9月25日午後8時、たつき監督はなぜツイートをしたのか──『けものフレンズ』わからなかったこと、そして、わかったこと。

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『けものフレンズ』プロジェクト公式サイト
 大勢の人がドリンクを手にしていた。すでに次の仕事を抱えて、忙しい中で駆けつけた者。まだ、次の仕事で組む相手を探している者。いずれにしても、一つの仕事が大成功に終わったことに、万感の思いはあった。単なる生活の糧を得るための作業だったはず。それが、空前のヒットとなったのは驚きだった。自分が関わったのが、わずかの部分に過ぎないとしても、ボクは、ワタシは、ヤツガレは「アレをやったんですよ」と言えるのは、自慢だった。世の中では注目され、尊敬されるかと思いきや、内実は決して陽の当たることのない職業。「儲かりもしないのに、よくやってるよ」「どうしてそんな仕事を?」口には出さなくても、家族や友人の目が、そんな言葉を語っていることがある。でも、今回ばかりは、そんな想いも吹き飛んだ。作業の最中だって、嫌なことは数え切れないほどあった。でも、作品はヒットした。別に、作品がヒットしたからといって、自分の名前がグンと大きくクレジットされるわけではない。給料だって増えるわけじゃない。でも、作品のヒットは、そうした俗な想いを吹き飛ばしてくれるのだと思った。これから先の人生はわからない。でも、ひとまずは今日は会場に集うみんなと、一つの仕事を終えた感動を共有しよう。誰もが、そんなことを考えていた。  刹那、会場の雰囲気が変わったのは、ひとりの男が入ってきた時だった。その男……作品の立役者の一人であるアニメ制作会社・ヤオヨロズの福原慶匡。プロデューサーとして、箸にも棒にもかからない作品を、成功へと導いた中心的人物の一人。何より、そのきっかけとなった才能を見いだした人物。当然、誰もが駆け寄り、一言挨拶の言葉をかけたかったのは言うまでもない。むしろ、福原のほうが、時間の限りを尽して、スタッフ一人ひとりにねぎらいの言葉をかけて歩く立場だった。そのはずなのに、福原は、どこか声をかけづらい空気を身に纏っていた。それが、大勢の人が詰めかける会場の空気を変えているのだと、勘のよい者は気付いていた。  幾人かが、その見えない壁を乗り越えて、声をかけようと勇気を振り絞った時だった。  福原が、ポケットからスマートフォンを取り出した。着信音をオフにしていたけれども、誰かからの着信だとわかった。  こんな時に電話をかけてくるなんて、間の悪いヤツもいるものだな。勇気を振り絞った者たちは、少し遠巻きに福原の様子を見た。  でも、その見えない壁は、一瞬にして高くなったのもわかった。画面に表示される名前を見て、サッと福原の顔に沈痛の陰がかかったのである。  誰にするとなく会釈して、電話の相手に応答しながら、福原は外に出て行った。そして、そのまま3時間の宴の最中、福原が帰って来ることはなかった。 「たつき監督は、ずっと福原さんに『打ち上げにいかないでくれ』と言っていたそうなんです。でも、プロデューサーが欠席するわけにはいかないと、福原さんが打ち上げの会場に駆けつけたら、たつき監督から電話が掛かってきて……結局、誰も一言も、福原さんと話をすることができなかったんだそうです……」  関係者は、私を前に、そんな風に打ち上げで起こった顛末を語った。あの場にいた者なら、誰もが気付いていたことである。それでも、自分がそんなことを、私に話したのがバレたらどうしよう。そんな一抹の不安を抱えて、落ち着かないようだった。  何度か頷いてから、私は質問を続けた。 「その打ち上げは、何月何日に、どこで……会場は……参加した人数は……」  食らいつくように細部を尋ねた私に、この関係者は一転して態度を変えた。 「いや、それは……。ああ、彼も参加していたから……」  そうして、共通の知人でもある、もっと福原に近しい関係者の名前を挙げた。一文の得にもならないのだから、これ以上話させるな、察しろ。長年、アニメ業界の一角で、華やかな部分と、その何十倍もあるドス黒いものを見てきたことが刻まれた顔が、そんなことを語っていた。  9月25日午後8時の、ひとつのツイート。それが、すべての始まりだった。  私のTwitterのタイムラインでも、このツイートが、幾人ものアカウントを通じて流れてきた。でも、私には何も、驚きも感慨もなかった。なぜなら『けものフレンズ』という作品を、見たことがなかったからである。正確には、放送中の半ばの頃。大勢の人が『けものフレンズ』がいかに素晴らしい作品か力説していた頃に、第1話を見てみた。  いったい、なにが面白いのだろうか。まったくわからなかった。5分ほど見て、そっと画面を閉じた。その後も、夏のコミックマーケットへの、たつき監督の出展など、『けものフレンズ』という作品のムーブメント。「すっごーい」などという言い回しの流行を目にする機会は多かった。けれども、私には、なんら<ひっかかり>を感じなかった。  それは、たつき監督のツイートが騒動となり、あちこちが、その話題に埋め尽くされても同じであった。なるほど、ずいぶんと大勢の人が見ている作品だったのだな……程度に考えていた。<ひっかかり>を感じないのは、今は燃え上がっている話題も、じきに忘れられた話になっていくと思ったからだ。何かの事故調査報告書のように、明確にどこで何があったかが関係者の証言によって明らかになることはない。「御用」が当たり前のアニメ情報誌は、もちろん扱わない。数多のオタクネタを扱うネットニュースは、ネットに転がっている情報を再構成して消費し尽くすだけで終わるのだろうと。  そのはずなのに、私の中で何かの<ひっかかり>ができたのは、翌日のことだった。  翌日の午前中から、電話やLINE、Facebookのメッセンジャーで、さまざまな人が、この話題を振ってきていた。私自身、最近のアニメはさほど見てはいない。けれども、いつの頃からか親しく付き合う業界の関係者は増えた。互いに「ネタ元」であるとか、何か表では語れない問題がある時には、利用できる便利なメディアの関係者という意識もあるかもしれない。でも、そんな利用し合うような関係性であれば、長続きするはずもない。相互に、相手を信用しているからこそ、まだ表には出ていないような情報を交えながら、たわいもない話を繰り返す日常は続いている。この騒動もまた、雑談のような形で、語られていた。 「8月には、もう決まっていたんですけどね」  いつものように、LINEでアレコレと話していた関係者が『けものフレンズ』の話題になった時に、最初に語ったのは、そんな一言だった。まあ、そんなものだろう。みんな本当に『けものフレンズ』の話題が好きだな……。そんな感じで、あまり興味なく「へえ」とか「うむ」とか返事をしていた。でも、打ち上げで起こった顛末が、LINE上に表示された時に、突然、私の<ひっかかり>が、噴出した。インターネットの中で展開する世論は、この騒動の原因を求めて止まなかった。どうして、たつき監督が降板しなくてはならなかったのか。「戦犯」は誰なのか。  KADOKAWAが悪い。いや、ヤオヨロズに問題があった。はたまた、総監督としてクレジットされている吉崎観音が悪い。その間には、多くのノイズもあった。あるアニメ関連企業に所属する人物は、ほかの作品で、KADOKAWAの対応の悪さにイラついたことを語る。ヤオヨロズの親会社であるジャストプロの体質から語り始める者もいた。だが、そんなことは、私にはどうでもいいことだった。私が感じた<ひっかかり>は、ただ一つのことだけだった。  なぜ、たつき監督は、あんなツイートをしてしまったのか。  そのことだけを知りたいと思った。  打ち上げの顛末を聞いた時に、こんな文章が頭に浮かんだ。  ……どうしても、気持ちの整理が出来なかった。なぜ、福原さんは打ち上げに行ってしまったのか。俺の気持ちをわかってくれなかったのか。最初に出会った時の、福原さんの顔が、幾度も浮かんでは消えていった。名刺を渡された時は半信半疑だった。でも、何度か出会い、話をするうちに気持ちは変わっていった。この人は、俺の作品をもっと大勢の人が見てくれる機会を与えてくれる人だ。俺のために、こんなにも時間を割いて、魂を捧げてくれる。だから、俺もその想いに応えたい。そう思って頑張ってきた。そして、俺の心血を注いだ作品は、大ヒットした。自分の人生の大切な時間を刻んで注いだ魂。俺の魂の欠片が溶け込んでいるから、あんなにみんなが賞讃してくれる作品になったんだ。なのに、どこか置いてけぼりな感じがする。もっと、もっと『けものフレンズ』でやりたいことがある。