選挙での獲得票数と信仰心のあつさは比例する!? 公明党と創価学会の内情を描く問題作『息衝く』

 東京の西郊外にぽつんと建つ田無タワーは、明日の天気を予報することで知られている。日没後にライトアップされたタワーが青色だと雨、黄緑だと曇り、紫色だと晴れになる。木村文洋監督の映画『息衝く(いきづく)』には、田無タワーが度々映し出される。タワーを見上げれば、少なくとも明日の空模様だけは知ることができる。寄る辺なき者たちの不安げな心情が、そこには感じられる。いつまでも続く経済不況に加え、震災や原発事故、そして右傾化する社会……。『息衝く』は明るい未来を予測することができずにいる今の社会状況を、政治、宗教、家族など様々な視点から見つめたドラマとなっている。

 今の日本の政治を、多くの人はおかしなものだと感じている。震災後、自滅していった民主党政権に代わって、再び自民党が与党となり、安倍内閣による長期政権が続いている。だが、その政権を支えているのは選挙で安定した強さを発揮する公明党であり、その公明党は巨大な宗教組織「創価学会」によって支えられている。かつて野党時代の公明党は福祉政策や世界平和を訴えていたが、与党となったことで立場が大きく変わってしまった。自民党も公明党も学会員も含め、みんな違和感を感じながらも、走り出した列車を誰も止めることができずにいる。今さら口を出すことも憚れる、裸の王さま状態の政権に将来を委ねなくてはならない日本社会の不透明さ、変えようのない現実に対するジレンマが、『息衝く』のモチーフとなっている。

 物語は1989年から始まる。核燃料再処理工場の誘致が決まった青森県六ヶ所村から母親に連れられて上京してきた少年・則夫は、最初に声を掛けてきた2歳年上の大和、大和と幼なじみの慈と仲良くなり、完成したばかりの田無タワーを眺めていた。3人の子どもたちのことを、父親代わりの森山(寺十吾)がいつも見守ってくれていた。大和は「よだかの星は、ここから見えますか?」と森山に尋ねる。童話『よだかの星』を書いた宮沢賢治が熱心な法華経の信者だったように、森山や3人の子どもたちも法華経の信者だった。彼らは宗教団体「種子の会」に所属していた。「よだかの星を一緒に探そうか」という森山の返事に、子どもたちは嬉しそうにうなずいた。

 それから25年の歳月が流れた。則夫(柳沢茂樹)と大和(古屋隆太)は「種子の会」の信者として過ごしていたが、世の中はずいぶんと変わった。「種子の会」を母体にした政治団体「種子党」は与党政権に付いていたが、すでに独自色は失われ、政権にしがみつく存在となっていた。信者たちの間でカリスマ的な人気を誇った森山は国会議員として活躍したものの、10年前の自衛隊派遣問題をきっかけに政界を辞め、則夫たちの前からも姿を消していた。大和も則夫も父親のように慕っていた森山が失踪したことにショックを受けたが、「種子党」幹事長の金田(川瀬陽太)は次の選挙に協力するよう大和、則夫に要求する。家族や職場のことで悩みを抱える大和と則夫は、自分たちの手で社会を変えようと選挙運動に尽力するが、選挙終了後、彼らはさらに厳しい現実を直視するはめに陥る──。

 青森県出身の木村文洋監督は、六ヶ所村の核燃料再処理工場で働く青年とその婚約者を主人公にした社会派ドラマ『へばの』(08)で長編監督デビューを飾った。その後、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の幹部・平田と女性信者との逃亡生活にインスパイアされた『愛のゆくえ(仮)』(12)も撮っている。今回の『息衝く』は、青森ロケを敢行した『へばの』を公開した直後に「原発関連の施設のある地元だけの問題で終わらせずに、加害者であり、また被害者でもある日本人全体の立場から作品を撮らなくては」と思い立った企画だ。途中、東日本大震災が起こり、完成するまで10年近い歳月を要した。木村監督も含めて5人の脚本家たちによる共同作業を経て、様々な視点を盛り込んだ群像劇となっている。「種子の会」の強い繋がりや、選挙の投票日に会員たちがみんなで懸命に祈祷する様子などは、木村監督自身が大学時代に「創価学会」に入っていたときの体験をもとにしたものだ。

木村監督「もともと宗教に関心があり、青森から京都大学に進学した際に知人に勧められて創価学会に入会したんです。投票日にみんなで祈祷しているシーンは、僕が学生時代に見た光景です。選挙での獲得票数が信仰心のあつさと比例するという考え方は多分、今も続いているはずです。僕は映画サークルの活動が次第に忙しくなったこともあって、1年で集まりには参加しないようになりましたが、孤独な人間にとって居場所が用意されていることはすごく心地のよいこと。僕が入信した1990年代はもうそれほどではなかったと思いますが、創価学会が信者数を大きく増やした60年代や70年代は、地方から都会に上京してきた次男や三男、頼る相手のいない出稼ぎ労働者たちにとっては大切なコミュニティとして機能していたはずです。学会員の知人との交流は今も続いていますし、マジメに宗教活動している学会員も少なくないと思います。でも、マジメに活動している人ほど、今の政治状況には悩んでいるように感じるんです」

 劇中で描かれている「種子の会」「種子党」は、創価学会と公明党をモデルにしたものだが、本作は宗教&政治タブーを扱うことで安直に話題づくりを狙ったものにはなっていない。大きな矛盾を抱え、葛藤しながらも、前へ進まざるをえない今の日本の社会状況を象徴する存在として描かれている。

木村監督「原発が経済的にも非合理なものであることはすでにみんな気づいているのに、日本では地方の独占企業である電力会社の力が強く、また中央の人間も原発を止めたがらない。こういった状況を変えるには、従来とは異なる価値観を持った人たちが増え、声を上げていくことが重要だと思うんです。異なる価値観をつくるために、宗教関係者にも、脱会者にも、何より自分の帰属体が分からない人にこそ、そこを考えてほしいんです。この映画が公開されることで、政治や宗教についてもっと普通に話し合えるような空気になればいいなと思うんです」

 物語のなかば、則夫と大和はシングルマザーとなっていた慈(長尾奈奈)と再会する。やがて3人は、子どもの頃のように「よだかの星」を探す旅に向かう。そして、3人は変わり果てた「よだか」と遭遇することになる。カリスマ的指導者に依存することなく、どうすれば明日を信じることができるのか。田無タワーが告げる天気予報と違い、この映画が投げ掛ける問いの答えは容易には見つからない。
(文=長野辰次)

『息衝く』
監督/木村文洋 脚本/木村文洋、桑原広考、中植きさら、杉田俊介、兼沢晋 音楽/北村早樹子
出演/柳沢茂樹、長尾奈奈、古屋隆太、木村知貴、齋藤徳一、GON、小山雄貴、片方一予、中村卓也、岡村まきすけ、遠藤隼斗、野口雄介、申瑞季、首くくり拷象、小宮孝泰、西山真来、坂本容志枝、川瀬陽太、寺十吾
配給/team JUDAS 2017 2月24日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
c) team JUDAS 2017
http://www.ikiduku.com/

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美少女人魚たちのストリップショーに目が釘付け!! 背徳感溢れる官能系ミュージカル『ゆれる人魚』

 未知なる性感帯を探り当てられたような、自分では気づいていなかった性癖を暴かれたような、そんなエロティックな喜びがある。ポーランド映画『ゆれる人魚』は、これまでちょっと観たことのないタイプの官能系ホラーミュージカルだ。美しい裸体をくねらせる人魚姉妹のストリップ&歌唱シーンに、思わず骨盤の奥のあたりが疼き始めてしまう。背徳感溢れる92分間の映像世界に、すっかり身も心も虜になってしまう。

 本作の主人公となるのは、セイレーン伝説で知られる2人の人魚たちだ。かつて人魚は、美しい歌声で船乗りたちを惑わし、次々と船を沈めては船乗りたちの肉をむさぼり喰ったと欧州では言い伝えられてきた。そんな恐ろしい伝説を持つ人魚姉妹が近現代のポーランドに現われ、都会のナイトクラブでステージデビューを果たすことになる。シルバーとゴールデンという名の美しい人魚姉妹は、自慢の歌声でたちまちナイトクラブの人気者となっていく。人魚姉妹は歌い、踊る。男たちを喰い殺したいという願望を優しい笑顔で隠しながら。

