嫌がらせをされるかわからない』という抗議のメールがすぐに届きました」

 そう話すのは、東智恵子さんである。そもそも、なぜ別居したのに、家に入ろうとしたのか? なぜ夫から「虐待する」と言われているのだろうか? 詳しい話を聞く前に、まずは生い立ちから伺っていった。

■大学のサークルで知り合った、おとなしい男性と結婚

――ご出身はどちらですか? どんな子ども時代だったのですか?

 北関東で生まれました。うちの父が高校の数学教師だった関係で、その県内各地を転々としながら育ちました。東京大学か大学の医学部に入ることを父からは期待されていて、それに応えるべく、私は勉強に励みました。しかし、東大は不合格。都内中堅大学の理系学部に入学しました。

――旦那さんとは、どうやって結婚に至ったんですか?

 元夫とは、大学のインカレサークルで知り合いました。もう30年以上前のことです。メンバーの中では、比較的二枚目。静かに本を読んでいるのが好きな、おとなしい哲学者タイプでした。私の兄がおせっかいでうるさい人なので、それとは真逆のタイプである彼に惹かれていきました。この人と結婚すれば、平和で落ち着いた暮らしができるんじゃないかなって思って、元夫を結婚相手として意識するようになっていったんです。そして、数年間交際したのちに結婚しました。私が教師として就職した頃のことです。

――子どもが生まれるまでは、どのような結婚生活だったんですか?

 結婚当時、元夫は大学院生で収入がなかったので、生活費の多くは私が賄っていました。2年後、彼が関西の大学に助手として採用されることになったのを機に、私は教師を辞めてついていったんです。もともと教師には向いてなかったし、ちょうど妊娠したこともあって、教壇を降りることにためらいはありませんでした。元夫が就職して半年がたったタイミングで、長男が生まれたんです。

――子育ては大変だったのではないですか?

 いえ、全然大変ではなかったです。あまり泣かずにニコニコしている、それでいて食欲は旺盛という、絵に描いたような育てやすい子どもだったんです。というか、あまりに手がからないので、息子が生後半年の頃、仕事を見つけて働くことにしました。

 幸い、ソフトウェア開発の会社に採用されたので、働き始めたんです。そこは女性や若い人が多く、マイペースで働ける職場でした。夕方に帰れる労働環境で、私に向いていると思いました。

――働きながらだと、旦那さんに育児をサポートしてもらうことも必要になってきますよね。

 日中は、近所の保育園に世話を託し、熱を出したりしたときは、ベビーシッターさんやファミリーサポートにお願いして乗り切りました。夫は、息子をすごくかわいがりましたね。私へのサポートも積極的で、助かりました。例えば、私が疲れて起きられないときは、代わりにおむつを替えてくれたり、ミルクや離乳食を与えてくれたりしたんです。いま考えれば、元夫自身、働く母親のもとで育てられた経験があるので、男が家事をするということに拒否反応がなかったんでしょうね。

――その後は、どうなったんですか?

 2人目が欲しかったんですが、なかなかできませんでした。それで何年も不妊治療を続け、長男が生まれてから6年目に、やっと妊娠したんです。私たちはそれを機に生活環境を変えました。私は離職し、夫、長男とともに、奈良の新居に引っ越しました。

――長男のときと同様に、妊娠を機会に住環境を変えられたんですね。では、第二子の出産後について、話をお聞かせください。

 引っ越してから半年で生まれてきてくれたのかな。女の子でした。長男は生まれたときから元気いっぱいでしたが、長女は、長男とは様子がまるで違ったんです。取り上げてくれた助産師さんが見せてくれた娘の体はふにゃふにゃしていて、手足に力が入っていませんでした。普通、赤ちゃんは、手をぎゅっと握っていますが、いつも伸ばしていたんです。それでも、生まれてきてくれた喜びと、産み終わったことから来る安堵感で、これからどうしようとか、そんなことは、そのとき一切思わなかったですね。それで、後日、医者に告げられたのは、低緊張(筋緊張低下症)という病名でした。

――体の障害があったんですね。とすると、育ち方は健常児とどのように違いましたか?

 首の据わりが遅かったり、ハイハイができなかったりしました。動かせる部位はどんどん増えていきましたが、それでも体の動きは普通の子に比べてゆっくりでした。外出すると怖がって、公園に連れていっても遊具で遊ばないし、じっとしていて、声をかけないと私のほうには来ないんです。

 娘が障害で苦しまないよう、私は復職した仕事の傍ら、日々娘のリハビリに付き合いました。トランポリンや鉄棒や水泳を続けていくうちに、娘は体力をつけていき、小学校の中学年にはマラソン大会で完走できるまでになったんです。

 娘の成長は、知能面でも遅れていました。発語は遅くて、4歳ぐらいになっても、「これ」とか「あっちあっち」とか二音節しゃべるのがやっとで、なかなか会話にならなかった。保健師に勧められたこともあって、教育委員会が主催する“ことばの教室”に通わせたんです。そこへの送り迎えこそは元夫がやりましたけど、それぐらいですね。元夫がやってくれたのは。

――その頃、旦那さんと息子さんは、どのような様子でしたか?

 娘が小学校に入る頃、長男は中学生。学業も優秀で、体も頑丈。病気ひとつしない子どもでした。夫は助教授、そして教授と、着実に昇格し、それとともに収入も増えていきましたが、その頃から、私との関係は冷めていき、次第に自分の部屋にこもるようになりました。食事は一緒には食べず、私が作ったものを部屋まで運んでいたんです。家事は一切やらず、子どもたち、特に娘の養育は私に任せっきりでした。

(後編へつづく)

“自衛隊員の妻”になりたい女性が増加中!? 出会い方、人気の秘密……自衛官との婚活事情

 災害派遣など過酷な現場で活躍する自衛隊員の姿がテレビやネットのニュースなどで紹介されるようになって以降、自衛隊員との結婚を望む女性が急増しているらしい。「健康的で頼りがいがある」「収入が安定している」「礼儀正しい」「時間に正確」「約束を守る」といったことが人気の理由だとか。自衛隊員との結婚を望む女性は実際増えているのか? 自衛隊員が選ぶのはどんな女性? 業界の事情通に取材した。

■「自衛隊員限定」の婚活サービスとは?