やりたいことが多くて、いつも身体は熱くなってしまう。人生には限られた時間しかない。だから、この熱が冷めてしまわないうちに、1日でも早く、いま、自分の身体の中に渦巻いている熱を作品にしたい。でも、それをしようと思うと待ったがかけられる。福原さんも、そうだ。俺のことを信じて、俺の情熱を愛してくれているはずなのに。「作品がヒットしたのは、俺がいたからでしょう」そんな思い上がったことを言うつもりはない。わかっている。アニメには製作委員会というものがあって、いろんな会社が出資していて……。でも、福原さんは、ヒットすればするほど、グチャグチャになる俺の心を理解して、寄り添っていてくれているのだと信じていたのに。信頼という2文字が、今はとても憎い……。ふと、気がつくと、グチャグチャなまま、スマホの住所録から、福原さんの番号を表示させ、赤い電話のマークを押していた。数回のコール。少し焦った口調で福原さんは電話に出た……。  打ち上げに出席していた関係者。中でも、福原と関係の深い人物。思いあたったのは、打ち上げの顛末を教えてくれた関係者が口にしたのと同じ名前だった。電話をするべきか、メールを送るべきか。逡巡してから、LINEにすることにした。オタク業界の片隅で、真冬でも夏のように熱い情熱を燃やしているこの男。幸いにして彼のほうから、幾つかのメディアの報道について、彼視点での感想を話しかけてきていたからだ。  何か、いろいろと話したいことがあるのに、話せないのか。LINEだというのに、いくつかの長文を送ってきた彼への返事を短文で送った。 「というか、福原さん紹介してください。ちゃんとしたルポを書きましょう」  すぐに返事が来た。 「いやー福原さんめっちゃちゃんとしてたからなぁ。あれをハンドリング不足というのは僕にはできない」  そんなことは、どうでもいいこと。私が知りたいのは、たつき監督の内面の紀行なのだ。そういうことを、何度かに分けて、LINEで読みやすいように、少し文章を短くして送った。はぐらかすようなやりとりが何度か続いて、既読スルーになった。  翌日、別の話題をLINEで話しかけてみると、愉快な返事が来た。既読スルーにしている理由は、明らかだった。  また、取材は行き詰まった。  でも、その間に、もう一人の事情を知っているはずの関係者に思い当たっていた。すぐに、コンタクトを取ってみた。 「おっさんから、一言……勘違いにも、ほどがある」  いつも、資料がパンパンに詰まった鞄を抱えて、あちこちの会社と会議の日々を送っている彼は、私が聞いた限り関係者としては初めて、たつき監督批判を口にした。もちろん、その前に『けものフレンズ』が多くの問題を抱えた作品だったことも、きちんと語ってくれていた。  アニメがヒットするまで『けものフレンズ』は、完全に失敗したコンテンツであった。 「関係者なら知っていますが、もともと『けものフレンズ』は、某社が立案した吉崎観音先生案件だったわけです。でも、ご存じのようにコケにコケまくっていました。ゲームは2016年末で終了してしまうというのに、アニメは2017年……」  製作委員会に出資する各社の分担で、KADOKAWAが版権窓口になっていた。なったものの、実質的な業務など、ほとんどないだろうと思われていた。とりあえず、スケジュール通り、アニメを放送するだけ。あとは、互いに損の少ないように、うまく畳むだけ。だらだらと、どうでもいいような会議も打ち合わせも少ない。でも、顔を合わせる時間が少ないだけに、必要なコミュニケーションも取ることはできていなかった。どうせ、終わるコンテンツなのだから、精緻な座組も必要ではないと思っていた。  なのに作品はヒットしてしまった。それは、天の采配だったのか。たつき監督の才能ゆえだったのか。おそらく、後者による部分は大きかっただろう。ここで不幸だったのは、たつき監督が自由に暴走した果てに、目を見張るような作品を生み出す才能の持ち主だったことだった。コントロール不能。誰も止めることはできない。製作委員会の中には、その才能の裏にある危険が見えていた人も、いたかもしれない。でも、幕を下ろす準備のままに進んでいた座組では、それを止めることはできなかった。 「才能があるのでしたら、周囲に実害が出ない場所で活躍してほしいですね。実害を被るのは、普通の人なので……」  ふと、彼が漏らした言葉に、すべての問題が集約されていると思った。自由に作品をつくることができたのは、たつき監督にとっては、幸運でもあったし不幸でもあったのだと思った。 「なんとか、もっとディテールを知りたいのですが……」  いつも、ルポルタージュが出来上がっていく過程には、先人たちの膨大な作品群がある。今、自分が試している方法論は、それらを現代風に仕立て直したものに、ほかならない。その時、私の脳裏にあったのは、かれこれ50年以上前に「エスクワイア」に掲載された、ゲイ・タリーズの『フランク・シナトラは風邪をひいている。』であった。はるばる西海岸にやってきたのに、シナトラにインタヴューを断られたタリーズ。でも、始まりはそこからだった。タリーズは、シナトラを知る膨大な数の人々に出会い、シナトラの人物像を生き生きと描いた。その偉大な書き手の手法を援用すれば、福原にも、たつき監督にも会えずとも、どうにかなるのではないかと思った。 「やってみましょう」  そして、数日が流れた。まったく芳しくない答えが返ってきた。 「ダメですね。ちょっと話題に出そうしても、みんな口ごもるんですよ。どうも『週刊文春』が動いているみたいで……」  取材は、もう無理だと思った。彼は、こう言葉を続けた。 「ところで、たつき監督にはコンタクトは取りました?」  返事は来ないと思ったけれども、メールだけは送っていた。記事にするかどうかもわからないが、あなたに会ってみたいと記して。当然、返事は来ていなかった。きっと膨大なファン、そして、メディアが送ったであろうメールの中に埋もれているのだろうと思っていた。  ここで一旦取材は諦めることにした。それから数日後、ポツポツと情報を教えてくれた中の幾人かと、なんとはなしに会って飲むことになった。  中央線沿線の駅前にある古ぼけた飲食街。その片隅にある場末感の漂う焼き鳥屋に、私たちは集まった。最近のエロレイヤー事情だとか、口説いている声優の話だとか、その場限りの笑い話で、こわばった身体をほぐしていた。  ふと、隣の席を見た。四人掛けの席の、壁側のほうに一人、引き締まった身体の見栄えだけはいい、30歳くらいの男が座っていた。向かいには、平凡な雰囲気のロングヘアの若い女を挟むようにして、気弱そうな髭面の若い男と、虚勢を張った金髪の、そばかすが目立つ男が座っていた。劇団員か何かだろうかと思った。 「俺さあ、みんな東大とか当たり前に行く高校に通ってたんだよ。俺だけだぜ、大学に行かなかったのは~」  見栄えだけはよい男の自慢話を、窮屈に座った男女3人は、有り難そうに聞いていた。でも、3人が本当に見ているものは、まったく違っているように見えた。女は、見栄えだけいい男から、何かを得ようと虎視眈々と狙っているようだった。髭面は、自慢話を腹の中ではバカにしていた。そして、金髪は、早く帰りたそうにしていた。 「ああ、これだ」  私の中で、たつき監督のツイートに至る光景が浮かんだ。それは、私自身の人生での、痛い思い出とリンクして。  人生論をぶつまでもない。人は誰もが、実力を過信するものだ。とりわけ、努力の結果を成し遂げた時はそうだ。私も、それで幾度か失敗と反省をしている。格段に楽なものとはいえ、倍率の高い試験を突破して東京大学大学院情報学環教育部に入学した時のこと。あるいは過去、ほかの仕事を断ってまで心血を注いだ本を上梓した時のこと。自分の成果を自分で誇り、もっと賞讃されたいと思った時に、他人はそうは思ってくれないものだ。その浮ついた気持ちは、注意されても気づかない。むしろ、思ったように賞讃してくれない周囲には憎しみが募り、真摯な忠告も耳には入らなくなる。それはやがて、悲惨な末路へと至る。失うものなど、ないはずがないのに。すべてを失った気分になって、破壊をしたくなる衝動へと至るのだ。  あの、9月25日の、たつき監督のツイートは、まさにそれだったのだ。  でも、それから僅かな時間の間に、たつき監督は自身の愚かさに気づき、成長したのだろうか。  10月9日の、たつき監督のツイートを見て、そう思った。  黒も白もなく。すべては、人が何かを成し遂げたいという思いゆえのこと。誰かを名指しして、あげつらうことなどできようはずもない。  ただ、いつかは、たつき監督の心の旅路を彼自身の口から聞いてみたいと思っている。 (取材・文=昼間たかし)

