ますおか岡田の元妻・祐佳、荒い“スピリチュアル”発言に感じる「芸能人特有の病」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「はっきりした理由はわかりません」岡田祐佳
(「婦人公論」2月27日号、中央公論社)

 芸能人とは、人に注目されることを無上の喜びとする病気に罹患している人のことを指すのではないか。多くの芸能人が引退を表明しても、結局復帰するのは、経済的な理由もあるだろうが、やはり芸能人でいることに強い快感が伴うからだろう。この病の厄介な点は、大スターはもちろん、一般人がほとんど知らないレベルの芸能人も患っていて、ささいなことがきっかけで「また人前に出たい」という気持ちがよみがえってしまうことではないだろうか。

 お笑いコンビ・ますだおかだの岡田圭右の元妻で、タレント・岡田結実の母でもある岡田祐佳は、この病を患っているように感じられる。芸人をしていたものの、結婚を機に事実上引退、しかし娘のブレークとともに芸能活動を再開し、離婚後は本格的に復帰する決意を固めたようだ。2月27日号の「婦人公論」(中央公論社)では、日本のスピリチュアル界の首領・江原啓之と対談し、離婚について語り、やんわり夫を責めていた。

「彼が2年前に突然、私と息子、娘の三人を置いて、家を出た」「一方的に別れたいと言われて。私はいまだにはっきりした理由はわかりません」と、離婚は夫の身勝手な判断だと主張。また、結婚後も仕事を続けたかったのに、岡田が家庭に入ることを希望し、そのうち芸能界の先輩と連絡を取ることも嫌がられるようになったと、モラハラを匂わせる発言もしている。無理やり家庭に入らされ、芸能界とのつながりを絶たれ、突然離婚を言い渡され、子どものために仕方なく芸能界に本格復帰することにした……そんな筋書きのようである。

しかし、ここで私が思い出すのは、『めちゃ×2イケてるッ』(フジテレビ系)内のコーナー「恋のかま騒ぎ」において、品川庄司・品川祐が暴露した祐佳にまつわる話なのである。かなり昔の話だが、品川いわく、祐佳はギャルのような格好で朝帰りもしょっちゅう(写真も出しており、確かにギャルのようだった)。午前11時に帰ることもあり、帰宅時間から逆算すると、ラブホテルのチェックアウトを済ませてきたとしか思えないとのこと。岡田の妻の立場を利用して芸人の楽屋に入り浸り、自ら「うち、離婚するかもしれません」と先輩に話していたという。

 品川は芸人なので話を盛っている可能性は十分あるが、自分の妻を貶められても、岡田が否定しないのが印象的だった。祐佳が不倫していたかどうかはわからないものの、ずいぶん前から芸人の世界での評判は、あまりよろしくなかったということだろう。

 娘がブレークしており、本人が元芸人だからといって、即仕事が来るほど芸能界は甘くない。祐佳は、自分の“ウリ”を、スピリチュアル方向に定めたようである。

 昨年、『アウト×デラックス』(同)に出演した際、祐佳は番組MCのマツコ・デラックスに会えた喜びのあまり、泣き出していた。祐佳が言うには、芸能界に本格復帰しようかどうか迷っていた時、FUJIWARAの番組に出演したところ、藤本に「祐佳さんは引き寄せる力があるから、会いたい人の名前を言いましょ」と言われて、到底会えないであろうマツコの名前を挙げたそう。すると、1年もしないうちに本当に会えたので、感激しての涙を流してしまったという。

 マツコはもちろん、出演者の矢部浩之や南海キャンディーズ・山里亮太も引いていたが、祐佳は意に介さない。なんでも「共感すると、その人の病気をもらってしまう」体質で、結核の疑いがある友人を「あなたは大丈夫だよ」と励ましたところ、自分が結核になってしまった(友人は結核ではなかった)と話していた。確かに、結核だった友人が、祐佳に励まされたことで結核ではなくなり、代わりに祐佳が結核になったなら、「共感すると病気をもらってしまう」が成立しないこともない。しかし、今の話では「祐佳が勝手に結核になった」だけに感じるのは、私だけだろうか。

 ずいぶん荒いスピリチュアル話であるものの、まぁ、世間には無類のスピリチュアル好きはいるので、営業方針としてはいいのかもしれない。祐佳は自分の能力に自信があるようで、「婦人公論」の対談でも、「私は勘の鋭いところがあり、彼自身や家のことで気づいたことがあれば、すぐに伝えていました」と語るなど、“わかってしまう人”アピールをしている。

 そんなに勘が鋭いなら、なんで離婚されたかわからないの? などという質問は、愚問である。「立っている者は親でも使え」という言葉があるが、娘だろうと売れている人を利用するのが芸能人。なんだか娘に迷惑かけそうなことをやらかす気がするけれど、この勘がどうぞ外れますように。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

小倉優子に見る、結婚や子育てにおける「完璧主義」「努力家」の脆弱さ

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<今回の有名人>
「今日も身を削ったな」小倉優子
『今夜くらべてみました』(日本テレビ系、1月31日)

 芸能人になりたい。そんな夢を抱いた人は少なからずいるだろうが、実際になれるのはごくごくわずかな人だけ。仮に芸能界に入れたとしても、今度はスターを目指しての競いが始まる。事務所は慈善事業ではないから、新人に投資した分、利益を回収しなければならない。意にそぐわない仕事やキャラでも、新人は事務所からいわれれば、受け入れざるを得ない。

 ゆうこりんことタレントの小倉優子も、そんな時代を経験した1人だろう。

 自分は、こりん星から、いちごの馬車でやってきた「りんごももか姫」である。小倉がそう自称しだしたとき、インパクトという意味では完璧だったが、この路線は、続かないことは明らかだった。後に小倉本人はいろいろなバラエティ番組で、「こりん星をやめたいと申し出たのに、事務所がダメと言った」と語っている。忙しさも加わり、当時のストレスは相当だったようで、『ノブナガ』(CBCテレビ)で雨上がり決死隊・宮迫博之が、「こりん星の人の楽屋から、叫び声と一緒に、壁に頭をがんがんぶつける音が聞こえた」と話していたことがある。

 「今だから話せる、あの話」は一種の勲章であり、たいていの芸能人は、さほど過去の話を嫌がらないモノだが、私から見ると、小倉はこりん星時代の話を本気で嫌がっている感じがする。話題を持っている方が、オファーされる率の高いバラエティの世界で、非常に珍しいことなのではないだろうか。

 小倉がイジられることを、否定的に捉えているのは、1月31日放送の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)からも感じることができた。同番組に出演した小倉は、バラエティ番組に出た後は、「今日も身を削ったなと感じる」と、精神的に疲弊していると受け取れる発言をしていた。小倉は人に何か言われることを、「責められた」「欠点を指摘された」と感じる完璧主義的なところがあるようにも見える。