 人魚姉妹のシルバー(マルタ・マズレク)とゴールデン(ミハリーナ・オルシャンスカ)が、とても魅力的だ。名前はシルバーだが金髪の姉はイノセントタイプ、妹のゴールデンはブルネットヘアにクールなルックスで、それぞれ男心を掻き立てる。海から陸に上がった人魚姉妹は人間の姿に変身しているが、ナイトクラブの支配人(ジグムント・マラノヴィッチ)が2人を丸裸にしてボディチェックをすると、シルバー&ゴールデンの下半身には女性器もヘアもアヌスも存在しないことが分かる。2人の下半身は人間に変身したときだけの仮の姿だからだ。ところが、この美少女たちに少量の水を垂らすと、2人は我慢できずにヌメヌメとした元の人魚の姿に戻ってしまう。人間ならざるものたちの妖しい姿に、ますます惹き付けられてしまう。

 夜も更け、いよいよナイトクラブでのステージが幕を開ける。2人の美少女シルバー&ゴールデンのデビューライブに、ウォッカを片手にした客たちは大喜びだ。ちなみにこの映画の時代&舞台設定は1980年代のポーランドの首都ワルシャワ。当時のポーランドは共産政権時代末期にあたり、普段は質素な生活を強いられていた市民たちは週末のナイトクラブでのみ自由を謳歌した。

 70~80年代のノリのいい欧米のディスコサウンドが生演奏される中、シルバー&ゴールデンは楽しげに歌い踊る。そしてすっぽんぽんとなり、ステージ中央に置かれた巨大水槽へ飛び込み、人魚姿を披露する。美少女たちのこの大イリュージョンを、観客たちは大歓声で讃えまくった。共産時代のアンダーグランドカルチャーが、当時のポーランドを知らない人間にはとても新鮮なものに映る。ロシアやドイツなど強国の支配に抑圧され続けたポーランド市民の歪んだ欲望と人魚姉妹の妖しさとがスパークしたライブステージに、観る者は禁断の喜びを覚えずにはられない。

 こんな妖艶な人魚姉妹を、男たちが放っておくはずがない。姉シルバーはバックバンドの若いベーシスト(ヤーコブ・ジェルシャル)とたちまち恋に堕ちていく。アンデルセンの童話『人魚姫』のような、甘いラブロマンスが奏でられることに。一方のゴールデンは人間の男を毛嫌いしており、自分に近づく男たちを誰もいない場所に呼び出しては、エロい妄想で頭がいっぱいな男の首筋に鋭い牙で噛み付く。返り血を浴びたゴールデンは元の人魚の姿に戻り、本能の赴くまま毒ウツボのような長い下半身を気持ちよさげにくねらせる。ステージではぴったり息の合ったデュエットを披露するシルバー&ゴールデンだが、2人の性格はまるで正反対だった。

 本作で長編デビューを飾ったアグニェシュカ・スモチンスカ監督は、1978年のポーランド生まれの女性監督。母親が経営するナイトクラブのバックステージで少女期を過ごし、そんな彼女自身の大人の世界を垣間みた鮮烈な記憶をベースにした幻想譚となっている。主人公のシルバー&ゴールデンはセイレーン伝説やアンデルセン童話などの旧来の人魚イメージをまとっているが、異なる性格の人魚姉妹はその皮を一枚剥ぐと、中からは大人の女になる直前の“少女”という名のリアルモンスターが現われる。少女はその清純な魅力で男たちを虜にしてしまうが、同時に男たちを憎み、殺意すら抱いている。その相反する少女の二面性こそがシルバー&ゴールデンという人魚姉妹に姿を変え、ステージで歌い、そして踊っているのだ。少女の寿命はとても短い。そのことを知っている彼女たちは、男の新鮮な肉を喰らうことで妖しい魅力を保ち続けている。

 ストーリーとは直接関係はないが、バックバンドのバンマス格にあたるドラマー(アンジェイ・コノプカ)と歌手のクリシア(キンガ・プレイス)が、初ステージを控えたシルバーとゴールデンにアドバイスするひと言が印象的だ。

「ライブで100%の力を発揮することは大事。でも、200%の力は発揮するな」

 多くの新人たちが一瞬の閃光を放ち、そして消えていったステージを見届けてきたベテランの2人らしい、味のある言葉ではないか。この映画を観た者は多分、シルバーかゴールデンのどちらかに100%惚れてしまうだろう。だが、200%の力で恋をするのはやめたほうがいい。200%の力で恋をすると、もう二度と後戻りできないようになってしまうから。
(文=長野辰次)

『ゆれる人魚』
監督/アグニェシュカ・スモチンスカ
出演/キンガ・プレイス、ミハリーナ・オルシャンスカ、マルタ・マズレク、ヤーコブ・ジェルシャル、アンジェイ・コノプカ 
配給/コピアポア・フィルム R15+ 2月10日より新宿シネマカリテほか全国ロードショー中
C)2015WFDIF, TELEWIZJA POLSKA S.A, PLATIGE IMAGE
http://www.yureru-ningyo.jp

 

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“ニッチェ”江上と“美巨乳”筧美和子が女優覚醒!? 吉田恵輔監督の毒演出が冴える近親憎悪劇『犬猿』

 吉田恵輔監督のオリジナル脚本による新作『犬猿』が面白い。『純喫茶磯辺』(08)では新人時代の仲里依紗、『さんかく』(10)では“えれぴょん”こと元AKB48の小野恵令奈の小悪魔的な魅力を存分に引き出してみせるなど、演技キャリアのない若手女優の転がし方が抜群にうまい監督なのだ。今回の『犬猿』ではお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子、リアリティー番組『テラスハウス』(フジテレビ系)で人気者になった筧美和子をメインキャストに抜擢。まるで似てない姉妹役を演じるこの2人に、実力派俳優の窪田正孝と新井浩文が兄弟役で絡み、痛くておかしなアンサンブルが繰り広げられていく。

 舞台となるのは小さな印刷工場。出版不況にデジタル化が進み、印刷工場の経営はかなり厳しい。そんな中、病気で倒れた父親から受け継いだ工場を、長女の由利亜(江上敬子)は何とか切り盛りしていた。ガムシャラに働く姉・由利亜とは対照的に、妹の真子(筧美和子)はのほほんとした性格で、ルックスの良さと巨乳を売りにして、芸能活動に励んでいる。とはいえ、たまにあるグラビア撮影だけでは食べていけず、普段は姉が経営する工場に勤めている。職場で愛想を振りまくだけの真子のことをお得意さんはちやほやするため、由利亜は面白くない。当然ながら、姉妹仲はあまりよろしくない。

 堅物の由利亜だが、取引先である印刷会社の営業マン・和成(窪田正孝)にだけはとことん甘い。和成に気に入られようと、和成が持ってくる無茶な予算やハードな納期も、由利亜は笑顔でずっと請け負ってきた。和成を食事に誘いたい由利亜だが、奥手な性格なため、なかなか言い出せずにいる。見かねた真子が「食事に行きましょうよ」と姉に代わって切り出すが、自分もちゃっかり同席し、食事の席で一方的に盛り上がってしまう。マジメな姉は妹の要領のよさを、妹は姉のプライドの高さをお互いにうとましく感じている。

 一方の和成も家族のことで頭を悩ませていた。刑務所に入っていた兄・卓司(新井浩文)が出所し、和成のアパートで居候を始めたからだ。卓司はすぐに暴力を振るい、金銭感覚にも乏しく、定職に就くことができずにいる。和成の部屋にデリヘル嬢を呼ぶなど、やりたい放題だった。鼻つまみ者の卓司だったが、意外なことに輸入したダイエット食品が大当たり。高級車を乗り回し、親の借金を代わりに返済するなど、急に羽振りがよくなる。兄のようなヤクザ者にはなりたくない一心で、地道にサラリーマン生活を送ってきた和成にとって、兄の成功は面白くない。普段は温厚な性格の和成だが、同僚から「大丈夫? 人を殺しそうな顔をしているよ」と冗談まじりで声を掛けられ、ハッとしてしまう。ここらへんの繊細な芝居が、『僕たちがやりました』(フジテレビ系)の窪田正孝はとてもうまい。

 身近すぎる存在だから、余計に目障りに感じてしまう兄弟・姉妹間のナイーブな関係を、吉田監督は実にシビアかつコミカルに描いていく。小太り体型の姉・由利亜と違ってナイスバディな妹・真子だが、お勉強方面はさっぱり苦手。海外の映画に出演するチャンスが回ってくるが、英語が話せないためにほぞを噛むはめになる。職場や家族の中で常に必要とされている姉のことを妬ましく感じてしまう。姉がぞっこんなことを知りつつ、和成とホテルに行く関係となる。姉が欲しがっているものは、ついつい自分も欲しくなってしまうのだ。適度な距離感のある姉&弟、兄&妹と違って、同性同士の兄弟・姉妹はどうしても競争相手という意識が働いてしまう。大人になっても、その関係は続くことになる。ちなみに吉田監督はお姉さんがいるが、男兄弟は不在。兄のいる佐藤現プロデューサーの体験談や、なかにし礼の自伝的小説『兄弟』などを参考にしているそうだ。