9月25日午後8時、たつき監督はなぜツイートをしたのか──『けものフレンズ』わからなかったこと、そして、わかったこと。

9月25日午後8時、たつき監督はなぜツイートをしたのか──『けものフレンズ』わからなかったこと、そして、わかったこと。の画像1
『けものフレンズ』プロジェクト公式サイト
 大勢の人がドリンクを手にしていた。すでに次の仕事を抱えて、忙しい中で駆けつけた者。まだ、次の仕事で組む相手を探している者。いずれにしても、一つの仕事が大成功に終わったことに、万感の思いはあった。単なる生活の糧を得るための作業だったはず。それが、空前のヒットとなったのは驚きだった。自分が関わったのが、わずかの部分に過ぎないとしても、ボクは、ワタシは、ヤツガレは「アレをやったんですよ」と言えるのは、自慢だった。世の中では注目され、尊敬されるかと思いきや、内実は決して陽の当たることのない職業。「儲かりもしないのに、よくやってるよ」「どうしてそんな仕事を?」口には出さなくても、家族や友人の目が、そんな言葉を語っていることがある。でも、今回ばかりは、そんな想いも吹き飛んだ。作業の最中だって、嫌なことは数え切れないほどあった。でも、作品はヒットした。別に、作品がヒットしたからといって、自分の名前がグンと大きくクレジットされるわけではない。給料だって増えるわけじゃない。でも、作品のヒットは、そうした俗な想いを吹き飛ばしてくれるのだと思った。これから先の人生はわからない。でも、ひとまずは今日は会場に集うみんなと、一つの仕事を終えた感動を共有しよう。誰もが、そんなことを考えていた。  刹那、会場の雰囲気が変わったのは、ひとりの男が入ってきた時だった。その男……作品の立役者の一人であるアニメ制作会社・ヤオヨロズの福原慶匡。プロデューサーとして、箸にも棒にもかからない作品を、成功へと導いた中心的人物の一人。何より、そのきっかけとなった才能を見いだした人物。当然、誰もが駆け寄り、一言挨拶の言葉をかけたかったのは言うまでもない。むしろ、福原のほうが、時間の限りを尽して、スタッフ一人ひとりにねぎらいの言葉をかけて歩く立場だった。そのはずなのに、福原は、どこか声をかけづらい空気を身に纏っていた。それが、大勢の人が詰めかける会場の空気を変えているのだと、勘のよい者は気付いていた。  幾人かが、その見えない壁を乗り越えて、声をかけようと勇気を振り絞った時だった。  福原が、ポケットからスマートフォンを取り出した。着信音をオフにしていたけれども、誰かからの着信だとわかった。  こんな時に電話をかけてくるなんて、間の悪いヤツもいるものだな。勇気を振り絞った者たちは、少し遠巻きに福原の様子を見た。  でも、その見えない壁は、一瞬にして高くなったのもわかった。画面に表示される名前を見て、サッと福原の顔に沈痛の陰がかかったのである。  誰にするとなく会釈して、電話の相手に応答しながら、福原は外に出て行った。そして、そのまま3時間の宴の最中、福原が帰って来ることはなかった。 「たつき監督は、ずっと福原さんに『打ち上げにいかないでくれ』と言っていたそうなんです。でも、プロデューサーが欠席するわけにはいかないと、福原さんが打ち上げの会場に駆けつけたら、たつき監督から電話が掛かってきて……結局、誰も一言も、福原さんと話をすることができなかったんだそうです……」  関係者は、私を前に、そんな風に打ち上げで起こった顛末を語った。あの場にいた者なら、誰もが気付いていたことである。それでも、自分がそんなことを、私に話したのがバレたらどうしよう。そんな一抹の不安を抱えて、落ち着かないようだった。  何度か頷いてから、私は質問を続けた。 「その打ち上げは、何月何日に、どこで……会場は……参加した人数は……」  食らいつくように細部を尋ねた私に、この関係者は一転して態度を変えた。 「いや、それは……。ああ、彼も参加していたから……」  そうして、共通の知人でもある、もっと福原に近しい関係者の名前を挙げた。一文の得にもならないのだから、これ以上話させるな、察しろ。長年、アニメ業界の一角で、華やかな部分と、その何十倍もあるドス黒いものを見てきたことが刻まれた顔が、そんなことを語っていた。  9月25日午後8時の、ひとつのツイート。それが、すべての始まりだった。  私のTwitterのタイムラインでも、このツイートが、幾人ものアカウントを通じて流れてきた。でも、私には何も、驚きも感慨もなかった。なぜなら『けものフレンズ』という作品を、見たことがなかったからである。正確には、放送中の半ばの頃。大勢の人が『けものフレンズ』がいかに素晴らしい作品か力説していた頃に、第1話を見てみた。  いったい、なにが面白いのだろうか。まったくわからなかった。5分ほど見て、そっと画面を閉じた。その後も、夏のコミックマーケットへの、たつき監督の出展など、『けものフレンズ』という作品のムーブメント。「すっごーい」などという言い回しの流行を目にする機会は多かった。けれども、私には、なんら<ひっかかり>を感じなかった。  それは、たつき監督のツイートが騒動となり、あちこちが、その話題に埋め尽くされても同じであった。なるほど、ずいぶんと大勢の人が見ている作品だったのだな……程度に考えていた。<ひっかかり>を感じないのは、今は燃え上がっている話題も、じきに忘れられた話になっていくと思ったからだ。何かの事故調査報告書のように、明確にどこで何があったかが関係者の証言によって明らかになることはない。「御用」が当たり前のアニメ情報誌は、もちろん扱わない。数多のオタクネタを扱うネットニュースは、ネットに転がっている情報を再構成して消費し尽くすだけで終わるのだろうと。  そのはずなのに、私の中で何かの<ひっかかり>ができたのは、翌日のことだった。  翌日の午前中から、電話やLINE、Facebookのメッセンジャーで、さまざまな人が、この話題を振ってきていた。私自身、最近のアニメはさほど見てはいない。けれども、いつの頃からか親しく付き合う業界の関係者は増えた。互いに「ネタ元」であるとか、何か表では語れない問題がある時には、利用できる便利なメディアの関係者という意識もあるかもしれない。でも、そんな利用し合うような関係性であれば、長続きするはずもない。相互に、相手を信用しているからこそ、まだ表には出ていないような情報を交えながら、たわいもない話を繰り返す日常は続いている。この騒動もまた、雑談のような形で、語られていた。 「8月には、もう決まっていたんですけどね」  いつものように、LINEでアレコレと話していた関係者が『けものフレンズ』の話題になった時に、最初に語ったのは、そんな一言だった。まあ、そんなものだろう。みんな本当に『けものフレンズ』の話題が好きだな……。そんな感じで、あまり興味なく「へえ」とか「うむ」とか返事をしていた。でも、打ち上げで起こった顛末が、LINE上に表示された時に、突然、私の<ひっかかり>が、噴出した。インターネットの中で展開する世論は、この騒動の原因を求めて止まなかった。どうして、たつき監督が降板しなくてはならなかったのか。「戦犯」は誰なのか。  KADOKAWAが悪い。いや、ヤオヨロズに問題があった。はたまた、総監督としてクレジットされている吉崎観音が悪い。その間には、多くのノイズもあった。あるアニメ関連企業に所属する人物は、ほかの作品で、KADOKAWAの対応の悪さにイラついたことを語る。ヤオヨロズの親会社であるジャストプロの体質から語り始める者もいた。だが、そんなことは、私にはどうでもいいことだった。私が感じた<ひっかかり>は、ただ一つのことだけだった。  なぜ、たつき監督は、あんなツイートをしてしまったのか。  そのことだけを知りたいと思った。  打ち上げの顛末を聞いた時に、こんな文章が頭に浮かんだ。  ……どうしても、気持ちの整理が出来なかった。なぜ、福原さんは打ち上げに行ってしまったのか。俺の気持ちをわかってくれなかったのか。最初に出会った時の、福原さんの顔が、幾度も浮かんでは消えていった。名刺を渡された時は半信半疑だった。でも、何度か出会い、話をするうちに気持ちは変わっていった。この人は、俺の作品をもっと大勢の人が見てくれる機会を与えてくれる人だ。俺のために、こんなにも時間を割いて、魂を捧げてくれる。だから、俺もその想いに応えたい。そう思って頑張ってきた。そして、俺の心血を注いだ作品は、大ヒットした。自分の人生の大切な時間を刻んで注いだ魂。俺の魂の欠片が溶け込んでいるから、あんなにみんなが賞讃してくれる作品になったんだ。なのに、どこか置いてけぼりな感じがする。もっと、もっと『けものフレンズ』でやりたいことがある。