 そんな小倉は、妊娠中に事務所の後輩と夫が浮気をしているという最悪の事実を、「週刊文春」(文藝春秋)で知らされたことがある。生まれてくる子どものために踏みとどまろうと思ったようだが、最終的には離婚した。離婚といえばマイナスイメージに捉えられていた時代もあったものの、今や小倉はオリコンによる「好きなママタレント」ランキング第1位に輝いた。洗剤のCMにも出演している事実が示すように、離婚は結婚と同じく単なる1つの決断であり、痛みはあったろうが、芸能人としては、飛躍したと言っていいだろう。

 しかし、当の小倉はそうは思えないようである。同番組で、司会のフットボールアワー・後藤輝基に「人肌恋しいことはないのか?」と聞かれると、小倉は「恋愛より、家族になってくれる人がほしい(しかし、今は恋愛している物理的な時間はない)」と答えた。女優・高橋由美子は恋愛を勧め「お母さんがキラキラしている方が、子どもはうれしいんだよ」と投げかけると、「そうは思えないんですね」とも。高橋との会話は微妙にかみ合わないが、「子どもにはお父さんがいた方がいい」という高橋の発言には、「そう思います」と頷いてみせた。これらの発言を合わせると、小倉は「恋愛をしている時間はないし、恋愛をしたママはキラキラしているとも思えないから、そこをすっ飛ばしてお父さんになってくれる人を見つけたい、だって子どもにはお父さんがいる方が幸せだから」と考えているのではないだろうか。

 保守層好みの考えだが、現実と照らし合わせてみると、若干思い込みが強いように感じられる。小倉は「(子どもに対して)イライラしそうになる時があって、でも、フォロー役がいないから、絶対にイライラしちゃいけない」と同番組で発言していた。小倉は新しいお父さんがいれば、フォロー役を引き受けてもらえるのにと思っているようだが、仮に再婚したとしても、その男性が小倉の思うように動いてくれるかどうかは、未知数である。一般人の家庭においてもそうだ。お父さんがいても激務で、ワンオペ育児を強いられてフォロー役が不在の家庭はたくさんある。また、子どもと過ごす時間があっても、母親とうまくコミュニケーションが取れず、“役立たず”に見られてしまう父親がいることも事実だ。そこには日本の長時間労働や、「育児は女性の仕事、だから自分は何もしないでいい」という風土による思い込みが作用しているので、一概に「お父さんがいれば、子どもはハッピー」とは言い切れないのではないだろうか。

 小倉といえば、結婚時に「100%浮気されない」と発言したことがある。その根拠は、元夫が愛情表現を欠かさないタイプだったことと、自分に自信があり、かつ自分自身や家庭、子育てなど、全方位への努力をおろそかにしなかった点にあるのだろう。元夫は離婚経験者で、ほかの女性と同棲中に小倉と知り合い乗り換えたと、週刊誌で読んだ気がするが、そこから推測するのなら、元夫は「結婚という契約に向かない人」「オンナにだらしない人」なので、こういう結婚の適性のない人相手に努力しても、はっきり言って無駄だと思う。

 それよりも、相手のあることに“100%”や“絶対”は存在しない。「失敗は成功の母」というが、「絶対こそ失敗の母」とママ小倉に進言したい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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隅田美保、なぜ婚活がうまくいかない? ブログに綴られた“説明”に感じる面倒くささ

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<今回の芸能人>
「以前も、話しましたが」アジアン・隅田美保
(隅田美保公式ブログ、1月27日)

 2011年6月10日放送の『人志松本のゾッとする話』(フジテレビ系)に、アジアン・馬場園梓が出演した時のこと。馬場園は、“ゾッとするネタ”として、相方である隅田美保の話をあげていた。ハワイにロケに行った時、仕事を終えて疲れて寝たい馬場園に対し、海外でテンションの上がっている隅田が、「ねえねえ、男の人と付き合うってどんな感じなん?」「(経験がないのに)キスする時、うちは目を開けておきたい方やねん」と話しかけてきたとのこと。暗闇の中で携帯の光に照らされた顔が、『デスノート』(集英社)の死神みたいでゾっとしたと話して、笑いを誘っていた。

 また『そうだ旅(どっか)行こう』(テレビ東京系)で、「美を磨く旅」と称して、アジアンと美容家・IKKOが新大久保の韓国コスメ店を訪れた際、女性器を引き締めるためのよもぎ蒸しのナプキンを店員から勧められると、馬場園は隅田に「そもそも、穴が開いてないんだから、使っても無駄」と、交際経験がないことをバカにするような発言をしていた。

 オンナ芸人がブスやモテないネタで笑いを取るのは、よくあることではある。けれど、自分で自分をネタにして笑うことはあっても、相方が率先して言い出すケースはほとんどなく、私には馬場園が隅田をバカにしているように感じた。

 なので、隅田が「ブスいじりのせいで、結婚できないのがイヤ」とブログで説明し、テレビに出るのを休むと宣言した時、いい判断だなと思った。オンナ芸人の中には、ブスやモテないネタを、“笑いを取るためのビジネス”と割り切れる人と、そうでない人がいる。隅田は割り切れないタイプのようだし、相方という年柄年中一緒にいる人に見下されていては、精神衛生上よくないと思ったわけだ。

 あれから3年、隅田がテレビに帰ってきた。昨年12月に更新された、本人の公式ブログによると、「彼氏ができんへん事をお笑いのせいやと思ってたんですが どうやら全く関係ありませんでした」と、“現実”に気付いたようである(オンナ芸人でも、恋愛や結婚している人はたくさんいるわけで、そこに考えが及ばないあたり、案外視野が狭いと思われる)。

 『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演し、めでたくテレビ復帰を果たした隅田が、1月27日に自身のブログを更新した。それを読んで、この人、面倒くさいと思った次第である。

 「私の事を大事にしてくれる人(イケメン)」「サプライズとか好きな人」「家事が好きな人」といった隅田の結婚相手に求める条件に対して、面倒くささを感じたのではない。ブログが、オンナノコっぽい攻撃性とぼんやりした感じにあふれているのである。

 オンナノコっぽい攻撃性とは、“本質とは関係ない妙なこだわり”、もしくは“潔癖さ”からくる攻撃性のことを指す。隅田のブログは割とケンカ腰で、「〇〇と報道されているが、真実ではない」ということが繰り返し書かれている。例えば、「世間の人らは、ずっと私がブスいじりが嫌で、テレビを休んでいると勘違いしているみたいですね」とか「ネットニュースは、実はブスいじりに病んでるとか、実はコンビ不仲とか、すぐ好き勝手なことを書く」といった具合だ。隅田は将来カフェを開きたいという夢があり、テレビに出ていない間、婚活と合わせてカフェでバイトをしていたそうだが、最新の日記には「以前も、話しましたが」と断りを入れた上で、「生活費稼ぎのために、ただカフェでアルバイトをやっていたと思われているようです」と皮肉まじりの口調で弁明をしている。