 デビュー当初から、オリジナル脚本による『純喫茶磯辺』『さんかく』といった傑作コメディを放ってきた吉田監督。その後は東映で『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(13)、東宝で『銀の匙 Silver Spoon』(14)とメジャー系での仕事が続いたが、森田剛が連続殺人&強姦魔を大熱演した前作『ヒメアノ~ル』(16)で本来の毒気を取り戻し、監督としてステージをひとつ上げた感がある。『さんかく』でも、ひとりの男(高岡蒼佑)をめぐる姉妹(田畑智子、小野恵令奈)の諍いが描かれたが、今回の『犬猿』は姉妹のみならず、兄弟間の生死に関わる葛藤も関わり、よりバージョンアップした人間模様が描かれている。

 吉田恵輔作品は、若い女の子に対するフェティシュな目線も面白さのひとつ。『さんかく』では焼肉を食べた後の小野恵令奈の髪の匂いを高岡蒼佑がうれしそうに嗅ぐという変態チックなシーンが笑いを呼んだ。今回、吉田監督のターゲットとなったのは筧美和子だ。ずっと想いを寄せていた和成を妹の真子にかっさらわれ、由利亜は親戚が集まった新年の食事会の場で怒りを静かに爆発させる。家族や親族がまったりと過ごしているお茶の間で、由利亜はみんなの人気者・真子が出演している最新のDVDを流す。海外で撮影してきたこのDVD、いわゆる「着エロ」と呼ばれるもの。真子のマシュマロのようなボディが、男の手でマッサージされ、揉みしだかれる様子がテレビに映し出される。家族や親戚には内緒でこっそり出演した際どい「着エロ」DVDを見られ、真子は恥ずかしくてたまらない。筧美和子のリアクションは自然だし、悪意をむきだしにする江上敬子の表情もいい。吉田作品のコメディシーンには、近親者ゆえの妬み、嫉み、憎悪、コンプレックスといった本音が見え隠れし、非常に味わい深い。

 一緒にいると必ずケンカになってしまう兄弟・姉妹だが、身内以外の人間から兄や姉のことを悪く言われると、ついムキになって反論してしまう。同じ親から生まれ、同じ物を食べ、同じ環境で育ったため、どんなに似てない兄弟や姉妹でも、根っこの部分ではどうしようもなく通じるものを持っている。その根っこの部分こそが、憎たらしくて愛おしい。自分にとって最大の理解者でありながら、ちょっと油断すると足を引っ張りかねない天敵でもある。兄弟、姉妹ほど面倒くさい存在はいない。
(文=長野辰次)

『犬猿』
監督・脚本/吉田恵輔
出演/窪田正孝、新井浩文、江上敬子、筧美和子、阿部亮平、木村和貴、後藤剛範、土屋美穂子、健太郎、竹内愛紗、小林勝也、角替和枝
配給/東京テアトル 2月10日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
(c)2018「犬猿」製作委員会
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これは映画館で体感する超リアルな降霊実験だ!! 現世と異界とを結ぶ試み『霊的ボリシェヴィキ』

 現代科学ではまだ証明されていないオカルトパワーによって社会革命を遂行し、新しい世界を創ろう。“霊的ボリシェヴィキ”という耳慣れない言葉を分かりやすく翻訳すれば、こんな感じだろうか。霊的ボリシェヴィキとは、人気オカルト雑誌「ムー」(学研プラス)に多大な影響を与えた神道霊学研究家・武田崇元が提唱した言葉であり、オウム真理教の麻原彰晃も感化されたのではないかと噂されている。古来より日本では言葉には霊力が宿るとされてきたが、そんな言霊感たっぷりな霊的ボリシェヴィキという言葉に魅了された映画人が、『女優霊』(95)や『リング』(98)の脚本家として著名な高橋洋だった。彼がメガホンをとった映画『霊的ボリシェヴィキ』は、ホラー映画界に革命をもたらしかねないほどの恐ろしさに満ちあふれている。

 推理小説『シャーロック・ホームズ』シリーズやSF小説『失われた世界』で知られる作家アーサー・コナン・ドイルだが、晩年はオカルト研究に没頭した。発明王トーマス・エジソンは、霊界との通信機を開発することに熱中している。ナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーも、オカルト研究に並々ならぬ興味を示した。知識人ほどオカルトにハマりやすく、人間の死後の世界、異界について調べたくなってしまう。高橋洋監督による『霊的ボリシェヴィキ』もまた、映画製作という手法を使って、あの世の存在について探ろうとする。劇場の照明が消え、暗闇が客席を覆い、やがてリアルな恐怖が我々の足元に向かってひたひたと迫り寄ってくる。

 町はずれの廃工場らしい奇妙な施設に、7人の男女が集まってきた。この集まりを主宰した霊能者・宮路(長宗我部陽子)によって、招かれた“ゲスト”たちが身に付けていたお守りなどの宗教アイテムは回収される。会場にはICレコーダーではなく、アナログのカセットレコーダーが用意されていた。霊障があると、デジタル機器はすぐに使えなくなってしまうためだ。おごそかな空気の中、ひとりひとりがかつて遭遇した自身のオカルト体験を語り始める。ここに集まった男女は、みんな何らかの形で“あの世”に触れた過去があった。選ばれし者たちによって、濃度の高い「百物語」、こっくりさんを思わせる降霊実験が行なわれようとしていた。

 最初の語り部となったのは、屈強そうな体格の男性・三田(伊藤洋三郎)。彼は元刑務官であり、何人もの死刑囚が死刑執行される様子を見送ってきた。その中でも忘れられない死刑囚がいるという。その死刑囚は自分の処刑日が来たことを察知するや、独房の中で頑なに抵抗を続けた。あまりにも暴れ回るので、催涙弾を独房の中に撃ち込み、警棒で殴りつけ、ようやく死刑台へと連れ出すことができたが、どうしてあの死刑囚はあそこまで死を恐れたのか分からないと三田はいう。三田がそう話し終わった瞬間、どこからか怪しい男の笑い声が廃工場内に響き渡る。ゲストが恐ろしい話をする度に、廃工場内の霊気が高まり、確実にあの世がこちらへと近づいていた。薄暗い劇場で観ている我々の足元、いや首筋にまで黒い影が忍び寄っているのではないか。そんな恐怖に駆られ、思わずぞっとしてしまう。

 この集いの目的をよく知らずに由紀子(韓英恵)は恋人の安藤(巴山祐樹)に連れられて参加していたが、彼女は幼い頃に“神隠し”に遭ったという特殊な体験をしていた。無事に発見された由紀子だが、神隠し中のことはまるで覚えておらず、それ以来ずっと奇妙な違和感を感じながら生きてきた。鏡を覗くと、何か不思議なものが映っているような気がしてならないのだ。やがて由紀子が自分の体験を話す順番が訪れるが、それまで明るかった窓の外が急に暗くなってしまう。高まった霊気によって、廃工場内の時間の流れまで狂ったらしく、あっという間に日が沈んでしまった。由紀子たちは廃工場に隣接する宿泊所に泊まり、不気味な夜が過ぎていく。翌日、由紀子はいよいよこの集いの本当の目的、霊的ボリシェヴィキを体験することになる。

 Jホラーブームを巻き起こした『女優霊』や『リング』シリーズの脚本を手掛けた後、高橋洋は自身で監督も務め、より先鋭化されたホラー映画を撮るようになった。藤井美咲、中村ゆりが出演した『恐怖』(09)では、人間の脳の側頭葉にあるシルビウス裂に刺激を与えることで人為的に遊体離脱を起こすという実験に取り憑かれた脳科学者(片平なぎさ)の狂気が描かれた。本作もまた、常規を逸した心霊実験をシミュレーションしたものとなっている。刑務官だった三田や神隠しに遭った由紀子たちがそれぞれ語るエピソードは、実際にあった出来事や高橋監督自身の記憶をベースにしたものばかりだ。キャストが集まっての初めてのホン読み(脚本の読み合わせ)は、「まるでそれ自体が降霊実験のようだった」とスタッフが語るほどの緊張感に満ちていたという。

 本作は映画ではない。あの世とは何か、生きた人間が異界を知覚することができるものなのかを証明しようとする、観客参加型の心霊実験となっている。上映時間は72分と短いが、身の毛のよだつ一夜を過ごしたかのような濃厚な恐怖体験を味わうことになる。人間が感じる恐怖とはどこから生まれてくるものなのか? その恐怖の源泉を、高橋監督は映画を通して探ろうとする。本作が製作された2017年は、奇しくもロシア革命から100年というメモリアルイヤーだった。多大な血が流れた社会革命から101年、高橋監督は映画館の暗闇の中で、新しい革命を試みている。
(文=長野辰次)