やりたいことが多くて、いつも身体は熱くなってしまう。人生には限られた時間しかない。だから、この熱が冷めてしまわないうちに、1日でも早く、いま、自分の身体の中に渦巻いている熱を作品にしたい。でも、それをしようと思うと待ったがかけられる。福原さんも、そうだ。俺のことを信じて、俺の情熱を愛してくれているはずなのに。「作品がヒットしたのは、俺がいたからでしょう」そんな思い上がったことを言うつもりはない。わかっている。アニメには製作委員会というものがあって、いろんな会社が出資していて……。でも、福原さんは、ヒットすればするほど、グチャグチャになる俺の心を理解して、寄り添っていてくれているのだと信じていたのに。信頼という2文字が、今はとても憎い……。ふと、気がつくと、グチャグチャなまま、スマホの住所録から、福原さんの番号を表示させ、赤い電話のマークを押していた。数回のコール。少し焦った口調で福原さんは電話に出た……。  打ち上げに出席していた関係者。中でも、福原と関係の深い人物。思いあたったのは、打ち上げの顛末を教えてくれた関係者が口にしたのと同じ名前だった。電話をするべきか、メールを送るべきか。逡巡してから、LINEにすることにした。オタク業界の片隅で、真冬でも夏のように熱い情熱を燃やしているこの男。幸いにして彼のほうから、幾つかのメディアの報道について、彼視点での感想を話しかけてきていたからだ。  何か、いろいろと話したいことがあるのに、話せないのか。LINEだというのに、いくつかの長文を送ってきた彼への返事を短文で送った。 「というか、福原さん紹介してください。ちゃんとしたルポを書きましょう」  すぐに返事が来た。 「いやー福原さんめっちゃちゃんとしてたからなぁ。あれをハンドリング不足というのは僕にはできない」  そんなことは、どうでもいいこと。私が知りたいのは、たつき監督の内面の紀行なのだ。そういうことを、何度かに分けて、LINEで読みやすいように、少し文章を短くして送った。はぐらかすようなやりとりが何度か続いて、既読スルーになった。  翌日、別の話題をLINEで話しかけてみると、愉快な返事が来た。既読スルーにしている理由は、明らかだった。  また、取材は行き詰まった。  でも、その間に、もう一人の事情を知っているはずの関係者に思い当たっていた。すぐに、コンタクトを取ってみた。 「おっさんから、一言……勘違いにも、ほどがある」  いつも、資料がパンパンに詰まった鞄を抱えて、あちこちの会社と会議の日々を送っている彼は、私が聞いた限り関係者としては初めて、たつき監督批判を口にした。もちろん、その前に『けものフレンズ』が多くの問題を抱えた作品だったことも、きちんと語ってくれていた。  アニメがヒットするまで『けものフレンズ』は、完全に失敗したコンテンツであった。 「関係者なら知っていますが、もともと『けものフレンズ』は、某社が立案した吉崎観音先生案件だったわけです。でも、ご存じのようにコケにコケまくっていました。ゲームは2016年末で終了してしまうというのに、アニメは2017年……」  製作委員会に出資する各社の分担で、KADOKAWAが版権窓口になっていた。なったものの、実質的な業務など、ほとんどないだろうと思われていた。とりあえず、スケジュール通り、アニメを放送するだけ。あとは、互いに損の少ないように、うまく畳むだけ。だらだらと、どうでもいいような会議も打ち合わせも少ない。でも、顔を合わせる時間が少ないだけに、必要なコミュニケーションも取ることはできていなかった。どうせ、終わるコンテンツなのだから、精緻な座組も必要ではないと思っていた。  なのに作品はヒットしてしまった。それは、天の采配だったのか。たつき監督の才能ゆえだったのか。おそらく、後者による部分は大きかっただろう。ここで不幸だったのは、たつき監督が自由に暴走した果てに、目を見張るような作品を生み出す才能の持ち主だったことだった。コントロール不能。誰も止めることはできない。製作委員会の中には、その才能の裏にある危険が見えていた人も、いたかもしれない。でも、幕を下ろす準備のままに進んでいた座組では、それを止めることはできなかった。 「才能があるのでしたら、周囲に実害が出ない場所で活躍してほしいですね。実害を被るのは、普通の人なので……」  ふと、彼が漏らした言葉に、すべての問題が集約されていると思った。自由に作品をつくることができたのは、たつき監督にとっては、幸運でもあったし不幸でもあったのだと思った。 「なんとか、もっとディテールを知りたいのですが……」  いつも、ルポルタージュが出来上がっていく過程には、先人たちの膨大な作品群がある。今、自分が試している方法論は、それらを現代風に仕立て直したものに、ほかならない。その時、私の脳裏にあったのは、かれこれ50年以上前に「エスクワイア」に掲載された、ゲイ・タリーズの『フランク・シナトラは風邪をひいている。』であった。はるばる西海岸にやってきたのに、シナトラにインタヴューを断られたタリーズ。でも、始まりはそこからだった。タリーズは、シナトラを知る膨大な数の人々に出会い、シナトラの人物像を生き生きと描いた。その偉大な書き手の手法を援用すれば、福原にも、たつき監督にも会えずとも、どうにかなるのではないかと思った。 「やってみましょう」  そして、数日が流れた。まったく芳しくない答えが返ってきた。 「ダメですね。ちょっと話題に出そうしても、みんな口ごもるんですよ。どうも『週刊文春』が動いているみたいで……」  取材は、もう無理だと思った。彼は、こう言葉を続けた。 「ところで、たつき監督にはコンタクトは取りました?」  返事は来ないと思ったけれども、メールだけは送っていた。記事にするかどうかもわからないが、あなたに会ってみたいと記して。当然、返事は来ていなかった。きっと膨大なファン、そして、メディアが送ったであろうメールの中に埋もれているのだろうと思っていた。  ここで一旦取材は諦めることにした。それから数日後、ポツポツと情報を教えてくれた中の幾人かと、なんとはなしに会って飲むことになった。  中央線沿線の駅前にある古ぼけた飲食街。その片隅にある場末感の漂う焼き鳥屋に、私たちは集まった。最近のエロレイヤー事情だとか、口説いている声優の話だとか、その場限りの笑い話で、こわばった身体をほぐしていた。  ふと、隣の席を見た。四人掛けの席の、壁側のほうに一人、引き締まった身体の見栄えだけはいい、30歳くらいの男が座っていた。向かいには、平凡な雰囲気のロングヘアの若い女を挟むようにして、気弱そうな髭面の若い男と、虚勢を張った金髪の、そばかすが目立つ男が座っていた。劇団員か何かだろうかと思った。 「俺さあ、みんな東大とか当たり前に行く高校に通ってたんだよ。俺だけだぜ、大学に行かなかったのは~」  見栄えだけはよい男の自慢話を、窮屈に座った男女3人は、有り難そうに聞いていた。でも、3人が本当に見ているものは、まったく違っているように見えた。女は、見栄えだけいい男から、何かを得ようと虎視眈々と狙っているようだった。髭面は、自慢話を腹の中ではバカにしていた。そして、金髪は、早く帰りたそうにしていた。 「ああ、これだ」  私の中で、たつき監督のツイートに至る光景が浮かんだ。それは、私自身の人生での、痛い思い出とリンクして。  人生論をぶつまでもない。人は誰もが、実力を過信するものだ。とりわけ、努力の結果を成し遂げた時はそうだ。私も、それで幾度か失敗と反省をしている。格段に楽なものとはいえ、倍率の高い試験を突破して東京大学大学院情報学環教育部に入学した時のこと。あるいは過去、ほかの仕事を断ってまで心血を注いだ本を上梓した時のこと。自分の成果を自分で誇り、もっと賞讃されたいと思った時に、他人はそうは思ってくれないものだ。その浮ついた気持ちは、注意されても気づかない。むしろ、思ったように賞讃してくれない周囲には憎しみが募り、真摯な忠告も耳には入らなくなる。それはやがて、悲惨な末路へと至る。失うものなど、ないはずがないのに。すべてを失った気分になって、破壊をしたくなる衝動へと至るのだ。  あの、9月25日の、たつき監督のツイートは、まさにそれだったのだ。  でも、それから僅かな時間の間に、たつき監督は自身の愚かさに気づき、成長したのだろうか。  10月9日の、たつき監督のツイートを見て、そう思った。  黒も白もなく。すべては、人が何かを成し遂げたいという思いゆえのこと。誰かを名指しして、あげつらうことなどできようはずもない。  ただ、いつかは、たつき監督の心の旅路を彼自身の口から聞いてみたいと思っている。 (取材・文=昼間たかし)