 隅田は、間違った情報が流布されることに我慢がならないのかもしれない。しかし、その情報は果たして必要だろうか。大人の世界で重んじられるのは、結果である。隅田に「自分からテレビに出ない時期」があったのは事実で、結婚相手が見つかれば「めでたしめでたし」で終わる話だったのだ。婚活がうまくいっていない今、報道が正しくないという理由でいちいち訂正をしていると、結果が出ていないだけに「口うるさい」「プライドだけ高い」とくくられてしまい、損をするのがオチである。

 また、カフェ開業に関しても、ぼんやりして夢見がちな部分が目立つ。隅田はカフェのオーナーになりたいのか、現場で店長として指揮を執りたいのか、それともおしゃれ空間で働くことにあこがれているのかが伝わってこないのである。

 飲食業というのは大変厳しい世界で、店を立ち上げるより、キープする方が至難の技らしい。『有吉ゼミ』(日本テレビ系)には「芸能人の心配な店」というコーナーがあり、数々の芸能人経営の店が、高確率で潰れる確率を宣告されているが、それはつまり飲食業は芸能人のネームバリューと資金力だけでは持たないということだろう。隅田が付け焼刃的にバイトでコーヒーの淹れ方を学ぶより、そちらは経験の長い人に任せて、経営を勉強する方が現実的ではないだろうか。カフェ開業を夢見ているものの、資金難でどうにもならないイケメンを探せば、婚活も兼ねられるので一石二鳥である。もちろん、資金作りと宣伝のために、本業であるテレビも重要視すべきだろう。

 世の中は、結果が全て。売れっこ芸人である隅田は、その意味をよく知る1人だろう。仕事のノウハウは、実は婚活にも有効である。ブログでいちいち説明せずに、頑張ってほしい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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木下優樹菜、「毎日ケンカ」の夫婦生活は危険? それでもフジモンと円満でいられるワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「意外と全然謝らない」木下優樹菜
『おしゃれイズム』(日本テレビ系、1月14日)

 昨年11月にオリコンが発表した「第2回好きなママタレント」で、木下優樹菜が2位にランクインした。

 優樹菜の夫は、お笑いコンビ・FUJIWARAのフジモンこと藤本敏史。元ヤンキーの優樹菜が、「心は乙女」というフジモンに対し、ケンカ腰の強い態度で臨んで泣かせていることは、本人がよくテレビで披露しているエピソードである。その一方で優樹菜は、ブログやインスタグラムに、フジモンが記念日にサプライズ演出を欠かさず、休日には家族で必ず外出し、夫婦2人の時間も大事にしてくれていることをアップするなど、仲の良さも感じさせる。オリコンの記事によれば、優樹菜の支持層は10代で、この世代からの得票数は1位だったそうだ。

 10代はSNSの情報を重んじる傾向がある。優樹菜が支持されるのは、「ケンカするほど仲が良い」というラブコメ的な信仰によるものではないだろうか。大好きだからケンカしてわかり合う、わかり合ってひしっと抱き合う――そういうスタイルは、昭和の頃から続いている少女漫画の王道である。ちなみに、優樹菜は『1周回って知らない話』(日本テレビ系)で、夫婦円満の秘訣を「毎日ケンカしているから、不満が残らない」と話していた。

 ティーンを含めた独身女性の夢を壊すつもりはないが、現実問題でいうと、この「ケンカしてわかり合う」という発想は危険である。言いたいことを言えなくて我慢してしまう女性の場合、ケンカの最中にわーっと物を言うのは、快感を伴う行為かもしれない。しかし、言われた側の立場で考えてみよう。子どもの頃、母親にヒステリックに叱られ、怖くて何も言えなくなった経験を持つ人は多いだろうが、大人になってもヒステリックに怒鳴られるのは、不愉快ではないだろうか。言いたいことがあっても、それを口にすると、また相手のヒステリーが激化するかもしれないと、表面上で「わかった」ポースを取る可能性だってある。女性側は「ケンカが終わってわかり合えた、すっきりした」と思っているかもしれないが、男性側は「なぜ怒っているかはわからないが、とりあえず、ヒステリーが収まってよかった」と思っていて、何も解決していないことは、現実問題あるのだ。

■ケンカエピソードにみられる気遣い

 「毎日ケンカ」を口にする優樹菜だが、少なくともテレビで公開するケンカエピソードには、“気遣い”が感じられる。1月14日に『おしゃれイズム』(日本テレビ系)で、「離婚を考えたことは?」と聞かれた優樹菜は、“アイスクリーム事件”を披露した。妊娠中、アイスクリームが食べたくなった優樹菜は、店に出向いて、チョコミント味のアイスを食べていたところ、フジモンから「そんな歯磨き粉みたいな味のアイス、よう食わんわ」と言われ、ケンカが勃発。そんなことで離婚なんてとスタジオから笑いが起きていたのだ。実は優樹菜は、このアリスクリーム事件をほかのバラエティ番組でも使い回している。毎日ケンカをしている割に、披露するエピソードが一緒というのは、テレビに出していいエピソードかどうかを吟味しているからではないだろうか。もし、ケンカのネタが「(フジモンに)レギュラーを増やせ、もっと稼げ」と詰め寄ったとか、また子どもの受験などであったら、テレビに出せないし、見ている方も笑えないのである。同番組で、「ユッキーナが怒ってて、フジモンが謝ってそう」というイメージを持たれているという優樹菜は、フジモンについて「意外と全然謝らない」と話していた。そのイメージはテレビの中だけの話なのではないだろうか。

 『1周回って知らない話』で、夫に対して、遠慮することなく不満を口にする優樹菜を、街行く人は「うらやましい」と感想を述べていた。しかし、だからといって、一般人が優樹菜の真似をするのは危険である。

 というのも、フジモンにとって、優樹菜のような若くて美しい、しかも経済力のある女性と結婚できたのは、奇跡と思えるからだ。フジモンはかつて、後輩である平成ノブシコブシ・吉村崇に「藤本さんは貧乏だから、モチも買えないだろう」とイジられた際、「俺の嫁、誰だと思ってんねん。木下優樹菜やぞ!」とキレたことを、有吉弘行がラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で明かしていた。フジモンがいかに優樹菜を誇りに思っているかがわかるエピソードだ。そりゃ、多少怒鳴られても、我慢するだろう。