 まずは、2009年から業界初の「自衛隊専門婚活サービス」を展開している結婚情報センター Nozze(ノッツェ)自衛隊員担当の宮下今朝芳さんに、同サービスの概要を聞いた。

「基本的には、ほかのお客様と同様のサービス内容ですが、全国各地の基地や駐屯地など部隊に赴いてのご説明やご案内、部隊が計画する婚活パーティーのコラボ開催やご支援、部隊での自衛隊員に向けた婚活セミナーの開催等を行っています。単に、自衛隊員を集めただけでのパーティーではなく、自衛隊員と結婚を希望する女性に、実際に駐屯地の見学をしてもらいながら、将来の伴侶となるかもしれない男性が働く職場についての理解を深めたり、安心感を持ってもらったりすることを目的としています」

 サービスを利用するのは、20歳代の隊員が最も多く、次いで30歳代前半だという。

「20歳代前半の方が多いのは、ほかの職業の方が婚活サービスを利用される場合と比較し、自衛隊員に特徴的な傾向ですね。考えられる理由のひとつに、陸・海・空で多少、事情は異なりますが、自衛隊では入隊して基礎教育期間は全員、また、部隊配置後も『3等陸曹以下』『幹部自衛官以外』の独身者は原則として寮生活です。しかし、結婚すれば寮を出て駐屯地の近くなどにアパートを借りて住むことができますから、若い世代で結婚を希望する自衛官が多いのかもしれません。周囲の仲間に彼女ができた、結婚した等のニュースを聞いて、自分も彼女が欲しい、結婚したいという気持ちが湧きあがってくるのだと思います」

 上下関係の厳しい寮生活から早く抜け出すためには、昇格を待つより結婚する方が手っ取り早いのかもしれない。それで、20代前半から婚活サービスを利用する自衛隊員が多いというわけである。とはいえ、結婚が遅れがちな自衛官ももちろんいる。40代、50代の幹部自衛官の会員も少なくないそうだ。

「人柄レベルの話になりますと一般男性と変わらないと思いますが、結婚が遅れる自衛官特有の理由は2点考えられます。ひとつは、女性は自衛官と結婚したいという希望を持ってお付き合いをするわけですから、自衛官らしくない人、例えば健康や体調維持を気にしない人、優柔不断な人、約束を守らない人などは敬遠されるかもしれません。もうひとつは、勤務環境により出会いの機会が少ない隊員は結婚が遅くなる傾向があると思います。例えば、離島勤務やシフト勤務の隊員です。しかし、これは自衛隊員に限った話ではないと思いますし、結局は自分が置かれている環境を考え、いかにお相手を見つける努力をし、行動するかだと思います」

 それではもっとも気になる、「自衛官が選ぶ(好む)女性」とはどんな女性だろうか? もちろん、好みとしては自衛官それぞれにあると思うが、大まかな傾向を知ることができれば、自衛官との結婚に一歩近づくはず。

「自衛官は自宅を空けることが多いことから、健康でしっかりした女性を希望する自衛官が多いと思います。あえて自衛官との結婚が不向きな女性を申し上げるとすれば、転勤を嫌う方は難しいでしょうね。一般隊員でも定年までに2〜3回の転勤はありますし、幹部は2〜5年に1回の割合で転勤があります。」

 なんと! 意外とハードルは低かった(笑)。転勤さえいとわなければ何とかなりそう? なお、自衛隊には女性自衛官も数は少ないが存在している。知人の元女性自衛官によると、ものすごくモテるとの話である。圧倒的に人数が少ないわけだから、モテて当然だとは思うが、婚活サービスを利用する女性自衛官もいるのだろうか?

「女性自衛官の比率は、隊員全体からすると5〜10%と、とても少ないので、交際相手、結婚相手として男性自衛官を探そうとすれば候補者はたくさんいることになります(笑)。また男性自衛官からしますと、頑張っている女性自衛官の姿を常に見ているわけですから、そのような姿に魅力を感じるのも理解できます。それゆえ女性自衛官は『社内結婚』が確かに多いですね。もちろん『結婚相手は自衛官以外で!』と希望される女性もいらっしゃいますので、そのような方は当社の婚活サービスを利用いただいています」

 宮下さん自身もかつて航空自衛隊に所属していた空自OB。自身の経験をもとに多くの自衛官と一般女性のカップリングを手助けしてきた。ちなみに宮下さんは20代の頃、奥様とテニスを通じて出会い、テニスの試合に弁当を作って来てくれたのが交際につながったそう。「まだコンビニなどない時代で、『男の胃袋をつかめ!』にハマったと思っています(笑)」。癒やし系だけどしっかり系で、お弁当作りが好きな女性は、“良き自衛官妻”になれる可能性が高いかもしれない。

 婚活の方法は、婚活サービスだけではない。防衛省公式の月刊誌「MAMOR」(扶桑社)では「マモルの婚活」という企画が好評だという。同企画は2009年にスタートし、未来のパートナーを探している独身自衛官を毎月3名(陸・海・空の自衛隊から各1名)紹介している。近年は「マモルの婚活」で自衛隊員との出会いの機会をつかみたいという理由で購読する女性が増えているそうだ。同企画を担当する高久裕編集長によると、過去最高で約80通の応募が殺到した自衛官や、実際に同企画で出会って結婚したカップルも多数いるという。

「13年2月号では、マモルの婚活で結ばれた7カップルを紹介し、そのうちの1カップルの結婚式を取材して巻頭特集で紹介しました。最新号(18年1月号)でも、3組の成婚カップルを誌面で紹介しています」

 毎月紹介される自衛隊員は本気で結婚相手を探している。真剣勝負なのだ。各隊員への質問項目もかなり細かく、「どれくらい付き合ってから結婚したい?」「子どもは何人くらい欲しい?」「初めて交際したのはいつ?」など、リアリティのある質問が20問並んでいる。

「企画をスタートしたときと比べて現在では、積極的な女性が増えたような気がします。3人全員に応募してくる方、毎号応募してくる方など。『マモルの婚活』の連載が始まった頃、いくつかの書店の店員さんから、『若い女性の購入が増えている』と聞きました。読者からのお便りで、『婚活が載っていたので初めて購入しました』というコメントをいただく機会も増えましたね」

 「マモルの婚活」で出会いを希望する女性が自衛隊員に連絡を取る手段は、なんと手紙! メールやLINEなどではないところが自衛隊らしいのかも。ともあれ応募するには、まず手紙の書き方から学んでおくのがよさそう。「拝啓」に始まり、時候の挨拶、そして最後は「敬具」をお忘れなく。
(加藤久美子)

“不倫旅行”“離婚歴”を完全スルー……岡田准一&宮崎あおい結婚報道の「印象操作が酷すぎ!」

 V6・岡田准一と女優・宮崎あおいが24日、前日に入籍したことをマスコミ宛てのファクスなどで発表。25日の各局ワイドショーがこれを芸能トップニュースとして伝えたものの、「印象操作が酷すぎる」と話題になっている。

 TOKIO・国分太一がメインキャスターを務めるTBS系『ビビット』は、2人の馴れ初めを紹介。その内容は、2008年公開映画『陰日向に咲く』の共演後に「友人関係が続いていた」が、12年公開映画『天地明察』の共演で「急接近」したというものだった。

 また、日本テレビ系『スッキリ』は、同様の馴れ初めに加え、『陰日向に咲く』の舞台挨拶で宮崎が「実は(岡田と)共演するって聞く前から雑誌とか見てて、急に手が止まる存在になっていて。なんでだろうと思ってたら、『今度映画でご一緒だよ』という話を聞いて、そんなことが初めてだったので、びっくりはしたんですけど」と話していたと紹介。「運命」とのテロップが表示されたほか、アナウンサーが「これは完全に運命ですね」と伝えていた。