カルト宗教と民間療法は信じる者だけが救われる!? プラシーボな神をめぐる暗黒アニメ『我は神なり』

カルト宗教と民間療法は信じる者だけが救われる!? プラシーボな神をめぐる暗黒アニメ『我は神なり』の画像1
宗教に頼らずには生きていけない人間の弱さをリアルに描いた長編アニメ『我は神なり』。ヤン・イクチュンらが声優として参加。
 神は存在する。ただし、神は存在しないという文脈においてのみ、神は存在する。言い換えれば、神は存在しないことを証明されるために存在する。つまり、神は数字のゼロのような存在だ。存在しないことによって存在する。そんな現実世界には実存しない神の解釈をめぐって、人々は長きにわたって争い、憎しみ合ってきた。実写映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)で大ブレイクしたヨン・サンホ監督の長編アニメ『我は神なり』(英題『FAKE』)では、神のご利益を説くことで信者たちからお金をむしり取るインチキ教団と、そんなインチキ宗教でもすがりつきたいと願う人々の心理を克明に描いた救いのないドラマが紡がれていく。  日本では今年9月から劇場公開が始まった『新感染』で実写映画デビューを飾り、『新感染』の前日談を描いた長編アニメ『ソウル・ステーション パンデミック』(16)も続いて公開され、ゾンビよりも人間のほうがよっぽど悪質で、おぞましい存在であることをこれでもかと見せつけたヨン・サンホ監督。8月来日時のトークイベントでは「日本のアニメや漫画の影響をすごく受けた。中でも今敏監督のリアリズム溢れる初期作品を観て、自分も映画をつくりたいと思った」と語った。なるほど、社会の底辺を生きる人々をリアルに描く作風は今敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』(03)っぽくあり、最後の最後まで目が離せないサスペンスフルな演出は『パーフェクトブルー』(98)を思わせる。極彩色の悪夢『パプリカ』(06)を最後に、46歳の若さで亡くなった今敏監督の系譜を受け継ぐ才人が韓国から現われたことがうれしい。そんなヨン監督が2013年に発表した長編アニメが『我は神なり』。多くの人に好まれる宮崎駿アニメ風の欧州的な整った顔立ちではない、アジア人特有の平べったく、目の細く、筋ばった容姿のキャラクターたちが物語の主人公だ。
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補償金という慣れない大金を手にした村人たちは、ヤン牧師のいる教団にこぞって献金することに。
 国家レベルの大規模な建設工事のために、村人全員が立ち退きを命じられた小さな集落に、とある宗教団体が訪れる。故郷を喪失することに動揺している村人たちは、若くてイケメンのソン牧師(声:オ・ジョンセ)を崇め、教団から分けてもらった神の水を呑めば万病に効くと信じ込んでいた。ソン牧師はあくまでも教団の表の顔で、詐欺師のギョンソク(声:クォン・ヘヒョ)が裏では仕切っている。他の土地へ移り住むために村人たちがもらっていた補償金を狙っての布教活動だった。神への信仰心として教団に献金すればするだけ、この世の苦しみから逃れることができるという。しかも、故郷を失う村人たちが一緒に暮らすことができる現世浄土としての施設「祈りの家」を、村人たちからの献金を元に建設するとギョンソクは約束する。世間から見捨てられた集落にしがみつくように暮らしてきた人々は、うさん臭い教団が提示した現代のユートピア計画にまんまと騙されてしまう。  性格もいいソン牧師に村人たちみんなが夢中になる中、1人だけ教団にツバを吐く人間がいた。ギャンブル好きな荒くれ男・ミンチョル(声:ヤン・イクチュン)は隣町の酒場でクダを巻いていた際に、ギョンソクがお金で雇ったサクラに足の不自由な信者を演じさせる打ち合わせの現場を目撃し、さらに警察署の指名手配書の中にギョンソクがいることに気づく。ミンチョルの娘・ヨンスン(声:パク・ヒボン)らも参加している教団の集会にミンチョルは乱入し、教団のインチキぶりを糾弾する。だが、ミンチョルは村人たちから嫌われていたため、娘のヨンスンも含め誰も彼の言葉に耳を傾けようとはしない。嫌われ者が暴くつらい現実よりも、人気者が語る甘い嘘をみんな信じようとする。  教団が分けてくれる神の水を毎日呑むことで、村の高齢者や難病に苦しんでいた人は一時的に元気になる。ただの砂糖水でも「これ、効くよ」と言って呑ませれば、身体の痛みを軽減させることができる。プラシーボ(偽薬)効果ってヤツだ。暗示によって、人間が本来持っている自然治癒力が高められる。民間療法や健康食品の効能の多くは、このプラシーボ効果によるもの。民間療法と宗教は信じる者だけが救われる。『我は神なり』で描かれる神さまとは、プラシーボな存在に過ぎない。それでも、村人たちはプラシーボな神さまにすがりつくしか選択肢はなかった。
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「宗教なんかインチキだ」と叫ぶミンチョルは、教団の武闘派グループからボコボコにされる。神は神を信じない者にはとことん厳しい。
 カルト教団、新興宗教はこれまでにも映画の題材として度々取り上げられてきた。ビートたけし原作&出演作『教祖誕生』(93)では、情弱な人たちに付け込むインチキ教団の裏側がコミカルに描かれた。伊丹十三監督は遺作となった『マルタイの女』(97)で、カルト教団の反社会性について言及している。震災風俗嬢を主人公にした廣木隆一監督のオリジナル作『彼女の人生は間違いじゃない』(17)は、被災者たちが暮らす仮設住宅に新興宗教の勧誘が群がる現状について触れていた。サイエントロジーの創始者L・ロン・ハバードをモデルにして企画が生まれのは、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』(12)。宗教団体の創設者(フィリップ・シーモア・ホフマン)は人間の心を癒す特殊能力を持っていたが、信者数が増えるにつれて組織は巨大化し、単なる集金システムへと変貌を遂げていく。地縁もなく、血縁にも頼ることができない下流社会に生きる人々にとっては、神が存在しようがしまいが、敷居の低い宗教団体に救いを求めるしかないというシビアな現実がある。  村人たちがソン牧師の説く神の存在を信じているのに、鼻つまみ者のミンチョルが「こいつらはインチキだ」とののしり回るため、せっかくのプラシーボ効果が台無しである。インチキ教団を取り仕切るギョンソクだけでなく、村人たちは自主的にミンチョルを村から排除しようする。人民寺院集団自殺事件を再現した恐怖映画『サクラメント 死の楽園』(13)のように、もはや村人たちは集団催眠状態に陥っていた。また、純粋に神の存在を信じているソン牧師にとっても、異分子ミンチョルは目障りだった。神さまの存在を盲目的に信じたことで、やがてこの村はサイアクの結果を迎えることになる。  神さまにすべてを捧げた村人たちは、ゼロに向かって突き進んでいく。神さまに近づくということは、財産も捨て、家も捨て、煩悩も捨て、自分自身を完璧なゼロへと近づけていくことなのだろうか。確かに神は存在する。ただし、神は存在しないという文脈においてのみ、神は存在する。そんな矛盾を背負いながら、人間はこの不完全な世界を生きていくしかない。 (文=長野辰次)
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『我は神なり』 監督・脚本/ヨン・サンホ 声の出演/ヤン・イクチュン、オ・ジョンセ、クォン・ヘヒョ、パク・ヒボン 配給/ブロードウェイ 10月21日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国公開 (C)2013 NEXT ENTERTAINMENT WORLD INC.,&Studio DADASHOW All Rights Reserved. https://warekami-movie.com
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『パンドラ映画館』電子書籍発売中! 日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』が電子書籍になりました。 詳細はこちらから!