 ところで、優樹菜というと、フジモンのブスいじりをすることがある。フジモンが芸人であるから、やりやすいのだろうが、ほどほどにしておいた方がいいのではないだろうか。

 優樹菜はかつて、ジャニーズ事務所のタレントと交際を報じられたが、仮にジャニーズのタレントと結婚したとしよう。優樹菜は、インスタグラムのフォロワーが400万人以上いて、その影響力が買われて、彼女の仕事に結びついているのだろうが、ジャニーズの妻になった場合、家庭生活をSNSにアップすることはできない。また優樹菜はアパレルブランド「Avan Lily」をプロデュースしているものの、場合によっては、この活動もジャニーズの妻として不適切だと禁じられる可能性もないとはいえない。

 つまり優樹菜の今があるのは、夫が非イケメンだから。フジモンが妻を誇りにするのと同じく、非イケメン夫こそ、優樹菜の最大の財産なのである。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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藤原紀香、ブログに見つけた“紀香らしからぬ一文”――「商品価値の下落」漂う危険な兆候

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<今回の芸能人>
「今年、そんな方とは仕事をしないことにした」藤原紀香
(藤原紀香公式ブログ、1月10日)

 昨年末に放送された、藤原紀香の主演ドラマ『眠れぬ真珠』(日本テレビ系)。放送日翌日、友人に「どうだった?」と聞かれ、答えようとしたところで気づいたこと。

 内容、忘れた――。

 紀香のベッドシーンも、めまいを起こす際に寄り目になる演技も全部見た。それなのに、なぜか「あのシーン」とか「あのセリフ」みたいなものが、全然残らない。

 なぜ記憶に残らないのか、一言で言ってしまえば、紀香の演技力がアレだから。けれど、別の見方をすると、脚本家が書いたキャラクターやストーリーよりも、紀香自身や人生の方が面白く、紀香の当たり役は“藤原紀香”だから、ともいえるのではないだろうか。

 紀香は永遠のワナビーであり、いつも何かになろうとしている。紀香は「こうなりたい」とか「こう言われたいと思っている」ことがあまりにも推測しやすくて、失笑を誘うタイプである。CM女王と言われた頃から「女優になりたい」と宣言し、見事女優になった後は、ハリウッドセレブをまねてか、チャリティーやボランティア活動に傾倒。紀香は、赤十字を訪問された皇后・美智子さまと懇談した際、美智子さまを模したとしか思えない帽子をかぶるなど、ロイヤルファミリーへのあこがれも感じさせる。「外見だけでなく、内面も美しい」と言われたいのだろうなということが、容易く想像できる。最近は、歌舞伎俳優・片岡愛之助と結婚したことで、よき“梨園の妻”たろうと努力を重ねているのは、ブログを見れば一目瞭然である。

 努力して“藤原紀香”を演じる紀香。褒められようと努力しすぎて、空回りしてしまう紀香。さりげなさを装っているつもりでも、「ここ、褒めて」という場所がバレバレな紀香。ブログは、紀香のやる気過剰な部分がよく表れている。

 例えば、結婚1周年を迎えた2017年9月28日のブログは、「ありがとうございます」といったふうに、結婚式に来てくれた招待客にお礼を述べる、常識的な形で始まるが、招待客からもらったメールというテイで、「ゲストが心から楽しめたあの披露宴から1周年!」といった具合に、自分を褒めるオチにしてしまう。また、年下の友人の結婚式に招かれた際は、「いい披露宴」と一応は先方を褒めるが、披露宴の具体的なもの(花や料理)はアップしないのに、「のりかさんと仲良くなれたことは、私の人生の中で一番嬉しいことです」「何事にも前向きで、ハッピーで輝いているのりかさんが大好き」という花嫁からの手紙をアップする。「人の口を借りて、自分を褒めさせる」のが、紀香ブログのお約束である。

 そんな紀香が、1月10日に書いたブログ「デキる男、デキる女は」が話題を呼んだ。紀香いわく、今まで出会ったデキる男、デキる女は「即レス、即断即決」。「また決めますね、なんてずーと待たされ、結局、放置されて忘れられたり」したことがあったので、「今年、そんな方とは仕事をしないことにした」そうだ。

 こういう紀香は、紀香が演じるべき“藤原紀香”ではないと私は思う。内容がネガティブ寄りだからではない。紀香は気づいていないだろうが、このブログは、紀香の商品価値の下落をほのめかしているともいえるからだ。

 紀香が仕事相手に対する落胆を漏らしたのは、今回が初めてではない。15年に、「とある編集の方」にボランティアに使う写真の元画像を頼んだが、「返事がなく音信不通」「最悪は、御縁の清算も仕方がない」とつづっている。紀香の立場で考えると、「誠意を持って付き合ってきたのに、なぜ突然こんな目に遭うの?」ということだろう。

 しかし、頼まれた編集者の立場で考えてみたら、どうだろうか。「ボランティアに使う写真の元画像を手配する」のは、恐らく無償だろう。だとすると、日ごろの業務で手一杯なのに、報酬のない仕事を引き受けなければならないことになる。

 ここで問題になるのが、紀香の“商品価値”なのだ。紀香が編集者及びその出版社にとって重要な人物であれば、たとえ無償であろうと全面協力してもらえるだろう。画像を手配してもらえないのは、紀香がそこまで重要な人物ではない、連絡が取れないというのは、婉曲なお断りの可能性もあるわけだ。

 デキる男、デキる女論についても同様である。職位に応じて、仕事には権限が与えられている。職位が上の方が、権限は大きいというのは、言うまでもない。その昔、松田聖子が所属していたサンミュージックの会長は、聖子より先輩のタレントがいたにもかかわらず、365日中360日、聖子と一緒にいたと、週刊誌のインタビューで読んだことがある。これは商品価値が高い芸能人のそばには、大きな権限を持つ人がぴったり付くという典型例ではないだろうか。即断即決ができないのは、本人の性格の問題というよりも、紀香の周囲に、権限のある人が少なくなっているという見方もできなくはないのだ。

 こんな紀香は、“藤原紀香”ではない。そう思っているところに、「スポーツニッポン」が、紀香の近況について報じた。午前4~5時に起床し、6時に着付けをして、劇場に向かう日々。合間に書道、陶芸、生け花など日本の伝統文化について学ぶなど多忙な日々を過ごすが、「劇場にはいろんな方がいて、女優業に大事な人間観察ができる」「藤原紀香という人間力を高めたい」という調子で、相変わらずのワナビー全開である。話のオチが妙にでっかくなるのも、紀香の特徴である。やっぱり紀香はこうじゃなきゃ。紀香、今年も頑張って。

コウカズヤ、週刊誌報道に見る「上原多香子というオンナ」を見誤っている点

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「ダメな男が好きな女に愛されるとつらい」コウカズヤ
「週刊女性」(主婦と生活社、1/16・23合併号)