『霊的ボリシェヴィキ』
監督・脚本/高橋洋
出演/韓英恵、巴山祐樹、長宗我部陽子、高木公佑、近藤笑菜、河野知美、本間菜穂、南谷朝子、伊藤洋三郎
配給/『霊的ボリシェヴィキ』宣伝部 2月10日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
C)2017 The Film School of Tokyo
https://spiritualbolshevik.wixsite.com/bolsheviki

 

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野生動物を狩る“トロフィーハンティング”の実態! キリンが解体される現代のモンド映画『サファリ』

 これは現代の首狩り族の物語だ。現代の首狩り族は肌がとても白く、高性能ライフルを持ち歩き、シマウマやヌーといった野生動物を見つけては安全な距離から仕留めてみせる。野生動物の死体を前にした記念写真を誇らしげに撮った後は、束の間の休暇を終えて遠い母国へと帰っていく。戦利品となる野生動物の首や剥ぎ取られた毛皮は、現地人によってきれいに加工され、後ほど輸送されるか、現地にて保管されることになる。ハンティングを主宰する白人オーナー宅は、野生動物たちの剥製ですでにいっぱいだ。ドキュメンタリー映画『サファリ』は、裕福な欧米人たちの高貴な趣味である“トロフィーハンティング”の実態を明らかにしていく。

 アフリカの草原に棲息するライオンやキリンなどの野生動物は狩猟が禁じられていると思いきや、それはかつて狩りを行なうことで生活の糧としていた地元住民に対してのみ。バカンスに来た欧米人たちが数百万円もの料金(動物の希少度によって料金は変動)を支払えば、狩猟は合法的に許可される。狩猟地帯では白人ガイドが付きっきりで獲物となる野生動物を探し、撃つ場所や引き金を引くタイミングまで教えてくれる。しかも、客が仕留めた瞬間、「やった! 大物だ! あんたは誇りだ!」とヨイショまでしてくれる。生きた標的を倒した客は恍惚感に酔いしれ、その間にも白人ガイドの助手をしている地元スタッフが雑草を刈り、死体を動かし、記念写真が撮りやすいように整える。ヌー、ウォーターバック、シマウマたちが次々とトロフィーハンティングの餌食となる。カメラはその様子を淡々と映し出していく。

 本作を撮ったのは、ケニアを舞台にした『パラダイス:愛』(12)などで知られるオーストリア在住の国際派監督ウルリヒ・ザイドル。野生動物たちが狩られるトロフィーハンティングに対し、ザイドル監督が否定的なことはスクリーン越しに伝わってくる。でもなぜ、欧米人は中世の貴族的な狩猟行為を好むのか。その謎を、ザイドル監督のカメラはあぶり出そうとする。白人ハンターは主張する。「我々がお金を払うことで、発展途上国の人々は経済的に潤うことになる。両者にとって有益ではないか」と。まだ幼い面影を残す若いハンターは言う。「年老いた動物や病気の動物がいなくなることで、彼らの繁殖の役にも立っているんだ。ハンティングは動物たちにとっての救済みたいなものだよ」。

 アフリカ諸国へトロフィーハンティングを目的に訪ねるハンターたちの数は年間1万8,500人。アフリカ諸国の収益は年間217億円にもなる。そのため、どの国も積極的にハンティングの許可を出している。収益金は野生動物の保護費に回すというのが建前だが、実際は関係者たちが私服を肥やしているというのが実情らしい。

 アフリカを舞台にした本作を観て思い出すのは、クリント・イーストウッド監督&主演作『ホワイトハンター ブラックハート』(90)だ。『ホワイトハンター』でのイーストウッドは、ハリウッド黄金期の大監督ジョン・ヒューストンに扮している。ヒューストンは冒険活劇『アフリカの女王』(51)の撮影のためにアフリカ南部を訪れるが、巨大なアフリカゾウを狩ることに夢中になっていく。黒人差別やユダヤ人叩きをとことん嫌うリベラリストのヒューストンながら、地上でもっとも高貴な生き物であるゾウを自分の手で仕留めたいという願望から逃れられなくなってしまう。野生動物を狩ることはこの世の罪であることを認めながら、「許可書さえ買えば、誰でも犯せる罪だ。だからこそ、その罪を犯してみたくなる」と心の中に渦巻くドス黒い衝動を抑えることができない。

 ジョン・ヒューストン、そしてクリント・イーストウッドの心の中でとぐろを巻く黒い欲望の正体に、本作のカメラは迫っていく。アフリカゾウは姿を見せないものの、大草原きっての優雅さを誇る大きなキリンが倒されるシーンが後半には待っている。かつては神獣扱いされていたキリンが絶命する瞬間、スクリーンの中の空気は巨大な神木が切り倒れたかのように、おごそかなものになる。だが、空気が凝縮したのは一瞬であり、仕留めた白人ハンターと彼が同伴した美しい妻が満足げな表情で記念撮影を始め、空気はどんよりと弛緩していく。彼ら白人ハンターの普段の職業は本作では明かされないが、トロフィーハンティングに関する資料を読むと、裕福な欧米人、特に医者が多いとある。医者たちは多くの人々の命を救った手で、ライフルを握り、大草原で生きる高貴な野生動物たちを狩っているわけだ。

 カメラはさらにトロフィーハンティングの暗部へと進んでいく。すでに冷たくなった野生動物はトラックに乗せられ、プレハブ風の小屋へと運び込まれる。解体作業に従事するのは地元の人々だ。シマウマの縞模様の毛皮は剥ぎ取られ、大地を駆った頑強な脚は斬り落とされる。そしてキリンはお腹を割かれ、大きな大きな内臓が取り出される。狩りを終えた白人ハンターたちが必要なのは勝利者トロフィーとしての猛獣たちの首、角、毛皮だけであり、残された肉塊は解体作業で汗を流した地元スタッフへの報酬として与えられる。余計なナレーションによる解説はなく、黒い肌をした地元民が黙々と肉をほおばる姿が流れるのみである。白人ハンターたちが雄弁なのに対し、彼らは冷たい視線でカメラをただじっと見つめ返す。

 これは現代の首狩り族の物語だ。多くの欧米人は、心の中に首狩り族を飼っている。そして年に一度か二度のバケーションの際に、心の中の首狩り族を異境の大草原で解き放ってみせる。文明社会から解放された喜びに溢れ、首狩り族は実弾を込めた祝砲を次々と撃ち続ける。心の中に首狩り族を飼っているのは、欧米人だけではない。きっと日本人の心の中にも、黒い衝動は隠されているはずだ。
(文=長野辰次)

『サファリ』
監督/ウルリヒ・ザイドル 脚本/ウルリヒ・ザイドル、ヴェロニカ・フランツ
配給/サニーフィルム 1月27日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラム、2月3日(土)よりシネ・リーブル梅田ほか全国ロードショー
WDR Copyrights(c)Vinenna2016
https://www.movie-safari.com

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野生動物を狩る“トロフィーハンティング”の実態! キリンが解体される現代のモンド映画『サファリ』

 これは現代の首狩り族の物語だ。現代の首狩り族は肌がとても白く、高性能ライフルを持ち歩き、シマウマやヌーといった野生動物を見つけては安全な距離から仕留めてみせる。野生動物の死体を前にした記念写真を誇らしげに撮った後は、束の間の休暇を終えて遠い母国へと帰っていく。戦利品となる野生動物の首や剥ぎ取られた毛皮は、現地人によってきれいに加工され、後ほど輸送されるか、現地にて保管されることになる。ハンティングを主宰する白人オーナー宅は、野生動物たちの剥製ですでにいっぱいだ。ドキュメンタリー映画『サファリ』は、裕福な欧米人たちの高貴な趣味である“トロフィーハンティング”の実態を明らかにしていく。

 アフリカの草原に棲息するライオンやキリンなどの野生動物は狩猟が禁じられていると思いきや、それはかつて狩りを行なうことで生活の糧としていた地元住民に対してのみ。バカンスに来た欧米人たちが数百万円もの料金(動物の希少度によって料金は変動)を支払えば、狩猟は合法的に許可される。狩猟地帯では白人ガイドが付きっきりで獲物となる野生動物を探し、撃つ場所や引き金を引くタイミングまで教えてくれる。しかも、客が仕留めた瞬間、「やった! 大物だ! あんたは誇りだ!」とヨイショまでしてくれる。生きた標的を倒した客は恍惚感に酔いしれ、その間にも白人ガイドの助手をしている地元スタッフが雑草を刈り、死体を動かし、記念写真が撮りやすいように整える。ヌー、ウォーターバック、シマウマたちが次々とトロフィーハンティングの餌食となる。カメラはその様子を淡々と映し出していく。