カルト宗教と民間療法は信じる者だけが救われる!? プラシーボな神をめぐる暗黒アニメ『我は神なり』

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宗教に頼らずには生きていけない人間の弱さをリアルに描いた長編アニメ『我は神なり』。ヤン・イクチュンらが声優として参加。
 神は存在する。ただし、神は存在しないという文脈においてのみ、神は存在する。言い換えれば、神は存在しないことを証明されるために存在する。つまり、神は数字のゼロのような存在だ。存在しないことによって存在する。そんな現実世界には実存しない神の解釈をめぐって、人々は長きにわたって争い、憎しみ合ってきた。実写映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)で大ブレイクしたヨン・サンホ監督の長編アニメ『我は神なり』(英題『FAKE』)では、神のご利益を説くことで信者たちからお金をむしり取るインチキ教団と、そんなインチキ宗教でもすがりつきたいと願う人々の心理を克明に描いた救いのないドラマが紡がれていく。  日本では今年9月から劇場公開が始まった『新感染』で実写映画デビューを飾り、『新感染』の前日談を描いた長編アニメ『ソウル・ステーション パンデミック』(16)も続いて公開され、ゾンビよりも人間のほうがよっぽど悪質で、おぞましい存在であることをこれでもかと見せつけたヨン・サンホ監督。8月来日時のトークイベントでは「日本のアニメや漫画の影響をすごく受けた。中でも今敏監督のリアリズム溢れる初期作品を観て、自分も映画をつくりたいと思った」と語った。なるほど、社会の底辺を生きる人々をリアルに描く作風は今敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』(03)っぽくあり、最後の最後まで目が離せないサスペンスフルな演出は『パーフェクトブルー』(98)を思わせる。極彩色の悪夢『パプリカ』(06)を最後に、46歳の若さで亡くなった今敏監督の系譜を受け継ぐ才人が韓国から現われたことがうれしい。そんなヨン監督が2013年に発表した長編アニメが『我は神なり』。多くの人に好まれる宮崎駿アニメ風の欧州的な整った顔立ちではない、アジア人特有の平べったく、目の細く、筋ばった容姿のキャラクターたちが物語の主人公だ。
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補償金という慣れない大金を手にした村人たちは、ヤン牧師のいる教団にこぞって献金することに。
 国家レベルの大規模な建設工事のために、村人全員が立ち退きを命じられた小さな集落に、とある宗教団体が訪れる。故郷を喪失することに動揺している村人たちは、若くてイケメンのソン牧師(声:オ・ジョンセ)を崇め、教団から分けてもらった神の水を呑めば万病に効くと信じ込んでいた。ソン牧師はあくまでも教団の表の顔で、詐欺師のギョンソク(声:クォン・ヘヒョ)が裏では仕切っている。他の土地へ移り住むために村人たちがもらっていた補償金を狙っての布教活動だった。神への信仰心として教団に献金すればするだけ、この世の苦しみから逃れることができるという。しかも、故郷を失う村人たちが一緒に暮らすことができる現世浄土としての施設「祈りの家」を、村人たちからの献金を元に建設するとギョンソクは約束する。世間から見捨てられた集落にしがみつくように暮らしてきた人々は、うさん臭い教団が提示した現代のユートピア計画にまんまと騙されてしまう。  性格もいいソン牧師に村人たちみんなが夢中になる中、1人だけ教団にツバを吐く人間がいた。ギャンブル好きな荒くれ男・ミンチョル(声:ヤン・イクチュン)は隣町の酒場でクダを巻いていた際に、ギョンソクがお金で雇ったサクラに足の不自由な信者を演じさせる打ち合わせの現場を目撃し、さらに警察署の指名手配書の中にギョンソクがいることに気づく。ミンチョルの娘・ヨンスン(声:パク・ヒボン)らも参加している教団の集会にミンチョルは乱入し、教団のインチキぶりを糾弾する。だが、ミンチョルは村人たちから嫌われていたため、娘のヨンスンも含め誰も彼の言葉に耳を傾けようとはしない。嫌われ者が暴くつらい現実よりも、人気者が語る甘い嘘をみんな信じようとする。  教団が分けてくれる神の水を毎日呑むことで、村の高齢者や難病に苦しんでいた人は一時的に元気になる。ただの砂糖水でも「これ、効くよ」と言って呑ませれば、身体の痛みを軽減させることができる。プラシーボ(偽薬)効果ってヤツだ。暗示によって、人間が本来持っている自然治癒力が高められる。民間療法や健康食品の効能の多くは、このプラシーボ効果によるもの。民間療法と宗教は信じる者だけが救われる。『我は神なり』で描かれる神さまとは、プラシーボな存在に過ぎない。それでも、村人たちはプラシーボな神さまにすがりつくしか選択肢はなかった。
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「宗教なんかインチキだ」と叫ぶミンチョルは、教団の武闘派グループからボコボコにされる。神は神を信じない者にはとことん厳しい。
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『我は神なり』 監督・脚本/ヨン・サンホ 声の出演/ヤン・イクチュン、オ・ジョンセ、クォン・ヘヒョ、パク・ヒボン 配給/ブロードウェイ 10月21日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国公開 (C)2013 NEXT ENTERTAINMENT WORLD INC.,&Studio DADASHOW All Rights Reserved. https://warekami-movie.com
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Hey!Say!JUMP『I/Oth Anniversary Tour 2017』最終公演間近! このフォトレポートでJUMPの転換期を振り返ろう!

 2014年に開催された東京ドーム公演『LiVE with me in TOKYO DOME』。
 今までのフレッシュな印象を脱ぎ捨て、新しい一歩を踏み出そうとしているメンバーの“決意表明”を魅せた貴重なフォトレポート。

CONTENTS
LiVE with me in TOKYO DOME
なかよしLOVELOVEショット
山田涼介
知念侑李
中島裕翔
岡本圭人
有岡大貴
高木雄也
伊野尾慧
八乙女光
藪宏太
セットリスト

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キングオブコント準優勝のにゃんこスター、臆測を呼ぶ名前の意味

――毒舌コラムニスト・今井舞が、話題のアノ人物やアノニュースをズバッとヒトコトで斬り捨てる!

◎青森のゆるキャラとは無関係
 にゃんこスター……。ネーミングからネタの雰囲気、プライベートなど、何もかもが今どきっぽい感じ、とざっくりまとめてさせてもらおうか。中高年にはもう、彼らの何もかもが五里霧中。しかし、あの男の方の芸名、「スーパー3助」ってのはすごいな。「さんすけ」って意味わかって付けてるんだろうか。プライベートでもやってるのかな、三助。それもスーパーがつくような三助を。三助……。若い人には、わかりませんね。

◎逮捕8回、おつとめ4回
 清水アキラの息子・清水良太郎容疑者、覚醒剤で逮捕。あー。彼が継ぐ跡目は、父のモノマネではなく、「二代目・清水健太郎」であることが今ここに決定した。「あれ、今どっちにいるんだっけ。あっちだっけ? こっちだっけ?」と言われるようになったら一人前。しっかりと轍を踏みしめて行ってほしい。

 それはともかく、今、しみけんって、あっちだっけ? こっちだっけ? ホントにすぐ出てこないんだ毎回。毎回って。

◎0120-316-742
 アディーレ法律事務所、懲戒処分&業務停止。今までも何度も喫水線を抉って来たアディーレであるが、とうとう鉄拳が。調子乗りすぎ、お上ナメすぎってことに尽きるわけだが。びっくりしたのは、処分が下った後の今日(10月12日)、まだ同事務所のCMがテレビで流されていたことだ。あの「債務ナシに、アッディーレェ!」っていうブラックマヨネーズのやつ。

 画面に映ってる電話は通じないし、ホームページも閲覧できない状態になってるのに、連絡先アピールしてどうする。「業務停止命令が出た企業のCMが流れるわけない」という、我々の既存の概念の喫水線は、また抉られたわけだ。

 CM出演時、タレント側にいろんな縛りがあるのは知られているが、企業の方に問題があった場合、タレント側から「CM流さないで」というのはできないのだろうか。今後は契約時、そういう可能性も踏まえる必要が出てきたってことだな。すぐにアディーレじゃないところに相談だ。とりあえず、あのCMのブラマヨの顔に、誰かモザイクかけてあげて。

今井舞(いまい・まい)
週刊誌などを中心に活躍するライター。皮肉たっぷりの芸能人・テレビ批評が人気を集めている。著書に『女性タレント・ミシュラン』(情報センター出版局)、近著に『気になる「あそこ」見聞録』(新潮社)がある。

「キ●ガ●」トランプ VS 「マッドマン」金正恩 放送禁止用語連発の舌戦に“昭和の香り”?

「キ●ガ●」トランプ VS 「マッドマン」金正恩 放送禁止用語連発の舌戦に昭和の香り?の画像1
トランプの枕詞にあるNGワード(『朝鮮の今日』YouTube動画より)
 軍事的緊張が高まる朝鮮半島情勢で、米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩党委員長の舌戦が最終局面を迎えている。トランプ氏はTwitterで「ロケットマン」と呼んでいた正恩氏を9月下旬から「マッドマン」と最もゲスな呼び方に格下げした。対する北朝鮮は、トランプ氏を「キ●ガ●」と表現。使用禁止用語ゆえ、日本のメディアは両国の最高指導者が繰り広げるヘイト最終決戦をスルーしているが、北朝鮮の辞書を調べてみると、スゴい用例が存在していた――。  9月下旬、北朝鮮が在日朝鮮人向けに流している 日本語短波放送『朝鮮の声放送』はニュースで、トランプ氏を「老いぼれのキ●ガ●」と表現。西日本に住む50代のリスナーの男性は「あの言葉を躊躇なく言い切ったのは、北朝鮮の怒りと共に“昭和の日本語”を感じた」と、衝撃の瞬間を振り返った。
「キ●ガ●」トランプ VS 「マッドマン」金正恩 放送禁止用語連発の舌戦に昭和の香り?の画像2
日朝辞典
「キ●ガ●」トランプ VS 「マッドマン」金正恩 放送禁止用語連発の舌戦に昭和の香り?の画像3
日朝辞典にある、あの言葉
 もともと、日本の雑誌やテレビといったメディアでは、くだんの言葉を普通に使っていたが、精神障害者家族会の一部からによる激しい抗議があり、1970年代に自主規制によってNGワードになった。最近、小林旭がフジテレビの情報番組『バイキング』で、ラスベガスの乱射男に対して図らずもこの表現を使用。スタジオは凍りつき、番組内でアナウンサーが謝罪するという騒動が起きるほど、日本でのタブー視はすさまじい。  だが、北は9月下旬から今月に入ってYouTubeでアップする動画のタイトルに「キ●ガ●のトランプ」と、もはやトランプ氏への枕詞にする始末……。そうはいっても、さすがの北でも不快用語にならないのか、平壌で発行された日本語を朝鮮語に翻訳するための『日朝辞典』(外国文図書出版社)で調べてみた。 「キ●ガ●」を引くと、かなりの分量を割いて説明していた。意味は日本と同じだが、例文には「戦争~」「アメリカ帝国主義者どもは『プエブロ』号事件を契機にいっそう~じみた戦争騒ぎをくりひろげた」という長~い文が挙げられていた。  プエブロ号事件とは、1968年に米海軍の情報収集艦が北朝鮮・元山沖の海域で拿捕された事件だ。この際、米政府は日本海に原子力空母を向かわせて緊張感が高まるという、現在の朝鮮半島情勢と似た緊迫した雰囲気で、「戦争キ●ガ●」という過激ワードは、実に半世紀ぶりに復活したというワケだ。  また、ネガティブな用法だけでなく「~なすび」(=チョウセンアサガオ)、「~日和」(=不安定な天候)など、今の日本では使われなくなった用例も紹介されていた。 「日朝関係の悪化で、北朝鮮では日本語を勉強する学者や学生が少ない。辞書は改訂されず、実質的に通用しなくなった日本語に、学生や通訳は悩んでいる。ある通訳には『今度、電子辞書を持ってきてくれないか』と頼まれたよ」と話すのは、日朝を行き来する在日朝鮮人の男性。 “昭和の日本語”が北朝鮮で残っているとは、なんだか皮肉な話だ。