 若くして夫を亡くした悲劇の妻。

 3年前にミュージシャンである夫・TENN氏が自死した際、残された女優・上原多香子に同情が集まった。自殺の原因は上原との収入格差とも言われたが、実際は舞台で共演した俳優・阿部力との不倫だった。TENN氏の願いで公表を控えていたものの、慰謝料を払おうとしない、勝手に籍を抜くなどの上原の誠意のなさに怒った遺族が、上原と阿部のLINEのやりとりといった不倫の証拠と共に「女性セブン」(小学館)で公表した。上原は「夫を死においやったオンナ」としてバッシングされ、休業に追い込まれる。

 現在の上原は阿部とも別れ、演出家のコウカズヤ氏と交際中。コウは人気の高い演出家ではあるが、小劇場を中心とした活動をしているので、収入の安定は見込めない。上原も現在は仕事をしてないので、収入はゼロ。上原はタワーマンションを引き払って、オートロックのないマンションでコウと同棲中であると、「週刊女性」(主婦と生活社)が報じた。同誌によると、コウは上原の不倫の過去を知らなかったそうで、「自分に彼女を支えられるか不安だ」「こういう仕事なので、正直結婚は難しい」と周囲に漏らしていたという。

 上記の発言をまとめると、コウは以下のように考えている可能性がある。

1.自分の不倫が原因で夫が自殺し、ショックを受けたはずだ。いろいろなストレスやトラウマを抱えている彼女を、自分は支えなくてはいけない。
2.同棲中で経済力もない彼女は、自分と結婚したいと思っているはずだ。

 コウが実際にこう考えているとしたら、理に適っているが、見落としていることが1つある。それは、上原を“フツウの女性”と一緒にしていることである。“フツウの女性”が何かを定義すると「原因と目的がはっきりしている女性」である。

 「ツラいことがあったら、男性に支えてほしい」「同棲するのは、結婚のため」「金銭的に余裕のある生活をしたいので、金持ちと付き合う」という思考は、典型的な“フツウの女性”のものである。

 それに対し、上原のような女性を、私は“フツウでない女性”だと思う。それは、忘却力が高く、原因も目的も必要とせず、何となくカンで生きていける人のことを指す。コウは上原の不倫を知らなかったそうだが、それは上原がメンタル面で不安定さを感じさせなかった証拠と捉えることもできるのではないか。もしそうなら、上原は恋愛をしても“男に支えてもらう必要がないタイプ”ともいえるのである。さらに言うと、自分の不倫で人の命が失われたことに、上原が本当に凝りていたら、不倫相手とも違う男性と簡単にくっつくことはしないだろう。やはり上原は“フツウの女性”ではないのである。

 結婚についても、「同棲しているのは、結婚願望があるから」と考えていいのは“フツウの女性”の場合で、上原にはあてはまらないように思う。一世を風靡したアイドルである上原のファンで、救いの手を差し伸べたい男性はいくらでもいるはずだ。今は上原に仕事がないので同棲生活を送っているが、もし上原に不自由をさせない男性と知り合うことがあれば、超忘却力を発揮して、突然いなくなってしまうことも十分あると私は思う。

 念のため申し添えると、私は上原の行動をとがめたいわけではなく、そういう習性に生まれついている女性が一定数いると言いたいのである。

 「週女」の記事によれば、コウは「(自分のことも含めて)ダメな男が好きな女に愛されるとつらいよ」と言ったそうである。ここで思い出したのが、元日に放送された『今夜くらべてみました 元旦から生放送三時間スペシャル』(日本テレビ系)に出演した作家・瀬戸内寂聴である。

 好きな男性のタイプを聞かれた寂聴は、「才能があって開花しないダメ男が好き」と発言した。実際、寂聴の交際相手は、不倫であったが作家の小田仁二郎(天才の呼び声高く、芥川賞や直木賞の候補になるが受賞せず)、一般人男性(駆け落ちの約束までした男性。事業に必要な金を寂聴が出資するが、失敗。男性は自殺)と運がないことは確かである。そして、一方の寂聴は文化勲章を受章するまでに登り詰めた。

 ここまでくると、男がダメというより、女が尋常でなく生命力にあふれているために、潰されてしまったとも言えるのではないだろうか。

 上原に関する週刊誌の記事は、うっすら上原をとがめる論調のものが多いが、そんなことしても上原がダメージをうけるとは思えないし、上原を愛する男も後をたたないだろう。それよりも心配なのは、上原と交際する男性(たち)の今後である。どうぞ、くれぐれもメンタルに気を付けてお過ごしくださいと言うしかない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

ブルゾンちえみ、「女のイヤはイヤじゃない」ネタに見る“芸人として致命的すぎる”欠点

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「エンタメが好きです」ブルゾンちえみ
『ボクらの時代』(フジテレビ系、12月24日)

 2017年、ブルゾンちえみが、キャリアウーマンの「35億」ネタで大ブレークを果たした際、ある週刊誌に「ブルゾンを含んだぽっちゃりオンナ芸人がブレークしているのは、なぜか」についてコメントを求められたことがある(その企画はとん挫したので、コメントを出さずに終わった)。

 ブレークの原因は、体形というより、あのメイクとファッションではないかと私は思う。ブルゾンのネタは、“仕事もプライベートも充実しているキャリアウーマン”が、友人のクミちゃんに、海外ドラマ調にアレンジした“恋愛のアドバイス”を語るスタイルを取っている。ブルゾンは、髪をかき上げ、腰をくねらせ、脚を組みかえ、ささやく……といった、いいオンナ感満載でネタに臨むが、当のブルゾンのファッション(黒と白の太いボーダーのシャツ)やメイク(ダークレッドの口紅、下まぶた全体へのアイライン、上まぶたはリキッドで外ハネのライン)はかなり個性的で、日本人男性に受け入れられるとは思えない。日本ではモテなさそうな女がセクシーを装って上から恋愛を語ったり、「オンナに生まれてよかった」と勘違いふうに振る舞うのがおかしさを誘い、また、それを“自由”で良いと感じた女性が多かったのではないだろうか。

 ブルゾンと言えば『人は見た目が100パーセント』(フジテレビ系)で女優業に挑戦し、高い評価を受けた。その際の共演者である女優・水川あさみ、桐谷美玲と『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演したブルゾンは、自分の肩書について「エンタメが好き」なのであり、「世がタレントと呼ぶならタレントだし、芸人と呼ぶなら芸人でいい」と発言した。友近のように、お笑い芸人も女優業に進出したり、歌を出す時代なので、最初から1つに決めてしまいたくないという意味かもしれないが、見方を変えると、この人、実は何でもいいという意味で不誠実なのではないかとも思えるのである。