 本作を撮ったのは、ケニアを舞台にした『パラダイス:愛』(12)などで知られるオーストリア在住の国際派監督ウルリヒ・ザイドル。野生動物たちが狩られるトロフィーハンティングに対し、ザイドル監督が否定的なことはスクリーン越しに伝わってくる。でもなぜ、欧米人は中世の貴族的な狩猟行為を好むのか。その謎を、ザイドル監督のカメラはあぶり出そうとする。白人ハンターは主張する。「我々がお金を払うことで、発展途上国の人々は経済的に潤うことになる。両者にとって有益ではないか」と。まだ幼い面影を残す若いハンターは言う。「年老いた動物や病気の動物がいなくなることで、彼らの繁殖の役にも立っているんだ。ハンティングは動物たちにとっての救済みたいなものだよ」。

 アフリカ諸国へトロフィーハンティングを目的に訪ねるハンターたちの数は年間1万8,500人。アフリカ諸国の収益は年間217億円にもなる。そのため、どの国も積極的にハンティングの許可を出している。収益金は野生動物の保護費に回すというのが建前だが、実際は関係者たちが私服を肥やしているというのが実情らしい。

 アフリカを舞台にした本作を観て思い出すのは、クリント・イーストウッド監督&主演作『ホワイトハンター ブラックハート』(90)だ。『ホワイトハンター』でのイーストウッドは、ハリウッド黄金期の大監督ジョン・ヒューストンに扮している。ヒューストンは冒険活劇『アフリカの女王』(51)の撮影のためにアフリカ南部を訪れるが、巨大なアフリカゾウを狩ることに夢中になっていく。黒人差別やユダヤ人叩きをとことん嫌うリベラリストのヒューストンながら、地上でもっとも高貴な生き物であるゾウを自分の手で仕留めたいという願望から逃れられなくなってしまう。野生動物を狩ることはこの世の罪であることを認めながら、「許可書さえ買えば、誰でも犯せる罪だ。だからこそ、その罪を犯してみたくなる」と心の中に渦巻くドス黒い衝動を抑えることができない。

 ジョン・ヒューストン、そしてクリント・イーストウッドの心の中でとぐろを巻く黒い欲望の正体に、本作のカメラは迫っていく。アフリカゾウは姿を見せないものの、大草原きっての優雅さを誇る大きなキリンが倒されるシーンが後半には待っている。かつては神獣扱いされていたキリンが絶命する瞬間、スクリーンの中の空気は巨大な神木が切り倒れたかのように、おごそかなものになる。だが、空気が凝縮したのは一瞬であり、仕留めた白人ハンターと彼が同伴した美しい妻が満足げな表情で記念撮影を始め、空気はどんよりと弛緩していく。彼ら白人ハンターの普段の職業は本作では明かされないが、トロフィーハンティングに関する資料を読むと、裕福な欧米人、特に医者が多いとある。医者たちは多くの人々の命を救った手で、ライフルを握り、大草原で生きる高貴な野生動物たちを狩っているわけだ。

 カメラはさらにトロフィーハンティングの暗部へと進んでいく。すでに冷たくなった野生動物はトラックに乗せられ、プレハブ風の小屋へと運び込まれる。解体作業に従事するのは地元の人々だ。シマウマの縞模様の毛皮は剥ぎ取られ、大地を駆った頑強な脚は斬り落とされる。そしてキリンはお腹を割かれ、大きな大きな内臓が取り出される。狩りを終えた白人ハンターたちが必要なのは勝利者トロフィーとしての猛獣たちの首、角、毛皮だけであり、残された肉塊は解体作業で汗を流した地元スタッフへの報酬として与えられる。余計なナレーションによる解説はなく、黒い肌をした地元民が黙々と肉をほおばる姿が流れるのみである。白人ハンターたちが雄弁なのに対し、彼らは冷たい視線でカメラをただじっと見つめ返す。

 これは現代の首狩り族の物語だ。多くの欧米人は、心の中に首狩り族を飼っている。そして年に一度か二度のバケーションの際に、心の中の首狩り族を異境の大草原で解き放ってみせる。文明社会から解放された喜びに溢れ、首狩り族は実弾を込めた祝砲を次々と撃ち続ける。心の中に首狩り族を飼っているのは、欧米人だけではない。きっと日本人の心の中にも、黒い衝動は隠されているはずだ。
(文=長野辰次)

『サファリ』
監督/ウルリヒ・ザイドル 脚本/ウルリヒ・ザイドル、ヴェロニカ・フランツ
配給/サニーフィルム 1月27日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラム、2月3日(土)よりシネ・リーブル梅田ほか全国ロードショー
WDR Copyrights(c)Vinenna2016
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知らなかったでは済まない人種差別の深すぎる闇! 警官が丸腰の市民を虐殺した史実『デトロイト』

 スプリームス、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダーら人気アーティストを擁したモータウン・サウンドは、広く多くの人に愛され続けている。自動車の街(モーター・タウン)デトロイトが発祥の地であり、白人向けのポップスと黒人音楽であるソウルミュージックを融合させたモータウンは、自動車産業で栄えたデトロイトを象徴する文化だった。だが、1972年にはモータウンはLAへとレーベルを移し、80年代には日本車ブームの煽りを受け、デトロイトは次第に活気を失っていく。クリント・イーストウッド監督が『グラン・トリノ』(08)で描いたような荒廃した街へと変わってしまう。米国を代表する大都市だったデトロイトは、どのようなきっかけで坂道を下り始めたのか? キャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト』は、その元凶となった“デトロイト暴動”の真相をリアルに描き出している。

 1967年に起きたデトロイト暴動は死者43名、負傷者1,100人以上に及んだ大規模暴動だった。この事件の引き金は、92年に起きたロス暴動と同じく“人種差別”をめぐる軋轢だった。自動車産業の発展は南部を離れた黒人層などの安い労働力の流入を招き、そのことを嫌った白人層が街を出たため、都市中心部の空洞化、スラム化が進んでいた。白人警官たちは街に新たに住み始めた黒人たちを蔑視し、ことあるごとに警察犬をけしかけ、警棒で殴りつけた。ベトナム戦争から帰還した黒人兵を慰労するパーティーの場で、両者の遺恨が爆発する。警察の横暴な取り締りに対し、黒人たちは投石や白人が経営する店への放火で応じた。たちまち街は戦場さながらの大混乱に陥り、ミシガン州兵が出動する騒ぎに発展していく。

 大晦日の『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時』(日本テレビ系)でダウンタウン浜田が扮していたのは、『ビバリーヒルズ・コップ』(84)に主演していた頃のエディ・マーフィーだった。『ビバリーヒルズ~』でのエディ・マーフィーは、デトロイト市警所属の不良あがりのはみだし刑事という役どころ。デトロイト暴動のさなか、このデトロイト市警が犯した大問題が「アルジェ・モーテル事件」である。デトロイト市警の白人警官たちは、アルジェ・モーテルに泊まっていた無抵抗の黒人男性たちを次々と射殺している。モーテルにいた黒人男性客のひとりが、道路で待機していた州兵に向かって悪戯心でおもちゃの拳銃を鳴らしたため、「スナイパーが潜んでいる」と勘違いした白人警官たちが雪崩れ込み、モーテルに偶然居合わせた客たちは恐怖のドン底を味わう。

 キャスリン・ビグロー監督は、イラク戦争を舞台にした『ハート・ロッカー』(08)ではいつ作動するかわからない爆破装置の解除にあたる米軍爆弾処理班の命懸けの作業を、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)ではビン・ラディン一家が米軍特殊部隊によって殺戮される様子を、息が詰まるほどの超リアリズム演出で再現してみせた。本作でもアルジェ・モーテルで起きた白人警官たちによる尋問という名の虐待行為を、40分間にわたって延々と描く。実際に事件現場に居合わせたサバイバーたちの証言をもとに、“薮の中”を照らし出してみせる。

 アルジェ・モーテルに駆け付けた白人警官クラウス(ウィル・ポールター)は普段から差別的言動が問題視されていたが、暴動で人手が足らずに現場へ駆り出されていた。おもちゃのピストルを鳴らしただけなのに、大騒ぎになったことにビビった黒人青年カール(ジェイソン・ミッチェル)が逃げ出そうとするのを見て、クラウスは背後から問答無用で射殺してしまう。だが、モーテル内をいくら探しても、本物の銃はどこにもない。クラウスは落ち着いた仕草で、カールの死体の横にナイフを置く。「ナイフで襲ってきたので、仕方なく撃った。正当防衛だった」と言い訳するためだ。無政府状態となった街では、暴力だけが正義だった。