 さらに、フジテレビ系『めざましテレビ』では軽部真一アナウンサーが、『天地明察』共演時には「まだ、共演者としての間柄」であったと強調。「交際は15年の春から」と断言した。

「案の定、宮崎の結婚・離婚歴について一切報じないワイドショーですが、その中でも『スッキリ』は、宮崎が俳優・高岡奏輔との結婚翌年に舞台挨拶で発した言葉を紹介して『運命』と報じる無茶苦茶ぶり。また、11年12月に『週刊文春』(文藝春秋)や東京スポーツがすっぱ抜いた岡田と宮崎の“不倫温泉旅行”も、完全になかったことにされています」(芸能記者)

 宮崎といえば、10代の頃から交際していた高岡と07年6月に結婚するも、11年12月に岡田と温泉旅行に行っていたなどと報じられ、この2日後に離婚。15年8月には、「女性セブン」(小学館)が2人の恋中について報じたほか、昨年3月発売の「フライデー」(講談社)は「ドロ沼不倫を乗り越え同棲愛」とスクープを伝えた。

「ジャニーズ御用媒体の『女性セブン』は当時、『一時期は疎遠になっていた岡田と宮崎が今年になってから再会し、春頃から接近した』と報道。このときも、不倫報道を揉み消したいジャニーズ事務所が仕掛けた“印象操作”と見る声は多く、今回、ワイドショーが伝えているのもこれと同じシナリオ。なお、テレビはあたかも『陰日向に咲く』が2人の出会いかのように紹介していますが、岡田は宮崎と高岡の“共通の友人”として10年前に行われた結婚披露宴に出席。当時、岡田は式場の出入り口で報道陣のインタビューに応じていましたが、その映像は“永久タブー”といえそうです」(同)

 さすが“メディア統制”でおなじみのジャニーズ事務所とでも言うべきか……、違和感ばかりが残る今回の結婚報道。1度目の結婚では、高岡の破天荒ぶりに苦労したと言われる宮崎だが、今度こそ大丈夫だろうか?

“不倫旅行”“離婚歴”を完全スルー……岡田准一&宮崎あおい結婚報道の「印象操作が酷すぎ!」

 V6・岡田准一と女優・宮崎あおいが24日、前日に入籍したことをマスコミ宛てのファクスなどで発表。25日の各局ワイドショーがこれを芸能トップニュースとして伝えたものの、「印象操作が酷すぎる」と話題になっている。

 TOKIO・国分太一がメインキャスターを務めるTBS系『ビビット』は、2人の馴れ初めを紹介。その内容は、2008年公開映画『陰日向に咲く』の共演後に「友人関係が続いていた」が、12年公開映画『天地明察』の共演で「急接近」したというものだった。

 また、日本テレビ系『スッキリ』は、同様の馴れ初めに加え、『陰日向に咲く』の舞台挨拶で宮崎が「実は(岡田と)共演するって聞く前から雑誌とか見てて、急に手が止まる存在になっていて。なんでだろうと思ってたら、『今度映画でご一緒だよ』という話を聞いて、そんなことが初めてだったので、びっくりはしたんですけど」と話していたと紹介。「運命」とのテロップが表示されたほか、アナウンサーが「これは完全に運命ですね」と伝えていた。

 さらに、フジテレビ系『めざましテレビ』では軽部真一アナウンサーが、『天地明察』共演時には「まだ、共演者としての間柄」であったと強調。「交際は15年の春から」と断言した。

「案の定、宮崎の結婚・離婚歴について一切報じないワイドショーですが、その中でも『スッキリ』は、宮崎が俳優・高岡奏輔との結婚翌年に舞台挨拶で発した言葉を紹介して『運命』と報じる無茶苦茶ぶり。また、11年12月に『週刊文春』(文藝春秋)や東京スポーツがすっぱ抜いた岡田と宮崎の“不倫温泉旅行”も、完全になかったことにされています」(芸能記者)

 宮崎といえば、10代の頃から交際していた高岡と07年6月に結婚するも、11年12月に岡田と温泉旅行に行っていたなどと報じられ、この2日後に離婚。15年8月には、「女性セブン」(小学館)が2人の恋中について報じたほか、昨年3月発売の「フライデー」(講談社)は「ドロ沼不倫を乗り越え同棲愛」とスクープを伝えた。

「ジャニーズ御用媒体の『女性セブン』は当時、『一時期は疎遠になっていた岡田と宮崎が今年になってから再会し、春頃から接近した』と報道。このときも、不倫報道を揉み消したいジャニーズ事務所が仕掛けた“印象操作”と見る声は多く、今回、ワイドショーが伝えているのもこれと同じシナリオ。なお、テレビはあたかも『陰日向に咲く』が2人の出会いかのように紹介していますが、岡田は宮崎と高岡の“共通の友人”として10年前に行われた結婚披露宴に出席。当時、岡田は式場の出入り口で報道陣のインタビューに応じていましたが、その映像は“永久タブー”といえそうです」(同)

 さすが“メディア統制”でおなじみのジャニーズ事務所とでも言うべきか……、違和感ばかりが残る今回の結婚報道。1度目の結婚では、高岡の破天荒ぶりに苦労したと言われる宮崎だが、今度こそ大丈夫だろうか?

「だんなデスノート」に書き込む妻の共通点は? サイト管理人が明かす意外な“正体”

 「朝起きたら冷たくなって死んでますように」「死体で帰ってこい! 赤飯炊いてやるから」「旦那の歯ブラシで毎日トイレ掃除をしています」……。妻たちが夫の死を願う本音サイト「だんなデスノート」に投稿される衝撃的な内容の数々が、多くのメディアで取り上げられ、話題となった。それらの投稿をまとめた書籍『だんなデス・ノート 〜夫の「死」を願う妻たちの叫び〜』(宝島社)は、発売直後にAmazonの「家庭生活」カテゴリーで売上ランキング1位を記録するヒットとなり、賛否両論を巻き起こしている。まさに炎上中といえる「だんなデスノート」について、同サイトの管理人である牧田幸一朗氏に聞いた。

■男性の否定的な意見をシャットアウト

──まず初めに、牧田さんがサイトを開設しようと思った理由を教えてください。

牧田幸一朗氏(以下、牧田) 僕は幼少期のころ、両親が喧嘩ばかりしていたため、あまりいい思い出がありません。その経験が大人になった今でもトラウマになっているので、同じツラさを今の子どもたちに感じてほしくないというのがひとつ。それと、僕は歌舞伎町でホストをやっていた経験があり、お客さんとして来る既婚女性たちが、ただ悩みを聞いてほしいだけということをわかっていた。そんな彼女たちのために、ネット上で愚痴を吐き出す場を提供してあげたかったんです。あと、ゼロから新しいコンテンツを生み出すことに挑戦したかったというのも、理由のひとつです。

──既婚女性が集まる巨大匿名提示版などでも、夫の悪口を投稿する人はいました。この提示版との違いは、どこでしょうか?