摘出を控えた子宮にちんぽを届けたくて突っ走ってきた女性が、ついに実感できた“愛”

 オーケイ、消灯だ。

*   *   *

 王子がたくさん褒めてくれたおかげで、夢子のアイデンティティ考察は頭からふっとんだ。

「あっ、ほんとに綺麗ですね~」
「可愛いですね~」
「お肌すべすべ~気持ちいい~」

 褒め称えてもらい、夢子はご機嫌だ。喜ぶ猫のように目を細めてゴロゴロ喉をならしている。王子はこうも言ってくれた

「おっぱい柔らかい~。これはいいおっぱい」

 一瞬、夢子は喜んだ。しかし王子の次の言葉にハッとした。

「みんなおっぱい硬いんですよねぇ」

(そういえば私も、昔はもっと硬かった。いつの間にか私のおっぱいには張りがなくなっていたのか。これが加齢!)

 せっかくの賞賛なのに、何でもかんでもネガティブに捉えてしまうのが夢子の悪いクセである。

◎美しい、ちんぽ。

 王子が誘う。

「僕のも見てくださいよ」

 我々は上体を起こした。よっこらしょ。

(はいはい、ちんぽ鑑賞timeね。私、男根は特に見たくないんだけど……はうあっ!?)

 夢子は目を疑った。

 そこに恥ずかし気に輝いていたものには、信じられないような素晴らしい「美」が宿っていたからだ。ヴァイオリンの弓のようにしなやかなそのフォルムは洗練され、あくまでもスタイリッシュ。だが草原を駆ける優美な獣のような野性味も兼ね備えている。ぴちぴちとした魚のようにつややかで、角度によって色が変わり、神秘性すらまとっていた。

「綺麗……」

 夢子の口からは、ちんぽを見た感想として一生言わないだろうと思っていた言葉が自然にこぼれていた。この弓は、私のG線上でどんなアリアを奏でるのかしら……。王子はそうでしょうとも言うように鷹揚に頷きながら答えた。

「よくいわれます」

◎痛みはない、けれど。

 だが期待に高揚する夢子の耳にアリアが聞こえることはなかった。

 それは奇妙な感覚だった。王子の身のこなしは徹底して優しく、慈愛に満ちている。まるで赤ちゃんの頬にキスするようにごく柔らかに体に触れる。しかし、自身のたぐいまれなるストラディバリウスを弾きこなすところまで王子のヴァイオリンレッスンは進んでいないのだろう。

 痛みはまったくない……というよりも、夢子は何も感じなかった。例えるなら、そよ風に肌を撫でられているような感覚である。

(すごい! 気持ち悪くない。痛くもない。だけど、気持ち良くもない!)

 今までは「気持ち悪い・痛い」イコール「気持ち良くない」だった。でも今は気持ち悪くないし、痛くもなく、相手のことも好きだ。夢中と言っても良い。なのに快楽がないとは! そういうこともこの世にはあるのか、勉強になった。

 しかし王子は「ああっ気持ちいい」と息を漏らしている。彼が楽しんでくれているようだったので安堵した。ガチャ君に「狭すぎる」と文句を言われた夢子のまんこに喜んでくれる者もいるのだ!

「これ痛い? 大丈夫ですか?」

 丁寧にひとつひとつ確認してくれる王子の心遣いが沁みる。

「痛くないよ。気持ちいい。幸せ」

 苦痛さえなければ夢子としては何も文句はない。それも含めてこの瞬間を味わいつくすのみだ。だが同時に彼と政略結婚するであろうどこかの姫君(夢子の中では決定事項)に思いを馳せずにはいられなかった。

(もし私が王子としか肌を合わせたことがなかったら「自分は不感症に違いない」と悩むだろうな。王子の結婚相手も、毎回これではさすがに欲求不満になるのでは)

「彼のことは大好きだけど、性的な満足が得られない。でも言えなくて……」という悩みはネットにもよく掲載されている。これまでは大好きな人と一緒で気持ち良くないなんて、あり得るのだろうか? と不思議だったが、今ならよくわかる。

◎どこに射精したらいい?

 気持ち良さがなかったわけではない。王子がぎゅっと抱きしめてくれたのは心地よかった。持病のせいで常に体が冷えている夢子には、彼の体温はうっとりするほどだった。

 王子がくり返す賞賛の言葉にも恩恵を受け、心を開きリラックスすることもできた。性的技術はさほどではなくても、それ以外の部分が優れていればぬくもりのある経験になるのだな、ということも夢子は同時に知ることとなった。

「気を抜いたらイキそう」

とのことで王子が尋ねた。

「どこに射精したらいいですか?」

 意味がよくわからないまま、夢子は答えた。

「ん? 普通に……」
「普通にゴムの中でいいですか? 『お腹にかけてー』とかご希望あれば言ってください」
「ええー? そんなこと言う子いるの?」
「はい、時々いますよ」

 王子は優しい目をして教えてくれる。

(それはさすがに女性がAVに影響されすぎなのでは?)

という気がしたが、今はそれを論じる時ではないと考え、夢子は黙った。

◎帰宅後、痛みに襲われる。

 無事に完遂した王子が息を切らしている。

「5分くらい休憩させてください」

 これは輝かしい成功だ! ぐったり横たわる王子の体温で暖をとりつつ、夢子は満悦しきって伸びをした。

(そんなに気持ち良くなれる男の人が羨ましい……)

ともちょっぴり思いながら。

 ホテルの支払いを済ませた王子に夢子はお礼をいった。

「どうもありがとうございます」

 王子は最後までパーフェクトなプリンスだった。

「いえいえ、お礼を言われるようなことは何もしてませんから」

 なんてスマートな返答だろう。男がホテル代を四の五の言わずに払ってくれる、それだけでもこのご時世、貴重だというのに。王子はひらりと白馬にまたがると、軽やかに去っていった(ように夢子には見えた)。

家に帰ってパソコン机に向かったら突然お腹が痛みだした。苦痛の波に合わせて「ギャッ、ギャッ!」という声が出る。夢子はつっ伏し、痛みを逃そうと机をドンドンとこぶしで叩いた。かろうじてトイレに辿り着き確認すると、出血していた。

 出血が始まると夢子のそれは容易には止まらない。これから入院まで、痛みにのたうち回るのかと思うと夢子は気が重かった。痛みと出血は、さっき圧迫された刺激で子宮内膜症である俺が収縮しているせいだ。すまんな夢子。痛いだろ?

「大丈夫……私と子宮が協同作業した結果だし、むしろこの痛みはスウィート・メモリーズ……」

 無理するな。痛み止め使ってくれ。で、夢子、どうだったんだ。お前としては、目標達成できたのか。

「王子が性的に興奮してくれたみたいだったから良かったよ! ホッとした! 普段みたいに家にひきこもってたら知らずにいたようなこともたくさん知れたし!」

 不況を実感したことのない若者や、クンニは嫌うのにお腹にかけて欲しがる女性がいる等の情報は、確かにパソコンに向かっているだけでは得られない。

◎子宮の力を試したかった!

 お前の性的興奮はなかったようだが、いいのか?

「性的興奮はなくても良い時間を過ごせたよ。今日は性愛というより博愛、人類愛を感じたなぁ。やっぱり大事なのは、セックスハウツーより人間性なのかねぇ。ずっとスマイルでいてくれて、こっちもモチベーションがあがったしね。私も見習わなくちゃ」

 夢子は慣れた様子で痛み止めを入れながら続けた。

「このプロジェクト、私は快楽を得るというところまではいかなかったし、ポルチオの検証もできなかった。だけど、これをやることで、私は病気や手術に呑まれるだけじゃなくて、こっちからも一矢報いたかったんだよね。病気に対して受け身で終わるんじゃなく、最後くらいは主体的に攻撃する側になりたかった。いままで子宮エリアの潜在的な力を引き出してあげられない人生だったじゃん? だからせめて最後くらい、子宮の力を試してみたかったんだ」

 もがいて、あがいて、みっともない姿をたくさん晒したし、このやり方が正しかったかもわからない。けど、自分の目標のために必死で自分の頭で考えて、100%の努力を注ぎ込んだっていう事実は、誰も私から奪えない。

 もうタイムアップだし、ここで一旦検証は終わるけど、最後に子宮との思い出を作れたことを、私は誇りに思える……それが良かったよ。この経験を活かして、ゆくゆくは、他の女性を助けてあげられるような人になれるよう頑張ろうと思う」

◎もうすぐ、お別れ。

 そういうことだ。

 これにて夢子と子宮である俺との“まんこにちんぽをジャストミート”の旅はおしまいだ。夢子は確定申告と入院・手術の準備をしなきゃならないし、俺だって忙しい。残されてゆく卵巣さんたちと膣さんが開いてくれるお別れパーティに出席しなきゃいけないからな。

 この旅のあらましを子宮生の最後に皆とシェアできたことを俺は光栄に思う。「子宮を摘出したらポルチオのあれこれはどうなるのか?」「子宮がなくてもイケるのか?」「摘出後、夢子の性欲はどうなるのか?」「子宮摘出しても夢子の心は女のままなのか?」「子宮を取ってよかったか?」など、数々の疑問は残されたままだが、それらの件については、また機会があったら話せるだろう。

 それまでの間、女性疾患を抱えたすべての女性たちが、心安らかに過ごすことを祈る。いつか笑顔で再会したいもんだな。それができたら上出来だ。

嵐・櫻井翔主演『先に生まれただけの僕』は初回14分拡大で放送スタート! 10月14日(土)ジャニーズアイドル出演情報

――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!

※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
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●TOKIO

6:00~ 8:00 『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日ほか) 城島茂
24:50~25:15 『二軒目どうする?』(テレビ東京) 松岡昌宏

●V6

21:00~21:54 『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系) 井ノ原快彦

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“史上最低脚本家”のリベンジが始まる!?『刑事ゆがみ』初回7.6%も、高評価スタート!

史上最低脚本家のリベンジが始まる!?『刑事ゆがみ』初回7.6%も、高評価スタート!の画像1
フジテレビ系『刑事ゆがみ』番組公式サイトより
 神木きゅんが大人になってる! もう神木さんじゃん! と、まず軽くびっくりしましたねえ。個人的に、ちゃんと見たのは映画『桐島、部活やめるってよ』(2012)以来だったので。  というわけで、浅野忠信と神木隆之介が“バディ”を組む刑事ドラマ『刑事ゆがみ』(フジテレビ系)がスタートしました。初回視聴率は7.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)とイマイチでしたが、個人的には、かなり高評価です。高評価スタートです。  原作は、2006年に『弁護士のくず』がドラマ化されたことでも有名なマンガ家・井浦秀夫さんの同名コミック。『弁護士のくず』の主人公弁護士が九頭(くず)という名前だったのと同じく、本作で浅野が演じる主人公のベテラン刑事は弓神(ゆがみ)という名前。性格が歪んだ弓神さんは、下の名前が適当(ゆきまさ)であることからして、まあ適当な人物です。適当で歪んでいるので、言葉遣いは悪いし、行動は粗暴だし、上司には逆らうし、違法捜査もするし、でも真実に辿りついて事件を解決するのは、いつだって弓神。そういうダークヒーロー的なキャラクターとして登場します。いかにも浅野さんに似合いそうな役ですし、実際、劇中で浅野さんは実に楽しそうに演じています。  そんな弓神と“バディ”を組むのが、神木さん演じる羽生(はにゅう)刑事。こちらは原作では弓神に振り回されてホトホト困り果てるだけの役割でしたが、ドラマではしっかり人格と背景が与えられていて、より弓神との関係性の描かれ方が深まっています。この羽生というキャラクターの肉付けが、まず成功しているなぁと感じたんです。原作ではほとんど金魚のフン状態だった羽生が、弓神と“対等なバディ”として浮き立ってきている。もともとこの2人が画面に出てるだけでそこらへんのドラマよりリッチに見えて眼福なんですが、冒頭からキッチリ「対等ですよ」という主張が盛り込まれているので、緊張感が生まれていました。  なので、冒頭の取り調べシーンとその後の屋上で包丁を振り回してるおじいちゃんを捕まえるシーンあたりで、これはおもしろくなりそうだという期待感が出てきました。 ■脚本家は“最低視聴率”請負人!?  このドラマの脚本にクレジットされているのは3人。1番手は倉光泰子さんです。倉光さんといえば「フジテレビヤングシナリオ大賞」出身で、初めてメーンを張った昨年4月期の『ラヴソング』において平均視聴率8.5%を叩き出し、当時の「月9史上最低記録」を塗り替えた人物。さらに、今年1月期に再び月9に挑んだ『突然ですが、明日結婚します』で全話平均6.7%と、またまた最低記録を更新するという、そんな感じの方なのです。  そして、この2本の作品は、そんな最低な数字以上に、ドラマの出来としても最低だったと感じました。詳しくは各ドラマの最終話レビューに書きましたが(『ラヴソング』『突然ですが、明日結婚します』)、まあ2作とも見るに堪えない、時間の無駄としか言いようのない、連続ドラマとして成立してない作品です。  でも、倉光さんのことは、ずっと引っかかってたんです。たぶんこれ、倉光さんは悪くないよなぁーと、ずっと思ってた。『ラヴソング』は第4話からストーリーが迷走して破綻しましたが、おそらく主要人物が事情で出演できなくなったことがその原因でしょうし(そしてその理由はたぶん、上の最終回レビューでの推測とは別です)、『突然ですが』は、そもそも撮影が始まっていた別のドラマが中止になって、急ごしらえで見切り発車させた企画なので、全然時間がなかっただけなんじゃないかと。だから、『刑事ゆがみ』には期待していたんです。ちゃんと準備期間があれば、倉光さんは面白いものを書くんじゃないかと。  なぜなら、『ラヴソング』も第3話までは、かなり完成度が高いと感じていたからです。倉光さんの脚本は、人物のキャラクター付けがとにかく細やかで、命を吹き込むのが上手い。プロット上は不必要な、なんでもない仕草を挿入することで、その人の性格や暮らしぶりを想像させてしまう。さらに、例えばAという人物がBという人物に、最初にどう話しかけるかということにすごく気を使っていて、ファーストコンタクトの瞬間にもう関係性が明示されてしまう。そういう瞬間が、『ラヴソング』の第3話までに数多く訪れていたことが、とても印象に残っている。だからこそ、『ラヴソング』のその後の迷走や『突然ですが』の雑すぎる仕上がりに超ムカついていたわけですけど。 ■そういう倉光節とミステリーの相性が抜群でした  そうした細やかな性格の肉付けによって立ち上がった新米刑事・羽生という人物は、原作よりずっと豊かな人間性を持って画面に現れました。そして、1シーンか2シーンで、もう弓神と羽生の関係性は確かなものとして伝わってくるのです。  本作は基本的に事件の犯人を探るミステリーですし、何しろ面白いからFODとかで無料で見てもらった方がいいと思うので、ストーリーについては今回は書きません。  ただ、特筆すべきは、倉光さんが『ラヴソング』で見せた細やかなキャラクター付けという作業が、今回ミステリーの中で行われることによって、人物像を肉付けするだけでなく、事件解決の伏線として機能していることです。犯人の動機や、刑事2人の行動原理にウソっぽさがないし、どの人物にも大いに共感してしまう。共感してしまうから、罪を犯したり、捜査をしたりしている彼らの“痛み”がダイレクトに伝わってくる。 『刑事ゆがみ』には、ドラマの都合で動いている(ように見える)人物が1人もいませんでした。それぞれの人物が自分の信念で行動している(ように見える)のです。それは、脚本家がすべての登場人物に寄り添っている証拠だと思いますし、丁寧にキャラクターの心の中からウソを取り除いた結果だと思います。  本作の演出の1番手は、『ラヴソング』でもコンビを組んだ西谷弘さん。『ガリレオ』や『任侠ヘルパー』を手がけた、フジテレビでは御大ともいえる大先生です。しかし『ラヴソング』では、その第3話まででクレジットから名前が消えてしまい、最終話でようやく戻ってきたということもありました。  だからこのドラマは西谷さんと倉光さんにとって“リベンジ”の意味合いもあるんだろうなと思うし、数字的にこんだけコケてもチャンスを与えられた倉光さんが、とりあえず第1話では良い仕事をしたということが、けっこう感動的だったりするんです。  とはいえ、刑事ドラマはやっぱり事件が面白くないと、どうしようもありません。原作はまだ3巻しか出てないし、いかにも現代ドラマに採用するには古臭い設定の事件に多くのページが割かれていたりするので、いずれオリジナルで事件を構築するという、人物造形とはまるで違う脳みそを使わなければいけない段階も来ることでしょう。応援してますし、もしつまんなくなったら、それも正直に書かなきゃなーと思ってます。 (文=どらまっ子AKIちゃん)