 この日、デトロイトきっての大劇場でステージデビューを果たす予定だった男性グループ「ドラマティックス」のリードボーカルであるラリー(アルジー・スミス)も、このモーテルにいた。ステージを成功させれば、モータウン・レーベルのお偉いさんに認められ、メジャー契約できるはずだった。だが、ラリーの思い描いていたアメリカンドリームは、はかない夢で終わってしまう。暴動の余波でステージが中止となり、さらに混乱を避けるために逃げ込んだモーテルで次々と黒人客が殺される現場に立ち会ってしまう。白人のために、もう歌は歌えない。そう思わせるほど、白人警官たちによる暴行は陰惨さを極めていた。

 その夜、地獄の恐怖を味わったのは黒人客だけではなかった。モーテルに泊まっていた若い白人女性のジュリー(ハンナ・マリー)とカレン(ケイトリン・デヴァー)もまた辱めを受ける。モーテルの一室で白人女性が若い黒人と一緒にいたことが、クラウスたち白人警官には許せなかったのだ。だが、これはクラウスの個人的な感情ではなかった。米国南部では「ジム・クロウ法」という州法が1960年代前半まで定められており、黒人と白人との結婚や性行為は禁じられ、白人が利用するホテルやレストランに黒人が入ることも許されていなかった。ジム・クロウ法は人種隔離を公然と認めた悪法であり、また白人が顔を黒塗りして演じた大衆演劇「ミンストレル・ショー」の中での無知な黒人キャラクターの名前がジム・クロウだった。日本人タレントのブラックフェイス・パフォーマンスに欧米人が顔をしかめるのは、このことを連想させるからだ。

 悪戯がきっかけで根深い差別意識が首をもたげ、さらには事件を口封じするために、モーテルに泊まっていた黒人たちは血祭りにされていく。事件に巻き込まれるのを嫌って、現場にいた州兵たちはさっさと引き揚げていった。近くのスーパーマーケットの警備員をしていた黒人男性のディスミュークス(ジョン・ボイエガ)は、この事態を最小限に食い止めようと努めるが、逆に殺人罪の濡れ衣を着せられるはめに陥る。裁判になれば、クラウスたち白人警官はもう安泰だった。裁判所の判事も陪審員たちも、みんな白人。黒人を射殺した白人警官に有罪判決が下ることはまずなかった。

 リンカーン大統領による奴隷解放宣言が1862年。それから約100年後の1964年に公民権法が成立し、悪法ジム・クロウ法はようやく廃止される。だが、依然として差別意識は残り、デトロイトほか各地で暴動が起きてしまった。公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師は、デトロイト暴動の翌年1968年に貧困階級の白人男性に射殺されてしまう。キング牧師は「私には夢がある。いつの日か、私の幼い子どもたちが肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が」という有名な言葉を残したが、その夢は依然として叶えられてはいない。

 デトロイト暴動後、「ドラマティックス」は地元のモータウンではなく、別のレーベルからメジャーデビューを果たす。だが、メジャーデビューしたメンバーの中に、リードボーカルだったラリーの姿はなかった。ラリーは商業音楽の世界で歌うことをやめ、教会のゴスペルシンガーとして活動することになる。ラリーにとって、音楽は神に捧げるための神聖なものだった。1967年の夏に起きた暴動は、ラリーの人生を、そしてデトロイトという街そのものを大きく変えてしまった。
(文=長野辰次)

『デトロイト』
監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール
出演/ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイコブ・ラティモア、ジェイソン・ミッチェル、ハンナ・マリー、ケイトリン・デヴァー、ジャック・レイナー、ベン・オトゥール、ネイサン・デイヴィス・ジュニア、アレックス・スミス、デヴィッド・ケリー
配給/ロングライド 1月26日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
C)2017 SHEPARD DOG, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
http://www.longride.jp/detroit

 

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知らなかったでは済まない人種差別の深すぎる闇! 警官が丸腰の市民を虐殺した史実『デトロイト』

 スプリームス、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダーら人気アーティストを擁したモータウン・サウンドは、広く多くの人に愛され続けている。自動車の街(モーター・タウン)デトロイトが発祥の地であり、白人向けのポップスと黒人音楽であるソウルミュージックを融合させたモータウンは、自動車産業で栄えたデトロイトを象徴する文化だった。だが、1972年にはモータウンはLAへとレーベルを移し、80年代には日本車ブームの煽りを受け、デトロイトは次第に活気を失っていく。クリント・イーストウッド監督が『グラン・トリノ』(08)で描いたような荒廃した街へと変わってしまう。米国を代表する大都市だったデトロイトは、どのようなきっかけで坂道を下り始めたのか? キャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト』は、その元凶となった“デトロイト暴動”の真相をリアルに描き出している。

 1967年に起きたデトロイト暴動は死者43名、負傷者1,100人以上に及んだ大規模暴動だった。この事件の引き金は、92年に起きたロス暴動と同じく“人種差別”をめぐる軋轢だった。自動車産業の発展は南部を離れた黒人層などの安い労働力の流入を招き、そのことを嫌った白人層が街を出たため、都市中心部の空洞化、スラム化が進んでいた。白人警官たちは街に新たに住み始めた黒人たちを蔑視し、ことあるごとに警察犬をけしかけ、警棒で殴りつけた。ベトナム戦争から帰還した黒人兵を慰労するパーティーの場で、両者の遺恨が爆発する。警察の横暴な取り締りに対し、黒人たちは投石や白人が経営する店への放火で応じた。たちまち街は戦場さながらの大混乱に陥り、ミシガン州兵が出動する騒ぎに発展していく。

 大晦日の『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時』(日本テレビ系)でダウンタウン浜田が扮していたのは、『ビバリーヒルズ・コップ』(84)に主演していた頃のエディ・マーフィーだった。『ビバリーヒルズ~』でのエディ・マーフィーは、デトロイト市警所属の不良あがりのはみだし刑事という役どころ。デトロイト暴動のさなか、このデトロイト市警が犯した大問題が「アルジェ・モーテル事件」である。デトロイト市警の白人警官たちは、アルジェ・モーテルに泊まっていた無抵抗の黒人男性たちを次々と射殺している。モーテルにいた黒人男性客のひとりが、道路で待機していた州兵に向かって悪戯心でおもちゃの拳銃を鳴らしたため、「スナイパーが潜んでいる」と勘違いした白人警官たちが雪崩れ込み、モーテルに偶然居合わせた客たちは恐怖のドン底を味わう。

 キャスリン・ビグロー監督は、イラク戦争を舞台にした『ハート・ロッカー』(08)ではいつ作動するかわからない爆破装置の解除にあたる米軍爆弾処理班の命懸けの作業を、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)ではビン・ラディン一家が米軍特殊部隊によって殺戮される様子を、息が詰まるほどの超リアリズム演出で再現してみせた。本作でもアルジェ・モーテルで起きた白人警官たちによる尋問という名の虐待行為を、40分間にわたって延々と描く。実際に事件現場に居合わせたサバイバーたちの証言をもとに、“薮の中”を照らし出してみせる。

 アルジェ・モーテルに駆け付けた白人警官クラウス(ウィル・ポールター)は普段から差別的言動が問題視されていたが、暴動で人手が足らずに現場へ駆り出されていた。おもちゃのピストルを鳴らしただけなのに、大騒ぎになったことにビビった黒人青年カール(ジェイソン・ミッチェル)が逃げ出そうとするのを見て、クラウスは背後から問答無用で射殺してしまう。だが、モーテル内をいくら探しても、本物の銃はどこにもない。クラウスは落ち着いた仕草で、カールの死体の横にナイフを置く。「ナイフで襲ってきたので、仕方なく撃った。正当防衛だった」と言い訳するためだ。無政府状態となった街では、暴力だけが正義だった。

 この日、デトロイトきっての大劇場でステージデビューを果たす予定だった男性グループ「ドラマティックス」のリードボーカルであるラリー(アルジー・スミス)も、このモーテルにいた。ステージを成功させれば、モータウン・レーベルのお偉いさんに認められ、メジャー契約できるはずだった。だが、ラリーの思い描いていたアメリカンドリームは、はかない夢で終わってしまう。暴動の余波でステージが中止となり、さらに混乱を避けるために逃げ込んだモーテルで次々と黒人客が殺される現場に立ち会ってしまう。白人のために、もう歌は歌えない。そう思わせるほど、白人警官たちによる暴行は陰惨さを極めていた。