牧田 まず、書き込むことで「旦那が死ぬ」というデスノート的な想いが込められるという点。もうひとつが、男性の否定的な意見をシャットアウトしたことです。匿名提示版では誰でもコメントできるので、旦那の悪口を投稿すると「離婚すればいいじゃん」とか「お前が死ね」などと、すぐ批判のコメントが投稿されるんですよ。正論かもしれませんが、否定的なコメントを返されると、すでに不平不満がたまっている状態の女性は、さらにストレスがたまりますよね。そういうことがないように、男性側の書き込みは、こちら側でなるべく排除しました。

──愚痴があるなら、身近にいるママ友などに聞いてもらえば事足りるような気がします。彼女たちがネットで不平不満を吐き出すのは、なぜでしょう?

牧田 友達だからといって、必ずしも共感してくれるわけではありません。円満夫婦のママ友に相談すると、余計なアドバイスをもらって傷つくことすらあります。彼女たちにとって重要なのは、共感してもらうこと。過去に「だんなデスノート」のオフ会を3回開催していますが、共通の悩みを持っている者同士なので、初対面で意気投合して、すぐ友達になるんですよ。

──彼女たちにとって、同じ悩みを共有することがストレス発散になるんですね。そのオフ会に参加された女性に、牧田さんから見て共通する特徴はありましたか?

牧田 年代は20代前半から50代まで幅広いですが、ほとんどが専業主婦。なおかつ“上品”“キレイ”“カワイイ”この3つのいずれかに、必ず該当します。オンナとしての魅力があり、さらに旦那の稼ぎが多い、裕福な女性が多かったですね。

──上流階級の既婚女性が「時間をかけて苦しんで死ね」などと書き込んでいるのは、意外ですね。彼女たちが旦那の死を願う原因としては、何が多いのでしょうか?

牧田 多いのは、モラハラやDVなどの暴力ですね。DV加害者は、医師、弁護士、大学教授などのエリートが多いので、(そうした男性を夫に持つと考えられる)裕福な家庭の専業主婦たちが旦那の死を願うのも当然なのかもしれません。また、妻を専業主婦にする男性は「女性は旦那を支えるべき」という昔ながらの男尊女卑思想から抜けきれず、まだまだ女性を見下しているというのも理由のひとつとしてありそうです。

──「そこまで嫌だったら離婚すればいい」という意見もありますが、彼女たちが離婚をしないのはなぜでしょう?

牧田 ほぼお金です。自分だけならまだしも、子どももいますから。シングルマザーになれば経済的に苦労しますし、そうやすやすと離婚はできません。旦那が死ねば保険金が手に入るというのも大きいでしょう。もうひとつは、見栄ですね。離婚をするのは世間体もよくないと考えがちですし、彼女たちのプライドも傷つくようです。だけど旦那が嫌いで一緒に生活するのは苦痛。この問題をすべて満たせる解決策が、離婚ではなく、「旦那の死」なのでしょう。

──未亡人となれば、世間体も悪くはないですし、保険金まで手に入る。まさに理想の展開ということなのですね。とはいえ、本書では「ゴキブリやネズミ以下のダンナ」「存在自体が悪」など、妻たちが旦那を人間扱いしていない内容が多く、Amazonの書評欄などでは彼女たちの投稿に対して「男性差別だ!」といった批判的な意見が多いです。

牧田 そういう意見はほとんどが男性だと思いますが、彼らに彼女たちの気持ちを理解するのは難しいとは思います。そういう男性たちに言いたいのは、「職場の嫌いな上司」に置き換えてみてください、ということ。最初は仲が良かったかもしれないけど、だんだん嫌なところが目についてきたりとかするわけじゃないですか。「そんなに上司が嫌なら、仕事を辞めればいい」って簡単に言うこともできますけど、そんな単純なものではないですよね? 家族を養わないといけないし、年齢的に転職は難しく、その職場にしがみつくしかなかったりするのが現実だと思います。少なくとも、当事者にしかわからないことがあるということだけは、男性にもわかってほしいですね。

──職場のことであれば、家族や同僚と飲みながら愚痴を吐き出したりもできますが、家庭内のことは、味方であるはずの家族が敵になっているし、友達にも相談できない。だから「だんなデスノート」でストレス発散するしかないんですね。

牧田 その通りです。ただ、悪口を書いて一時的なストレスを発散するだけの場になっているのは、問題でもあります。なので今後は、彼女たちが次の段階にステップアップするための支援をしていきたいと思っています。

──それは、つまり、離婚の後押しをするということですか?

牧田 いや、離婚して幸せになる人もいれば、関係を再構築して幸せになる人もいます。それはどちらでも構いませんし、僕から離婚を後押しするようなことはしません。サイトに書き込んでいる専業主婦は、小さい子どもがいる方が多いので、そう簡単に仕事は見つからず、社会との接点がなくなって悩みを抱え込んでしまうことが多い。なので、僕はその両方を補える場所を提供したいと考えています。具体的にはオフ会活動を大きくしていって、人がたくさん集まるイベントを開催したい。そうするとスタッフが必要になるので、専業主婦の方を雇うこともできますし、同じ悩みを共有できる友達を見つけることもできます。

──「だんなデスノート」というサイトは、今度どうしていきたいと考えていますか?

牧田 サイト自体を特に大きく変えるつもりはなく、ほぼそのままにしていきます。理想としては、投稿数が少なくなること。金もうけが目的ではないので、悩める女性が減ることを切実に願うばかりです。
(ほこのき雄哉/清談社)

「うつ病の夫は長男の誕生も喜ばなかった」大学の同級生と“運命の再会”を経て結婚したが……

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第11回 大杉千秋さん(仮名・41歳)の話 (心を病んでしまった夫・前編)

「子どもは3人います。15歳の長男、8歳の次男、そして4歳の三男です。だんご三兄弟みたいに、いつも身を寄せ合っています」

 大杉千秋さん、41歳。テレビ局勤務の女性だ。2度の結婚を経て、いま、2度目の離婚をしようとしている。お子さんたちの話をするうれしそうな表情からは想像しにくい大変な過去が、彼女にはあった――。

■同級生の夫とは誕生日が1日違いで「これは運命だね!」

――出会いからお話ししてくれますか?

 私は六大学の1つに通っていました。夫となるAとは同級生。普段は、のほほんとして呑気な雰囲気なのに、壇上に上がって芸をして、みんなを笑わせる。そんな目立つ学生でした。一方、私は結構地味でマイペースで、彼とは対照的なタイプです。私にとって彼は、自分にないものを持っている天才。手が届かない存在――そんな憧れに近い思いがありました。

――話をするきっかけは、あったんですか?

 あるときキャンパスで「○○テレビに受かった千秋さんでしょ」って声をかけられて、それ以来、話すようになりました。

――まだ友達の1人という感じですね。何か接近するきっかけは?

 卒業パーティーで、再び彼に声をかけられました。「千秋ちゃん、誕生日いつ?」「○月×日」「びっくり。1日違いだよ。これは運命だね! じゃあ、来年誕生日に、どこかで会って乾杯をしようよ!」半信半疑だったんですが、約束しました。

――実際に再会されたんですよね?