 ブルゾンは以前、占い師のネタを無断でパクった疑惑を「週刊文春」(文藝春秋社)に報じられ、「パクリというか、インスピレーションというのか、感じ方は人それぞれです」と開き直ったコメントを出していた。事務所が大きいので強気を通したのかもしれないものの、自分がネタを作っているプロの芸人なら、一言一句違わないようなネタで活動される不快感がわかるはずである。

 ブルゾンの節操のなさは、『ぐるナイ!新春おもしろ荘』(日本テレビ系、1月1日放送)にも表れていた。

 白いノースリーブのワンピースを着たブルゾンが、“素直になれない系女子”として、「男子、これだけは覚えておいてほしい。女のイヤはイヤじゃない」という新ネタを発表。好きな男性に、自分が口をつけたペットボトルの水を飲まれることや、足をくじいた際に優しくされることを、拒否してしまう女性のネタだが、それを「女のイヤはイヤじゃない」と結んでしまうのは、乱暴すぎる。人は自分の都合のいいように情報を解釈するので、例えば、男性が交際を申し込んできた、またはセックスに誘ってきた際、女性側が「イヤ」と言ったとしても、「女のイヤはイヤじゃない」というブルゾン理論を信じた男性が、引き下がらず犯罪沙汰になる可能性も出てくるからだ。

 2016年に女優・高畑淳子の息子・祐太が、強姦致傷で逮捕され(不起訴となった)、17年にはジャーナリストの伊藤詩織氏がレイプ事件の逮捕状を握りつぶされたことを訴えた。ハリウッドの大物プロデューサーがセクハラを告発されたことで、世界中の女性がTwitterでセクハラを告発するなど、セクハラや合意のないセックスについて断固拒否をつきつける気運が高まっている今、「女に生まれてよかった」ネタでブレークしたブルゾンが、昭和丸出しの白ワンピで「女のイヤはイヤじゃない」と言い出すのは、理解しがたい。

 ブルゾンは『ボクらの時代』で、自分が相手に好意を持っていることを悟られたくない、相手から告白してほしい、またシャイな男性が好みのため、恋愛が成就する確率が非常に低いと語っていた。もしかしたら、自分のその性質を「女のイヤはイヤじゃない」というネタにしたのかもしれない。ブルゾンがセクハラやレイプを認めているとはもちろん思わないが、「悪意を持って眺めたら、このネタはどう解釈されるか」「自分のファン以外の人も見ているテレビで、このネタをやったらどう受け止められるか」を自分で考えることができないのは、芸人としてまずいと言わざるを得ない。

 ブルゾンはフリートークがヘタで、会話をふくらませたり、盛り上げることができない。『今夜くらべてみました 元旦から生放送3時間スペシャル』(日本テレビ系)で、渡辺直美邸(港区の家賃130万円のマンション)を訪れた際、「インテリアが完璧だと心の距離ができてしまう」と表現して、微妙に渡辺の機嫌を損ねていたが、恐らく、自分にしか興味がないので、盛り上げ方がわからないのだろう。しかし、テレビで活動していくのなら、売れた今だからこそ、「自分がこう思う」では、芸人として成立しないことに、気づいた方がいいのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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マツコ・デラックス、毒舌の方向性に変化――最近の「ブス攻撃」に隠された標的とは?

<今回の有名人>
「たいがいブス」マツコ・デラックス
『5時に夢中!』(TOKYO MX、12月18日)

 毒舌が人気とされる芸能人は、年月の経過とともに、毒舌の方向性を変えていく。2005年『5時に夢中!』(TOKYO MX)で本格的なテレビデビューを果たし、瞬く間に国民的人気を博したマツコ・デラックスも例外ではない。

 テレビに現れて10年余、マツコは3回、微妙に毒舌の方向性を変えていると私は思っている。まずはI期。テレビに出始めた頃のマツコは「口は悪いがユーモアと観察眼があり、情に厚い」というドラマや映画によくいるおネエと一致したキャラで登場する。

 中村獅童が飲酒運転と信号無視をして警察に捕まった時、同乗していたのが女優の岡本綾だった。獅童は竹内結子と結婚していたので不倫の疑いがあったものの、コメントを求められたマツコは、

「本当は一緒にいたのは、(元プロゴルファーの)岡本綾子さんだったんじゃないの?」

と茶化して笑いを誘った。民放のワイドショー的な切り口に飽き飽きしていた視聴者は、だんだんマツコの笑いに魅了されていく。この頃は、頻繁に「ブスが調子に乗ってんじゃないよ!」といった、いかにもおネエがいいそうな発言をよくしていたし、酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕された時、「週刊朝日」(朝日新聞出版)に「そもそも酒井法子は全然清純じゃない」「あんな気の強いオンナいないよ」といった悪口とも取れる内容のコメントを出していた。

 続いてII期。政治や経済に対するマツコのコメントにも支持が集まり、視聴者の評価も「おネエだから面白い」から「面白いコメンテータがおネエ」に変わっていく。JALのキャビンアテンダント、附属校からエスカレート式での大学卒業組、美魔女、田園都市線沿線エリアなど、一般的に、世間があこがれているもの、もてはやされているものについて、マツコはばっさり「価値がない」と斬っていく。

 マツコの人気はうなぎのぼりで、ご意見番を通り越して「マツコの発言は、全部正しいに決まっている」という空気も漂い出す。冠番組を持ち、CMに出るようになった影響もあって、マツコは発言に慎重になり、ブスのように“生まれつきのもの”“変えられないもの”に対して厳しいコメントはしなくなっていく。毒舌で名を成したマツコが、毒を吐けなくなると、自分のタレント生命にも関わってくる。マツコ自身も危機感を持っていたのではないだろうか。

 そして、17年の11月6日をもって、マツコはIII期に入ったと私は信じている。『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演したマツコは、「(太っていておなかが出ているので)自分の足元が見えない」と、自分で自分の体形をいじってみせた。これは私が知る限り、初めてのことだ。マツコは共演する芸能人に体形をいじらせることは許しても、自分から発言することはなかったのだ。

 自らの体形いじりとともに解禁したのが、ブス攻撃である。

 12月18日放送の『5時に夢中!』で、マツコは「健康にいいだのなんだの言って、コンビニで常温の水を選ぶのは、たいがいブス」と発言していた。ブスという差別語を使うことは、イメージダウンになりかねないが、マツコは毒舌の活路をブスに見いだしたのではないだろうか。人のことをブスと言う代わりに、自分の体形のことも攻撃することで「上から目線」という批判を封じて、バランスを図っているように私には思えるのだ。