 その夜、地獄の恐怖を味わったのは黒人客だけではなかった。モーテルに泊まっていた若い白人女性のジュリー(ハンナ・マリー)とカレン(ケイトリン・デヴァー)もまた辱めを受ける。モーテルの一室で白人女性が若い黒人と一緒にいたことが、クラウスたち白人警官には許せなかったのだ。だが、これはクラウスの個人的な感情ではなかった。米国南部では「ジム・クロウ法」という州法が1960年代前半まで定められており、黒人と白人との結婚や性行為は禁じられ、白人が利用するホテルやレストランに黒人が入ることも許されていなかった。ジム・クロウ法は人種隔離を公然と認めた悪法であり、また白人が顔を黒塗りして演じた大衆演劇「ミンストレル・ショー」の中での無知な黒人キャラクターの名前がジム・クロウだった。日本人タレントのブラックフェイス・パフォーマンスに欧米人が顔をしかめるのは、このことを連想させるからだ。

 悪戯がきっかけで根深い差別意識が首をもたげ、さらには事件を口封じするために、モーテルに泊まっていた黒人たちは血祭りにされていく。事件に巻き込まれるのを嫌って、現場にいた州兵たちはさっさと引き揚げていった。近くのスーパーマーケットの警備員をしていた黒人男性のディスミュークス(ジョン・ボイエガ)は、この事態を最小限に食い止めようと努めるが、逆に殺人罪の濡れ衣を着せられるはめに陥る。裁判になれば、クラウスたち白人警官はもう安泰だった。裁判所の判事も陪審員たちも、みんな白人。黒人を射殺した白人警官に有罪判決が下ることはまずなかった。

 リンカーン大統領による奴隷解放宣言が1862年。それから約100年後の1964年に公民権法が成立し、悪法ジム・クロウ法はようやく廃止される。だが、依然として差別意識は残り、デトロイトほか各地で暴動が起きてしまった。公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師は、デトロイト暴動の翌年1968年に貧困階級の白人男性に射殺されてしまう。キング牧師は「私には夢がある。いつの日か、私の幼い子どもたちが肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が」という有名な言葉を残したが、その夢は依然として叶えられてはいない。

 デトロイト暴動後、「ドラマティックス」は地元のモータウンではなく、別のレーベルからメジャーデビューを果たす。だが、メジャーデビューしたメンバーの中に、リードボーカルだったラリーの姿はなかった。ラリーは商業音楽の世界で歌うことをやめ、教会のゴスペルシンガーとして活動することになる。ラリーにとって、音楽は神に捧げるための神聖なものだった。1967年の夏に起きた暴動は、ラリーの人生を、そしてデトロイトという街そのものを大きく変えてしまった。
(文=長野辰次)

『デトロイト』
監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール
出演/ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイコブ・ラティモア、ジェイソン・ミッチェル、ハンナ・マリー、ケイトリン・デヴァー、ジャック・レイナー、ベン・オトゥール、ネイサン・デイヴィス・ジュニア、アレックス・スミス、デヴィッド・ケリー
配給/ロングライド 1月26日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
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憧れの存在には、いつまでも輝き続けてほしい。哀歓系コメディ『ピンカートンに会いにいく』

 自分がブレイクできずにいるのは、事務所の営業努力のなさやプロデューサーたちに見る目がないからだ。映画『ピンカートンに会いにいく』の主人公・優子(内田慈)はそう思い込むことで、芸能界の片隅で辛うじてこれまで生きてきた。オーディションに落ちる度に、周囲に毒を吐く人生だった。アルバイトをしながら、タレント&女優として成功するという夢にしがみついてきたものの、30代も後半となり現実のシビアさが肌身にヒリヒリと沁みるようになってきた。『ピンカートンに会いにいく』は、夢は願い続ければきっと叶うという能天気な青春ドラマでもなければ、主人公が大人になる成長ドラマでもない。ずっとネガティブ思考に囚われ続けてきたひとりの女性が、人生のスタートラインに立つまでを描いたとても慎ましい物語だ。

 本作を撮り上げたのは、大阪芸術大学映像学科&東京藝術大学大学院映像研究科出身の坂下雄一郎監督。1986年生まれの新鋭監督だ。新しい才能の発掘を目的にしている「松竹ブロードキャスティング」が制作した勘違いコメディ『東京ウィンドオーケストラ』(17)で商業デビュー。続いて低予算映画の地方ロケの惨状をブラックコメディ化した異色作『エキストランド』(17)も公開され、再び「松竹ブロードキャスティング」と組んだ『ピンカートン』と、デビュー1年目にしてオリジナル脚本のコメディ作品が3本劇場公開される期待の存在。若手監督らしく『ピンカートン』にはまだ洗練されきっていない、レアな感情と毒っけのある笑いが注がれた新鮮みのある作品となっている。

 今や毒吐きおばさんと化している優子だが、実は20年前に5人組のアイドルグループ「ピンカートン」として芸能デビューを果たしていた。勝ち気な性格の優子がリーダーを務めていたが、シングル曲「Revolution now」をリリースしてこれからというときに、あっけなく解散してしまう。一番人気だった葵がソロデビューするという噂が流れ、グループ内に確執が生まれたことが原因だった。

 20年前はグループが解散しても、若い自分にはまだ明るい未来が待っていると信じていた。でも、いつの間にか自主映画の死体役とかパチンコ店のイベントのMCぐらいしか仕事は回ってこない状態に。さらに散々ディスってきた所属事務所からは、契約解除を言い渡されてしまう。40歳を目前にして、人生真っ暗闇となる優子。芸能界でスポットライトを浴びるという夢は、いつの間にか自分自身への呪いと変わり、優子を雁字搦めに縛り付けていた。

 だが、捨てる神あれば拾う神もあり。そんなドン底状態の優子に、一本の蜘蛛の糸が垂れ下がってきた。不完全燃焼で終わった「ピンカートン」の再結成ライブをやろうという奇特なプロデューサーが現われたのだ。レコード会社に勤める松本(田中健太郎)は、少年時代に「ピンカートン」の大ファンだったが、楽しみにしていたライブを観ることなく彼女たちは芸能界の表舞台から去ってしまった。憧れの存在だった「ピンカートン」に、ちゃんとライブをやらせてあげたい。ちょっと頼りなさげな松本の提案に、優子はもったいぶりながらもすがりつくしかない。

 美紀(山田真歩)をはじめ、かつてのメンバー3人は芸能界をすでに引退して、普通の主婦となっていた。家族や子どもたちの手前もあって、再結成にはあまり気が進まない。だが、美紀たちのモチベーションの低さ以上に大きな問題があった。かつて優子とケンカ別れした葵を呼び戻すことができなければ、「ピンカートン」は再結成したことにはならない。優子と葵が20年ぶりに仲直りできるかどうかが、グループ再結成の大事な鍵だった。

 人生の先が見えてきた現在とキラキラと輝く未来が待っていると信じていたアイドル時代とが交錯する形で、ストーリーは進んでいく。20年前、優子(小川あん)と葵(岡本夏美)はグループ内でいちばん仲がよかった。一緒にオーディションを受けにいき、「他のアイドルたちが全員死ねばいいのに」と2人で毒づきあいながら、ブレイクできずにいる悶々とした日々を共に過ごしてきた。優子と葵はいちばんの親友であり、いちばん身近なライバルでもあった。それゆえに、一度壊れた関係を修復するのは容易ではない。再結成を前に、仲直りを勧める他のメンバーたちに対して、優子はなかなか素直になれない。心で思っていることとは、真逆な言葉を吐き出してしまう。

「大人になったら仲直りって言わないんだよ。それって謝罪っていうんだからね!」

 毒づくことが習慣化してしまった“超痛い女”優子をリアルに演じているのは、インディペンデント系映画で売れっ子の実力派女優・内田慈。本作が映画初主演となる。優子がライバル視してきた葵の20年後を演じるのは、ドス黒系ミステリー『愚行録』(17)での“学園の女王さま”ぶりが印象的だった松本若菜。朝ドラ『花子とアン』(NHK総合)の女流作家役などクセのある役がうまい山田真歩らがこれに絡む。優子、葵のアイドル時代を演じた小川あん、岡本夏美たちもこれから人気が出てきそうな逸材。かつての仲間が再び集まるというプロットは韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』(11)からのいただきだが、毒は吐くのに、胸の中の本音は口にできない主人公たちの面倒くさい心理描写に坂下監督の独自のセンスを感じさせる。