 大学を卒業した次の年の誕生日、彼は約束の場所に、ワインとホールケーキを持って現れました。社会人になって1年目の、緊張の多い日々の中に訪れた、とてつもなく楽しい時間でした。彼の発した冗談からの再会でしたので、次に会う約束などしない方が、素敵な感じがしました。縁があったら、また会えるかもね、という……。なので、それきりしばらく会うこともありませんでした。

――それから、どのように結婚に至ったのですか?

 当時、彼は激務で知られた建築事務所で働いていました。そこには私の友人もおり、彼女が私に電話をしてきたのです。「A、今どこにいるか知らない? みんな○○に電話しているんだけど、全然出ない」って言うんです。ところが私が試しにかけたら、彼があっさり電話に出ました。そして、過労でうつになり、家にこもっているということがわかりました。
「あまりそういうのよくないと思うから、出てきなよ」「うん……」。待ち合わせをし、船に乗せました。ただ船に乗っているだけだったんですが、うつ状態にはちょうどよかったようで、静かに喜んでいました。その後も、リハビリのつもりで誘い、本当にたまに会っていました。

――大学時代の雰囲気は残っていたんですか?

 その頃の彼に昔の陽気な雰囲気はなく、ほとんど廃人でした。でも、やっぱり面白い部分は残っていたので、楽しかったです。

――どうやって、彼とお付き合いを始めたんですか?

 何度か会っていて、数カ月たった頃に、彼に言いました。「私はAのことが好きだけど。もし付き合う気がないんだったら、もう二度と会わないわ。今日が最後ね」って。すると彼は、「え! じゃ、付き合おう!」と答えたんです。彼からしてみれば、そのときの私は、唯一会える、癒やされる相手だった。なのに、突然「会えない」って言われたら、「うそっ!」ってなりますよね。そんなつもりはなかったけど、今思えば脅しみたいですよね(笑)。

――どんなお付き合いだったんでしょうか?

 彼の方がどんどん私を頼るようになってきて、気がつくと、母と子みたいな関係になっていました。私自身の自己肯定感が低いせいもあると思うのですが、「おいしいもの食べさせてあげたい」とか「どこかに連れて行ってあげたい」とか「喜ばせたい」とか、すごく頑張っちゃって。すると、さらに彼から、どんどん頼られていきました。

 その頃、彼は会社を辞めて、フリーになっていました。関東の実家に暮らして、うつ病の治療を受けながら、少しだけ仕事を受けているという状態です。収入はわずかしかなかったので、デートといっても、大衆的な食堂でご飯を食べたり、公園でバドミントンをしたりと、素朴な感じでしたが、楽しかった。私自身、ぜいたくが好きじゃないので、それが性に合ってたんでしょうね。

――結婚はいつ?

 すごく結婚したかったんです。子どもも、すごく欲しかった。「結婚するんだったら、私は2人姉妹なので、子どもは絶対2人欲しいな」と言っていました。彼は、「じゃあ、かなえるよ。結婚しよう!」って言ってくれました。だけど彼自身、結婚したり、子どもを持ったりすることに積極的だったかというと、わかりません。

 クリスマスの日でした。彼の方から「結婚しようか?」「しようしよう♪」ってノリで、1週間後の元日に籍を入れちゃったんです。両親は双方とも喜んでくれ、同居が始まりました。

――うつ病になった彼との結婚生活は?

 うつだとすごく疲れやすいので、重い荷物は全部私が持つようにしたり、どこか行くにも休めるルートを考えたり。マッサージをしたり、料理をしたり、彼を笑わせようと、サプライズを仕込んだりしていました。とにかく彼に、心にも体にも良い生活をさせれば、病気はいつか治ると信じていたのです。

――千秋さん自身は、会社に出勤していたんですよね?

 はい。だけど出勤するとき、「寂しいから行かないでほしい」って、よく懇願されました。1人になることを、とても嫌がっていたのです。心配でしたよ。だけど、それでも出勤しないわけにはいきません。後ろ髪を引かれながら、仕事に出かけて、帰宅すると、真っ暗な家の中でずっと待ってるってことがしばしばでした。

――家事はしてくれたんですか?

 疲れやすいので、あまりできなかったですが、ただ、買い物とかは気持ちよくやってくれてました。「役に立つことならやりたい」と言ってくれて。

――お子さんは、いつ生まれたんですか?

 結婚して1年半後に、長男が誕生しました。そのとき彼はうつ真っ盛りで、生まれても喜びを表すとかはなかったです。むしろ、子どもが生まれたことがプレッシャーになって、うつがひどくなっていた印象です。それで長男が生まれて間もない頃、夫が長男を抱っこして、「自宅の屋上に日光浴させに行く」と言ったことが何度かありました。その時、夫が長男を投げてしまわないか、内心真っ青でした。

――屋上まで、ついていったんですか?

 「ついていく」とか言うと、傷つけちゃうかもしれない。だから、言えなかった。「お願いだから投げないで」と、祈るような気持ちで待っていました。

(後編につづく)

「ヒモ男だったけど、子どもは会わせるべき」バツ2女性が3人の子を育てて気づいたこと

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

 アルバイトをしながら、趣味の旅行にたびたび出かけていた星野由貴さんは、しょっちゅう辺境へ出向く特殊な職業の年上男性と結婚するも、その奔放さについていけず、1年で離婚。年下のサラリーマンと再婚し、女の子をもうけたが、この男性も趣味である旅行のために仕事を辞めてしまう。その後、彼女の親族が経営する会社に就職したものの、星野さんは義母との関係悪化をきっかけに別れを決意。離婚したのはミレニアムのころ、次女が生まれてすぐのことだった。しかし、2番目の夫との仲は今も良好だという。

(前編はこちら)

第10回 星野由貴さん(仮名・50歳)(後編)

 もともと美術系の学校に通っていた星野さん。二度目の離婚後、その腕を見込まれた彼女は、4歳と1歳の娘2人を保育園に預けて、美術関係の仕事をするようになった。そんなふうに、子育てと仕事で忙しい毎日を続けていた彼女の前に、2000年代の前半、同世代のCさんが現れた。

「シンクタンクで働いたり、国際会議のコーディネートをやったりしているCを、共通の知り合いから紹介されました。Cの学歴はすごいし、英語もぺらぺら。そんな彼であれば『一緒になったら、稼いできてくれるんじゃないか』って、下心を持っちゃったんです。私は三流高校で進級できるかどうかって感じの成績でしたから、高学歴というだけで尊敬しちゃって、惚れちゃった。それで、お付き合いするようになりました」

 しかし、相性は決してよくないということに、星野さんは次第に気がついていく。

「前の2人もそうですが、反応が冷淡。私が『こんな嫌なことがあった』って怒りながら言うと、『そんなの相手にするな』って怒り返してきて、まるで共感がない。それに、お礼を言うときは『どうも』、謝るときは『すいません』ですからね。全然、気持ちがこもってない感じなんです。だんだん『私に合わないな』『そろそろ会うのをやめよう』って思うようになったんです」

 ところが、そんなとき、事態は後戻りできない方向へ急転する。00年代半ばのことだ。

「Cの子を身ごもっちゃったんです。彼にはもちろん伝えたんですが、Cは『どうしたいの?』って言うだけで、心配なんかしてくれませんでした。私、すっかり落ち込んで、『望まれない子なんだから堕ろそうか』って考えが頭をかすめたほどです。だけど、やっぱり産むことにしました。命あるものを無駄にできないじゃないですか。まして自分の子ですし」

 当時30代後半だった星野さんと、小学校、保育園に通う娘2人の計3人が住んでいた一軒家に、出産の少し前から、Cさんが同居するようになる。

「妊娠した私のケアのために同居したわけではないですよ。単にCの都合です。彼はそのころ、住む場所もなかったんです。お金がないから、家賃は払えない。かといって、実家には帰りたくなかったんです。同居にあたってCには生活費の負担を求めたんですが『ないものはない!』と言って、開き直られました。光熱費、食費、家賃を払わせたか? まさか。一切払ってくれませんよ。なのに、ずるずる居座られちゃった。籍は『信用できる人じゃないな』って思ったんで、入れていません。幸か不幸か、娘たちはすぐ、Cに懐きました。それを見て、『同居されても、まあいいか』って諦めたんです」

 居候というか、まるでヒモですね。そのころCさんは、働いてなかったんですか?

「シンクタンクで働いてたんですが、よりによって出産直前のタイミングに辞めちゃった。退職金が出たはずですが、一切くれません。だから検診、出産、入院と、出産にかかる費用は全部私持ちでした。ひどいでしょ? 早く見切って追い出せばよかったんだけど、子どもができたんだし、またちゃんとした仕事に就いて、そのうち生活費をたくさんくれるんじゃないかって期待しちゃった。その後、お金を入れてくれたかって? いやいや。バイク便のバイトこそ始めたんですが、稼いだ分はやっぱり一切くれませんでしたよ」

 Cさんとの子は男の子だったんですよね。息子さんが生まれてからの家の雰囲気は、どうでしたか?

「まだ愛想があればよかったんですが、会話は相変わらず面白くない。世間話のひとつもできないし、冷淡です。基本的には穏やかではありますけど、私がけっこうカッカする方なので、そうした態度を目の当たりにすると、彼は不機嫌になって舌打ちをするんです。息子が通っている保育園の運動会のときなんか、ひどかったですよ。朝早く起きてお弁当の準備をしてて、うっかり包丁で手をずばっと切ってしまって、シンクが真っ赤になってしまったんです。ちょうど彼が起きてきて、あくびをしながらひと言、『またか』ですよ。とにかく反応に温かみがなくて、ケンカが絶えなかった。

 娘たちとの関係も同様です。息子が生まれた後、娘たちは息子と自分たちに対するCの接し方が違うってことに、気がつくようになったんです。それで、みるみるCと娘たちの心の距離が出てきてしまいました」

 彼は、家事とかで挽回しようとかしなかったんですか?

「Cは、勉強ができても、まるで応用力はない人。どうしようもない人なんですよ。例えば『野菜をさっとゆでて』ってお願いしたら、『何リットルの水に対して何秒間か? 1秒なのか10秒なのか』とか言うんです。そんなマニュアル人間なので、家事とか育児とかは任せずに、たいていは私がやっちゃってました。たまには洗濯を任せたこともあったんですが、仕上がりがひどかった。しわくちゃだし、生乾きで、子どもたちのタオルが全部雑巾臭くなりましたね(笑)」

 Bさんみたいに、せめて貯蓄すればよかったですね。

「家事や育児はできないし、お金は全く入れないしで、私、Cのこと、普段から思いっきりバカにしてました。でも、そういった私の言動が、彼のプライドを思いっきり傷つけたんでしょうね。彼に『バカ、バカ』ってずっと言ったり、手を出したりしました」

 そうした星野さんの“激しい態度”が効を奏したのか。途中から、Cさんは家にお金を入れるようになる。

「途中から、5万円ぐらいは入れるようになりました。でもそれは、自分の居住費込みですからね。最後の方は、16万円入れてくれてました」

 月16万円もくれたら、許す気になったんじゃないですか?

「それよりストレスの方が大きかった。Cを追い出して、そのたびに実家に戻り、また戻ってきて……というのを、最後の何年間かはずっと繰り返してました。同居している間、しょっちゅうケンカしてましたからね。それに娘たちが、とにかくイライラしてました。娘たちにとって、Cは“気持ち悪いおじさん”扱いでした。そのころ2人とも思春期でしたからね。よけい反発が激しかったのかも。結局、Cとは7~8年一緒に住んだけれど、本当に後悔してますね。もっと早く追い出せばよかったって。その後、お金は、今も毎月5万円ずつ受け取ってます。息子の養育費ではありますけど、払ってくれなかった時代の分をもらってるという感じですね」

 それぞれの父親と子どもたちとの関係はどうなのか?

「小学校の高学年になった息子は今、卓球にはまってて、卓球関係の世話はすべてCに丸投げしてます。だから、それで頻繁に会ってます。日曜日の夜とか、卓球が終わった後、一緒にご飯を食べたりとかで、月3回ぐらいは会ってるかも。そんな感じなので、わざわざ面会をさせたりする必要はないですね。『私その日都合悪いけど、都合どう?』って感じで、息子を預けて、楽をさせてもらってます。一方、娘たちは、長女が大学生、次女は高校生と、もうすっかり成長しちゃったので、Bと会うのは年に数回とかです。必要があれば、今でも会いますよ。去年、長女が車の免許を取った直後は、Bが助手席に座って、いろいろ教えてましたからね」

 子どもに会わせるということについては、わだかまりはないのだろうか?

「相手が嫌いだから会わせないでいると、自分自身がすごく損をする。全部自分で抱え込んじゃったら、自由がなくなって、もっとしんどくなるじゃないですか。実際、私、Cに対してむかついて何カ月間か会わせなかったときは、子育ては丸抱えで、ひとときも休めなくて大変でした。

 私の経験則上、別れてもやっぱり、元の夫たちとは会わせるべきだと思います。肩肘を張って会わせずにいたら、その分、自分に跳ね返ってくるじゃないですか。預かってもらってたら自分も楽ができるし、養育費だってもらいやすくなるし」

 元夫たち同士の仲は、どうなのだろう?

「うちは普通とかなり違ってて、例えばこないだ母の米寿のお祝いがあったんですけど、そういうときに夫たちも呼ばれたりするんですよ。息子の保育園の運動会にもBとC、2人ともが来て、1人がビデオで1人は写真を撮ってるんです。2人のおかげで私、息子と親子競技に出ることができました。2人とももう、アラフィフのおじさんです。BとCの仲? 2人とも写真が趣味なので、その話で気が合うみたいですよ。一方、Aは還暦も近いのに、相変わらず自由です」

 子どもたちは、どんなふうに育っているのか?