 ブスという言葉に嫌悪感を抱く視聴者もいるだろうが、ここで考えてみたいのはブスとは何かということだ。

 美人の証明はしやすい。女優やモデルなど外見でお金を稼げる職業の女性は、あきらかに美人といえる。しかし、ブスは定義することも証明することもできない。「他人にブスと言われたらブスと判断すべき」という人もいるだろうが、「オタサーの姫」という言葉もある通り、環境が変われば評価は変わる。女優やモデル、女子アナといった美人職の場合でも、人が集えば上下が発生して、その中でブス呼ばわりされる人が出てくる。つまり、美人職の上位集団を除けば、ブスは誰にでもなる可能性があり、特定不可能ということになる。

 ブスについて、こんな話を聞いたことがある。適性がなくてすぐにクビになったものの、私がかつて漫画の原作をしていた時、編集者に「ブスを主人公にしてはいけない」と言われた。表面的なふるまいはさておき、自分のことを心からブスだと思っている人はほとんどおらず、自分を高く見積もっていることの方が多い。なので、ブスを主人公にしてしまうと、私には関係ない話だと感情移入してもらえなくなるからというのが、その理由だった。

 ブスが特定不可能であることと、編集者の話をまとめると、「ブスは確かに存在するが、私ではない」と捉えている人が多いということになる。となると、ブスは本人の自意識の問題ということになるのではないだろうか。

 また、マツコはブス発言の際、表現に気を使っている。

 「コンビニで常温の水を買う〇〇(個人名)はブスだ」と名指しする発言は誰かを傷つけるが、「コンビニで常温の水を買うのは、たいがいブス」という、相手を特定しない表現にして、うまく逃げているのだ(コンビニで常温の水を買ったとしても、私はブスではないと本人が思えば差別は成立しない)。

 おそらくマツコ本人も、自分がここまで人気が出て、一種の権力になるとは思ってもいなかっただろう。今、マツコがかつてのように毒舌を吐くと、単なる“見下し”になってしまう。だから、マツコはブスという名の自意識に照準を定めたのではないだろうか。

 マツコといえば、「インスタグラムが嫌い」と各番組で公言しているが、インスタグラムが伝えたいのが、「おいしいもの」ではなく「おいしいものを食べた私」という自意識であることから考えると、マツコがターゲットにしているのは、ブスやインスタそのものではなく、やはり自意識に思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

マツコ・デラックス、毒舌の方向性に変化――最近の「ブス攻撃」に隠された標的とは?

<今回の有名人>
「たいがいブス」マツコ・デラックス
『5時に夢中!』(TOKYO MX、12月18日)

 毒舌が人気とされる芸能人は、年月の経過とともに、毒舌の方向性を変えていく。2005年『5時に夢中!』(TOKYO MX)で本格的なテレビデビューを果たし、瞬く間に国民的人気を博したマツコ・デラックスも例外ではない。

 テレビに現れて10年余、マツコは3回、微妙に毒舌の方向性を変えていると私は思っている。まずはI期。テレビに出始めた頃のマツコは「口は悪いがユーモアと観察眼があり、情に厚い」というドラマや映画によくいるおネエと一致したキャラで登場する。

 中村獅童が飲酒運転と信号無視をして警察に捕まった時、同乗していたのが女優の岡本綾だった。獅童は竹内結子と結婚していたので不倫の疑いがあったものの、コメントを求められたマツコは、

「本当は一緒にいたのは、(元プロゴルファーの)岡本綾子さんだったんじゃないの?」

と茶化して笑いを誘った。民放のワイドショー的な切り口に飽き飽きしていた視聴者は、だんだんマツコの笑いに魅了されていく。この頃は、頻繁に「ブスが調子に乗ってんじゃないよ!」といった、いかにもおネエがいいそうな発言をよくしていたし、酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕された時、「週刊朝日」(朝日新聞出版)に「そもそも酒井法子は全然清純じゃない」「あんな気の強いオンナいないよ」といった悪口とも取れる内容のコメントを出していた。

 続いてII期。政治や経済に対するマツコのコメントにも支持が集まり、視聴者の評価も「おネエだから面白い」から「面白いコメンテータがおネエ」に変わっていく。JALのキャビンアテンダント、附属校からエスカレート式での大学卒業組、美魔女、田園都市線沿線エリアなど、一般的に、世間があこがれているもの、もてはやされているものについて、マツコはばっさり「価値がない」と斬っていく。

 マツコの人気はうなぎのぼりで、ご意見番を通り越して「マツコの発言は、全部正しいに決まっている」という空気も漂い出す。冠番組を持ち、CMに出るようになった影響もあって、マツコは発言に慎重になり、ブスのように“生まれつきのもの”“変えられないもの”に対して厳しいコメントはしなくなっていく。毒舌で名を成したマツコが、毒を吐けなくなると、自分のタレント生命にも関わってくる。マツコ自身も危機感を持っていたのではないだろうか。

 そして、17年の11月6日をもって、マツコはIII期に入ったと私は信じている。『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演したマツコは、「(太っていておなかが出ているので)自分の足元が見えない」と、自分で自分の体形をいじってみせた。これは私が知る限り、初めてのことだ。マツコは共演する芸能人に体形をいじらせることは許しても、自分から発言することはなかったのだ。

 自らの体形いじりとともに解禁したのが、ブス攻撃である。

 12月18日放送の『5時に夢中!』で、マツコは「健康にいいだのなんだの言って、コンビニで常温の水を選ぶのは、たいがいブス」と発言していた。ブスという差別語を使うことは、イメージダウンになりかねないが、マツコは毒舌の活路をブスに見いだしたのではないだろうか。人のことをブスと言う代わりに、自分の体形のことも攻撃することで「上から目線」という批判を封じて、バランスを図っているように私には思えるのだ。

 ブスという言葉に嫌悪感を抱く視聴者もいるだろうが、ここで考えてみたいのはブスとは何かということだ。

 美人の証明はしやすい。女優やモデルなど外見でお金を稼げる職業の女性は、あきらかに美人といえる。しかし、ブスは定義することも証明することもできない。「他人にブスと言われたらブスと判断すべき」という人もいるだろうが、「オタサーの姫」という言葉もある通り、環境が変われば評価は変わる。女優やモデル、女子アナといった美人職の場合でも、人が集えば上下が発生して、その中でブス呼ばわりされる人が出てくる。つまり、美人職の上位集団を除けば、ブスは誰にでもなる可能性があり、特定不可能ということになる。

 ブスについて、こんな話を聞いたことがある。適性がなくてすぐにクビになったものの、私がかつて漫画の原作をしていた時、編集者に「ブスを主人公にしてはいけない」と言われた。表面的なふるまいはさておき、自分のことを心からブスだと思っている人はほとんどおらず、自分を高く見積もっていることの方が多い。なので、ブスを主人公にしてしまうと、私には関係ない話だと感情移入してもらえなくなるからというのが、その理由だった。

 ブスが特定不可能であることと、編集者の話をまとめると、「ブスは確かに存在するが、私ではない」と捉えている人が多いということになる。となると、ブスは本人の自意識の問題ということになるのではないだろうか。