 物語の後半、優子とプロデューサーの松本は、消息のつかめない葵を探して回ることに。グループ解散後、葵は事務所を移り、優子と同じように地味に芸能活動を続けていた。葵の元マネージャーだったという男を見つけるが、「過去にすがって、懸命に生きるのって痛いよね」と元マネージャーは葵のことを冷笑する。それまでずっとちぐはぐだった優子と松本だが、このとき2人は一致団結して、この元マネージャーをボコボコにする。かつて自分が憧れた存在には、いつまでも輝き続けてほしい。だから、自分にとってのアイドルやライバルをディスる奴は、到底許すことができなかった。

 20年の歳月を経て、優子と葵はお互いの心のわだかまりを消し去ることができるのか。優子と葵との20年ぶりの遭遇シーンが、本作のクライマックスとなる。おばさんになった「ピンカートン」の再結成ライブの行方は、映画を観てのお楽しみだ。最後にひとつ言えることは、優子は40歳を前にして、言い訳をしない自分の生きる道を見つけたということ。長年の呪いから、ようやく自分を解放することに成功した優子。目の前に広がる厳しい現実は変わらないものの、彼女の人生がこれから始まろうとしていた。
(文=長野辰次)

『ピンカートンに会いにいく』
監督・脚本/坂下雄一郎
出演/内田慈、松本若菜、山田真歩、水野小論、岩野未知、田村健太郎、
小川あん、岡本夏美、柴田杏花、芋生悠、鈴木まはな 
配給/松竹ブロードキャスティング、アーク・フィルムズ
1月20日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
C)松竹ブロードキャスティング
http://www.pinkerton-movie.com

※「ピンカートン」が歌う主題歌「Revolution now」が、フルコーラスで現在配信中!

『パンドラ映画館』電子書籍発売中!
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憧れの存在には、いつまでも輝き続けてほしい。哀歓系コメディ『ピンカートンに会いにいく』

 自分がブレイクできずにいるのは、事務所の営業努力のなさやプロデューサーたちに見る目がないからだ。映画『ピンカートンに会いにいく』の主人公・優子(内田慈)はそう思い込むことで、芸能界の片隅で辛うじてこれまで生きてきた。オーディションに落ちる度に、周囲に毒を吐く人生だった。アルバイトをしながら、タレント&女優として成功するという夢にしがみついてきたものの、30代も後半となり現実のシビアさが肌身にヒリヒリと沁みるようになってきた。『ピンカートンに会いにいく』は、夢は願い続ければきっと叶うという能天気な青春ドラマでもなければ、主人公が大人になる成長ドラマでもない。ずっとネガティブ思考に囚われ続けてきたひとりの女性が、人生のスタートラインに立つまでを描いたとても慎ましい物語だ。

 本作を撮り上げたのは、大阪芸術大学映像学科&東京藝術大学大学院映像研究科出身の坂下雄一郎監督。1986年生まれの新鋭監督だ。新しい才能の発掘を目的にしている「松竹ブロードキャスティング」が制作した勘違いコメディ『東京ウィンドオーケストラ』(17)で商業デビュー。続いて低予算映画の地方ロケの惨状をブラックコメディ化した異色作『エキストランド』(17)も公開され、再び「松竹ブロードキャスティング」と組んだ『ピンカートン』と、デビュー1年目にしてオリジナル脚本のコメディ作品が3本劇場公開される期待の存在。若手監督らしく『ピンカートン』にはまだ洗練されきっていない、レアな感情と毒っけのある笑いが注がれた新鮮みのある作品となっている。

 今や毒吐きおばさんと化している優子だが、実は20年前に5人組のアイドルグループ「ピンカートン」として芸能デビューを果たしていた。勝ち気な性格の優子がリーダーを務めていたが、シングル曲「Revolution now」をリリースしてこれからというときに、あっけなく解散してしまう。一番人気だった葵がソロデビューするという噂が流れ、グループ内に確執が生まれたことが原因だった。

 20年前はグループが解散しても、若い自分にはまだ明るい未来が待っていると信じていた。でも、いつの間にか自主映画の死体役とかパチンコ店のイベントのMCぐらいしか仕事は回ってこない状態に。さらに散々ディスってきた所属事務所からは、契約解除を言い渡されてしまう。40歳を目前にして、人生真っ暗闇となる優子。芸能界でスポットライトを浴びるという夢は、いつの間にか自分自身への呪いと変わり、優子を雁字搦めに縛り付けていた。

 だが、捨てる神あれば拾う神もあり。そんなドン底状態の優子に、一本の蜘蛛の糸が垂れ下がってきた。不完全燃焼で終わった「ピンカートン」の再結成ライブをやろうという奇特なプロデューサーが現われたのだ。レコード会社に勤める松本(田中健太郎)は、少年時代に「ピンカートン」の大ファンだったが、楽しみにしていたライブを観ることなく彼女たちは芸能界の表舞台から去ってしまった。憧れの存在だった「ピンカートン」に、ちゃんとライブをやらせてあげたい。ちょっと頼りなさげな松本の提案に、優子はもったいぶりながらもすがりつくしかない。

 美紀(山田真歩)をはじめ、かつてのメンバー3人は芸能界をすでに引退して、普通の主婦となっていた。家族や子どもたちの手前もあって、再結成にはあまり気が進まない。だが、美紀たちのモチベーションの低さ以上に大きな問題があった。かつて優子とケンカ別れした葵を呼び戻すことができなければ、「ピンカートン」は再結成したことにはならない。優子と葵が20年ぶりに仲直りできるかどうかが、グループ再結成の大事な鍵だった。

 人生の先が見えてきた現在とキラキラと輝く未来が待っていると信じていたアイドル時代とが交錯する形で、ストーリーは進んでいく。20年前、優子(小川あん)と葵(岡本夏美)はグループ内でいちばん仲がよかった。一緒にオーディションを受けにいき、「他のアイドルたちが全員死ねばいいのに」と2人で毒づきあいながら、ブレイクできずにいる悶々とした日々を共に過ごしてきた。優子と葵はいちばんの親友であり、いちばん身近なライバルでもあった。それゆえに、一度壊れた関係を修復するのは容易ではない。再結成を前に、仲直りを勧める他のメンバーたちに対して、優子はなかなか素直になれない。心で思っていることとは、真逆な言葉を吐き出してしまう。

「大人になったら仲直りって言わないんだよ。それって謝罪っていうんだからね!」

 毒づくことが習慣化してしまった“超痛い女”優子をリアルに演じているのは、インディペンデント系映画で売れっ子の実力派女優・内田慈。本作が映画初主演となる。優子がライバル視してきた葵の20年後を演じるのは、ドス黒系ミステリー『愚行録』(17)での“学園の女王さま”ぶりが印象的だった松本若菜。朝ドラ『花子とアン』(NHK総合)の女流作家役などクセのある役がうまい山田真歩らがこれに絡む。優子、葵のアイドル時代を演じた小川あん、岡本夏美たちもこれから人気が出てきそうな逸材。かつての仲間が再び集まるというプロットは韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』(11)からのいただきだが、毒は吐くのに、胸の中の本音は口にできない主人公たちの面倒くさい心理描写に坂下監督の独自のセンスを感じさせる。

 物語の後半、優子とプロデューサーの松本は、消息のつかめない葵を探して回ることに。グループ解散後、葵は事務所を移り、優子と同じように地味に芸能活動を続けていた。葵の元マネージャーだったという男を見つけるが、「過去にすがって、懸命に生きるのって痛いよね」と元マネージャーは葵のことを冷笑する。それまでずっとちぐはぐだった優子と松本だが、このとき2人は一致団結して、この元マネージャーをボコボコにする。かつて自分が憧れた存在には、いつまでも輝き続けてほしい。だから、自分にとってのアイドルやライバルをディスる奴は、到底許すことができなかった。

 20年の歳月を経て、優子と葵はお互いの心のわだかまりを消し去ることができるのか。優子と葵との20年ぶりの遭遇シーンが、本作のクライマックスとなる。おばさんになった「ピンカートン」の再結成ライブの行方は、映画を観てのお楽しみだ。最後にひとつ言えることは、優子は40歳を前にして、言い訳をしない自分の生きる道を見つけたということ。長年の呪いから、ようやく自分を解放することに成功した優子。目の前に広がる厳しい現実は変わらないものの、彼女の人生がこれから始まろうとしていた。
(文=長野辰次)

『ピンカートンに会いにいく』
監督・脚本/坂下雄一郎
出演/内田慈、松本若菜、山田真歩、水野小論、岩野未知、田村健太郎、
小川あん、岡本夏美、柴田杏花、芋生悠、鈴木まはな 
配給/松竹ブロードキャスティング、アーク・フィルムズ
1月20日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
C)松竹ブロードキャスティング
http://www.pinkerton-movie.com

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