「先ほども話した通り、長女は大学生。次女は高校生、そして長男は小学校の高学年です。これから年々、学費がかかっていくのが悩みの種です。Bが娘たちの学資保険に入ってくれていたのですが、それだけでは足らなくて、貯金を崩して、なんとかやってます。私自身そんなに勉強ができなかったし、子どもに高学歴も求めません。ちゃんと働いて自分で稼いで、自分の力で生きてほしいな。望むのはそれだけです」

 これまでの結婚生活を振り返って、星野さんは今、何を思うのか?

「悪口ばかりですいません。でも、元夫たちは本当に残念な人だから(笑)。私は私でかまってちゃんですよね。B以外は、普通を求めて、普通から一番遠い選択をしてしまいました。やっぱり見る目がなかったんですね、私」

 そう言って反省しつつも、星野さんの表情は明るさに満ちていた。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

会社を辞めて旅に出た夫と離婚、でも「娘から父親を奪う権利はない」と葛藤するが……

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第10回 星野由貴さん(仮名・50歳)(前編)

「事実婚を含めて3人の男性と同居したんですが、3人が3人とも私のことをまともにかまってくれなかったし、家事も育児もやってくれなかった。男を見る目が、私にはなかったんですね(苦笑)。普通にサラリーマンで、家事も育児も手伝ってくれる旦那さんの話を聞くと、『そんな人が世の中にいるんだ……』って、うらやましく思ってます」

 そう話すのは、3人の子を1人で育てている、星野由貴さんである。バックパッカーだったという彼女は、これまでにどんな半生を歩んできたのだろうか?

■辺境を歩いて回る夫についていけず

「高校の後、美術系の学校を出てからは、飲食店でバイトして、アジアとかヨーロッパ、中近東に出掛けるという生活を繰り返していました。同じ趣味を持っている同世代の旅仲間と集まって飲み食いしたりして、わいわいと、よくつるんでいたんです。結婚したのは、そのうちの1人でした」

 最初の夫Aさんは、世界の辺境へしょっちゅう出向く、特殊な職業の人であった。

「Aと結婚したのは、1990年代の前半のこと。そのころ私はまだ20代半ば、彼は30代前半でした。もっと一緒に人生を歩んでいくものと思ってたんですけど、彼があまりに奔放すぎて、ついていけなかった。彼は彼で、私を自由にさせておくのが愛情だって思ってたみたい。私の親族が経営する会社に就職したけど、名ばかり就職。辺境へ出向くのは相変わらずで、置き去り状態。しかも彼は子どもを欲しがらなかった。ぶっちゃけ、方向性が違いすぎてました」

 そんなAさんについていけず、1年ほどで離婚。

「今も近所で暮らしてて、たまに街中で会ったら普通に世間話をする程度かな。自由すぎるぐらいに自由な人だったけど、その後、まさか音楽で身を立てるなんて思ってもみませんでした。元気にやってるみたい」

 星野さんは数年後、サラリーマンである年下のBさんと結婚する。

「自由人ばかりの旅仲間の中で、Bは数少ないサラリーマン。一緒にいて楽だし、何より収入が安定しているというのが魅力でした。ぶっちゃけ嫌いなところはなかったんですが、すごい好きという感じでもなかった」

 Bさんとの結婚生活は、どうだったのか?

「結婚した96年のうちに妊娠、そして翌97年の香港返還の日あたりに長女を産みました。当時、Bはサラリーマンで私は主婦と、役割分担がしっかりあったので、Bに家事や育児を求めてなかった。それは当たり前だと思ってたし、むしろさせちゃダメだと思ってました。やってくれたこともあったけど、お手伝いレベルでしたよ」

 では、Bさんが生活費をまかなっていたということだろうか?

「Bの収入のうち5万円を彼のお小遣いとして手元に置いて、残りは彼の口座に毎月貯蓄していました。私は不動産の収入が月に十数万あって、そちらを月々の生活費に回していたんです。だから生活費は私が全部出してました。不公平じゃないかって? そうやってやりくりして、彼の収入の大半が資産としてたまっていったので、私的にはそれでOKでした。実際、そのお金は一戸建てを買う資金に回してくれましたし」

 家事や育児は星野さん。生活費も星野さん。そこまで許せてるのに、その後離婚。いったいBさんのどこが気に入らなかったのだろうか?

「一緒に暮らしてて、『なんだか冷たいな』って思うようになったんです。実際、遊び友達の方が優しいし、気を使ってくれた。『なのにBは、なぜこんなに私に冷たくて無関心なんだろう?』って。

 その後、安定収入が突然なくなったことに、なにより腹が立ちました。Bはサラリーマンを辞めて、ヨーロッパへ1人で出かけちゃったんです。しかも彼、帰ってきた後、よりによって、私の親族がやってる同業の会社に転職したんです。彼からすれば、旅に出る前から当て込んでたんでしょうけど、決まったときは嫌だったなあ」

 失礼ですけど、離婚するほどではないんじゃないですか?

「ほかにもありますよ。正月にBが『中国に鉄道の写真を撮りに行く』というので、その間、関西にある彼の実家に孫を見せに行ったんです。すると、義母に面と向かって『あんた肥えてる』と言われて、嫌がらせをされました。娘の世話をするために席を外して戻ってきたら、食事を片づけられていたり、私にだけ鍋の肉が入ってなかったり。確かに私、そのとき今よりぽっちゃりしてましたよ。だけど、あんまりじゃないですか。それで、そのことを帰国したBに伝えたら、『気のせいだよ』ってひとこと言われただけで、なんの同情もされなかった。私、それで心が折れました。基本、嫌いなところがない分、そういった何げない発言が、すごく心に響いちゃったんです」

 20世紀が終わるころ、次女が誕生する。その直後、関係は破綻してしまう。

「別れ話を切り出したのは、次女が生まれてからです。ある時、『離婚しましょう』って、ケンカした勢いで言ってしまいました。彼は、私が言いだしたら聞かないタチだってことも知っていたので、反対はしませんでした。『子どもを引き取って実家へ戻る』とは言われましたけど、結局は夫だけが家から出て行きました」

 養育費や面会などの取り決めはしたのだろうか?

「私の都合で別れてもらったという形なので、慰謝料はなし。養育費もなしということにしました。面会の回数とかは特に決めませんでしたが、会わせないという気持ちもなかった。というか、私が娘たちから父親を奪う権利なんかないじゃないですか。だから別れた直後も、かなり頻繁に会わせてました」

 どのぐらいの頻度で会わせていたんですか?

「少なくとも月に数回。Bが2人をあちこちに連れて行ってくれたり、私が映画を見たいときに預かってもらったり。あとは一緒にクリスマス会をやったり、お誕生日会をやったりしてました。正月とかお盆とか、娘2人を関西に連れて行ってくれたので、その間、私は息抜きができました。あれは助かった」

 Bさんと別れてしばらくした後、星野さんは4歳と1歳の娘2人を保育園に預けて、仕事に出るようになった。一方、Bさんはその後どうしているのか? 2人の関係は、どうなったのだろうか?

「彼が毎月、貯蓄に回していた分は、離婚後、まるまる自分の小遣いとして使ってるみたいです。海外旅行に行ったり車を買ったりしてましたから。それを聞くにつけ、『なんだよ自分だけ』って、だんだんムカムカしてきちゃって。別れて2年後ぐらいにお願いして、それ以降、養育費として月5万円ずつもらうようになりました。彼の仕事? 私の親族が経営している会社に、今も真面目に通ってますよ」

 面会時の様子からして、星野さんとの仲は離婚後も比較的良好だということは察したが、まさか今も親族の会社で働いているとは……。

「勢いで別れちゃったけど、別れる必要はなかったなあ」

 星野さんはBさんとの関係を後悔しながら、そう言った。

(後編へ続く)

9歳下男性と交際半年で妊娠。義父母と同居するも夫がうつに……【別れた夫にわが子を会わせる?】

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第9回 松田亜美さん(仮名・38歳)前編

「妊娠して結婚して出産して、ちょっとしたら離婚しちゃったみたいな感じです。いま振り返ると、凝縮された3年間でした。知り合いの占い師に『天中殺だ』って言われてたんですが、当たってましたね」

 中央線の某駅近くにある日当たりのいい1DKで、松田亜美さんは当時を振り返った。彼女は、まもなく3歳になる、活発な男の子を育てている。4年前、独身OLだった彼女は、「このまま結婚せずに、年を取っていくのかな」と思っていたというから、人生が劇的に動いた3年間だったことがわかる。いったい何があったのか?

■ヨガ教室のアシスタントと恋に落ちる

「5年前、ヨガ教室に通いだしたんです。教えるのは女の先生で、彼はそのアシスタント。教室に通っている生徒は当時、全員女性で、そのクラスにいた男性はひとりだけでした。その男性が後の夫です。年は私よりも9歳下で、中性的な雰囲気の人でした」

――女の園に男がひとり。そんなところに男性がいて、違和感はなかったんですか?

「ヨガの練習をしているとき、先生やアシスタントが『脚上げて』とか『ひねって』とか言いながら生徒の体を触って、ポーズを矯正することがあるんです。アシスタントの彼も生徒の体を触るんですけど、中性的な人だってこともあって、誰も違和感を持たなかった。彼は体の仕組みにすごく詳しいし、ヨガのポーズならなんでもできちゃう人なので、触られるのを嫌がるどころか、みんな感謝していました。生徒の信望は厚かったです」

――松田さんが彼を好きになったきっかけは何ですか?

「ヨガに専念したくて会社を辞めたんです。オーガニック製品を扱っているその会社は、商品も素敵だし、働いていて楽しかった。だけど体力勝負だったり、休みが取りづらかったりして、行くのがつらくなっていって、衝動的に辞めたんです。でも、辞めたら途端に、お金のことが心配になってきた。そこで彼に相談したら、『今、貯金があるのに、ないって思い込んでる。ネガティブなことにばかり気持ちが向いてるよ』って言われて、はっとしました。それがきっかけで尊敬の気持ちが、恋心へと転化したんです。それで、私から『お付き合いしてもらえませんか』って告白したんです。ふられましたけどね」

――なぜふられたんですか? 中性的とのことですけど、もしかするとゲイ?

「ゲイではないです。女性と付き合った経験がほとんどなかったらしくて、男女交際に興味が持てなかったとか。つまり根本的なところで、人に心を開けてなかったんです。彼が小さい頃、母親が2回離婚した関係で、親戚中をたらい回しにされた時期があったと聞きました。一方、彼がヨガを始めたのも、母親の影響だと話していましたね。良くも悪くも、彼は母親の影響を強く受けて生きてきたんです」

――彼自身は稼げていたんですか?

「ヨガの先生というのは、ほんとにピンキリ。そのうち彼は、収入的にはキリのほう。先生のアシスタントをしたり、自分で教えたりするんですが、収入はフリーター以下。だけど、体の仕組みについてはすごく詳しい。ちょっと体を触っただけでも、ここの筋肉が張ってるとか、たちまち当ててしまうんです。ただ、そうした技術の高さが、収入につながっていかなかった」

――ところで、ふられた後はどうなったんですか?

「教室で彼と話し込んでいるうちに、波長が合うようになりまして、気がつけば交際を始めていました。4年前の10月頃のことです。いったん付き合いだすと彼は積極的になり、彼の方から強く結婚を望むようになりました。経済的なことで不安はありましたが、私も結婚について彼の考えに基本的には賛成。そして、付き合いだして半年ほどで妊娠しました」

 結婚を決めた2人は、双方の両親に報告する。

「うちの両親に、妊娠したことを話したんです。結婚したいということも含めて。すると私の父は『ハーッ』ってため息をついてから、『なんでわざわざ苦労しなきゃいけないんだ!』って言いました。彼の経済力のなさを知っていたので、当然かもしれませんが。

 一方、彼の父親は彼の経済力や労働意欲のなさを知っているので、私に対して恐縮しているというか、将来のことを心配していました。『責任は取ります』と、きっぱりお話しされたのを覚えています」

――「責任」って何ですか? 「堕胎の費用は出す」とか、そんな話?

「違います。彼に生活力がないので、実家に一緒に住むということです。家賃はお金がかかりますからね。川崎にある彼の実家に同居することになりました。そこは3DKのマンション。もともと彼が自室として使っていた、6畳の部屋をあてがわれました。もちろん彼も同じ部屋。棚があって、布団を敷いたらもういっぱいという狭さでした」

――その後は、ずっと同居したんですか?

「基本はそうです。だけど、うまくいかなかった。お母さんは、私が掃除機をかけた後、わざわざ、また掃除機をかけたりしてるんです。悪気はないかもしれないけど、いい気はしないですよね。

 しかも、ご両親は彼をダメな息子と見なしているようで、きつい言い方で叱るんです。それがすごく嫌でした。好きで一緒になった人が、目の前で叱られるんですから。そうしたことの積み重ねから、そのうち義父母と一緒に住むのが耐えられなくなってきたんです。それで、川崎の彼の家と都内の自分の実家との間を、行ったり来たりするようになりました。翌年の8月中旬には、出産休暇に入ったんです」

――当時、彼はどんな毎日を送っていたんですか?

「かなりがむしゃらに働いていました。朝5時に起きて、6時から都内でヨガを指導して、それで午後、川崎に戻ってきて、夕方から午後11時まで、地元のジムで働いてました。その一方で、子どもの体の動きに関するDVDを借りてきて、『こうやって寝返りを打つんだ』と勉強するなど、育てる気満々の様子でした。

 ところが、そんなペースで働いていたせいか、彼は体調を崩しちゃった。アルバイト扱いなので、いくら働いても自立できないという徒労感にさいなまれたみたいです。そうしたことから、徒労感と疲労とでパンクし、うつになっちゃったんです。私が臨月を迎える頃です」
(後編へ続く)