 また、マツコはブス発言の際、表現に気を使っている。

 「コンビニで常温の水を買う〇〇(個人名)はブスだ」と名指しする発言は誰かを傷つけるが、「コンビニで常温の水を買うのは、たいがいブス」という、相手を特定しない表現にして、うまく逃げているのだ(コンビニで常温の水を買ったとしても、私はブスではないと本人が思えば差別は成立しない)。

 おそらくマツコ本人も、自分がここまで人気が出て、一種の権力になるとは思ってもいなかっただろう。今、マツコがかつてのように毒舌を吐くと、単なる“見下し”になってしまう。だから、マツコはブスという名の自意識に照準を定めたのではないだろうか。

 マツコといえば、「インスタグラムが嫌い」と各番組で公言しているが、インスタグラムが伝えたいのが、「おいしいもの」ではなく「おいしいものを食べた私」という自意識であることから考えると、マツコがターゲットにしているのは、ブスやインスタそのものではなく、やはり自意識に思えてならない。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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にゃんこスター・アンゴラ村長、大先輩・モモコへの発言に見る「自己中」「今どき」な思考回路

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「今日、ごはんに連れて行ってくださいって言おうと思いました」にゃんこスター・アンゴラ村長
『ナカイの窓』(日本テレビ系、12月6日)

 「感覚が違う」「新しい」という意味で、“今どき”だなと思う女性有名人が2人いる。

 1人目はフジテレビ・山崎夕貴アナウンサー。元横綱・日馬富士が幕内力士の貴ノ岩を暴行した原因は、「横綱・白鵬が貴ノ岩を説教中に、携帯をいじるという“非礼”がきっかけとなった」といわれているが、数年前に山崎アナも同じようなことをしている。

 オリコン主催の「好きな女性アナウンサー」にランクインするなど、フジテレビのエースとなりつつあった山崎を、石橋が鮨屋に連れて行った時のこと。山崎は、石橋と話している最中に携帯をいじった上に、かかってきた電話に断りも入れずに出たことを『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)で暴露されていた。「まいっちゃった」と石橋が自嘲気味に笑い、スタジオからも追従笑いが起きる。が、当の山崎アナは、笑うでも謝罪するわけでもなく、表情にも変化は見られなかった。

 石橋のような大物芸能人を前に、女子アナが非礼を働くというのは、フジテレビの一種のお家芸で、かつて木佐彩子アナがよくやっていた。帰国子女である木佐アナは、漢字や敬語が苦手だったがゆえの非礼なのだが、あくまでもカメラが回っている時なので、双方遺恨はない。

 しかし、プライベートは違う。食通で知られる石橋が、山崎のような人気アナウンサーを庶民的な店に連れて行くとは考えづらい。さらに言うと、大物の自覚がある石橋が、山崎アナと割り勘にすることはあり得ないだろう。業界の大物にご馳走してもらうのに、しかも、怒らせたら面倒くさそうな石橋相手にそりゃないだろうと思うが、こういう思考回路こそ“古い”のだと思う。

 「誘われたから、もしくは断りきれなかったから、鮨屋に行った」「だから、高い店だろうと安かろうと、私には関係ない」「電話に出たのは、仕事中ではないから」――山崎の“言い分”を勝手に想像すると、こんな感じなのではないか。

 石橋をはじめとした古い人は、「自分クラスのポジションの人間に誘われたら、うれしくてたまらないはず」と思っているものの、“今どきの人”にとって、上司や取引先は仕事中の人間関係であって、まるで会社の中の自販機のように、定時が過ぎたら用はないのではないだろうか。偉い人であろうと、そうでなかろうと、基本的に自分にしか興味ないのが“今どき”なのである。

 山崎アナの“今どき”感が最大限に発揮されたのが、『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に、俳優・小泉孝太郎が出演した時のことである。孝太郎は言わずとしれた小泉純一郎元首相の子息だが、「家事は全部女性にやってほしい」と発言すると、山崎アナは「器の大きさがほしい」「私のカレは全部やってくれる」と反論していた。山崎アナの彼氏は、お笑い芸人・おばたのお兄さんで、売れている芸人とは言いがたい。総理大臣の息子の前で、売れない芸人を褒めることができるのも、“今どき”だと私は感じる。

 2人目の“今どき”の人。それが『キングオブコント2017』で、一躍、時の人となった、にゃんこスターのアンゴラ村長である。顔のパーツこそ違えど、大きく見開いた目と、口をとがらす仕草が、往年の広末涼子を思わせて女性の敵が多そうな印象を受ける。アンゴラ村長は23歳と若い分、“今どき”感が山崎アナより強いのだ。

 『ナカイの窓』(日本テレビ系)は、芸能人のトーク内容をもとに、専門家が「心理学的に〇〇な人」という診断をつける番組だが、12月6日放送の回は、いつもと趣向が異なり、ドッキリを敢行。心理学者が、ゲストのハイヒール・モモコを「威圧的なので、これからの時代、危ない人」と断言、ゲストMCの次長課長・河本準一、モモコがそれに反発するというヤラセのケンカを繰り広げ、平成生まれの女芸人(アンゴラ村長、ガンバレルーヤ、たまかつなな)が、どう対応するかで深層心理を見るという内容だった。

 たかまつは「先輩風を吹かしていると思ったことはない」、ガンバレルーヤは「番組前に、どんどん言いたいことを言っていいと言ってくださった」と、モモコが“してくれたこと”を披露し、モモコを擁護する。しかし、アンゴラ村長は「今日、ごはんに連れて行ってくださいって言おうと思いました」と、1人だけ“自分の気持ち”を話しているのである。

 おそらく「『ごはんに連れて行ってください』と言いたくなるほど、優しい先輩」と言いたかったのだと思うのだが、お笑いの世界でよく言われる「先輩が払う」システムからすると、食事に連れて行くメンバーを決めるのは、先輩(この場合、モモコ)であって、アンゴラ村長ではない。「先輩に食事に連れて行ってもらって、うれしい」という思考回路が旧式、「誘われたから、行っただけ」という思考回路が山崎式だとすると、アンゴラ村長はもっと進んで「優しい先輩だから、食事に行ってやってもいい」という、さらに進んだ“今どき”の思考回路といえるのではないだろうか。

 自分から食事をねだるのは、オトコ芸人には喜ばれるだろうが、共演回数の少ない同性の先輩だと図々しいと思われる可能性もある。しかし、後輩の頼みを断ると先輩の了見に関わるので、表向きは「いいよ、連れて行くよ」となるのが同性の怖いところである……が、書いているうちに気づいた。こういう人は、自分中心なので、怖さなんてまるで感じない。一発屋の気配濃厚だが、アンゴラ村長は案外生命力のある芸能人になりそうだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの